エチオピアのたび

通行人の感謝 (ハラル)

<強い朝陽を浴びる少女>

ハラルは海外からも信者が訪れるイスラムの聖地。百近くモスクがあると言われ、古くからの街並や博物館など観光スポットがいくつかある。外国人旅行者はそれほど見かけないが観光客ずれした人が多いようで、行き交う人から英語でしつこく勧誘を受ける。そうかと思うと異教者の入場が許されないモスクを入口から覗いていただけで、中からすさまじい剣幕で関係者が現れ、私が慌てて立ち去ると後ろから石が飛んできたりする。
とんでもない国に来てしまったなと思っていた。

迷路状になった旧市街を歩いているとガイドを強要する少年が何人も現れる。開館前の博物館にカメラを向けていると、10歳ぐらいの少年と6歳程度にみえる女の子の兄妹が現れた。妹も学校に通っているのか、本とノートを抱えている。濃い褐色の肌は滑らかで、手足が細く背筋を伸ばして立つ。小さな鼻と口に比べ瞳が大きく、子どもらしいくりくりとした目をしているのだが、片目が赤く充血している。兄はガイドの申し出を断られると、妹を撮影させてお金を取ろうとする。女の子は目に違和感があるだけでなく、強い陽射しを嫌がり、この場を早く去りたがっていた。
私は、しつこい少年を無視して博物館の外観を撮影した。ファインダーの隅に女の子が入った。
「今、妹を撮っただろう」
「撮っていない。博物館を写しただけだ」
「いや、撮ったよ。絶対撮った。撮影代5ブルだ」
兄と言い合っている間に妹が充血した目を気にして汚れた手で擦り始めていた。
「だめだ。(手で目を擦ったら)だめだ」
私は女の子に叫びながら、ザックをあさった。自分が使ったこともない目薬など持っていない。代わりとなるものといったら、ミネラルウォーターしかない。ペットボトルを取り出し彼女の手を洗った後、充血した瞳を水で洗おうとボトルの口から目に流し込もうとしたが、彼女がじっとしていないこともありうまくいかない。
そこへ通行人が駆け寄ってきた。彼は私が行なおうとしていることを理解して、女の子に話しかけ、ペットボトルのふたに水を満たすと、ふたから充血した眼に水を何度か注いだ。彼女は目をぱちぱちさせながら、まだ赤いつぶらな瞳を開いていた。

「ありがとう。感謝する」
機転の利いた行動を取った男性が私に言った。
「いいえ、こちらこそ、ありがとう」
私は助けてもらった彼になぜ礼を言われるのか理解できず、あわてて感謝の意を表した。
「いいや、ありがとう。本当にありがとう」
再び彼に言われた時、この通行人の気持ちが少し伝わってきた。

たとえ1人でも良い人に出会えたら、そこは私にとって良い国である。

ベールの中 (ハラル)

<幼児を背負う女の子> (写真にマウスを乗せると変わります)

ハラル旧市街の夜道を歩いていると、幼児を背負う女の子がやってきた。
エチオピアでは、陽射しや埃を避けるためなのか、背負っている子どもの全身を布で覆っていることが多い。幼児たちは背中でじっとしており、息苦しくないのかと心配してしまう。
彼女も白っぽい大きな布を幼児に被せていたため、子どもの様子がわからない。カメラを向けると彼女が微笑んだので、フラッシュを焚いて撮影した。

帰国後、現像したスライドを見て驚いた。フラッシュで布が透け、幼児のかわいらしい表情が写っていたからだ。ベールで守られた幼児は背中の上からしっかりと世間を見ていた。

ファランジ、ファランジ (ハラル)

<ハラルの路地の子供たち(2枚組)

エチオピアでは、どの街でも子供たちから大きな声をかけられるが、その言葉が街によって異なる。アジスアベバでは「ミスター」、ゴンダールでは「ユー、ユー」、アクスムとラリベラでは「ハロー、ハロー」。
そしてハラルでは、路地や店先、家の窓、庭の茂みなど、子供たちがどこにいようと私をみつけさえすれば、大きな声で「ファランジ、ファランジ(外国人)」と叫んでくる。
中には外国人からなんとか小銭を手にしようと迫る子供もいるが、たいていは私が振り向いて手をあげると大いに盛り上がり、カメラを向けると喜んで群がってくる。
埃やハエが多い、食べ物がまずい、ホテルの水がでない、旅におけるそんな些細な不満も、けれんみのない子供たちの笑顔が吹き飛ばしてくれた。

それにしてもハラルの子供たちの声は強烈であった。今でも、写真の明るい顔を見ていると、ファランジ、ファランジという甲高い声が耳の奥から聞こえてくる。

祈る (アクスム)

