国別アーカイブ:ブルキナファソ ( 4件の日記 )

[ブルキナファソ/マリ国境]Thiou-Koro

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<マリ国境へ向かう通りを歩く女性たち>

ガイドブックに書いてあった国際大型バスは何年も前からこの区間を走っていないと言われ、ミニバスで移動する。予定通りの時間に発車したので、予定通りの到着を期待していたが甘かった。
ここも両国のイミグレが国境よりかなり離れているため、歩いて国境を越えるのは困難。更にこの国境は人や車の往来が相当少ないため、ヒッチハイクなどで一般車両に乗せてもらうことも難しそう。

<参考図書>Lonely Planet West Africa (6th Edition)=>最新版 West Africa (9th Edition)

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  • ワイグヤからマリ国境の町コロまで(この区間ルート)は90km。ミニバスのスタッフは何度も所要2時間を強調しているので、かかっても3時間かと思い12時半発(その前は7時半)のミニバスに乗るが、それが大きな失敗の元となる。
  • 国境から21km手前にブルキナファソのイミグレ。20人近い乗客のうち私だけが第3国人。出国審査はほとんど質問もなく簡単に済む。
  • 国境を越え、推定18km地点でマリのイミグレ。テント内で全乗客のIDカードを集めて審査が行なわれる。質問もなく簡単に入国スタンプが押される。
  • ブルキナファソの税関らしき場所で他の乗客の荷物でもめていたようだが、マリ側の税関でも30分以上もめる。私に対する税関チェックは両国ともなし。
  • 結局、コロへの到着は5時間後の17時40分。ほとんどの乗客がその先のモプティ方面に移動する予定だったが、夜間、モプティへ車が進入できないという理由で接続便であるプジョーの運行がなく、翌朝6時発と言われる。乗客のほとんどは、大量の荷物が置かれた乗り合いプジョー待合所(屋根はかかっているがほとんど路上)に持ち歩いているゴザを敷き、分厚いコート類を着て夜を明かしていた。
<マリ基本情報>

[首都]バマコ、 [通貨]CFAフラン(2008年11月, 1CFAフラン=約0.18~0.2円)
[公用語]フランス語、 [宗教]イスラム教90%、伝統的宗教 9%、キリスト教 1%
[入国ビザ] 必要、ニアメでシングルエントリービザ取得(2万CFAフラン)
[歴史/概要]
3世紀ごろからガーナ、マリ、ソンガイといった帝国が栄えていたが、1904年にフランス領スーダンとなり、1960年に独立。その後、軍事独裁政権が続いたが1991年から民主化が進み現在は安定している。
主な産業は綿花やピーナッツなどの農業、畜産、金やウランなどの鉱業など。
ジェンネ、ドゴン、トンブクトゥ、ガオに世界遺産があり、西アフリカ随一の観光国。

[ブルキナファソ]ワイグヤ

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<ワイグヤの名称不詳モスク前(写真加工により電線一部消去)

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<ナバカンゴの家 ( Maison du Naba Kango ) 航空写真

移動で熱を出して寝込み、翌朝少しだけ回復した体を気遣い短かい距離で刻んでいるのだが、想定外の長時間移動となってしまい、また寝込む。

観光する時間もなく写真を撮る気力すらないまま、ファダ、ワガドゥグを通り過ぎていた。このままではブルキナファソの写真がなくなってしまうと思い、次の移動のバス出発時間を遅らせ、アスピリンが効いて動けるようになった体で小さな町ワイグヤ(ワヒグヤ)を歩き回る。

小さな市場があり、ささやかながら観光スポットも楽しめ、子供たちと触れ合うこともできた。これぞマイナースポットという感じの町だった。

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ouaiguia

ニジェールから中耳炎が原因と思われる偏頭痛がずっと続いていたが、昨晩、それが左側顔面全体に広がり、ベッドに横になっていても耐えられなくなった。普段、薬を飲まない私は持参した頭痛薬が2錠しかなくすぐになくなっていたので薬局でアスピリンを購入。2錠服用すべきところ1錠しか飲んでいないのだが信じられないほどの効きめがある。

食欲がでてきたので食べ物を探したがまともなレストランがほとんどない。やっとみつけたレストランだったが、黒板に書かれたメニューを注文するとそれもないこれもないばかり。あるものは卵とライスとパン、それからライスにかけるスープ(タレ?)だけ(右写真)。栄養を摂りたかったのだが、腹を少し膨らませただけだった。

