[フランス]シャルルドゴール空港

夕陽があたるパリのシャルルドゴール空港。搭乗を待つ人たちの長い影ができていた。

[チュニジア]チュニス

チュニスの朝はさわやか。長時間の移動による疲れからか喉や耳の痛みと共に悪夢にうなされた夜が嘘のようだ。
昨晩、深夜12時を過ぎの宿探しをしている時、ワルそうなやつらを追い払うのに多少苦労したが、概ね安全な街のようだ。

チュニスを軽く散歩した後、列車でスースに移動。そこから乗り合いタクシーでエル・ジェムに向かう。エル・ジェムにある円形劇場は世界遺産で、街中では際だつ大きさがあるが、特に引きつけられるものがない。ただ空の青さが印象的だった。

[チュニジア]ケルアン

イスラム教でメッカ、メジナ、エルサレムに次ぐ第4の聖地と言われるケルアン。(ケルーアン、カイルーアン、カイルアン、カイラワーンとも表記される)
メインであるグランモスクは観光客が入れるところが限られていることもあり、こんなものかという程度。しかし、世界遺産ということで記念撮影。(写真上マウスオーバーかクリックで表れる2枚目)

ケルアンには城壁に囲まれた迷路都市メディナにモスクも含めた観光施設が点在する。観光客の歩かない路地をうろつくと白い建物が連なるアラブらしからぬ通り(写真1枚目)が現れてきた。青空に映え、なかなか良い。この街は星1つ半だ。(5つ星満点だが)

宿泊したスースのFARESホテルは18ディナール(約1、400円)の割には大変清潔。ベッドも堅く寝心地が良く、うなされずに済む。昨晩に続いて、今晩も泊まることにした。
ただし、電話回線でネット接続したかったのだが、このホテルには外線につながる電話で客が使えるものはない。インターネットカフェに行ったがUSBメモリーをPCが認識せず、送信断念。

[チュニジア]スース

スースはなかなか良い街。
2泊したため、どこでジュースを飲みどこで食事をするかが決まってくる。自分の街になった気分だ。
美しい白浜のビーチが何キロも続き、海岸のすぐ近くに城壁で囲まれた古い街並メディナがある。サヘルの真珠と呼ばれるスースには白い建物が多い。(写真)
路地裏ではやさしいアラブの男たちが猫に餌を与えている姿を見かけるが、痩せて毛並みの悪い猫が多く、観光客にも食べ物をねだる。

メディナの路地を歩いても子供たちに出会えなかったのが残念だ。アラブのおやじたちが幼児を抱き上げ、髭面を寄せて歩く姿ばかりが目についた。

[チュニジア]ドゥッガ

<ローマ遺跡ドゥガ(2枚組)

規模ではチュニジアで一番というローマ遺跡ドゥガ。あまり期待していなかったが、予想通り。

周りの緑はきれいだが、敷地が広いだけで遺跡としてぱっとしない。空もどんよりしていたので写真には花を添えて見映えを良くした。(裏の写真)
遺跡の敷地内で牧童が羊や山羊に草を食べさせているのには驚いた。(表の写真)
雑草を刈る手間をはぶくためなのだろうか。家畜のフンがごろごろしていては遺跡によくないのでは。ここって本当に世界遺産?

そろそろチュニジアのネタが尽きそうなので、次の国へ移動の準備を始める。

[チュニジア]チュニス(カルタゴ)

チュニスのグランモスク(左写真)を始めとしたメディナは世界遺産ということで手短かに歩き回る。歩きやすくこじんまりとしたメディナだ。皮革製品を扱う店が多く、駱駝の臭いが鼻につく。

電車でカルタゴに入り、3駅ぐらいの間に点在する遺跡(右写真)を歩き回る。博物館のある丘の上から眺めると、海に面したカルタゴの街が美しい。整備すれば魅力的になりそうな世界遺産だった。

夕方、空港に向かい、何時に着くのか全くわからぬままカイロ行きの飛行機に乗った。

[エジプト]カイロ

歩きすぎたか、あるいは安全そうにみえたチュニジアで現地の食事を食べ過ぎたか。カイロのホテルで朝起きると下腹が鉛のように重い。
上半身を起こすと痛みを伴いトイレに駆け込む。しばらく休んだ方が良さそうだ。より上質なホテルに移動する。
考えてみれば旅行に出て数日後に体調が悪くなるのはいつものことだ。ただ、いつもは気合いを入れて旅を強引に続けて帰国後に熱を出すパターンが多いが、今回は旅の期間が長いのでそれほど気を張りつめていない。午後2時に深い眠りから目を覚ましたが、瞼が重く目を開けていられない。結局、ホテルの移動以外に外に出たのは、水の買い出し1度だけだった。

ホテル近くの路地をミネラルウォーターを探してフラフラ歩いていると、私の左後ろから顔をちらっと見せる子どもがいた。その子は私の背後をジャンプするようにスキップして、今度は右手に回り込みニコッと笑う。
はにかむように「ハロー」と声をかけてきたのは青い制服を着たお嬢さんだった。私は屈み込んで彼女の視線に合わせ、ハローと言いながら自分の顔の近くで手をパッパッと広げた。かわいいねという私なりの表現だ。
彼女はニコニコと笑みを返すとスキップしながら母親のいる店の奥に消えていった。暗がりの店内を覗くと、大きな瞳と白い歯を輝かせながらずっとこちらを見つめていた。
この無垢な子どもと一瞬触れ合えただけで、今の私には満ち足りた1日となった。

<翌日>

目は開くようになったが、腹の調子は悪化したようだ。24時間絶食しても治らない場合は水以外の食べ物も口に入れ、排出を促進しながら菌を体外に出す作戦に切り替える。

この日は15時ごろから考古学博物館にでかける。陳列のされ方は、ガイドでもいないと非常にわかりづらいものになっているが、展示品の量、大きさ、質の高さは半端ではない。今まで見てきたアジアや南米などの博物館はいったい何だったんだろう。有名な博物館でもここの10分の1もないような気がする。

