[スウェーデン]ストックホルム

<王宮(2枚組)撮影ポイント

初めての北欧、ストックホルムは期待以上の好印象で楽しめそう。海のブルーは鮮やかで、道は広く清潔、(改築や建築中の建物が多いのが気になるが)街並みはまあまあ美しく、博物館が充実してお宝が多い。
王宮(写真)とその周辺の旧市街は見る価値ありそうだ。しかし、他の観光スポットはついでに見る分には満足できるという程度かも。

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<ストックホルム旧市街王宮付近>

福祉国家で税金がバカ高のため物価が高いのは仕方ないとしても、トイレが少なく汚いうえに有料が多いというのは納得できない。
ノーベル賞表彰式の行なわれる市庁舎や世界遺産のドロットニングホルム宮殿の観光客向け無料トイレには驚いた。男性用の小用設備は床に細長い溝があるだけで仕切りもない。これは、アフリカや東南アジアなどの僻地でしか見られなくなったトイレではないのか。貴重な文化遺産として残しているつもりなのだろうか。有料トイレは無人でコインを投入しないと扉が開かないものばかり。ユーロでなく現地通貨を採用しているスウェーデンの硬貨は滞在中ほとんで手にしなかったため利用できなかった。

男性の小だけなら観光施設には何かしらトイレがあるので問題ないが、女性のトイレや大の場合は並ぶ必要があり、空いている所をみつけて飛び込むと利用をためらう汚さがある。水が合わず下痢をしていた私はかなり苦しい思いをした。何が福祉国家だ、旅行者から徴収した税金還付せよ。
あちこちの観光施設で並んで待たされるとか、英語表記が少ないため交通機関の利用で何度も迷ったとか、気に入らない事がいろいろあったが、物価高とトイレの不満と比べると目くじらを立てるほどの事ではない。

ストックホルムでは旅行者向けのストックホルムカード2日券(ほとんどのミュージアムが入場無料でメインの市内乗り物が自由)を購入したので、精力的に観光スポット巡りをしたが、王宮以外はわざわざ日本から行って見るほどのものじゃないんじゃない、というのがヨーロッパ嫌いの私の感想。

ただ、ストックホルムからヘルシンキへの船旅はなかなか趣深いものがあった。大型船はストックホルムを発ってから2時間も3時間も両側に小島や入り江の続く狭い水路を進行する。船内では12階にあたるデッキから、水際に建てられた別荘で日光浴するマダムや海沿いで生活する人々の姿を見下ろしているのは実に気持ちが良い。今までにない体験をしたこの船旅だけでも北欧に来た甲斐があった。

<たびメモ>

博物館や宮殿巡りが好きな人は、ストックホルムカードが必須。期限48時間の場合で7千円と高額だが、あっという間に元が取れるほど入場料が高額で博物館の数が多い。お宝が多いためまずまず満足できる場所がいくつかある。しかし、建物の外見の良さだけで予定していなかった施設に入ると外れのことが多く時間の浪費となる。ネットやガイドブックで誰も勧めていない所は避けた方が良い。誰が行っても満足できると思われるのは、王宮、ドロットニングホルム宮殿、国立博物館(美術館)、ヴァーサ号博物館ぐらい。(下の写真は色合いがきれいだったので掲載。スカンセン博物館は時間が余ったらどうぞという程度)

<スカンセン野外博物館>

ストックホルムーヘルシンキ間の船は夏期ならば、TALLINK Silja Lineの4人相部屋が最も安く41ユーロ(相部屋で利用できるのは混雑する夏期のみ)。室内にまともなトイレとシャワールームがありタオルまで付いている。二段ベッドが2つ並んでいるが私の部屋はフィンランド人労働者と2人だけの利用だった。船底で窓のない部屋だが、起きている間はデッキや上層階にある窓際ソファーに座っていれば良いので、同室者が問題なければ快適な船旅が楽しめる。

<スウェーデン(ストックホルム)めも>
  • 観光施設のトイレは汚いが、(ネットで予約できたシングルルーム最安値の)Connect Hotelのトイレは日本なみに磨きあげられていた。
  • こちらから尋ねれば、みな英語を話し親切に教えてくれる。
  • 慣れの問題だろうが、地下鉄の乗り換えが難しい。初めて乗る線は必ず迷った。駅員か警備員に訊いた方が良い。
  • 横断歩道を渡ろうとする人がいると必ず車が停止するのには感動した。まるでドライバー全員が免許センターの特別講習を受けたかのようだ。(後日談:信号のない横断歩道における車の停止は、この後に訪れた国々も概ね守られていてヨーロッパの標準だと知る。彼らから見ると日本は後れていると感じるのでは)
  • 海沿いの岩場では、少しでも傾斜が緩やかな場所を求め、アザラシの群れのように水着姿で横になる光景があちこちで見られる。短い夏の日光をなんとか体に吸収しようという姿は同情を誘う。
  • 物価が気にならなければ、長く滞在しているうちに気に入ってくるかもしれない。ストックホルムの☆2つ半(観光地ランクの5つ☆評価)。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

[フィンランド]ヘルシンキ

<スオメンリンナ要塞 航空写真/ヘルシンキのフェリー乗り場付近の屋台街(2枚組)

ヨーロッパにある首都でありながら素朴さを感じさせるというのがヘルシンキの売りかもしれないが、物価が高すぎるため、何の味わいもない。買い物や北欧デザインに興味がある人以外、楽しめるものはなさそう。
(ネットなどから事前に得られたイメージ通りだったので)やっぱりこんなものかと実感するのみ。

<たびメモ>

ヘルシンキ、タリン間はいくつかの会社の船が運航しているが、Linda Lineが最も安かったのでネット予約してきた。しかし、チェックイン時に運行キャンセルになっていることを知らされ2時間後の便に振り替えられる。
朝食はストックホルムからのフェリー内で街のスーパーで買ってきたパンで済ませ昼食は抜いていた。ヘルシンキ内では飲まず食わずで耐え、物価が安そうなタリンで豪勢な夕食をと思っていたのだが、タリン到着が夜11時すぎになってしまうのでヘルシンキで食事をとることにした。港から戻って再びヘルシンキの街を歩き回り、最も安い食事としてファストフードのケバブ(私にとってはヨーロッパの牛丼)を選んだが5.5ユーロ(約750円)もする。ヨーロッパでもかなり高い方なのでは。

<フィンランド(ヘルシンキ)めも>
  • ヘルシンキで印象に残ったことは、港の近くで屋台の野菜売りやファストフード店が並んでいたことと繁華街の広場でホッケーの試合が行なわれていたことぐらい。
  • ヘルシンキを見てからストックホルムに入れば、ストックホルムの感動が大きいかもしれない。
  • (私のような急ぎ足旅行者にとって)ヘルシンキの良さは通貨がユーロだということぐらい。(後日談:そのうちすぐまたユーロの出番があるだろうと思い、小銭を含めて財布に入れていたのだがマケドニアとアルバニアで一部使えただけで、最後のギリシャまでユーロが正式通貨の国は今回のルート上になかった)
  • 世界遺産のスオメンリンナ要塞は、時間が余ってしまったらどうぞという程度。
  • ヘルシンキはトランジットタイムを利用した半日ぷらっで十分。ヘルシンキの☆無し。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

[エストニア]タリン

<タリン旧市街(2枚組)

天気が良く、空気が乾き気持ちが良い。日中は十分暑いが、まだまだ緯度が高く北国の夏を感じる。(北緯59度というとサハリンのさらに北、オホーツク海の北端)
ほどよい大きさにまとまった旧市街は、人によっては明治村やオランダ村のようなテーマパークと感じるかもしれないが、ヨーロッパの街並みを見慣れていない私にはぎりぎりセーフで初めのうちはワクワクしながら歩いていた。
修復されすぎたのか建物から年代の重みが感じられず、お宝が少ないので教会内や博物館内がガランとしているのが気になったが、トランジットなどでヘルシンキに1日空きができた場合は、ヘルシンキでなくタリンの観光がお勧めである。(ただし、ヘルシンキ<たびメモ>にあるよう、船の運航キャンセルのリスクあり)

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タリンからリガまでのバスはそれほど本数が多くない。ターミナルが街の中心からトラム4駅分離れ、予約のために行くのが面倒だったので、8月の土曜日ではあるがネット情報や観光地の込み具合から事前予約は不要と判断したのが大失敗。15時のバスに乗るつもりで14時半にターミナルに着くと、15時と次の17時のバスが満席で18時半のバスになってしまう。(このEurolineバスのluxクラスはトイレ付きで自由に飲めるコーヒーが備えられ、さらに座席に電源がありWiFi付のため、飛行機のビジネスクラスなみの快適さである)
->「リガの続きを表示」につづく

<エストニア(タリン)めも>
  • 暖かみのある笑顔で接して親切な人が多いが、人によっては非常に冷たさを感じる旧ソ系の対応をする人もいる。まあ、メリハリがあっていいんじゃない。
  • 安ホテルのトイレは汚かったが、有料施設や街中のトイレはほぼ問題なし。
  • 食べ物の値段は東京と同じくらいか。
  • 接した人はみな英語をよく話す。
  • 道は清掃され、旧市街以外の街も清潔感あり。
  • 酒を良く飲む人が多く、朝や昼間に何人も泥酔者を発見。
  • ホテルチェックインが深夜0時を越えていたが、夜食や飲み物を求めて港近くを探す。ホテルスタッフがもうどこも開いていないと言っていたが、ガソリンスタンド内のミニスーパーが営業していた。しかし、安いので買おうと思ったビールは夜10時以降販売できないとのこと。
  • ヨーロッパの街や建物をあまり見慣れていない人には受けるかもしれない。タリンの☆1つ半。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

[ラトビア]リガ

<ドム大聖堂のタワーからの眺め/中心部の新しい教会(2枚組)

タリンがなかなか良かったので、より壮麗な建築が多いというリガに期待していたが、はずれだった。旧市街がタリンより更にコンパクトで坂道がないというのはお年寄りに良いかもしれないが、古さを残した建物と現代の建築物が混在して美しさがなく、タリン旧市街のような異空間を感じさせる雰囲気がない。
しかし、新市街を含めた街全体がは大きく、道は歩きやすい。広々とした緑豊かな公園があり、新市街にある教会(写真2枚目)は見慣れぬ外観をして美しさを感じたりと、何かしら発見のありそうな街だ。

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->「タリンの続きを表示」からのつづき
タリンからのバスはリガ到着が23時となり大変だった。日本で予約した部屋は7ラット(1,400円)というドミなみの値段のシングルなのだが、バスで40分という郊外にあったからだ。夜11時過ぎに市内バスが走っているか不安だったのだが、街中に入ると、ちらほら路線バスやトラムを見かける。着いたバスターミナルの管理職員たちにホテル予約確認メールに記されていた番号のバス発着所を尋ねると、そんな番号のバスは知らないと言われ、タクシーの運転手にホテルの場所を尋ねてくれる。1人だけ場所を知っている運転手がいたが職員に交渉してもらっても20ラット(4,000円)から譲らない。7ラットの安宿へ行くのに20ラットのタクシー代を払うなど考えられない。20ラット出せば街中から歩ける場所で中級ホテルがあるだろう。
唯一英語が通じた若い職員に愚痴を言ってもしかたなく、自力でバス停を探すことにする。

バス停には停まるバスの番号と発車時刻が必ず表示されているようなので、それでバスが終わっていることが確認できれば郊外のホテルは(キャンセル料として全額取られるかもしれないが)諦めようと思っていた。ターミナル近くにあるバス停をいくつかあたったが、探しているバスの番号は見つからず、人に尋ねても埒があかない。ここまでのバス移動が楽で力が余っていたため、簡単に諦めることなく執念で探していた。

タリンからのバスが到着した時、ターミナルの裏側に歩いて行った乗客がいたことをふと思い出し、そちらの暗闇のエリアに向かってみる。すると、人通りがほとんど途絶えた場所に探している番号が書かれたバス停があるではないか。繁華街と反対側だったが、ホテルからの案内通りバスターミナルのすぐ近くだ。
発車時刻を見ると最終が23:35とあるのだが理解できない文字で注意書きが付いていて、雰囲気からして土日運休あるいは休日運休と書いてある気がする。今日は土曜日なので微妙だ。バス停近くに1人だけ少年がいたので尋ねてみる。