<ブルキナファソめも>
  • 自転車大国なのか1人に1台と思われるほど自転車が多い。
  • 自転車とともにバイクも多い。首都ワガドゥグでは久しぶりに排ガスを吸わされ、肺炎か気管支炎の症状悪化。
  • ミニバスの屋根にバイクや自転車を積み上げるので上げ下げに時間がかかる。
  • 道がいいのに車の運転はニジェールなみにトロい。ミニバスは客待ち時間が長く、集落で頻繁に停車してかなりイラつく。このトロトロトロキナファソ、と心の中で叫んでいた。本数が少ないが、大型バスの方が断然良い。
  • 大型/中型バスは定時発車。ミニバスも一部、定時発車があり驚き。
  • 泊まった宿3つのうち、一つはまあまあ、ガイドブックに載っていなかった2つの宿は驚くほどきれい。
  • ここもペットボトルの水がなく、ついにビニール袋詰めの水に手を出す。500mlで10円。ただの四角い袋に水が入っているので、角を1ヶ所、口で破り吸い込むように水を飲む。口をつけるところが問題なだけで、中身は大丈夫そう。
  • ニジェールと比べて顔の造りはぐっと落ちる。顔が横に広がり目鼻が崩れる。
  • 車窓に広がる自然は水があることにより、ニジェールより美しいかもと思わせるシーンがいくつか見られた。ホテルが清潔で道も整備されているのでチャーター車で回れば楽そう。ボボデュラソなどの観光地に行っていないので評価できないのだが、ニジェールやマリのついでに旅するかどうかという程度だと思う。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[ブルキナファソ]ファダ・ングルマ

いまひとつイメージできなかったブルキナファソだが、道はニジェールより良くなり、ニジェールに似た幻想的な農村風景が車窓に広がる。ニジェールほどは乾燥していないのか緑が増え、小さな湖のような水を湛えた景色が見られるようになった。
今日は首都ワガドゥグまで行く元気がなかったので、国境と首都(区間)の中間地点(区間)にある通称ファダで降りる。

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fadangruma

暑さと決して楽ではないミニバスでの移動により、また熱がでてきたのではないかというほど体調が悪くなった。しかし、バスを降りる場所を間違えたことによりたまたまみつけた宿(1,400円)が新しく快適だった。
1km離れた町の中心まで宿のスタッフがバイクで連れて行ってくれ、最も洗練されたレストランを紹介してくれる。外国人旅行者などいそうもない町だが、私でも食べられ栄養が十分ありそうな料理(右写真)が運ばれてきた。今回の旅で食べた庶民向け食堂の料理で最も豪華だった。

ブルキナファソ、なかなかいいんじゃないの。

[ニジェール/ブルキナファソ国境]Foetchango-Kantchari

両国のイミグレーション(出入国審査場)は国境から離れているため歩いて国境を渡ることは不可。国境を越える国際バスは嫌いなのだが、ここでは国際バスを利用するしかなさそう。

≫国境越え詳細情報
  • ニアメー6時発ワガドゥグ行(ルート)の国際バス(大型)があるが、早起きできずそれをパスしてミニバス乗り場へ。ミニバスターミナルに10時半過ぎに着いたので人が集まらず、炎天下、不安な心もちで2時間以上待つ。
  • ようやく出発したミニバスで1時間半移動するとニジェール側国境の町で休憩。20人のミニバス乗客のうち出国審査が必要なのは私だけで、その休憩ポイントにあったイミグレに一人で行き、特に質問も受けずに出国スタンプが押される。
  • そこから集落のほとんどない道を走り、十数キロで国境を越え、更に十数キロ走行して、ブルキナファソ側のイミグレに着く。
  • ブルキナファソのイミグレでは簡単な質問のみで入国スタンプが押される。その他のチェック、要求なし。実にあっさり。
  • 当初、いつものように国境までの車に乗り、歩いて国境を渡って、別の車に乗り換えて移動するということを考えていたが、ここでは実質無理。
<ブルキナファソ基本情報>

[首都]ワガドゥグ、 [通貨]CFAフラン(2008年11月, 1CFAフラン=約0.18~0.2円)
[公用語]フランス語、 [宗教]伝統的宗教57%、イスラム教31%、キリスト教12%
[入国ビザ] 必要、アクラで5ヶ国共通ビザ取得(3万CFAフラン)
[歴史/概要]
11世紀に成立したワガドゥグー王国が19世紀末まで国家として残るが、1904年に仏領西アフリカ連邦となる。1960年独立後に何度も軍事クーデターを繰り返し、1984年のクーデターで国名がブルキナファソ(「清廉潔白な人の国」の意味)となる。
主要産業は農業で粟、とうもろこし、タロイモ、綿及び牧畜などが中心。
国土のほぼ全体が乾燥したサバナ気候で3~6月が乾季、7~10月が雨季。