タグ別アーカイブ:旅のトラブル ( 7件の日記 )

[リトアニア]カウナス

<カウナス旧市街(1枚目撮影ポイント

[バスの車内刻印(信用乗車)シリーズ1/3]

トローリーバス不正乗車で罰金4千円を科せられる...
が免れる。

リガのバスは乗車時に運転手に料金を支払うしくみだったが、リトアニアでは再びエストニアと同様、キオスクでチケット購入して車内で刻印するタイプ。(帰国後知ったのだが、これを信用乗車方式あるいはチケットキャンセラー方式と呼ぶそうだ)
運転席と客室がガラス戸で仕切られ英語が通じる人がみつけられない。

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ビリニュスから列車でカウナスに向かったが、カウナス駅は旧市街まで数キロ離れていてバスに乗る必要があった。バス停の地図から旧市街へ向かうバス番号がわかったが、乗車した方向が逆だったようでビーチに着いてしまった。運転手や乗客に尋ねても言葉が通じないので、再びバスに乗り途中で降りて大きなバス停にだけあるバスマップを確認して乗り直す。そうやって4回目に乗ったバスも郊外へ向かっているので逆だったなと思っていた時、停留所に着いたバスの前方から制服姿2人の女性が乗り込み、私のチケットを確認すると不正乗車券だとバス前方に停められていたワゴン車に連行されてしまった。

バスの1回目、2回目乗車時は運転手にチケット、チケットと言っても通じなかった(後からロシア語のビリェートで通じることがわかる)ので無賃乗車だったが、3回目にチケットを購入して刻印し、4回目に同じチケットで別の番号のバスに乗り換えていたところだったのだ。ヨーロッパでよくあるトランスファーが可能かどうか知る由もなかったが、チケットに刻印された極小文字(数字かアルファベットかも読み取れない)の中に時刻がありそうなので大丈夫だろうと思っていた。そもそも、文字が小さいだけでなくチケットの印刷文字に重ねて刻印され判読不能なので、何か文字が印字されていればいいのだろうぐらいに考えていたのだ。しかし、驚くことに係官は一瞬で刻印文字から不正乗車と判断したようだ。

ワゴン車内で調書を書き上げる様子は日本でスピード違反の反則キップを切るやり方と全く同じだ。ワゴン2列目の席で男性係官が若者に対して反則金支払の違反調書を作成しているのを待ちながら、私は3列目に座らされ2人の女性係官が相手をする。同じ方向のトランスファーだから問題ないのではと私が主張したが、この国ではそのようなルールがないので100リット(4千円)の罰金だと英語を操る係官が言う。1回乗車1.8リット(70円)の料金に比べて50倍以上と高額だ。

昨晩、タクシー代4千円を免れるためにあんなに苦労したばかりだ。私としては簡単に受け入れる訳にいかない。
(海外で法律を知らなかったからと違反が免除されないのは承知のうえで)旅行者の私が英語の通じない国でどうやってそんなローカルルールを知ることができるのだと抗議してみた。比較的若い女性2人は十分私に同情を示していたので、
「リトアニアはEUに加盟しているんでしょ、トランスファー可はヨーロッパ標準(その後のバスに乗った国々では全てトランスファー不可だった)じゃないの?」
とかしばらく交渉を試みた。
すると、では初犯ということで50リットに減免しますと言ってきた。それはおかしい。ではなぜ初めから初犯と理解されていた私に100リット請求していたのだ。いくらになろうと現金を持ち合わせていないので払えないのだと粘る。(50リットの2千円で手を打った方がいいのではという考えが頭に浮かんできたが、もともと不正を意図したわけでなく、逆に正しいバスになかなか乗れず困っていたところなので納得がいかなかった)

それでは一緒に警察に行ってもらうしかないと脅してきたので私も仕方がないと応じると、しばらく沈黙。(もう引くに引けなくなってしまった。こりゃ面倒なことになってしまうのでは)

この長い間合いはこちらが折れるのを係官たちは待っているのだろうか。私から次に何を切り出そうかと考えようにも心臓がドキドキしてきて頭が回らなくなってきたころ、
「今回は見逃します」
と彼女が言ってきた。まだまだ戦いが続くと思っていたので拍子抜けしてしまった。

そうして、正規の料金(70円)を支払うこともなく、私の目的地への行き方も教えてもらい、30分ぐらいの攻防で解放されることになった。
やさしいリトアニア人で助かったが、今後チケット刻印には十分注意を払うことにしよう。
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[メキシコ]ノガレス(持ち逃げ)

<セントロの教会>

メキシコに入り早速トラブル。
15ドルを娼婦に持ち逃げされ警察に助けを求める。
話は長くなるが、成り行きは次の通りだ。

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メキシコ国境の街ノガレスのバスターミナル周辺で宿を探すが安くて45ドルしかない。仕方なく8km離れたセントロ(中心街)に向かう。セントロは国境に接していて、物乞いも多く、いかにも怪しい雰囲気。
そんな中で安宿が集中している地域で探し歩くが適当な部屋がみつからない。いいかげん疲れが溜まりどこでもよくなってきた9軒目のこと。入口から中を覗きこむと30すぎの女性が現れ、「何か?」と声をかけられ、私が「部屋を見たい」と伝えると、「それならこちらへ」と案内される。

「汚いなあ、特にこのシーツの汚さは」と私が彼女に伝えると「チップを出せば私がすぐ洗うわよ」と言う。部屋代を尋ねると、一緒に付いて来た大人しい男が彼女の通訳を介して答える。アメリカとの国境の街だというのにホテルスタッフですら全く英語を話さない人が多い。彼もその1人のため、掃除婦に思えるこの女性が通訳を買ってでていると思っていた。
25ドルという部屋代は私の感覚から異常に高いが、今までみてきたホテルの中では最も妥当な金額かもしれない。

私はこの部屋を取ることにして、お金は誰に支払うのかと彼女に尋ねると、彼にだと言いながら私の財布から20ドル紙幣2枚を取り上げ、目の前にいた男に渡す。
男が戻ってきた時、女がドアの外で彼と何か話し、その後ひとりで室内に入ってきてべちゃべちゃとわかりにくい英語で私に話しかけてくる。「何を言っているのかわからない」と言うと彼女は怒った様子で部屋を出て、そのままホテルの外に出て行った。この時、この女がホテルの従業員でなさそうだと気づき、男のスタッフに釣銭はどうなっているのだと尋ねた。

「釣りの15ドルは自分の分だと彼女が言うのであの女に渡した。今晩、彼女はあなたの部屋に来るんだろう?」
「何を言っているんだ。私は彼女を知らない。彼女はホテルのスタッフではないのか?」
私は青くなったが、スタッフの表情にも慌てている様子がうかがえた。
「いや私は彼女を知らない。あなたは入口から彼女と一緒に来たではないか。あなたが彼女を連れてきたのだ」
物静かで実直そうなこの男は英語をよく話す。彼は状況を正しく判断できなかったことを認めていたが、あの女は間違いなく娼婦だから盛り場に行って女をみつけ金を奪い返してくるよう私に言う。

その後、ホテル関係者3人と私が長時間言い争いをしていたが、スタッフは40ドルを私から直接受け取っていないので、釣りを私に渡さなかったことは落ち度ではないと主張してきた。私はそれでは警官を呼んで仲裁してもらうしかないなと脅すのだが、彼らはこの国で警察は役に立たない、そんなことをすればお互いが損するだけだと言う。

