国別アーカイブ:ケニア ( 4件の日記 )

[ケニア]ナイロビ

<ナイロビ中心部付近(2枚組)

ナイロビはさすがに今回訪問した都市の中で最も洗練されており、写真を撮っていても、何をつまらんものにカメラを向けているんだぐらいにしか見られていない。アメリカの地方都市にでもいるような気分だ。

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ナクルからのマタツがダウンタウンに入る前に降りて、地図を見ながら荷物を持って中心部近くの安ホテルを目指したが特に問題なく辿り着いた。
「歩き方」には日中でも街を歩く時は貴重品を全てホテルに預け、複数で行動することと記載されているが、それほどの危険があるとは私の肌では感じられない。

また、国立博物館にはタクシーで行くこととして、他の交通手段が記載されていないだけでなく、ガイドブックの地図範囲外になっていてどのぐらいの距離があるのかも書かれていない。
ホテルのフロントで尋ねると、タクシーでなければ歩いて行けば、という応えなのでそれらしき方向に歩いた。1km程度と十分歩ける範囲内に博物館があり、行きは歩行者のいない道で変な男に出くわしたので帰りはコースを変え、ナイロビ大学前を通る道を安全に歩くことができた。(行きに通った幹線道路沿いは旅行者が襲われることがあるという別の情報もあったので、博物館へはミニバスかタクシーで向かった方が良いでしょう)

<中心部にある絵になるモスク>

その後も中心街周辺を何か面白いものがないかと訪ね、あるいはネット屋を探して歩き回ったが、日中でかつダウンタウンに入らない限りは1人でカメラを持って歩いても問題ないようだった。(たまたま私が危険を感じなかったというだけでなく、ホテルや土産店で問題ないと言われ、親切なナイロビの人たちが誰も注意をしてこなかったというのが根拠)
ただし、土産店やネット屋などは夕方5時や6時のまだ明るいうちに店を閉じるので、暗くなれば多少危険な街に変わるのかもしれない。

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<参考図書>地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017

<ケニアめも>
  • ケニアは自然、人、衛生面などは想像していたよりもずっといいなと感じる反面、異常なほど荒れた道路、客引きや物乞いのしつこさなど耐え難い部分も少なくなく、旅するのに良い国か悪い国か判断が難しい。
  • ケニアからナクルまで(区間)は先進国なみの道路なのだが、ナクルからキスムまで(区間)が、アフリカといえど交通量の多い幹線道路にこんなのありかよという悪路。ところどころできれいに舗装された道路となり、そのような区間には検問がいくつもあったので、テロ対策として意図的に悪路を維持していると思われる。
  • ケニアではネット屋での接続が1度も行なえなかった。ネット屋の数が少なく、ナイロビ以外の街でも夕方6時ぐらいには閉めてしまうようで、苦労して店をみつけても開いていない。結局、2軒だけ入れたのだが、自分のPCへのネット接続は断られた。(ウガンダとルワンダはネット屋が多く、現地の若者で賑わっていた)
  • 食事はうまいものに当たらなかった。なぜか何を頼んでもほとんど味付けしていないかのように薄味で、客に与えられる調味料は塩こしょうとケチャップぐらい。地元の人たちは塩をたっぷり振りかけて食べているが、中華だろうがアフリカンだろうが全て塩味のみというのは厳しい。ただ、ナイロビの大衆食堂での百円ちょっとのスペシャルランチ(右写真)は多様な野菜、豆類が盛り合され、緊張して食べたが、慣れれば美味しく食べられそうな代物だった。
  • ナイジェリアには遠く及ばないが、検問が多い。
  • マタツ(乗り合いミニバス)が同じ行き先で客を取り合うのが非常に気に入らない。マタツは満席にならないと発車しないのだが、5台も6台もが同時に客集めをしているためなかなか発車できない。地元の人はどの車がすぐ出そうかを判断して乗車しているようだが、旅行者は強引な客引きを受け、客の集まりが悪い車に乗せられる傾向にある。ウガンダ、ルワンダも含め他の国ではひとつの行き先に対して客集めをしている車は1台しかなかったので、ケニア独特のしくみを理解するまで時間がかかった。
  • これぞいかれたアフリカ人というタイプをケニアに来て見かけるようになった。(夜通し外で騒いでいる人たち、マタツのスタッフが客待ちしている間に大音響の音楽に合わせてクラクションを鳴らし続ける、意味もなく外から車体を叩きながら客集めする人など)
  • 1500円(1,200シリング)以上出せばまともな宿に泊まれる。千円(800シリング)以下でもなんとか。どの宿もお湯が出て、朝食の有無を選べる。
  • VISAキャッシング問題なし。
  • 朝は20度以下に冷え、道は良く清掃されているため、朝の街歩きは気持ち良い。
  • ケニアに来て中国製蚊取り線香が効かなくなった。日本から持参した蚊取り線香がなくなりニジェールで中国製を買った。これも日本の香取線香と同様に煙で蚊を殺しはしないが、人を刺す意欲をなくさせるものだったのだが、ケニアの蚊は煙が出ている最中でもブスブス刺してくる。ケニアでは全ての宿に蚊帳があった(千円以下の宿は穴だらけ)ので蚊帳に入った。
  • 施設の入場料は他の物価と比べ内容の割に高い。特に大した陳列物のないナイロビの博物館が千円以上したのには驚いた。
  • ナイロビの渋滞はガーナのアクラと同様でスムーズに走っていたかと思うとピタリと止まり、また調子よく走り出したかと思うと全く動かなくなる。これは交通量が多すぎるためラウンダバウト(ロータリー交差点:航空写真参照)に信号を設置しているため渋滞になるのが原因。通常の交差点では対向2方向が青になっているのに対し、ラウンダバウトでは1方向しか青にならず、青になってもロータリー上に車が残っていると進めないため、信号待ち時間が四辻の交差点と比べて倍以上になってしまう。交通量の多い交差点にランダバウトのメリットは(たぶん)何もない。どこかの国に余計なものを造られてしまったものだ。早急に取り壊すべき。
  • 結論として、治安の問題がなければケニアには長く住んでいられそうな気がするが、旅行を楽しむためにはかなり金をかける必要がある。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[ケニア]ナクル

