[フランス]ストラスブール
劣悪地帯を抜け出してほっとした気分だ。ベネルクスがそんなにひどい所だとは思いたくないが、フランスの地方都市に入って、こんなにも人の対応が変わるのかと思った。
夜の宿探しはもうやめようと思い、早い時間帯に到着できるよう、ルクセンブルクから適度な距離にあったストラスブールで泊まることにする。
ガイドブックに載っていた宿でチェックインできたが、そこの中年女性スタッフが実ににこやかに応対する。
ここは物価が安そうなので、ヨーロッパの牛丼的位置づけのケバブはやめようと思っていた。ただ価格チェックのつもりで覗いていたら、ついついお店の姉ちゃんの愛想の良い誘いに負けてケバブを頼んでしまう。他の店の兄ちゃんも街で道を尋ねたお婆さんも、今日は会う人全てが心地よい。
ストラスブールは運河に囲まれた周囲2kmの街の中心部に古く美しい街並みがあり、見応えあるノートルダム大聖堂と趣深いアルザス博物館を見学しても半日あれば十分。お手軽観光地だ。
[ドイツ]アウクスブルク
フュッセンの宿を予約しようとしたが、満室だった。アウクスブルクに泊まろうと思い、ツーリストオフィスで部屋の予約を頼むと、安い順に電話をかけ3軒目のホテルで予約が取れる。これは楽だ。
中心部から離れた住宅街で予約したホテルを見つけられたがスタッフがいない。ドアホンで会話して建物の入口を遠隔地から開けてもらい、中にある部屋の鍵を勝手に取ってチェックインするようだが、どの部屋も同じ料金なのかという質問が通じない。相手は英語を話しているつもりのようだが、定型文以外は半分以上の単語がドイツ語になっている。何度も問答を繰り返すうちに老齢と思われる相手の女性は最初の定型文に戻っている。だから、ドイツ語はわからないんだって、もう勘弁してくれ。私はドアホンの前で気が狂いそうになっていた。
予約手数料を払い郊外まで来ているので引き返すことができない。20分経ち途方にくれたころ、別のスタッフが車でホテルに来てくれた。このスタッフは数字すら英語で話すことができない。しかし、顔を合わせればあっという間にコミュニケーションが取れ、無事チェックイン。
不安なホテルだったが、静かな部屋で清潔、朝食がとても充実していたので2泊することにした。
アウクスブルクの街はまあまあ。家なみのきれいな通り(写真)があったので、もっと心躍るような景色があるのではないかと歩き回ったが、みつからなかった。
[ドイツ]フュッセン
ノイシュバンシュタイン城は観光用につい最近建てられたのではないかと思えるほどきれいにメンテナンスされている。あまりにも有名なため実物を見ても城そのもに感動がないが、周りの景色が見事で、よくぞこんな場所に城を建てたものだと感心させられる。周辺は軽い山歩きも可能で、トレッキングを目的に訪れるのも良いかもしれない。
しかし、山の景色に興味のない人が(この時期ですら)これほどまでに混雑する城を見にわざわざ来るほどのものだろうか。
また、ついでに訪れるホーエンシュバンガウ城は内部見学をパスした方が良い。印象が薄すぎて全く記憶に残らない。
それにしてもドイツの人々はなぜこんなに愛想が良いのだろう。陽気に振る舞う車掌のおかげで列車の旅が更に楽しくなる。ドイツ人は神経質で人あたりが悪いという勝手な思い込みがあったが、完全に間違いだった。ドイツに来て、大学の第二外国語で学んだ単語が少しは頭の中に残っていることに気づいた。今度もう少しドイツ語を勉強して、国内をゆっくり旅してみようか。
[オーストリア]ザンクトギルゲン
<ツヴェルファーホルン頂上からの眺め(2枚組)>
目測を誤った。大幅に誤った。
ザンクト・ギルゲンのバス停近くにあるロープウェイの麓駅からは頂上駅が見えていた。険しい山を登っていくように感じたが途中に支柱は2本しかなく、ロープが大きく垂れ下がっていた。標高差200mぐらいか。これで往復17ユーロは高い。歩いて2、30分程度とみて、ロープウェイのパンフレットに載っていた大まかな地図を頼りに頂上に向かい登り始めた。
集落を抜けると、車2、3台分の幅で整地された林道が続いていた。案内板も時々設置されているため、この道を進めばまもなく到達するものと気楽に歩いていた。路面の凹凸が少なく歩きやすいが、かなり急な坂が延々と続く。
30分経った。高度差はほぼ正確に計測可能な腕時計で300m登っているが、まだ林を抜けていない。200mと思った頂上は意外と高かったんだ。標高差400m以上あったら日記に書いておかないと。その時はまだそんなことを考え、汗をかき始めていたが水も持たず、カメラだけぶらぶら提げてペースを落とさずに登り続けた。
500mを越え林をやっと抜けると、まもなくしてロープウェイが見えてきた。頂上駅がそこにあるのか。しかし、全体が見渡せるところまで出てきて愕然とする。まだロープウェイの支柱1本目だった。視界が開けて上方にロープウェイ頂上駅が見える。今度こそ近そうだ。標高差100mいや150mぐらいだろうか。ノンストップで550mぐらい登ってきたため、かなりばてていた。山小屋レストランが2軒あったが高そうだ。喉が大分乾いていたが、もう少し我慢しよう。相変わらずハイキングコースのようなのんびりした道が続いていたため、頂上に向けてスタートした。
麓で大きく誤っていた目測は最後まで修正されなかった。頂上を間近に見ながら、なかなか辿り着かない。そんなはずはないと思いながら登り続け、だんだん意地になる。最後は雪渓をトラバースしながらツヴェルファーホルンの頂上に到達した。麓駅からの標高差900m以上。1時間半かかった。(普通にゆっくり登れば3時間近くかかるのでは)