確かにひと昔前は、メキシコで旅行者が最も警戒すべきなのは警官だと言われていたようだ。今でも旅行者にたかる警官には注意するようガイドブックに書かれている。
女とホテルがグルだということを証明できない限り、私はこの件に関して勝ち目はなさそうだと感じてきた。15ドルは授業料だと考え、これ以上エネルギーを消耗するのは止め、25ドルだけ返してもらいホテルを出ようと考えた。
ところが、ホテルは一度金を支払った部屋はキャンセルできない。部屋に泊まらなくても返金は全くできないと主張。もうこうなったら警察を呼ぶしかないと私は言い放ち、勢いよく外に出た。

アメリカとの国境(航空写真)がすぐ近くなので、警官はうじゃうじゃいて、誰もが英語を話すと考えていたが甘かった。まず、街中に警官がみつからない。入国審査場付近に行き警官を1人捕まえたが英語を話さない。ここに英語を話す警官はいないのかと何とかスペイン語で伝えたのだが、あっさりnoと返された。
「なぜ(国境警官のくせに)英語を話さないのだ」
「あなたこそ、なぜメキシコに来てスペイン語を話さない」
私が若造警官に食ってかかると彼は反発してきた。
そこへ国境付近で旅行者のサポートを商売にする便利やくんが現れた。通常、悪徳な輩が多いので関わるべきでないのだが、今は非常事態である。

彼がこの警官の話を通訳したところによると、街の警察署には英語を話す警官がいるのでそこまで出向き訴えれば、ケースによってはホテルまで警官が同行するという。警察署まではタクシーで向かう距離のようだ。私は気が重くなった。タクシーで往復してこの便利やにたかられたら更に15ドルぐらいの出費になるだろう。
もうあきらめ気味に街中で別の警官を探そうととぼとぼ歩き始めた。しつこく付いて来ていた便利やくんが角の向こうにパトカーをみつけオーイと手を振る。すると不思議なことにパトカーが気づき近くに寄り、車から警官が降りてきた。便利やから説明を受けた警官が無線で本署に連絡して、すぐここに英語を話す警官が現れるから待っていろと言って走り去った。
ひと仕事した便利やくんが1ドルくれと言ってきた。警察が現れたら1ドル渡すから一緒に待つよう依頼する。半信半疑だった。メキシコの警察が15ドルぐらいのトラブルですぐ動いてくれるのだろうか。

ところが現れたのである。10分と経たずにピックアップトラックで4人もの警官がやって来たのには驚いた。ドライバーは年配の警官で、体格の良さ、精悍な顔つき、そして知的な英語から、この街の署長だと言われても疑わないほどの男。助手席には、この件の専門官として見た目迫力満点の中年女性が座り、更に非常時対応のためか力だけはありそうな若者警官2人が荷台でバーにつかまりながら仁王立ちしていた。
ホテルまで案内するようにと、私はトラックパトカーに乗せられる。便利やくんが「ミスターまだ1ドル払ってないぞ」と車の外で叫んでいたが、年配警官からどすの効いた声でたしなめられていた。

そして旅行者(私)と4人のメキシコ精鋭警察軍団がホテルに乗り込むわけだが、さあここで問題。

1. 娼婦が持ち去った釣銭15ドルを旅行者はホテルから返してもらえるか。
(ポイント)持ち去られた15ドルがホテルのものか旅行者のものかが争点になるが、旅行者側は旅行者に返すべき釣銭を女に渡してしまったのだから、15ドルはホテルの金だと主張。これに対してホテル側は、そもそも40ドルは娼婦の手から渡されたから釣銭を娼婦に返しただけで、旅行者が40ドルを娼婦に取り上げられた時点で彼女に盗られたのだと主張。

2. 旅行者はこのホテルをキャンセルして25ドルの返金を受けられるか。
(ポイント)旅行者は部屋を全く使用していない。信用できないホテルだとわかったのでキャンセル可能だと主張。これに対して、ホテル側はいかなる理由があっても一度金を支払えばキャンセルできないの一点張り。

さあ、最強のメキシコ警察軍団の裁定はいかに。このあと驚きの結果に当事者騒然。(ってほどでもないが)

≫結果

威厳ある警官4人の登場に私が期待したようなホテル側の動揺はなく、淡々と3人のスタッフがカウンターの内側に並び警官の対応をした。女性専門官がホテル側から話を聞いた後、私に尋ねた質問はひとつだけ、支払の40ドルは私から直接スタッフの手に渡したか、女からスタッフへだったかである。直接渡そうとしたところを女が割って入り、一瞬だけだが女の手を介した、と多少私に有利な説明をした。しかし、通訳の熟年警官は、あーダメダと思われる声をあげた。
「しかし、彼は私の財布から紙幣がでていくのを見てますし、だいたい彼女がホテル内にいたのだから、私は彼女をホテルスタッフだとしか思っていなかったんですよ」
私はダメもとで最後の主張をした。釣銭15ドルは取れなくても、いかがわしいホテルをキャンセルしてホテル代25ドルが返金されるよう警官たちに仲介してもらいたいと考えていた。

その後、状況を完全に把握した女性専門官からホテル側に対して、早口ながら迫力のある説教が続けられた。彼女から一方的な話が終わると、ホテルスタッフが神妙な面持ちでカウンター内から15ドルを取り出し私に渡す。
通訳の警官が説明してくれた。
「今回はあなたに落ち度があるが、ホテル側にもミスがある。このホテルは娼婦が自由に出入りできる宿だから、持ち去った女をつきとめるのが容易だ。ホテル側が責任をとって15ドルは奪い返してもらうのであなたに返却された。しかし、あなたはこの部屋に泊まらなければなりません。法律上キャンセルはできません」
「このホテルは大丈夫なんですか。安全ですか」
「ああ、問題ないですよ。しかし、周辺は危険ですから十分注意して下さい」
予想と反対の結果に驚いたが、私は損失なく安全を保障されたホテルに泊まることとなった。

そして、短時間で小さな揉め事を解決した4人の警察軍団は颯爽とホテルから立ち去った。
うーん、なかなかやるじゃないか、メキシコ警察。

そうだ、あの便利やくんに1ドル渡してあげないと。1ドルだけでいいかな。


<たびメモ>

(後日談)その後のメキシコ国内の部屋代と比べると、この街のホテルはどこも倍以上していた。さらに泊まった部屋はとにかく床を這う虫が多く、虫をつぶさずに室内を歩くことは不可能なほどだった。メキシコはどこもこんな感じなのかと恐れていたが、ノガレス以外の宿はみな驚くほどクリーン。たとえ体調を崩していても、この街には立ち止まるべきでない。
ここからグアダラハラまでのバスはEliteという会社の一等バスでトイレ付き車両だが、便器に水が流れず手洗いもないので2~4時間毎に停車するターミナルで毎回のように用を足していた。ターミナルのトイレはまあまあきれいだが、全て有料で3ペソ(30円)。
食べ物も時々補給しなければならないが、このバスは27時間中食事休憩は1回しかなかった(途中バスの故障で遅れをとったからかも)。ドライバーは乗客が全員戻ったかどうか確認しないことが多いので、特に1人で旅行する場合、最低限のスペイン語ができないとかなりの苦労が予想される。

[コスタリカ]パソカノアス(盗難)

昨日、パナマシティの観光は終了したので、コスタリカに向けて移動を開始することにした。
コスタリカの首都サンホセまでの国際バスチケットを所有していたが、あさって25日の席しか確保できていない。このバスはパナマからサンホセ(2年後の2008年訪問まで18時間かかり到着が早朝4時になるというから、病み上がっているかどうかわからぬ状態では仮に今日乗れたとしても避けたいと考えていた。
この国際バスチケットを払戻して、今日はコスタリカ国境に近いダビッドまで7時間のバス移動をしようとターミナルに入った。
払戻すにあたり、今日パナマを発ちたいのだが空きありませんよね、と窓口で尋ねた。すると、ちょうど1つ空席が出たので1時間後に出発できる、と係員が変更の手続きを始めた。このラッキーを生かし、病気によるスケジュールの遅れを少しでも取り戻すか、そう考え国際バスに乗ることにした。

