国別アーカイブ:カンボジア ( 4件の日記 )

[カンボジア]アンロンベン(Anlongveng)

<プレア・ビヒアへの道中の農村/アンロンベン町中の沼航空写真)(2枚組)

アンロンベン(アーロンウェン)からプレア・ビヒア(プリア・ヴィヘア、プレアヴィヒア)までの120km(後日確認したGoogleマップのルート計算では90~110km)をバイクタクシーで走る。とんでもない悪路だった。
道が乾いた区間はモトクロスコースのように大きくうねり、泥濘地帯では深い轍が道全体にできている。これ以上進めそうもない2台のトラック(右写真)を最後に車には出会わなかった。

それでも、道沿いには点々と集落が続き、周辺には美しい自然が広がっていた。

≫続きを表示

そもそもこのルートを通ろうと思ったきっかけは、シエムリアプの観光局でプレアビヒアからタイに抜けられるという情報を得たことだった。また、昨晩入ったレストランでプレアビヒア(プリアヴィヘア)行きのバスがアンロンベンから7時に出るという話を聞いていたため、本日タイに抜けるべく、気合十分で朝6時半にザックを背負い宿を出た。
アーロンウェンはホテルのスタッフも含め英語を話す人が少ない。確かな情報を得るために町中をかなり歩き回ったが、バスも乗り合いトラックも走っていないということがわかる。車のチャーターは金がかかりそうなので、バイクタクシーをチャーターすることにした。

バスでも行ける道という思い込みから120km走破に2時間程度と予想していたが、この悪路はバスどころか四駆車でも途中までしか入れず、ブレアビヒア近くで反対側の道と合流する地点(たぶんSra’aem)まで車は走っていなかった。走っていたのはバイクと自転車と乗り合いトラクター。その道をバイクの後部座席でザックを抱えながらの移動は大変。バイク後席の座り方を心得てなく、サスペンションがほとんど利いていなかったせいもあるが、悪路による振動が尻から腰、そして脳天まで響く。
この苦しみはいつになったら止むのだろうかと思いながらもただ耐えているしかない。もう少しあと少しと言い聞かせ乗車していたのは5時間。プレアビヒア間近でタイヤがパンクして炎天下で1時間待たされるというオマケを含め6時間要した。

<プレア・ヴィヒア寺院/お嬢さん(2枚組)

プレア・ヴィヘアの町で高性能のバイクに乗り換え登山道のような道を登っていくと、タイ国境近くにあるクメール遺跡に到達する。遺跡はイマイチ盛り上がりに欠けていたが、高台にある寺院の断崖からカンボジア平原のプリミティブな農村地帯を望むことができた。一方、タイ側に目を向けると緑の中に美しい舗装道路が延び、カンボジアとは全く別の世界がある。尻の痛みが消えぬ私には天国に続く道のように感じ、もう悪路に苦しむことはないと思っていた。

意気揚々とブレア・ビヒア丘の長い階段を下っていったのだが、カンボジアのイミグレーションで止められてしまう。プレアビヒアは第3国の人間が通過できる国境ではないと言うのだ。ガイドブックに越境可能ポイントとして載っていなかったので多少不安はあったのだが、行けば何とかなると思っていた。無理だと思えることでも、海外では熱意を持って訴えればなんとかなるものだ。
観光局で通れると言われたから来たのだとゴリ押ししようとしたが、制服姿の男たちは首を横に振るだけだった。辛かった5時間の移動を訴え哀願していると、意外なほど紳士的なカンボジア係官がタイのイミグレーションに電話をしてくれる。私に受話器を渡し、タイの係官に直接訴えさせてくれた。しかし、ダメなものは駄目なのだ。そして、ここから一番近いタイとの国境ポイントに行くためにはアーロンウェンに戻るしかないと告げられ、目の前が真っ暗になる。

