国別アーカイブ:ニジェール ( 6件の日記 )

[ニジェール/ブルキナファソ国境]Foetchango-Kantchari

両国のイミグレーション(出入国審査場)は国境から離れているため歩いて国境を渡ることは不可。国境を越える国際バスは嫌いなのだが、ここでは国際バスを利用するしかなさそう。

≫国境越え詳細情報
  • ニアメー6時発ワガドゥグ行(ルート)の国際バス(大型)があるが、早起きできずそれをパスしてミニバス乗り場へ。ミニバスターミナルに10時半過ぎに着いたので人が集まらず、炎天下、不安な心もちで2時間以上待つ。
  • ようやく出発したミニバスで1時間半移動するとニジェール側国境の町で休憩。20人のミニバス乗客のうち出国審査が必要なのは私だけで、その休憩ポイントにあったイミグレに一人で行き、特に質問も受けずに出国スタンプが押される。
  • そこから集落のほとんどない道を走り、十数キロで国境を越え、更に十数キロ走行して、ブルキナファソ側のイミグレに着く。
  • ブルキナファソのイミグレでは簡単な質問のみで入国スタンプが押される。その他のチェック、要求なし。実にあっさり。
  • 当初、いつものように国境までの車に乗り、歩いて国境を渡って、別の車に乗り換えて移動するということを考えていたが、ここでは実質無理。
<ブルキナファソ基本情報>

[首都]ワガドゥグ、 [通貨]CFAフラン(2008年11月, 1CFAフラン=約0.18~0.2円)
[公用語]フランス語、 [宗教]伝統的宗教57%、イスラム教31%、キリスト教12%
[入国ビザ] 必要、アクラで5ヶ国共通ビザ取得(3万CFAフラン)
[歴史/概要]
11世紀に成立したワガドゥグー王国が19世紀末まで国家として残るが、1904年に仏領西アフリカ連邦となる。1960年独立後に何度も軍事クーデターを繰り返し、1984年のクーデターで国名がブルキナファソ(「清廉潔白な人の国」の意味)となる。
主要産業は農業で粟、とうもろこし、タロイモ、綿及び牧畜などが中心。
国土のほぼ全体が乾燥したサバナ気候で3~6月が乾季、7~10月が雨季。

[ニジェール]ニアメ(2/2)

niamay

<ケンブリッジ橋付近でのニジェール河からの荷揚作業(2枚組)

ナイジェリアの毒がニジェールの暑さで活発になり、体中を暴れまわっているようだ。
倦怠感、頭痛、耳痛、歯痛、関節痛、微熱、そして鼻水、鼻血、耳だれ、咳、痰。いろんな部位が痛み、いろんなものがとめどなく出てくる。ほとんどの症状が風邪をこじらせた程度のもので気にしていないのだが、耳だけが心配だ。

かつて、粉塵の舞うパキスタンを1週間旅して帰国後に中耳炎になり、完治までかなりの日数を要した。中耳炎状態で飛行機に乗るなど、あの気絶しそうな激しい痛みを想像しただけでめまいがする。(耳の丈夫な人には理解できないでしょうが)
よって、かろうじて動ける気力があるのだが、暑いだけで何もないニアメーで停滞することとした。

<たびメモ>

ニアメ市内のタクシーは値段を尋ねて乗ろうとすると300CFAまでしか下がらないが、黙って乗れば地元の人と同じ200CFA(40円)。(そのタクシーが流している地区内の場合)
路上で目的地を叫び車を止め、運ちゃんが何も言わなければ料金の交渉をせずそのまま乗りこむ。降りたい場所に着いたらc’est bon(セボン:ここで良い)と言って停車させ、200CFAコインを運ちゃんの手に握らせ、さっと降りるのがニアメーでの粋なタクシーの乗り方。

<マリ共和国ビザ取得情報>

休養のため時間があったのでニアメでマリのビザを取得した。面倒なのはマリ共和国領事館にたどりつくことだけで、領事館は訪問者が少なくスタッフが驚くほど親切なので何ら問題なし。

