ウズベキスタンのたび

ヒヴァ

<世界遺産ヒヴァのミナレット(2枚組)

ウズベキスタンの首都タシケントへはウズベキスタン航空が成田から関空経由で週2便運行される。ゴールデンウィークに運行された機内には、往復の便とも同じ顔ぶれの日本人旅行者で埋まっていた。観光客のほとんどは、1週間の旅行でヒヴァ、ブハラ、サマルカンドの世界遺産がある3都市をカバーする。各観光地では機内でみかけた日本人に何度も出会うため、修学旅行のフリータイムに個人行動しているかのようだった。

早朝タシケントに到着後、そのまま国内線に乗り継ぎ、トルクメニスタンとの国境近くにあるヒヴァに入る。ここでは全長約2kmの城壁に囲まれた町全体が16世紀の姿のまま保存されており、そこにモスク、ミナレット(モスクに付随する塔)、メドレセ(神学校)といった見どころが凝縮されている。この城壁内に残る古い建物の多くが博物館や土産屋として利用され、全体的に観光地としてよく整備されている。しかし、それゆえ現地の生活感がなく、更に地元の人々の顔つきが我々によく似ているため、中央アジアの辺境の地に辿り着いたという印象はない。そのうち観光バスが到着して、日本人旅行者の姿が増えてきた。
日本から遠く離れたヒヴァは私にとって憧れの観光地であったが、心躍るものを見つけられないまま、日本人に追い立てられるように早々に立ち去ることになった。

ブハラ

<カラーン・モスク>

<カラーン・ミナレット>

2日目、ブハラに入る。9世紀から、中央アジアにおけるイスラム世界の文化的中心として栄えたこの都市は、現在でも大きな街が栄え、イスラム関連の施設が点在する。街のシンボルであるカラーン・ミナレット周辺は、モスク、公園、商店街が並び、散策するだけで楽しい。

シャフリサブス

<アク・サライ宮殿(1枚目)/バザールでナンを運ぶ(2枚目)

サマルカンド2日目は、車で2時間程度のシャフリサブス(シャフリサーブス)往復を目指す。バスはないので乗り合いタクシーを探すが、警官、タクシー運転手、街の人々に尋ねても、そんな車はないとしか言わない。英語がほとんど通じない人々だが、しつこく何人にも尋ねているうちに状況が見えてきた。朝の遅い時間のためシャフリサーブス行きはもう出ないが、途中のキターブまでならタクシーが出ているだろう、ということだ。
更に時間をかけて、キターブ行きの乗り合いタクシーが出る場所を発見できた。私を含めて3人の客が待っていたが、30分待っても4人目が集まらない。客も運転手もじっと4人目の客が現れるまで待ち続けるのは明白だったので、私が2人分の料金4ドルを出し、出発してもらうことにした。私は旅行資金を低く押さえたいのではなく、時間に余裕があるときは地元の人と同じものに乗りたかっただけなのだ。
シャフリサーブスには、宮殿、モスク、博物館など手頃な観光施設が歩き回れる距離に集まっている。ティムールが残した最も壮大な建築物と言われるアク・サライ宮殿の入口に幼児を抱いた母親がいた。白いドレス姿の赤ん坊が愛くるしかったので、写真を撮っていいかと尋ねると、母親は幼児の衣服と髪の毛を整えて抱き上げてくれた。

