国別アーカイブ:ベナン ( 5件の日記 )

[ベナン/ナイジェリア国境]Seme

コトヌー-ラゴス間のセメ国境(Seme Border)は悪名高きポイント。
どれだけ大変なのか見てみようぐらいの気持ちで通ったが、まあいろいろと酷かった。
この手の国では大なり小なり役人の賄賂要求があるものだが、ナイジェリアのチンピラ役人の行為はもはや強盗だ。

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最初はベナン側国境近くの路上検問で警官に難癖をつけられた。
乗り合いタクシーを止められIDカードを出せと言われてパスポートを出したが、これはパスポートでありIDカードではない、IDカードを持っていないならオフィスまで連行すると息巻いた。彼らの脅しは賄賂要求のためではなかった。住所が書いていないものはIDカードではないとして乗り合いタクシーから引きずり降ろされ、彼らの車までで連れて行かれる。乗り合いタクシーのドライバーも一緒に付いてきて私の援護をしてくれていたが、ついにあきらめ私を置いて車を走らせると言い出した。
「ちょっと待った」と車に向かう運転手を制止して、私はなんとなく持参した国際運転免許証を鞄の奥から取り出した。1年前、ニュージーランドとオーストラリアに行く際作成したもので、ちょうど昨日で有効期限が切れている。しかし、これには顔写真が貼付され名前と住所がアルファベットで書かれている。

免許証を受け取った警官たちは、それでいいのかどうか判断するのにも時間がかかった。鶏のように首をこきこき捻りながら、1人がこれでいいのではないかともう1人に渡すと、彼もまた首をこきこき捻り、しばしフリーズした後「OK、行ってもいい」とパスポートを返す。30分ぐらい停車していたので乗り合いタクシーの同乗者たちは騒いでいるようで、ドライバーがIDカード持っているならすぐに出せよと不満しきりだ。
悪いね、にいちゃん、期限切れの国際運転免許証が役立つとは思ってもみなかったんだな。

ベナンの出国審査で列の後ろから処理状況を観察すると、パスポートを提出する際、自ら百円程度の賄賂を差し出す人が多く、たまにお金を出さない人がいると、パスポートを返さないぞという脅しにより収奪されていた。ところが、私に対しては何も要求せず出国スタンプを押して返してくる。様々な国の人たちが賄賂らしきお金を要求されていたのにどういうことだろう。日本人旅行者たちのワイロノー活動の賜物と思っておこう。

税関チェックなどなくナイジェリアに向かって歩いていたところ、建物の前に机を出して座っていた役人に止められる。予防接種証明書を出せと言う。出国時にチェックするのにどういう意味があるのかわからないが提示すると、コレラの予防接種がない(日本の検疫所の話では、コレラ予防接種の国際証明書というものは存在しない)とかイエローカードにスタンプが押されていない(後から確認すると押し印はある)から200円相当出せという。入国時にはこれで問題がないとして通ってきたのになぜ出国時に問題とされるのか理解不能だ。
私の「なぜ払う必要がある」に対して相手の「なぜ払わない」の押し問答になった。男の隣にいた女性係官が、200円払えばコレラの予防接種証明も書き加えた別の証明書を作成しますよと持ちかける。そんな偽証明書作りを持ちかけるなんて、あんたらまがりなりにも役人ではないのか。この男であれば30分粘っていれば何も支払わずに通れそうな気がした。しかし、これから難関ナイジェリア入りというところでそんな無駄なエネルギーを使いたくない。あまり信用できぬロンリープラネットによるとこの国境を600円以内の賄賂で通れればラッキーと思えとのことである。
そこで私はこんなもんでなんとかと、細かいお金をパラパラと渡した。男はおいおいこれだけかよと呆れていたが通ることができた。その額20円、ベナンのトイレ代相当だった。