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トイレ、エアコン、ビデオの付いたバスだが、シート間は狭く乗り心地は悪い。国境前に検問での荷物チェックがあった。バス乗客の全ての荷物をコンクリート地面上に並べさせ、乗客を荷物から離し、検査官が連れてきた犬が荷物の周辺をぐるぐると歩き回る。スペイン語が理解できなかったので、私は他の乗客の見様見真似で行動して、犬が出てきてやっと検査官の意図を理解するという次第だった。
国境に着き、パナマ側の出国手続きで建物内で再びみんなが荷物を並べていく。私の小さな荷物を彼らの巨大な荷物の間に挟むと荷物から離れるよう命じられる。また犬が現われ、しばらく歩き回ると税関検査終了が告げられる。私は自分の荷物を取り上げて真っ先に出国審査の窓口に並ぶ。
出国審査を終えてバスに戻ると車掌が、200m先にコスタリカのイミグレーションがあるから、そこまで歩いて行って入国審査を済ませるようにと、スペイン語で言っているようだった。私はバッグを背負ったまま、暗闇の中コスタリカ側に向かった。

コスタリカ側での入国審査は簡単に済んだが、税関がいつどこでどのように行なわれるのかが、片言の英語を話す人に尋ねても釈然としない。金網で囲まれたスペース内で行なわれるようなのだが、誰も人がいないのだ。
しばらくすると数人の客を乗せたバスが走り出し、コスタリカのイミグレーション前に到着した。そして、バスにチェックインされていた乗客の荷物を出して、金網の中に運び始めた。これでやっとわかった。また、荷物を並べて犬に歩かせるのだろう。私も自分のバッグを大きな荷物の間に並べた。暗い灯りしかない屋外の税関スペースでは、他の乗客たちの荷物に挟まれ、少し離れると自分のバッグの位置が確認できなかった。
コスタリカの入国審査を終えた乗客たちが集まりだし、大きな荷物がまだバスから金網内に運ばれている時、バススタッフが乗客たちのパスポートと税関申告書を集め始めた。申告書に記載漏れがないかどうかを確認しながら集めている。私もバッグの近くを離れ、申告書を提出すると、高額所持品の申告でパソコンとカメラがあるのを見て、これはまずい記載しない方が良いので書き直すようにとブランクの用紙を差し出された。私はその場で書き直して再提出。約5メートル離れた荷物の近くに戻ると私のバッグが置いてあった場所に大きな荷物が重ねられ、更にその上に幼児が腰掛けて近くに寄っても自分のバッグが確認できない。
まずい。完全に数分間バッグから視線をはずしていた。上に載せられていた大人一人が入れそうなバッグを少し持ち上げてみるが、ない、私のバッグが見当たらない。自分のバッグをどの鞄の隣に置いたのかもわからなくなった。現地のバススタッフらしき少年が巨大バッグを運び入れながら、スペースを作るために他のバッグを移動させている。私はその少年に自分のバッグが見つからないのだが、どこかに移動させていないかと尋ねたが言葉が通じていない。車掌をみつけ、彼に一緒に探してもらうが、乗客の荷物が溢れる薄暗い中、探すのは容易ではない。
税関職員が現われ、パスポートの名前を読み上げひとりずつ前に呼び、机の上で荷物を開けさせる。コスタリカは犬歩き回り方式ではなかった。
10m四方ぐらいの金網で囲まれた税関スペースから検査が済んだ荷物がひとつずつ減っていく。私の黒く小さなバッグが埋もれていた荷物の中からひょっこりと出てくるのではないか。そんな簡単に盗難になど遭うものではない。私は淡い期待を抱きながら、税関検査の進行をじっと見守っていた。乗客の何人かが私を気遣い、まだ出てこないのか、あの荷物がそうじゃないか、と声をかけてくれる。

しかし、ついに私の荷物は出てこなかった。

財布、パスポート、中米のガイドブック1冊だけ残されたが、それ以外の荷物を全て失った。私はバスを降り、現場から100mの距離にある警察署に向かった。オフィスには警官が10人以上いたが英語を話せる者はいない。30分ぐらい経ち連れてこられた通訳者は段ボールを寝床とするインテリ浮浪者だった。
彼はバッグの中にクレジットカードが入っていたことを確認すると、まず何よりもカード会社に連絡しろ、と言う。当然私もそれを考え、彼が来る前に何とか国際電話用のテレホンカードを入手するところまでできたのだが、警官に手伝ってもらっても公衆電話でテレホンカードが認識できずに困っていた。私は海外での電話はほとんど成功した試しがないのだ。浮浪者はコレクトコールすればカードはいらないんだよと言い、すぐに電話をかけた。
彼の助けにより簡単に日本のカード会社に繋がり、カード利用停止と共に盗難保険申請のために必要な書類の確認ができた。髭で覆われた細面で、浮浪者独特の臭いを放つ自称ビンラディンは、英語を流暢に話す頼もしい男だった。
国境の警察署という緊張感がなく、警官たちはみな温和な人たちだったが、盗難のポリスレポートが作成されるまでかなりの時間を要し、6時間後の夜中1時にやっと警察署を出ることができた。
浮浪者風の男は警察署からの謝礼として粗末な食事を与えられていたが、私からも礼としてたまたまポケットに入っていた6ドルを彼に渡すと、久々に大金を手にしたようで喜んでいた。近くのホテルまで案内してくれるビンラディンと夜道を歩いていると、彼の身軽な気楽さが理解できるような気がした。
クレジットカード1枚とパスポートはあるので、必要最低限の物を買えば良いだけだ。重い荷物から解放され、手ぶらに近い身軽さを楽しみながら旅を続けようかと考えていた。

ホテルに入りひとりになると疲れがどっと溢れ出てきた。

翌朝、再び喉が腫れあがっていた。普通の風邪だったということだろう。完全にぶり返した。
買い物のため外に出かけ、浮浪者ビンラディンを探した。彼に店を案内してもらい食事でもご馳走しようと考えていたのだ。まず、気さくな警官ばかりがいた警察署を訪れたが、夕べと当直が代わり、みなピリピリとして冷たい対応しかしない。警官から浮浪者の寝床があると教えられた『そのあたり』を探したが、ビンラディンを見つけることはできなかった。

風邪で喉が痛い。現実として受け入れ難かった夕べの事件が、やっと自分の身に染みて感じられるようになってきた。必要最低限の買い物さえすれば旅を続けられるといっても、コンタクトレンズを装着している超ど近眼の私にとって、眼鏡がないのが厳しかった。特殊なレンズでないとほとんど矯正されないので現地購入は困難だ。
さらに冷静に考えるとそんなことよりもPCが盗まれていることが問題だ。PCのパスワードが破られ、日本語がわかる人間に各種情報が盗まれる前にあらゆる手をつくさなければならない。

これからやっと中米の楽しそうな旅が始まるというのに、帰国しなくてもなんとかなるのではないか。駄々をこねる子供の自分との葛藤があったが、私はパナマシティに戻り、ロサンゼルス経由で帰国することとした。

かくして”中米をぐるり”を予定していた旅は”中米をぐ・・”で終わってしまった。

<謝罪と反省>

今回の件は情けないだけでなく、日本人が狙われやすくなるという意味で、今後の日本人旅行者に多大な迷惑をかけたことになります。これからこの地域の旅を予定している方々に深くお詫び申し上げます。