残雪のある頂上付近だったが、Tシャツ姿で顔や体中から塩が吹き出ていた。水なしでこれだけの高度差を一気に登ったのは初めて。
ヨーロッパ人には軽い散歩道のようだが、日本であれば本格的な登山に相当する標高差だったのだ。ヨーロッパのスケールは大きい。恐るべしヨーロッパ。
[オーストリア]ハルシュタット(Hallstatt)
晴れてはいなかったが、気候が良かったのだろうか。とてつもなく心地よい。
濃い緑に囲まれ、ひんやりとする空気を吸うと体の中がきれいになっていく気がする。静かな湖が木々の緑や湖岸の建物を映し出す。驚くほどの景色があるわけではないが、自然のひとつひとつが輝いてみえる。
ここは塩坑の残る歴史ある町。ケーブルカーに登って訪れる塩坑博物館は、ちょっとしたアトラクション付きで見学が楽しめる。オーストリアの観光地は入場料が高いがそれなりのものはある。
私のガイドブックで半ページほど紹介されているだけだったがいいところを見つけたと思っていた。博物館のある山から湖岸の町に降りてくると、日本人、韓国人、中国人などの東洋人ツアー客がいるわいるわ。
実は有名だったんだ、ハルシュタット。
また訪れてみたいところだが、夏は相当混むんだろうなあ。
[オーストリア]ザルツブルク
ザルツブルクには華がない。
ハルシュタットやザンクトグリゲンなど、周辺の景色が魅力的だったためこの街の観光も期待できると思い、同じホステルに3連泊した。街の中心を流れる河、街中の丘陵の上に築かれた城、大きな教会、赤い瓦屋根。今までずっと見てきたヨーロッパの街のパターンを踏襲しているだけで、何ひとつ優れたものがない。有料施設は見せようという努力は感じるが、これといった見所がない。モーツアルトの故郷であることとビールで有名な街だが、観光客もこれでは辛いだろう。
半日で観光を終え、スーパーでそのまま食べられる食料や靴下を探す。大きなスーパー(SPAR)があるが、なかなかそのまま食べられるものがない。おとといの予期せぬ登山で、今まで毎日の手洗いに堪えてきた唯一の靴下がついにキレ、大きな穴を空けた。ストラスブールにはあった1ユーロショップはこの街でみつけられない。安い靴下がなかったので穴を縫ってもう少し頑張ってもらうことにした。
スーパーで売られる真空のビニール袋に詰められたパンは安いのだが、極限まで乾燥している。(何かしら調理すべきパンなのだろうか)
私は食事の際に飲み物を取らないことが多いが、このパンはひと口ごとに水を飲み込まないと喉を通らない。まるで粉薬のようだ。
ドイツやオーストリアなどの水道水は私でも問題なく飲めることがわかってきた。ミネラルウォーターなどという高価なものは買わず、ペットボトルに水道水を入れて凌いでいる。
しかし、スーパーのパンに水道水という組合せは、不味さを際立たせている気がするなあ。
[スロベニア]ブレッド(Bled)
景観はもうひとつだが、雰囲気がすばらしく、宿は大当たり。
周囲数キロ程度の湖に浮かぶ小さな島。そこに教会がなければ、日本にもありそうな長閑な湖畔にすぎない。しかし、何かが大きく違う。ヨーロッパ人の自然の楽しみ方が卑屈な私にも豊かな気分を与えてくれるのだろうか。
滞在者はみな水と緑が送るさわやかな空気を満喫している。湖の周回道路を散歩やジョギング、自転車、ローラーブレードなどで汗を流し、湖上では競技用のボートでトレーニングする。湖面の色が濃い。白鳥や鴨の親子が餌付けされ、人が近くに寄っても逃げない。
宿は広々としたダブルルームに豪華なビュッフェスタイルの朝食が付いて24ユーロ。久々にフルーツやヨーグルトなどの食料をたらふく食べることができた。あと野菜さえとれれば栄養十分なのだが、朝食にサラダは付かず、食事でとりたいが高くて手がでない。
それにしてもヨーロッパのカップルはくっつきすぎだ。若者から中年まで、どうしてそんなにベターっとくっついていなければならないのか。この清らかな雰囲気の湖畔は、アベックの気分が高揚してくるのか。ベンチでの抱擁は目をそらすことができるが、私を追い抜くほどのスピードで散歩していた男女が急に目の前で立ち止まりキスをするのはどういうことだ。
おいこら、あんたら中年が何のきっかけがあってそこで急に接吻するんだ。
[スロベニア]ユリアンアルプス
ユリアンアルプス(Julian Alps)の名に惹かれて訪れたのだが、自転車に乗り、軽い山登りをしただけだ。
予算オーバーのためスイス行きをほぼ断念しているため、代わりにユリアンアルプスで頂上を雪に覆われた峻険な山なみの眺めを期待していたが、ちょっと違った。確かに谷川岳もびっくりの垂直の岩山が切り立っているが、本物のアルプスはこんなもんじゃないでしょう。ここにもきれいな湖がありブレッドとかぶってしまったが、教会や城がない代わりに本格的な登山のできる山と滝があった。
私は自転車と登山で滝を見に行った。大きな滝は全体の落差が200mぐらいありそうで、近くまでいくと迫力満点だったが、残念ながら全体が見えるポイントがなく写真にも収められていない。(右の写真は落差50mぐらいの別の滝)
ヨーロッパの夫婦は子供がどんなに小さくても何人いようとも観光旅行に連れてでかけるようだ。母親が幼児を抱き、父親が乳児をベビーカーごと抱えて城へ続く石段を登る姿を見ていると、そんなにまでして観光する必要があるのかと思ってしまう。
ここユリアンアルプスでも、湖岸の道を自転車に乗っていると、マウンテンバイクの前後に小さな子供を乗せて走っている親たちをよく目にする。