5mほど歩くと同じような机に似た服を着て男が2人座っていた。先ほどの予防接種チェックも同様だが、何らかの表示があるわけではないので視線を合わせず通り過ぎようとすると、彼らは憤っている。しかたなく、「何か」と近寄るとイエローカードの提示を求めてきた。渡してしまうとまた返してもらえなくなるので、指に挟んだまま彼らに見せると、だめだコレラがないからこのカードは無効だと言うやいなや恐ろしいほどの速さと力強さで私のカードを奪い取り、机の引き出しにしまい込んだ。それは明らかにプロの盗人の技であった。
「5000フラン(千円)払え」
「そのやり取りはたった今、隣で済ませてきたところなんだけど」
「それはベナンでの事だろう。ここはナイジェリアだ。お前のカードは無効なので没収する。金を払わないならそのまま行け」

なんということか、知らないうちにナイジェリアに入っていた。こちらの悪徳役人は強面で力があり、大事なイエローカードを強奪した上で金を払わないと返さないと脅迫している。ベナンでの検疫チェックはナイジェリアの前振りでしかなかった。これはただ粘っているだけでは通れそうにもない。英語が流暢に話せれば「あんたの行なっている脅迫は明らかに犯罪行為である、よって日本大使館を通して強く抗議する」ということをギャアギャア騒いでいれば通れそうな気がしないでもない。(失敗すれば何時間も足止めさせられるかも)

一応私なりに迫力のない英語で抗議してみたが、強盗役人には何ら効果がみられず金で済ませることにした。もうトイレ代用の小銭はなくなっていたので、持っているなかで一番細かい百円相当のコインを差し出した。これだけじゃ足りないもっと出せと脅迫してきたが、もうこれしかフランがないと主張してやっと盗人役人からイエローカードを返してもらった。(イエローカードの有効期間は10年だったが2016年7月11日から生涯有効に変更。カードがより重要となると共に10年超過したカードに対する難癖への対応必要WHOのPDF><厚生労働省検疫所:黄熱について>)
しかたなく金を渡すにしてもやつらにはトイレ代程度で十分。(ナイジェリアは物価が高そうなので20円ではなく40円程度か)
教訓として言えることは、ここの国境を越える前にやつら用のトイレ銭(小銭)を用意しておく必要がある。強盗が釣りを返すわけないのだから。

小銭が切れてしまった私はこれからいったいいくら要求されるのだろうとびくびくしていた。しかし、入国審査や税関らしきところでは賄賂要求がなく、その後は意外にもあっさりとナイジェリアに入国できた(であれば検疫チェックでもう少し粘るべきだった)。結局120円強奪されただけで済んだのはラッキーだったと考えるべきなのだろうか。(汚職撲滅を掲げるブハリ大統領が2015年5月に就任して以来、賄賂要求はかなり穏やかになったとの噂あり

その後、乗り合いタクシーターミナルまでの500mを歩いているうちに3回のパスポートチェックがあり、タクシーに乗ってからも無数の検問で徐行させられる。ラゴス郊外のターミナルまで90kmの間に30以上は検問があっただろう、発狂しそうになった。
全ての検問でチェックされるわけではなく、うまい具合に3回に1回程度停止させられ、トランクだけのチェックとパスポート類を含めたチェックの2種類がある。対向4車線の高速道路を快適に飛ばしているとすぐ渋滞があり、車1台ずつを係官が確認して許可されないと通過できない。どう考えても同じ内容のチェックを特に国境付近では1km間隔ぐらいで実施しているのだから相当無意味な行為である。

また、検問が少なくなってきたころにはとんでもない渋滞が頻繁に起こる。ラゴスの渋滞は尋常でないということを知っていたので、中心部に入らず数km郊外のMile-2 Motor Park国境からのルート)というターミナルで乗り換え地方に向かおうとしていたが、それでもアクラの渋滞など全く比較にならぬものがあった。超低速走行による排ガスの充満、異常な接近と強引な割り込み、歩道や中央緩衝帯など車道以外の走行、ストレスクラクション、どれもこれも発狂しそうなほど酷い。これら渋滞は全てバス乗降場で発生していて、何台ものミニバスが横に二重三重に停車して車線を塞いでいることにより起こっている。何のことはない、秩序さえ守れば防げるのだ。