「この番号のバス待っているの?この時間のバスは今日走っているの?」
彼は英語がわからないと避けているのだが、この程度の内容は言葉がわからなくても通じるだろう。しかし、しつこく問いかけていると少年はその場を立ち去ってしまった。誰もいなくなったバス停で来るのかどうかわからないバスを待つ。バスが来なければ地図もなく英語も通じない深夜の街をホテル探しで歩き回らなければならない。(リガは日本でホテルを予約していたのでツーリストインフォメーションの地図で観光しようと思いガイドブックを持ってきていなかった)

不安で胸の鼓動が聞こえてくるような十数分間を過ごしていたが、時間通りにバスが現れ、立ち去っていた少年だけでなく遠巻きに私を見ていたのか暗闇の中から数人が集まって来て乗車した。

バスには無事乗れたのだが、降ろされたバス停周辺は建物が見当たらなければ街灯もなく、湖畔にあるというホテルを探して暗闇の中を右往左往することとなり、それはそれは大変苦労して相当エネルギーを消耗することとなった。
少々安くても郊外の宿は予約すべきでない。まあ、当然のことか。

<たびメモ>

リガからビリニュスへのバスは早めにチケットを押さえようと午前中に売り場に行くとEurolineもEco lineも本日全て満席と言われ愕然とする。やはり8月の日曜日はこれほど混雑するものなのか。
しかし、Ecolineのスタッフから紹介された名称不詳のもう1社(www.iticket.lt)は他社より便数が多くどの便にも空きがあるという。そして乗ってみてびっくり。2+1の横3列大型シートでトイレ付きにも驚いたが、大型バスに乗客8人だけのがらがら状態。一体どういうこと?
ちなみに料金11ラット(2,200円)で他社より1ラットぐらい高いだけだと思うのだが。

<ラトビア(リガ)めも>
  • 英語に関して、ホテルやバスのチケット売り場などは問題ないが、バス運転手、店のおねえさん。街の少年などほとんど話さない人がタリンと比べて多い。
  • 市内バスのチケットを(ヨーロッパ標準と思われる)KIOSKで購入する方式ではなく、乗車時に運転手に支払う方式なのはありがたい。(私が乗った郊外路線だけかもしれないが)
  • リガには裕福そうな人が多く、観光地周辺では高級車ばかりが目についた。
  • 市内に緑あふれる広々とした公園があり、道は広いが車は少ない。(訪れた日は)気候も爽やかなので住むのには良いかもしれない。ツーリストインフォメーションの地図や日本から持参したJTBパンフレットをもとにお勧めスポットなるものをほとんど訪れたつもりだが、どこへ行っても「えっ!これだけなの?」という驚きばかり。見るものがほとんどなく観光地としてはお勧めでない。リガは☆無し。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

[リトアニア]カウナス

<カウナス旧市街(1枚目撮影ポイント

[バスの車内刻印(信用乗車)シリーズ1/3]

トローリーバス不正乗車で罰金4千円を科せられる...
が免れる。

リガのバスは乗車時に運転手に料金を支払うしくみだったが、リトアニアでは再びエストニアと同様、キオスクでチケット購入して車内で刻印するタイプ。(帰国後知ったのだが、これを信用乗車方式あるいはチケットキャンセラー方式と呼ぶそうだ)
運転席と客室がガラス戸で仕切られ英語が通じる人がみつけられない。

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ビリニュスから列車でカウナスに向かったが、カウナス駅は旧市街まで数キロ離れていてバスに乗る必要があった。バス停の地図から旧市街へ向かうバス番号がわかったが、乗車した方向が逆だったようでビーチに着いてしまった。運転手や乗客に尋ねても言葉が通じないので、再びバスに乗り途中で降りて大きなバス停にだけあるバスマップを確認して乗り直す。そうやって4回目に乗ったバスも郊外へ向かっているので逆だったなと思っていた時、停留所に着いたバスの前方から制服姿2人の女性が乗り込み、私のチケットを確認すると不正乗車券だとバス前方に停められていたワゴン車に連行されてしまった。

バスの1回目、2回目乗車時は運転手にチケット、チケットと言っても通じなかった(後からロシア語のビリェートで通じることがわかる)ので無賃乗車だったが、3回目にチケットを購入して刻印し、4回目に同じチケットで別の番号のバスに乗り換えていたところだったのだ。ヨーロッパでよくあるトランスファーが可能かどうか知る由もなかったが、チケットに刻印された極小文字(数字かアルファベットかも読み取れない)の中に時刻がありそうなので大丈夫だろうと思っていた。そもそも、文字が小さいだけでなくチケットの印刷文字に重ねて刻印され判読不能なので、何か文字が印字されていればいいのだろうぐらいに考えていたのだ。しかし、驚くことに係官は一瞬で刻印文字から不正乗車と判断したようだ。

ワゴン車内で調書を書き上げる様子は日本でスピード違反の反則キップを切るやり方と全く同じだ。ワゴン2列目の席で男性係官が若者に対して反則金支払の違反調書を作成しているのを待ちながら、私は3列目に座らされ2人の女性係官が相手をする。同じ方向のトランスファーだから問題ないのではと私が主張したが、この国ではそのようなルールがないので100リット(4千円)の罰金だと英語を操る係官が言う。1回乗車1.8リット(70円)の料金に比べて50倍以上と高額だ。

昨晩、タクシー代4千円を免れるためにあんなに苦労したばかりだ。私としては簡単に受け入れる訳にいかない。
(海外で法律を知らなかったからと違反が免除されないのは承知のうえで)旅行者の私が英語の通じない国でどうやってそんなローカルルールを知ることができるのだと抗議してみた。比較的若い女性2人は十分私に同情を示していたので、
「リトアニアはEUに加盟しているんでしょ、トランスファー可はヨーロッパ標準(その後のバスに乗った国々では全てトランスファー不可だった)じゃないの?」
とかしばらく交渉を試みた。
すると、では初犯ということで50リットに減免しますと言ってきた。それはおかしい。ではなぜ初めから初犯と理解されていた私に100リット請求していたのだ。いくらになろうと現金を持ち合わせていないので払えないのだと粘る。(50リットの2千円で手を打った方がいいのではという考えが頭に浮かんできたが、もともと不正を意図したわけでなく、逆に正しいバスになかなか乗れず困っていたところなので納得がいかなかった)

それでは一緒に警察に行ってもらうしかないと脅してきたので私も仕方がないと応じると、しばらく沈黙。(もう引くに引けなくなってしまった。こりゃ面倒なことになってしまうのでは)

この長い間合いはこちらが折れるのを係官たちは待っているのだろうか。私から次に何を切り出そうかと考えようにも心臓がドキドキしてきて頭が回らなくなってきたころ、
「今回は見逃します」
と彼女が言ってきた。まだまだ戦いが続くと思っていたので拍子抜けしてしまった。

そうして、正規の料金(70円)を支払うこともなく、私の目的地への行き方も教えてもらい、30分ぐらいの攻防で解放されることになった。
やさしいリトアニア人で助かったが、今後チケット刻印には十分注意を払うことにしよう。
≫≫信用乗車シリーズ2へ

[リトアニア]ヴィリニュス

<ビリニュス旧市街/郊外のお嬢さん(2枚組)

ビリニュス(ヴィリニュス)という都市名は全く知らなかったが観光客で賑わう大きな街だ。リガより大都市でタリンより観光資源が豊富である。

見どころがなんとか歩いて回れる範囲にあるが、くねくね曲がる道に惑わされ、方向音痴の私はかなり迷った。おかげでちょっとだけ愛嬌のある子に会えたが。(マウスを乗せると表示される2枚目写真)

観光スポットとしては聖ペテロ・パウロ教会(大聖堂)の内部の彫刻が秀逸。他はいろいろと立派な教会や建物があるが、歴史的建築物と新しい建物が混在して十分理解できなかった。ここは気ままにぶらぶら歩くよりガイドについて歩いた方が良さそう。

<リトアニアめも>
  • 外国人向けホテル、レストラン以外、英語を話す人は少ない。
  • 人々の愛想が良いとは言えないが感じが悪いわけではない。私がごく普通と感じるから日本人程度か。
  • トイレは有人有料で清潔度はごく普通。
  • その他驚くほど洗練されているわけでもなく、後れているわけでもない。バルト3国の他2国を訪れた後ではこれといった特徴を見つけられない。
  • 観光地ビリニュスだけを考えた場合、日本人がわざわざ来るほどの場所かどうかは微妙。☆一つ半。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

[ベラルーシ]ミンスク

<ミンスク駅近くのバス停/駅正面からの眺め(2枚組)

ソ連の匂いがぷんぷんするミンスク(Мінск)。これだけ規模を大きくする必要性がどこにあるのだろうかというほど巨大なビルや広場。1ブロック歩くだけで大変な距離だ。そのせいか市民の歩くスピードが速い速い。バルト3国の首都よりも、街だけでなく人々も洗練されている気がする。

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教会を訪れる敬虔な信者が多くみられるのは、ロシアカトリック系の特徴だろうか。教会に入る前に十字を切って一礼、聖堂内に入っても何度か礼があり、退出時にも建物の外で聖堂を振り返り一礼する。おじぎ姿が多いことから日本人の神社参りを思わせるが、こちらではお年寄りから若者まで雨が降るなか傘もささず濡れながら一礼していて、日本人には及びもつかない信仰の深さが感じられた。
教会で朝の聖体礼儀が行なわれているところに入らせてもらうと、信者たちの聖歌が心に沁み清らかな気持ちになった。

<ベラルーシ ビザ情報>

ベラルーシは今回訪れた国々で唯一ビザの必要な国。日本の旅行会社を通してビザを取得することができるが、例えばインツーリスト・ジャパンのサイトをのぞくとべらぼーに高く、それ以外に適当な取得方法が日本語のネット情報から見つけられなかった。
滞在日数から通過ビザでも十分だったがベラルーシ入出国のバスか鉄道のチケットの提示が必要なようで、それらを取る方法が見つけられない。適当なベラルーシ人を友人に仕立て知人訪問のビザを取得する方法もありそうだが、ロシア語ができないとリスクが高そうだ。
英語のネット情報を検索したところ在米ベラルーシ大使館サイトの旅行会社リンクを利用すれば良いとのこと。そこでみつけたインツーリスト*で一番安いホテルベラルーシのシングル(50$)を予約してビザサポートレター(30$)を発行してもらえば、あとは日本のベラルーシ大使館に出向くか郵送により1,300円の手数料で発給(在日ベラルーシ大使館のサイト参照)される。(2009年7月時点の情報)
他にもっと良い方法があるかもしれないが、このインツーリストはホテル代がネットで検索できた他のどの料金よりも安く、メールのレスポンスも良く問題なかった。

リトアニアのヴィリニュスからミンスクへは列車で移動(区間ルート)したが、列車内でのベラルーシ入国審査時に係官からベラルーシ保険の有無を確認されたため、宿泊したHotel Belarusで「保険に入らなくていいんですかあ?」と英語の達者なお嬢さんに尋ねたところ、「そんなのいらいないわよ」と一蹴され、出国時に保険加入を確認されることもなかった。

*在米ベラルーシ大使館(Embassy of the Republic of Belarus in the United States of America)のサイトでSitemapからBelarusian Travel Agenciesのリンクで見つけました。

[ベラルーシ]ブレスト

<ブレスト要塞入口/巨大モニュメント撮影ポイント

日本でベラルーシのビザを取得する際、ホテルはミンスク1泊だけ予約して夜行で出国するからと3日間有効の観光ビザを取った。ベラルーシにもう1日滞在できるため、ミンスク(Мінск)とワルシャワの中間地点にあるブレスト(Брэст)に立ち寄る。
非常に清潔な街で無駄と思えるほど幅の広い歩道やただ広いだけの公園が印象的。ホテルや駅で英語が全く通じず、この街に英語を話す人がいるのだろうかと不安になる。
唯一の観光スポット、ブレスト要塞(写真参照)に足を運んだが、有り余る空間と巨大なモニュメントに虚しくなる。この国の人たちは狭小恐怖症なのだろうか。
ブレストは1941年ナチスドイツの侵攻により破壊され、その戦争に対する怒りをこのような巨大モニュメント(写真参照)で表しているということだが、相当な執念を感じる。

<たびメモ>

ブレストからワルシャワまでの列車がどの時間帯にあり、それぞれ料金がいくらかという情報を英語で教えてくれる人がこの街にはいないようで、駅に時刻案内があるがこちらの文字によるワルシャワの綴り(Варшава:帰国後確認)がわからず見つけられない。よって、発車時刻はドイツ国鉄の乗り換え案内サイトDB BAHNで調べ、乗る列車を決めてから駅に行き、ワルシャワ、ワルシャワと唱えていると、しかるべき窓口を指示されて列に並び、発券される段階で初めて料金を知り驚いた。
モスクワから来る寝台列車のため、日中の移動でも1等か2等のベッドを取る必要があり、1等が4,500円、2等でも4,000円だった。距離から考えて千円前後と思っていたのに予定外の出費だ。