領事館の場所を知っていてかつそこへ向かってくれるタクシーがなかなかみつからなかったので、Blvd de l’Independanceまで出て、5台目のタクシーがやっと乗せてくれる。うれしくて言い値の1,000CFAで乗ったが、ビザ受け取りに向かう時は400CFAだったので値切っておけば良かった。Rond Point Yantalaに比較的近いので、市内からそこまでタクシーで行き、そこで周辺を得意とするタクシーに乗り換えれば確実にマリ領事館に行ける。ちなみにアメリカ合衆国大使館の隣だが、その敷地は広大なので1周してマリ領事館をみつけてもらう必要がある。

申請書1枚記入、写真1枚、20,000CFA。翌日受取が基本のようだが、私の場合11時半すぎに申請して当日15時すぎ受取。スタンプを押す人が15時にならないと現れないという状況だったようで、運が良ければ即時発給も可能かも。

<ニジェールめも>
  • ニジェールも停電が多いが信号は結構多い。信号が点いてたり消えていたりで大変そうだが、みんなトロトロ安全運転なので交通警官がコントロールしなくても仲良くすれ違っていく。
  • 急にタバコ売りが目立ち始め、タバコを吸う人をたまにみかける。コートジボワールのアビジャンで1人みかけて以来か。
  • ニジェール人は若者から中年まで粋な男性が多い。特にパリッとアイロンのかかった長袖のシャツをスラックスの上に出している男が格好いい。小顔に細身の体で背筋をピンと伸ばし(アフリカ人はみんな背筋まっすぐだが)、まっすぐ前を向きゆっくり歩く(ニジェール人はみなゆっくりだが)。黒人を見慣れぬ者には顔の造作の善し悪しを判断しかねるが、たぶんイケメンなのだろう。サングラスをかけている若者がいると、Exileのメインボーカルの雰囲気だなあと感じるのだ。
  • ニアメーは多少ツーリスティックで日本語で声をかけ強引に土産店に引き込む者がいたり、押し売りガイドがいたりするが、全体がおっとりなのでそれほど大したことはない。
  • まともな宿に泊まるつもりなら自家発電付かどうかの確認が必須。あまり料金の違いに反映されていないようだが停電時の快適度合いが雲泥の差。
  • バスの出発は6時や7時の早朝発が多い。暗いうちにターミナルまでの移動が必要でバスに当然トイレはなく、途中の休憩地もまともなトイレはほとんどない(これなら野原の方がましというレベル)ので、私のようにトイレコントロールの下手な者には厳しい。
  • 移動中に停車した村も含め、地方にはきれいな娘が多かったがニアメーではゼロ。ニアメーでは、旅行者も含め、黒人でない人を多くみかける。今回の旅の今までの町と比較すると圧倒的に多い。
  • お祈りの時間になると、数人から数十人単位が道端や簡易集会所に絨毯を敷き、メッカの方向を向き揃ってお祈りする。歩道で横一列になり車道に向かって額を絨毯にこすり付けているグループもある。私が彼らの真ん前で立ち止まって観察しても全く気にせず一心不乱。ニアメではこれが唯一感動的シーンだったが、(どんな反応をするか想像できなかったので)カメラを向ける度胸はなかった。病気療養中だったもので。
  • 特にニアメーで物乞いが多いということ以外は、人々も車もみなおっとりしていて、この国に何か危険なことなどあり得るのだろうかと感じるほど。しかし、市場で写真を撮っているとニコニコしながらダメダメと言う人がおり、また、撮りたいシーンがないけど街の中心部の写真を写しておこうかと思っても、どこにカメラを向けても明らかな物乞いがフレームに入ってしまいやめてしまった。
  • 少なくともニアメにはVISAキャッシング可能な24時間稼動ATMが何台もあった。
  • ニジェールの国境を越えた日から毎日最高気温が40度を超えている。それまでの国は35、6度だったから急に耐えられぬ暑さになった。
  • ニジェールはクーラー付チャーター四駆車でアガデス、ザンデールを含めた地方を気に入ったポイントで車を止めながら旅するのが良さそう。私もいつかそんな旅をしたい。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[ニジェール]ニアメ(1/2)

