国別アーカイブ:パナマ ( 1件の日記 )

[パナマ]パナマシティ

パナマはUSドルがそのまま使える。ATMからもクレジットカードなどでUSドルが出金可能。底をついていたドルキャッシュを補充した。
ベネズエラにおける苦しい金の縛り(クレジットカードが使えない、キャッシュアウトできない、両替レートのばらつきが大きい、自国通貨の再両替が実質できない)から開放される。

パナマは宿が安い。22ドルで十分すぎるほどの機能を備えた中級ホテルを確保。
私が食べられるレベルの食事も比較的安い。10ドルあれば日本と同等の食事を3食分とれる。今までの不足を取り戻すべく、今日は機内食を含め6回食事した。
しかし、今日もまだ体が動かない。

夜中にクーラーの風が体にあたっていることに気づき目を覚ますと、喉の腫れが顔中に広がったように目の周りを中心に顔が腫れているのに気づき、驚いた。

<2006年11月19日>

朝になって顔の腫れはひいたが、今日はネットと食事以外は出歩かないことにする。

新市街のメイン通りに面したこのホテルの入り口には常に銃を肩からさげた私服警備員がいる。パナマは少なくともカラカスよりはるかに安全な街のようだが、警備員を配置していないと、日中でも銃を所持した強盗に襲われるということだ。しかし、あくびをしながら退屈で苦しそうにしているこのおじさんが簡単に襲われそうな体格をしているのだが大丈夫なのだろうか。

ネットで検索してわかった。風邪ではなくデング熱のようだ。昨晩、肩から背中にかけての発疹を発見してしまい、症状は酷似している。ドミニカ共和国が今年はやり年だと外務省からガイドが出ているのも知った。潜伏期間から考えてドミニカ以降ガイアナまでが怪しい。通常のデング熱であれば発症から5~7日間で治るというから、7日目にあたる明日中に回復するはずだ。

<2006年11月20日>

まだ、喉の腫れがひかず、夜中に何度か目を覚ます。倦怠感も変わらない。
病院のレベルが中米一というパナマにいる間にデング熱であるかどうか診てもらおうと思い、日本の外務省お墨付きの私立病院に向かう。

海外で初めての病院だが、さすがに日本と雰囲気が違う。看護士がほとんどいないことに最も驚いた。ドクター室には一人ずつ女性がいるが、事務職であり診察には一切関わらない。処置は全て医師が行っていた。
日本では考えられないほどの時間をかけて問診、触診を行い、血液検査も受け、最後にデング熱という診断が下されるものだと思っていたが、ただの風邪だという。
『デング熱は自分も今年かかったばかりだし、先週コスタリカから入ってきた女性患者を診たばかりだが、あんたのは違う、あれは高熱が出て苦しい病気だ』
と医師が言う。
『私だって3、4日前までは熱があってかなり苦しんだし、この背中の発疹がデング熱の証拠じゃないの』
納得いかぬ私は食い下がったが彼は次のように説明した。

血液検査の結果がNe%がハイレベルぎりぎりで、LY%が基準値よりかなり低い。これがデング熱患者の場合、それぞれが全く逆の結果になる。仮に治癒して数値が改善したとしてもそんなに急激に変わるものでない。
私は医師の診断を渋々受け入れた。デング熱でないとすると治るのにまだ時間がかかるのだろうか。

月曜の午前中で混んでいるものと思ったが、私は病院に着いてすぐ最初の診断を受けることができた。清潔で広々したロビーなどから、費用が余程高いのだろうと思ったが、診察料は時間をどれだけかけても1日40ドル(診断書込み)、血液検査8ドル、5日分の薬5ドル、お尻に刺された注射はサービスとのことで、保険で請求するのもためらうほどの金額だった。

<2006年11月21日>

雨が多い。パナマに来て毎日どこかの時間帯に雨が降っている。今日は朝から1日中雨。
雷も多い。雷が轟く度に車の警報装置があちこちで鳴り出す。世界のどこでも同じ音を出す車の警報装置はいったい誰が発明したのだろう。誤作動が多いこの装置のために世界中の人々がどれだけ不快な思いをしていることか。

風邪の終盤にみられる咳と痰が多くなってきたが、また目が腫れている。

ベネズエラのカラカスでパナマまでのエアチケットを購入する際、入国時に出国チケットの提示が必要だとして買わされたダミーのチケットを払い戻ししようとしたら、代わりの出国チケットを提示しないと払い戻しできないという。念が入っている。今度は国際バスの出国チケットをダミーで買うことにした。パナマの入国審査官は出国チケットの提示を求めなかったのに航空会社は実にやっかいな事ばかりを要求する。
緩慢な事務作業により航空会社で待ち時間を含めて3時間要し、航空会社やバス会社のオフィスが移転していて見つけるのに時間がかかったため、本日は出国チケット払い戻しのために半日以上費やしてしまった。
パナマを起点にした中米陸路の旅を予定する際は日本でダミーの出国チケットを準備するなどの対策が必要だ。

<2006年11月22日>

体調は概ね回復したと判断してパナマの観光開始。
パナマ運河(航空写真)の閘門(水位を変えるための開閉式水門)に向かう。感動するほどのモノではないが、いつでも船舶の通行が解説付きで見られるようで、一つ一つのしくみに感心させられる。

世界遺産の旧市街歴史的地区(カスコ・ビエホ)や16世紀の街跡(パナマ・ビエホ)は、んーこんなもんかーというレベル。

パナマシティは派手に彩色されたボンネットバスに乗っているのが最も楽しい。車線を頻繁に変え、前の乗用車を煽っているバスが乗客を道端に見つけると急停車する。まるで乗り合いタクシーのような走行をする大型バスは、1時間以上乗っていても0.25ドルで楽しめるのだが、走行ルートが単純でないため、目的地で降り損なうと知っている場所に戻るまで何度もバスを乗り換えないといけないのが難点だ。

(やっと一眼レフカメラで写真を撮り始めたが翌日の件で写真ファイル紛失)