国別アーカイブ:ジョージア(グルジア) ( 5件の日記 )

[ジョージア]クタイシ

雨の中訪れた世界遺産の大聖堂(バグラティ大聖堂の航空写真)や修道院はどちらもそれほどのものでなかった。さらにジョージア(グルジア)第2の都市でありながら、街中にまとまなホテルがひとつもないとは何たることだ、と文句を言いたいところだが、美しい女性に出会えたことで思い出深い街となった。

難民(どこからかは不明)が多く滞在するが泊まれるとガイドブックに記載されたクタイシホテルを探し当てるが、既にホテルの機能を失っていた。しかし、そこの住民らしき若い女性に英語で話かけられ、彼女は抱えていた赤ん坊を居合わせた別の住民に預けると、近くにあるというホテルに案内してくれる。薄暗いホテルを出て間近に彼女を見ると、クタイシで一番ではないかと思えるほどのべっぴんなのだ。

彼女が連れて行ってくれたホテルは表に何の表示もなくビルのごく一部の部屋を利用していた。民泊の類かもしれない。人から教えられただけでは到底たどり着くことができない。彼女はホテルに導いてくれただけでなく、女主人の通訳をして、さらに値引き交渉まで真剣に行なってくれる。なぜ、そんなことまで。アルメニアでも何度か驚かされた、過剰とも思える親切をとろけそうな美女から施される。私が表現しきれぬ感謝の意を述べると、別れ際に彼女から握手を求められた。天にも昇る想いだ。

<6月21日(バドゥミ)>

雨が降ったりやんだりで、ところどころ道が水で溢れている。
国境近くの街バトゥミは観光ポイントがないので通過すべき。立ち止まっても黒海が見えるだけ。(バトゥミ港の航空写真

<ジョージア(グルジア)めも>

トビリシ、クタイシで少し身構える地区がある以外は、危険を感じなかった。事前に脅されていなければ、普通に歩いてしまっただろうという程度。
アルメニアほどではないが、概ね人は良い。トビリシ以外には、タクシーの運ちゃんを含めて、観光客から搾取しようと考えている人もなさそうだ。
その代わり、町によってはまともなホテルや交通機関が少ないため、観光に不便を感じる場面が多そう。
バスターミナルなどの公衆トイレは汚い。アジア農村、アフリカなみ。見た目も恐ろしいが、一瞬で気絶しそうな強臭を放つトイレも少なくない。個室はオープンが基本。

[ジョージア]ヴァルジア->アハルツィへ

<ヴァルジア洞窟都市(2枚組)

ヴァルジアは修道院を兼ねた岩窟都市の遺跡、ミニ・カッパドキア。
広大な規模を誇るカッパドキアとは比べるべくもないが、奥深い山肌に残された遺跡は十分楽しめる。意外にも地元観光客と思われるグループが数多く訪れていた。

<多民族(トルコ/東欧/露系)国家を象徴する顔だちのお子さまたち>

小高い丘に城塞(航空写真)があるアハルツィヘはこぢんまりとした面白味のない町だが、人は悪くなさそう。アルメニアでもそうだったが、東洋人が歩いていると町の人々から無遠慮な興味の視線が浴びせられる。子供や青年たちは何かしら声をかけてくることが多い。

カフェで食事を済ませ外に出ると、見た目にいかにも町のワルといった感じの青年たちがたむろしていた。ハローと声がかかり、男たちの視線が集中する。絡まれるのかと身構えると、リーダー格の男が英語で話した。
「何か困っていることない?オレたちが助けてあげるよ」
うーん、よくできた青年だ。

[ジョージア]カズベキ

ジョージア(グルジア)軍用道路を北上して国境前の最後の町がカズベキ(あるいはカズベギ)。カフカス山脈の山々が間近に迫る町だ。

カズベキの美形の女性から声をかけられた。学校で習っているというカタコトの英語を話す。最初、恐る恐る接していた彼女がだんたんと大胆になる。私の折り畳み傘を手に取り、こんな凄い傘を見たの初めてだと乱暴に扱い、一緒にいた友人とはしゃいでいた。

写真を何枚か撮って見せると喜び、自分の写真が1枚もないのでプリントして送って欲しいという。しかし、住所を書くように私が何度言っても自分の名前だけで大丈夫としか答えない。
誰か大人にこちらの郵便のしくみを確認したいのだが、宿の主人も含めて出会った全ての人が英語を話さないのだ。

毎日、ロシア語攻めでへとへと。語学センスがある人なら、とっくに簡単な会話はできているだろう。

<後日談>

宛名に女性の氏名、カズベキ、グルジアとだけ書いてポストカードを送ったら、無事受け取ったというEメールが彼女から届いた。
(私は今まで知らなかったのだが)はがきは70円切手を貼ってそのままポストに投函すれば全世界どこでも配達してくれるそうだ。今後は、住所が明確でなくてもダメモトで送付するようにしよう。(2008年9月17日)