私が猛スピードで自転車を走らせ、子連れ夫婦の自転車を追い抜く時、後ろに乗っている女の子と視線が合った。幼児用の本格的ヘルメットをかぶったまま後部席でじっとしている姿が妙にきまっていたので、敬意を表して軽く手を上げオスと挨拶した。彼女はほとんど反応しなかったが顔が少しほころんだような気がした。私が湖岸に下りて写真を撮っているとこの夫婦の自転車が通り過ぎる。すると、後部席の幼女が私に向かって片手をさっと高く上げた。木陰にいる私をみつけたことに驚き、私は大きく手を振り返した。
その後しばらく自転車を走らせると、ルート確認のため停止しているこの家族の姿が見えてきた。彼女は自転車後部席に乗ったまま顔を後ろに向けずっと私の自転車を待っていたようで、私の姿を確認すると喜んで両手を振ってくれた。
ヨーロッパのお子さまと初めて心触れ合えた気がして、この日はずっとうれしかった。
[スロベニア]リュブリャナ
やはり、東欧の街はこんなものか。食べ物がもう少し安ければ街のつまらなさを補えるのだが。
パターンが同じなのだ。険しい高台の上に城があり、街中に高い尖塔を持つ教会があり、川が流れて、旧市街には赤い瓦屋根の建物が並ぶ。
宿はユースホステルになってしまった。ドミトリーでなく個室という条件は維持しているが、半地下にある広々した部屋にベッドと椅子だけが置かれ、他は何にもない。独房でもトイレはあるはずなのに。
それにしても、こんなによく反響する建物をなぜ宿として使っているのだろう。ドアの開け閉めや廊下を歩く音、水まわりのあらゆる音、そして脳みそがひっくり返っているようなヨーロッパの若者たちの話し声が、独房のベッドに横たえている頭の芯まで響く。
とは言いながら、スロベニアはすばらしい国だった。人がみなにこやかで、やわらかい。少なくとも私が接した全ての人が英語を上手に話す。列車やバスはドイツやオーストリアなみの正確さと清潔さがあり移動が楽。トイレも比較的多く清潔で、ペーパータオルが付いていることが多く、さらに全て無料なのがヨーロッパにしては驚きだった。
ブリキの石油缶の中にいるようなユースホステルの部屋で夜寝付けなかったため、翌日、予定の時間に起きられなかった。トーマスクック時刻表に載っていないローカル列車に乗り込み、国境の駅まで調子よくたどり着いたが、そこからの乗り継ぎが3時間半待ちになった。しかたなく駅周辺の片田舎を散歩する。国境の町にしてはのどかすぎる。やはりヨーロッパは安全なんだなと思っていた時、パトカーがすごい勢いで走ってきて私の前で停まった。
『すみません、パスポートをみせて下さい。国境付近は不法入国者が多いので、この辺を歩き回る外国の方を確認させていただいてます』
ほんの数分しか歩いていなかったのに誰かが通報したのだろう。にこやかな笑顔で警官がパスポートをチェックする。
『ありがとうございました。これが我々の任務ですので。ご不便おかけして申し訳ありません』
海外と比べると、日本の警察はへりくだりすぎの嫌いがあるが、彼らはその日本の警官にも劣らぬ腰の低さ。
スロベニアは、観光資源は豊かでないが日本人にとって心地よく感じる国だ。
[クロアチア]ザグレブ
スロベニアの快適な列車からクロアチアの列車は一変する。落書きが多い、シートが古い、トイレが汚い、座席の窓に子供たちからボールをぶつけられる。そして、意地悪しているだけかもしれないが、入国審査官ですら英語を話さない。
ザグレブで初めてプライベートルームを利用することになった。国によっては、共同部屋でなく、仕切られた部屋という意味でプライベートルームという言葉を使っているが、ヨーロッパでは一般の方のアパートの一室を借り、トイレやバスルームをオーナーと共用してホステルなみの宿代を払うというものだ。
駅のツーリストインフォメーションで予約して街の中心に向かう。駅前から中心部まで古いヨーロッパ式の高層ビルが続く。そのプライベートルームもビルの入り口にある小さなボタンを押すと部屋からの操作でドアが開けられ、エレベーターのない大きな階段を4階まであがる。
オーナーは高齢の女性。子供が出ていったあとの部屋を貸し出しているようだ。このようなシステムが初めての私はいろいろと質問するのだが、皺の溝を化粧で埋めた顔を近づけノープラブレムを繰り返すだけでまともに答えない。部屋はきれいに掃除されているが、私用物があちこちに置かれ、クローゼットを開けると洋服がぎっしりとつまり、空きのハンガーもない。
居心地が悪い割にはやけに高いプライベートルームだった。
[クロアチア]ザグレブ(2)
月曜日で博物館が休み。雨が降り非常に寒い。わかりにくい街。これだけ重なると何もすることがない。
商店街の中心を探して歩き続けたが、古い大きなビルが続く街中には商店街というものはなさそうだ。東欧でよく見る無機質なビル群は住居用かオフィス用にしか向いていない。ところどころに商店があるが入り口がわかりにくかったり、中を覗くことができず何の店かわからない。また、このビル群が安ホテルの提供を妨げているようだ。ザグレブの人たちは店のない街中でよく生活できるものだと思っていた。
ところが、駅近くにある地下の入り口が人の出入りが多いことに気が付き、私も入ってみて驚いた。そこには巨大な地下商店街があったのだ。駅の近くなので何度も通っていたところだが、こんな商店街があろうとは今まで思いもしなかった。地上の古いビル群を維持するため地下に作るしかなかったのだろうが、なぜこのように他所者にわかりにくくする必要があるのだろう。
ザグレブの駅前に同じ間口の屋台のイチゴ屋が15軒並んで商売している。周りには新聞などを売るキオスク以外他の店はない。イチゴだけだ。なぜ、バナナやリンゴは売らないのか。なぜ、値段も中身も全て同じなのか。なぜ、街の人々はこの15軒のイチゴ屋の中から迷わず1軒を選び買っていくのか。何度も観察していたが、何も解明できない。不可解なイチゴ屋群だった。