恐れ入った、エジプト文明。

[エジプト]ギザ

<ツーリストポリスとラクダ使い/見上げるピラミッド(2枚組)

結局2日間で日本なみの大きさはあるトイレットペーパーを4巻使った。まだ治まったわけではないが大分長持ちするようになったので、ゆっくりと体を動かしながら地下鉄とバスでギザに向かう。

ギザのピラミッドは遺跡というより山だ。テレビから想像していたものよりずいぶんと大きく、そして傾斜が急に感じた。今回、チュニジアとエジプトのみガイドブック(ともに6年前のものであるが)を持ってきていた。しかし、病み上がりのボケで肝心のギザのページをホテルに置いてきてしまった。どこに何があり、何を見るべきかがツーリストオフィスのパンフレットでは全くわからない。
35度以上の気温でふらふらしてきたのである程度だまされるのは承知のうえ馬車に乗ったが、評判通り最悪な対応で不快極まりない。せっかく見直したギザだったが印象が悪くなった。

ぼったくりと思われる高額な入場料を取り異常な数のツーリストポリスを配置しながら、個人旅行者にろくなガイドをせず、馬車やらくだで不当な商売をする輩を放置する、エジプト観光局に、かぁあーっつ(活)!!

[エジプト]ルクソール(1)

<夜のルクソール神殿/ナイル河夕景(2枚組)

当初、ルクソール観光は1日で済ませる予定だった。ナイル川の西岸半日、東岸半日でちょうど良いはずだ。しかし、予想外の暑さのため2日間に変更した。日中、直射日光下で気温が45度近くまであがる中で自転車による観光はかなり辛いものがあった。特に広い地域を回る西岸地域では、個人旅行者にとっての移動手段としてはタクシー、バイク、自転車ぐらいしかない。入場料でかなり出費がかさむため、せめて移動手段だけでも安く押さえたいと考えてしまう。

それにしても、ルクソールでもこまごまと高額な入場料を徴収される。最悪なのはツタンカーメンの墓、1,450円。カイロからルクソールまで1等車による11時間の1,400円(実際私が乗ったのは2等車900円)よりもルクソールで泊まった3つ星ホテルのシングル1,250円よりも高い。これだけ金を取るのだから相当のものだろうと期待していたが、2、3分見れば済む陳腐なものだった。他の墓を含めて撮影禁止のため記録に残せず、今後の旅行者にこんなつまらないところだったと伝えられない。
せっかくここまで来たのだから、あまりにも知名度が高いからと異常な金額と思いながらも払ってしまう。エジプト観光局のぼったくりだ。
(エジプト政府は旅行者を守るテロ対策費がかさんでいると言い訳しそうだが、テロリストは外国人旅行者の殺傷を狙っているのではなく、エジプト政府の主要な収入源である観光産業に打撃を与えるのが目的だ。年々値上がりしている入場料で観光による収入の割合が高くなり、テロリストにとって旅行者を襲撃する意義が高まるだけだと思うのだが)

<前日>

まだ体が本調子でないが、菌が抜けきったようなのであとは時間の問題だろう、ということで今日は1日列車に乗ることにした。

朝7時半に出発して9時間はトイレにも行かずじっとしていた。誰かの足が臭う。新聞紙がちらかっている。それ以外には不満がないがやけに疲れる。
エジプト人旅行者たちはまるで夜行列車に乗っているかのようによく眠る。いびきをかき続けている人もいる。みんな15時間はかかるというアスワンまで向かうのだろうか。隣に座る無職32歳がやっと目を覚まし、途中駅で買ってきたパンをごちそうされる。レーズン入りの細い棒状の固いパンにゴマがふってある。空腹だったせいもあるが、これがすこぶるうまい。
砂漠地帯ならではの赤い夕陽が美しい。ああ、もう陽が沈んでしまう。ルクソールは遠い。

結局、夜6時半にルクソール到着。2等車のシートで11時間は体中が痛い。日本円換算で1,400円と五百円高いだけの1等車にすべきだった。

[エジプト]ルクソール(2)

<カルナック神殿航空写真/スーク近くに住む子(2枚組)

東岸で1日は余裕がある。また自転車を借りようかと思ったが、比較的狭い地域に密集する東岸は歩いて観光することにした。ルクソール神殿見学後、スーク(市場)に入る。ほどよい大きさと混み具合でなかなか良い。買う気がないのに土産屋をひやかしたり、店や通りにカメラを向けたりしていると、一人の女の子が私の側についていた。私が気がついて彼女を見ると軽く微笑むだけで何も話そうとしない。押し売りガイドか何かと思い無視していたが、彼女は私から2、3歩離れたまま黙ってついてくる。そして、私が露店を撮影しようとするとカメラの前を横切ろうとする子供を制止する。また、街角でどちらに進むか考えていると、スークが続く方向を黙って指さしてくれる。私はつい彼女に頼ってしまい、野菜売り場に群がる婦人たちを撮影しても大丈夫かなとしぐさで彼女に尋ねたり、交差点に着くと自分で考えず彼女に行くべき方向を確認する。
通りに店が少なくなってきたので、もうスークが終わりなのかと彼女に尋ねた。
『そう...ねえ私の家に来ない?私の家ここから近いの』
彼女が初めて口を開いた。うーん、何かありそうだけど、控えめなガイドが良かったのでついて行ってみよう。(本来ついて行くべきではない。世界的観光地にはどんなワルが待ち構えているかわからない)