その列車はブレストを昼間の12:23に発車してワルシャワまで約4時間で15:38着(時差1時間)。その次の14:40発も寝台車とDB BAHN検索結果に記載されていたので、あきらめて高額の運賃を支払うことにした。日本で情報を集めていた時、ブレストからワルシャワまでのチケットは高いので、隣のポーランド側国境駅Terespol(テレスポル)まで購入して乗り換えた方がいいというのを目にしたが、そうすれば寝台車に乗らずに済むということかもしれない。
(DB BAHNの時刻表を見た限り、朝7:50ブレスト発Terespol行きに乗れば寝台車に乗らずに済みそう)

チケットを購入後、販売係の女性が窓口を閉じ外に出てきて税関や出国審査の行われるタモジェニの建物を案内する。そこで、出国スタンプを押してもらってから列車に乗車するようだ。私は出国スタンプを押してもらってから出発までの時間に食料や飲み物の買い出しをしてこの国の通貨を使い切ろうと考えていたのだが、出国審査が済んだ後はその建物から出ることが許されず、狭い待合いスペースには売店などなかった。

やっと建物からホームに出ることが許され、停車していた列車に乗客が乗り込み始めるが出発時間まで間があったのでホームで売店を探したが全くない。更にこの国際列車のホームからは外に出ることができないしくみになっていたのだ。(出国審査の必要な国際列車はこういうしくみになっているのかと初めて知る)

車内には売店があってユーロやロシア、ポーランドの通貨は使えるがベラルーシの通貨は受け付けられないと言われる。何たることだ。せめて水だけでも買いたかったのだがワルシャワまで我慢することにした。
(後日談:隣国ポーランド及びウクライナで少額のベラルーシ通貨を両替してくれるところを探したがみつけられなかった。ベラルーシ出国審査前に両替すべき)

<ベラルーシめも>
  • 中級以上の外国人向けホテル以外、英語を話す人は少なく、英語表記が全くないのは厳しかった。
  • VISAキャッシング可能なATMは潤沢にあり、24時間稼動も多い。
  • 中級ホテルのロビー階などにWiFiエリアがありプリペイドカード(170円/3時間)を購入して利用可。
  • 街は異常な清潔さ。トイレは有人有料。公園内にポツンと建つ個室2つだけのトイレにも真ん中の狭い部屋に集金係が収まっている。辛そうな仕事だ。
  • 感じのいい人が多いが、言葉が通じていないのに怒鳴りつけてくる何人かの旧ソ風おばさんに悩まされた。
  • バルト3国と比べ水(1L約60円)やパン、スナック類は急に安くなったが、レストランの食事はそれほど安くなっていないようだ。
  • ビール500mlが70円ぐらいで、水1Lとほぼ同等。そのせいか昼間から歩きながら、あるいは道端でビールを飲んでいる姿が目につく。
  • ベラルーシにいる間、雨が降ったり止んだりの天気だったため非常に寒かった。陽が差すと半袖でも大丈夫なのだが、曇るとウィンドブレーカーを着て丁度良い。
  • ロシア語ができればある程度楽しめると思うが、そうでない人には観光資源が乏しいためつまらないだろう。☆無し。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

[ポーランド]ワルシャワ

<旧王宮/ワルシャワ旧市街市場広場撮影ポイント

ワルシャワなかなか良い。旧市街の街並みは古の趣がありながら美しい。
ガイドブックによると、旧市街は1944年ドイツ占領軍に徹底的に破壊されたのだが、戦後、市民が記録や記憶を頼りに壁のひび1本まで忠実に再現したという。その事を知ったうえで街を歩くと、当時の人々の相当な執念を感じる。

昨日のブレストとは異なる、戦争に対する怒りの表現でもある。

<参考図書>
A25 地球の歩き方 中欧 2009~2010=>最新版 2019~2020

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ワルシャワ歴史博物館はこぢんまりとしているが大変気に入った。第二次世界大戦に関する展示が多いが、当時の街の写真や詳細な地図で表現されていて、文字を読まなくても十分感じるものがある。旧市街の通りにカフェが並ぶ現在の景観も悪くないが、昔の写真を見ると大戦前の街は更に美しかったのだろうと想像できる。この博物館を訪れ、ワルシャワがより好きになった。

旧王宮やヴィラヌフ宮殿内部の見学は陳列が充実していて十分満足でき、街中の教会内では市民の祈りの姿が見られる。ワルシャワは私が訪れた東欧の街の中ではプラハを抜いて最も魅力的な街となった。

[ポーランド]アウシュビッツ

<アウシュビッツ博物館撮影ポイント

アウシュビッツ博物館はベルリン郊外のザクセンハウゼン強制収容所と同様の施設で1、2時間ぶらっとすれば十分かと思っていたのだがとんでもなかった。28あるという囚人棟のほとんどが開放され、当時の内部を再現したり写真や犠牲者の遺品を展示したりしていて、ゆっくり見ていたら半日は必要とする内容だ。閉館2時間前に入場して最初につまらぬ映画(これはパスすべき)を見てしまったので全く時間が足りなかった。
悲惨な状況をどのように表現するか非常に難しいとは思うが、よくぞこれだけ残しておいたという量の犠牲者の遺品が種類毎に山積みされ展示されているのが印象的。私には子供の小さな靴の山が最もインパクトがあった。(内部撮影禁止のため写真なし)
日本の被爆関連の施設が、せっかく訪れてくれた外国人旅行者にこれだけの衝撃を与えられているか(私の記憶に残っていないので)心配である。広島、長崎の関係者がアウシュビッツ博物館から学ぶものは多いと思う。
(後日談:2010年4月、10年ぶりに広島を再訪したが平和記念資料館は想像以上にインパクトがあった。ただ、館内のスペースが十分でないところに修学旅行生が溢れているため、落ち着いて見られたものではない。どうにかならないのか修学旅行生)

<たびメモ>

クラクフからアウシュビッツのあるオシフィエンチムまでは列車でもバスでも行けるが、できるだけバスで行くべき。列車は本数が少なく、駅から博物館まで距離があり道案内のサインはなさそうだ。
博物館入場は無料なのだが、どの棟にどのような内容が展示されているかわかりにくいので、日本語ガイドブックを入手した方が良いと思う。(その存在を退出時に知ったので私は入手していない)
記録映画は時間が余ったら見る程度で良い。

[ポーランド]クラクフ

<ヴァヴェル城旧王宮>

<聖マリア教会(2枚組)撮影ポイント

世界遺産に登録されているクラクフ旧市街は、ほどよい大きさにまとまり見どころが点在して悪くない。無難にポイントが押さえられているといった感じ。

聖マリア教会は内部が非常に壮麗で見事だ。堂内は大勢の礼拝者で溢れ、私語が慎まれて空気がピンと張り詰めている。その緊張感から落ち着いて鑑賞できないほどだ。
時間帯を変え改めて入場しようとすると「礼拝者のみ入場可」という看板を見つけてしまったので入場を止めた。観光気分で立ち入る場所ではないようだ。

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観光スポットのメインであるヴァヴェル城の入場券が施設毎に細かく区分され、それぞれ入場する時間帯が指定されるしくみになっている。その入場券を販売する窓口が少ないので長い行列ができ窓口にたどりつくまで1時間以上かかってぐったりと疲れた。
しかも、人気のある施設は昼前に完売となっていて、購入できた施設も入場が2時間後だった。更に既に売り切れているとかいう情報が列に並んだ段階でわからず窓口近くになって判明するというのが気に入らない。(日曜日だったから仕方がないのかあるいは夏期はいつもこうなのか不明)

ローマやパリの有名施設であればまだ諦めもつくが、ポーランドの旅行を計画するまで名前を聞いたことのない都市でのこのような状況には面食らってしまう。ちなみに「王宮の展示」と「ヴァヴェル城の遺構」を見学したが聖マリア教会と比べると大したことない。何時間も待って見るほどのものではない。

バスで30分の近郊にあるヴィエリチカ塩抗は採掘跡に巨大な礼拝堂があるとして、最近テレビで何度か取り上げられていたので訪れてみた。が、テレビで見たままのものがあるだけで特に感動はない。2時間もかかる(1時間で十分)英語のツアーが約1,900円でちょっと高すぎでは。礼拝堂以外はだいたい似たようなものを見せられたハルシュタットの塩抗の方が楽しめた。
事前にテレビで見てなければ驚いたかもしれないが。

<たびメモ>

クラクフからヴィエリチカまで1時間に1本列車が走っている。行きに乗った列車がのどかで楽しめたので、帰りも列車に乗ろうとホームで待っていたら、その時間帯は土日に走っていないことを教えられる。
塩抗見学者用の大型駐車場の前で大型バスを待っていたらミニバスが来たのでそれに乗る。料金は列車もバスも同じ2.5zlで、バスの方がはるかに本数が多く楽。

<ポーランドめも>
  • 人は概ね良し。若干冷たさを感じる部分もあるが、慣れの問題で気にならなくなると思われる。
  • 観光客を相手にする人の英語はほぼ問題なく、一般人も日本人よりは通じるかもという感じ。ただ、駅の時刻表や窓口案内など英語が併記されてしかるべき所がポーランド語のみだったりする場合も多い。
  • ポーランドには地図マニアが多いのだろうか。ワルシャワ歴史博物館には見とれるような美しい歴史地図が多数展示されている。ワルシャワの観光案内用地図やワルシャワとクラクフで泊まったホステルの道案内地図など非常に良くできていて感心した。
  • 酔っ払いや浮浪者はよく目に付き、スリやひったくりが多いというのが十分頷ける。財布やバッグには注意が必要。
  • ドイツやオーストリアより物価が安く、ヨーロッパらしさを楽しめるというのが魅力。もう一度ポーランドを訪れ、ゆっくり国内を回るのもいいかもと感じている。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

[ポーランド/ウクライナ間国境]Przemysl

今回の旅で初めて歩いて国境を越える。いろいろと面倒はあるが、国境を越えたと実感でき自力で旅しているような気になれる。

<クラクフからリヴィウまでの国境越え詳細>
  • クラクフからリヴィウ(Львів)に直行する列車は深夜発夜行とクラクフまで夜行で来た列車の早朝発しかない模様。ポーランド側国境の街Przemyśl(プシェムィシル、プシェミシル)まで列車で行き、そこからバスでリヴィウに向かうのが一般的と思われる。(読んでないのでわからないがLonely Planetあたりに記載されているのでは)
  • 8:30クラクフ発12:14Przemysl着のIR(急行?)で移動。35zl、10:30頃クラクフ発で2回乗り換えて行く普通列車は25zl。
  • Przemyslからリヴィウ行きの大型バスが出ているようだが確認できたのは15:30発のみ。
  • Przemysl駅で、駅前バスターミナルがある方の出口で地下通路から地上に出たすぐ左側にミニバスが停まっていて、これが国境へ行くバスとわかる。席が全て埋まらないと発車しないバスだがヨーロッパでは初めての体験。この日は特別に暑かったが車内にクーラーがなく、ウクライナ人は体が大きく彼らの荷物が多かったため、出発までの待ち時間にアフリカなみの圧迫感と息苦しさに襲われる。国境まで2zl、20分。
  • バス停から歩いてすぐの場所にポーランド側出入国審査場。建物内に無料のトイレがあったのでトイレ用小銭を残しておかず使い切れば良かった。と思ったがウクライナ側バスターミナルの有料トイレでポーランド硬貨を受け取ってもらえる。前日から原因不明の下痢なのだ。ポーランドのトイレ代は通常33円、ウクライナは12円。
  • ポーランド出国審査はEU諸国民用とそれ以外の窓口に分かれていたが、EU以外の窓口が空いていたため、ねちねち質問される。
  • ちょっと歩いてウクライナ出入国審査場。ウクライナ入国では審査担当係官が1人しかいなかったが、私の後ろに列がどんどん伸びていくのを気にすることなくねちねちと質問。
  • 出国、入国とも税関チェックなし。
  • 審査場を出て両替店が何件も並ぶ道をまっすぐ進み、最後の店を左に曲がったところがバスターミナルで近い。(航空写真で半画面東に移動して北側にある広場がバスターミナル)
    1時間に1、2本リヴィウ行きがある。16.65グリヴナ(200円)、1時間50分でリヴィウ駅前ターミナルが終点。(国境からリヴィウまでのルート

