国別アーカイブ:エジプト ( 5件の日記 )

[エジプト]カイロ(2)

カイロはアラブやアフリカというよりもアジアだ。人や街を見ていて、日本人の感覚からからかけ離れたところがない。多くの人々がマイルドで、言葉が通じなくてもコミュニケーションでき、街も人々の行動も理解しやすい。

走行する車の凶暴性はアジアの都会と比較しても高いものがあるが、車さえよけられればカイロの街歩きは難しくない。
体調は回復したようだ。昨晩、一等車ながら夜行でルクソールからカイロに入り疲れがあるはずだが、広いカイロ市内を自分でも驚くほどの距離を歩き回った。

[エジプト]ルクソール(2)

<カルナック神殿航空写真/スーク近くに住む子(2枚組)

東岸で1日は余裕がある。また自転車を借りようかと思ったが、比較的狭い地域に密集する東岸は歩いて観光することにした。ルクソール神殿見学後、スーク(市場)に入る。ほどよい大きさと混み具合でなかなか良い。買う気がないのに土産屋をひやかしたり、店や通りにカメラを向けたりしていると、一人の女の子が私の側についていた。私が気がついて彼女を見ると軽く微笑むだけで何も話そうとしない。押し売りガイドか何かと思い無視していたが、彼女は私から2、3歩離れたまま黙ってついてくる。そして、私が露店を撮影しようとするとカメラの前を横切ろうとする子供を制止する。また、街角でどちらに進むか考えていると、スークが続く方向を黙って指さしてくれる。私はつい彼女に頼ってしまい、野菜売り場に群がる婦人たちを撮影しても大丈夫かなとしぐさで彼女に尋ねたり、交差点に着くと自分で考えず彼女に行くべき方向を確認する。
通りに店が少なくなってきたので、もうスークが終わりなのかと彼女に尋ねた。
『そう...ねえ私の家に来ない?私の家ここから近いの』
彼女が初めて口を開いた。うーん、何かありそうだけど、控えめなガイドが良かったのでついて行ってみよう。(本来ついて行くべきではない。世界的観光地にはどんなワルが待ち構えているかわからない)

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<長屋風住宅のリビング>

マリー(仮称)という子の家は長屋風住宅街の一画にあった。入り口に近い居間兼ベッドルームに通された。次々と挨拶しながら家族らしき人たちが入ってくる。お茶が出され、カメラを向けると喜んで撮影に応じていた。
幼児と戯れながら楽しんでいると、こわおもての叔父だという男が現れた。そして、マリーの父親はなくなったため収入がなく、彼女と弟が学校の合間に働いているということをたどたどしい英語で訴えてくる。
『どうだあんた。マリーをどう思う。どうだマリー』
『どうだと言われても・・・。マリーはかわいいですが、まだ若すぎるのでは・・・』
てっきりマリーを私の嫁にどうだと言い出すのかと思ってあせっていた。
『そういうことじゃなくて、マリーがかわいそうだと思わないかあんた。金持ちの日本人ならば彼女に100ドルか200ドル寄付してやってくれ』
なんだそういうことか、そうなら早く切り出してくれよ。
今お金持っていないので、私は貧乏な旅行者なので、とかぶつぶつ言いながらもただでは立ち去れぬと思い、お茶代としては多額の10ポンド(約210円)を出す。近所のおやじに、なんだそれだけか、せめてこの幼児の分もう10ポンド置いていけ、と脅されながら長屋を後にした。
マリーがにこにこしながら、前と同じように私の後をついてくる。カルナック神殿への道を尋ね、住宅街を抜けて大通りに出たところで別れた。

ルクソールの遺跡はでかい。なんという大きさなのだ。街中に近いルクソール神殿を外から眺めていても巨大さを痛感したが、少し離れた場所にあるカルナック神殿は更にでかい。何がでかいって、壁が高く、柱が太く、像が巨大で、敷地が広い。このでかさを写真で表現するのは不可能ではないか。(上の表の写真)
カルナック神殿なんて名前も聞いたことなかったぞ。(無知なだけか)
エジプトの遺跡は挌が違いすぎ、他の地域の遺跡がつまらなくなるのでは。

[エジプト]ルクソール(1)

<夜のルクソール神殿/ナイル河夕景(2枚組)

当初、ルクソール観光は1日で済ませる予定だった。ナイル川の西岸半日、東岸半日でちょうど良いはずだ。しかし、予想外の暑さのため2日間に変更した。日中、直射日光下で気温が45度近くまであがる中で自転車による観光はかなり辛いものがあった。特に広い地域を回る西岸地域では、個人旅行者にとっての移動手段としてはタクシー、バイク、自転車ぐらいしかない。入場料でかなり出費がかさむため、せめて移動手段だけでも安く押さえたいと考えてしまう。

