国別アーカイブ:ベネズエラ ( 6件の日記 )
[ベネズエラ]カラカス
朝起きると喉が完全に腫れていた。風邪だということが分かって良かったが、治るまでまだ数日はかかると思われる。長居しすぎたベネズエラを早急に脱出して物価が安いパナマで休養しよう。空路でカラカスに入り、そのままパナマに飛ぶことにする。
カラカス空港に着き、パナマの航空会社コパ航空のカウンターでチケットを購入しようとすると5人いるスタッフの誰もがまともに英語が通じない。そんなばかな。英語ができなくて国際線の受付業務が務まるのか。
そのうち人が来るからそこで待っていろと言われ、3時間待った。途中から状況が分かってきたが、今日の便が満席だったのだ。結局、空席が出ず、明朝のチケットを購入することになってしまう。
今晩どうしようか。市内までの道は常に大渋滞で、金曜の午後は3時間かかるという。体調が良ければ空港で夜を明かすのだが。ホテル紹介サービスで問い合わせると、最も安いホテルで送迎付き110ドルと大幅に予算オーバー。空港周辺の危なそうな集落をふらふら歩くがホテルはない。ベネズエラの旅はつらい。
夜を明かすにしても国際空港ビルにはファーストフード店以外に椅子がなかったので、隣の国内空港ビルに入ってみる。そこにもツアー会社があったのでダメもとで尋ねると、空港近くにホテルがあると紹介され、送迎付き35ドルと聞いてほっと胸をなでおろす。
観光もせず、移動や宿探しで精一杯の日々が続く。
<ベネズエラめも>ベネズエラは私のようなタイプの旅行者が旅をするのに非常にやっかいな国だ。どのような人が苦労しそうなのかを以下に列挙する。
・ツアー嫌いで現地のツアーにも極力参加しない個人自由旅行者
・宿の事前予約を嫌う
・旅行に必要な情報収集を事前に行わず個人旅行をしようとする
・移動や宿はある程度安く済ませたいと考えているが極限まで安あがりにする程の気合いと体力を持たない
・スペイン語が数字と挨拶程度しかできない
・少しでも損をすることが耐えられない(理由は次に)
ベネズエラの通貨ボリーバレス(Bs.)の両替レートの差が大きい。公定レート(1$=2,150Bs.)に対して闇レートは都市や地域によりばらつきが大きく2,200~2,700Bs.で、公定レートの最大25%増しになる。これが100ドル以上する飛行機のチケット、ツアー代金など全てBs.ベースで計算されるから、どこでどれだけ両替するかで損得が大きく変わってくる。
これだけの情報とどこで高レートの闇両替が可能かを知っていれば楽なのだが、私の持参した5年前のガイドブックには飛行機やツアー代はドル支払いしかできないとあったため、少しずつ両替しているとすぐに金欠となり両替屋を探し歩くこととなった。
違法な闇両替はせず、公定レートで多めに両替をして出国時の再両替によるロスもやむなしという覚悟で行動しない限りとてもやっていけない。
ベネズエラは何事においても歪みが大きく、よどみの多い国だ。
例えば旅行者に必要なホテル、レストラン、両替所など、あるところには余るほどあるが、ないところには徹底的になかったり満杯状態だったりする。街の人々がキオスクや電話サービス、銀行に長い行列を作っているかと思えば、1本裏通りに入ると洋品店、電器店などが何軒も並んでいて、そこは店内どころか通りにすら人影がまばらだったり。
道路交通のよどみは最たるもので、街中のあちこちで意味のない渋滞が発生しているだけでなく、せっかくスムーズに流れだしたと思えば、街はずれの検問渋滞にひっかかったりする。
この国の人々は、この歪みに慣れきってしまい、改善しようと努力していないのだろう。