[ウクライナ]リヴィウ

<ドミニカ教会(2枚組)

リヴィウ(Львів)は古都としての素材はありそうなのだが美しく見せる部分が欠けている。改築工事があちこちで行なわれているので今後ましになるかもしれないが。
中心部の道路の多くが古い石畳なのだがとんでもなく荒れていて、バスに乗っているとアフリカの洗濯板ロードのような激しい振動を受け、ほとんど速度が上がらない。その点、レールの上を走るトラムはスムーズに走れるのかと思ったが、かなり古い車両を使用しているため緩やかな下り傾斜でもおそるおそるゆっくり走っている。宿が安い以外ぱっとしない街だ。

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<リヴィウ民族建築・風俗習慣博物館(2枚組)

駅で軍服姿の鉄道警察(?)にパスポートチェックを受ける。外国人のチェックをするなら片言の英語を話して欲しいのだが、パスポートを見ながら、(たぶん)現地語とロシア語を交互に話し、私がわからんと言っても許してくれない。何度か言い回しを変えた後でクダー(where)と2度目に言われた時、やっと「どこへ行くのだ」と聞かれているのがわかり、切符を見せることにより簡単に解放される。
旧ソ連の国に入るならロシア語の基礎の基礎は行きの飛行機でやっておいた方が良い。語学センスのない私は、何度もロシア語にチャレンジしているのだがアルファベットを覚える前に挫折してしまい、いつも苦労している。

<たびメモ>

ソ連式三ツ星のホテル・リヴィウがバス付シングルが150グリヴナ(1.800円)でトイレシャワー共同が90グリヴナ(1,080円)と安い。裏通りに面して室内にシンクが付いていたトイレシャワー共同を選んだが、共同トイレが汚い以外は問題なし。(部屋がそれなりに汚くベッドのスプリングが効いていない、旧式エレベーターが今にも落ちそうなので7階まで階段を上らなければならない、英語が通じない、サービスがソ連式のまま、など人によっては問題だらけかもしれないのでご注意)

リヴィウからキエフまで(鉄道のルート)の夜行列車は下段ベッドが140グリヴナで上のベッドが164グリヴナ、二段ベッドの4人部屋だからかなり安いのでは。上段のベッドが高いのが不思議だが、英単語がいくつか通じた売り場のおばちゃんとのコミュニケーションミスかもしれない。

[ウクライナ]キエフ

<聖ミハイルの黄金ドーム修道院/ソフィア大聖堂(2枚組)

<ウラジーミル聖堂>

ウクライナは世界遺産のリヴィウ(Львів)で理解したことにして、キエフ(Київ)は遠いのでパスしようとも考えていた。しかし、ここまで予定通りの日程で進んでいるので半ば仕方なく夜行に乗ってやって来たのだが。

驚いたことにキエフはリヴィウと格がまるで違う大観光地だった。豪華に光輝く修道院やお宝豊富な博物館を見ていると、どうしようもなくつまらないリヴィウをパスするのが正解だったと思われる。

キエフはなかなか楽しめたのだが、見るべきものはほとんど教会関連だけ。その中で最も良かったのが、現在、市民の祈りの場所として使われているウラジーミル大聖堂(右写真)。
内部は全て壁画や彫像、金の装飾で埋められているが派手さはなく落ち着いている。
聖体礼儀が行なわれている間、十人ほどの聖歌グループから迫力ある美しいハーモニーが流れる。
人々は一心に祈り堂内の空気は張りつめていた。祈りの力を強く肌に受け、旅をしていると実感する。

上の写真のソフィア大聖堂の黄金と緑を組み合わせた屋根は意外に美しく、聖ミハイルの水色と黄金の組み合わせも青空に映える。この他にも外観がかなり派手な教会施設が多く、個性溢れる姿に感動していたが、だんだんとやりすぎではと感じてきた。ウラジーミル聖堂の外壁が黄色だったり、キエフ大学は外壁全体を朱色に染めたりと、この街の人々は色彩の刺激に麻痺してしまっている。

<ウクライナめも>
  • ホテル以外のトイレの便器はほとんどが洋式でなく和式に近いアラブ式というのか中央アジア方式。全て有料トイレで、数は多く見つけるのに苦労はないが、鍵が閉まらなかったり汚すぎたりで利用しにくい。紙は料金支払時に窓口にある紙を自分で巻き取るかおばさんから50cmぐらいを支給される。私のように5mぐらい必要とする人はトイレットペーパーを持参すべき。
  • 人はほがらか、一部の旧ソ人を除いて問題なし。
  • ベラルーシと異なり、街の造りに旧ソ連らしさがあまり見られない。旧ソを感じるのは、トローリーバスが走っていることと、地下鉄のホームまで伸びる異常に長い高速エスカレーターぐらい。
  • 街の人々はベラルーシの方が垢抜けている。
  • 街の若者や安宿のスタッフも含め基本的に英語が通じない。筆談で意思疎通をはかってくれる窓口係でないと列車の切符を買うのも容易ではない。
  • 英語表記は稀にしかない。
  • 特にリヴィウに於いて、付け鼻で外国人に扮したお笑いタレントよりも鼻が高い人を何人も見かけ、ぶったまげた。
  • ロシア語ができるか、2、3日滞在して表記文字に慣れればウクライナを楽しめそうだが、キエフ以外に満足できる観光スポットがあるのだろうか。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ
<ウクライナ(オデッサ)/モルドバ(キシナウ)間の国境越え情報>
  • 体が丈夫なごく普通の旅行者はキエフあるいはリヴィウから夜行バスでモルドバに入国するのが一般的と思われる。
  • 私は長時間のバス利用を避けたかったのでモルドバに近い黒海沿岸の街オデッサまで夜行列車で移動して、そこから列車での入国を試みたが、現在オデッサ、キシニョウ(キシニョフ、キシナウ)間に列車は走っていないことがオデッサ駅で明らかになる。(ネット上で調べた限り、列車はあるはずだが利用していないという情報しかみつからず、DB BAHN検索でも出てこなかった)こちらの区間ルートはオデッサ経由の陸路ルートと距離、()を押すとオデッサを経由しないルート表示)
  • オデッサ駅から西へ伸びる大通りを2、3分歩くとバスターミナルがある。(私の持っていた3年前の歩き方地図には表示されていなかったので念のためのお知らせ)
    <参考図書>地球の歩き方 ガイドブック A31 ロシア 2006~2007=>最新版 2018~2019
  • バスターミナルにはサインや時刻表らしきものはあるが、キシニョウ(chisinau)のウクライナ文字表示がわからず、切符売り場には長蛇の列ができていて誰に尋ねたらいいのかわからず呆然とする。メインの窓口でなくプラットフォームの小さな窓口が空いたので、キシニョウ?と自信なく尋ねる。すると通じただけでなく、その窓口でチケットが販売され、隣に停まっていた大型バスがキシニョウ行きだとわかる。65グリヴナ(780円)。ウクライナ文字表示はКишинёвで発音は同じ。
  • 1時間ちょっとでウクライナ側出国審査に着く。バスから降りずにパスポートコントロールを受ける方式だが、パスポート回収されるまで暑い車内で1時間待たされる。その間、一瞬トイレに行けるチャンスがあったので念のため済ませておく(その後トイレ休憩があったのはオデッサ出発から4時間半後のタイミングだったので長時間もたない人にとってチャンスはここしかない)。パスポート回収から40分後に出発。
  • 数分バスで移動してモルドバ側入国審査。こちらもバス内審査だが、私だけ降ろされ担当係官上司の簡単な面接を受ける。ついでにトイレをチェックしたがなさそう。しかし、両替所があったのでウクライナ通貨の残りをモルドバ通貨に交換。
  • 8:50オデッサ出発で、15:10着。6時間強のうち出入国審査に要したのは約2時間。バスのルート不明だが明らかに沿ドニエストルは通過していないので、賄賂要求などのトラブルなし。

[モルドバ]キシナウ

<キシニョウ大聖堂撮影ポイント/中心部の公園(2枚組)

モルドバは情報収集不足。
国境越えのルートがわからず、大雑把な地図だけでは地名も読み方もわからない。モルドバ全体で4ページだけの「歩き方2006-07」に載っていたホテル4件のうち料金の安い2件が閉鎖されていて安宿もみつけられなかった。

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安宿を見つけるのが困難だと思い、キエフを夜行で発つ前に駅前のマクドナルドでWiFi接続してホステルの値段や場所を検索、ドミで10ユーロ、シングルで20ユーロからあることがわかった。しかし、場所を確認しようとしたところでブツブツとネットワークが途絶え情報収集できなくなり、現地でなんとかしようと思ったのが敗因だった。
キシニョウ(ルーマニア語発音のキシナウが一般的、他にキシネフ、キシニョフ、キシニョーフ(Кишинёв)の表記あり)にはツーリストオフィスがなく、旅行会社でホテルやプライベートルームの紹介はしないが、「歩き方」に載っていたADRESAというオフィスがアパートの空き部屋を旅行者に斡旋してくれる。そこで扱っている部屋が20ユーロからあるようだが、今日空きのある部屋で1番安いのは30ユーロと言われ街を歩いて部屋を探すことにした。

小さな首都と思っていたキシニョウは意外と大きく、1ブロックの距離があり、地図が読みきれず大分迷う。ネットでホステルの場所を確認して探そうとマクドナルドかネットのできる場所を探していたが、見つけられないうちに2時間以上が経ちタイムアップ(体力を消耗するので安宿探しは2時間までと決めている)。ADRESAで斡旋する30ユーロ(4,000円以上)と高額なアパートの1室にチェックインすることにした。
しかし、この部屋はなかなかグッドで、中心部から歩ける距離で近くにスーパーのある8階建てアパートが集まった団地内にあり、清潔な1DKを1人で利用して久しぶりに熟睡することができた。ただ、団地も室内も日本にあっても不思議でないほど洗練されていて、海外にいると実感できなかった。

後でネット屋やマックは容易に見つけることができる。更に街の中心部にある公園にはベンチの後ろに電源プラグが備えられて、多くの若者がパソコンを操作していた。私も真似してPCを立ち上げるとどこのモノかわからぬWiFiに接続しネットをすることができた。

街はほとんど見るものがなく、これといった特徴も見つけられず、カメラを向けるものがほとんどない。博物館にもろくなものが並べられていないが、係のおばあさんが異様なほどやさしくかわいらしさまであり、キューバの博物館を思い出したのだった。

<参考図書>
地球の歩き方 ガイドブック A31 ロシア 2006~2007=>最新版 2018~2019

<モルドバめも>

  • 言葉がわからずに反応できない私を怒鳴りつけるという、旧ソでよく見るタイプの若い女性が何人かいたが、ここでは彼らは少数の異端派であり、今回訪問した国の中でポーランドを抜き最も人あたりが良い国。(このような温厚な人々に囲まれながら、どのような教育により異端派が誕生するのかを研究する学者がいても良いほど極端だった)
  • 車の運転は荒い。今までの国と同様、信号のない横断歩道で車が停車するのだが、強気で渡り始めれば1台目、2台目がハンドルで避けて通過して3台目がぎりぎり直前で止まるという感じ。
  • トイレはやはり洋式ではなく汚い。博物館のトイレは離れにあり、野犬に吠えられながら向かったがあまりの汚さに辞退した。
  • 今までの国で全てスーパーを利用しているが、初めてレジ袋が無料で貰え、しかも店員が袋に入れてくれる。
  • 英語はウクライナと同程度通じない。しかし、表示はルーマニア語表記(ロシア語などのキリル文字ではない)なのか単語がスペイン語に近いものが多く推定しやすい。英語はダメだけどスペイン語ならという人に何人か会い、やっとロシア語から解放されたと感じた。
  • 列車はせっかくレールがあるから走らせている程度と思ったが、ルーマニアに向かう途中で何本かのローカル列車を見かけた。詳細地図を持って片言のルーマニア語を話せば、(見どころがなくすぐ飽きるかもしれないが)モルドバ国内の列車の旅も楽しそうだ。農地の広がる長閑な丘陵を鑑賞して人の良さを感じる国。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