[ボスニアヘルツェゴビナ]サラエボ
また、プライベートルームの世話になることになったが、ルームがプライベートではなくなった。ただ、単に民家に泊まらせてもらうだけで、プライバシーは全く守られない。
朝6時すぎに列車が終点サラエボに着いたようだが、予想以上に小さな駅だったので確認していると私はほとんど最後の降車客になってしまった。列車に乗り込んできた客引きの元気なばあさんが私を捕まえた。
駅の周りは閑散として、一見してホテルがないことがわかったのでこのばあさんについて行くことにした。
サラエボはソフィアなみに危険な街のようだ。このばあさんが一緒に乗ったトラム内で、ジプシーがポケットを狙っている、バッグを体の横にかけるなとうるさい。
トラムで移動後、街の中心から10分ぐらい急な坂道を上ったところに彼女の家がある。居間兼台所とその奥にベッドルームがあるだけ。6畳程度のそのベッドルームが私に与えられるようだが、鍵がかかるわけではないし、トイレに行くためには彼女が寝るという居間を通る必要がある。プライバシーに問題あるがばあさんだから大丈夫だろう。1泊10ユーロと安く、夜行による到着で動くのが面倒だったのでそこで荷をほどくことにした。
前の晩そこに宿泊していた韓国人旅行者が起こされ、一緒に朝食をとる。夕方まで部屋にいることを望んでいた韓国人は強引に追い出された。
街を散策すると内戦の銃痕や廃墟となった建物が見られ、物乞いが多い気がするが、人々の表情は明るい。
部屋に戻ると昼食も作ってもらい、ばあさんと2人だけで食べることになる。彼女はソファで私の横に座り、夕食も一緒に食べるから外で食べないようにと念を押す。そして、短めのスカートから伸びた足を組んで、ねえ私いくつにみえると尋ねてくる。ばあさんが何でそんなことを訊くのだろう。背骨の曲がりぐあいと顔や手の皺の多さから65歳ぐらいかと思ったが、一応女性なので10歳サバ読んで55歳と答える。
『えー何言ってんのー、冗談言わないでよー。45歳よー』
私は思わず口に入れたパンを吹き出しそうになった。えーはこっちのセリフだ。45だなんてそんな訳ないだろう。彼女が証拠として取り出したパスポートを確認すると、恐ろしいことに本当のようだ。んー、そういう目でみれば45に見えなくもないが、そうするとこのプライバシーのないプライベートルームはいくぶん危険ではないだろうか。
いくぶんどころか夜はかなり危険だった。大事にはいたらずに済んだが。(思い出したくないので詳細割愛)
もうプライベートルームはこりごりだ。
[ボスニアヘルツェゴビナ]モスタル
<モスタル旧市街の古い橋の地区/スタリ・モスト(2枚組)>
ホテルに空きがなければ次の街に移動しているところだった。
街中にある3つ星ホテルで1室だけ空きがあると言われる。24ユーロ、安い。今までの疲れをここで回復していこうか。いや、バスの発車まであと1時間、その程度で観光できる小さな街ではないのか。
部屋を取るかどうか保留したままホテルを出てきたが、近くの橋を渡る時、川の色に驚いた。それは見たこともない濃い緑色。そして、川の向こうには街を囲む険しい山が輝いていた。すぐにホテルに戻りチェックインした。
ヘルツェゴビナの中心都市であるモスタールは、内戦時に街のシンボルである橋も含めて多くの建築物が破壊されている。ローマ遺跡のように壁だけが残された大きな建築物がところどころにある。サラエボと同様、教会とモスクが共存している。
顔つきが良くないため無愛想に見えるが、こちらの人々の対応は妙に柔らかい。バスが新しく磨かれていて、日本国民からの贈り物という表示と共に日の丸がペイントされたバスもみかける。食べ物は肉と野菜が豊富で安い。
半日、ゆっくり歩いていれば幸せな気分になれる。
[クロアチア]ドブロブニク
城壁に囲まれた古い街並みを残すドブロブニク(ドゥブロヴニク)は観光スポットとしては第一級だ。
城壁に登り一周することができる。城壁内に密集する赤い瓦屋根を目にした時、雨の日でもなかなか美しいと思った。しかし、城壁はうんざりするほど長く、赤い屋根も見慣れてしまうと飽きてくる。街中を歩いたり、博物館や教会に入ってもこれといった見所がみつからない。しかし、観光客は非常に多い。
山がせまり、多くの入り江を持つこの辺りの海は、天気の良い日はため息の出るような美しさだろう。世界遺産に指定される前のドブロブニクにぶらり立ち寄っていれば、どれだけ感動したことかと思われる。
[モンテネグロ]コトル
<コトルの城壁(縦)/コトル旧市街(横)航空写真>
四方を険しい山で囲まれた海。そうあるものではない。
城壁で守られた海沿いの要塞集落としてコトルも世界遺産に指定されているが、旧市街の大きさや美しさはドブロブニクから2段階ぐらい落ちる。しかし、ここには美しい山とその中腹まで延びる魅力的な城壁がある。
コトルは口を小さくすぼめた深い入り江の奥にある。湖のように穏やかな海をそそり立つ山々が見下ろす。海岸沿いのわずかな平地に赤い瓦屋根の集落が点在する。
城門を抜けて要塞内に入った時、予想外の華やかな雰囲気に意表をつかれ、建物のすぐ後ろに迫る山の景色に驚かされる。標高240m程の城壁を登っていくと、刻々と変化する海、山、家々の眺望が楽しめる。
見所がコンパクトにまとまっているので、半日もかからず観光は終わってしまうが、天気が良ければ1日ゆっくりしていたい場所だ。
