タグ別アーカイブ:国境越え ( 31件の日記 、ページ 2/4 )

[ブルガリア/マケドニア間国境]Deve Bair

バスが来なかったためタクシーをシェアして歩いて国境を越えることに。

<リラからスコーピエまでの国境越え詳細>
  • ブルガリアからマケドニアへの移動はソフィア(София)からスコーピエ(Скопје)までの国際バスが正道だと承知していたが、外国人旅行者が多く国境通過に時間がかかる国際バスはできれば避けたく、ソフィアまで戻るのも大変(昨日のうちに戻れば良かったが宿が高そうなのでやめた)なので、リラからマケドニア入国を目指すことにした。しかし、ネットやガイドブックによると公共交通機関はなさそう。
  • リラ村のツーリストインフォメーションで尋ねると、Blagoevgrad(ブラゴエヴグラト)に行けばマケドニア行きのバスが出ていると即答。Blagoevgrad(Благоевград)からマケドニアへ向かう道が伸びているがその国境(グーグルマップでリラからオフリドへのルート検索をすると抜けている国境)はガイドブックでは通れないことになっている。Kyustendil(キュステンディル)を経由しないといけないのではとインフォメーションの若い女性に確認すると、そのルートは大分遠回りになる、どの街行きがあるかは定かでないがマケドニア行きバスは絶対にあると相当自信を持って答えていた。半信半疑だったがダメでもリカバリーがきくと思いBlagoevgradに向かった。が、やはり誤っていた。(カンボジアでシエムリアプのツーリストインフォメーションのおやじに似たように国境に関する誤情報を伝えられ酷い目にあったことがある<こちらを参照>が、海外のツーリストインフォメーションではその街以外の情報はあてにしない方が良いかも)
  • リラ村からBlagoevgradまでバスで40分1.7Lv。Blagoevgradのバスターミナルでマケドニアに行くためにはKyustendilに行かなければならないと言われ、Kyustendilへ直行するバスがたまたますぐにあり乗車、1時間10分4.5Lv。(リラからKyustendilまではバスの本数が少なくなるかもしれないがDupnica経由の方が近い)<後日記>区間で()を押しルートをマウスで動かしてみると10km強短縮されるだけなのでリラからバスがすぐ出る方を選択すれば良さそう。
  • Kyustendilのバスターミナルでスコーピエ行きのバスが11:30に出ることを知る。土曜日で専用窓口が閉まっていたが、待ち客が言うにはスコーピエまで15ユーロか28Lv。ところが、12時近くになってソフィアからのバスが、ここの専用窓口が閉まっているためターミナルに寄らず通過してしまったことが判明。
  • スコーピエまで行こうとしていた他の2人の客と国境までタクシーをシェアして移動。1台10ユーロ、20分。
  • 国境は歩いて越えることになるが、これを望んでいたので結果的に良かった。ブルガリア出入国審査場では質問なし、荷物検査なくあっさり通過。ほとんど隣接しているマケドニア側では2、3の質問のみで荷物検査もなく通過。
  • マケドニアのイミグレーションを出たところにはバスもタクシーもなし。カフェ1件と無料トイレがあるのみ。
  • 国境までのタクシー同乗者の1人がタクシードライバーの息子を迎えに呼んだというので、私の分として8.5ユーロ(500DEN)を支払ってスコーピエまで乗せてもらうことになる。国境のカフェで息子のタクシーが来るのを2時間待っていたがバスらしき乗り物はどちらの方向にも通過せず。
  • バスがあったのに来ないという不幸があったが、交通機関がない場合、最悪20km前後の歩きを覚悟していたのでラッキーだった。ヒッチハイクをせずに国境を歩いて通過するためには、Kystendilから国境まで(20km以上)タクシー10ユーロか、国境近くの村までバスで行き国境まで数km歩く。国境からマケドニア側の町Kriva Palankaまで(10km以上)は歩くか国境のカフェでタクシーを呼んでもらい移動して、Krivaからバス(あまり本数がなさそう)でスコーピエに向かうことになる。(現地での情報から想定される越境方法で経験者の情報ではないので注意)

[ルーマニア]ブカレスト

<ルーマニア旧共産党本部前>

昔、小パリと呼ばれた美しい街並は、共産党政権によりほとんど破壊されてしまったそうだ。

そして、今は観光客が見るべきものがほとんどない首都になってしまった。今回立ち寄った首都の中では、キシナウ(モルドバ)、ヘルシンキに次いでつまらない。

国立農村博物館はルーマニア各地から農家や教会などを移設させた野外博物館だが、昔の生活風景を再現した建物内部を見学できるのがなかなか良かった。他は教会で静かな祈りの世界に浸るぐらいしか楽しむことはできなかった。

[バスの車内刻印(信用乗車)シリーズ3/3]
≫続きを表示

ブカレストはホステルをネット予約していたので、案内通りにバスで宿に向かうことにする。ブカレスト駅前で指示された番号のバスが、なぜか3車線の道路の真ん中の車線に停まるのを見つけ急いで駆け寄ったが、方向が正しいかどうかわからない。乗り込む前に運転手に尋ねようとしたが、入り口のドアと運転席がガラス板で遮られている。バルト3国で見かけたように運転席後方に小さな窓があるのかと思ったが何もなく、運転席は客室から完全に隔離され乗客と運転手の会話も許されない。まるで電車のようなしくみだ。