それにしても、ルクソールでもこまごまと高額な入場料を徴収される。最悪なのはツタンカーメンの墓、1,450円。カイロからルクソールまで1等車による11時間の1,400円(実際私が乗ったのは2等車900円)よりもルクソールで泊まった3つ星ホテルのシングル1,250円よりも高い。これだけ金を取るのだから相当のものだろうと期待していたが、2、3分見れば済む陳腐なものだった。他の墓を含めて撮影禁止のため記録に残せず、今後の旅行者にこんなつまらないところだったと伝えられない。
せっかくここまで来たのだから、あまりにも知名度が高いからと異常な金額と思いながらも払ってしまう。エジプト観光局のぼったくりだ。
(エジプト政府は旅行者を守るテロ対策費がかさんでいると言い訳しそうだが、テロリストは外国人旅行者の殺傷を狙っているのではなく、エジプト政府の主要な収入源である観光産業に打撃を与えるのが目的だ。年々値上がりしている入場料で観光による収入の割合が高くなり、テロリストにとって旅行者を襲撃する意義が高まるだけだと思うのだが)

<前日>

まだ体が本調子でないが、菌が抜けきったようなのであとは時間の問題だろう、ということで今日は1日列車に乗ることにした。

朝7時半に出発して9時間はトイレにも行かずじっとしていた。誰かの足が臭う。新聞紙がちらかっている。それ以外には不満がないがやけに疲れる。
エジプト人旅行者たちはまるで夜行列車に乗っているかのようによく眠る。いびきをかき続けている人もいる。みんな15時間はかかるというアスワンまで向かうのだろうか。隣に座る無職32歳がやっと目を覚まし、途中駅で買ってきたパンをごちそうされる。レーズン入りの細い棒状の固いパンにゴマがふってある。空腹だったせいもあるが、これがすこぶるうまい。
砂漠地帯ならではの赤い夕陽が美しい。ああ、もう陽が沈んでしまう。ルクソールは遠い。

結局、夜6時半にルクソール到着。2等車のシートで11時間は体中が痛い。日本円換算で1,400円と五百円高いだけの1等車にすべきだった。

[エジプト]ギザ

<ツーリストポリスとラクダ使い/見上げるピラミッド(2枚組)

結局2日間で日本なみの大きさはあるトイレットペーパーを4巻使った。まだ治まったわけではないが大分長持ちするようになったので、ゆっくりと体を動かしながら地下鉄とバスでギザに向かう。

ギザのピラミッドは遺跡というより山だ。テレビから想像していたものよりずいぶんと大きく、そして傾斜が急に感じた。今回、チュニジアとエジプトのみガイドブック(ともに6年前のものであるが)を持ってきていた。しかし、病み上がりのボケで肝心のギザのページをホテルに置いてきてしまった。どこに何があり、何を見るべきかがツーリストオフィスのパンフレットでは全くわからない。
35度以上の気温でふらふらしてきたのである程度だまされるのは承知のうえ馬車に乗ったが、評判通り最悪な対応で不快極まりない。せっかく見直したギザだったが印象が悪くなった。

ぼったくりと思われる高額な入場料を取り異常な数のツーリストポリスを配置しながら、個人旅行者にろくなガイドをせず、馬車やらくだで不当な商売をする輩を放置する、エジプト観光局に、かぁあーっつ(活)!!

[エジプト]カイロ

歩きすぎたか、あるいは安全そうにみえたチュニジアで現地の食事を食べ過ぎたか。カイロのホテルで朝起きると下腹が鉛のように重い。
上半身を起こすと痛みを伴いトイレに駆け込む。しばらく休んだ方が良さそうだ。より上質なホテルに移動する。
考えてみれば旅行に出て数日後に体調が悪くなるのはいつものことだ。ただ、いつもは気合いを入れて旅を強引に続けて帰国後に熱を出すパターンが多いが、今回は旅の期間が長いのでそれほど気を張りつめていない。午後2時に深い眠りから目を覚ましたが、瞼が重く目を開けていられない。結局、ホテルの移動以外に外に出たのは、水の買い出し1度だけだった。

ホテル近くの路地をミネラルウォーターを探してフラフラ歩いていると、私の左後ろから顔をちらっと見せる子どもがいた。その子は私の背後をジャンプするようにスキップして、今度は右手に回り込みニコッと笑う。
はにかむように「ハロー」と声をかけてきたのは青い制服を着たお嬢さんだった。私は屈み込んで彼女の視線に合わせ、ハローと言いながら自分の顔の近くで手をパッパッと広げた。かわいいねという私なりの表現だ。
彼女はニコニコと笑みを返すとスキップしながら母親のいる店の奥に消えていった。暗がりの店内を覗くと、大きな瞳と白い歯を輝かせながらずっとこちらを見つめていた。
この無垢な子どもと一瞬触れ合えただけで、今の私には満ち足りた1日となった。

<翌日>

目は開くようになったが、腹の調子は悪化したようだ。24時間絶食しても治らない場合は水以外の食べ物も口に入れ、排出を促進しながら菌を体外に出す作戦に切り替える。

この日は15時ごろから考古学博物館にでかける。陳列のされ方は、ガイドでもいないと非常にわかりづらいものになっているが、展示品の量、大きさ、質の高さは半端ではない。今まで見てきたアジアや南米などの博物館はいったい何だったんだろう。有名な博物館でもここの10分の1もないような気がする。

恐れ入った、エジプト文明。