モスタルでは、ここはボスニア・ヘルツェゴビナでなくヘルツェゴビナだという意識を強く感じた。モンテネグロでも同様で、こちらの地図ではセルビアはモンテネグロと別の国として色分けされる。
セルビアを観光していた時、セルビア・モンテネグロの公式通貨であるディナールを意図的に残していたが、モンテネグロ内ではユーロしか使えない。(旅行中は全く気づかなかったが翌日の2006年6月3日モンテネグロが独立を宣言する)
[モンテネグロ]ブドゥバ
<ブドゥバ旧市街(航空写真)>
海沿いの街を巡り3日目、やっと波の音を聞いた。潮の香りも漂い、海に来たと実感する。
コトルが期待以上だったため、構成が似たような観光地とわかりつつブドゥバに立ち寄った。泊まるかどうか決めていなかったが、バスを降りた時に激しい雨に遭い、ターミナル近くの小綺麗な宿を訪ねると、20ユーロという安さに迷わず部屋を取る。
コトルでは、海に面した(かつての)高級リゾートホテルが27ユーロという安さに感動していたが、ブドゥバの20ユーロのホテルは部屋や朝食のグレードがコトル27ユーロより大きくアップ。
セルビア・モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロベニアあたりが私がイメージしていた東欧の物価の安さだ。
食べ物も安く、さらに食品の種類が豊富(ここがセルビアとは異なる)なため、初めて魚を1匹食べるなど、食いだめしている。観光地としてのブドゥバは、レンタカーで来て1、2時間立ち寄るぐらいがちょうど良い場所だったが、休養を取り栄養をつけるという意味では良いところだった。
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長年にわたる動物愛護の賜物か、犬、猫、鳩をはじめとして人なつっこい動物がヨーロッパでは多い。スズメは決して人のそばに近づかないものと思っていたが、鳩と一緒に人間の近くでパンくずを食べるだけでなく、餌をねだってくるモノまでいるのには驚いた。
ザグレグのホームで列車を待っていた時、一羽のスズメが近寄り、私の足下でちょんちょんちょんと気を引くように軽くジャンプした後、くいっくいっと私をみつめながら顔を左右に傾ける。かわいらしいしぐさに私は何か餌になるものがないか探していると、そのすずめは隣のベンチの人に移り、同じようにちょんちょんちょんとおねだりジャンプする。
ブドゥバの食堂で昼食をとっていると、開け放された入り口からスズメたちが何羽も入ってきて、床下にこぼしたパンくずをあさる。そのうち一羽が食事中の私の目の前でテーブル上を軽いスキップで歩きまわり、立ち止まると私の顔をみつめてくいっくいっと顔を傾ける。
日本からやってきたスズメが見たら驚いて叫ぶに違いない。おい、お前ら人間に媚びるとは、雀魂を失ったのか。
この日、モンテネグロがセルビア・モンテネグロから独立宣言をして両国は分離独立することになったが、旅行中は全くそんなことに気づかなかった。
テレビや新聞を見ていないというだけでなく、地元の人と交流していなかったということだ。平和裡に独立が行なわれたので良かったが暴動でも起きていれば大変。もう少しゆっくり旅しよう。
[モンテネグロ]バル
ドブロブニクから雨が降り続いている。ヨーロッパに入ってからずっと雨につきまとわれているような気がする。
ドイツなど高緯度の国々では、雨といっても小雨がぱらつく程度で、人々は傘を持ち歩かない。それが南に下がってくると本格的な雨が多くなる。
しかし、一日中降り続けることはなく、強く打ちつけたかと思うとすぐ止み、晴れ上がったかと思うとまた降り出す、とまるで山の天気のようだ。
1日の気温差が大きいのはヨーロッパどこでも同じようだ。Tシャツ姿でも汗がでる暑さから、ジャンパーを羽織っても手がかじかむ寒さまでの気温の変化を1日に何度も繰り返すことがある。ヨーロッパの街では、暑さに強い人と寒さに強い人が両極端な格好で歩いている。私は彼らのように肌が丈夫でなく変温動物でもないため、Tシャツ1枚、長袖を羽織る、さらにジャンパーを着るということを頻繁に繰り返していなければならなかった。
バルは南国のような強い雨が降っていた。道路に大量の水が流れ、とても観光できる状態ではない。さらに街の地図をみつけることができなかったため、夜10時に出航するイタリア行きのフェリーボート周辺をただうろついていた。
[イタリア]ナポリ(1)
<ドゥオーモ教会>
モンテネグロのバルからイタリアのバリへの夜行の船旅は値段が高いだけで何の面白味もない。モンテネグロ側で運行しているようだが、サービスが悪くトイレが汚い。これでは価格が安くなっている飛行機に客を奪われるだろう。
バリからナポリへの移動は距離が200kmぐらいだと思うのだが、予想以上に交通の便が悪く、ローカル列車を乗り継いで1日がかりの移動になってしまった。
モンテネグロの隣国アルバニアの入国も狙っていたのだが、安価で安全な交通手段がみつからなかったので断念した。アルバニアに行かないとなると、今回の旅で最も危険な国はイタリアではないかと思っている。ナポリでチェックインしたホステルのスタッフからスリひったくりに対する注意を受けるが、その深刻さはソフィアやサラエボの比でなさそうだ。
街を歩くと車やバイクの凶暴さがエジプトやギリシャを思い出させるが、ここでは歩行者も負けていない。車の間隔が少しでも空くと赤信号にかかわらず強引に渡ろうとする人をよく見かける。すると2台目か3台目の車がその無謀な横断者の直前で停止する。今までの国ではなかったパターンなだけにちょっとしたカルチャーショックを受けた。
[イタリア]ナポリ(2)
<ヌオーヴォ城>
ナポリはどこ?