安めの個人旅行をするにはあまり向いていない国のようだが、ベネズエラの人の良さは特筆すべきものがある。きつい顔つきをした様々な立場の人々に訳のわからぬスペイン語で話しかけたが、一度も嫌な顔をされたことなどなく、時には愛嬌のある笑みを浮かべながら丁寧に説明してくれた。べたべたしたり、慣れ慣れしいところもなく、その点でキューバ人よりも私好みの人たちだ。(そうは言っても、ベネズエラには旅行者を狙う悪いやつらが沢山いるようなので注意が必要。ちなみに私は向こうから話しかけてきた人は両替業者以外、相手にしていない)
[ベネズエラ]カナイマ
<カナイマ湖での水浴び(撮影ポイント)/洗濯をする親子(2枚組)>
予約なしでプエルト・オルダスの空港に早朝入り、航空会社のカウンターで問い合わせると今日も明日も満席と言われがっくりと肩を落とした。しかし、少しねばるとツアー会社のチャーター便に空きがあることがわかりチケットを購入できた。これが当たりで、6人乗り小型機の助手席に座らせてもらい、約1時間半のフライトを堪能することになる。
小型機は初めての体験だが、この国のぼろいアメ車タクシーに乗っているようなものだ。
駐機場所から動き出し、くいっと曲がると、軍用機の間を翼がかからないか顔をフロントガラスに近づけ目視で確認しながら走行する。(地上誘導員はいないのか)
2機続いて離陸するようだが、前の機体と一機分も空けずに滑走路を走行する。(近づきすぎだ機間距離を空けろ)
フロントガラスには私の車にも昔つけていた球状の方位磁石が付けられ、シガーライターのソケットから市販のハンディナビゲーションに電源を供給している。(そんな小さいもので大丈夫なのか)
有視界飛行だと思うのだが何も見えない雲の中を長時間飛び続ける。(前の飛行機が急に止まったらどうするんだ)
雲の切れ目に出て操縦士が上を指差すので見上げると間近に先行機が飛行している。(うーん)
カナイマ空港に着くとツアー会社の客引きが集まってきて選択が大変とガイドブックに書いてあるが、誰も寄ってこない。あっさりと10ドルの宿は見つかったが、ツアー会社を探しカナイマ中を歩き回った。ボートで滝まで行くツアーは予想よりはるかに高く、最も安くて1日半ツアーが180ドル。これにプエルト・オルダスからの往復チケットを足しただけで360ドルになるので、カラカスやシウダーボリバルで売り込みされた2泊3日の宿食事付きツアーで350ドルや250ドルがはるかに安いことになる。
またしても大きな失敗をしているのではないかと思うと大きな疲労が体中を襲い、丸1日かけてボートで滝まで往復するツアーに参加する気力が失せる。
滝の上空フライトが90ドルでボートツアーより安いことがわかり、明日のフライトを予約する。
この集落には、原住民族ペモン人が生活している。狩猟民族だというが温和に見える彼らが道ですれ違う時、多くの人たちが何とも言えない笑顔で挨拶してくる。黒髪で日本人にも似た顔つきの彼らに微笑まれると、それだけでここまで来て良かったなあと感じてしまう。
空路でしか立ち入れない陸の孤島の集落は、食べ物の物価が異常に高い。眺めの良いホテルで昼食をとろうとすると20ドルと言われ、2ドルのカンコーラを昼食とした。地元の人が利用していたレストランで夕食にしようとしたが、15ドルから1銭も負けなかったので、スーパーでパンとジュースとハムの缶詰を買ってホテルに帰る。
どれもがひどくまずかった。特にフランスパンと思って買ったものがコッペパンで、賞味期限切れでもこれほど固くまずくはならないだろうという代物だった。
この粗末な夕食の何かがあたったのだろうか。それとも異様なほどに鉄分のきつい臭いのする水道水が口に入ったのか。
倦怠感がひどく早めに就寝したが、体のあちこちが痛くて眠れなかった。そして、激しい吐き気と悪寒に襲われた。
朝、頭がぐらぐらして、熱もかなりある。食あたりなら良いが、これほどひどいものは心当たりがない。こんな密林の奥地で何か大変な病気にかかってしまったのではないだろうか。
何匹もの巨大ゴキブリがわがもの顔で壁を横にはいずり回る安宿で、不安な1日を過ごした。