<聖マリア教会で祈る修道士>

エチオピアの北はずれにあるアクスムは、紀元前後に発生したアクスム王国の中心地として栄えていたが、今は古い遺跡や教会だけが残る、巡礼者と旅行者が集まる田舎町だ。
4世紀頃から信仰が始まったエチオピア正教は、他のキリスト教の発展から隔離され、独自の伝説が継がれている。失われたアークがここの聖マリア教会に持ち込まれ、代々1人の修道僧により守り続けられているというのもそのひとつだ。

巡礼服を着た裸足の男が長旅を共にした杖を閉ざされた入口にたてかけ、聖堂に向かい一心に祈る。現代社会から取り残された地域では宗教が今でも強い力を持っていた。

男だけの天上の世界(デブレ・ダモ修道院)

<デブレ・ダモ修道院への唯一の入り口(1枚目)/トイレを案内する修道士(2枚目)

テーブルマウンテンにあるデブレ・ダモ修道院に入るには、15mのロープを伝って断崖を登るしかない。

1日間のアクスム滞在で街の北60kmにあるという修道院を訪れるのは難しくないだろうと思っていた。空港から街への乗合タクシー運転手に修道院までの車の手配を依頼した。
「ここは、車が少ない。急に車を準備するのは難しい」
「無理ならいいよ。他をあたるから」
「いいや、少しだけ時間をくれれば何とかする。車は何でもいいか?」
私はホテルで昼食をとりながら車の到着を待つと、1時間後にやってきたのは小型マイクロバスだった。しかも、その車は私を乗せたあと街のバスターミナルに入り、大勢の客を乗せる。これは定期バスなので郊外の集落までは一般客を乗せて走る、と車掌が説明した。
狭い車内に20人以上乗り、何度も停車を繰り返すのでバスはなかなか進まない。1時間ほどで最後の集落を過ぎると、車はやっとチャーター便となった。しかし、大勢の乗客が降りたにもかかわらず、バスのスピードは全くあがらない。そして激しく揺れる。道は単なるダートロードではなく、硬い岩盤に凹凸がついた洗濯板状の道が延々と続いていた。低速で走る車内で強いバイブレーションが全身を襲う。

集落を過ぎてからは、すれ違う車は地元か国連の軍用車だけだった。民家もなく、軍のキャンプ地が時々現れるだけである。外務省から最高度の危険情報が出されていた国境近辺であったからやむを得ない。不安を感じながらも壮大な景観に見とれていると、あれがデブレ・ダモだと車掌がテーブルマウンテンを指差した。

アクスムを出てから3時間、平均時速20kmの移動で修道院の入口に着く。いきなり、ロープを使って登る修道士の姿が目に入り驚く。
修道士たちは1本のロープだけを頼りに自力で登るのだが、観光客には補助ロープが上から垂らされ、体に巻きつけ引き上げてくれる。しかし、メインのロープが指が回り切らないほど太いため力が入らず、このような登攀が初めての人間にとっては、垂直以上の角度を登っている気がして非常に怖い。
なんとか登りきると補助ロープを引き上げた男が、修道院の入場料と補助ロープのサポート代を徴収した。それほど高い金額ではなかったが、補助ロープ費用を別に取るとは。あんた、清貧に暮らす修道士じゃないのか。
彼に案内されてテーブルマウンテンの上まで進むと、我が目を疑いたくなるような別世界が広がっていた。平坦で広々とした土地に礼拝所、住居、貯水池、食料倉庫など百人以上の修道士が生活するために必要な施設が整っていた。女人禁制のこの場所は、たとえ鳥でも雄のみしかこの地に入ることが許されない、男だけの天上の世界だった。
当然まともなトイレがあるだろうと修道士にその場所を尋ねると、こっちに来いと絶壁上に建つ小屋へと向かう。すると、その男はトイレと思われる小屋に入らず崖っぷちぎりぎりに立つと、数十メートル下に向けて自ら小水を放つ。私にもその行為を促し、どうだ気持ちいいだろうと高笑いした。
また、修道士は私に自分の写真を撮らせ、ぜひ次に来る日本人にその写真を持たせて欲しいと依頼する。こんなところまで来る日本人を私が見つけだすのは、不可能だと思うんだけど。
見学を終えた後は恐怖の懸垂下降が待っている。上から見下ろすと、補助ロープがあるとわかっても足がすくみ降りるのをためらってしまう。修道士は帰りにも補助ロープ代を要求する。しかも、登りの倍である。下りはより危険なので、2人の人間のサポートが必要なのだというのが彼らの言い分である。文句をいうと、いやならいいよ、補助ロープなしで下りれば、とこちらの足下をみる。

人里遠く離れた天上の世界で生活する、世俗的な修道士であった。

顔を覆うハエ (ラリベラ)