風光明媚で、史跡名所が多く、安く美味な食べ物が豊富で、明るく陽気な街。そんなナポリを探してしまった。
火曜日が博物館の休館日だったり、時々激しく雨が降るという不運が重なっていたが、それにしても1日歩き回ってもこれといった景観や見所がない。食事処は食べ飽きたピザ屋ばかり。
天気が良ければサンタルチア港やヴェスーヴィオ火山がもう少し魅力的なのだろうが、街はどこも見映えがしない。歴史的建築物の多くが黒ずんでいて、古い通りをベースに無秩序に発展させた街には絵になるポイントが見つからない。歩道は、駐車車両に占領されていたり、バイクが優先して走っているため歩きにくい。地元の人も恐れるひったくりは無法に走り回るバイクに乗って近づいてくるというから、バイクの音がする度に身構えてしまう。
観光スポットが整備されてなく案内板が少ない、交通規制や防犯対策を強化しようとしていないなどから、ナポリは観光客を歓迎しているとは思えない。見たければ勝手にみれば、スリやひったくりが多いけどね、という態度だ。
それにしても、中心街の多くを占めている石畳の道を一体いつまで使い続けるのだろう。滑りやすく大きな水たまりができる雨の日は、車も人も苦難を強いられ、社会的弱者を拒絶する。先進国イタリアの大都市に石畳の通りを残す必要はないはずだ。観光都市でもないのだから。
[バチカン]バチカン
<サンピエトロ寺院内(広場航空写真)>
人はパンのみにて生くる者にあらず。肉や野菜は必要だ。たまには麺も食べさせろ。
私の腹が不平を言い始めている。
イタリアの金のない若者などはパンばかり食べているのだろうか。昼も夜も歩きながらパンやピザを食べる姿が目につく。
さすがにローマまで来ると、麺食いの私としてはパスタが食べたい。しかし、安くても6ユーロ。座ると席料で1~3ユーロ取られ、見栄をはって安い飲み物を頼み、サービス料を乗せられたりすると10ユーロは軽く超える。昨日、ナポリであまりの雨の強さにピザ屋に入り、10ユーロ取られてしまい、二度と席に座って食事しまいと誓ったばかりだ。しかし、イタリア入りからパンとピザばかりの食事が続き辛い。
ローマを歩きまわり、やっと安そうなファーストフード店をみつけ、リゾットを頼んだ。ただの冷たいぼろぼろとした米はまずい。どこがリゾットなのか。しかし、久しぶりにパン以外を口にしてお腹が喜んでいる。食べ切れそうにもない量に見えたが、飲み物なしで一気に平らげる。これでも3ユーロ。今晩はこれで終いだ。
≫続きを表示
イタリアの宿確保はかなり難しい。事前予約が必須なことがわかり、いくつかのローマのホステルに電話したが、調べられた安い宿は全て3日後までも満室だという。もうヨーロッパの旅でレセプションや電話で「フル」の声を聞くのが嫌になってきた。かくなる上は郊外にステイして通うしかない。ナポリからローカル列車でローマ方向に向かい、ローマのひとつ手前の特急停車駅ラティナで降りた。駅の目の前に一軒だけホテルがある。空き部屋があり、価格はまずまず。英語が通じないため少し手こずったが、ローマから列車で40分弱のホテルに1軒目でチェックインでき大成功だ。
このホテルで電子辞書を使いながら、もっと安い部屋がないか尋ねたら、5ユーロディスカウントしてくれた。ヨーロッパに入ってからホテルではビタ一文ディスカウントせず値下げ交渉するだけで嫌な顔をされていた。しかし、ナポリでもそうだったが、イタリアでは値下げ交渉が必要なようだ。
バチカンは何という観光客の数だろう。博物館も寺院も入り口前の行列で30分待ちぐらい。中に入ってからも通路が人で溢れ渋滞。平日のディズニーランド以上の混雑ではないだろうか。サン・ピエトロ寺院の上から見渡すことができるというクーポラに上りたかったが、列に1時間並んでも切符売り場までまだ先が長く、腰が痛くなったため離脱した。
さすが、バチカンのお宝の量は半端じゃない。壁画や彫像など格の違いを感じるが、似たようなものが沢山あり何がなんだかさっぱりわからない。陳列スペースが寂しかった東欧の博物館に少しわけてやるわけにいかないのだろうか。
サンピエトロ寺院もその建物の巨大さと華美な装飾や偶像類の量にひれ伏してしまう。ただあまりに多すぎて、途中からもう飽きましたので結構ですと言いたくなった。この偶像の多さはまるでテーマパークだ。(他人様の宗教に口出しして申し訳ない、メッカのように信者のみを入場させれば、このような不遜な発言をする者に見させずに済むのでは)
[イタリア]ローマ
<スペイン坂/コロッセオ(航空写真)2枚組>
ローマに入ってから好天が続きナポリの寒さがウソのように暑い。今がローマ観光のハイシーズンなのだろうか。どこへ行ってもあふれんばかりの観光客だ。たとえツアーの観光客でも混雑した中で長時間待たされ、広い敷地内を延々と歩かされ、トイレは少なく、ローマ観光には体力と忍耐力が必要だ。ヨーロッパは年老いてから観光するところだという考えは大きな誤りだということを知らされた。
それにしてもこれだけの史跡を街中に残しながら、よく二千年以上も大都市として発展を続けてきたものだ。観光すべきモノがとてつもなく多いが、不勉強のために何がどれだけすごいのかが全くわからない。
印象に残っているローマの観光用写真がないため、これぞローマという1枚が撮れないものかと思い歩き回った。予備知識を持たずに見る分にはコロッセオがずいぶん大きいなあと感じるだけで、絵になるポイントがないことに気づく。
世界中からやってきた旅行者がローマの街を楽しんでいる姿を見ているとそれだけでうれしくなるが、相当の金と体力を使って観光するからには、十分に事前学習をすべきだと思う。
結局、2泊することになったラティナのホテルはステーションビュー(駅と列車が真ん前にみえる)の清潔な部屋なのだが、シャワールームがくさい。おそらく水のにおいだろうが、ボスニアやモンテネグロでも全く同じ不気味なにおいを水まわりに感じた。そう、モンテネグロのバルでは、カフェで出された水からこの強いにおいがして、口に含んだとたん吐き出しそうになった。
