国別アーカイブ:ボスニアヘルツェゴビナ ( 2件の日記 )

[ボスニアヘルツェゴビナ]モスタル

<モスタル旧市街の古い橋の地区/スタリ・モスト(2枚組)

ホテルに空きがなければ次の街に移動しているところだった。

街中にある3つ星ホテルで1室だけ空きがあると言われる。24ユーロ、安い。今までの疲れをここで回復していこうか。いや、バスの発車まであと1時間、その程度で観光できる小さな街ではないのか。
部屋を取るかどうか保留したままホテルを出てきたが、近くの橋を渡る時、川の色に驚いた。それは見たこともない濃い緑色。そして、川の向こうには街を囲む険しい山が輝いていた。すぐにホテルに戻りチェックインした。

ヘルツェゴビナの中心都市であるモスタールは、内戦時に街のシンボルである橋も含めて多くの建築物が破壊されている。ローマ遺跡のように壁だけが残された大きな建築物がところどころにある。サラエボと同様、教会とモスクが共存している。
顔つきが良くないため無愛想に見えるが、こちらの人々の対応は妙に柔らかい。バスが新しく磨かれていて、日本国民からの贈り物という表示と共に日の丸がペイントされたバスもみかける。食べ物は肉と野菜が豊富で安い。

半日、ゆっくり歩いていれば幸せな気分になれる。

[ボスニアヘルツェゴビナ]サラエボ

また、プライベートルームの世話になることになったが、ルームがプライベートではなくなった。ただ、単に民家に泊まらせてもらうだけで、プライバシーは全く守られない。

朝6時すぎに列車が終点サラエボに着いたようだが、予想以上に小さな駅だったので確認していると私はほとんど最後の降車客になってしまった。列車に乗り込んできた客引きの元気なばあさんが私を捕まえた。
駅の周りは閑散として、一見してホテルがないことがわかったのでこのばあさんについて行くことにした。

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サラエボはソフィアなみに危険な街のようだ。このばあさんが一緒に乗ったトラム内で、ジプシーがポケットを狙っている、バッグを体の横にかけるなとうるさい。
トラムで移動後、街の中心から10分ぐらい急な坂道を上ったところに彼女の家がある。居間兼台所とその奥にベッドルームがあるだけ。6畳程度のそのベッドルームが私に与えられるようだが、鍵がかかるわけではないし、トイレに行くためには彼女が寝るという居間を通る必要がある。プライバシーに問題あるがばあさんだから大丈夫だろう。1泊10ユーロと安く、夜行による到着で動くのが面倒だったのでそこで荷をほどくことにした。

前の晩そこに宿泊していた韓国人旅行者が起こされ、一緒に朝食をとる。夕方まで部屋にいることを望んでいた韓国人は強引に追い出された。
街を散策すると内戦の銃痕や廃墟となった建物が見られ、物乞いが多い気がするが、人々の表情は明るい。
部屋に戻ると昼食も作ってもらい、ばあさんと2人だけで食べることになる。彼女はソファで私の横に座り、夕食も一緒に食べるから外で食べないようにと念を押す。そして、短めのスカートから伸びた足を組んで、ねえ私いくつにみえると尋ねてくる。ばあさんが何でそんなことを訊くのだろう。背骨の曲がりぐあいと顔や手の皺の多さから65歳ぐらいかと思ったが、一応女性なので10歳サバ読んで55歳と答える。
『えー何言ってんのー、冗談言わないでよー。45歳よー』
私は思わず口に入れたパンを吹き出しそうになった。えーはこっちのセリフだ。45だなんてそんな訳ないだろう。彼女が証拠として取り出したパスポートを確認すると、恐ろしいことに本当のようだ。んー、そういう目でみれば45に見えなくもないが、そうするとこのプライバシーのないプライベートルームはいくぶん危険ではないだろうか。

いくぶんどころか夜はかなり危険だった。大事にはいたらずに済んだが。(思い出したくないので詳細割愛)
もうプライベートルームはこりごりだ。