かくして、石油産出国ナイジェリアは世界的な流れに逆らい反エコロジーを貫く国であった。

<ナイジェリア基本情報>

[首都]アブジャ(1991年ラゴスより遷都)、 [通貨]ナイラ(2008年11月, 1ナイラ=約0.84円)
[公用語]英語、 [宗教]イスラム教50%、キリスト教40%、伝統宗教10%
[入国ビザ] 必要、アクラで取得(20ドル)、日本での取得は招請レターなどがない限りかなり困難との噂
[歴史/概要]
17世紀から19世紀、ポルトガル人、イギリス人などがアメリカ大陸へ送る奴隷のために海岸に多くの港を建設し、奴隷海岸と呼ばれていた。19世紀末に南部を支配していたベニン王国は周囲のハウサ、ヨルバの王国もろともイギリスに滅ぼされて植民地化される。1960年に連邦共和制国家として独立するが、汚職や政変が絶えず、政治が腐敗したまま現在に至っている。
世界有数の産油国であり、人口1億4千万人の大国で、教育水準も高いとされるが、政治の腐敗のため経済が低迷しインフラ整備は進んでいない。北部は乾燥地帯でキャラバン貿易を通じてイスラム教を受容しており、南部は熱帯雨林地帯でアニミズムを信仰し後にヨーロッパの影響を受けキリスト教が広がった。
ボビー・オロゴンの出身地であるイバダンは南西部に位置し、ラゴス、カノに次いで3番目の大都市。

[ベナン]ポルトノボ

protonovo

<ホテル隣の集落とラグーン(航空写真)

大都市コトヌーは雑然として、バイクが多いため排気ガスが酷い。信号が変わると、ブンブンブンブーンとバイクが一斉にアクセルをふかして車の間の隙間を埋めながら二車線の道いっぱいに広がり、更には歩道にも溢れだす。蜂の大群が車や人を飲み込んでいくようだ。

コトヌーに泊まる気がしなかったので、ナイジェリアとの国境に近い首都ポルト・ノヴォまで移動。渋滞で到着が遅くなり、博物館や植物園らしきものがあったのだが閉まっていて観光できなかった。

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ポルトノヴォのホテルは恐ろしかった。シャワー及びファン付でトイレ共同の部屋なのだが、2つの空き部屋のうち、ひとつは手洗い用のシンクが室内で崩れ落ちたままになっていて、もうひとつはシーリングファンが壊れて外されていた。スタンド式扇風機があるというので、その部屋にしたのだが確認不足だった。

すぐに網戸の大きな穴に気がつき補修するよう要求したが、窓を閉めればいいじゃないかと言われ納得してしまった。ひと晩中扇風機を回していればいいかと思ったが、スタッフが持ってきた扇風機はカバーがなく羽が剥き出しで回り、危険で今にも外れそう。さらに、首が落ちないように紐で固定されているので首を振ることができない。その程度はまだ我慢できるが、部屋の扉のノブが内側も外側もネジが留まらず取り外し可能になっている。これで鍵を閉めて、施錠の意味があるのだろうか。

食事を終えて戻ってくるとまだまだあった。室内の電灯が3つあるうちひとつしか点かず豆電球なみの暗さだ。1階の道に面した部屋なのだが、カーテンが窓の半分しか覆っていない。どうせ暗い室内だからあまり問題ないか。一番の問題はシャワーが飾り物だったことだ。シンクで水が出たのでチェックを怠ったが、シャワーヘッドのネックがポッキリ折れているのには気づかなかった。蛇口からは水がちょろちょろ出て、近くにバケツが置いてあるのでこれに溜めて体を洗えば問題ないではないかということなのだろう。

アフリカ人は、車や電気製品などがどんなに古くても修理して使い続ける執念があるが、直さなくてもなんとかなるものは、たとえ簡単な修理で済むものでもそのまま放置する傾向にある。より快適により安全にということを求める人が少ないのだろう。