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<ニアメのグランドモスク(2枚組)航空写真

ナイジェリアの(排ガスの)毒が体から抜けきらず肺炎状態(気管支炎かもしれないが)であるが、熱は下がっているので停滞が許されず移動再開した。昨日は、待ち時間も含めて7時間半ぐらいの移動でニアメーに着いたが宿探しに手間取り1日が終わる。

ニジェールはなかなか良さそうな国なのでニアメーは楽しめるのではないかと思っていたが、意外にもつまらない。
5千人収容するという大モスク内に入らせてもらえるのだが特に見るモノがない。シンプルデザインがモスクの良さでもあるが、お抱えガイドが何人もいて俺にも金くれ、もっと出せとうるさく、神聖なるモスクにいる気がしない。
マルシェ(市場)はニジェール人の穏やかな気質のせいもあり、活気に欠けワクワク感が得られない。
ニジェール河は広すぎて、ビューポイントを見つける前に40度を超える暑さのためダウンしてしまった。

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ニアメーでは市内の移動が非常に面倒。ベナン、ナイジェリアそしてニジェールの地方都市にはバイクタクシーがあったが、ここは乗り合いタクシーのみ。行きたい方向へ向かうタクシーをみつけ、更に値段交渉が必要なのだ。行きたいところに乗せていくけど専用になるから5人分の値段(といっても二百円弱)になるという運ちゃんが多く、面倒だから1、2kmぐらい歩いちゃえとなり、咳き込んだり軽い熱射病状態になってしまうのだ。翌日、ニアメーでのタクシーの乗り方会得)

ニジェールは物乞いが多いが、ニアメーは物乞いだらけ。多い地区はすれ違う5人にひとりぐらい。彼らも穏やかであまりしつこくないので気にならないが、子供やばあさん、体の不自由な大人、幼児を背負った明るいお母さん乞食も時々みかけ、私の顔に向けて手を横に振るという知人にでも会ったような軽さで物乞いしている。(大半が本職でないのかもしれないが、身なりがまともな通行人に手当たり次第声をかけている人が多い)

農村部も都市部も教育を受けていない様子の人を多くみかけたが、信仰厚く実直そうな人が少なくないため、政治が良くなれば、よりよい国になりそうな気がする。

<たびメモ>
  • コニからニアメーまでの移動(区間ルート)は大型バスを選択したが、これもそんなに楽なものではなかった。ガーナの2等バス相当と同様に左3列、右2列のシート配列。車内は砂で汚れ、シートは外れてしまうものがいくつもあり、途中何度も客の乗降があるのになぜかいつもぴったり満席。常に隣の客との強い押し合いがある。しかし、プジョー(乗り合いステーションワゴン)よりはるかに楽なのは間違いない。
  • ニアメーのBudget Hotelの中で一番のお勧めとしてロンプラに書かれているChez Tatayiが郊外バスターミナル近くから中心部付近のGrand Hotel付近に移動。旧住所付近で尋ねた現地人がよく知っていて、親切にも乗り合いタクシーの料金交渉までして送り出してくれたため転居先にたどり着けたのだが、今日も明日も満室。フロントの愛想が悪く、部屋は決して新しくない。

[ニジェール]コンニ(2/2)

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<コニ裏通りの快活なお子さまたち(2枚組)

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<道端でモロコシ(ソルガム?)を売っていた親子>

とりあえず高熱は治まったので、カメラを抱えてコンニの裏通りをぶらぶらしてみると、撮れ撮れと大興奮の子供たちに囲まれる。彼らに押され気味になりながらシャッターを切った。できれば愛嬌のある子どもを撮りたいと狙っても、ほとんど無理だった。

ニジェールはこれといった見どころがなくても、人々と触れ合ったり、生活を拝見するだけで私にとって観光になる。ナイジェリアなど通らず健康な状態でニジェールに入るべきだった。

