国別アーカイブ:マリ ( 13件の日記 、ページ 1/2 )

[マリ]バマコ

bamako

<バスのカーゴスペースから降ろされるやぎたち>

セグーを発ったバスは順調にバマコに到着。カーゴスペースからやぎが次々と降ろされていた。特に田舎では、人間以上の数のやぎが積まれたり、袋に入れず紐で縛っただけのやぎが載せられるため、荷物を預ける時はやぎの尿まみれになることを覚悟しないといけない。

バマコ郊外のターミナルから空港まではバイクタクシーで移動可能な距離なので、市内に入らず空港に向かう。
西アフリカはこれで終わりとなるが、マリには何か惹かれるものがあり去り難い。

<マリめも>
mopti

<魅力的な眼をしたモプティの子>

  • 顔は見慣れるのに時間がかかる。ブルキナファソより更に馴染みにくくなった。子供たちは身なりが悪く鼻を垂れ、あまりにも顔つきが貧相でなかなか撮ろうという気にならない。更にカドー、カドーとたかりにくる子供も多かったので。
  • モプティ、セグーは今までの国の町と比べてはるかに外国人観光客が多く、少なくともガイドブックに載っているレベルのホテルはまともでほぼ安心して泊まれる。観光地でないコロだけが特別だった。(ニジェールやブルキナでは観光地でなくてもまともなホテルはあったのだが)
    <参考図書>Lonely Planet West Africa (6th Edition)=>最新版 West Africa (9th Edition)
  • たばこを吸う人が結構多い。トイレ料金徴収の少年でも吸っているというのは、たばこが安いということか。(吸わないので値段を調べようとしていない)
  • 道中の車窓から見える小さな集落は泥か日干しレンガで造られた建物ばかりで、あちこち崩れて遺跡のようにみえる。ヨーロッパの町にあれば、ほとんどが世界遺産に指定されてしまいそうである。
  • ガイドブックお勧めのバス会社SOMATRAは他社より安いことも多いが、各駅停車で異常に時間がかかるので避けるべき。BITARが速いと言う人もいるが、車体の新しさからBANI Transportが良さそうと判断してセグー、バマコ間を乗ったがまあまあ良かった。正直なところ、同じ区間を何度も乗り比べてみないとバス会社の比較は難しい。
  • ドゴン、ジェンネ、トンブクトゥのあるマリは西アフリカで一番の観光国。観光客の数が周辺国と比較にならないほど多く、ホテル、レストラン、旅行会社など観光スポット周辺では充実している。しかし、周辺国と同等あるいはそれ以上に庶民の生活は貧しくインフラ整備も地域によって後れているため、どこをどういう手段で旅をするかによって、快適度や困難度が大きく異なる。
  • なんだかんだ言っても、マリは魅力的な国。再びこの国に来て、ドゴンとジェンネ月曜市とガオを訪ねたい。その際、今回のように地元民と同じ交通手段を利用するかチャーター車を用意すべきか迷うところ。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[マリ]セグー(2/2)

segu

<トマト売りのおばちゃんたち>

パブリックボートで対岸の村にでも行こうと思ったが、全く船が出る気配がない。
しかたなく、バイクツアーでセグーから10km程度のセグーコロ(区間ルート)に出かける。遺跡や古いモスクなどが残る歴史ある村のようだがほとんど見るところがない。おまけに子どもから大人までカドー(意訳「何かくれ」)、カドーとうるさく、建物にカメラを向けただけで、写真撮るなら金出せとおばちゃんがすごい剣幕で迫ってくる。もう少し、修復や整備されればマイナースポットになりそうなのだが。

モプティでもはっとする景色をみつけられずにいたのだが、セグーに来てマリの評価を改めることにした。
マリははまるとすごいが、普段はたいしたことない、アフリカの一級観光国エジプト、エチオピアと肩を並べるほどではなく、一級半に格下げすることにした。

segu

<セグー・コロ中心部の住居(2枚組)航空写真

[マリ]セグー(1/2)

segu

<天気が悪く活気もないニジェール河>

風が強く吹き、天気が悪く、肌寒いマリは想像していなかった。
前回訪れた時あんなに華やかだったセグーの河岸がこんなに寂しいとは。ツアーを売り込みにくるガイドが言うには、ここから船が出るカラブグという村で市が立つ月曜日は活気があるが、それ以外はこんなものみたいだ。