<ベナンめも>

abomey
  • 人はコトヌも含めて良さそう。親切さを強く感じることは少なかったが、逆に今までの国よりも私の存在を過剰に意識するということがない。(シノワ攻撃も少ない)
  • トーゴでも多かったバイクだが、こちらベナンの方は排気ガスが白く、目,喉への刺激が強く耐えられない。
  • 喫煙者は皆無。(ベナン人は喫煙者を信用しないとのこと)
  • ウイダー、アボメイの地方都市ではまともなレストランを見つけられなかった。ガイドブックに載っていた店は存在しないか閉まっている所ばかり(ロンリープラネットの情報が古すぎ)で人に聞いてもそれらしき店がみつからない。路上サンドイッチ屋も非常に少ない。あるのは飲み物しか出さないBar&Restaurantと路上で汚い容器に白いご飯を入れ、得たいの知れぬ汁や具をかけるぶっかけご飯屋。白いご飯が苦手な私はたぶん最後までこれには手を出さないだろう。よって、フランスパンとフルーツのみだったりする。(ところが後で白ご飯汁かけ屋台物を食べることになる)
  • ベナンで焼きバナナをみかけなくなったのだが代わりに美味いものをみつけた。右上の写真の揚げ物で白っぽいものがイモで濃い色がチキンかと思ったらガトーと言っていたのでお菓子のようだ。1個2円で20個食べれば腹が膨れる。しかし、毎日はきつい。
  • セダンの助手席に客2人、後席に4人乗車はアフリカ標準だが辛い。ガーナのように乗り合いワゴンをたくさん走らせれば良いのに。
  • 大都市は排気ガスが酷く、地方都市は食べられる物が少ないので、この国では1週間ぐらいしか生きていられないだろう。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[ベナン]アボメイ

abomey

<マーケット近くに店を出す家族(2枚組)

この国へ観光で来たならばぜひ訪れるべき町と言われるだけあり、ヨーロッパの観光客も多く見かけたが、大した見ものはない。世界遺産アボメイの王宮群(航空写真)は撮影禁止なのでつまらなさを紹介できないが、遺跡の庭園や周辺の緑が美しいのでもう少し磨けば外国人観光客が満足できるレベルになるかもしれない。

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abomey

<大きな教会に家族毎お揃いの服を着た人々が集まる>

マーケットがあり、ほとんどの道がアフリカらしい土の道で、アフリカ好きの私には悪くない町だ、しかし、アクセスで疲れ、ホテルで眠れず、食べる物があまりなかったので印象は良くない。

コトヌーからアボメーまで(区間ルート)の移動は、アフリカによくある助手席2人後席4人の詰め込み乗り合いタクシー。時間が短くてもやはり苦しい。更に道が悪く粉塵が怒涛のように顔を襲い息ができなくなる。
ウイダーからコトヌーまで(区間ルート)のタクシーは定員乗車だったのでアフリカも変わってきたのかなと思った。女性をはじめアフリカ人の体格が大きくなってきているのだから各シート定員+1はそろそろやめてもらいたいものだ。

ホテル近くの広場は早朝まで音楽でうるさかった。そのうち止むだろうと耐えていると大音響が延々と続き、4時ごろ隣の部屋の客が大声で話しながら帰ってきて朝5時には音楽が止んだようだ。しかし、すぐに朝の7時から大音響の音楽が始まる。周辺に民家はいくらでもあるのに苦情がないのだろうか。
ベナン人の耳はどうかしている。

[ベナン]ウイダー

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<路上の売り子(かわいらしく撮れなかったので2枚組)

緑が美しく小さくまとまった町は散歩してもバイクタクシーに乗っても気持ちがいい。これで観光資源が充実していればお勧めできるスポットなのだが。
観光ポイントになっている博物館と聖なる森は、どちらもこんなの見るために外国人観光客来ないでしょうというレベルなのだ。

