国別アーカイブ:ガーナ ( 6件の日記 )

[ガーナ/トーゴ国境]Aflao-Lome

夜でも難なく通過。

≫国境越え詳細
  • アクラから国境のアフラオまで(この区間ルートと距離)乗り合いワゴンが飛ばしに飛ばして3時間強。
  • 19時過ぎ(国境でビザが取れるがアライバルビザ発給は17時までなので要注意)の暗闇でも国境を往来する人は多く、食べ物や両替の路上売りが多く出ていて体感危険度は低かった。
  • ガーナ出国時、税関チェックなし、出国税等なし、軽い賄賂要求あり。(ノー1回で済み)
  • トーゴ入国時、税関チェックなし、入国税、賄賂要求なし。
  • イミグレーションを出たところにバイクや車のタクシーがたむろしていて、それほどふっかけられずに市内へ移動可能。
<トーゴ基本情報>

[首都]ロメ、 [通貨]CFAフラン(2008年11月, 1CFAフラン=約0.18~0.2円)
[公用語]フランス語、 [宗教]キリスト教23%、イスラム教10%、伝統宗教67%
[入国ビザ] 必要、アクラで5ヶ国共通ビザ取得(国境でアライバルビザ取得可能のよう)
[歴史/概要]
16世紀以降は奴隷海岸の一部として知られ、19世紀まで奴隷の供給地となる。1885年ドイツ保護領トーゴランドと宣言されるが第一次世界大戦に英仏による分割統治となる。英領がガーナの一部として分離され、1960年に仏領がトーゴとして独立。
ドイツが宗主国であったため古くから生ビールが飲まれ、ソーセージが美味しいといわれる。
人口650万人ほどの小国ながら、2006年にサッカーのワールドカップ出場。

[ガーナ]エルミナ

elmina

<砦跡からエルミナ漁港の眺め>

アビジャンから一気にトーゴまで(区間距離700km以上)行くのは少しタフで、どこかで一泊したかったので世界遺産の城砦があるエルミナに立ち寄ることにした。
天気が良ければ海岸線が美しいのかもしれないが、厚い雲がたちこめていて景色を楽しむことができなかった。世界遺産だから半日かけて観光してもいいかなという程度。
ただ、愛嬌のあるお子さんが多く、道を歩いているとあちこちから声をかけられ、地元の人たちと心地良く触れ合える。マイナースポット好みには受ける町かもしれない。

elmina

<町のお嬢さん(うまく撮れなかったので2枚組、マウスを重ねると写真切替)

<ガーナめも>
  • 煙草を吸う人をみかけない。
  • どの町でも、たとえ夜出歩いても(たまたまなのか)危険を感じることはなかった。
  • ガーナ人は帽子をかぶらない。サングラスもしない。
  • 外国人向けレストランの食事は食べられるが、人に食べさせることを意識して味付けしているとは思えない。スリランカよりはまし、フィリピン程度か。
  • 公用語は英語だが、彼ら同士の会話に英語は使われていない。アクラからクマシまでのバスで運転手から注意事項を説明する際、英語を使わず2つの現地語で別々に説明していた。話しかけた人はみな英語が通じたが、人によっては独特の発音によりヒアリングが難しい。
  • トロトロと呼ばれる乗り合いワゴンは定額制。始発では窓口でチケット購入。途中で乗って車内で支払ってもごまかそうという気はほとんどない模様。
  • 最初、タクシードライバーの言い値がガイドブック上の料金より高くふっかけられていると思い、とろとろ走るトロトロで移動して時間を無駄に使っていた。しかし、ガイドブック表記より値段が上がっているだけでタクシーの料金をふっかけてくるドライバーはかなり少ないということが後からわかった。大使館へ行くなどの市内の移動は、それほど高くないのでタクシーを使った方が良さそう。
  • 乗り合いミニバスの呼び込みが楽しい。アクラ市内の中心行きはアメ横の売り子のようにしゃがれた低音で「サークル、サークル、サークル」と早口に叫ぶ。アフラオ行きがあと一人で満席出発の際は、「アフラオ、アフラオ、アフラオラストワン、ラストワン」とミニバスターミナル外の路上市場にまで出ていき、アフラオ方面に用のない客であろうと捕まえてきてやろうかという気合で呼びかけている。
  • 路上売りでも何でも料金をごまかす気は全くなさそうだということがわかってきたので、買い物をする際、掌にコインを並べて彼らに取らせれば良いので楽。(現時点での状況で将来変わるかもしれないので注意)
  • 現地人を含めた街の写真を撮るならば、複数で歩いてお互いを撮る振りをするか、現地ガイドを付けた方が良いと思う。
  • ホテル代、乗り物代ともに最新のロンリープラネット西アフリカ6th Editionの2、3割増しが目安。
  • ガーナの嫌なところは、大都市での渋滞。特にアクラではどこに移動するのにも時間がかかる。また、アフリカ全般に言えることだが、大人からのチャイナ攻撃がひどく、慣れているつもりの私でも毎日「チャイナ!」「チャイニーズ!」と怒声を浴びせられていると苛立ってくる。
  • 結論として、西アフリカの雰囲気を安全に楽に味わうのには、貴重な英語圏であるガーナはお勧めかも。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[ガーナ/コートジボワール国境]Elubo-Noe