<カナイマ集落の子供たちと高級ホテルの敷地内で飼われているカラフルな鳥たち>
昨日は良く眠った。予約していたフライトツアーを断りに這うようにして朝でかけ、食べ物を探しに夕方でかけたが、それら合わせた2時間を除き、30時間眠り続けた。結局、買ってきたチョコすら食べず、水以外何も口にしなかった。
嘔吐と倦怠感はあったが熱は下がったような気がする。エンジェル・フォールの上空フライトにでかけようとツアー会社に9時に出向いたが、人が集まらず雨も降り、延々と待たされて午後2時にようやく飛ぶ。
≫続きを表示スコールの後の上空は雲が多く、時折激しく雨が機体に打ち付ける。先日よりも更にボロい機体はあちこちから雨漏りがしてカメラが濡れる。
小型機はギアナ高地の谷あいを縫うように飛び、奥地にあるエンジェル・フォール周辺の上空にいるようだ。滝は雲に覆われてほんの一部しか見えない。体調が悪く胃が空っぽの私はかなり気分が悪くなっていた。もうこのまますぐ戻って、滝が見えなかったということで金を返してもらいたい気分だ。
パイロットは雲の中を旋回し始めた。滝が現れるのを待つようだ。雲の切れ間から崖が時々正面に見えることから判断して、谷あいを旋回しているのではないか。雲の中に入っている間はいつ崖に衝突してもおかしくないような気がする。頭がぐらぐらして吐き気をもよおしてきた。
何分か経ち滝の全体が見えた。飛行機は滝の落ち口付近の台地上から滝の中腹にかけて斜めに旋回する。見ているだけでも気持ち悪いが写真を撮らねば。しかし、小型機からの視界は狭く、窓は雨に濡れ、ここで止まってという全体が見えるシーンは一瞬しかない。
結局斜め旋回を4周してくれたが、まともな写真は一枚も撮れず、最後は気持ち悪く目を閉じてしまった。
体調と天候が悪かったので正しい認識でないかもしれないが、騒音が大きく汚い飛行機の窓からの眺めでは、せいぜいテレビのきれいな映像から受ける感動ほどしか得られない。やはり、滝つぼまで行かないとダメなのか。
しかし、欧米人向けのネイチャー・ツアーは虚弱な我々が耐えられるものではないと、同じ小型機に乗り合わせた日本人旅行者がしみじみ語っていた。250ドルのツアーに参加した彼は、滝壺で滑って怪我をしたのだと言う。昨日何針か縫ったばかりという彼の手が痛々しく腫れ上がっていた。
カナイマは熱帯らしい自然に溢れ、珍しい動物も見られ、集落の人々も親切な土地だ。これでまともな食べ物があり、体調も良ければ忘れられない場所となっただろう。
ツアーでここを訪れたとしても、少人数で集落や湖周辺を探索した方が良い。やさしい地元の人たちと触れ合っていると、何でもない自然の景観も魅力的に見えてくるはずだ。
カナイマからの小型機は昨日エンジェル・フォールに飛んだ機体。
頭が禿げ上がり老年に入ろうかというパイロットは操縦をなめきっている。定員5名の搭乗が終わると、機体をぐるりと回転させて周りを良く見ずに舗装された滑走路わきの土の上を走行する。昨日もそうだったが、なぜこの人は土の上から離陸しようとするのだろうと思っていると、1本しかない滑走路を別の機体が正面から着陸してくる。危ないじゃないか、そんな慌てて離陸するなよ。
離陸後、上空の安定飛行に入るとパイロットは列車の運転士よりも暇らしい。私の隣で彼は札束を勘定し始め、老眼鏡をかけメモを付ける。手放しどころか下を向いて、1、2分に1度しか前を確認していない。今回も助手席に座る私は不安なので代わりに前方を監視していないといけない。
そのうちパイロットは携帯電話を取り出し、騒音の中で電話する。この機体には携帯ナビすらないから電波を発信しても計器に影響などないんだろうな。電話が終わるとまた老眼鏡をかけ、携帯電話の小さな画面を見ながら下を向いてメールを打ち始める。電話は許すからメールは勘弁してくれ。