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<長屋風住宅のリビング>

マリー(仮称)という子の家は長屋風住宅街の一画にあった。入り口に近い居間兼ベッドルームに通された。次々と挨拶しながら家族らしき人たちが入ってくる。お茶が出され、カメラを向けると喜んで撮影に応じていた。
幼児と戯れながら楽しんでいると、こわおもての叔父だという男が現れた。そして、マリーの父親はなくなったため収入がなく、彼女と弟が学校の合間に働いているということをたどたどしい英語で訴えてくる。
『どうだあんた。マリーをどう思う。どうだマリー』
『どうだと言われても・・・。マリーはかわいいですが、まだ若すぎるのでは・・・』
てっきりマリーを私の嫁にどうだと言い出すのかと思ってあせっていた。
『そういうことじゃなくて、マリーがかわいそうだと思わないかあんた。金持ちの日本人ならば彼女に100ドルか200ドル寄付してやってくれ』
なんだそういうことか、そうなら早く切り出してくれよ。
今お金持っていないので、私は貧乏な旅行者なので、とかぶつぶつ言いながらもただでは立ち去れぬと思い、お茶代としては多額の10ポンド(約210円)を出す。近所のおやじに、なんだそれだけか、せめてこの幼児の分もう10ポンド置いていけ、と脅されながら長屋を後にした。
マリーがにこにこしながら、前と同じように私の後をついてくる。カルナック神殿への道を尋ね、住宅街を抜けて大通りに出たところで別れた。

ルクソールの遺跡はでかい。なんという大きさなのだ。街中に近いルクソール神殿を外から眺めていても巨大さを痛感したが、少し離れた場所にあるカルナック神殿は更にでかい。何がでかいって、壁が高く、柱が太く、像が巨大で、敷地が広い。このでかさを写真で表現するのは不可能ではないか。(上の表の写真)
カルナック神殿なんて名前も聞いたことなかったぞ。(無知なだけか)
エジプトの遺跡は挌が違いすぎ、他の地域の遺跡がつまらなくなるのでは。

[エジプト]カイロ(2)

カイロはアラブやアフリカというよりもアジアだ。人や街を見ていて、日本人の感覚からからかけ離れたところがない。多くの人々がマイルドで、言葉が通じなくてもコミュニケーションでき、街も人々の行動も理解しやすい。

走行する車の凶暴性はアジアの都会と比較しても高いものがあるが、車さえよけられればカイロの街歩きは難しくない。
体調は回復したようだ。昨晩、一等車ながら夜行でルクソールからカイロに入り疲れがあるはずだが、広いカイロ市内を自分でも驚くほどの距離を歩き回った。

[イスラエル]入国(取り押さえられる)

海外では警官やスタッフの偉そうな態度に悩まされる。旅に慣れていないころは権力を振りかざす彼らのいいなりになっていたが、最近はある程度無視したり反抗してもそれ程問題ないと感じている。
特にエジプトでは、街中の道路にも観光地にもうじゃうじゃと白い制服を着た警官がいたが、温厚な彼らには必ずしも従う必要はなく、なめてかかってもなんとかなるものだった。

個人旅行者にとってイスラエル入国はタフだと聞いていた。しかし、それは陸路で入国の場合で、空路の場合は質問攻めに合い不快になる程度と理解していた。
私は可能な限り穏便にイミグレーションを通過したいと思い、男性係官の列に並んだが、私の直前で女性係官に交代してしまった。私がNo stamp pleaseとパスポートを差し出すと「ほワぁいぃ?」とおもいきり顔を歪めて尋ねてきた。『近いうちにレバノンやスーダンにも行きたいので』と正解と思われる回答をするが、その後もねちねちと質問を受ける。

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『で、国内のどこに行くの?』
『決めてないけど、エルサレムには行きます』
『エルサレムでの住所は?』
『ホテルですがどこのホテルかは決めてないです』
『予約してない?ホテルのリストは持ってるんでしょ。エルサレムで何を観光してどこに泊まるの?』
『いや、ガイドブックを持っていないので何もわからないです。ツーリストオフィスで尋ねるつもりですが』
顔を斜めに傾けたまま話す女性係官からの質問は、私のその回答で終わった。別の係官が現れ、広いホールの反対側にあるスタッフルームに連れていかれた。
うーん、何がいけなかったのだろう。やはり、少しは調べてから来るべきだったのか。30分ぐらい拘束されるのだろうかと思っていたが、そんな甘いものではなかった。
ゆっくりと英語を話すマネージャーから同様の質問を受けた後、パスポートを見ながら渡航先の目的や知人の有無などを質問してきた。私が自分でどこの国のスタンプが押されているかほとんどわからないのに彼はあっという間にイラン、イエメン、パキスタン、シリアのビザを見つけ出していた。
マネージャーからの質問後、近くにある椅子で待つよう言われる。そこには同じ便で到着したと思われる、スキンヘッドでマフィアのような顔つきの男と細身でアフガン人のような長い顎髭(ユダヤ人も同様の髭を持つことを後から知った)をたくわえた男がいた。たぶん、日本人である私は彼らより先に解放されるだろう。私はイスラエル入国を意識して髭を剃り清潔な身なりをしているのだから。
しかし、余裕で待っていた1時間が過ぎ、いらいらしながら2時間経過した時にマフィアの男が先に解放された。私はスタッフルームに怒鳴り込む。
『いったい、いつまで待たせるんだ』
マネージャーは不在で女性係官ばかりが楽しそうに団欒していた。
『セキュリティーがチェックしている。あとどのぐらいかかるか我々にもわからない』
『誰がわかるんだ。セキュリティーていうのは誰だ。誰がどこで何をチェックしているんだ』
『我々は知らない、知っていても言えない。それだけです』
怒りをぶつけられず逆にストレスが溜まる不遜な態度だ。
それから30分ほど経ち、穏やかに待ち続けていたアフガン風の男が解放された。こんな、腹に爆弾巻いてそうな男より後回しにされるなんてどういうことなんだ。しかし、彼は同じ便で到着した入国者でなかった。彼がうれしそうに立ち去る時『10時間以上待ってやっと入国できる』と恐ろしいことを口走っていた。
私は目の前が暗くなった。この広いロビーの片隅に置かれた椅子で夜を明かさねばならぬのか。
後の便で到着して一時拘束された者たちも30分もかからずに次々とパスポートが返却されていく。私は長期戦を覚悟してノートPCで記録をつけ始めたが、誰かの名前を呼ばれる度に係官を睨みつけほとんど集中できない。