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ニジェールにもいろいろと大変なことがある。

まず車がトロい。マラディからビルニン・コンニまで大型バスで3時間、プジョーのステーションワゴン(日本人なら7人乗りでも窮屈、こちらでは10人乗り)で3時間半、ワゴンのミニバスで4時間半とガイドブックに記されており、早朝起きれず大型バスを逃した私は、プジョーに乗った。(ルートを見ると240kmもある)
長くても4時間半で着くと思い、いつものように水も持たずに乗った。舗装道路には数多くの穴があり、集落周辺にはバンプ(減速用の段差)があるのだが、プジョーはそれらを止まるぐらいのスピードで越えていく。ナイジェリアでは逆に天井に頭を何度も強打するぐらいのスピードで駆け抜けていたから、その違いにかなりイライラする。減速しすぎてか何度もエンストして、その度にボンネットを開けて水をかけ、スパナでエンジン部分を何度かおまじないのように叩き始動させる。止まるほどの速度で走るということは風が全く入ってこないということで、炎天下車内の温度は42度を超えている。そして、息もまともにできぬほどの密着。結局、7時間半かかり、晩に高熱を出す大きな要因になった。

ニジェールはボトル入りの水がなかなか売っていない。人々が飲むのは500ccぐらいの袋入りの水で、ブランド名などが印刷されているのはまだしも、無印モノが多い。隣国ベナンの道端で大きなタライに入った水を袋詰めしているのを目撃したことがある。マラディのホテル近くに露天売りの小さな店がいくつかあったが、ボトル入り水を売っている店が砂の道を10分くらい歩かないとなかった。
また、マラディからコンニまで7時間半の道中、飲み物を買うチャンスは何度もあったが、袋入り水以外は炭酸飲料しかなく、下痢を伴う体調不良のなか移動していたため炭酸飲料が飲めず(お腹の丈夫な人には理解できないでしょうが)我慢せざるを得なかった。

蚊が多く、ホテルでは蚊の対策が取られていない。マラディで泊まった1,300円のホテルでは、1m四方ぐらいの窓ガラスが1枚抜けていることに部屋を取ってから気がついた。カーテンで覆われているとはいえ蚊が入り放題。(1階入り口近くの部屋なので防犯上の問題大ありだったが蚊の方が気になった)
部屋に蚊帳がないだけでなくシーツもなく、シーツや寝袋を持参していない私には絶対絶命。シーリングファンを回し続け、ウィンドブレーカーを着て、下半身は長ズボンだけでは蚊に喰われまくるので、巨大アルミホイルのようなサバイバルキットを掛けた。なにしろ、日本から持参した蚊取り線香が効かないのだ。
顔の周りを羽音を立てて飛び回っているので蚊取線香が消えたのかと起き上がると点いている。いったい何のために日本から連れてきたか知っているのか。お前のミッションは例えアフリカの蚊であろうと全て殺戮することではないのか。
香取線香が信用できなかったため、アルミホイルがシーリングファンの風で巻き上がるのを体で押さえながら、厚着して汗をかき、眠れぬ夜を過ごした。

その後よくよく観察したところ、この蚊取り線香が煙を出している間、蚊は元気に飛び回るが人を刺すことはないようだ。線香が消え煙が止まると、蚊どもは暗示が解けたかのように血を吸いに皮膚が露出した部分に集まってくる。
この蚊取り線香の会社はなんという手のこんだことをしているのだろう。
あんたらブッディストか。

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<コニ裏通りのお子さま(2枚組)

[ニジェール]コンニ(1/2)

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<夕方出会ったかわいらしいお子さまたち(2枚組)

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<夕陽のあたる子>

喉と肺の炎症で声が出なくなり、体がかなりだるくなってきた。夜、熱を測ると39度あった。日中、外が40度前後のため熱が出ていても気づきにくい。

何にもなさそうなコンニ(ビルニンコンニ)で休養することとした。ナイジェリア及びベナンで浴びた猛烈な排ガスが直接の原因とわかっているので、体を休ませてまともな食事をとれば治るだろう。