ケニア航空の運航日程変更により、バマコからナイロビへのフライトが1日遅くなっていることを知った。もっと早く知っていれば(ビザ取得を考え1日足りず断念していた)ギニアに入国していしていたのに。体調が悪いから無理せずに済んだことをラッキーと考えるべきか。
閑散としたセグーにもう1日滞在する必要がでてきた。

segu

<バスで一緒になった裕福そうな家庭のお嬢ちゃん>

[マリ]モプティ(2/2)

mopti

<小島の集落におけるニジェール河での洗い物>

まだ、1日2回アスピリンを飲んでいないと偏頭痛を始めとした顔面の痛みに耐えられない。ドゴンへガイドなし1日ツアーに行くことを予定していたが、移動手段確保が困難で炎天下を1人だけで10km以上トレッキングしなければならないことを考えると今の自分の体調では無謀だ。
昨日、ジェンネ月曜市を逃して気力も萎えていたので、自分で意外に思えるほどあっさりドゴン行きを断念してしまった。

代わりに手漕ぎの船でバニ川とニジェール河の間に浮かぶ島の集落を訪ねた。まあ、それなりに楽しめたが、手漕ぎボートなのでそんなに遠くに行ける訳なくモプティの目の前の対岸に渡っただけである。ツーリスティックな集落という感は否めなかった。

mopti

<バニ川からモプティ側の眺め(2枚組)

[マリ]モプティ(1/2)

コロからモプティへの移動(区間ルート)は4WD用の道とされるドゴン断崖(バンカス周辺)をボロプジョーのステーションワゴンが底を何度も打ちつけながら越えて行く。砂漠色の大地に薄緑色が広がり、夢のような美しい景色に見惚れていた。やはり、マリは周辺国とは格が違う一級観光国だ。

窮屈な乗り合いタクシーの中から予想以上に美しいドゴン周辺の景色を眺め、ここで降りようかと何度も思った。しかし、そのとき私は、ジェンネの月曜市を見に行くという微かな望みを持ち続けていた。

当初の予定は、昨晩モプティに入り、モプティから日帰りでジェンネ往復(モプティ、ジェンネ間は2時間)するつもりだったのだが、コロで足止めされたのが大きな誤算だった。しかし、コロ、モプティ間はガイドブック上3時間、前日にドライバーが言ったように朝6時に出発すれば、余裕でジェンネに行けるという計算をしていた。
しかし、出発は7時半となり、特にトラブルがあった訳ではないのに時間がかかり、モプティ到着が12時を過ぎ、ジェンネ月曜市はあきらめざるを得なかった。他の選択肢を排除してジェンネにかけていただけに落胆は大きい。
やはり、余裕のない移動プランはアフリカでは禁物。

mopti

<モプティ港>

[マリ]コロ

恐ろしい国に来てしまった。

町一番のホテル(Campement hotel)のトイレは庭の一角にある壁で囲まれた青空トイレ一つだけ。扉がないので誰かのケツを見た時に利用中と判断するしかない。(こちらの女性は自分のスカーフを入り口近くの壁にかけて存在を知らせる)
トイレには電灯などない、水も出ない。手洗いできるのは、これも唯一つのシャワールームで頭上から流れ落ちる水で手を洗うしかない。シャワールームには扉があるが、大きく開いた鍵穴の跡から利用者が何をしているかよくわかる。
そして、夜中の12時になると電気が止まり、懐中電灯をつけてもトイレにたどりつくのが困難。シャワールームの唯一の蛇口からは水が出なくなった。
電気が止まり暑く、更にベッドが汚すぎて寝付けられないとかどうでもいいくらい、トイレと水の問題は私には大きかった。(それでもアフリカでこのレベルはまだましなんだろうな)