しばらく唖然とした後、路線図でもないのかと探そうとしたが、その前に乗車券の刻印をしなければならない。これまで2度も検札官から摘発されているのだから。
乗車券を機械の隙間に差し込もうとしたが入りそうもない。それはプリペイドカードか何かのための機械のようだった。近くにいた男性がこっちだと古い小型の機器を指差したので、そこに乗車券を差し込んだがジジッという印字が行われない。何度も入れたり抜いたりしていると、少し離れたところに座っていた女性が、それは手で叩いて穴を開けるものだと教えてくれた。

機械の横から手でパンと叩くと乗車券に穴が3つ開けられた。教えられなければ刻印方法が全く想像できない、今まで経験した中で最も原始的な刻印機(チケットキャンセラー)だった。刻印(自己改札)に慣れていない日本人旅行者が荷物を抱えたまま、国や町毎に異なる刻印機に対応するというのは非常に難儀なことで、そのことに気を取られ過ぎていろいろ失敗もしてしまうだろう。私は3年前のソフィアで刻印に気を取られているスキに財布を盗られているのだ。

驚いたことに近くで古い刻印機の場所を教えた男は、実は検札官で、私がやっと刻印するのを黙って見届けると検札を開始した。

あんた、ついさっき言ったばかりでしょ、検札官は外国人旅行者に対しては取り締まるのではなく正しいルールを教えてやるべきだって。私が刻印できずに苦労していた時、何をボケっと近くで見ていたんだ。

検札官は検札前に刻印を促したり手伝いをしてはいけないというルールがあるのではと想像されるが、それは外国人旅行者に対しては間違いではないのか。そもそもここは国際列車が到着するブカレスト駅から最初の区間である。バルト3国や旧ソの国々では車掌や運転手からチケットを買えるバスが多かったので、同様に考えて乗り込んでしまった旅行者は完全に不正乗車として摘発されてしまう。私は何度も嫌な思いをしてきたので、まず刻印せねばと身体が反応したが、罰金着服のため検札詐欺すらあるというブカレストでは、私がチケットを持ったまま刻印せずバスのルート地図を探していただけで摘発された可能性が高い。
ヨーロッパのバスは恐ろしい。

日本のバスのように乗降時に料金を支払うのではなく刻印システム(信用乗車方式)を取っているのは、混雑したバスではどのドアからも自由に乗降できるというメリットがあるが、(勝手に推測すると)運転手による収受料金の着服防止と運転手に対する犯罪防止の意味あいが大きいのではないか。ヨーロッパ人のように刻印システムが習慣として身についていない外国人旅行者が、そんな理由で苦労させらるのはたまったもんではない。

刻印システムを廃止できないのであれば、せめて検札時にパスポートを提示してEU域外の旅行者と判断されれば警告のみ(あるいは罰金額を日本なみの料金の3倍)にするとかで、ヨーロッパ全体で改めてもらいたいものだ。

それが行われず日本人旅行者が刻印し忘れだけで高額の罰金を科せられるようであれば、日本政府は報復措置を考えるべきだ。成田空港から都心へ向かう列車をお座敷列車にして、靴を脱がずに上がり込んでしまったヨーロッパ人からは有無を言わさず罰金として料金の30倍を徴収する、というのはどうだろう。
≫≫信用乗車シリーズ2へ戻る

<ブカレストからソフィアまで列車による国境越えメモ>

ブカレストから夜行列車でソフィアに向かったのだが、ルーマニアもブルガリアもEUに加盟しているので出入国審査はなくゆっくり眠れると思っていたら大きな誤りだった。両国とも係官が車内を回るという方式で審査が行われる。
(後日談:帰国後確認すると出入国審査を廃止するためにはシェンゲン協定に参加して実施している必要があり、ルーマニア、ブルガリア共に調印済だが施行日未定。ということがわかったので、当サイトの世界の国々にシェンゲン協定実施25ヶ国を登録しました。検索窓に"sch"と入力すると検索結果が表示されます。)