<さらに後日談>

携帯を買ったと言って2年ぶりにメールが届いた。メールのやりとりをしてわかったことだが、知人(親戚?)が郵便局に勤めていて、彼女宛の郵便は彼が届けてくれるそうだ。(2010年12月4日)

<2007年6月14日>

すぐそこに見えているのにそこだけ別世界。万年雪に覆われたカズベキ山は5,033m。
カズベキ村が1,750m(GoogleMapsの標高はカズベギ村より400m高いツミンダ・サメバ教会)なので標高差三千メートル以上あるのだが、雪さえなければ気軽に登れそうなほど間近に見える。
しかし、青空が広がっていても日中はカズベキ山だけ雲に覆われ、滞在中に姿を現したのは日暮れ前と日の出直後のいずれもほんの一瞬だった。

<カズベギ山/隣のゲルゲティ村(2枚組)1枚目左上2枚目右上の山頂にツミンダサメバ教会(航空写真)

[ジョージア]ムツヘタ

<スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂(2枚組)航空写真

世界遺産の古都ムツヘタは、トビリシからマルシュルートカ(乗り合いミニバス)で20分ほど、あっけなく着いてしまう。(区間距離20km強)

教会内部には渋い壁画や装飾が施され、なかなか良い。

平日にもかかわらず、大きな教会には貸切バスなどで子供連れの団体が多く訪れ、聖体礼儀に参加したりお祈りしたりしている。トビリシ市内も含め教会は、いつでも信者で溢れている。

トビリシの街歩きや交通機関の利用に大分慣れてきた。地下鉄駅の路線案内図にさえタイかミャンマーのような奇妙なジョージア(グルジア)語の文字のみで表記され、かなり面食らったが、アルファベット文字に1対1対応しているようだとわかってきたので、乗り合いバスの行き先表示も一部読めるようになってきた。(例えば、tbilisi -> თბილისი)

[ジョージア]トビリシ

トビリシはナイフなどによる傷害を伴う強盗が多く安全でないという『外務省安全情報』を読んでしまったから、そういう目でこの街を見てしまう。駅前は物乞いが多く、いかにも旧ソといった暗い表情の男たちにじろじろ見つめられ危険を感じる。

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夜行寝台でトビリシに入った。2等寝台の車両はウズベキスタンで乗った寝台車と全く同じつくりで二段ベッドの向かい合わせ。そして、今回も恐怖の上段ベッドになってしまった。何が恐怖って、上段ベッドというものは天井からつるされたひもか柵が付いているものだと思っていたが、この寝台車の上段には転落を防止するものが何もない。ちょっと揺れただけでも簡単に下に落ちてしまいそうなのだ。
ウズベキスタンの寝台車では、シーツをロープ状にして、壁に付けられた取っ手と自分の胴体を結びつけて眠っていた。しかし、今回の寝台車にはシーツがなく(有料で配布されていたことを後で知る)、壁の取っ手が壊れていて対策のしようがない。熟睡しないよう気をつけながら、体を壁側に押し付けて横になるしかないのだ。

寝台列車が国境を越えるのに出入国合わせて3時間停車する。ジョージア(グルジア)側の駅から列車が動き出し終着トビリシまであと1時間という時、トイレに向かうため車掌室前を通ると、テーブルに1.5Lのビールボトルを置き完全にできあがった車掌に絡まれた。彼らは、どこの国の人でも少しぐらいロシア語を理解できると思っているから疲れる。あんたが英語の数字も言えないくらい、我々はロシア語はわかりません。

危険だと思っていたトビリシだが、目抜き通りに出るとぐっと垢抜け、バクーと比べ驚くほど美形の女性が多い。食堂や食品店は明朗会計でバクーのようにぼられている気はしない。

旧市街は教会が多く、なかなか良い雰囲気。
聖体礼儀を行なっている教会に入ると、髭面や見た目ワルそうな面構えの青少年が十数人、窮屈そうに後方の角に固まっていた。いったい何をしているのだろうと気にしていると、神父の聖体礼儀の後にその男たちが聖歌を始めたのだ。キリストやマリアの絵が控えめに描かれた教会の壁を撫でるように、彼らの美しいハーモニーが流れていく。
街の人々に交じり迷彩服姿の若者たちも真剣に祈りを奉げる姿をみていると、信者でない私までも清らかな気持ちになる。

信仰厚い人たちが多い街で凶悪な犯罪が許されるとは思えないのだが。

<2007年6月11日>

<メテヒ教会航空写真/街中の古い教会(2枚組)

街中に川が流れ、崖や丘の上に教会や城跡があり、石畳の道や赤い屋根の家並がある。中欧や東欧の古い都市の典型的パターンだ。メテヒ教会周辺(写真表)の気持ちの良い空間が気に入っていたが、他のエリアを歩き回っているとどうも広がりというか奥行きが感じられない。ジョージア(グルジア)正教の教会がどれもシンプルで同じ形をしているせいだろうか。