3時間半経った時、女性係官が静かに私の前に現れた。彼女は私のパスポートを差し出し、セキュリティーのチェックが終了したと告げた。
『何が問題だったんだ。私のパスポートのどこに問題があってこれだけ待たせたのだ』
今日中に入国できないのではとまで思っていたので、意外な返却に笑みがこぼれそうだったが、無表情の係官に抗議した。
『あなたのパスポートには何も問題はない。ただ、あなたがイスラムの国を訪問しすぎただけ。それだけです』
うー、いやみの100個ぐらい言ってやりたかったが、英語が出てこない。

心配していた税関コーナーでは荷物のチェックがなくすんなり通過。これでやっと入国だと思ったのだが、税関出口でパスポートをチェックした女性係官が慌てて男性スタッフを呼び、私はその男に制止させられた。
『入国の目的は?』
『なぜ、答える必要があるんだ』
『私はセキュリティーです。答えて下さい』
『もうさんざんセキュリティに答えている。あなたもセキュリティなら彼らから聞きなさい』
『私は他のスタッフがどういう質問をしてあなたがどういう答えをしたか知りません。私もあなたに同様の質問をするのが役割なのです』
『なんだと(きさま)。それだったら何でここで(ぼけっと)待っていないで、私が3時間半セキュリティのチェックを受けている間に聞きにこないんだ。私は答えない』
『私はこの場所でチェックする必要があるのです。あなたが答えなければこれ以上前に進めません』
私はかなり怒りを顕わにしていたが、比較的低姿勢な男は一歩も引かず自分の役割をまっとうしようとしていた。私は英語による怒りに疲れ、全く同じ内容の質問に延々と答えていた。
『リターンチケットを見せて下さい』
『おい(お前らアホか)、いったい何人が同じものを見る必要があるんだ。それも出さないとダメなの?出さないと前に進めないの?』
もうリターンチケットはバッグの奥にしまったというのに何でこの若造のために再び出さないといけないのか。
10項目程度の質問が終わり男は私に通過を認めた。
『もう、これで最後だろうな』
『いえ、この後も同様の質問を受けると思います』
ばかやろ、聞き流さずにデータベースに記録しておけ。二度とお前らの質問には答えないぞ。

私はエルサレム行きのバス乗り場を探した。バスのサインがあった3階の外に出たが国内線空港へのシャトルバスとタクシーしかない。空港のスタッフらしき人は見あたらず、車道への出口付近に目つきの悪い少年(推定20歳)が立っているだけだ。私は少年と視線を合わせぬよう空港ビルに戻り誰か教えてくれそうな人を探そうと思った。少年の位置から空中廊下を10メートルほど渡ると空港ビルの入口がある。その脇に暗い表情の青年(推定30歳)がいた。この人に尋ねるのもやめよう。やはり中に入ってインフォメーションを探すか。そう思った時にその青年が私に近寄って来た。
『パスポートを見せて下さい。私はセキュリティです』
なに!私服を着ているが、確かに首からピクチャーバッジを提げている。誰がこんなやつにパスポートなど見せるものか。ついでだから彼に質問しよう。
『空港ビルに入りたいのではなく、エルサレム行きのバスの発車場所を知りたいんだけど』
『パスポートを出して下さい』
うるさいな。簡単に出せるなら出してやってもいいが、もう肌に密着させた隠し袋に収納して出すのが面倒なんだよ。それにまた延々と同じ質問するんだろ。
『エルサレム行きのバスどこから出るか知らないの?じゃあ中で聞いてくるから。ちょっと通して』
男の手を押してビルの入り口に進もうとすると、彼の表情が変わった。私を片手で強く押さえつけながら無線で何か報告している。
わかったよ。そんなこわい顔するなよ。パスポートぐらい出すよ。シャツのボタンを一つはずし右手をシャツの中に入れた時、その右手を背後から襲ってきた男に捕まれた。
『なんだ、きさま、手を離せ』
『セキュリティだ。制止しろ!』
その男は目つきの悪い少年ではないか。お前もセキュリティなのか。私は腹から爆弾のスイッチを取り出そうとしているのではない。こんな小柄な少年ぐらい足払いで倒してやる。そう思うや否や、どかどかと男たちが集まり、2人の男に両腕を捕まれ壁に押さえつけられて身動きできない状態になった。他に1人が私からバッグを引き離し、1人が周囲を見回し、1人が無線で交信している。空港ビルと車道を結ぶ空中廊下の真ん中で、私はあっという間に5人のセキュリティに取り押さえられてしまった
なかなか素早いじゃないの。みなさん真剣だね。私みたいな虚弱な東洋人でもいい練習になった?
『いったいどうしたというんだ。私はバスの発車場所を知りたかっただけなのに。手を離してくれればパスポートならすぐ出すよ』
私は両腕を捕まれたまま、へらへらと敵意のないことを示す笑みを浮かべていた。しかし、彼らは真剣な表情を崩さず、私に話しかけてこない。ただ無線のやり取りが緊迫した空気の中響いていた。