スリナム、ガイアナ、ベネズエラの治安の悪そうな国々では、バスに乗車中も離れる時も常に荷物を抱えるという厳戒態勢で臨んでいました。スリナム、ガイアナはバスといってもマイクロバスやワゴンの狭い座席に詰め込まれるため、膝の上に荷物を何時間も置いていると、歩くのもつらくなるほどの筋肉痛と疲労がありました。
南米と比べかなり安全に感じたパナマの滞在で警戒心が薄れ、中米一治安が良いと言われるコスタリカに向かうバスでは、病み上がりの体に鬱陶しかった厳戒態勢を解除して、休憩中は車内にバッグを置いたまま食事していました。

今回のケースは、税関検査のための網で囲まれたスペースでの出来事とはいえ、夜、屋外で数分間にわたり荷物から離れ視線を外していたという、あまりに初歩的なミスで弁解のしようもありません。今回の教訓による注意点は以下の通りですが、基本的なことばかりで恐縮です。

・いかに安全そうな国、場所であっても貴重品の入った荷物からは一瞬でも視線を外してはならない。
・決して失ってはいけない物を明確にして、それらは常に身につけている。(私の場合、パスポートとクレジットカード以外に眼鏡とPCを失えば旅を終了せざるをえないということが、盗難に遭ってわかった)
・PCをもっと小型にして常時携帯しやすくするか、旅行用PC内のデータを大幅に制限して盗難による影響を小さくする。(私の場合、自宅でメインPCとして使用していたものをそのまま持ち出していたため、パスワードを破られた場合、どこまで被害が拡大する可能性があるかすらわからなかった)
・長距離バスの乗客たちとはできるだけ仲良くなり、一緒に行動することが望ましい。(仲良くなった人の荷物と一緒に置いていれば、荷物から離れても盗難に遭う可能性は低かったと思う)
・現地の言葉はできるに越したことはない。(乗客たちと会話ができ、出入国時のしくみも理解できただろう)

私は海外旅行保険はクレジットカード付帯で十分(旅行期間90日間までの制限あり)と考え、一般の海外旅行保険には加入していない。盗難時には以下の2枚のカードを保有していた。
 ・マスターゴールド
 ・ANAフライヤーズカードVISA(ワイド会員の保険内容と同等)
上記どちらの付帯保険も盗難に関しては限度額30万円(盗難品1個につき限度額は10万円)であったため、マスターゴールドで盗難保険の申請を提出。購入時の合計金額64万円で申請したが、経年減価、減価償却分が差し引かれるため、これでやっと支払金額が30万円の満額に達すると計算していた。他にも傷害保険を申請するつもりだったパナマでの治療費用(約5,000円の領収書が盗難)、メキシカーナ航空のリターンチケット再発行手数料(100ドルの費用が1年後に発生)や5,000円以内の衣料など細かなものや面倒なものの申請は省いていた。

通常、申請後10営業日で保険金が支払われるところ大幅に期間を要したが、審査の結果は期待をはるかに超えるものだった。
認定額が30万円を超えるため、ANAのVISAカードの保険会社と合わせて対応するとして約50万円の支払があったのだ。複数の保険に加入している場合、盗難保険の限度額が合算された金額に引き上げられるのだ。想像もしていなかったルール(手許にある案内や規約の冊子からはそのような記述がみあたらない)により驚きの保険金を受け取ることができた。

送付された支払明細によると、購入後1年未満のPC約17万円が10万円(1個の限度額10万円のため)になっているのが痛いが、購入後1年未満の品が購入費用から10%程度の減額、3年経過した品が50%の減額と予想より低い減額率になっていた。

私の経験より盗難保険を申請する上で重要と思われることを以下に示します。ただし、これは私の勝手な解釈であることを承知の上、参考として下さい。

1.警察の事故証明書(police report)には可能な限り全ての盗難品を記載する
ポリスレポートを書いてもらうまで警察署でかなり待たされたため、コレクトコールで保険会社に保険対象商品の問い合わせをした上で、紙に書き出して盗難リストを作成していた。冷静になって考えればいろいろと出てくるものだ。(しかし、その時も限度額30万円という意識があったため、この程度にしておくかで止めていたが、数冊あったガイドブックや途中で購入した土産品も含めておけば良かった)
そして、警官に嫌な顔されても(私の場合コスタリカの温和な警官と親切な通訳者で助かったが)リストアップした全ての盗難品をポリスレポートに記載してもらうことが重要だと思われる。
盗難時、警察への第一報は迅速にすべきだが、ポリスレポート作成は、一晩おいて自分が落ち着き、時間をかけて盗難品リストを作成して、担当警官に余裕のある時間帯に行なう方が良いかもしれない。

2.購入品の領収書類はできるだけ保管しておく
カメラ購入時に古いカメラを下取りに出すようになってから、購入した電化製品類は全て下取りに出すつもりで保証書類や製品箱をそのまま保管しておく癖がついている。保証書と合わせて領収書は何年も保管していたため、今回多くの盗難品に関して領収書あるいは保証書を添付して申請することができた。衣類など領収書類を添付できなかった品についても減額率が変わらなかったのは、保険担当者の心象を良くした結果ではないかと勝手に考えている。

3.できるだけ事実を正確に申請する
盗難保険は被害者の過失度合に関わらず保険金が支払われることになっているため、正直に事件の状況や所持品の事実を伝えるべき。申請を提出した後、保険会社から盗難時の状況や鞄の形状など細かな追加質問が書面でいくつかあったが、できるだけ詳細に不整合がないよう答えていたので、申請内容がそのまま認定されたと考えている。(これは当然のことなのであまり関係ないかも)

以上、保険のおかげで今回の事件による金額的な被害は最小限に抑えられたが、海外旅行時は高額な品を持ち歩かないようにして、可能な限り盗難に遭わないよう細心の注意を払い続けたい。
(後日談)旅行者の噂では、初回は比較的簡単に保険金が支払われるケースが多いが、2回目以降の申請は審査が厳しくなり支払われる額も予想より減少するそうだ。盗難保険の利用は最初で最後にしよう。

[ブルガリア]ソフィア(盗られる)

その日の始まりは、冷たい表情の子どもたちとの食事だった。
女の子6人と椅子を詰めながらテーブルを囲む。日本でいう小学高学年の子どもたちは何の目的でこのホステルに泊まっているのだろう。朝食を準備するスタッフは英語を話さず分からない。直接子どもたちに尋ねればよいのだが、彼女らは意図的に無視するように私を見ない。昨日彼女たちと最初に視線が合った時、露骨にいやな顔をされている。
皆、自分の体にぴったり合った服を着て、身なりは良い。修学旅行のたぐいか、何かの試験なのか。気になる。