<モルドバ/ルーマニア間の列車による国境越え情報>

  • ルーマニアのヤシ(Lasi)行き列車を駅で確認すると、そもそもルーマニア行きの列車は2日に1本偶数日にしか発車しておらず、キシニョウ17:10発ヤシは23:31着でブカレストは翌朝6:46着。ヤシの安宿をネットで検索したが全くみつからなかったので列車を断念。
  • ウクライナのオデッサからのバスが到着した北ターミナルでルーマニア行きのバスを確認すると南ターミナルから発車していて数キロ離れているので109番ミニバスで行くよう教えられる。
  • ルーマニア行きは1時間に1本程度あるようなので市内観光後、南ターミナルへ行くことにする。市内で南ターミナル行きミニバスが見つからずタクシーで35レイ(約300円)が相場と教えられタクシーで向かう。14時頃到着。
  • ターミナルの窓口係によると、ヤシ行きバスの発車時刻、6:30、7:00、7:55、8:30、9:30、10:10、12:00、13:00、18:00、18:30、19:00。本数が多いが、私の着いた14時から遅くとも発ちたいと思っていた17時までがすっぽり抜けている。他にルーマニアへ向かうバスはブカレスト行きがあり、ヴァスルイ(Vaslui)は経由しないがフシ(Husi)に停まり発車時刻は9:00、10:00、11:00、17:00、19:00、20:00、21:00、22:00。鉄道駅のないフシからルーマニア内の観光地へ移動することを考えるとブカレストまで行った方が楽だと考え、夜行列車でブカレストへ行くことを決断する。(以上、親切なおばちゃんがわざわざ時間を紙に書いてくれたので転載)
  • 列車がキシニョウを出発して1時間50分ほどでモルドバ側出国審査の駅に着く。出国審査、税関検査に実際どれだけの時間を必要としているのかわからないが、最初手ぶらで現れ質問とパスポートチェックした係官が1時間後に再び現れハンディー端末でパスポートチェック後スタンプを押すという意味不明な行動もあり約2時間停車、その間トイレは施錠で閉鎖。列車なので安心して十分溜めてからトイレに行こうとしていた私は、タイミング悪く1時間半以上車掌に待てを食わされた。
  • 出国審査、税関とも問題なかったが、みんな2言3言の質問で済んでいた税関チェックが私だけ言葉が通じないからと記入項目の多い税関申告書を書かせられる。
  • 数分移動してルーマニア側入国審査の駅へ。車内でパスポート回収方式で特に問題なく済むが1時間20分停車。出入国審査の駅での停車が合わせて3時間30分になる。

[ルーマニア]シギショアラ

<時計塔航空写真から見下ろす南側/西北西(2枚組)

なんじゃこりゃ!と驚いた。

世界遺産なので訪れてみたが、まるで観光地としての化粧がされていない、すっぴんなのだ。

未修復のまま保存された遺跡というよりも、観光客が見に来ることを想定していないかのような放置ぶり。壁や屋根瓦が完全に色褪せているのは良いとしても、石畳の道は完全に石が剥がれ登山道を歩かされている感じがする。博物館を兼ねる教会内はアフリカのマイナー博物館のように、こんなのあったよと、ただゴロゴロ床に並べられていた。

世界遺産は必ずしも観光地ではないと承知している。だが、シギショアラは「歩き方」中欧版で取り上げられている数少ないルーマニア観光地の一つなのに。
ルーマニア観光あまり期待できないかも。

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列車の移動はなかなか良い。ブカレストからシギショアラまで急行で5時間半が40レイ(1,300円)と安く、すぐに切符が買えそんなに混んでいない。車窓は牧草地帯や教会のある小さな村、そして急峻な山容を見せたりとなかなか楽しめる。

今回の旅ではエストニア以降、バスや列車の移動で面白みのない景色が続いていたが、モルドバから良くなってきた。

<参考図書>
A25 地球の歩き方 中欧 2009~2010=>最新版 2019~2020

[ルーマニア]シナイア

<シナイア僧院(1枚目撮影ポイント

ここまで南下してきて、やっと日本の最北端である稚内と同じ程度。(同緯度の日本地図を重ね合わせて表示

カルパチア山脈のプチェジ山(2,507m)をロープウェイ山頂駅(2,000m)から登ってみようかとシナイアに泊まることにしたのだが、天気が悪く断念。
城内部は休日で入れず、シナイア僧院のみを見学。高原の雰囲気がある小さな町は悪くないが、歩くところがなくなり時間が余って飽きてしまった。

≫続きを表示

有料観光施設の休日を避けるためにブラショフより先にシナイアに入ったのだが、大きく勘違いをしていて、シナイアの2つの城は今日も明日も休みだった。博物館や観光施設が週休1日でもけしからんと思っているのにルーマニアには週休2日の施設が結構多い。見せる気あるの?あんたの都合に合わせて旅程組むの大変なんだよ(と、つぶやいておこう)。
ペレシュ城は建物内部は閉館だが敷地内に入ることができ、間近で見学できた。まあ大したことなさそうだし、もともとヨーロッパの城鑑賞は好きでないので良しとしよう。

<たびメモ>

駅を降りて真っ直ぐガイドブックに掲載されている唯一の安宿(Intim)に向かったが閉鎖されていて、がっくりと肩を落とす。すぐ近くのレストランに部屋がありそうだったので尋ねると1泊3千円、値切ると2千円に下がったので部屋を取る。トイレシャワー付きの清潔で問題ない部屋(宿名不明)だった。

シナイアには2~3千円(60~90RON)程度の宿が潤沢にあるようだ。貴族などの山荘だった建物を民宿に改装してレストランを兼ねて営業している所が多いとのこと。街なかのツーリストインフォメーションに民宿も含めた部屋代が表示されたホテルリストがあり、町を歩いていてもvillaの看板がいくらでも目に入る。シナイアでは、容易に2千円程度の宿確保ができそうだ。

<参考図書>
A25 地球の歩き方 中欧 2009~2010=>最新版 2019~2020

[ルーマニア]ブラショフ

<ブラショフ(Braşov)中心部から黒の教会を望む撮影ポイント

シギショワラやシナイアは小さな町で観光客ばかりが目立っていた。しかし、ブラショフ(ブラショヴ)は大都会のようで観光客が多いが地元の人や車に埋もれている。黒の教会という巨大な教会が中心部にあり、石畳の道や古い街並み、洒落たカフェ通り、要塞跡、街を見下ろす小高い山が間近にあるなど、素材十分なのだがどこもイマイチぱっとしない。写真うつりが良さそうなこれはというビュースポットが一つもないのだ。

郊外の村にあるプレジュメール要塞教会(写真下)は悪くなかった。微妙な美しさがあり、円状の防壁の内側はいくつも仕切られた部屋があって中国客家の住居に似ていて面白い。

<プレジュメール要塞教会(2枚組)

[バスの車内刻印(信用乗車)シリーズ2/3]

車内のチケット刻印には十分注意を払っていたにもかかわらず、ブラショフの市内バスでまたしても検札官に不正乗車を指摘され罰金を科せられる...
が免れる。

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疲れが溜まっているようで、喉が痛み瞼が重く頭がぼうっとしていた。地図を読み解く気力がなくなっていて、バスの乗る方向を間違えた。どうもおかしいと思い運転手に尋ね逆だと教えられたのだが、降りようとすると、もうすぐ終点で戻るからそのまま乗っていろと手振りで教えられ、運転手から姿が見える一番前に座っていた。

バスが逆方向に走り出し、しばらくして検札官が乗り込んで来た。私がチケットを差し出すと刻印が違うという。他の区間のバスでは一方通行の道路が多くルートが異なることもあり、終点を越えて乗っている人が何人もいることを観察していたが、この区間のバスの場合だめなのだろうか。私は4人の男女の係官に囲まれ、英語を話す女性がanother ticket, another ticketと連呼する。一番前に座っていた私は他の乗客たちから鋭い視線を一斉に受けていた。「まあなんてかわいそうな旅行者」と思われているのか、「東洋人は悪い人が多いねえ」と思われているのか、目が窪み鼻の高いルーマニア人の顔からは感情が読み取れない。

私は体調が悪いと全く英語が出てこなくなるので運転手が助けてくれるだろうと思い、面倒な説明をしないでいた。しかし、運転手は完全に無視して運転を続け、係官は罰金45RON(1,500円弱)を要求した上で、私が英語を話さないので警察へ連行すると息巻いていた。仕方なく私は、運転手にそのまま残っていろと言われ終点を越えて乗り続けていることを説明した。

係官が運転手に確認してやっと彼が状況を説明したようで、係官は私の乗車券の裏面に刻印し直した後この乗車券で大丈夫と私に返した。結局何がどの程度問題だったのかわからぬまま私の罰金は免れた。10分にも満たない時間だったが、不正乗車客を吊し上げるという特殊な仕事で鍛え上げられた顔で睨まれ続け、不快極まりない。

今回のヨーロッパ旅行中に検札官の姿は何度も目にしており、頻繁に検札していることが伺える。不正者に不快な思いを与え乗車料金の30倍(日本のJRだと3倍)という高額の罰金を科すのは地元乗客に対してであって、外国人旅行者には、(状況にもよるだろうが)誤りを指摘して正しいルールを教えてあげるというのが筋ではないのか。

乗車券のルールはEU内で統一されている訳ではなく、国や町あるいは路線によって微妙に異なっていて、旅行者がそのルールを正しく知る術はない。そんな状況で外国人旅行者が少しだけルールを逸脱しただけで犯罪者扱いしたうえ高額な罰金を科すのはどう考えても間違っている。
≫≫信用乗車シリーズ3へ  ≫≫信用乗車シリーズ1へ戻る

<たびメモ>

ブラショフのホテルはツーリストインフォメーションのホテルリストでほぼ最安値の部屋Postavarulがトイレ付シャワー共同シングルで60RON(2,000円弱)と宿泊費2千円の私の予算内に収まり、室内は清潔、街中にあるのに非常に静かでほぼパーフェクト。
このようなホテルがあるのならブラショフに3泊してシギショワラもシナイアも通いで良かったと思った。(後でブカレストは半日観光で十分だったので4泊でも良かったと気づく)

[ルーマニア]ブカレスト

<ルーマニア旧共産党本部前>

昔、小パリと呼ばれた美しい街並は、共産党政権によりほとんど破壊されてしまったそうだ。

そして、今は観光客が見るべきものがほとんどない首都になってしまった。今回立ち寄った首都の中では、キシナウ(モルドバ)、ヘルシンキに次いでつまらない。

国立農村博物館はルーマニア各地から農家や教会などを移設させた野外博物館だが、昔の生活風景を再現した建物内部を見学できるのがなかなか良かった。他は教会で静かな祈りの世界に浸るぐらいしか楽しむことはできなかった。

[バスの車内刻印(信用乗車)シリーズ3/3]
≫続きを表示

ブカレストはホステルをネット予約していたので、案内通りにバスで宿に向かうことにする。ブカレスト駅前で指示された番号のバスが、なぜか3車線の道路の真ん中の車線に停まるのを見つけ急いで駆け寄ったが、方向が正しいかどうかわからない。乗り込む前に運転手に尋ねようとしたが、入り口のドアと運転席がガラス板で遮られている。バルト3国で見かけたように運転席後方に小さな窓があるのかと思ったが何もなく、運転席は客室から完全に隔離され乗客と運転手の会話も許されない。まるで電車のようなしくみだ。

しばらく唖然とした後、路線図でもないのかと探そうとしたが、その前に乗車券の刻印をしなければならない。これまで2度も検札官から摘発されているのだから。
乗車券を機械の隙間に差し込もうとしたが入りそうもない。それはプリペイドカードか何かのための機械のようだった。近くにいた男性がこっちだと古い小型の機器を指差したので、そこに乗車券を差し込んだがジジッという印字が行われない。何度も入れたり抜いたりしていると、少し離れたところに座っていた女性が、それは手で叩いて穴を開けるものだと教えてくれた。

機械の横から手でパンと叩くと乗車券に穴が3つ開けられた。教えられなければ刻印方法が全く想像できない、今まで経験した中で最も原始的な刻印機(チケットキャンセラー)だった。刻印(自己改札)に慣れていない日本人旅行者が荷物を抱えたまま、国や町毎に異なる刻印機に対応するというのは非常に難儀なことで、そのことに気を取られ過ぎていろいろ失敗もしてしまうだろう。私は3年前のソフィアで刻印に気を取られているスキに財布を盗られているのだ。

驚いたことに近くで古い刻印機の場所を教えた男は、実は検札官で、私がやっと刻印するのを黙って見届けると検札を開始した。

あんた、ついさっき言ったばかりでしょ、検札官は外国人旅行者に対しては取り締まるのではなく正しいルールを教えてやるべきだって。私が刻印できずに苦労していた時、何をボケっと近くで見ていたんだ。