<ルーマニアめも>
  • 一般の人で英語が通じる人は少ない。日本程度か。英単語会話ならバス停の切符売りおばちゃんやワルそうな顔つきの兄ちゃんができたりして驚くこともある。
  • ルーマニア語で道を尋ねられたことが何度かあり、理解できないといっているのに何度もルーマニア語で話しかけてくる人がいることから、ヨーロッパ人にはルーマニア語を知らなくても部分的に通じているようだ。
  • 子供たちの品はあまり良くない。私は日本人としてはごく標準的なありふれた顔をしていると思っているが、あからさまに人の顔を見て笑う少年がいる。おめえらもそんなに変わらない田舎顔だぞ、と言いたい。また、列車内で集団でゲームをして大騒ぎするなど社会的マナーがよろしくない場面が散見される。
  • 路上では周りを気にせずぷかぷかふかす。特に女性の喫煙者が目につく。
  • 駅以外で公共トイレを見つけられない。ブカレスト中心部で探したがなかったため、ケンタッキーに入る。
  • ガイドブックに「ルーマニアの鉄道は正確」とあったが決してそうではない。私の乗った列車は3回続けて30分から1時間遅れた。単線区間が多いので国際特急列車が遅れれば、急行や各駅は上り下りとも影響を受けてしまう。駅名がどこに表示されているのかわかりにくいので、列車が遅れると自分の降りる駅に着いたのかどうかわからず不安になり、コンパートメントを出てそわそわしていないといけない。4回目に乗ったブラショフからブカレストまで4時間半の各駅停車も途中駅で通過待ちの長時間停車が何度もあったので、どうせまた1時間は遅れているだろうとPC入力に集中していた。すると終点ブカレストに定時に着いていて、乗客がみな降りているのにしばらく気づかなかった。私の経験からは、「ルーマニア鉄道は正確に走ることもあるので注意が必要」というのが正しい。

    <参考図書>
    A25 地球の歩き方 中欧 2009~2010=>最新版 2019~2020
  • 今回訪れた観光地を見る限り、期待していたほどルーマニアの観光は楽しめなかった。北トランシルヴァニアやマラムレシュなどのメジャー観光地は、交通の便が悪く車のチャーターが必要なので訪れるのを止めたが、農村風景に触れる以外はそれほど大したことないのではと想像される。(ヨーロッパの観光地という目で見てしまうからつまらなく感じるだけで、ヨーロッパ人旅行者には厚化粧をしない素朴さが受けているのかも)
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

[モルドバ]キシナウ

<キシニョウ大聖堂撮影ポイント/中心部の公園(2枚組)

モルドバは情報収集不足。
国境越えのルートがわからず、大雑把な地図だけでは地名も読み方もわからない。モルドバ全体で4ページだけの「歩き方2006-07」に載っていたホテル4件のうち料金の安い2件が閉鎖されていて安宿もみつけられなかった。

≫続きを表示

安宿を見つけるのが困難だと思い、キエフを夜行で発つ前に駅前のマクドナルドでWiFi接続してホステルの値段や場所を検索、ドミで10ユーロ、シングルで20ユーロからあることがわかった。しかし、場所を確認しようとしたところでブツブツとネットワークが途絶え情報収集できなくなり、現地でなんとかしようと思ったのが敗因だった。
キシニョウ(ルーマニア語発音のキシナウが一般的、他にキシネフ、キシニョフ、キシニョーフ(Кишинёв)の表記あり)にはツーリストオフィスがなく、旅行会社でホテルやプライベートルームの紹介はしないが、「歩き方」に載っていたADRESAというオフィスがアパートの空き部屋を旅行者に斡旋してくれる。そこで扱っている部屋が20ユーロからあるようだが、今日空きのある部屋で1番安いのは30ユーロと言われ街を歩いて部屋を探すことにした。

小さな首都と思っていたキシニョウは意外と大きく、1ブロックの距離があり、地図が読みきれず大分迷う。ネットでホステルの場所を確認して探そうとマクドナルドかネットのできる場所を探していたが、見つけられないうちに2時間以上が経ちタイムアップ(体力を消耗するので安宿探しは2時間までと決めている)。ADRESAで斡旋する30ユーロ(4,000円以上)と高額なアパートの1室にチェックインすることにした。
しかし、この部屋はなかなかグッドで、中心部から歩ける距離で近くにスーパーのある8階建てアパートが集まった団地内にあり、清潔な1DKを1人で利用して久しぶりに熟睡することができた。ただ、団地も室内も日本にあっても不思議でないほど洗練されていて、海外にいると実感できなかった。

後でネット屋やマックは容易に見つけることができる。更に街の中心部にある公園にはベンチの後ろに電源プラグが備えられて、多くの若者がパソコンを操作していた。私も真似してPCを立ち上げるとどこのモノかわからぬWiFiに接続しネットをすることができた。

街はほとんど見るものがなく、これといった特徴も見つけられず、カメラを向けるものがほとんどない。博物館にもろくなものが並べられていないが、係のおばあさんが異様なほどやさしくかわいらしさまであり、キューバの博物館を思い出したのだった。

<参考図書>
地球の歩き方 ガイドブック A31 ロシア 2006~2007=>最新版 2018~2019

<モルドバめも>

  • 言葉がわからずに反応できない私を怒鳴りつけるという、旧ソでよく見るタイプの若い女性が何人かいたが、ここでは彼らは少数の異端派であり、今回訪問した国の中でポーランドを抜き最も人あたりが良い国。(このような温厚な人々に囲まれながら、どのような教育により異端派が誕生するのかを研究する学者がいても良いほど極端だった)
  • 車の運転は荒い。今までの国と同様、信号のない横断歩道で車が停車するのだが、強気で渡り始めれば1台目、2台目がハンドルで避けて通過して3台目がぎりぎり直前で止まるという感じ。
  • トイレはやはり洋式ではなく汚い。博物館のトイレは離れにあり、野犬に吠えられながら向かったがあまりの汚さに辞退した。
  • 今までの国で全てスーパーを利用しているが、初めてレジ袋が無料で貰え、しかも店員が袋に入れてくれる。
  • 英語はウクライナと同程度通じない。しかし、表示はルーマニア語表記(ロシア語などのキリル文字ではない)なのか単語がスペイン語に近いものが多く推定しやすい。英語はダメだけどスペイン語ならという人に何人か会い、やっとロシア語から解放されたと感じた。
  • 列車はせっかくレールがあるから走らせている程度と思ったが、ルーマニアに向かう途中で何本かのローカル列車を見かけた。詳細地図を持って片言のルーマニア語を話せば、(見どころがなくすぐ飽きるかもしれないが)モルドバ国内の列車の旅も楽しそうだ。農地の広がる長閑な丘陵を鑑賞して人の良さを感じる国。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ