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ホームに待ち客がなく空いていたはずなのに、私がそのトラム(路面電車)に乗り込むと後ろからどかどかと人が押してきた。私が乗ったドア付近だけ混雑している。
ホステルをチェックアウトする時、女性マネージャーにトラムでの駅への行き方を尋ねた。トラムに乗ったらすぐチケットにスタンプを押すこと、それから、ジプシーによるスリが多いのでショルダーバッグは自分の体の前で常に手でガードしておくことと入念に彼女から注意された。
私はカバンに若干の注意を払いながら、押されている体を手すりで支え、右手にチケットを持ったまま、どこでスタンプを押すのかだけに気が集中していた。
横腹をバッグで押された気がした。しかし、その時もスタンプの機器を見つけ、乗客が面倒そうに押している姿をじっと観察していた。
次の停留所で乗客が少し降り、強く押されて弓なりになった体を元に戻し、少しずつスタンプの位置まで移動しようとした。ちょっと待てよ、さっきポケットに嫌な感覚があったな。右手のポケットに手をあてる。あれ財布がない、どうしたんだろう。さっきチケットを買った時に財布を出してどこにしまったかな。左側のポケットに張りを感じるから大丈夫か。まだ、人が多く手すりから左手を離せなかったので確認しないでいた。
次の停留所で多くの乗客が降りた。手すりから左手を離し、左側のポケットを探る。ポケットから出てきたのはマネージャーが無理矢理渡したホステルのパンフレットじゃないか。急に心臓の鼓動が激しくなってきた。体のあちこちを探る。ない、ない。後ろを振り向くと老齢の男と若い女が立っていた。女は黒いハンドバッグを男は白っぽい大きなショルダーバッグを提げている。このどちらかのバッグに押された時に盗られたのだ。
『おい、財布、サイフ、盗られたんだよ。知らないか』
まだ盗られたという確証がなかったが、慇懃な態度で男に迫った。知らないよ。そんなことしたらこれだもんな。老人はおどけて両手を揃えて前に突き出してみせる。黒っぽい服装の女は、私のしつこい攻撃に怒りもせず冷ややかな視線を向ける。あやしい。2人ともあやしい。このような時どう対処すれば良いのか。周りの乗客に空のポケットを引き出し盗まれたんだと訴えたのだが、老人と婦人だけの乗客はただかわいそうにという表情をしてみせるだけだった。黒い服の女は3つ目の停留所で降りた。私は老人を再度せめたが、自分のカバンやポケットの中をちらりと見せ、落としたんじゃないのという仕草をする。
冷静になろう。財布を持っているやつがずっと近くにいる訳ないじゃないか。この怪しい老人が仲間の可能性はあるが何の証拠もない。財布に一体何が入っていたか考えよう。
イスラエル出国時に財布の隠しポケットから全て現金を抜かれていたので、キャッシュはせいぜい60ユーロ程度しか入っていない。しかし、シティバンクのキャッシュカードが入っていた。まず、これを停止させなければ。私は、老人の追求をあきらめ、4つ目の停留所である鉄道駅でトラムを降りた。
その後、駅で拾ったタクシーで『シティバンクに連れて行くというから乗ったのに知らないなら金はこれしか払わん』と300円程度をめぐり掴み合いのけんかをする。
街の警官に盗難に遭ったことを訴えると離れた場所にあるオフィスまで歩かされ、そこでも別のオフィスに行けとたらい回しにされる。(この後で連絡の取れたシティバンクで、警察に届けるかどうかはカード停止や再発行には関係ないと言われ、現金は盗難保険の対象にもならないことから、警察への届け出は労多くして益少なしと判断して断念)
警察では誰もシティバンクの場所を知らないし調べようともしてくれない、など苦難の連続だった。

アジア、アフリカ、南米で周りの人々に注意されながらも無防備に都会を歩いてきて、1度も盗難や危険な目に遭遇していない。自分はこれでもプロの目から見るとスキのない旅人なのだろうという根拠のない自信が、最初のヨーロッパの街でもろくも崩れた。
恐るべしヨーロッパ。これより厳戒態勢に入る。
(ソフィアに悪い人や不親切な人ばかりいるわけではない。親切に道を教えてくれる人がたまにいて、シティバンクだと言われやっとたどり着いたオフィスは法人業務のみ取り扱うシティコープだったが、複数の社員に懸命に対応してもらい大変感謝している)


この事件のため早々にブルガリアを離れることにして、鉄道でギリシャに向かった。
なだらかな緑の大地が線路沿いに続き、列車の進む国境方向には雪を頂いた高峰が望める。
時折現れる集落はベージュの瓦屋根が落ち着きある佇まいをみせ、単調ながらも見飽きぬ景色が車窓に流れていた。

[イスラエル]出国(強制ディレイドバゲージ)

<エルサレム 岩のドーム>

<エルサレム旧市街ムスリム地区のお嬢さん>

エルサレム旧市街近くから駅までの移動のため、発車しそうなバスに駆け寄った時、警備のためバス車内にいた軍服姿の男女2人にライフルを向けられ静止を命じられた。自爆テロ防止のためバスに走って近づいてはいけないようだが、なんとも物騒な国だ。銃口を向けていたのは20歳前後にみえる若者。経験不足から判断を誤り撃ってしまう、なんてことはないのだろうか。

エルサレムからテルアビブに列車で移動して、着いた駅から5分ぐらい歩くと偶然にもトラベルエージェンシーをみつけた。エルサレムのエージェンシーではアテネまで300ドルぐらいと言われていて決めかねていたが、ここではイスタンブールまで175ドルだという。今日の便でエラル(EL AL)だがいいかと確認された。聞いたことのない航空会社だが安ければ何でもいい。じゃあ今すぐ空港に向かって、3時間前到着が必須だから、と送り出され、テルアビブはほとんど何も見ずに出国することにした。

空港でEL ALのカウンターを探すと、それは元国営のイスラエル航空だということがわかった。搭乗手続き前の長い列に並んでいると、途中に係官がいて『どこへ行く、1人か、荷物はこれだけか』と尋ねてきた。そして、この3つの質問だけで私は列から外され特別扱いを受けることになる。怪しい人間を出国させずに引き留めておくということはしないだろうから、長い列に並ぶ代わりにまた延々と質問を受けるのだろうぐらいに思っていた。
バッグの中身をチェックされるコーナーに連れて行かれた。コの字型のカウンターで荷物のX線チェックで引っかかった人たちが不満そうな顔をしながら係官のチェックを受けている。まあ、このぐらいのことは想定していたことだ。早めに済ませてもらおうと思い、指示される前にバッグを開けようとするとバッグに触るなと制止される。
そして、次々と立場が上の人間が現れ、4人目の男が同じ質問を繰り返した後でこう続けた。
『なぜ1人なのだ。なぜグループじゃないのだ』
『・・・なぜって、1人が好きだから』
『なぜ鞄がそんなに小さいんだ。なぜ、その大きさで3ヶ月旅行できるんだ』
『・・・そんな(愚かな)質問には答えようがない』
今回は堪えようと思っていいたが、いいかげんいらついてきた。すると、そこへ新たな2人のセキュリティが現れ、私のバッグを台車に乗せ、彼らに前後挟まれた状態で別室へ連れていかれる。バッグが小さすぎたのがいけなかったのだろうか。いや、そんなことでも質問に答える態度が悪かったからでもなく、始めから予定されていたこととしか考えられない。入国時に面倒を起こした者が二度と来る気が起きないよう(としか思えない)執拗な嫌がらせをこのあと受けることになる。

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裏手にあるセキュリティーロックのかかったドアを開けると、ひとけのない寒々とした空間が広がっていた。細いベッドほどのアルミの台が数本横たわり、棺桶かリンチ台が並んでいるような不気味さだ。バッグは奥の部屋に運ばれ、私と監視の男2人だけで部屋で待っていると、2人の若い男が入ってきた。この国の男たちは、徴兵制かハゲやすい頭のせいかわからないが、坊主頭が多く不気味さを助長させる。その5分刈りの男たちが部屋に入るなり薄手のビニール袋を手にはめだした。私は靴を脱がされ、大きなフィッティングルームのごとき部屋に入れられて、カーテンが閉められた。さすがに恐怖を感じた。拷問を受けることはないだろうが裸にされるのだろうか。あの手袋は尻の穴を検査するものではないのか。
2人の男に気持ち悪いほど体を触りまくられ服も脱がされたが、パンツ一丁になったところで終了した。
次にバッグが置かれた奥のスペースに移動させられる。5人の男に取り囲まれバッグのチャックを開ける。その後、私をバッグから引き離し、4人の男が可能な限り中身を細かく分解しながら、手で良く触り、金属探知器で確認し、液体や電化製品は奥の部屋に運んでいく。別の人間が検査するのだろうか。
他に搭乗客はいないと思っていたが、所持品チェックエリアにはうなだれて涙を流す褐色の婦人が隅のベンチに座っていて、女性係官がなだめていた。なぜこんな目に合わされるのかと思うと、私も泣きたくなる。