ケープ・コーストからアビジャンまで(ルート)乗り合いタクシーとワゴンを乗り継ぎ容易に国境通過。

≫国境越え詳細
  • ケープコーストのpedu junctionから乗り合いワゴンで1時間30分でタコラディ(takoradi)、別の乗り合いワゴンに乗り換え2時間20分で国境のエルボ(Elubo)。(区間ルートはこちら
  • ガーナ出国時税関なし、出国税、賄賂要求なし。
  • ガーナのイミグレーションからコートジボワールのイミグレまで炎天下1km近く歩く。eluboのバスターミナルからずっとイミグレ間タクシーの客引きがしつこかったが、料金に納得すれば乗ってもいいかも。
  • コートジボワール入国時、税関なし、入国税、賄賂要求なし。入国カード記入も不要で実にあっさり。うるさいのはタクシーの客引きのみ。
  • 国境のノエ(Noé)からアビジャンまで、乗り合いタクシーでとばして2時間20分。(区間ルートはこちら
    ガーナの移動でお尻が痛くなっていてボロプジョーには乗りたくなかったので、日本でも走ってそうな程度の良いプジョーを選んだ。トラックが60kmぐらいで走り自転車や歩行者の往来も多い一般道をときに140kmも出していた。その恐怖たるや、砂の浮いた一般道を140kmで強引な追い抜きを繰り返していたイランの長距離タクシーを思い出させる。
<コートジボワール基本情報>

[首都]ヤムスクロ(最大都市 アビジャン)、 [通貨]CFAフラン(2008年11月, 1CFAフラン=約0.18~0.2円)
[公用語]フランス語、 [宗教]イスラム教30%、キリスト教10%、伝統宗教60%
[入国ビザ] 必要、アクラで5ヶ国共通ビザ取得(3万CFAフラン)
[歴史/概要]
15世紀にポルトガル、イギリスなどが来航、象牙や奴隷を買い付けていたため、象牙海岸(仏語でコートジボワール)と呼ばれる。19世紀にフランスの植民地となり、1960年に独立。2002年9月に内政の混乱から国を二分する争い(コートジボワール内戦)となり、現在も北部は反政府勢力に支配され、西部は部族対立が根強く残り、国内の多くの地域に外務省から退避勧告が出されている。
産業はカカオ、コーヒーをはじめとした農業以外に鉱工業が盛んで、「西アフリカの優等生」と言われるほど独立後は順調に経済が発展した。昔からヨーロッパ人が多く住み、農産物も豊富なため美味しい食べ物が多いと言われている。

[ガーナ]ケープ・コースト

capecoast

<ケープコースト城から漁港周辺の眺め>

アクラからバスで2時間強(区間ルート)で着くケープコーストはクマシに並ぶガーナではメジャー観光地。ここに来てやっと街中を歩く白人旅行者を見かけるようになった。海からそよぐ風が実に心地よい。
アクラより人は多少荒れているが、それでもアフリカでは考えられない穏やかさ。これで美味い飯があれば、何日か滞在したくなりそうな場所なのだが...。

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capecoast

<ケープコースト城>

世界遺産のケープコースト城は予想通りたいしたことがない。ブラックアフリカ(北アフリカとエチオピアを除く)では、マリのジェンネとドゴン以外の文化的遺跡や施設は世界的観光地としての(あくまで私個人の)レベルに達していないと考えている。
しかし、この海岸とアフリカらしい漁港やマーケットを安全に観光できるという点からはお勧めのスポットと言えるかもしれない。

[ガーナ]アクラ

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<マコラ・マーケット>

アクラ最大のマコラ・マーケットも美しい。そして、頭上に様々な荷物をのせる技は雑技団なみに見事だ。荷物を頭にのせた女性が笑う時、腰を艶めかしく横に揺らしながらも頭は全く動いていないのに驚いた。まるで、高層ビルの免震実験を見ているようだった。