<モルドバ/ルーマニア間の列車による国境越え情報>

  • ルーマニアのヤシ(Lasi)行き列車を駅で確認すると、そもそもルーマニア行きの列車は2日に1本偶数日にしか発車しておらず、キシニョウ17:10発ヤシは23:31着でブカレストは翌朝6:46着。ヤシの安宿をネットで検索したが全くみつからなかったので列車を断念。
  • ウクライナのオデッサからのバスが到着した北ターミナルでルーマニア行きのバスを確認すると南ターミナルから発車していて数キロ離れているので109番ミニバスで行くよう教えられる。
  • ルーマニア行きは1時間に1本程度あるようなので市内観光後、南ターミナルへ行くことにする。市内で南ターミナル行きミニバスが見つからずタクシーで35レイ(約300円)が相場と教えられタクシーで向かう。14時頃到着。
  • ターミナルの窓口係によると、ヤシ行きバスの発車時刻、6:30、7:00、7:55、8:30、9:30、10:10、12:00、13:00、18:00、18:30、19:00。本数が多いが、私の着いた14時から遅くとも発ちたいと思っていた17時までがすっぽり抜けている。他にルーマニアへ向かうバスはブカレスト行きがあり、ヴァスルイ(Vaslui)は経由しないがフシ(Husi)に停まり発車時刻は9:00、10:00、11:00、17:00、19:00、20:00、21:00、22:00。鉄道駅のないフシからルーマニア内の観光地へ移動することを考えるとブカレストまで行った方が楽だと考え、夜行列車でブカレストへ行くことを決断する。(以上、親切なおばちゃんがわざわざ時間を紙に書いてくれたので転載)
  • 列車がキシニョウを出発して1時間50分ほどでモルドバ側出国審査の駅に着く。出国審査、税関検査に実際どれだけの時間を必要としているのかわからないが、最初手ぶらで現れ質問とパスポートチェックした係官が1時間後に再び現れハンディー端末でパスポートチェック後スタンプを押すという意味不明な行動もあり約2時間停車、その間トイレは施錠で閉鎖。列車なので安心して十分溜めてからトイレに行こうとしていた私は、タイミング悪く1時間半以上車掌に待てを食わされた。
  • 出国審査、税関とも問題なかったが、みんな2言3言の質問で済んでいた税関チェックが私だけ言葉が通じないからと記入項目の多い税関申告書を書かせられる。
  • 数分移動してルーマニア側入国審査の駅へ。車内でパスポート回収方式で特に問題なく済むが1時間20分停車。出入国審査の駅での停車が合わせて3時間30分になる。

[ウクライナ]キエフ

<聖ミハイルの黄金ドーム修道院/ソフィア大聖堂(2枚組)

<ウラジーミル聖堂>

ウクライナは世界遺産のリヴィウ(Львів)で理解したことにして、キエフ(Київ)は遠いのでパスしようとも考えていた。しかし、ここまで予定通りの日程で進んでいるので半ば仕方なく夜行に乗ってやって来たのだが。

驚いたことにキエフはリヴィウと格がまるで違う大観光地だった。豪華に光輝く修道院やお宝豊富な博物館を見ていると、どうしようもなくつまらないリヴィウをパスするのが正解だったと思われる。

キエフはなかなか楽しめたのだが、見るべきものはほとんど教会関連だけ。その中で最も良かったのが、現在、市民の祈りの場所として使われているウラジーミル大聖堂(右写真)。
内部は全て壁画や彫像、金の装飾で埋められているが派手さはなく落ち着いている。
聖体礼儀が行なわれている間、十人ほどの聖歌グループから迫力ある美しいハーモニーが流れる。
人々は一心に祈り堂内の空気は張りつめていた。祈りの力を強く肌に受け、旅をしていると実感する。

上の写真のソフィア大聖堂の黄金と緑を組み合わせた屋根は意外に美しく、聖ミハイルの水色と黄金の組み合わせも青空に映える。この他にも外観がかなり派手な教会施設が多く、個性溢れる姿に感動していたが、だんだんとやりすぎではと感じてきた。ウラジーミル聖堂の外壁が黄色だったり、キエフ大学は外壁全体を朱色に染めたりと、この街の人々は色彩の刺激に麻痺してしまっている。