着陸15分前ぐらいから、彼はやっと操縦に専念してくれる。そして、飛行機はこんな簡単なものなのかと思わせるように何の衝撃もなくあっさりと着陸。まさにハエがとまるような鮮やかさだった。着陸と同時にスイッチやレバー類を倒すと、滑走路上をゆっくりと減速走行している中でパイロットはメールチェック。もうすぐなんだから停止するまで待ってくれ。
体調が悪いのにバスでカラカスまで戻ろうなんて、大きな判断ミスだった。
バスは冷房が効き過ぎて寒い。そして、いつも予定よりも大幅に時間がかかる。
プエルト・ラ・クルスの手前から1時間以上渋滞にはまったこともあり、プエルト・オルダスからのバスは予定より2時間長い7時間半かかって到着。(プエルトオルダスからプエルトラクルスの区間ルート)
ホテルで頭痛と寒気が襲ってきた。
[ベネズエラ]シウダー・ボリバル
<オリノコ河に架かる橋と渡し船(航空写真に表示される橋)>
街のメイン通りが広いオリノコ河に面して気持ちの良い風が吹いてくる。しかし、見るべきものがないただの街だ。
シウダー・ボリバルはカナイマへの拠点として旅行者が多く訪れるはずだが、ダウンタウン周辺をくまなく歩き回りホテルを3つしか見つけることができず、どれも泊まる気にならないものばかりだった。街で一番高い(と言っても18ドル)ホテルなのだが、廃業して10年経ってもこれほどにはならないだろうという汚れ方なのだ。結局、不潔だがセキュリティー面でよりましだったゲストハウス風ホテルにして、エアコン付きで一番高い部屋(と言っても12ドル)で臭いまくらにシーツをぐるぐる巻いて眠ることにした。
ラ・クルスは安全で比較的清潔な街だったが、シウダー・ボリバルは、通りのあちこちに糞尿の臭いがたちこめ、残飯も含めたゴミが散乱してガラスの破片が至る所に散らばっている。昼は歩道が人で溢れ、銀行前には長い行列と人だかりができるが、夜7時にはほとんどの店が閉じられ、8時近くなると街は急にひっそりとする。観光客が立ち寄るべき街ではなさそう。
やはり、言葉が通じてなかったのか、半分だまされたのかもしれない。プエルト・ラ・クルスからシウダー・ボリバルまで(区間)のバスは、一番良いクラスのチケットを前日購入したのだが、乗ってみると座席が窮屈でエアコンがまともに効かずトイレがない。始めのうちは空席が多くゆったりできたのだが、途中からどんどん人が乗って満席になり、隣の席の母親に抱えられた幼児が臭いのするオムツ一丁でベタベタくっついてきて不快極まりない。5時間半乗っていただけだが、異常な疲労を感じていた。
<翌日(プエルト・オルダス)>疲れがたまっている。
予定ではシウダー・ボリバルから更に12時間バスに乗ってサンタ・エレナ・デ・ウアイマに行き、そこからエンジェル・フォールの拠点で空路でしか入れないカナイマに飛ぶつもりだったが、観光という点ではイマイチはずれが続き、疲れがたまり気合いが入らない。ここからカナイマに飛ぼうと昨日思いたったが、またしても土日で旅行会社が休み。
シウダー・ボリバルの不潔な安ホテルで2泊は避けたかったので、空港がある隣町プエルト・オルダスまで(区間)バスで1時間かけて移動。うって変わって、街は大きく近代的なビルが建ち並ぶ。いくら歩いてもホテルが見つからずcentroの標識はあるが、なかなか中心地にたどり着かない。住民に尋ねるとタクシーでしか行けないというので、しかたなくタクシーでホテルに向かってもらう。シウダー・ボリバルの安ホテルに懲りたので高いホテル、高いホテルと運ちゃんに言い続ける。昨日の感覚から高級ホテルでも3、40ドル程度だろうと思ったのだが、着いたホテルはシングルで110ドル。んー、急に上がりすぎだぞ。安いと言われた向かいのホテルが60ドル。もっと安いホテル教えて、とレセプションで甘えるように尋ね、なんとなく指差した方向にしばらく歩いて、やっと求めるものに近い30ドルのホテルが見つかる。