<宿泊したホテル前の瓦礫で行なわれる路上売り風景>

夜10時ごろ到着したので、周辺の状況を把握しないままガイドブックお勧めのホテル(Pekars Lodge)に泊まったのだが、ホテル前の敷地が爆撃されたかのようにビルが崩壊していた。夜は瓦礫の中で焚き火がたかれ、(いったいどういう種類の人々か不明なのだが)午前3時すぎまでお祭りのように騒いでいる。そして、大声での会話が朝まで続き、通りに面した部屋は寝られたものでなかった。
朝になると瓦礫周辺にいくつも店が出ていて、アフリカらしい光景を部屋から眺めることができた。

<参考図書>地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017

<メネンガイ・クレーター>

ケニアらしい自然を眺めたいと思いナクルに来たのだが、どうもイマイチ。
フラミンゴで有名なナクル湖だが、雨季の4月ごろでないと見られないということで、タンザニアのンゴロンゴロに次ぐクレーターだというメネンガイ・クレーターに行く。
クレーターだと言われればそんな気もするという程度の不明瞭さで、ビューポイントからの眺めはそれなりに良いのだが特に絵になる景色はない。

ケニアの実力はこんなもんじゃないでしょ。やはり高い金出して国立公園内に入らないといけないのかもしれない。

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キスムからナクルまで(区間)の道はとんでもなく荒れている。

ジンジャからキスムまで(区間)は定員超オーバーのぎゅう詰めミニバスで合計6時間(出発待ち時間含む)。すでに体がギブアップぎみだったので、キスムから夜行列車でナイロビに入ろうとしていたのだが、ナクルまで定員乗車の急行マタツ(ハイエースの乗り合いミニバス)があるとキスムのターミナルで言われ、シートや膝周りにゆとりのある楽そうな席を選び乗車することにした。

客集めに1時間半待たされて出発したが、定員乗車なので尻、膝、腰の痛みがない。これであれば数時間は耐えられそうだ。久々の当たりだと思っていた。
しかし、客がどんどん降り席が空いてくると不安になってくる。案の定、半分も走っていない1時間半後、私は、別のマタツに有無を言わさず乗り換えさせられた。客が少ないため急行の運行が取りやめになり、またしても、ぎゅう詰め各駅停車のマタツに乗ることになってしまった。しかも、そこからナクルまでの道は今回の西アフリカを含めた旅の中でも最も酷い悪路。2時間強、尻、膝、腰の苦痛に耐えるしかなかった。

当たりくじを引いたと思ったらすぐ取り上げられ、はずれくじをつかまされてしまった。アフリカの旅に当たりなどないと思っていた方が良い。

<ケニアの再入国ビザ情報>

ケニアのシングルエントリービザで隣国タンザニア、ウガンダに出国してもビザ有効期限内であれば再入国可能だが、ルワンダに出てしまうとケニア再入国時にビザを取り直す必要があるとガイドブックなどで言われている。
ナイロビの空港でアライバルビザ申請時に係官にルワンダに行く予定があるのでトランジットビザかマルチビザにできないかと問い合わせたところシングルビザで再入国可能だといいかげんに答えられた。