<ウクライナめも>
  • ホテル以外のトイレの便器はほとんどが洋式でなく和式に近いアラブ式というのか中央アジア方式。全て有料トイレで、数は多く見つけるのに苦労はないが、鍵が閉まらなかったり汚すぎたりで利用しにくい。紙は料金支払時に窓口にある紙を自分で巻き取るかおばさんから50cmぐらいを支給される。私のように5mぐらい必要とする人はトイレットペーパーを持参すべき。
  • 人はほがらか、一部の旧ソ人を除いて問題なし。
  • ベラルーシと異なり、街の造りに旧ソ連らしさがあまり見られない。旧ソを感じるのは、トローリーバスが走っていることと、地下鉄のホームまで伸びる異常に長い高速エスカレーターぐらい。
  • 街の人々はベラルーシの方が垢抜けている。
  • 街の若者や安宿のスタッフも含め基本的に英語が通じない。筆談で意思疎通をはかってくれる窓口係でないと列車の切符を買うのも容易ではない。
  • 英語表記は稀にしかない。
  • 特にリヴィウに於いて、付け鼻で外国人に扮したお笑いタレントよりも鼻が高い人を何人も見かけ、ぶったまげた。
  • ロシア語ができるか、2、3日滞在して表記文字に慣れればウクライナを楽しめそうだが、キエフ以外に満足できる観光スポットがあるのだろうか。
  • ヨーロッパ東の端を南下するのまとめ
<ウクライナ(オデッサ)/モルドバ(キシナウ)間の国境越え情報>
  • 体が丈夫なごく普通の旅行者はキエフあるいはリヴィウから夜行バスでモルドバに入国するのが一般的と思われる。
  • 私は長時間のバス利用を避けたかったのでモルドバに近い黒海沿岸の街オデッサまで夜行列車で移動して、そこから列車での入国を試みたが、現在オデッサ、キシニョウ(キシニョフ、キシナウ)間に列車は走っていないことがオデッサ駅で明らかになる。(ネット上で調べた限り、列車はあるはずだが利用していないという情報しかみつからず、DB BAHN検索でも出てこなかった)こちらの区間ルートはオデッサ経由の陸路ルートと距離、()を押すとオデッサを経由しないルート表示)
  • オデッサ駅から西へ伸びる大通りを2、3分歩くとバスターミナルがある。(私の持っていた3年前の歩き方地図には表示されていなかったので念のためのお知らせ)
    <参考図書>地球の歩き方 ガイドブック A31 ロシア 2006~2007=>最新版 2018~2019
  • バスターミナルにはサインや時刻表らしきものはあるが、キシニョウ(chisinau)のウクライナ文字表示がわからず、切符売り場には長蛇の列ができていて誰に尋ねたらいいのかわからず呆然とする。メインの窓口でなくプラットフォームの小さな窓口が空いたので、キシニョウ?と自信なく尋ねる。すると通じただけでなく、その窓口でチケットが販売され、隣に停まっていた大型バスがキシニョウ行きだとわかる。65グリヴナ(780円)。ウクライナ文字表示はКишинёвで発音は同じ。
  • 1時間ちょっとでウクライナ側出国審査に着く。バスから降りずにパスポートコントロールを受ける方式だが、パスポート回収されるまで暑い車内で1時間待たされる。その間、一瞬トイレに行けるチャンスがあったので念のため済ませておく(その後トイレ休憩があったのはオデッサ出発から4時間半後のタイミングだったので長時間もたない人にとってチャンスはここしかない)。パスポート回収から40分後に出発。
  • 数分バスで移動してモルドバ側入国審査。こちらもバス内審査だが、私だけ降ろされ担当係官上司の簡単な面接を受ける。ついでにトイレをチェックしたがなさそう。しかし、両替所があったのでウクライナ通貨の残りをモルドバ通貨に交換。
  • 8:50オデッサ出発で、15:10着。6時間強のうち出入国審査に要したのは約2時間。バスのルート不明だが明らかに沿ドニエストルは通過していないので、賄賂要求などのトラブルなし。