やがて、黒いスーツに身を包んだ男2人がゆっくりとこちらに向かって来た。そのうち1人の姿が目に入った瞬間、私の顔から余裕の笑みがなくなっていた。
その男にはただものならぬ雰囲気があった。スーツの上からも肩や胸の筋肉の盛り上がりを感じさせる体格をして、スタイルだけでなく整った顔つきがハリウッドスターを生で見ているようだった。その睨みつける表情からは、『俺は今まで何十人と殺してきた、てめえを殺めるのはわけないんだぞ』という声が聞こえてくるのだ。例えるならシュワルツネッガーの顔を整えて更に冷徹さを加えた感じだ。
その男が私の前に立ち、指示を出すと私の両腕は解放された。しかし、この悪役シュワの前で私は身動きひとつできない。更にもうひとり男が現れ、私の小さなバッグは台車の上に載せられている。いったい私はこれからどうなるのだろう。せっかく入国できたのに強制退去させれるのだろうか。いやそれだけなら良いが、私はこの悪役たちから拷問を受けるのではないか。そんな恐怖さえあった。
小柄な女性セキュリティが現れ、シュワちゃんの指示のもと、やさしい英語で質問が始まった。今までよりも更に細かい質問だったが、悪役に睨まれる前でおとなしく答えていた。延々と質問への受け答えが続く。その間、私から取り上げたパスポートの照会結果なのか、無線に次々と連絡が入っている。すると、次第にスタッフたちの緊張が緩んできた。このまま解放されるかもしれないと感じ始める。
『なぜ、あなたはセキュリティの指示に従わず、制止しなかったの?』
『私は止まりましたよ(前に進めなかったんだから)』
シュワちゃんの表情がきつくなる。また、そんな怖い顔するなよ。夢にでてきそうだ。
『もう一度質問します。なぜあなたは制止しなかったんですか』
流れからいって、ここで謝れば許してもらえそうだった。しかし、こんなやつらに謝りたくはない。少し考えた。別に謝る必要はないんだ。そのまま答えよう。
『過剰なチェックにいらついてたんだ』
私は英語にどもりながら話を続けた。
『入国時にセキュリティのチェックで3時間半待たされ、その後にもセキュリティのチェックがあり、何度も何度も同じ質問をされる。エルサレム行きバスの発車場所を知りたかっただけなのになぜまたチェックを受けなければならないんだ』
シュワちゃんの顔が緩み、英語を話せないのかと思っていた彼が私に直接話し始めた。
『初めての訪問では不快に感じるかもしれませんが、我々の国ではいろんな所でセキュリティがチェックするのが普通なのです。我が国と日本は良い関係にあります。日本の旅行者を我々は歓迎します』
彼の指示によりバッグとパスポートが返却される。そして無理に笑みを作りながら彼は続けた。
『あなたがセキュリティの指示に従いさえすれば、我々はあなたの質問に何でも答えますよ。この窓から2階を見て下さい。黄色いバスが何台か停まってますね。あの中にエルサレム行きのバスがあります。気をつけて、良いご旅行を。今後もセキュリティには従って下さい』
シュワちゃんは更に歯をむき出して笑いながら私を送り出した。怖い顔で無理に笑顔を作らないでくれ、不気味だ。

こうして無事解放されたのだが、国内ではセキュリティへの絶対服従を教え込まれる結果となった。
今まで私は平和ぼけした国ばかりを旅してきたのだろうか。

最後に一句。イスラエルなめたらあかん捕らわれる。

[イスラエル]エルサレム

<エルサレム旧市街 嘆きの壁航空写真)2枚組

<エルサレム旧市街 聖墳墓教会(2枚組)

エルサレムの街歩きは楽しい。

(一神教の)世界三大宗教全ての聖地であるエルサレムは、その崇高さと緊迫感からフラフラと観光する場所ではないのだが、私にとってこれ以上の観光地があるだろうかと思えるほど魅力に溢れている。1km四方程度の城壁に囲まれた旧市街に3つの宗教の聖地と4つの民族(3宗教徒とアルメニア人)のエリアがある。複雑で細い路地を歩けば、スーク風の市場が続いたり、中世から続く住居群を走り回る子供たちを目にしたり、そうかと思うと街に不釣合いな兵士が立っていて進行を止められたりと多様な非日常的光景に出会える。
ツーリストオフィスで地図をもらったが大雑把なものでどこに何があるのか何をみるべきかが掴めない。1日しか滞在しない私にとって効率良い観光のためにガイドブックの必要性を痛感していた。

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キリスト教の見るべきポイントがどこかすらわからず困っていたところ、ベルベル人のアクセサリーを扱う店で呼び止められ、日本語を教えて欲しいと強引に店内に入れられる。初老の店主はこの店が日本のガイドブックに紹介されていると言って10年前の「地球の歩き方 イスラエル版」を手渡してきた。やった、日本語のガイドブックだ。私は彼に日本語を教えながら、懸命にエルサレムのページを漁る。男はお茶をごちそうしようと店先の路地を行き来する出前茶屋を呼び止めミントティーを頼む。よし更に時間が稼げる。私は狭い店内で椅子に座りガイドブックから情報を吸収しようと懸命なのだが、店主がうるさく話しかけてくる。店先に客が現れたので相手するよう彼に促しても、やつらは地元の人間だ、どうせ買う気なんかないんだと取り合わない。
出前のお茶が運ばれると、男がやっと本題の話しに入ってきた。
『あんた奥さんがいないのか?恋人もいないのか?女性の友達はいるだろう。土産は買っていかないのか?あんたの母親や妹にも土産はいるだろう。どうだこのネッレス。赤がいいか。黄色もあるぞ』
ガイドブックを持つ私の腕にネックレスをかける。私はこの手の土産物は嫌いではない。通常の旅であれば購入を検討するぐらいの良い品物にみえた。しかし、この先長い旅なので買うことは考えられない。興味を持ってながめてしまったこともあり、値段を尋ねた。
『150ドルと言いたいところだが、日本語を教えてもらった友人のあんたは特別に100ドルでいい』
15ドルぐらいなら買ってしまうかもしれない代物だから、そのぐらいの値段をふっかけるんだろう。彼の言葉に反応せず、私が再びガイドブックを見ているとハウマッチ、ハウマッチと店主がしつこい。
『もし買うならば5ドルかなあ』
男は私の呟きに一瞬あっけに取られたのか固まっていたが、再び尋ねてきた。
『いいかよく聞いてくれ、マイフレンド。150ドルを100ドルにすると言っているんだぞ。さあ、あんたはいくら払う?』
『だから言ったでしょ。買うとしても5ドル』
店主の顔色が変わり、私の手からガイドブックが取り上げられた。そして、バーカ、オマエバーカと日本語で言いながら店から追い出されてしまった。
もう少しガイドブックを読んでいたかったところだが、いくつかの重要な情報を得ることができた。日本語の記載をみて思い出した、キリスト教は聖墳墓教会。場所もわかった。その他の見所もいくつか押さえた。私は意気揚々と路地を歩き始めた。