ウガンダからケニアへの再入国時、ケニアのシングルビザのページを開いて係官にパスポートを提出すると他のページをチェックすることなくビザの上に入国スタンプを押した。(ケニア出国時も同様にパスポートの他のページのチェックなし)
これであれば、ルワンダだけでなく他の国に出国していても陸路でウガンダから入国する限り、シングルエントリービザでケニアに再入国可能のような気がする。(規定上は不可かもしれないので、運が悪いと50$のビザを取り直さないといけないかも)

[ケニア/ウガンダ国境]Busia

乗り合い車を乗り継いで容易に通過。

<国境越え詳細(ウガンダのアライバルビザ情報)>
  • キスムからブシアまでマタツ(乗り合いワゴン)で3時間。普通に走れば2時間の距離(区間ルート参照)だが途中2回、下車した人数分の客が集まるまで客待ち停車。座席のないスペースにも木箱を置き客を無理矢理座らせ、西アフリカ並みに詰め込みながら、かつ全区間満席状態を維持しようとするのには少しあきれた。
  • ブシアのマタツターミナルからケニアのイミグレーションまで歩いてすぐ。用紙に記入して簡単に出国。
  • ケニアのイミグレーション(出入国審査場)からウガンダのイミグレまで歩いてすぐ。入国カードに記入してパスポートと共に提出するとビザの申請となる。ウガンダのシングルビザ50$、写真不要。数分程度でビザ発給。他に面倒なことなし。
  • 入国手続きの指導をする親切な両替屋がたくさんいる。しかし、100$未満の小額紙幣はレートが1割以上落ちるので、イミグレで両替せず乗り合いバスターミナルで両替したが更にレートが悪かった。
  • ウガンダの出入国審査場から乗り合いミニバスターミナルまで1km程度。自転車タクシーが多数客待ちしていて30円以内で行く。
  • ウガンダ国境の町からカンパラまで乗り合いミニバスで4時間半。(ガイドブック「地球の歩き方」に2時間半とあり、他の所要時間表示が合っていたので信用していたが、この2時間半は誤り。順調にいって4時間。Googleマップのルート検索はカンパラ中心部から10kmほど先のカバカの墓まで)

    <参考図書>地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017
<ウガンダ基本情報>

[首都]カンパラ、 [通貨]ウガンダ・シリング(2008年11月, 1シリング=約0.05円)

[公用語]英語、スワヒリ語、 [宗教]キリスト教60%、伝統宗教30%、イスラム教10%、

[入国ビザ] 必要、国境でシングルエントリービザ取得(50ドル)

[歴史/概要]

16世紀初頭から諸王国が成立、19世紀中頃にブガンダ王国がザンジバルとの交易で繁栄。その後、英、独、仏の権益争いがあるが1890年にイギリスの勢力圏となる。1962年に独立したが度重なるクーデターにより内政、経済は混乱(70年代には大量虐殺で有名なアミン大統領も現れる)、1986年に成立した現ムセべニ政権がほぼ全土を平定。

赤道直下だが東アフリカ高原にあり、平均気温21-25度と暑くない。緑溢れる森にはマウンテンゴリラが生息し、世界で2番目に大きい淡水湖ビクトリア湖からはナイル河が流れ出すなど自然豊かな国土は、かつてイギリスの首相チャーチルから「アフリカの真珠」と讃えられた。

[ケニア]キスム

<キスム中心部付近の2人乗り自転車タクシー>

ケニアでは野生のキリンを見られれば十分かなと思っていたのだが、空港周辺の柵で囲まれた公園にキリンがうじゃうじゃいて驚いた。

ナイロビに早朝着き、すぐにバスでキスムに移動(区間ルート)したが、雄大な車窓が広がり、乾燥地域のマリとも熱帯のガーナとも異なる景色にみとれる。

今のところ、人は概ね良い。西アフリカでも感じたアフリカ人の親切さ礼儀正しさを持ち、英語をいやみなく使い、私のつまらぬジョークに明るく反応する。

西アフリカの国々とは異なり、我々の感覚からかけ離れた部分が少なく、食べ物も常識的な清潔さが保たれ、アメリカやオーストラリアなどにある安飯程度のものはどこでも食べられそうだ。

キスムは中心街らしき通りをひととおり歩き、キスム駅とビクトリア湖へ出る船着き場(航空写真)をのぞいてみたが、見どころはみつからなかった。

アフリカ人らしい生活に触れるという点ではもの足りないかもしれないが、西アフリカから軽い肺炎と中耳炎を抱えたまま移動してきたため、ほっとしている。(写真のやる気のなさは町のつまらなさだけでなく、体調の悪さを表している)