[ポーランド/ウクライナ間国境]Przemysl

今回の旅で初めて歩いて国境を越える。いろいろと面倒はあるが、国境を越えたと実感でき自力で旅しているような気になれる。

<クラクフからリヴィウまでの国境越え詳細>
  • クラクフからリヴィウ(Львів)に直行する列車は深夜発夜行とクラクフまで夜行で来た列車の早朝発しかない模様。ポーランド側国境の街Przemyśl(プシェムィシル、プシェミシル)まで列車で行き、そこからバスでリヴィウに向かうのが一般的と思われる。(読んでないのでわからないがLonely Planetあたりに記載されているのでは)
  • 8:30クラクフ発12:14Przemysl着のIR(急行?)で移動。35zl、10:30頃クラクフ発で2回乗り換えて行く普通列車は25zl。
  • Przemyslからリヴィウ行きの大型バスが出ているようだが確認できたのは15:30発のみ。
  • Przemysl駅で、駅前バスターミナルがある方の出口で地下通路から地上に出たすぐ左側にミニバスが停まっていて、これが国境へ行くバスとわかる。席が全て埋まらないと発車しないバスだがヨーロッパでは初めての体験。この日は特別に暑かったが車内にクーラーがなく、ウクライナ人は体が大きく彼らの荷物が多かったため、出発までの待ち時間にアフリカなみの圧迫感と息苦しさに襲われる。国境まで2zl、20分。
  • バス停から歩いてすぐの場所にポーランド側出入国審査場。建物内に無料のトイレがあったのでトイレ用小銭を残しておかず使い切れば良かった。と思ったがウクライナ側バスターミナルの有料トイレでポーランド硬貨を受け取ってもらえる。前日から原因不明の下痢なのだ。ポーランドのトイレ代は通常33円、ウクライナは12円。
  • ポーランド出国審査はEU諸国民用とそれ以外の窓口に分かれていたが、EU以外の窓口が空いていたため、ねちねち質問される。
  • ちょっと歩いてウクライナ出入国審査場。ウクライナ入国では審査担当係官が1人しかいなかったが、私の後ろに列がどんどん伸びていくのを気にすることなくねちねちと質問。
  • 出国、入国とも税関チェックなし。
  • 審査場を出て両替店が何件も並ぶ道をまっすぐ進み、最後の店を左に曲がったところがバスターミナルで近い。(航空写真で半画面東に移動して北側にある広場がバスターミナル)
    1時間に1、2本リヴィウ行きがある。16.65グリヴナ(200円)、1時間50分でリヴィウ駅前ターミナルが終点。(国境からリヴィウまでのルート

[ウガンダ/ルワンダ国境]Katuna(Gatuna)

カバレからキガリまでの道は景色の良い峠を越えていく。峠を挟んだウガンダとルワンダで土地利用が変わるのが面白い。

<国境越え詳細(ルワンダのアライバルビザ情報)>
  • カバレから国境の町カツナのイミグレ近くまで(区間)乗り合いカローラが頻繁に出ている模様。約20分で着く。
  • 出国カードを書かせられるが、それ以外はスムーズに出国処理完了。
  • ウガンダのイミグレーション(出入国審査場)からルワンダのイミグレまで歩いてすぐ。
  • ルワンダのイミグレで入国カードに記入してルワンダビザ申請。シングルエントリーのみで60$。写真不要で10分程度で発給。
  • ルワンダ入国時には税関による荷物チェックがあり、ビニール袋持込禁止のため全て没収されるという噂だったが、私は税関チェックをパスしてしまった。(イミグレーションから先に進みミニバス乗り場手前に税関があるが、イミグレの側に停まっていた大型バスに乗ったため)
  • 乗客の税関が済み出発直前の大型バスに乗せてもらい、キガリまで(ルート)約1時間半。KAMPARA COACHのバスだったが、横一列が2+2の4人掛け(通常は2+3)で通路に人もなく快適なバスだった。但し、カンパラ深夜発の夜行バスと思われる。
<ルワンダ基本情報>

[首都]キガリ、 [通貨]ルワンダ・フラン(2008年11月, 1フラン = 約0.17円)
[公用語]英語、フランス語、キニアルワンダ語、 [宗教]キリスト教94%、イスラム教 5%
[入国ビザ] 必要、国境でシングルエントリービザ取得(60ドル)、
[歴史/概要]
17世紀にルワンダ王国建国。1889年にドイツ保護領となるが第一次大戦後はベルギーの信託統治領となる。1962年の独立以前からくすぶっていたフツ族(85%)とツチ族(14%)との争いが、1994年の大統領暗殺をきっかけに大虐殺となり、100日で80万人以上が犠牲となる。その後は二度と悲劇を繰り返さないよう部族という概念を捨て、平和を目指し現在に至る。
コーヒー、茶を主要作物とする農業が盛んで、農林漁業が労働人口の90%を占める。
国土全体が山や丘、湖に覆われ「千の丘の国」と呼ばれる。

[ケニア/ウガンダ国境]Busia

乗り合い車を乗り継いで容易に通過。

<国境越え詳細(ウガンダのアライバルビザ情報)>
  • キスムからブシアまでマタツ(乗り合いワゴン)で3時間。普通に走れば2時間の距離(区間ルート参照)だが途中2回、下車した人数分の客が集まるまで客待ち停車。座席のないスペースにも木箱を置き客を無理矢理座らせ、西アフリカ並みに詰め込みながら、かつ全区間満席状態を維持しようとするのには少しあきれた。
  • ブシアのマタツターミナルからケニアのイミグレーションまで歩いてすぐ。用紙に記入して簡単に出国。
  • ケニアのイミグレーション(出入国審査場)からウガンダのイミグレまで歩いてすぐ。入国カードに記入してパスポートと共に提出するとビザの申請となる。ウガンダのシングルビザ50$、写真不要。数分程度でビザ発給。他に面倒なことなし。
  • 入国手続きの指導をする親切な両替屋がたくさんいる。しかし、100$未満の小額紙幣はレートが1割以上落ちるので、イミグレで両替せず乗り合いバスターミナルで両替したが更にレートが悪かった。
  • ウガンダの出入国審査場から乗り合いミニバスターミナルまで1km程度。自転車タクシーが多数客待ちしていて30円以内で行く。
  • ウガンダ国境の町からカンパラまで乗り合いミニバスで4時間半。(ガイドブック「地球の歩き方」に2時間半とあり、他の所要時間表示が合っていたので信用していたが、この2時間半は誤り。順調にいって4時間。Googleマップのルート検索はカンパラ中心部から10kmほど先のカバカの墓まで)