ベネズエラでは、毎日のようにホテル探しでエネルギーの大半を使い果たしてしまっている。
[ベネズエラ]クマナ
<クマナの漁港とでかい鳥/野球やバレーに興じる子どもたち(2枚組)>
プエルト・ラ・クルスから見るカリブ海が気に入り、車で2時間(区間ルート)の州都でもあるクマナに足を伸ばす。行きは70年代風アメ車の乗り合いタクシーで車内が広々していたが、登り下りの多い海岸沿いの道ではあまりスピードが上がらない。
歴史のある街だというクマナーでは観光すべきスポットをみつけられなかった。長い昼休み時間が終わるのを待ちMUSEOに入ると博物館ではなくしょぼい美術館だったり、苦労して海岸線にたどりついても漁船とやけに体のでかい鳥(ペリカン?)が群れる海しか見られなかった。
帰りもバスがみつけられず乗り合いタクシーで客の集まるのを待っていると、運ちゃんにあのバスがラ・クルスまで行くよと教えられ、慌ててバスに乗り込む。
やはり、バスの方がはるかに多くの景色が眺められる。クマナからラ・クルスまでの間は、ふところ深く海を抱く入り江がいくつも続き、何度も峠を越える海岸沿いの道から美しいカリブ海が望める。東欧のドブロブニクからコトルへ至る道を思い出させる。レンタカーでこの道を走れば、眺めの良い場所で車を停めたり、街道を外れて海岸線の集落へ向かったりすることができ、楽しい旅となりそうだ。
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この国のバスターミナルのしくみは未だ理解できていない。
おとといカラカスから乗ってきたバスが到着したのはRODO VIASというバス会社専用のターミナルのようだが、街の中心近くにあるターミナルには20ぐらいのバス会社の窓口があり、いったいどの窓口で次の目的地シウダー・ボリバル行きの切符が買えるのか全くわからない。しかし、適当な窓口で尋ねたり、意図的にキョロキョロしながら歩いていると、みんなが何かを教えてくれる。
今日も窓口の兄ちゃんが私のスペイン語の練習に付き合ってくれた。この国では英語が不思議なほど通じないが親切な人が多いため、スペイン語旅行会話の練習に最適かもしれない。
[ベネズエラ]プエルト・ラ・クルス
オランダ語圏(キュラソー、スリナム)やとても英語には聞こえない英語圏(ガイアナ)を通ってきた後で、突然、ほとんど英語の通じないスペイン語圏にやってきてしまった。
メキシコやキューバであれば、英語だけでも旅ができそうだが、ベネズエラはホテルでも中級以下ではほとんど英語が通じない。うまく段階を踏んでスペイン語に慣れてからこの国に入れば良かった。
昨晩チェックインしたホテルの近くにガソリンスタンドがあり、併設されたコンビニが24時間営業なのだが、夜間は店内に入れず、切符販売窓口のような小さな窓を通して商品や現金のやりとりをする。店内は明るく照らされているのでガラスを通して中を見渡せるが、私はこの国にどんなものが売られているのかわからず、必要なものをスペイン語で説明することはままならない。
『パンはないのパン』
『パンならこれしかない』
口髭をはやした店主が棚から2斤以上ある食パンを持ってくる。
『いやーそれじゃ食べきるのに3日かかる。そのー、黒くて熱い飲み物あるでしょ』
『カフェか。カフェ飲むのか』
『いや、それは置いておいて。そのー、冷たくて白いものあるでしょ』
『ソフトクリームか。ソフトクリーム食べるのか』
『いや、それは置いておいて』
『なに、これも置いておくのか』
『そのー、カフェ(抽出器)とソフトクリーム(作成器)の間にあるガラスケース、そこに入っているものパンじゃないの』
『なんだ、それをききたかったのか。これはパイだ』
という具合で、私は薄暗い中、犬に吠えられながら単語に身振り手振りを加え、店主はスペイン語をどなり商品を近くに持ってきて見せながら、ジェスチャーゲームのやりとりを交えて買い物しなければならなかった。