なげきの壁周辺やキリスト教の教会内部は異教徒でも自由に入ることができ、撮影も可能だ。岩のドームは(たぶんイスラエル政府により)閉ざされていたが、周辺の広場を自由に歩くことができる。これらの宗教がもともと持っていた異教徒に対する寛容さが現れているのだろうか。
エルサレムの聖地巡りをしていると人々の祈りの力を強く感じ、無宗教の人間でも心洗われて清々しい気持ちになる。

エルサレムはイスラエルのものでもアラブのものでもない、世界の宝だ。

<参考図書> イスラエル〈’96~’97版) 、最新版=>E05 地球の歩き方 イスラエル 2015~2016

[イスラエル]出国(強制ディレイドバゲージ)

<エルサレム 岩のドーム>

<エルサレム旧市街ムスリム地区のお嬢さん>

エルサレム旧市街近くから駅までの移動のため、発車しそうなバスに駆け寄った時、警備のためバス車内にいた軍服姿の男女2人にライフルを向けられ静止を命じられた。自爆テロ防止のためバスに走って近づいてはいけないようだが、なんとも物騒な国だ。銃口を向けていたのは20歳前後にみえる若者。経験不足から判断を誤り撃ってしまう、なんてことはないのだろうか。

エルサレムからテルアビブに列車で移動して、着いた駅から5分ぐらい歩くと偶然にもトラベルエージェンシーをみつけた。エルサレムのエージェンシーではアテネまで300ドルぐらいと言われていて決めかねていたが、ここではイスタンブールまで175ドルだという。今日の便でエラル(EL AL)だがいいかと確認された。聞いたことのない航空会社だが安ければ何でもいい。じゃあ今すぐ空港に向かって、3時間前到着が必須だから、と送り出され、テルアビブはほとんど何も見ずに出国することにした。

空港でEL ALのカウンターを探すと、それは元国営のイスラエル航空だということがわかった。搭乗手続き前の長い列に並んでいると、途中に係官がいて『どこへ行く、1人か、荷物はこれだけか』と尋ねてきた。そして、この3つの質問だけで私は列から外され特別扱いを受けることになる。怪しい人間を出国させずに引き留めておくということはしないだろうから、長い列に並ぶ代わりにまた延々と質問を受けるのだろうぐらいに思っていた。
バッグの中身をチェックされるコーナーに連れて行かれた。コの字型のカウンターで荷物のX線チェックで引っかかった人たちが不満そうな顔をしながら係官のチェックを受けている。まあ、このぐらいのことは想定していたことだ。早めに済ませてもらおうと思い、指示される前にバッグを開けようとするとバッグに触るなと制止される。
そして、次々と立場が上の人間が現れ、4人目の男が同じ質問を繰り返した後でこう続けた。
『なぜ1人なのだ。なぜグループじゃないのだ』
『・・・なぜって、1人が好きだから』
『なぜ鞄がそんなに小さいんだ。なぜ、その大きさで3ヶ月旅行できるんだ』
『・・・そんな(愚かな)質問には答えようがない』
今回は堪えようと思っていいたが、いいかげんいらついてきた。すると、そこへ新たな2人のセキュリティが現れ、私のバッグを台車に乗せ、彼らに前後挟まれた状態で別室へ連れていかれる。バッグが小さすぎたのがいけなかったのだろうか。いや、そんなことでも質問に答える態度が悪かったからでもなく、始めから予定されていたこととしか考えられない。入国時に面倒を起こした者が二度と来る気が起きないよう(としか思えない)執拗な嫌がらせをこのあと受けることになる。

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裏手にあるセキュリティーロックのかかったドアを開けると、ひとけのない寒々とした空間が広がっていた。細いベッドほどのアルミの台が数本横たわり、棺桶かリンチ台が並んでいるような不気味さだ。バッグは奥の部屋に運ばれ、私と監視の男2人だけで部屋で待っていると、2人の若い男が入ってきた。この国の男たちは、徴兵制かハゲやすい頭のせいかわからないが、坊主頭が多く不気味さを助長させる。その5分刈りの男たちが部屋に入るなり薄手のビニール袋を手にはめだした。私は靴を脱がされ、大きなフィッティングルームのごとき部屋に入れられて、カーテンが閉められた。さすがに恐怖を感じた。拷問を受けることはないだろうが裸にされるのだろうか。あの手袋は尻の穴を検査するものではないのか。
2人の男に気持ち悪いほど体を触りまくられ服も脱がされたが、パンツ一丁になったところで終了した。
次にバッグが置かれた奥のスペースに移動させられる。5人の男に取り囲まれバッグのチャックを開ける。その後、私をバッグから引き離し、4人の男が可能な限り中身を細かく分解しながら、手で良く触り、金属探知器で確認し、液体や電化製品は奥の部屋に運んでいく。別の人間が検査するのだろうか。
他に搭乗客はいないと思っていたが、所持品チェックエリアにはうなだれて涙を流す褐色の婦人が隅のベンチに座っていて、女性係官がなだめていた。なぜこんな目に合わされるのかと思うと、私も泣きたくなる。