    <参考図書>地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017
<ウガンダ基本情報>

[首都]カンパラ、 [通貨]ウガンダ・シリング(2008年11月, 1シリング=約0.05円)

[公用語]英語、スワヒリ語、 [宗教]キリスト教60%、伝統宗教30%、イスラム教10%、

[入国ビザ] 必要、国境でシングルエントリービザ取得(50ドル)

[歴史/概要]

16世紀初頭から諸王国が成立、19世紀中頃にブガンダ王国がザンジバルとの交易で繁栄。その後、英、独、仏の権益争いがあるが1890年にイギリスの勢力圏となる。1962年に独立したが度重なるクーデターにより内政、経済は混乱(70年代には大量虐殺で有名なアミン大統領も現れる)、1986年に成立した現ムセべニ政権がほぼ全土を平定。

赤道直下だが東アフリカ高原にあり、平均気温21-25度と暑くない。緑溢れる森にはマウンテンゴリラが生息し、世界で2番目に大きい淡水湖ビクトリア湖からはナイル河が流れ出すなど自然豊かな国土は、かつてイギリスの首相チャーチルから「アフリカの真珠」と讃えられた。

[ブルキナファソ/マリ国境]Thiou-Koro

fada

<マリ国境へ向かう通りを歩く女性たち>

ガイドブックに書いてあった国際大型バスは何年も前からこの区間を走っていないと言われ、ミニバスで移動する。予定通りの時間に発車したので、予定通りの到着を期待していたが甘かった。
ここも両国のイミグレが国境よりかなり離れているため、歩いて国境を越えるのは困難。更にこの国境は人や車の往来が相当少ないため、ヒッチハイクなどで一般車両に乗せてもらうことも難しそう。

<参考図書>Lonely Planet West Africa (6th Edition)=>最新版 West Africa (9th Edition)

≫続きを表示
  • ワイグヤからマリ国境の町コロまで(この区間ルート)は90km。ミニバスのスタッフは何度も所要2時間を強調しているので、かかっても3時間かと思い12時半発(その前は7時半)のミニバスに乗るが、それが大きな失敗の元となる。
  • 国境から21km手前にブルキナファソのイミグレ。20人近い乗客のうち私だけが第3国人。出国審査はほとんど質問もなく簡単に済む。
  • 国境を越え、推定18km地点でマリのイミグレ。テント内で全乗客のIDカードを集めて審査が行なわれる。質問もなく簡単に入国スタンプが押される。
  • ブルキナファソの税関らしき場所で他の乗客の荷物でもめていたようだが、マリ側の税関でも30分以上もめる。私に対する税関チェックは両国ともなし。
  • 結局、コロへの到着は5時間後の17時40分。ほとんどの乗客がその先のモプティ方面に移動する予定だったが、夜間、モプティへ車が進入できないという理由で接続便であるプジョーの運行がなく、翌朝6時発と言われる。乗客のほとんどは、大量の荷物が置かれた乗り合いプジョー待合所(屋根はかかっているがほとんど路上)に持ち歩いているゴザを敷き、分厚いコート類を着て夜を明かしていた。
<マリ基本情報>

[首都]バマコ、 [通貨]CFAフラン(2008年11月, 1CFAフラン=約0.18~0.2円)
[公用語]フランス語、 [宗教]イスラム教90%、伝統的宗教 9%、キリスト教 1%
[入国ビザ] 必要、ニアメでシングルエントリービザ取得(2万CFAフラン)
[歴史/概要]
3世紀ごろからガーナ、マリ、ソンガイといった帝国が栄えていたが、1904年にフランス領スーダンとなり、1960年に独立。その後、軍事独裁政権が続いたが1991年から民主化が進み現在は安定している。
主な産業は綿花やピーナッツなどの農業、畜産、金やウランなどの鉱業など。
ジェンネ、ドゴン、トンブクトゥ、ガオに世界遺産があり、西アフリカ随一の観光国。

[ニジェール/ブルキナファソ国境]Foetchango-Kantchari

両国のイミグレーション(出入国審査場)は国境から離れているため歩いて国境を渡ることは不可。国境を越える国際バスは嫌いなのだが、ここでは国際バスを利用するしかなさそう。

≫国境越え詳細情報
  • ニアメー6時発ワガドゥグ行(ルート)の国際バス(大型)があるが、早起きできずそれをパスしてミニバス乗り場へ。ミニバスターミナルに10時半過ぎに着いたので人が集まらず、炎天下、不安な心もちで2時間以上待つ。
  • ようやく出発したミニバスで1時間半移動するとニジェール側国境の町で休憩。20人のミニバス乗客のうち出国審査が必要なのは私だけで、その休憩ポイントにあったイミグレに一人で行き、特に質問も受けずに出国スタンプが押される。
  • そこから集落のほとんどない道を走り、十数キロで国境を越え、更に十数キロ走行して、ブルキナファソ側のイミグレに着く。
  • ブルキナファソのイミグレでは簡単な質問のみで入国スタンプが押される。その他のチェック、要求なし。実にあっさり。
  • 当初、いつものように国境までの車に乗り、歩いて国境を渡って、別の車に乗り換えて移動するということを考えていたが、ここでは実質無理。
<ブルキナファソ基本情報>