ニジェールに入り、人々がおっとりとして穏やかになった。時々はっとする美形の女性に出会うが、体に不具合を抱えた大人やまともな衣服を着ていない物乞いが多くなった。

[ナイジェリア/ニジェール国境]Jibiya

2国間の国境は4つあり、どのルートを取るか迷ったが、地図上で最短にみえるJibiya国境越えコースで行くことにした。
ナイジェリアで無駄にエネルギーを消耗してしまった。特にこの喉と肺の痛みはしばらく回復しそうもない。
ナイジェリア側の出国は賄賂要求が全くなかったが、しつこくねちねちとどうでも良いことをチェックして時間がかかり、精神的疲労が大きかった。
ニジェールに入り急に乾燥して暑くなった。ナイジェリアでは面白みのない車窓が延々と続いたが、ニジェールの大地は赤茶色に光り、枯れ色の草木とのコントラストが美しく、農作業に励む人々の姿やプリミティブな家屋に目を奪われる。
一列に並んだ4人の女性たちが頭上に大きな荷物を乗せ、強い日差しが照りつける大地の中を美しい姿勢で歩く。鮮やかな衣装が宝石のようにきらめいていた。(乗り合いタクシーから見えた一瞬の光景なので写真なし..だが、似たような光景はこちら

≫国境越え詳細
  • カノから乗り合いタクシーでJibiya(GoogleMaps上の表示はJibia)という国境の町まで2時間30分。(区間ルート参照)
  • Jibiyaへ向かう道の分岐点付近からバイクタクでNigeriaイミグレーションへ。(約2km)
  • イミグレでは税関はなく賄賂要求もないが、2人の男と別々に長い面談が必要。どの町にいつ入った、どこに泊まり誰と知り合ったか、日本では何をしている、会社の住所のEvidenceを出せ、とか合計1時間近く。出国する人間に対して何を恐れているのか。道中の検問も異常な多さだったが、なぜそこまで執念深くチェックする必要があるのだろう。イスラエルを思い出させる。
  • ナイジェリアのイミグレからニジェールのイミグレまで彼らが言うには6km。バイクタクの運ちゃんと金額が折り合わず歩き始めたが、行き倒れてしまいそうな暑さで結局バイクタクシーに乗る。ナイジェリアのJibiya町中からニジェールイミグレまで、そのバイクタクに支払った金額は300ナイラ(約250円)。
    イミグレスタッフの話しによるとJibiyaの町中から、ニジェール側国境を越え30km先にあるマラディまで乗り合いタクシーで200ナイラぐらいとのこと。但し、外国人は出国に時間がかかるので先に出国手続きを済ませてからJibiya町中に戻り、乗り合いタクシーに乗らなければならない。
  • ニジェールの入国はあっさり。賄賂要求、税関チェックなし。
  • ニジェールのイミグレからニジェール側の町中心部まで1km以上ありそう。周辺の住民がみな親切なので特に問題なく乗り合いタクシーに乗り、マラディまで(ナイジェリアイミグレからの区間距離)30分程度。
<ニジェール基本情報>

[首都]ニアメ、 [通貨]CFAフラン(2008年11月, 1CFAフラン=約0.18~0.2円)
[公用語]フランス語、 [宗教]イスラム教75%、他 キリスト教、伝統宗教
[入国ビザ] 必要、アクラで5ヶ国共通ビザ取得(3万CFAフラン)
[歴史/概要]
17~19世紀、砂漠の民トゥアレグやプール族に支配されていたが、20世紀までにフランスが全土を領有、1922年にフランス領西アフリカの一部になる。1960年に共和国として独立後、軍事クーデターなどによる政変が続くが2000年からほぼ安定する。
国土の3分の2を砂漠が占め、中・北部は乾燥気候、南部はステップ地帯の広がるサバナ気候で、首都ニアメの年平均気温は29℃で7月~8月が雨季。
農業、畜産業、鉱業が主産業でウランが世界第3位の埋蔵量を誇る。
中部アガデスを基点として北東部のサハラ砂漠をキャラバンするのが主な観光。