美しい女性やかわいい子供も多く、挨拶を交わしながら楽しめる。しかし、写真を撮っていいかと尋ねると初日は見事に全て断られた。
2日目の朝、静かな通りにぽつんと店をだしていたおじょうさんが愛想良く応じてくれた。

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10ドルのホテルは部屋の床のあちこちで土が堆積して、様々な虫が入り放題の隙間がある。さらにマットはよれよれでかなり厳しいものがあったがスタッフは親切だった。
彼は最初から何かと世話を焼いてくれていたのだが、水を買いたいと尋ねると2ブロック先のBarで買えると言い、わざわざ一緒に付いてきてくれた。百円の水だが2千円分の紙幣を差し出すと釣りがないから売れないと断られる。客が頻繁に出入りしている店でそのくらいの釣りがないはずないのだが、この町では博物館も路上売りもバイクタクシーも全て釣りを断ってくる。

最初にホテルに連れて来られたバイクタクシーの代金はホテルスタッフに立て替えてもらい、さらにホテルで小銭に崩してもらった。しかし、街の人たちがみな釣銭を拒むのでその小銭を全て使い果たしてしまったのだ。他に水を売っている店はなさそうで、水なしにあの部屋で一夜過ごすことはできない。
慌てずじっくり構えていれば誰かが動いてくれるだろう、私はそう思い、別の客の相手をしている店員を待っていた。そうするとしびれを切らしたホテルスタッフが自分のポケットから百円出して、ほら貸してやるよと渡してくれた。何度も小銭借りて悪いね、にいちゃん。

翌朝、どこで金を崩せるか彼に尋ねると、バイクタクを呼び、私をある場所に連れて行くよう指示した。町の中心部に近い民家で降ろされ、ドライバーが声をかけると、バッグを抱えたおばさんが現れる。大きめのバッグには小銭が沢山詰め込まれていて、50円分の手数料を取り二千円札を細かくしてくれた。そして、彼女は欲深そうな目で睨み「もっと両替しなくていいの?」と言う。
この町の小銭は全てこのおばさんに集められているのだろうか。

ouidah

<聖なる森近くの雰囲気のある並木道>

[トーゴ/ベナン国境]Anecho

小国同士の国境なので楽に通過。

≫国境越え詳細
  • ロメから国境の町アメホまで乗り合いタクシーで2時間。区間ルートをみると50km弱だが、ルート後半は未舗装の悪路だった。
  • トーゴ出国時、税関、出国税、賄賂要求なし。カード記入も不要で係官が台帳に記入。
  • 両国間のイミグレーション(出入国審査場)近い。(荷物が重くなければ越境直通タクシー不要)
  • ベナン入国時、税関、入国税、賄賂要求なし。カード記入不要でトーゴよりも詳細な内容を時間をかけて係官が記入。
  • 国境からウイダーまで(区間ルート)乗り合いタクシー1時間。
<ベナン基本情報>

[首都]ポルトノボ、 [通貨]CFAフラン(2008年11月, 1CFAフラン=約0.18~0.2円)
[公用語]フランス語、 [宗教]伝統的宗教65%、キリスト教20%、イスラム教15%
[入国ビザ] 必要、アクラで5ヶ国共通ビザ取得(3万CFAフラン)
[歴史/概要]
17世紀に成立したダホメー王国は奴隷貿易で繁栄するが、1894年フランスによって征服される。1960年に独立後、一時、社会主義国にもなるが、1990年からベナン共和国として現在の姿になる。
国民の大半が農業に従事して綿花、トウモロコシなどを生産。海底油田の開発は停滞しており、石油製品の大部分を隣国ナイジェリアに頼っている。ヴードゥー教はベナンが発祥といわれ、1992年にベナンの国教となる。オフィス北野所属のゾマホン・ルフィンはベナン大統領特別顧問(ゾマホン氏関連のwebサイトはベナン情報事前チェックに必須)。さんまのからくりTVに出ていたアドゴニー・ロロの出身地。