もう体が限界のような気がしたが、再びバイクをチャーターして悪路を戻ることにした。サスペンションの利きが良さそうなバイクを選んだため、少しは楽になったような気がしていた。
しかし、走り出して間もなく陽が沈む。道に街灯などあるわけなく、集落の家々にも電気が通っていないため、ほとんど灯りがともっていない。暗闇のモトクロスコースを2人乗りで走っているようなものだから、少し速度を上げるとすぐに予期せぬ大穴に車輪を落とし、後席の私は重い荷物を抱えたままジャンプする。
ついには、ぬかるみに車輪を取られバイクが横転。ドライバーは足をついて逃げるが、私は荷物を抱えたままバイクの下敷きに。まあ、ぬかるみだから、痛みはそれほどなかったが、衣服や鞄が泥まみれ。

結局、帰りも全く休憩を取らずに5時間、悪路を走り続けた。今回の往復の移動は、私の経験上、最も苦しみに満ちたものだった。

[カンボジア]シエムリアプ(2)

<ワットの回廊にて/タプロムにて(2枚組)

<シエムリアプの子どもたち(2枚組)

アンコールワットの回廊には、見事な壁画が残されている。ふと旅行者が途絶え、石造りの回廊が静まり返った。その時、壁際を音も立てず走り過ぎる子がいた。薄汚れた衣服がねずみ色の壁に同化しそうだ。私と視線が合うと立ち止まり、大人びた笑みを返した。
回廊の連子窓から差し込む細長い光が彼女を照らす。壁画からでてきたアプサラ(天女)を見ているようだった。(写真上表)

「格好いいね、お兄さん。ねえお兄さん、これ買ってぇ。」
ニコニコしながら話しかけてくるお嬢さん。厭味がなく、屈託ない笑顔から日本語が発せられるとくすぐったくなる。
アンコール・トムで出会った物売りの子は、おでこが広く、目が離れ、鼻がつぶれたこの国の典型的な顔立ち。しかし、写真を見ていると引き込まれてしまう。彼女こそがカンボジア美人なのでは。(写真下表)

≫続きを表示

10年前に寺院を巡っていると、銃を抱えた少年や片足を失った男性が物陰から姿を現し、何度か金を要求されて怖い国だと感じていた。また、子どもたちが大勢群がり、執拗にお金やペンを求め、断ると非常に不快な態度を表していた。
しかし、今は遺跡群の隅々まで警官やスタッフが配置され、危険そうな人物は見かけなくなった。子どもたちの物売りはまだいるが、不遜で攻撃的な態度を取る子には出会わない。

絵葉書などの小さな土産を抱えた子どもたちが、寺院へ行く途中と帰りにつきまとって来るが、すぐに離れてしまう。場所によっては、道路と寺院の間の広場に2本のロープが地面に張られていて、その間でしか物売りをしてはいけないそうだ。ロープが張られていなくても、何らかの目印で活動できる範囲が制限されているらしい。それを知れば、しつこいからと大声を出して物売りを振り払う必要はなくなるだろう。

[カンボジア]シエムリアプ(Siem Reap)

<バイヨン/アンコールワット(2枚組)

<バイヨン/タ・プロム(2枚組)

ワットの次に人気のあるバイヨンは、全体のバランスが悪く、表面が崩れて肌荒れ状態のため、写真うつりが良くない。しかし、強い日差しに耐えてきた姿を間近で見ると迫力があり、信仰の力強さと歴史の重みが感じられる。
アンコールワット、バイヨン、タプロムの3つは、やはり世界レベルでみても超一級の観光スポットだ。

シエムリアプ(あるいはシェムリアップ)は10年前と比べ、驚くほど洗練されている。他のカンボジアの街と異なり、ここでのレストランの食事はタイなみに清潔で美味しい。

街中にもう少し魅力的なエリアがあれば、何日でも滞在したくなるような快適な街だ。

[カンボジア]バッタンバン

<トンレサップ湖の水上生活(2枚組)