彼らはアフリカの係官と違って現金には興味がない。私がいろいろなところに分散させた現金を見つけると、その度にベンチで待たされている私の所に運んでくる。最後にはバッグの奥からでてきたと言って見覚えのない硬貨を持ってきた。何年も前に旅行したブラジルの硬貨じゃないか。よく見つけたな。
30分ほどの時間をかけ所持品チェックは終了したようだ。しかし、ノートパソコンと充電器、シャンプー、コンタクトレンズ保存液、そして中身を全て抜いた布製財布は別便で送るという。ロストバゲージ扱い(ディレイドバゲージ)で翌日の夕方着くと言う。
『なぜ機内預入荷物でなく別便で送る必要があるんだ』
『我々は説明できません。セキュリティの手続き上そうなっているのです』
リーダー格の男が答えた。プーチン大統領の顔から神経質さを取り除いた柔和な顔つきをしている。さすがユダヤ人、役者が揃っている。
『だから、その手続きにどういう意味があるんだ。あんたらが説明できないなら説明できるやつを連れて来い』
私のような人間が二度と入国する気が起きないよう、意地悪をしているとしか考えられない。怒り心頭に発していた。
『理由はない。しかし手続き上のルールには従ってもらう。それだけだ』
『ノー!!あんたらのルールには従わない!』
断固拒否した。私はイスタンブールに滞在の予定がない。長くて1日、できれば今晩中に夜行で隣国に移動しようと考えていた。そのことを伝えても彼らは聞く耳を持たない。翌日の夕方にはホテルに送られるから全く問題ない。そう言うだけだ。
別便用の箱が持ち込まれ、私の拒否を無視して箱に積み込まれる。ああ、こんな事が分かっていれば多少高くてもアテネ行きにすれば良かった。アテネなら2、3日滞在しても問題なかったのだ。あるいは陸路での国境越えに変更しようか。イスタンブール便チケットのキャンセルを考えていたが、そうすれば最低この国にもう1泊はする必要があるだろう。イスラエルはもう懲り懲りだ。
完全にふてくされ、拒否をしながらも彼らの指示にゆっくりと従い、スタッフの1人と共にチェックインカウンターに向かった。そこで、航空会社の女性スタッフに尋ねる。
『明日のイスタンブール行きは何時に着きますか』
『すみません。明日はフライトがありません』
『何だと。どういうことだ』
私は、同行してきた若いセキュリティに食ってかかった。
『大丈夫です。接続便がありますので、ロストバゲッジは問題なく明日の夕方着きます。必ず24時間以内に受け取れますのでご安心下さい』
女性スタッフが愛想の良い笑みと共に答える。そうそう問題ないですよ。5分刈りのセキュリティもにこにこする。
英語で会話している時は頭の回転がすこぶるにぶくなる。私は納得してしまいイミグレーションへ進んだが、機内に入ってからふと思った。こんな短い距離で接続便なんてある訳ないじゃないか。

結局、ロストバゲジは次のフライトである翌々日の深夜着便に乗せられ、PCのため空港からホテルにも送られず(イスタンブール空港のローカルルールによる)、私はイスタンブール4日目の午前中に空港に出向き、やっとロストバゲージ扱いとなったパソコンを受け取ることができた。

自分たちで作ったルールを守ることに専念して相手の痛みを理解しようとしない。優秀だとされるユダヤ人が誕生して幾千年、多くの民族から憎しみを買い続ける理由はそこにもあるのではないだろうか。

<後日記>

必ず24時間以内でPCは到着すると何人ものセキュリティ及びチェックインカウンターの航空会社スタッフが約束したにも関わらず、3日後受け取りとなったことに強く抗議するため、ロストバッゲージ遅延(ディレイドバゲージ)による費用請求を行うこととした。ロストバゲージが発生すると1日何ドルか負担したりするので航空会社に要求すべきとガイドブックに記載されているので、イスタンブールでの宿泊費用の一部あるいは全部をイスラエル航空は支払うものと考えていた。
クレームは空港のロストバゲージカウンターが窓口となって受け付けるものだと思っていたが、それは誤りで航空会社に対して直接行う必要があるという。ノートパソコンを受け取った日は日曜日でオフィスは休み。イスタンブール滞在をこれ以上延ばしたくなかったので、別の都市でイスラエル航空とコンタクトを取ることにした。(何らかの請求を行うのであれば、ロストバゲージが発覚した時点で航空会社とコンタクトを取る必要があるとのこと)
アテネではマネージャー不在を理由に断られ、ローマではテルアビブに直接電話して交渉しろ、と取り合ってもらえない。それぞれの支店のスタッフと何とか言葉は通じているようだが、全くコミュニケーションできていないことに苛立ちあきらめかけた。しかし、東京にも航空会社の支店があることを知り、帰国後クレームすることとした。

日本はいいところだ。小さなオフィスのマネージャーは私のクレームに対して航空会社(実際は関連会社)の社員として深く謝罪した。日本では当然のことだが、帰国直後のため予想していなかった行為に感動した。そして、彼は詳しく説明してくれた。
・ロストバゲージの到着が遅れるようであれば、同じ場所で待っているのではなく、次々と移動先(今回のケースではソフィアかアテネのホテルや空港など)を航空会社に連絡して転送してもらうことが可能。どれだけ転送されても乗客に確実に荷物を渡すところまでが航空会社の責任範囲。
・荷物が損傷なく乗客に渡した時点で航空会社の責務は果たされている。規定上は遅延に対して補償の義務はない。
・イスラエル航空では、以前、ロストバゲージとなった乗客に対して1日15ドル支払っていたが、現在は中止している。申し出た乗客に歯ブラシなどのお泊まりセットを渡しているだけ。今はどこの航空会社でも現金を支払うことはないのでは。
・何らかクレームする際、ロストバッゲージ発生時点から21日以内に航空会社に対して意志表示することが必要だとIATAの規定で定められている。
・ロストバゲージを24時間以内に受け取れると偽りの説明を行ったことに対してクレームするのであれば、いつ何時にどこで誰がという情報が最低限必要となる。

ということを説明した上で、書面でクレーム内容を提示すれば本社に取り次ぐと言われた。しかし、補償額は最大で45ドル(1日15ドルの3日分)で、支払いに応じる可能性はゼロに近いということを理解して、これ以上無駄な労力をかけることを断念した。

代わりにこのマネージャーに質問しながらいろいろと話を伺い以下のような内容が印象に残った。
・イスラエル人はホテルも予約せず一人で観光する個人旅行者というものを未だ理解できていない。
・イスラエルのセキュリティには米国の友人である日本に好意的な人が多い反面、連合赤軍の印象が抜けず日本人に対して敵意的な態度を取る年配者が少なくない。
・ツアーコンダクターから転身したこのマネージャーは、イスラム圏入国スタンプのあるパスポートを所有しているため、イスラエルに出張の際、イスラエル航空の社員証を提示してもセキュリティによるしつこい尋問に悩まされた。パスポートの内容だけでセキュリティのルールに沿った対応をされることが多いので、情勢によってはイスラム圏渡航歴のある旅行者は入国拒否される。