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koro

食事もまた問題だった。ホテルでも食事を出すというので調理場をみせてもらったが、完全にアウトドアで、スタッフや家族の料理の余りを客に出すという雰囲気が感じられ敬遠した。だいたい、暗闇でのアウトドアクッキングでは大鍋に虫が入り放題ではないか。

食べ物を探して小さな町を歩き回ったがレストランはない。もう贅沢を言わないからせめて屋根のある場所で食事したかったが、それすらかなわぬ夢だった。
結局、今まで避け続けたアフリカ屋台モノに手を出すしかない。スパゲッティとチキンがあるというのでその屋台を選択した。(右写真)スパゲッティはぎりぎり食べられる味とみてくれ。チキンは骨に薄く肉が付いているだけだが、堅くしまった肉が意外にもいける。

容器はろくに洗われてなく衛生面は非常に問題あるので緊張しながら食べる。屋台の回りには暗闇の中、何人もの男の子たちが集まっていた。彼らはみな空の小さなバケツを首から紐で吊るし、食事中の私を近くで見守ろうとして位置取りで争っている。すると店主や他の大人たちに怒鳴られ追い立てられるのだが、すぐにまたそろそろと集まってきて怒鳴り散らされる。

私はなかなか集中して食事することができず、チキンは骨からはずすのが面倒になり僅かな肉を残し止めた。だんだん気持ち悪くなってきたスパゲティーは全部食べ切れなかった。店主に怒られ男の子たちが退散したところを見計らい、私がお勘定と言って立ち上がった瞬間、背後に残っていた子供が手を伸ばして皿を取り上げ、首から吊るしたバケツに残飯を素早く入れた。

前回のマリ旅行時、ドライブインの食堂で似たようなシーンを目撃していたためこのような事態は予想できた。しかし、二皿の残飯を手に入れた少年は、悲壮感などなくむしろやったと喜びの表情を浮かべているのが衝撃的だった。私の食べ残しが家畜の餌にでもなると思いたいところだが、間違いなくその子か家族の口に入る。

ああ、恐ろしい国に来てしまった。

[ブルキナファソ/マリ国境]Thiou-Koro

fada

<マリ国境へ向かう通りを歩く女性たち>

ガイドブックに書いてあった国際大型バスは何年も前からこの区間を走っていないと言われ、ミニバスで移動する。予定通りの時間に発車したので、予定通りの到着を期待していたが甘かった。
ここも両国のイミグレが国境よりかなり離れているため、歩いて国境を越えるのは困難。更にこの国境は人や車の往来が相当少ないため、ヒッチハイクなどで一般車両に乗せてもらうことも難しそう。

<参考図書>Lonely Planet West Africa (6th Edition)=>最新版 West Africa (9th Edition)

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  • ワイグヤからマリ国境の町コロまで(この区間ルート)は90km。ミニバスのスタッフは何度も所要2時間を強調しているので、かかっても3時間かと思い12時半発(その前は7時半)のミニバスに乗るが、それが大きな失敗の元となる。
  • 国境から21km手前にブルキナファソのイミグレ。20人近い乗客のうち私だけが第3国人。出国審査はほとんど質問もなく簡単に済む。
  • 国境を越え、推定18km地点でマリのイミグレ。テント内で全乗客のIDカードを集めて審査が行なわれる。質問もなく簡単に入国スタンプが押される。
  • ブルキナファソの税関らしき場所で他の乗客の荷物でもめていたようだが、マリ側の税関でも30分以上もめる。私に対する税関チェックは両国ともなし。
  • 結局、コロへの到着は5時間後の17時40分。ほとんどの乗客がその先のモプティ方面に移動する予定だったが、夜間、モプティへ車が進入できないという理由で接続便であるプジョーの運行がなく、翌朝6時発と言われる。乗客のほとんどは、大量の荷物が置かれた乗り合いプジョー待合所(屋根はかかっているがほとんど路上)に持ち歩いているゴザを敷き、分厚いコート類を着て夜を明かしていた。
<マリ基本情報>