タイから陸路でカンボジアに入ると世界が変わる。国境の町の道路はほとんどが未舗装で、裏道に入ると終戦直後かと思われるほどの激しい凹凸が続く。
バッタンバンからシエムリアプまでの船旅は川岸沿いや水上で生活する人々の姿が見られ、青い水の眩しさが印象的だった。

≫続きを表示

列車でタイ国境の町アランヤプラテートに昨晩入り、国境を朝越えた。
イミグレーションに近づくとタイにいる間からカンボジア人と思しき怪しい人間が現れ始める。強い日差しを避けるため、私に傘を差し出す小さな子供たちもいた。10年前にアンコールを訪れた時、傘を差して数分歩くと1ドルを要求していた子供たちを思い出す。
カンボジアに入りしつこい客引きを追い払い、一般庶民が利用する乗り合いタクシーをやっと見つけた。

20年落ちぐらいの日本車の小型セダン。後部座席に大人4人と幼児、助手席に大人2人が乗り込むところまではそんなもんかと思っていたが、最後に運転席に大人2人が座ったのには驚いた(右写真)。ギアチェンジはどうやってやるのだ。コラムシフトかハンドル操作者と別の人がシフトさせるのか。圧迫されて身動きできぬ乗車中に大きな疑問を感じていたが、降りる際にこの手の国では珍しいオートマ車だということがわかった。
車が大きな窪地を通る度に唯一可動する首が激しく揺さぶられる。ボクシングでパンチを受けたかのような衝撃だ。鞭打ち症になる人はいないのだろうか。
乗り合いタクシーに関して言えば、カンボジアは私の知っているアフリカをも超えている。

バッタンバンで泊まったホテルは新築で安かった。ダブルベッドでトイレ、シャワー以外にクーラー、テレビ付きで12ドルはかなりのお値打ち。床はぴかぴか光っていて虫の気配も感じない。翌朝出発が早かったので、フランスパンと菓子パンを買い、部屋に備えつけられていたプラスチックケースにしまい、蓋を閉めておいた。
翌朝、ジュースを飲みながらフランスパンをかじる。3分の1ぐらい食べたところでパンを持つ手首がチクチクするのに気づいた。すぐにはわからなかったが、体調1ミリにも満たず、透けるような薄いピンク色をした蟻が何匹も手首を這っているのが見えてきた。やばい、食べ物を狙いに来たのか。手に持ったフランスパンを良く見ると、ほとんど同色の小さな蟻が、既に何匹か這っているではないか。慌ててそいつらを手で払い落とす。しかし、またすぐに何匹か現れる。どういうことだと、寝ぼけ眼を見開き、パンに顔を近づける。フランスパンの内側からピンク色の蟻が出てきているようだ。両手でパンを割ると、両方の切り口から蟻が溢れ出てきた。パン内側の気孔を無数の蟻たちが、自分たちの巣であるかのように歩き回っていたのだ。
ひえ~っっ!!蟻パン食ってしまった!

バッタンバンには、シエムリアプまでの船旅をするために来た。
40人乗りぐらいの小型船がサンケイ川を下り、トンレサップ湖に出てシェムリアップに向かう。地元客が半分ぐらいで、他は私以外、白人旅行者。
景色はなかなか良いのだが、スコールが船内に吹き込んできたかと思うと、耐えられないほどの強い日差しが照りつける。また、水上に植物が顔を出す林を航行する時は、両側から木々の枝がバタバタと船内に入り込み、乗客が打ち付けられる。私は中央寄りの席に移動して、林の中を通る度に頭を低くしていたのだが、何度か太い枝で頭や肩を強打された。初めのうちは、これも一つのアトラクションだという風に白人たちが盛り上がっていたが、そのうち大きな体を小さくしたまま鞭打ちの痛みに黙々と耐えていた。

時期にもよるだろうが、この船旅はかなりタフなアドベンチャーツアーだ。