[イタリア]フィレンツェ
<ドゥオーモ>
フィレンツェはいかにもイタリアの観光地。
歩いて回れる範囲に観光スポットが集まり、適度な数の観光客がいて、主なスポットには警官が配置されている。街の案内は比較的わかりやすいが、ホテルや博物館のスタッフの態度はあまりよろしくない。
中心街は古い街並みが残され、イタリアの観光都市を歩いている気分になれるが、私がイメージしていた美しいヨーロッパの通りというものが見つからない。高いところからフィレンツェの街を見下ろしても、赤い瓦屋根が多いが特に魅力的な部分はない。ただドゥオーモだけは他にはない華やかさを持っていた。しかし、この建物も磨けばもっときれいになるはずなのに正面以外の壁はやたらと汚い。イタリア人はどぅおーも手を抜きたがる。
フィレンツェにもローカル列車で来た。ローマから特急の倍近い4時間かかったが、これで10ユーロ以上は節約できているはずだ。このままイタリア国内は最低料金で乗れるローカル列車のみで通すことができるだろうか。
フィレンツェは安いホテルが駅周辺に数多く集まっているという情報から、駅を降りて足で探したが、到着時間が15時とあまり早くないこともあり、安そうな部屋は軒並み埋まっていた。1時間ぐらいかけて40ユーロの部屋をみつける。それにしても、この古い石畳の道を重い荷物を持って歩くのは非常に疲れる。石がごろごろした登山道を歩くようなものだ。疲れてくるとすり減った石の隙間の窪みに足がはまり、捻挫しそうなほどに足首が曲がる。ヨーロッパの人々は関節が丈夫なんだろうな。
この街でやっと安くて栄養のある食事をみつけた。華僑が経営するテイクアウトの店だがチャーハン、焼きそばなどを使い捨ての皿に盛り、店内の隅にあるスタンド式カウンターで食べることもできる。この店を使えば、1日10ユーロあれば栄養十分で腹を満たし喉も潤すことができる。
華僑えらい。これから行くヨーロッパの街で次々と現れて欲しい。
[イタリア]パドヴァ
<サンタントニオ聖堂>
次はいよいよヴェネチアなのだが、ここも宿確保が非常に難しそうだ。列車で30分手前のパドヴァで足踏みすることにした。
パドヴァも世界遺産の植物園や有名な教会がある観光地。ツーリストオフィスでもらったホテルリストをもとに駅から近くて安い部屋のありそうなホテルにあたる。3つ星ホテルの別館にトイレ、シャワー共同の部屋があり、ちょっと値切って30ユーロ。今回も1軒目で大成功。
郊外での宿確保作戦は有効だ。
パドヴァは750年前に設置された大学が街の中心にある。大学があれば安い食堂があってもいいはずだが。大学周辺でみつからず、フィレンツェの経験をもとに青空市場の周りを探したが1軒もない。学生や庶民はいったい何を食べているんだ。こうなれば中国人を探すしかない。
中国人の歩くところに安い店あり。
中国語で会話する家族の後を追うと駅近くの路地に中国人向け店舗が何軒か並んでいるのを発見した。食事をとれる所はなかったが東欧なみの安い値が付けられたミニスーパーがあった。
この店のようにそれなりの価格で売ることができるのだが、特に付加価値もつけずに2倍、3倍の値をつけた店ばかりが目につく。ヨーロッパの一般庶民がより安い店で買おうと努力せず、高いコーラや水を買っていくのが納得できない。
フィレンツェの古い街並みの中に99セントショップが何軒か店を出し、日本人などの外国人観光客で賑わっていた。マクドナルドはどの街も盛況だ。ヨーロッパの商店における高値販売システムもいつか崩壊するのだろうか。
この小さな植物園が世界遺産とは何事じゃと言いたくなるところが、パドヴァの世界遺産オルト・ボタニコ(航空写真)。少なくとも外国人が訪れる観光スポットではない。ヨーロッパの世界遺産には(観光という観点では)町遺産クラスが多く紛れ込んでいるので注意が必要。
[イタリア]ヴェネチア
巨大なテーマパークのようによくできた素材だ。
迷路のような路地には車やバイクがなく飲食店や土産物屋が並び、細い運河を越える石橋が何度も現れ、その下をゴンドラがくぐり抜ける。華やかな屋台通りを歩いていたかと思うと巨大な広場に抜けたり、店のない静かな小道が突然、海の見える広い運河に出くわす。ヨーロッパの街や祭りの人混みの中を歩くのが好きな人にとってはたまらない場所だろう。
私も最初はわくわくして歩いていたが、だんだんと気が滅入ってきた。建物も水も汚く、写真を撮りたくなる場所がない。色が落ちブロックが崩れた古さを残したいというのはいいとしても、落書きをそのままにしたり、水の中にゴミが浮いたままにしておくというのは、世界有数の観光地を整備しようという気がないと思われる。また、例によりトイレは少なく、1ユーロと高い。唯一の交通手段である船やゴンドラに不当な値段をつけて観光客から巻き上げた金は何に使われているのだろう。食べ物も有名観光地だからと当然のように高いが、ここは普通の観光地と違いオフシーズンがないのだからコスト高にはならないはずだ。ピンハネしている胴元は誰だ。旅行者が少しでも気持ちよく観光できるよう還元すべきだ。
毎回、食べ物が高いという話しばかりで恐縮だが、今日も食べ物がなく苦しんだ。パドヴァには駅から街の中心部方面に3キロの範囲にはこれといったスーパーマーケットがない。昨日、華僑とアフリカ系の怪しいミニスーパーはみつけたが、日曜日は休みだった。駅近くの裏通りには黒人があちこちでたむろしているが、近くには食堂はなく店は閉まっている。駅や表通りにあるSNACKやBARはサンドイッチが3ユーロだ。いったいこの人たちどこで何を食べているのだろう。
イタリアの安ホテルは朝食が付かないのが基本で、出たとしても食パンとインスタントコーヒーだけとか、エスプレッソコーヒーに合わせたように小さく硬い食パンのお菓子だけというのが今までのパターンだった。しかし、昨晩から泊まっているパドヴァの3つ星ホテルはビュッフェスタイルでパン、ハム、チーズに果物まで付いている。パンや取り皿がやけに小さいのが気になるが、腹持ちしそうな食べ物と水分を可能な限り補給しておいた。おかげで暑いヴェネチアにいる間、食事だけでなく飲み物も絶ち、トイレを我慢することができた。