朝10時からホテルを探しているのに、この街でも安めのホテルはことごとく満室だった。昨晩、12時過ぎにホテル探しをしていたら大変なところだった。6件目でやっと空き室をみつけ、セキュリティと清潔さに問題があったが、最後の1部屋ということでチェックインした。
今後のベネズエラでの宿探しが不安だ。
ベネズエラ人は思っていたより穏やかだ。私の幼稚なスペイン語にみな耳を傾け理解しようと努力してくれる親切さもあり、感触としてキューバ人に近いものがある。
このような穏やかな国民でありながら、観光による入国を逡巡させるほど犯罪が多いというのは、政治行政に相当な問題があるとしか考えられない。
[ベネズエラ]カラカスからプエルトラクルスへ
宿がない。
トリニダード・トバコを早朝発ち、カラカスに着いてから空港で時間をかけて情報収集を行い、ひどい渋滞で1時間以上かかってカラカス市内に入ったのは12時過ぎだった。バスターミナルから地下鉄で移動してたどり着いた1件目の宿で満室だと断られた時は驚いた。このような国でホテルに空きがなかった経験がほとんどない。英語を話すスタッフがいて、今日は団体が入っているので明日ならたぶん大丈夫と言われ、たまたまのことかと思っていた。
しかし、その周辺のホテルに手当たり次第尋ねるがどこも満室。しかも英語が通じず、かろうじて覚えたスペイン語フレーズで空室の有無を尋ねるとそっけなく「ノ」とだけ答えられる。中心街を離れ、ガイドブックに載っている少し高めのホテルを何件か当たるがことごとくダメ。カラカス市内は大きく、人が多く車が凶暴で歩きにくい。地下鉄で移動しながら3駅周辺を3時間歩き回ったが空室のあるホテルを1件も見つけられない。ホテルがありそうな地域はまだいくらでもあったが、暑さとバッグの重さで体が音をあげていた。かくなる上は別の町に行くしかない。
ということで、次の目的地であるプエルト・ラ・クルスへ移動することにした。
この街はあちこちで行列ができている。停留所でバスを待つのにきれいに一列に並んでいるのは驚きだったが、銀行でも並び、商店に入るのにも並び、バスの切符を買うのにも長い列で待たされる。次のバスの席が取れず、1時間以上先の夕方5時発のバスになった。プエルト・ラ・クルスまで(区間)5時間、果たして無事宿に入れるのだろうか。ここで普通の人は電話で宿の予約をするのだろうが私はいくつかの理由によりしなかった。まあ基本的に電話は嫌いなのだ。特に海外での電話は。
バスは夕方のカラカス市内の渋滞を抜けるのに1時間半かかったのが響いたのか、プエルト・ラ・クルスに着いたのは夜11時半。ターミナルには客待ちタクシーが何台も停車していたが誰も声をかけてくれない。ガイドブックの地図によるとターミナルは中心部に近く数百メートル以内に何件かのホテルがある。タクシーに乗るつもりはなかったがその辺の情報を確認しようとしたのだが。
人通りはなかったが、街灯は明るく危険は感じなかったのでホテルを目指して歩き始めた。到着したターミナルは地図上の位置とは違う場所だと数分歩いた後で気づいたが、そんな大きな街でないはずなのでそのうち中心部に入るだろうと思い歩き続ける。街道沿いを1kmぐらい進みホテルを発見、空室があり、夜中12時過ぎにしてようやくベネズエラで最初のホテルにチェックインできた。30ドル以上して、ゴキブリがぞろぞろ出てくる不潔なホテルだったが、あとから考えるとラッキーだった。
カラカスは大変危険な街だと言われているので、重い荷物を背負い宿探ししている時、常に貴重品の位置に手を置き緊張して歩いていたが、今日歩いた限りではそれほどの危険は感じない。昨日までいたジョージタウンの方が目つきの悪い人や不気味な人が圧倒的に多かったし、イタリアのナポリの方が街の人々の犯罪に対する警戒心がはるかに強いと感じた。