検札官は検札前に刻印を促したり手伝いをしてはいけないというルールがあるのではと想像されるが、それは外国人旅行者に対しては間違いではないのか。そもそもここは国際列車が到着するブカレスト駅から最初の区間である。バルト3国や旧ソの国々では車掌や運転手からチケットを買えるバスが多かったので、同様に考えて乗り込んでしまった旅行者は完全に不正乗車として摘発されてしまう。私は何度も嫌な思いをしてきたので、まず刻印せねばと身体が反応したが、罰金着服のため検札詐欺すらあるというブカレストでは、私がチケットを持ったまま刻印せずバスのルート地図を探していただけで摘発された可能性が高い。
ヨーロッパのバスは恐ろしい。

日本のバスのように乗降時に料金を支払うのではなく刻印システム(信用乗車方式)を取っているのは、混雑したバスではどのドアからも自由に乗降できるというメリットがあるが、(勝手に推測すると)運転手による収受料金の着服防止と運転手に対する犯罪防止の意味あいが大きいのではないか。ヨーロッパ人のように刻印システムが習慣として身についていない外国人旅行者が、そんな理由で苦労させらるのはたまったもんではない。

刻印システムを廃止できないのであれば、せめて検札時にパスポートを提示してEU域外の旅行者と判断されれば警告のみ(あるいは罰金額を日本なみの料金の3倍)にするとかで、ヨーロッパ全体で改めてもらいたいものだ。

それが行われず日本人旅行者が刻印し忘れだけで高額の罰金を科せられるようであれば、日本政府は報復措置を考えるべきだ。成田空港から都心へ向かう列車をお座敷列車にして、靴を脱がずに上がり込んでしまったヨーロッパ人からは有無を言わさず罰金として料金の30倍を徴収する、というのはどうだろう。
≫≫信用乗車シリーズ2へ戻る

<ブカレストからソフィアまで列車による国境越えメモ>

ブカレストから夜行列車でソフィアに向かったのだが、ルーマニアもブルガリアもEUに加盟しているので出入国審査はなくゆっくり眠れると思っていたら大きな誤りだった。両国とも係官が車内を回るという方式で審査が行われる。
(後日談:帰国後確認すると出入国審査を廃止するためにはシェンゲン協定に参加して実施している必要があり、ルーマニア、ブルガリア共に調印済だが施行日未定。ということがわかったので、当サイトの世界の国々にシェンゲン協定実施25ヶ国を登録しました。検索窓に"sch"と入力すると検索結果が表示されます。)

<ルーマニアめも>
  • 一般の人で英語が通じる人は少ない。日本程度か。英単語会話ならバス停の切符売りおばちゃんやワルそうな顔つきの兄ちゃんができたりして驚くこともある。
  • ルーマニア語で道を尋ねられたことが何度かあり、理解できないといっているのに何度もルーマニア語で話しかけてくる人がいることから、ヨーロッパ人にはルーマニア語を知らなくても部分的に通じているようだ。
  • 子供たちの品はあまり良くない。私は日本人としてはごく標準的なありふれた顔をしていると思っているが、あからさまに人の顔を見て笑う少年がいる。おめえらもそんなに変わらない田舎顔だぞ、と言いたい。また、列車内で集団でゲームをして大騒ぎするなど社会的マナーがよろしくない場面が散見される。
  • 路上では周りを気にせずぷかぷかふかす。特に女性の喫煙者が目につく。
  • 駅以外で公共トイレを見つけられない。ブカレスト中心部で探したがなかったため、ケンタッキーに入る。
  • ガイドブックに「ルーマニアの鉄道は正確」とあったが決してそうではない。私の乗った列車は3回続けて30分から1時間遅れた。単線区間が多いので国際特急列車が遅れれば、急行や各駅は上り下りとも影響を受けてしまう。駅名がどこに表示されているのかわかりにくいので、列車が遅れると自分の降りる駅に着いたのかどうかわからず不安になり、コンパートメントを出てそわそわしていないといけない。4回目に乗ったブラショフからブカレストまで4時間半の各駅停車も途中駅で通過待ちの長時間停車が何度もあったので、どうせまた1時間は遅れているだろうとPC入力に集中していた。すると終点ブカレストに定時に着いていて、乗客がみな降りているのにしばらく気づかなかった。私の経験からは、「ルーマニア鉄道は正確に走ることもあるので注意が必要」というのが正しい。

    <参考図書>
    A25 地球の歩き方 中欧 2009~2010=>最新版 2019~2020
  • 今回訪れた観光地を見る限り、期待していたほどルーマニアの観光は楽しめなかった。北トランシルヴァニアやマラムレシュなどのメジャー観光地は、交通の便が悪く車のチャーターが必要なので訪れるのを止めたが、農村風景に触れる以外はそれほど大したことないのではと想像される。(ヨーロッパの観光地という目で見てしまうからつまらなく感じるだけで、ヨーロッパ人旅行者には厚化粧をしない素朴さが受けているのかも)
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

[ブルガリア]リラ

<リラ僧院(2枚組)撮影ポイント

評判が良いリラ僧院に期待していたが、外観がちょっとケバすぎで、観光客が多く騒々しい。

山に囲まれた立地環境はすばらしい。現地で見ている分には写真ほど派手さを感じないので、山に残雪があり観光客が少なければ感動していたかも。

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夜行で首都ソフィア(София)に朝6時に着いた時、あちこちの売店でコーヒーや朝食になりそうな揚げパンやハンバーグの類が売られていて、薄暗いロビーから感じられる異国の雰囲気にわくわくした。外に出ると駅前広場が3年前から大きく変化して新しくなっており街に明るさを感じた。ソフィアに泊まりたくなり、宿を予約して荷物を置いてリラ(Рила)に出かけようと思ったのだが、ガイドブック上の2,500円程度の宿は満室で近辺の安そうな宿をあたると4,000円前後と相場が高そうなので、予定通り荷物を持ってリラに出かけた。

リラにはソフィアからバスで行くのが楽で速いが、時間があったので敢えて列車でリラ村の近くDupnica(ドゥプニッツァ)に向かう。2時間20分程度の列車による移動のうち半分ぐらいを広々としたコンパートメントを独占でき、車窓は美しく快適な旅だった。Dupnicaに9:50に着きリラ村へのバスは10:00発と接続が良くそのままリラ僧院に突入しようと思ったが、リラ村発僧院行きのバスは「歩き方」に記載されている通り12:40発までなかったため2時間近くの待ちが発生。しかたなく、リラ村のホテルORBITA(トイレシャワー付30Lv、約2,100円)にチェックインすることにした。
リラ村に宿泊する外国人が少しはいるようだがほとんど観光地化されていない。カフェやスーパーで英語があまり通じず、外国人も相手にしてそうなカフェが1件あるだけ。(ATMは何台もあり驚いた)
代わりに農村の風景を楽しもうかとカメラを持って歩き回ったが、ときどき出会う村人たちが警戒感を顕にするだけで、特にこれといった景観や生活の様子を拝見することはできなかった。

<参考図書>
A25 地球の歩き方 中欧 2009~2010=>最新版 2019~2020

<たびメモ>

ギリシャのテッサロニキからブラゴエヴグラト(Благоевград)まで列車で行き、Blagoevgrad->リラ村->僧院とバスを乗り継げば、テッサロニキからリラ僧院の日帰りが可能(なはず)。但し、テッサロニキ発6:40で戻りがテッサロニキ着22:53となり、タイムテーブルを調べていて気づいたもので、実際利用した結果ではないのでご注意。

<ブルガリアめも>
  • スーパーでレジ袋をくれたのは、今回旅した国々でモルドバに次いで2ヶ国目。
  • 美しい緑に覆われているのに、道沿いや集落内の川にゴミが溢れている。ルワンダを見習いたまえ。
  • なぜ、またキリル文字(ロシア語で使われるアルファベットのひっくり返りがいくつかある文字)。もう簡易ロシア語辞書をしまいこんでしまったのだが、列車の駅名などでアルファベットへの解読作業が必要となる。例えばSofiaはСофияというように。しかし、旧ソ連の国と比較してアルファベット併記が多いので、ここで訓練してから旧ソに入るのもいいかも。
  • 子供に近づこうとすると敬遠される。若い女性はほとんど私の顔を見ず、店員などには冷たく対応される。私に何か問題でも?3年前からブルガリアの女性や子供とは相性が悪い。
  • 全般に人々の表情は暗く冷たさを感じ、以前訪れた時はそれゆえに危険なのではと思っていたが、ルーマニアや旧ソの国などを通ってきて十分慣れているので、気にすることなく接していれば特に問題ない。警戒心を顕に見つめる村の老人もこちらから挨拶すれば笑顔で応える。
  • 有料トイレは十分清潔、洋式で紙が備え付けられ、トイレ紙配給制から解放される。普通列車のトイレも何とか利用できるが、便座がボルトで固定され上げられないので汚れており座る気にならない。女性はどうしているのだろう。
  • 3年前ソフィアでスリに遭い、印象の悪かったブルガリアだが、緑の美しい国内を列車で旅してみたいという気持ちに変わりつつある。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

[ブルガリア/マケドニア間国境]Deve Bair

バスが来なかったためタクシーをシェアして歩いて国境を越えることに。

<リラからスコーピエまでの国境越え詳細>
  • ブルガリアからマケドニアへの移動はソフィア(София)からスコーピエ(Скопје)までの国際バスが正道だと承知していたが、外国人旅行者が多く国境通過に時間がかかる国際バスはできれば避けたく、ソフィアまで戻るのも大変(昨日のうちに戻れば良かったが宿が高そうなのでやめた)なので、リラからマケドニア入国を目指すことにした。しかし、ネットやガイドブックによると公共交通機関はなさそう。
  • リラ村のツーリストインフォメーションで尋ねると、Blagoevgrad(ブラゴエヴグラト)に行けばマケドニア行きのバスが出ていると即答。Blagoevgrad(Благоевград)からマケドニアへ向かう道が伸びているがその国境(グーグルマップでリラからオフリドへのルート検索をすると抜けている国境)はガイドブックでは通れないことになっている。Kyustendil(キュステンディル)を経由しないといけないのではとインフォメーションの若い女性に確認すると、そのルートは大分遠回りになる、どの街行きがあるかは定かでないがマケドニア行きバスは絶対にあると相当自信を持って答えていた。半信半疑だったがダメでもリカバリーがきくと思いBlagoevgradに向かった。が、やはり誤っていた。(カンボジアでシエムリアプのツーリストインフォメーションのおやじに似たように国境に関する誤情報を伝えられ酷い目にあったことがある<こちらを参照>が、海外のツーリストインフォメーションではその街以外の情報はあてにしない方が良いかも)
  • リラ村からBlagoevgradまでバスで40分1.7Lv。Blagoevgradのバスターミナルでマケドニアに行くためにはKyustendilに行かなければならないと言われ、Kyustendilへ直行するバスがたまたますぐにあり乗車、1時間10分4.5Lv。(リラからKyustendilまではバスの本数が少なくなるかもしれないがDupnica経由の方が近い)<後日記>区間で()を押しルートをマウスで動かしてみると10km強短縮されるだけなのでリラからバスがすぐ出る方を選択すれば良さそう。
  • Kyustendilのバスターミナルでスコーピエ行きのバスが11:30に出ることを知る。土曜日で専用窓口が閉まっていたが、待ち客が言うにはスコーピエまで15ユーロか28Lv。ところが、12時近くになってソフィアからのバスが、ここの専用窓口が閉まっているためターミナルに寄らず通過してしまったことが判明。
  • スコーピエまで行こうとしていた他の2人の客と国境までタクシーをシェアして移動。1台10ユーロ、20分。
  • 国境は歩いて越えることになるが、これを望んでいたので結果的に良かった。ブルガリア出入国審査場では質問なし、荷物検査なくあっさり通過。ほとんど隣接しているマケドニア側では2、3の質問のみで荷物検査もなく通過。
  • マケドニアのイミグレーションを出たところにはバスもタクシーもなし。カフェ1件と無料トイレがあるのみ。
  • 国境までのタクシー同乗者の1人がタクシードライバーの息子を迎えに呼んだというので、私の分として8.5ユーロ(500DEN)を支払ってスコーピエまで乗せてもらうことになる。国境のカフェで息子のタクシーが来るのを2時間待っていたがバスらしき乗り物はどちらの方向にも通過せず。
  • バスがあったのに来ないという不幸があったが、交通機関がない場合、最悪20km前後の歩きを覚悟していたのでラッキーだった。ヒッチハイクをせずに国境を歩いて通過するためには、Kystendilから国境まで(20km以上)タクシー10ユーロか、国境近くの村までバスで行き国境まで数km歩く。国境からマケドニア側の町Kriva Palankaまで(10km以上)は歩くか国境のカフェでタクシーを呼んでもらい移動して、Krivaからバス(あまり本数がなさそう)でスコーピエに向かうことになる。(現地での情報から想定される越境方法で経験者の情報ではないので注意)