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『地球の歩き方』によると、ナイロビを始めとしてケニア各地は危険のため個人旅行を勧めないとしている。ケニア空港から市内への移動は絶対にタクシーを利用することとあったので、最低限それだけを守ることにした。

タクシーの運転手に、外国人が市内を1人で歩いたり乗り合いミニバスに乗ったりすると襲われる危険があるのか、と尋ねたところ彼は激昂した。

「そうやって、あんたらはアフリカは何でもかんでも危険だ危険だと思い込む。見てみろ、街の様子を。今、ナイロビの中心部だ。通りを歩いている人々を見てみろ、どこに危険がある。どこに襲いそうな悪人がいる。アフリカだって犯罪が発生すれば警察がすぐ犯人を捕まえる。危険な街を女性や子供たちがあんな明るい顔をして歩くか。よくみてくれ。そして、あんたが国に帰ってからナイロビは危険でなかったと証言してくれ」

それまで話をしていて信用できそうな男だなと思っていたのだが、意外な反応に驚いた。本当に危険な街では、まともなタクシードライバーやホテルのスタッフが旅行者に対して真剣に注意してくるものである。

確かにこの運転手の言う通り穏やかな街にしかみえなかった。しかし、強盗というものは普段どこかに潜んでいて、金のありそうな人が歩いてくると突然現れるものではないのか。

タクシーの運転手は親切にも建物内にあるバスのチケット窓口までついて来てくれた。その会社ではしばらく出発するバスがなかったため、別のバス会社に向かうことにして2人で車に戻ってきた。その時、運ちゃんはタクシーのドアがロックされていなかったことを私に見せ、ほら、鍵を開けたまま車を離れても何ともなかっただろと咆えていた。ロックしなかったのは彼が意図したことかどうかわからないが、スリの多いバスターミナル周辺で何事もなく済んだのは奇跡的なこととしか思えないのだが。

バスがみつかり、車内に乗り込んで荷物を網棚にのせると、車掌がロック、ロック、鞄の口をロックするだけでなくチェーンで鞄と支柱を結びロックしろとしつこく言っていたので、やっぱり他の街より危ないんじゃないの。

中米旅行中、利用していた『地球の歩き方』に中米の大都市はどこも危険だとさんざん脅され行動を制限してしまったが、例えばメキシコシティとナイロビではどちらがどれだけ危険なのか指標になるものはないのだろうか。私が体を張って試しても良いのだが、確率の問題でもあるので、1人の結果だけでは参考にならないのだ。

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<参考図書>

地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017

<たびメモ>

キスムには自転車タクシーがあった。自転車の荷台にクッションが敷かれ、バイクタクシーのように運転手の後ろに客が座るスタイルなのだ。

アジアの各地に自転車を使ったタクシーがあるがサイドカーか自転車の後ろに荷車を引かせるタイプしか見たことがない。荷台に座るだけというのは初めてだ。

男性が自転車に2人乗りして高速で走り抜けていく姿があちこちに見られるのは異様だった。

市内近距離(1~2km)は30円ぐらいのよう。街中の大きな角には数台の自転車タクがたむろしている。

<ケニア基本情報>

[首都]ナイロビ、 [通貨]ケニア・シリング(2008年11月, 1シリング=約1.3円)

[公用語]英語、スワヒリ語は国語、 [宗教]伝統宗教、キリスト教、イスラム教

[入国ビザ] 必要、ケニア空港でシングルエントリービザ取得(50ドル)、国境でも取得可能

[歴史/概要]

7世紀ごろからアラブ人が定住していたが、18世紀にはアラブ人の影響力が内陸部まで及び奴隷貿易や象牙貿易が活発になる。19世紀末にはイギリス領東アフリカとなるが1963年に独立。その後、(2008年2月に大統領選後の暴動が起きているが)他のアフリカ諸国にみられるクーデターや内戦などなく現在にいたる。

コーヒー、綿花、とうもろこしなどの農業が労働人口の6割を占めるが、製造業も盛ん。野生生物が生息する国立公園が多く観光にも依存している。赤道直下に位置していて、インド洋やヴィクトリア湖沿岸は年間平均気温26℃の熱帯性気候だが、国土の大部分が標高1100-1800mの高原のため年間平均気温19℃の乾燥した高原サバンナ地帯となっている。

オバマ第44代米大統領の父はキスム北西60kmのコゲロ村出身。他にはヌデレバ、ワンジルなどマラソン選手が有名。