[首都]ワガドゥグ、 [通貨]CFAフラン(2008年11月, 1CFAフラン=約0.18~0.2円)
[公用語]フランス語、 [宗教]伝統的宗教57%、イスラム教31%、キリスト教12%
[入国ビザ] 必要、アクラで5ヶ国共通ビザ取得(3万CFAフラン)
[歴史/概要]
11世紀に成立したワガドゥグー王国が19世紀末まで国家として残るが、1904年に仏領西アフリカ連邦となる。1960年独立後に何度も軍事クーデターを繰り返し、1984年のクーデターで国名がブルキナファソ(「清廉潔白な人の国」の意味)となる。
主要産業は農業で粟、とうもろこし、タロイモ、綿及び牧畜などが中心。
国土のほぼ全体が乾燥したサバナ気候で3~6月が乾季、7~10月が雨季。

[ナイジェリア/ニジェール国境]Jibiya

2国間の国境は4つあり、どのルートを取るか迷ったが、地図上で最短にみえるJibiya国境越えコースで行くことにした。
ナイジェリアで無駄にエネルギーを消耗してしまった。特にこの喉と肺の痛みはしばらく回復しそうもない。
ナイジェリア側の出国は賄賂要求が全くなかったが、しつこくねちねちとどうでも良いことをチェックして時間がかかり、精神的疲労が大きかった。
ニジェールに入り急に乾燥して暑くなった。ナイジェリアでは面白みのない車窓が延々と続いたが、ニジェールの大地は赤茶色に光り、枯れ色の草木とのコントラストが美しく、農作業に励む人々の姿やプリミティブな家屋に目を奪われる。
一列に並んだ4人の女性たちが頭上に大きな荷物を乗せ、強い日差しが照りつける大地の中を美しい姿勢で歩く。鮮やかな衣装が宝石のようにきらめいていた。(乗り合いタクシーから見えた一瞬の光景なので写真なし..だが、似たような光景はこちら

≫国境越え詳細
  • カノから乗り合いタクシーでJibiya(GoogleMaps上の表示はJibia)という国境の町まで2時間30分。(区間ルート参照)
  • Jibiyaへ向かう道の分岐点付近からバイクタクでNigeriaイミグレーションへ。(約2km)
  • イミグレでは税関はなく賄賂要求もないが、2人の男と別々に長い面談が必要。どの町にいつ入った、どこに泊まり誰と知り合ったか、日本では何をしている、会社の住所のEvidenceを出せ、とか合計1時間近く。出国する人間に対して何を恐れているのか。道中の検問も異常な多さだったが、なぜそこまで執念深くチェックする必要があるのだろう。イスラエルを思い出させる。
  • ナイジェリアのイミグレからニジェールのイミグレまで彼らが言うには6km。バイクタクの運ちゃんと金額が折り合わず歩き始めたが、行き倒れてしまいそうな暑さで結局バイクタクシーに乗る。ナイジェリアのJibiya町中からニジェールイミグレまで、そのバイクタクに支払った金額は300ナイラ(約250円)。
    イミグレスタッフの話しによるとJibiyaの町中から、ニジェール側国境を越え30km先にあるマラディまで乗り合いタクシーで200ナイラぐらいとのこと。但し、外国人は出国に時間がかかるので先に出国手続きを済ませてからJibiya町中に戻り、乗り合いタクシーに乗らなければならない。
  • ニジェールの入国はあっさり。賄賂要求、税関チェックなし。
  • ニジェールのイミグレからニジェール側の町中心部まで1km以上ありそう。周辺の住民がみな親切なので特に問題なく乗り合いタクシーに乗り、マラディまで(ナイジェリアイミグレからの区間距離)30分程度。
<ニジェール基本情報>

[首都]ニアメ、 [通貨]CFAフラン(2008年11月, 1CFAフラン=約0.18~0.2円)
[公用語]フランス語、 [宗教]イスラム教75%、他 キリスト教、伝統宗教
[入国ビザ] 必要、アクラで5ヶ国共通ビザ取得(3万CFAフラン)
[歴史/概要]
17~19世紀、砂漠の民トゥアレグやプール族に支配されていたが、20世紀までにフランスが全土を領有、1922年にフランス領西アフリカの一部になる。1960年に共和国として独立後、軍事クーデターなどによる政変が続くが2000年からほぼ安定する。
国土の3分の2を砂漠が占め、中・北部は乾燥気候、南部はステップ地帯の広がるサバナ気候で、首都ニアメの年平均気温は29℃で7月~8月が雨季。
農業、畜産業、鉱業が主産業でウランが世界第3位の埋蔵量を誇る。
中部アガデスを基点として北東部のサハラ砂漠をキャラバンするのが主な観光。