彼らはアフリカの係官と違って現金には興味がない。私がいろいろなところに分散させた現金を見つけると、その度にベンチで待たされている私の所に運んでくる。最後にはバッグの奥からでてきたと言って見覚えのない硬貨を持ってきた。何年も前に旅行したブラジルの硬貨じゃないか。よく見つけたな。
30分ほどの時間をかけ所持品チェックは終了したようだ。しかし、ノートパソコンと充電器、シャンプー、コンタクトレンズ保存液、そして中身を全て抜いた布製財布は別便で送るという。ロストバゲージ扱い(ディレイドバゲージ)で翌日の夕方着くと言う。
『なぜ機内預入荷物でなく別便で送る必要があるんだ』
『我々は説明できません。セキュリティの手続き上そうなっているのです』
リーダー格の男が答えた。プーチン大統領の顔から神経質さを取り除いた柔和な顔つきをしている。さすがユダヤ人、役者が揃っている。
『だから、その手続きにどういう意味があるんだ。あんたらが説明できないなら説明できるやつを連れて来い』
私のような人間が二度と入国する気が起きないよう、意地悪をしているとしか考えられない。怒り心頭に発していた。
『理由はない。しかし手続き上のルールには従ってもらう。それだけだ』
『ノー!!あんたらのルールには従わない!』
断固拒否した。私はイスタンブールに滞在の予定がない。長くて1日、できれば今晩中に夜行で隣国に移動しようと考えていた。そのことを伝えても彼らは聞く耳を持たない。翌日の夕方にはホテルに送られるから全く問題ない。そう言うだけだ。
別便用の箱が持ち込まれ、私の拒否を無視して箱に積み込まれる。ああ、こんな事が分かっていれば多少高くてもアテネ行きにすれば良かった。アテネなら2、3日滞在しても問題なかったのだ。あるいは陸路での国境越えに変更しようか。イスタンブール便チケットのキャンセルを考えていたが、そうすれば最低この国にもう1泊はする必要があるだろう。イスラエルはもう懲り懲りだ。
完全にふてくされ、拒否をしながらも彼らの指示にゆっくりと従い、スタッフの1人と共にチェックインカウンターに向かった。そこで、航空会社の女性スタッフに尋ねる。
『明日のイスタンブール行きは何時に着きますか』
『すみません。明日はフライトがありません』
『何だと。どういうことだ』
私は、同行してきた若いセキュリティに食ってかかった。
『大丈夫です。接続便がありますので、ロストバゲッジは問題なく明日の夕方着きます。必ず24時間以内に受け取れますのでご安心下さい』
女性スタッフが愛想の良い笑みと共に答える。そうそう問題ないですよ。5分刈りのセキュリティもにこにこする。
英語で会話している時は頭の回転がすこぶるにぶくなる。私は納得してしまいイミグレーションへ進んだが、機内に入ってからふと思った。こんな短い距離で接続便なんてある訳ないじゃないか。

結局、ロストバゲジは次のフライトである翌々日の深夜着便に乗せられ、PCのため空港からホテルにも送られず(イスタンブール空港のローカルルールによる)、私はイスタンブール4日目の午前中に空港に出向き、やっとロストバゲージ扱いとなったパソコンを受け取ることができた。

自分たちで作ったルールを守ることに専念して相手の痛みを理解しようとしない。優秀だとされるユダヤ人が誕生して幾千年、多くの民族から憎しみを買い続ける理由はそこにもあるのではないだろうか。

<後日記>

必ず24時間以内でPCは到着すると何人ものセキュリティ及びチェックインカウンターの航空会社スタッフが約束したにも関わらず、3日後受け取りとなったことに強く抗議するため、ロストバッゲージ遅延(ディレイドバゲージ)による費用請求を行うこととした。ロストバゲージが発生すると1日何ドルか負担したりするので航空会社に要求すべきとガイドブックに記載されているので、イスタンブールでの宿泊費用の一部あるいは全部をイスラエル航空は支払うものと考えていた。
クレームは空港のロストバゲージカウンターが窓口となって受け付けるものだと思っていたが、それは誤りで航空会社に対して直接行う必要があるという。ノートパソコンを受け取った日は日曜日でオフィスは休み。イスタンブール滞在をこれ以上延ばしたくなかったので、別の都市でイスラエル航空とコンタクトを取ることにした。(何らかの請求を行うのであれば、ロストバゲージが発覚した時点で航空会社とコンタクトを取る必要があるとのこと)
アテネではマネージャー不在を理由に断られ、ローマではテルアビブに直接電話して交渉しろ、と取り合ってもらえない。それぞれの支店のスタッフと何とか言葉は通じているようだが、全くコミュニケーションできていないことに苛立ちあきらめかけた。しかし、東京にも航空会社の支店があることを知り、帰国後クレームすることとした。

日本はいいところだ。小さなオフィスのマネージャーは私のクレームに対して航空会社(実際は関連会社)の社員として深く謝罪した。日本では当然のことだが、帰国直後のため予想していなかった行為に感動した。そして、彼は詳しく説明してくれた。
・ロストバゲージの到着が遅れるようであれば、同じ場所で待っているのではなく、次々と移動先(今回のケースではソフィアかアテネのホテルや空港など)を航空会社に連絡して転送してもらうことが可能。どれだけ転送されても乗客に確実に荷物を渡すところまでが航空会社の責任範囲。
・荷物が損傷なく乗客に渡した時点で航空会社の責務は果たされている。規定上は遅延に対して補償の義務はない。
・イスラエル航空では、以前、ロストバゲージとなった乗客に対して1日15ドル支払っていたが、現在は中止している。申し出た乗客に歯ブラシなどのお泊まりセットを渡しているだけ。今はどこの航空会社でも現金を支払うことはないのでは。
・何らかクレームする際、ロストバッゲージ発生時点から21日以内に航空会社に対して意志表示することが必要だとIATAの規定で定められている。
・ロストバゲージを24時間以内に受け取れると偽りの説明を行ったことに対してクレームするのであれば、いつ何時にどこで誰がという情報が最低限必要となる。

ということを説明した上で、書面でクレーム内容を提示すれば本社に取り次ぐと言われた。しかし、補償額は最大で45ドル(1日15ドルの3日分)で、支払いに応じる可能性はゼロに近いということを理解して、これ以上無駄な労力をかけることを断念した。

代わりにこのマネージャーに質問しながらいろいろと話を伺い以下のような内容が印象に残った。
・イスラエル人はホテルも予約せず一人で観光する個人旅行者というものを未だ理解できていない。
・イスラエルのセキュリティには米国の友人である日本に好意的な人が多い反面、連合赤軍の印象が抜けず日本人に対して敵意的な態度を取る年配者が少なくない。
・ツアーコンダクターから転身したこのマネージャーは、イスラム圏入国スタンプのあるパスポートを所有しているため、イスラエルに出張の際、イスラエル航空の社員証を提示してもセキュリティによるしつこい尋問に悩まされた。パスポートの内容だけでセキュリティのルールに沿った対応をされることが多いので、情勢によってはイスラム圏渡航歴のある旅行者は入国拒否される。

私の場合、2006年6月ガザ侵攻以降の緊迫した時期に訪れていれば入国できなかった可能性が高いとのこと。
今後、イスラエルを旅行される方は、できるだけきれいなパスポートで(そのパスポートでイスラム圏に入国する場合はノースタンプの主張が必要)、可能な限りツアーで入国することをお勧めします。