私の場合、2006年6月ガザ侵攻以降の緊迫した時期に訪れていれば入国できなかった可能性が高いとのこと。
今後、イスラエルを旅行される方は、できるだけきれいなパスポートで(そのパスポートでイスラム圏に入国する場合はノースタンプの主張が必要)、可能な限りツアーで入国することをお勧めします。

(後日記は2006年7月11日)

[トルコ]イスタンブール

イスタンブールでPCの到着を待つ。
ホテルチェックアウトの12時までに空港から連絡が入れば今日中にイスタンブールを出発しようと思っていたが、そんなに甘くはなかった。もっと安いホテルへの移動も考えて周辺を探索したが12時までには見つけられない。
空港でもらった大まかな地図では自分のいるホテルの位置がわからず、ホテルのスタッフに尋ねても要領を得ない。周辺にインターネットカフェが多いのだが、トルコ語の入力しかできない。この辺りには外国人がいないのか。

やっとホテルの位置がわかり、トラムで旅行者の多い地域を訪れる。旅行会社でジョージア行きの安いチケットを探したが見つからない。イスタンブールは過去に観光しているので特に行きたいところもない。美味い飯屋も見つけられなかった。

何の収穫もない1日だった。

<2006年4月29日>

イスタンブールは寒い。雨も降っているせいか、持っている服全てを着込んでも寒い。

相変わらずやりたいことがなかったが、日本語入力可能なインターネットカフェをみつける。ネット検索によりイスラエル航空のイスタンブール着が今日の深夜近いことがわかる。寒さに加えて更に憂鬱な気分になりホテルの部屋で休む。何か用事を考え、つめ切りが必要なことを思い出した。イスタンブールのバザールでつめ切りを探す。私にとって2回目の海外旅行でトルコに来たが、その時はこのバザールの大きさと華やかさに感動して、おやじたちに手玉に取られ、大量の買い物をしたものだ。久しぶりのバザールに感動はない。旅慣れてしまうとこんなにもつまらなくなるものだろうか。
時間があるのでくまなく歩いてみたが、観光客を相手にした同じような品物を売る店がいくつも続く。私の必要としている安い爪切りはみつからない。店先でぼうっと商品を眺めていても店主が全く声をかけてくれない。街中を歩いていると昔は危なそうな男たちがしつこく声をかけてきたのだが、今は言い寄ってくる人物はほとんどいない。イスタンブールが変わったのか私が変わったのか。

安い爪切りは2時間ぐらいかかって、バザールの中心から離れた地元客を相手にする店でみつけた。
他に印象に残ったのはサバサンドと焼きとうもろこしに満足しただけ。今日も無駄な1日を過ごしてしまった。

<2006年4月30日>

日本円で10円以下になるこちらの少額硬貨はとても小さくなり、外周が小指の爪ほどでおもちゃのように感じる。トラムの駅から地下通路に降りる階段の踊り場で女の子が2、30枚の少額硬貨を壁際に広げ、小さな指先で1枚1枚移動させながら数えていた。一見、ままごとでもしているようにも見えたが、12、3歳の姉が真剣に数え、その姿を5、6歳の妹がじっとみつめている。
姉妹はポケットティッシュを売っていた。この辺りで物乞いもどきの人々が扱う売り物だ。身なりはそれほどみすぼらしくないが、この姉妹は都会でかなり貧しい生活を強いられているのだろう。私が階段の下に降りてからも2人を見つめていると、背中をみせていた妹がこちらを振り返り微笑む。無邪気な妹は明るい。
私は地下通路の商店街をひやかしていたが、いつしか階段のところに戻っていたので見上げてみる。かわいい妹の姿がなく姉が膝を抱えて階段に座っていた。彼女はポケットティッシュを詰めた箱を足下に置き、うつむき加減に遠くをみつめて階段を行き交うトラムの乗降客と視線を合わせない。そんなやり方でいったいどれだけのティッシュが売れるのだろう。気になりながらもまた地下商店街を歩きだした。
私は日本から大量のポケットティッシュを持ってきていてほとんど減っていない。彼女のティッシュを買ってあげたいが、アイスやジュースといった嗜好品には一切金を使わず、食事も極力安い物を選んでいる状況で、必要のない物にお金を使いたくない。しかし、長い髪を後ろで結わえた姉が懸命に小さなコインを数える姿が頭から離れない。あの無邪気な妹も喜ぶのであれば。
私は再び階段に戻り姉妹のいる踊り場を見上げると幼い妹が戻っていた。なんとその手には紙パック入りオレンジジュースが握られ、ストローでうれしそうに飲んでいるではないか。妹は私と視線が合うと、にこにこと笑う。
おい、こら、お姉ちゃんの稼いだ金をそんな贅沢なものに使うな。


やっとPCを受け取る。やはり昨晩遅く着いたイスラエル航空便に乗せられていたようだ。24時間以内で必ず届けると約束したイスラエルのセキュリティとイスラエル航空のウソつきどもは許せない。(費用請求の下りはイスラエル編に記載)
イスタンブール空港のロストバゲージオフィスも今日9時ごろこちらから連絡して初めてPCが届いていることを知らせる。ロストバゲージからの連絡をできるだけ早く確実に受けるため、まともなホテルで移動せずに連泊していたのだが意味のないこととなった。更にPCのためホテルに届けることができず空港に取りに来いという。(後に複数の関係者から聞いたところPCだから届けられないということはあり得ないという)

しかし、無事にPCを手にすることができたのだから気持ちを切り替え、列車で隣国ブルガリアの首都ソフィアに向かうことにする。いよいよここから陸路によるヨーロッパの旅が始まる。

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