[マケドニア]オフリド

<たそがれの聖ヨハネ・カネヨ教会/聖クリメント教会(2枚組)

また教会の写真かよと思われるでしょうが教会しかないのである。
オフリド(Охрид)はマケドニアで一番の観光地で文化および自然がすばらしいということで世界複合遺産に登録されているのだが、これといった自然景観がみつけられない。文化的価値があるとされる遺跡群もそれほどのものでない。オフリド観光に丸1日取ったが半日で十分だったかも。
爽やかな水辺、華やかなカフェ、迷路状の路地、歴史を感じる建物や教会、丘の上からの湖の眺めなど一通り観光の要素が備えられ、それなりの雰囲気はある。しかし、街も水辺も丘の上もどこもかしこも狭くて窮屈さを感じ、ヨーロッパ風カフェに馴染めない人にはくつろげる場所がない。

<マケドニアめも>
  • 人の良さはかなり印象的。スコーピエ(3年前にも訪問)に少しとオフリドに丸1日だけ滞在した感想だが。私が今まで訪問した百カ国以上の中で、気味が悪いほど人の良いアルメニアに次ぎ2番目の人の良さかも。(ほとんどの国が超短期滞在なのでたまたま接した人たちでの比較)
  • 英語は若い人を中心に良く通じる。バスの切符売りのおばあさんでも英語を話すのには驚いた。
  • 車内からゴミを捨てると50ユーロの罰金だそうで、ブルガリアよりはずっときれいだが、ゴミはあちこちで目につく。スーパーのレジ袋有料。
  • 公共トイレは少なく、きれいな所もあればとんでもない所もある。
  • ブルガリアと同じキリル文字が使われているが、ブルガリアと同程度英語併記があり、それほど困らない。
  • ブルガリア語とマケドニア語はほとんど同じような気がしたが、マケドニア人はブルガリア語を聞き取ることはできるが話すことはできないという程度の違い(東北弁と関西弁ぐらい?)があるそうだ。
  • 2回乗っただけなのでたまたまかもしれないが、バスは空いていて楽。
  • マケドニアハンバーガーは、大きさや種類の異なるハンバーグやハムなど肉類を選び焼いてもらい、野菜類は自分で好きなだけ挟んで食べるものらしい。オフリドで最後の食事に食べたが、かなり美味しく200円程度で腹が満たされる。毎食これにすれば良かった。
  • オフリドには民家の空き部屋を旅行者に提供するプライベートルームが豊富にあり、日中バッグを背負って歩いているとうるさいほどDo you need accomodation?と声を掛けられる。個室1泊7ユーロが相場のようで、トイレとシャワールームを複数備えた日本の民宿程度の大きな家が多く、快適に過ごせる可能性が高そう。(私の泊まったプライベートルームは微妙)
  • オフリドから国境の町へ向かう際、バスの運転手がドライバー席に数千円分はある乗車料金やつり銭の札を露出して積み重ね、ドアを開けたままトイレで席を離れていた。少なくともオフリドでは物乞いを見かけず、かなり安全な街と感じた。
  • この国にも華僑はいない模様。東洋人は珍しがられ、中華料理店を見つけられず。
  • 楽に国内を旅できそうだが、国内随一の観光地オフリドが大したことなかったので、見どころはあまりなさそう。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

[マケドニア/アルバニア国境]Naum-Pogradeci

オフリド湖の美しい景色を眺めながら国境を歩く。なかなか楽しい国境越えだ。(オフリドから国境までのルート

<オフリドからギロカスタルまでの国境越え詳細>
  • オフリドのバスターミナルを8:20に発ちスヴェティ・ナウムに向かう。オフリド湖沿いの気持ちの良い道を50分走る。110DEN。
  • バス終点からイミグレーションまでのルートは、終点バス停から少しだけ東に戻り三叉路で右折してアタナス聖堂のサインが出ている道を数分歩き、アタナス聖堂敷地内(ルートで線が切れている地点、航空写真に切り替え+で18まで拡大すると判別可)を通り国境へ向かう車道で右折して道なりに歩く。バス停から30分弱でマケドニア側イミグレーション。

    後日記:当時あるサイトで得た情報からこのような遠回りルートを取ったがナウム行バス終点からイミグレまでをグーグルマップの徒歩でルート検索(ルート案内後に()を押す)するとバス終点から西へ直進して左側に登っていけば国境ゲートに出られそう。(Military Camp内は通り抜けられないという噂あり)(2012年3月)
  • マケドニア出入国審査場手前に無料トイレあり。売店、両替所なし。出国はあっさり終了。
  • 数分間、湖を見ながら歩くとアルバニア側イミグレ。
  • アルバニア側入国審査は列ができて待たされたが、特に問題なく終了。アルバニア入国税10ユーロ取られず。(2009年3月から廃止になったという不確かな情報あり)
  • ここから近くの街pogradec(ポグラデツ)までは4~8km(ネット上の情報さまざま、グーグルマップでは6km)でタクシーで5ユーロ(みな一致した情報)なので歩くかタクシーか微妙なのだが、覚悟していた入国税が取られなかったのでタクシーで行くことに。交渉してマケドニア通貨の残り100DEN(1.7ユーロ)と3ユーロでpogradecに向かう。10分程度。(少なくともこの運転手は4.2ユーロ相当の250DENでOKだったので、ユーロでなくDENかアルバニア通貨で交渉した方がよさそう)
  • ポグラデツからギロカスタル(あるいはジロカストラ)までコルチャ(Korçë/Korça)経由のルートにするかエルバサン(Elbasan)経由(ボタンでエルバサン経由になるはず)にするか情報が足りず迷っていたが、人が良さそうなタクシー運転手にKorçëからギロカスタル(Gjirokastër)までは朝6時発の大型バスしかなくミニバスは走っていないため1泊する必要があると言われる。真偽は定かでないがKorçaルートは明らかに交通手段が少なそうなので、安全策を取りElbasanに向かう。帰国直後の後日記:2008年12月にコルチャ13時発ギロカスタル行きバスに乗ったという情報を見つけた。こちらの楽しそうな山岳ルートにしておけば良かった。
  • タクシー運転手に教えられた場所でミニバスを待っていたが、どの車に乗れば良いのか全くわからず目の前を通り過ぎるミニバスらしきワゴンを何台も眺めていた。すると、街のおじさんにどうしたんだと声をかけられElbasanへ行きたい旨を伝える。彼が右手を挙げ手首を捻りながら人差し指をひょいと車の進行方向に向けるとすぐにワゴンが目の前に停まり、これがElbasan行きだという。行先表示がない車が何台も走り過ぎていく通りで、客はミニバスが近づいて来るとどこへ行きたいか手で意思表示して車を停めないといけないようだ。似たように手の合図で自分の行き先をドライバーに知らせる方法をナイジェリアで見たのを思い出し、面白い国だと感じた。pogradec(ポグラデッツ)からElbasan(エルバサン)まで1時間30分、500レク。

    後日談:近づいてくる車に対して手の簡単な動きで行き先を確認するやり方は世界中で見られる。ウズベキスタンのブハラでも、バスのルートが右周りか左周りか、終点が近いのか遠いのかを手首から先の左右あるいは上下の動きで運転手に確認する方法を教わり、私も実践していた。(2015年1月)
  • 少なくとも降ろされたElbasanのミニバスターミナルからはギロカスタル行きは出ていないようで、Durrec行きミニバスで45分ほど走った分岐(町名不明)で乗り換える。250レク。
  • ここを通過していくミニバスにはだいたい行先表示があるようだが素人には簡単に判別できない。同じミニバスで降りたおじさんが私のためにギロカスタル行きをみつけ止めてくれる。ラテン系のおじさんたちは外国人に対して笑顔で何でもないことのように親切を施す。分岐地点から3時間でギロカスタル、1,000レク。
  • ガイドブックやネット情報による所要時間から今日中にたどり着けないことも覚悟していたが、結局17時にギロカスタルに到着。Elbasanで30分以上トイレを探していたことを考慮するとオフリドからギロカスタルまでの所要は8~9時間。ここ2、3年で道が整備され所要時間が短縮されたのかもしれない。

[アルバニア]ギロカスタル

<ギロカスタル城撮影ポイント/ジロカストラ旧市街の伝統的家屋>

ギロカスタル(ジロカストラ)は美しい山に囲まれた盆地の丘に城跡があり、周辺の旧市街には石畳の道と昔ながらの造りの街なみが残る。何かひとつだけでも絵になる個性的ポイントがあればお勧めのマイナースポットにしたいのだが...何もない。

城跡や旧市街が整備されれば魅力的な観光地に変わる可能性はあるが、どうしちゃったの?というような城跡や何にも規制されずただ残っているだけの古民家などを見るとちょっと難しそうに感じる。(上のジロカストラ城の写真はどうしちゃったの感を出すため敢えて暗いまま。周辺の自然は美しい)

<アルバニアめも>
  • 想像していたより国全体が洗練され、最初のうちはマケドニアなみに人も良いのかと思っていたが、どうも変な人も多い。ホテルやレストランの冷たい対応は共産圏の名残か。意味もなくでかい声で興奮して話すのはラテンの血によるものか。私を露骨に凝視したり、子供たちがジャッキーチェンと囃し立てるのは長い鎖国政策による影響か。
  • トイレは少ない。pogradec(ポグラデツ)国境からギロカスタル(Gjirokastër)まで車を3度乗り換え(移動の詳細はこちら)なければならなかったが、どの乗り換えポイントにも周辺に公共トイレがなくカフェなどに入らなければならないようだ。大きな街エルバサンのミニバスターミナルでトイレを探していた時、まともな身なりをした大人が遮るものがない公園の緑地で立ちションしていた。
  • 今の子供は学校で英語教育を受けているようで、ミニバス内で運転手からの質問を小学生や中学生程度の子供たちが訳してくれた。大人も人によっては流暢な英語を話す。
  • 険しい山を越える道が多く、数年前よりかなり整備されているようだが、アフリカなみに路面が荒れた区間もある。ミニバスの運転は荒く、私は楽しめたが車酔いしやすい人は辛そうだ。
  • ミニバスはターミナルからは満席後出発のようだが、かなり大きめのバンで乗客が3列に2、4、4が定員のようなので楽。途中で客を乗せ1列が6人になることはあるが、アフリカと比べればまだまだ余裕。ターミナルにトイレがないのに一度もトイレ休憩がなかったのが私にとって問題。
  • VISAカードでキャッシング可能なATMがたくさんあるのに驚いた。これで今回旅行した国々では(国境地点を除けば)ATMキャッシングに困る国はなかったことになる。
  • 移動費は意外と高く(ミニバスとタクシーしか利用していないが大型バスはミニバスより3割程度安い)、食べ物もそんなに安くない。ギロカスタルで中級ホテルが2千円程度と安かったぐらい。
  • 自然は美しく、トイレ以外に困ることはなさそうだが、敢えてこの国を旅する必要性が見つけられなかった。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