(後日記は2006年7月11日)

[イスラエル]入国(取り押さえられる)

海外では警官やスタッフの偉そうな態度に悩まされる。旅に慣れていないころは権力を振りかざす彼らのいいなりになっていたが、最近はある程度無視したり反抗してもそれ程問題ないと感じている。
特にエジプトでは、街中の道路にも観光地にもうじゃうじゃと白い制服を着た警官がいたが、温厚な彼らには必ずしも従う必要はなく、なめてかかってもなんとかなるものだった。

個人旅行者にとってイスラエル入国はタフだと聞いていた。しかし、それは陸路で入国の場合で、空路の場合は質問攻めに合い不快になる程度と理解していた。
私は可能な限り穏便にイミグレーションを通過したいと思い、男性係官の列に並んだが、私の直前で女性係官に交代してしまった。私がNo stamp pleaseとパスポートを差し出すと「ほワぁいぃ?」とおもいきり顔を歪めて尋ねてきた。『近いうちにレバノンやスーダンにも行きたいので』と正解と思われる回答をするが、その後もねちねちと質問を受ける。

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『で、国内のどこに行くの?』
『決めてないけど、エルサレムには行きます』
『エルサレムでの住所は?』
『ホテルですがどこのホテルかは決めてないです』
『予約してない?ホテルのリストは持ってるんでしょ。エルサレムで何を観光してどこに泊まるの?』
『いや、ガイドブックを持っていないので何もわからないです。ツーリストオフィスで尋ねるつもりですが』
顔を斜めに傾けたまま話す女性係官からの質問は、私のその回答で終わった。別の係官が現れ、広いホールの反対側にあるスタッフルームに連れていかれた。
うーん、何がいけなかったのだろう。やはり、少しは調べてから来るべきだったのか。30分ぐらい拘束されるのだろうかと思っていたが、そんな甘いものではなかった。
ゆっくりと英語を話すマネージャーから同様の質問を受けた後、パスポートを見ながら渡航先の目的や知人の有無などを質問してきた。私が自分でどこの国のスタンプが押されているかほとんどわからないのに彼はあっという間にイラン、イエメン、パキスタン、シリアのビザを見つけ出していた。
マネージャーからの質問後、近くにある椅子で待つよう言われる。そこには同じ便で到着したと思われる、スキンヘッドでマフィアのような顔つきの男と細身でアフガン人のような長い顎髭(ユダヤ人も同様の髭を持つことを後から知った)をたくわえた男がいた。たぶん、日本人である私は彼らより先に解放されるだろう。私はイスラエル入国を意識して髭を剃り清潔な身なりをしているのだから。
しかし、余裕で待っていた1時間が過ぎ、いらいらしながら2時間経過した時にマフィアの男が先に解放された。私はスタッフルームに怒鳴り込む。
『いったい、いつまで待たせるんだ』
マネージャーは不在で女性係官ばかりが楽しそうに団欒していた。
『セキュリティーがチェックしている。あとどのぐらいかかるか我々にもわからない』
『誰がわかるんだ。セキュリティーていうのは誰だ。誰がどこで何をチェックしているんだ』
『我々は知らない、知っていても言えない。それだけです』
怒りをぶつけられず逆にストレスが溜まる不遜な態度だ。
それから30分ほど経ち、穏やかに待ち続けていたアフガン風の男が解放された。こんな、腹に爆弾巻いてそうな男より後回しにされるなんてどういうことなんだ。しかし、彼は同じ便で到着した入国者でなかった。彼がうれしそうに立ち去る時『10時間以上待ってやっと入国できる』と恐ろしいことを口走っていた。
私は目の前が暗くなった。この広いロビーの片隅に置かれた椅子で夜を明かさねばならぬのか。
後の便で到着して一時拘束された者たちも30分もかからずに次々とパスポートが返却されていく。私は長期戦を覚悟してノートPCで記録をつけ始めたが、誰かの名前を呼ばれる度に係官を睨みつけほとんど集中できない。

3時間半経った時、女性係官が静かに私の前に現れた。彼女は私のパスポートを差し出し、セキュリティーのチェックが終了したと告げた。
『何が問題だったんだ。私のパスポートのどこに問題があってこれだけ待たせたのだ』
今日中に入国できないのではとまで思っていたので、意外な返却に笑みがこぼれそうだったが、無表情の係官に抗議した。
『あなたのパスポートには何も問題はない。ただ、あなたがイスラムの国を訪問しすぎただけ。それだけです』
うー、いやみの100個ぐらい言ってやりたかったが、英語が出てこない。

心配していた税関コーナーでは荷物のチェックがなくすんなり通過。これでやっと入国だと思ったのだが、税関出口でパスポートをチェックした女性係官が慌てて男性スタッフを呼び、私はその男に制止させられた。
『入国の目的は?』
『なぜ、答える必要があるんだ』
『私はセキュリティーです。答えて下さい』
『もうさんざんセキュリティに答えている。あなたもセキュリティなら彼らから聞きなさい』
『私は他のスタッフがどういう質問をしてあなたがどういう答えをしたか知りません。私もあなたに同様の質問をするのが役割なのです』
『なんだと(きさま)。それだったら何でここで(ぼけっと)待っていないで、私が3時間半セキュリティのチェックを受けている間に聞きにこないんだ。私は答えない』
『私はこの場所でチェックする必要があるのです。あなたが答えなければこれ以上前に進めません』
私はかなり怒りを顕わにしていたが、比較的低姿勢な男は一歩も引かず自分の役割をまっとうしようとしていた。私は英語による怒りに疲れ、全く同じ内容の質問に延々と答えていた。
『リターンチケットを見せて下さい』
『おい(お前らアホか)、いったい何人が同じものを見る必要があるんだ。それも出さないとダメなの?出さないと前に進めないの?』
もうリターンチケットはバッグの奥にしまったというのに何でこの若造のために再び出さないといけないのか。
10項目程度の質問が終わり男は私に通過を認めた。
『もう、これで最後だろうな』
『いえ、この後も同様の質問を受けると思います』
ばかやろ、聞き流さずにデータベースに記録しておけ。二度とお前らの質問には答えないぞ。

私はエルサレム行きのバス乗り場を探した。バスのサインがあった3階の外に出たが国内線空港へのシャトルバスとタクシーしかない。空港のスタッフらしき人は見あたらず、車道への出口付近に目つきの悪い少年(推定20歳)が立っているだけだ。私は少年と視線を合わせぬよう空港ビルに戻り誰か教えてくれそうな人を探そうと思った。少年の位置から空中廊下を10メートルほど渡ると空港ビルの入口がある。その脇に暗い表情の青年(推定30歳)がいた。この人に尋ねるのもやめよう。やはり中に入ってインフォメーションを探すか。そう思った時にその青年が私に近寄って来た。
『パスポートを見せて下さい。私はセキュリティです』
なに!私服を着ているが、確かに首からピクチャーバッジを提げている。誰がこんなやつにパスポートなど見せるものか。ついでだから彼に質問しよう。
『空港ビルに入りたいのではなく、エルサレム行きのバスの発車場所を知りたいんだけど』
『パスポートを出して下さい』
うるさいな。簡単に出せるなら出してやってもいいが、もう肌に密着させた隠し袋に収納して出すのが面倒なんだよ。それにまた延々と同じ質問するんだろ。
『エルサレム行きのバスどこから出るか知らないの?じゃあ中で聞いてくるから。ちょっと通して』
男の手を押してビルの入り口に進もうとすると、彼の表情が変わった。私を片手で強く押さえつけながら無線で何か報告している。
わかったよ。そんなこわい顔するなよ。パスポートぐらい出すよ。シャツのボタンを一つはずし右手をシャツの中に入れた時、その右手を背後から襲ってきた男に捕まれた。
『なんだ、きさま、手を離せ』
『セキュリティだ。制止しろ!』
その男は目つきの悪い少年ではないか。お前もセキュリティなのか。私は腹から爆弾のスイッチを取り出そうとしているのではない。こんな小柄な少年ぐらい足払いで倒してやる。そう思うや否や、どかどかと男たちが集まり、2人の男に両腕を捕まれ壁に押さえつけられて身動きできない状態になった。他に1人が私からバッグを引き離し、1人が周囲を見回し、1人が無線で交信している。空港ビルと車道を結ぶ空中廊下の真ん中で、私はあっという間に5人のセキュリティに取り押さえられてしまった
なかなか素早いじゃないの。みなさん真剣だね。私みたいな虚弱な東洋人でもいい練習になった?
『いったいどうしたというんだ。私はバスの発車場所を知りたかっただけなのに。手を離してくれればパスポートならすぐ出すよ』
私は両腕を捕まれたまま、へらへらと敵意のないことを示す笑みを浮かべていた。しかし、彼らは真剣な表情を崩さず、私に話しかけてこない。ただ無線のやり取りが緊迫した空気の中響いていた。