イタリアでは安食堂で本場のスパゲッティを毎日たらふく食べるということをイメージしていたが、それは妄想にすぎなかった。それどころか、パンと水分を取れる時にまとめて吸収して、トイレも可能な時にまとめて済ませ、あとはじっと我慢するという動物的な忍耐を強いられるのだ。(予定していた以上の金を使えばいいだけなのだが)
ヴェネチアの鳩は馴れ馴れしい。子供たちに追いかけられても飛び立たず、陸上をスキップしながら逃げ回る。餌を与えている子供の腕にとまり掌にある餌を直接ついばんだり、サービスなのか腕を差しのばしただけでその上にとまったりする。
おいハトっ、おまえは手乗り文鳥か。
[イタリア]ミラノ
ミラノなかなか良い。
観光スポットが集まる場所には歩行者専用道路があり、ビジネス街の歩道も広く歩きやすい。警官が多く車のマナーも良い。公衆トイレが無料で清潔。観光客にとって心地よい街づくりがイタリアでもできるじゃない。
昼時に歩道に出されたテーブルでビジネスマンがおいしそうに食事をとる。パンやピザ以外の食事が多いのもイタリアで初めての光景。パスタは無理だとしてもあのOLたちが食べているビッグサイズのサラダは手が出るのではないか。路上に掲げられたメニューを覗く。えっ、15ユーロ!遠い未知の時代に迷い込んでしまったような気がして頭がくらくらしてきた。
ミラノは観光スポットとしては巨大な教会のドゥオーモと「最期の晩餐」が有名で他には味のある城があるぐらい。「最期の晩餐」はぜひ見たかったが月曜日は休み。夏のピークシーズンは1ヶ月先まで予約で埋まるというから明日まで滞在しても見られる可能性は低そうだ。
ドゥオーモは修復中で有名な正面からの姿が見られなかったが、屋根まで上がって装飾や街の景色を見ることができる。全ての尖塔の上に像が立ちミラノの街を見守っている。その姿が屋根に上がって初めてわかる。観光施設としてもなかなか楽しめるところだ。
イタリアで最も物価が高いというミラノでの宿泊を避け、列車で2時間移動して、魅力的な雰囲気のあったジェノバも越え、次の特急停車駅サボナで降りる。ホテルがなかなかみつからない。地理がわからず街の人たちに聞きまくり、もうダメではないかと不安を感じる長い探索だったが、夜9時近くに駅から離れた中心街で少し臭くて汚い部屋をみつける。
今回も郊外での宿確保作戦は成功だったと日記には書いておこう。
イタリアの端の方に来たのだが、食い物価格の基準としているケバブがヨーロッパ最高値の3.5ユーロだった。空いているスーパーもなく他に選択肢がなかったため、イタリア最後の夜は久々のケバブで済ます。ついにパスタを食べずにイタリアを出るのか。
イタリアの端の小さな街だと思うのだが、サッカーにイタリアが勝っただけで、ホテルの外が異常に騒々しい。勝って当然の試合だったと思うのだが、こんな夜遅くにいつまで車のクラクションを鳴らし続けるのだろう。
イタリア人もよくタバコを吸い、マナーが良いとは言えない。列車内の禁煙はほとんど守られている。しかし、路上やホームで、吸い終わったたばこをよく確認もせず1、2m先に火がついたまま飛ばす。私の目の前に飛ばされたことも何度かあった。木造建築物がないから問題ないのだろうか。足で火をもみ消す人は見たことがない。燃やしきった方がゴミが少なくなって良いと思っているようだ。
ヨーロッパのホームは低い。30~50cm。線路上にはタバコの吸い殻だけでなく、紙くず、ペットボトル、カン、そして保線作業におけるゴミと思われる錆び付いた金属類が転がる。列車を待つ間に貨物列車が通過した。すごい勢いで線路上のゴミが低いホームに舞い上がってくる。汚いだけでなくカンや金属類が飛んできたら非常に危険だ。ヨーロッパ人は危険が身近にあることを好む傾向にある。
イタリア国内の列車はなかなか快適。追加料金の不要なローカル列車でも、停まる駅が少なく危険を感じるほど飛ばす準急が多い。通勤客などで短い区間混雑している場合があるが、ほとんどはゆったり座っていられる。多少は遅れるが、高速運転で遅れを回復させたり早く着きすぎたりする。トイレは線路に直接落とすタイプがほとんどだが、水が出ることが多い。そして、何よりも料金が安い。15~20kmで1ユーロぐらいで計算されているようだ。パドヴァ、ミラノ間だけ乗ろうとしたローカル列車が季節列車で走ってなく、しかたなくIC(急行程度)を利用したが、他は全てローカル列車で問題なかった。ただし駅員は面倒なことは教えてくれないので、自分で調べて列車を乗り継ぐ努力が必要。
イタリア人は朝食をあまり食べない。カプチーノを飲み、軽く何かをかじれば終わりのようだ。駅のBARでもエスプレッソをスタンドで飲む姿をよくみかける。あんな小さなカップで特においしいとも思えないものを飲んで満足しているかと思うと、昼に出されるピザは1人30cmサイズで、同じものをこんなに大量に食えるかという大きさだ。私が空腹時でも3分の2が精一杯だったから。他でもカフェテリア方式で何か注文すると食べきれない量を盛られる。胃袋の構造が異なっているのか、まとめ食いができるようだ。
イタリアのタオルはシーツか枕カバーかと思われる薄いものが利用されていることがある。ナポリのホステルで最初に出された時は言葉が通じていないかバカにされているのかと思った。こんな薄いものでもハイテク技術により大量の水を吸収できたりするのだろうかとも考えたが、そんななことはない。すぐびちょびちょに濡れてしまう。手ぬぐいで体を拭くようなものだ。フィレンツェ以降この手ぬぐいタオルに出会わなくなったが、サボナのホテルでまた出てきた。
トイレは汚く、便座がない場合が多い。男性の私は公衆トイレに便座がなくても困らずに済んだが、女性はどのように対応しているのだろう。たとえ便座があっても、男女共同トイレだと、男性が便座を上げずに利用するため汚れていることが多い。便座が固定されていて上げることができないトイレもあった。便座が何のためにあるのか理解されていないようだ。