[アルバニア/ギリシャ間国境]Kakavia

通過する車が多く、両国側に食べ物を供する店が出て賑わっている。今回の旅で歩いて越えた国境の中では最もメジャー。

<ギロカスタル(Gjirokastër)からメテオラまでの国境越え詳細>
  • ギロカスタル(ジロカストラ)のツーリストインフォメーションに何度か足を運んだが席を外しているのかオープン時間なのに鍵がかけられ、国境までの交通情報が得られなかった。仕方なくガイドブックやホテルスタッフの指示通りタクシーで国境まで向かう。距離30Km(区間ルート)、所要20分で相場の1,500レク(1,600円くらい)。国境の近くにカカビア村(Kakavia)がある(地図参照)ので、そこまで行くミニバスがあってもおかしくない。カカビアと出入国ゲートの分岐で降ろしてもらえれば歩く距離は1kmのようだ。(ギリシャ側で国境から出るローカルバスの乗客が大勢いるので、アルバニア側にも何かしらよりよい交通手段があるはず)
  • アルバニア側には複数の銀行とカフェ兼キオスクがあるので残り通貨の処理は問題ない。
  • アルバニア出国あっさり、問題なし。現時点の日本の外務省サイトでは入国税の他に出国税1,000レクも必要とあるが不要だった(外務省情報はしばらく更新されていないのでは)。車は長蛇の列を作っていたが、歩行者は車用出国審査の横入り処理でほとんど待ち時間なし。ツアーバスか国際バスが何台か停まっていてバス用審査は時間がかかっていた。
  • 数分歩きギリシャ側入国審査ゲート。
  • ギリシャ側では、歩行者はバス乗客用審査に並ばされ、窓口1つのため30分程度待つ。入国審査はあっさり、荷物チェックなし。
  • 審査ゲートを抜けるとキオスクやファーストフード店がいくつか。銀行はなし。トイレは思い出したくもない恐怖のトイレしかない模様。外に設置された仮設トイレの扉を開けずにイオアニナのバスターミナルまで我慢すべき。(あんなひどいトイレは中国やアフリカでも見たことないのでそのうち改善されると思うが)
  • ゲートを抜けた右手にバス停があり、イオアニナ行きのバスが1、2時間に1本程度でている模様。5.6ユーロ、50分。
  • イオアニナ(ヨアニナまたはヤニナ)から良いタイミングでメテオラ中心の町カランバカ(切符販売員はカラバーカだと言っていたが)行きのバスがあり、予想よりかなり早く到着できる。11.2ユーロ、2時間半。イオアニナからカラバカまでのバスは半分以上の区間で景勝ルートを走るため、多少疲れていても寝てはいけない。しかし、高速道路の建設工事があちこちで進められていたので時間は大幅に短縮されそうだがトンネルが多くなり車窓はつまらなくなるかも。

[ギリシャ]メテオラ

<メテオラの巨大奇岩群(1枚目は町側から2枚目は左側に町を望む横から)

到着した時、カランバカの町に覆いかぶさる巨大奇岩群に驚いた。直立する巨大岩の頂上部には修道院も見えるではないか。修道院は数ヶ所に建てられているようだがあんな岩をよじ登りいくつも観光できるのだろうか。これは久々の☆4つ以上の観光地かもしれないと興奮した。

カストラキを通り巨岩の正面からトレッキングコースを登り始めた。小さなアギオス・ニコラオス・アナパフサス修道院を見学した後、頂上部に見えるメガロ・メテオロン修道院に向かって登っていると、上の方から観光客の歓声が聞こえてきた。トレッキングコースを登りきると大型バスが何台も駐車していて観光客で溢れていた。
町側から望むと垂直に近い岩壁しか見えないが、その背後は普通の山になっていて巨岩を迂回して大型バスも走れる立派な車道が通っていたのだ。メテオラめ、驚かせやがって。☆3つに格下げだ。

<岩の上から町の方向を望む(2枚組)

多くの巨大奇岩の頂上周辺に登ることが可能で、足元の直下に家々が小さく見える眺めは見事。全体が広大すぎて大きさを感じられないグランドキャニオンよりも爽快である。

<たびメモ(メテオラの歩き方ガイド)>

メテオラに関してのガイドブックはLonely PlanetのPDF版を利用して地図だけプリントアウトして携行。「地球の歩き方」を読んでいないので同様の内容が書かれているかもしれないが、以下にメテオラ周遊ガイドを記す。

メテオラはツアーバスでなければ車かタクシーで巡っている観光客が圧倒的に多いが、Moni Ypapanti(日本語表記不明)を除いた全ての修道院を徒歩で巡るのは十分可能。
私の場合、荷物を預けた(3ユーロのはずだが受け取り時にお金はいらないと言われる)カランバカ駅を10時ごろ出発してKastraki町をかすめてアギオス・ニコラオス・アナパフサス修道院から始まりアギオス・ステファノスまで順番に訪れ(2つクローズのため入れず)15時半にカランバカ中心部に戻った。普段、私は山道も平地と同じテンポで歩くのだが、疲労が溜まっていて更に暑かったのでヨーロッパ人に抜かれる日本人の平均的速度で歩き、修道院内の見学時間や休憩を除いて3、4時間のルートだった。
私は寝坊して利用できなかったが、朝9時(土日は8時20分発)カランバカ発メテオラ行きのバスを利用すれば登りがほとんどなくなり時間を短縮できる。バスを利用した場合のお勧めルートは以下の通り。(バスを利用しない場合は、カランバカ>Kastraki>2>1>3>4>5>6>カランバカと巡るコースで良さそう)

1.メガロ・メテオロン修道院<航空写真>(バスの終点、内部見学のメイン)
2.アギオス・ニコラオス・アナパフサス修道院(上から眺めるだけで内部見学はパス)
3.ヴァルラアム修道院
4.ルサヌー修道院(トレッキングコースを通って車道へ)
5.アギオス・ステファノス修道院(9:00-14:00、15:30-18:00、月休)
6.アギア・トリアダ修道院
->車道からアギア・トリアダ修道院へ至る道の最も低い部分から始まるトレッキングコースを歩いてカランバカへ

上記4の後の一部と6の後の道以外は車道を歩く。2は小さくて内部はつまらず、1から行くためには登山道のようなルートを歩き高度を大分下げることになるので、この修道院はパスすることが重要。外観はいろんな場所から見えるので問題ない。
6に入るためには車道から数十メートル下って登る道を歩かなければならないが、カランバカまでのトレッキングコースはこの鞍部(一番下ったポイント)からスタートしているので、6は最後にすべき。また5は14時から昼休みになるので先に行っておいた方が良い。(この他、修道院毎に開院の曜日や時間が異なるので要確認。まあ飽きるので全部入る必要はないと思うが)
内部見学の時間のかけ方で異なるが13時か14時にはカランバカに戻って来て昼食をとれると思う。
このトレッキングは眺めの良い道をほどよい距離歩くルートなので、よほど暑くない限りお勧め。

[ギリシャ]アテネ

<オリンピア・ゼウス神殿 遠方にパルテノン神殿(航空写真

3年前の2006年、アテネでタバコの煙とバイクによる排ガスに苦しめられたが、今回はほとんど感じない。だいぶ改善されているようだ。
ここまで南下するとかなり暑い、とは言っても緯度は仙台と同程度。(同緯度の日本地図を重ね合わせて表示
汚れた道が高温で熱せられているのか悪臭がする。今回の旅で訪れた街ではなかったことだ。

<ギリシャめも>

  • 列車もバスも車内は禁煙になっているようだ。街中でもタバコが気にならなかったので喫煙の規制が進んでいるのだろう。
  • カランバカの街の人々の一部と駅員たちが非常に親切でびっくりした。ギリシャ人にも良い人は多いのだと認識した。
  • 英語はかなり通じる方だと思う。老人をはじめ通じない人もいるがほとんど言葉で苦労することはないレベル。
  • トイレははずれもあったが、まともなトイレも多い。メテオラの修道院にもトイレがあり、あんな岩の上で水まで出してくれるのには驚いた。
  • 3年前にギリシャに来た時はアテネとテッサロニキだけを訪れ、観光地はイマイチでいろいろと気に入らない所のある国だという印象だった。しかし、今回、イオアニナからメテオラに至るルートの景勝や観光地メテオラで観光資源の充実ぶりを知る。また、ギリシャ人には嫌な人が目につく反面、良い人も多いことがわかり、ギリシャ内の他の観光地も訪れてみたいという気持ちになった。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

今回は私の苦手なヨーロッパで、総じて物価も高いのでポイントだけ押さえてサーっと巡るという計画を立て、30日間滞在で14ヶ国(うち初めての国は11)を訪れた。
停滞を余儀なくされるほどの病気にならず、大きなトラブルもなくほぼ予定通りの旅程をこなすことができたので満足。ただ、子供を始めとした現地の人々との接触が少なく、観光対象が教会関連施設ばかり続き、苦痛を感じながら写真を撮り続けていたのが日記にも表れてしまったかもしれない。
訪問国の数が多いので、観光に訪れる国としてお勧めの順に並べて相対評価をしてみる。①見所が多い②旅しやすい③旅して楽しい、の3つを評価ポイントとして、②は物価が安い、トイレに困らないが私にとって重要な指標となり、③には人の良さや独特な異文化が味わえるかなども判断材料に入る。

1.ポーランド
観光資源が豊富で旅しやすい。比較的物価が安く人も良い。
2.ギリシャ
遺跡が豊富で海が美しいだけでなく、山間部の景色も見事。
3.スウェーデン
物価は高いが、観光資源が意外とあり安心して旅ができる。
4.ブルガリア
意外にも楽に旅ができ、緑が美しく秘めた魅力を探したくなる。
5.ルーマニア
物価が安く移動も楽だが、観光地はイマイチぱっとしない。
6.マケドニア
移動が楽で人の良さが秀逸。観光資源が少ないのが残念。
7.リトアニア
観光資源はそこそこあるが、物価が高く英語が通じないことが多い。
8.ウクライナ
教会関係の観光施設が多いが派手。ロシア語できれば楽しいかも。
9.エストニア
タリンは悪くないが重厚さが足りない。物価が高いのが難。
10.ラトビア
リガは面白みのない街。周辺国より際立つものなし。
11.アルバニア
自然が美しいが道の整備が遅れ、アフリカもどきの面白さがある。
12.ベラルーシ
旧ソ連らしさを強く残す貴重な国。見所少ない。ロシア語必要。
13.フィンランド
見るものがなく暗く重い雰囲気。そのうえ物価が高い。
14.モルドバ
観光資源は未開の地。何かあるかも。

ヨーロッパはある程度の金を使いゆったりとした時間を過ごさないと楽しめない所が多いので、仮に私がそのような旅をしていれば評価も変わっていると思う。
上表の1.ポーランド、4.ブルガリア、6.マケドニア、11.アルバニアは私好みの国になった。今のところ、もう1度行ってみたいと思う国は1~6と11のみ。

<旅の予算>

今回の予算は航空券代やビザ代など全て含めて30万円だったが、日本国内の移動費を除けばほぼ予算内に収まる。ヨーロッパ内では1日平均5千円が目標だったが、結果は約6千円/日。バカ高の北欧とギリシャ及びビザ代のかかったベラルーシを除いてやっと5千円/日。宿はドミでなくほとんどシングルなので食費を切り詰めての結果。

<ガイドブック>

予算を切り詰めて急ぎ旅するためにはガイドブックが必須。全ての訪問予定の国に関しての最も詳細な「地球の歩き方」と「Lonely Planet」を持参するのが理想なのだが、出発前は極限まで荷物を軽くしようとしてガイドブックを減らすのでいつも後悔している。今回持参したのは以下の通りで、歩き方は必要なページのみを切り離し、ロンプラはPDF版で地図のみ紙だったので、全体の紙の厚さはガイドブック1冊分にもなっていない。

  • 地球の歩き方 中欧(09-10) ポーランド、ルーマニア、ブルガリア、マケドニア、アルバニア
  • 地球の歩き方 ロシア(06-07) ベラルーシ、ウクライナ、モルドバ
  • Lonely Planet PDF版 ストックホルム、ヘルシンキ、リトアニア、ベラルーシ、マケドニア、アルバニア、ギリシャ(北、中央、アテネ)
  • エストニアとラトビアはJTBパンフレット(JTBを利用してないのに申し訳ない、役に立ちました)

モルドバは4ページしかなく、国境ポイントなどがわからず情報不足だった。Lonely Planet PDF版は最新版の必要な章だけダウンロードで購入でき便利なので、前回のアフリカ旅行から一部利用している。今回は地図以外のページはプリントアウトしていないので、私の小さなPC画面(4.5インチ)で内容を読むのは困難極まりなかった。

<参考図書>

A25 地球の歩き方 中欧 2009~2010=>最新版 2019~2020
地球の歩き方 ガイドブック A31 ロシア 2006~2007=>最新版 2018~2019

[タイ]バンコク<番外>

<ワット・ベンチャマボペット内>

空港で入手した無料地図を頼りに市内観光に出かける。何度も訪れているバンコクだが、いつも寺を2つ3つ見ると飽きてしまうので巨大寝釈迦像をまだ見たことがない。場所も寺院の名もわからず目指した結果、3つ目にその寺院に辿り着き、王宮のすぐ隣のワット・ポーだということを知る。(ワット・ポーは訪れたことがあるが寝釈迦像を見逃していたようだ)

ひと月のヨーロッパの後なので華美を極める仏教寺院は新鮮であり、昔は嫌いだったタイの仏像も気高いお顔に見えてくる。どの寺院にも地元の信者が大勢訪れ、欧米の旅行者たちが無神経にフラッシュを焚くのも気にせず熱心に祈りを捧げている。
大陸や宗教が違えど人々の祈りの姿は変わらず、その崇高なる空気に心洗われる。

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