<聖ジョージ教会(2枚組)

エチオピアにはアクスム、ラリベラをはじめとして7つの世界遺産があり、キリスト教の教会やイスラム教のモスクが点在している。その中でも観光地として最も有名なポイントがこの聖ジョージ教会である。分厚い岩盤からくり抜いた十字架状の建造物は、大きさが縦横高さとも約12m。とても人間が造り出したとは思えない。白い巡礼服を纏った人々のように、こうべを深く垂れてしまう神々しさであった。

エチオピアはどこに行ってもハエが多いが、ラリベラでは時に泣き出したくなるほどハエが群がる。難民キャンプの映像で乳幼児の顔にハエが群れるのを見ることがあるが、あれと一緒である。ハエが顔にたかるのは不潔だからとか現地人だからとかいうことではない。私が疲れて口で息をすれば、口の中めがけて一斉にハエが寄ってくる。口元以外にも、目尻、目頭、鼻穴など少しでも水分を含んでいる部分にハエの集団は何度も襲ってくる。手でハエを追っているか、まばたきや顔を振ることを続けていなければならない。

朝の集落を歩いていると、学校へ向かう子供たちが次々と現れてきた。小学校低学年にみえる男の子が上手な英語で私に話しかける。賢そうにみえる少年だが、笑った時にハエの集団が彼の顔を一瞬黒く覆い隠した。間近で見ていた私は、目が点になり口が半開きだった。

ラバの思考 (ラリベラ)

<エチオピア高原の子どもたち>

ラリベラ郊外の山上にも教会があるとガイドに教えられ、ラバに乗ってでかける。歩いて登るのもきつい山道を私を乗せたラバは馬子に無理矢理引かれながら、駆け上がっていく。急峻な山や深い谷の景色を眺めていると、山村の子どもたちが時折現れる。
断崖の縁に建つ小さな小屋から女の子が2人現れた。ガイドを通して彼女たちから撮影の了解を得る。しかし、カメラとは何であるか全く理解していない素振りのため、ただじっと立っていてもらいシャッターを切った。

ラバでの下りは、前に転げ落ちる恐怖感がある。こんな小さな動物が人間を乗せて、急坂を下っていることは驚きであった。しかし、次第に慣れてくると、ラバと私の頭が近く視線が重なっているため、自分で山道を下るように足場を探す感覚があることに気がついてきた。ラバが足を踏みだす前に考える間がある。
そこの石は大きいが崩れそうだ、そうそう、右側の岩盤に足場を確保してから左足を大きく出す。あっ、このまま真っ直ぐいくと大きな段差があるぞ、そうそう、左寄りを迂回していこう。
遠くも見渡しながら考えている間の長さと、考えた結果踏み出す足場の位置は、全く私の思考と一緒である。ラバとの一体感が得られ楽しかったが、山道を下るという行為においては、私の脳みそはラバと同程度だと悟るのだった。

ラリベラで小唄

<ラリベラの披露宴>

教会めぐりのガイドが、近くの広場で披露宴が催されているのをみつけた。旅行者が急に参加できないだろうと思っていたが、祝儀さえ出せば誰でも中に入れるという。20ブル(2.4ドル)を差し出し記帳すると、他の参列者は数ブル程度で、私より多く出している人はほとんどいない。
高額の祝儀を出した私は、密集するテントの奥に案内され、宴の真ん中まで連れていかれた。頭がつかえる狭いテントの中でハエがもうもうとあがり、おめかしした人々の熱気で空気が息苦しい。缶詰の空き缶に注がれた茶色い液体を勧められる。ビールだといって男たちが飲んでいるが、なんで空き缶なのか。披露宴なんだからコップぐらい集めてこいよ。不潔すぎる。興味はあったが私は丁重に断った。胡弓のような弦楽器や太鼓が加わり、宴は盛り上がっていた。
弦楽器を弾く男性が1人で歌い始めた。歌というよりもこぶしを付けて物語を吟じているようだ。一緒に会場に入っていたガイドが1ブル紙幣に水を浸し私に渡す。私が彼に指示された通り、演奏中の男の額に紙幣を貼り付けた。群集から笑いが起こる。
「ジャパン、トーキョー、サーンキュー、サーンキュー。」
吟遊楽師が額に紙幣をつけたまま、こぶしをつけて礼を言う。すると、ガイドが私に返歌を促してきた。おい、こらガイド、いい加減にしろよ。私が稚拙な英語しか話さないため見下されているような気がしていたが、なんで唐突に参加した披露宴で旅行者がそんなことまでしなければならないんだ。
しかし、テント内の人々の視線が私に集まり、期待を感じる。仕方ない、おもいきり声を出した。
「エチオピアー、ラーリベラー、ありがとう、ありがとう。」
何のひねりもない日本のこぶしがテント内を震わせた。だが、会場は予想外の反響だった。
おい、なかなかいい声しているじゃないか。なんか歌えそうだな。日本の歌を聞かせろよ。あちこちから声があがり、エチオピア人の大きな瞳に見つめられる。
わかりましたよ。もう、ビールでも飲んだつもりになって始めますよ。私は腹を据え、宴会用の持ちネタである八戸小唄を披露することにした。
「はい、みなさん、手拍子お願いします。」
パチッ、パチッ、パチッ、パチッ。
「唄ぁに~夜明けぇたぁかもめぇ~えぇ~えの・・・、
 ・・・鶴さん亀さん、Crane、Turtle、鶴さん亀さん、Crane、Turtle。」
振りまでつけて歌いきった小唄はエチオピア人に大好評であった。やんや、やんやの喝采と共に場の中心から退いた。