やがて、黒いスーツに身を包んだ男2人がゆっくりとこちらに向かって来た。そのうち1人の姿が目に入った瞬間、私の顔から余裕の笑みがなくなっていた。
その男にはただものならぬ雰囲気があった。スーツの上からも肩や胸の筋肉の盛り上がりを感じさせる体格をして、スタイルだけでなく整った顔つきがハリウッドスターを生で見ているようだった。その睨みつける表情からは、『俺は今まで何十人と殺してきた、てめえを殺めるのはわけないんだぞ』という声が聞こえてくるのだ。例えるならシュワルツネッガーの顔を整えて更に冷徹さを加えた感じだ。
その男が私の前に立ち、指示を出すと私の両腕は解放された。しかし、この悪役シュワの前で私は身動きひとつできない。更にもうひとり男が現れ、私の小さなバッグは台車の上に載せられている。いったい私はこれからどうなるのだろう。せっかく入国できたのに強制退去させれるのだろうか。いやそれだけなら良いが、私はこの悪役たちから拷問を受けるのではないか。そんな恐怖さえあった。
小柄な女性セキュリティが現れ、シュワちゃんの指示のもと、やさしい英語で質問が始まった。今までよりも更に細かい質問だったが、悪役に睨まれる前でおとなしく答えていた。延々と質問への受け答えが続く。その間、私から取り上げたパスポートの照会結果なのか、無線に次々と連絡が入っている。すると、次第にスタッフたちの緊張が緩んできた。このまま解放されるかもしれないと感じ始める。
『なぜ、あなたはセキュリティの指示に従わず、制止しなかったの?』
『私は止まりましたよ(前に進めなかったんだから)』
シュワちゃんの表情がきつくなる。また、そんな怖い顔するなよ。夢にでてきそうだ。
『もう一度質問します。なぜあなたは制止しなかったんですか』
流れからいって、ここで謝れば許してもらえそうだった。しかし、こんなやつらに謝りたくはない。少し考えた。別に謝る必要はないんだ。そのまま答えよう。
『過剰なチェックにいらついてたんだ』
私は英語にどもりながら話を続けた。
『入国時にセキュリティのチェックで3時間半待たされ、その後にもセキュリティのチェックがあり、何度も何度も同じ質問をされる。エルサレム行きバスの発車場所を知りたかっただけなのになぜまたチェックを受けなければならないんだ』
シュワちゃんの顔が緩み、英語を話せないのかと思っていた彼が私に直接話し始めた。
『初めての訪問では不快に感じるかもしれませんが、我々の国ではいろんな所でセキュリティがチェックするのが普通なのです。我が国と日本は良い関係にあります。日本の旅行者を我々は歓迎します』
彼の指示によりバッグとパスポートが返却される。そして無理に笑みを作りながら彼は続けた。
『あなたがセキュリティの指示に従いさえすれば、我々はあなたの質問に何でも答えますよ。この窓から2階を見て下さい。黄色いバスが何台か停まってますね。あの中にエルサレム行きのバスがあります。気をつけて、良いご旅行を。今後もセキュリティには従って下さい』
シュワちゃんは更に歯をむき出して笑いながら私を送り出した。怖い顔で無理に笑顔を作らないでくれ、不気味だ。

こうして無事解放されたのだが、国内ではセキュリティへの絶対服従を教え込まれる結果となった。
今まで私は平和ぼけした国ばかりを旅してきたのだろうか。

最後に一句。イスラエルなめたらあかん捕らわれる。

連行される(コンスタンティーヌ)

<コンスタンティーヌ最大のシディ橋(2枚組)

前夜、空路でコンスタンティーヌに到着して街はずれのホテルに宿泊した。朝、ホテルから中心街に向かうと、街の異様な景観が少しずつ目に入り、興奮する。最初の橋であるシディ橋に着いた。
橋脚のたもとには低所得者向けの路上市場が開かれ、そのはるか下には蛇行する川が見える。これはぜひ記念写真を撮らねば。1枚シャッターを切ったが、太い電線がどうも邪魔だ。いいアングルがないものかとファインダーをのぞきながらうろうろしていると、背中から肩を叩かれた。
「こっちに来なさい」
皮ジャンを着た男性がにこにこしながらフランス語で命令する。海外では、一般人が旅行者に対して偉そうに注意や命令をしてくることがよくあるため、私は英語で強く反発した。
「なんであんたに従う必要があるんだ」
その30歳ぐらいの男は仕方ないなあという顔をすると皮ジャンで隠しながら顔写真の付いた手帳を見せる。
「警察だ」
近くにいたもう一人の男も私服警官のようで、私は2人の皮ジャン男に両腕を捕まれすぐ隣の建物に連行される。このぐらいで拘留はされないだろうと思っていたが、20万円のデジカメか2万円のCFカード(写真ファイル保存用)が没収されるのではないかと恐れていた。
ビルに入るとそこは警察のオフィスだった。なんということだ、私は警察署のすぐ隣で、一般にこの手の国で撮影が禁止されている橋を撮っていたのだ。
「はい、パスポートを出して。フランス語は?」
「ほとんどできません」
「撮影許可書は?」
「持ってません」
「橋が撮影禁止だというのは知っているよね」
「いいえ、知りません」
真ん中に机だけが置かれた部屋で椅子に座らされ、対峙した警官から次々と質問を受ける。入れ替わり2、3人の同僚が部屋に出入りしてその様子を眺め、時々、口をはさんでくる。日本の刑事物ドラマにそっくりだ。

尋問の後、担当警官から延々と説教を受けていたが、パスポートの照会結果が報告されると彼の表情が穏やかになってきた。警官たちは、地図を見せながらこの地区はスリが多い、何々橋を渡るとその先はスラム街だから立ち入るなという注意をした後、30分ぐらいでパスポートを返してくれる。私は無事解放されたのがうれしくて、警察署を出た時には彼らから得た危険情報は頭からすっかり抜けてしまっていた。

街の中を歩けば、すばらしい橋がいくつも現れてくる。峡谷を跨ぐ街で橋を撮らずに帰るわけにはいかない。しかし、再度連行されればただでは済まないだろう。
「あの橋を撮影していいですか?」
交差点で立番する、いかにも気の良さそうな年配の警官をみつけ、遠くに見える橋を指差して尋ねた。
「ああ、ここから撮る分には構わないよ」
というようなことを答えたようだが、私にはウイの返事以外は理解できなかった。

その後は、皮ジャンの男がいないことを確認しながら、次々と現われる橋を手際よく撮り続けた。