上の写真よりも何倍も美しい光景がマーケット内に入ると見られるのだが、私の度胸ではとても撮影できない。(いや、度胸の問題でなく、少なくとも一人だけで撮影していれば何かしら被害があるでしょう)
興味を持った方はぜひ見に来て欲しい。今はオフシーズンということもあるのか旅行者を全く見かけないのだが、多くの外国人が観光で訪れるようになり、誰もがカメラを手にしている旅行者の姿を見ているうちに地元の人々のカメラに対する異常な警戒心が和らいでいくと思う。

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accra

<姉の足につかまる女の子>

撮っていいかと尋ねると親は喜んで応じてくれたが、子供は冗談じゃないと向けられたカメラを見て泣き出してしまった。撮影が下手なためかわいらしく撮れていないが、みつ編の似合う愛嬌のある幼児だった。

<ナイジェリアビザと五ヶ国共通ビザ情報>

ガーナ入国4日目にして、西アフリカ5ヶ国共通ビザ(コートジボワール、トーゴ、ベナン、ニジェール、ブルキナファソの5ヶ国)と比較的難関と言われるナイジェリアのビザの取得に成功した。旅慣れた人にはたいしたことないと思われそうだが、私は海外において空港や国境以外でビザを取得したのはこれが初めてなのだ。

ガーナ到着後、空港からナイジェリア大使館に直行してビザを申請すると、招請レターや身元保証書、医療診断証明書がないと受け付けられないとぶつぶつ言われる。しかし、私の場合、イエローカードのコピーを証明書代わりに提出することで許された。ただし、大使館内のコピーは金を払っても利用することができず、500m以上離れたコピー屋まで炎天下歩かなければならなかった。(他にパスポートのコピー、写真1枚を提出して20ドル支払う)
人によって様々な対応で嫌がらせを受けるようなので、私のように荷物全て抱えて出向くのは避けるべき。ビザ受取は申請の2日後の午後2時から3時。

5ヶ国共通ビザはネットで入手した情報通り、アクラのトーゴ大使館で容易に取得できる。ナイジェリア・ビザを取得した翌日の午前中に申請すると当日午後2時から3時発給だった。
ただ支払いが3万CFAフランで他通貨では受け付けられないことが要注意。だが、ネット情報によると逆にドル支払のみしか受付けられないケースもあったようで、レートで対応が変わるのか申請者がCFAフランを所持しているかどうかで支払い通貨を変えているのかは不明。
私の場合、CFAフランを所持していなかったので、大使館守衛に不当なレートでの両替を余儀なくされた。

[ガーナ]クマシ

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<巨大マーケット前のケジェティア・サークル航空写真

ガーナの首都アクラの北200km、18世紀アシャンティ王国の首都であったクマシが最初のマイナースポットとなる。

アシャンティ王国関連の博物館や王宮などは評価のしようがないレベルなのだが、西アフリカ随一とも言われる広大なマーケットとその周辺は圧巻。
美しさと活気に久しぶりに興奮してしまった。

kumasi
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1番上の写真はケジェティア・マーケット前の広場で、この反対側に何倍もの広さがあるブリキ屋根に覆われたマーケットがある。

それにしても何でも頭の上にのせる人たちだ。現金と子ども以外は全て頭の上にのせているのではないかと思えるぐらい。
狭い場所を移動するのには便利かもしれないが、頭上の売り物が簡単に盗られそうで防犯上の問題はないのだろうか。

市場内を歩いてみると危険はあまり感じない。理由のひとつはイスラームのスークのような体の密着や接触がないことだ。頭上に大きな荷物を抱えているため、体が触れ合うほど接近できないのだろう。また、私が安宿の部屋にかける鍵を探していたのだが、売り子たちに話しかけると皆穏やかに対応してくることから安全なのだろうと思った。(結局、鍵はみつからず。その後も鍵に不安のある部屋に泊まっていたが盗難には遭わなかった)

しかし、カメラをバッグから取り出すと周囲の様子は一変する。カメラを手に持っているだけで鋭い視線をあび、脅迫めいた声がかけられる。遠くの群集に向けてなのだがファインダーをのぞき込もうものなら、周りにいる人たちから攻撃的な態度を取られ、その場を離れざるを得なくなる。
そのため、マーケットのはじにある4階建ての屋上に上らせてもらい、人々の気にならぬよう、街の風景としての群集を撮らせてもらった。しかし、アップで撮影している時、母親に背負われた幼児に気づかれてしまい、不信を表す視線を向けられていた。(すぐ上の写真)

kumasi

博物館ではスタッフがガイドしてくれるのだが、子どもたちが館内に入ってきて私と一緒にガイドの説明を聞きながらノートを取り勉強している。小学高学年ぐらいの女の子3人は熱心に説明を聞くあまり、私の前に割り込んでくるというかわいらしさもあった。