「俺、来週、14になる娘と結婚するんだ。俺の披露宴にも来てくれよ。」
空き缶を持って上気した顔つきで近寄ってきた男は30歳だという。相手が14歳とは、こいつ自慢してるのか。しかし、ラリベラの人々から喜ばれて気分は悪くない。にやついた男から差し出された缶を受け取った。口に近づけると見た目ほどの臭いは感じない。目を閉じ、渇いていた喉にごくっと流し込んだ。
錆びた鉄の味と生温かい泥水の香りが喉の奥に広がる。
たまらず胃からこみあげてくるものを押さえると涙がにじんできた。

さらけ出す庭先 (ラリベラ)

<ラリベラの朝の庭先>

朝、集落を歩いていると、庭先の様々な光景が目に入る。朝食の支度をする人、顔を洗う人、用便中の人などが全てさらけ出されている。

標高2,600mのラリベラの朝は寒いが、陽射しはみるみる強くなる。庭先での家族の団欒は、木漏れ日を浴びて幸福に満ちた姿に映し出されていた。

顕(あらわ)にする

<ハラルの朝の道を行く>

アフリカには、あらゆる物をさらけ出し顕にする人々が多い。感情や生活を世間体や秩序、人工物といったもので覆い隠そうとしない。すぐ汚れるものは洗わない、すぐ乱れるものは正さない。時には、なんて動物的なんだろうと感じることもあるが、より人間の本能に近い行動なのだとも考えられる。
われわれ旅行者も彼らに感化され、すぐ怒り、すぐ笑い、すぐ友達になり、汚れた服と埃だらけの頭で街を歩く。そんな生き方が心地よく感じるようになってくる。

エチオピアからの帰国時、ドバイからバンコクへの便がオーバーブッキングのためビジネスクラスの席になった。私はビジネスクラスが初めてであった。周囲の乗客から浮かないよう、それなりの振る舞いをしなければならない。洗練されたスチュワーデスの姿が目に浮かび、薄汚れた衣服が気になる。
空港のトイレであわてて着替えるが、埃まみれの靴に替えはない。ああ、これではアフリカ帰りでエコノミーからのグレードアップとばれてしまうではないか。搭乗アナウンスの声にせかされながら、必死にタオルで靴を磨いているのだった。

エチオピア旅行のルート(2001年4月)

1日目
ドバイ(6:00)-アジスアベバ(9:00)  エチオピア航空
アジスアベバ(15:30)-ディレダワ(16:30)  エチオピア航空
ディレダワ-ハラル  乗り合いバス
ハラル泊
2日目
ハラル-ディレダワ  乗り合いバス($1.2)
ディレダワ(16:50)-アジスアベバ(17:50)  エチオピア航空
アジスアベバ泊  ($40)
3日目
アジスアベバ(7:00)-アクスム(10:35)  エチオピア航空
アクスム-デブレ・ダモ-アクスム  チャーター車($100)
アクスム泊 CMION HOTEL($40)
4日目
アクスム(10:55)-ラリベラ(11:40)  エチオピア航空
ラリベラ泊  ($21)
5日目
ラリベラ(12:00)-ゴンダール(12:30)  エチオピア航空
ゴンダール泊
6日目
ゴンダール(12:50)-アジスアベバ(14:30)  エチオピア航空
アジスアベバ泊  SEMIEN HOTEL($24)
7日目
アジスアベバ(13:00)-ドバイ(18:00)  エチオピア航空

陸路は道が悪く危険も多いということで空路中心に旅程を組んだ。各路線とも週に3、4便というフライトを苦労して組み合わせた旅程だが、これにバハルダールを組み込められていれば完璧だったと考えている。

【注】飛行機の発着時間はタイムテーブルの時間です。主な移動手段のみ掲載しており、空港やターミナルから市内への移動手段などは省いています。

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