[首都]バマコ、 [通貨]CFAフラン(2008年11月, 1CFAフラン=約0.18~0.2円)
[公用語]フランス語、 [宗教]イスラム教90%、伝統的宗教 9%、キリスト教 1%
[入国ビザ] 必要、ニアメでシングルエントリービザ取得(2万CFAフラン)
[歴史/概要]
3世紀ごろからガーナ、マリ、ソンガイといった帝国が栄えていたが、1904年にフランス領スーダンとなり、1960年に独立。その後、軍事独裁政権が続いたが1991年から民主化が進み現在は安定している。
主な産業は綿花やピーナッツなどの農業、畜産、金やウランなどの鉱業など。
ジェンネ、ドゴン、トンブクトゥ、ガオに世界遺産があり、西アフリカ随一の観光国。

マリ旅行のルート(2001年12月)

1日目
パリ(11:00)-バマコ(15:50)  エールフランス航空(バマコIN、セネガルOUT)
バマコ泊 ($22)
2日目
バマコ-モプティ  バス(12時間、$10.5)
セヴァレ泊  HOTEL DJIGUIYA SEVARE($15)
3日目
モプティ-トンブクトゥ
チャーター車(12時間、トンブクトゥとジェンネ往復及びトンブクトゥ2泊分の合計で$450)
トンブクトゥ泊  HOTEL BOUCTOU
4日目
トンブクトゥ泊  HOTEL BOUCTOU
5日目
トンブクトゥ-モプティ  チャーター車(10時間)
モプティ泊  HOTEL LE FLEUVE($22)
6日目
モプティ-ジェンネ-モプティ  チャーター車
モプティ-セグー  バス(6時間、$7.5)
セグー泊  L’AUBERGE($45)
7日目
セグー-バマコ  バス(4時間、$3.7)
バマコ(19:05)-ヌアクショット(20:45)  モーリタニア航空

トンブクトゥ往復に週1便しかなかった空路を利用できず、3日目から5日目までの3日要したのが痛かった。
道が良く車が調子良ければ、トンブクトゥは観光を含め2日で往復可能。そして、定番であるドゴン(バンティアガラ)を1日か1日半加えれば1週間のマリ観光は完璧。

マリ国内の各交通は季節により運行状況や所要時間が大きく変わります。上記は年末年初休みを利用した旅程の例となります。

セグー

<ニジェール河のピナス乗り場(2枚組)

バマコから北へ向かう長距離バスの中継地セグーはマリ国内第2の大都市であるが、ニジェール河以外に見るべきものはない。
対岸や近くの村へ渡るピナス(動力付きボート)乗り場を訪れた。季節により河幅が大きく変わるため船着場はない。沖合いに停泊するピナスに乗り込むため、乗客は重い荷物を抱えて浅瀬を歩く。近くの水辺では、女性たちが衣服や食器を洗い、水浴する姿も見られる。

たくましい女たちの怒声が大河の河面を飛び交っていた。

ジェンネ

<ジェンネの大モスク>

<ジェンネの市場/ジェンネの姉妹(2枚組)

ジェンネの大モスクは西アフリカ観光を象徴する建造物。針のように突き出た建物の骨組みが異様だが、これは泥を表面に塗り固める修復作業の足場となる。
モスク前の広場では毎週月曜日に市が開かれ、周辺各地から集う女性たちで埋め尽くされるという。市のない日の静かなモスクは、堂々と佇む姿が青空に映え、旅人に遠くへ来たことを強く実感させた。

モスク前広場で毎週月曜日にグラン・マルシェ(大市)が催されるのに対して、近くにある建物の中庭では毎日プティ・マルシェ(小市)が開かれている。

ジェンネはニジェール渓谷の宝石とたとえられるが、泥のモスク周辺には日干し煉瓦の建物が並ぶモノトーンの街が広がるだけ。しかし、マルシェに集うきらびやかな衣装の女性たちを目にした時、宝石のようにきらめく街の景色が見えてきた。