次の観光客が来るのを入口で待つ彼女たちから快諾を得て写真を撮った。無愛想な表情から喜んでいないような気がするが、決して嫌がっていたわけではない。


昨日、アクラの街中を歩いていた時、スコールに遭った。商品が引き上げられた路上屋台の狭い軒先を借り、バッグにカバーをかけたり傘を出したりしているうちに雨脚が強まり身動きできなくなった。車すら動きを止め危険を感じる滝のような雨の中、ひとりの老人がパラソルを差して私の近くに寄ってきた。そして、そんなところに立っていないであっちで雨宿りしなさいと200メートルほど先の倉庫を指す。強風を伴った雨で鞄の中にも雨が浸み込み始めていたところなので助かった。

大型の倉庫に入ると大勢の人々が床やベンチの上に腰掛け雨が上がるのを待っていた。暗闇の倉庫内でもたもたしていた私に、老人は先客を移動させてスペースを作り、私に座って待つよう促してくれる。それから雨は何度も強さを増し30分は続いた。この倉庫の主である老人にはいくら感謝しても足りない。
自分の目の前に困っている人を見つけた時、積極的に手を差し伸べ助けてあげる、それが本当の親切だと感じた。

クマシでも午後3時ごろ急に雲行きが怪しくなりスコールになった。2mぐらい張り出した軒先の下、じっくり待とうと段差に腰掛けると背後から大きな声がかかった。てっきり怒られたのかと思ったら、その男はそんな所でなく中に入って座れと、自分が腰掛けていた長椅子にスペースを作ってくれた。暗がりの屋内スペースは倉庫兼事務所として使われているようで、業務用ペンキ缶が積み上げられ、男は売上の計算をしていた。スコールが本格的になると軒下は吹き込む雨で完全に水浸しになり、通行人たちが大勢倉庫内に入ってくる。
そして30分後、雨が小降りになり、雨宿りしていた人たちは男に礼を言って外に出ていく。主は礼を言われても、顔も上げずにぶすっとしたまま電卓を叩いている。雨宿りしていた人が倉庫の品を持っていってしまう恐れはないのだろうか。
見知らぬ人への親切が当然のように行なわれている国では、犯罪など起こらないのかもしれない。

ガーナ人は無愛想でも、とても親切なのだ。

<ガーナ基本情報>

[首都]アクラ、 [通貨]セディ(2008年11月, 100セディ=約1円)
[公用語]英語、 [宗教]キリスト教45%、イスラム教15%、伝統宗教40%、 
[入国ビザ] 必要、日本でマルチエントリービザ取得(1万円、シングルは8千円)
[歴史/概要]
15世紀にポルトガル人が渡来、金が豊富なことからゴールドコーストと名付けられ、その後デンマーク、オランダ、イギリスなどの進出が続き、金と奴隷貿易の拠点となる。当時の要塞がエルミナやケープコーストなどに残る。17世紀後半にアシャンティ王国が奴隷貿易で繁栄するが、のちにイギリスに敗れ植民地となり、1957年に独立。
ガーナ南部は熱帯気候で年間を通じて21~32度とそれほど暑くない。11月から2月が乾季で他は雨季。日本人にはカカオの産地として有名。黄熱病の研究をしていた野口英世博士は1928年にアクラで亡くなる。第7代国連事務総長のアナン氏はクマシの出身。

<たびメモ>

日本からアフリカまでのチケットに関して、西アフリカだけであれば日本発で1ヶ月FIX16万円程度からあるが、そこに東アフリカをプラスして更に1ヶ月を超えるとなると30万円以内も難しい。そこでマイレージで日本から香港までのチケットを取り、ケニア航空のサイトで香港発アクラIN、バマコOUTのチケットを購入(3ヶ月有効で料金1,750ドル、香港の旅行会社サイトで購入するより手数料分ぐらい安い)してナイロビでストップオーバーするという方法を取った。香港以外ではバンコク発があり、こちらは1,580ドル。その他、西アフリカIN、ナイロビOUTや南アフリカIN、ナイロビOUTといったオープンジョーも可能。日本発の香港やバンコクへの格安チケットと組み合わせれば有効なのでは。
≫≫(後日談)特に大きな問題なくフライトでき、機内のフライトアテンダントは明るく、旅行会社を通さずネットだけでチケット購入できる気軽さから、ケニア航空は機会があればまた利用したい。