観光で訪れていた母親たちと一緒に宮殿アーチ跡の階段を登る。40mの高さを上がる急な階段はただ登るだけでも大変なのだが、子供を抱いた母親は大汗をかいていた。一番上の展望所からティムールの像が立つ公園やザラフシャン山脈の山並を眺めていると、日本人の団体が階段を上がってきた。なぜか高そうな一眼レフのカメラをぶら下げた人が多い。
団体の1人の女性がかわいい赤ちゃんと言って、私と一緒に登ってきた幼児を撮らせてもらっていた。すると、本当、かわいい、かわいいと言いながら、次々と男女のカメラマンたちが断りもせず赤ん坊を撮影しだした。最初は喜んで応じていた母親も撮影者が10人ぐらい続くとうんざりとしていた。彼らに撮影させるためにこの階段を登ってきたような気にもなる。
私はこの団体から離れ、公園を歩いていた。ティムール像の前で新婚カップルが親戚友人に囲まれて記念撮影をしていた。結婚式の時はどの国でも写真に対して寛容になるものだ。私は断りもせず、どうどうと彼らの中に割って入り、さもプロカメラマンであるかのように撮影していた。
しかし、その状況を日本人団体に見つかった。彼らの1人が駆け寄り、私の真似をして撮影を始めると、10人のカメラマンが押し寄せ、親戚友人を押しのけるように新郎新婦を撮影していた。みなさーん、お昼に遅れますよー、早く集まってくださーいという添乗員の声に団体カメラマンは、どどっと走り出し、某市医師会と表示されたバスに乗っていった。
私の場合は交通手段こそ異なるが、観光のしかた、写真の撮り方、金の使い方は彼らとあまり変わらない。私のような旅行者が団体となれば、地元の人々が迷惑を感じる。気づいていたことだが、そのことを目の当たりに見せられショックを受けるのだった。

サマルカンド

<夕暮れ迫るレギスタン広場(1枚目)/シャーヒズィンダ廟(2枚目)

ウズベキスタン第2の都市サマルカンドは青の都とも呼ばれ、シルクロードの要所として紀元前から様々な時代に名を残してきた。
この国の観光の目玉として期待していたが、レギスタン広場以外には魅力的なポイントがなかった。ロシア時代に整備された街並が無機質さを与え、広大な街の中で観光施設と生活空間が分離されているのが、私の好みに合わないのかもしれない。

日中、街中を歩くと汗が止まらないほどの暑さなのだが、こちらの人々は飲み物を冷やす習慣がない。店にはアイスクリームを入れる冷凍庫はあっても、飲み物用の冷蔵庫がない。冷たいジュースや水を頼んでも、店の奥からまだあたたまっていない物を持ってくるだけだ。
地元の人が多く利用するレストランで夕食をとることにした。テラスのテーブルに座り、冷えたビールがあるならば持ってきてくれと注文すると、まかせておけと言った店員は、少し時間が経ってからビンの周りが濡れたビールを運んでくる。あまり冷えていないような気がしたがビールを目の前にすると我慢できなくなり、飲むことにする。グラスが来ないので催促すると、ガラスのコップがなくチャイ用の湯のみ茶碗を持ってきた。しかも、暖められているではないか。おいこら、湯のみ茶碗までは我慢できるが、こんな熱い茶碗でビールが飲めるか。
自分たちがビールを飲まないのでわからないのだろう。明らかにふてくされた態度をする店員は、湯のみ茶碗を持って店先に出て、路地に水を打つ少年からホースを奪い茶碗を濡らすと、ほらよと持ってきた。
うう、こんなところでビールを頼んだ自分が愚かだった。悔やみながら私は生暖かいビールをすすった。

タシケント

<強い日差しが照りつけるオールド・バザール>

首都タシケントに戻る。サマルカンドからの機内でも、ホテルのロビーでも、見覚えのある日本人たちがいる。明朝のウズベキスタン航空で日本に帰る旅行者がみな集まってきたようだ。今回の旅行は団体ツアーに参加したようなものだと諦めるしかないのだが、私は海外旅行中にはできる限り日本人と接触せず異国を味わいたいと思っている。
空港から最初に向かったホテルが日本人だらけだったので、2つめのホテルでチェックインして、路面電車で街中に出る。途中で目的と異なる路線を進み出したため、電車を降りて車掌が指し示す乗り換え駅に向かう。すると、その駅で日本人男性2人に会ってしまう。会話をすると、彼らも私と同じホテルに泊まり、同じように行き先の違う電車に乗って降りたところだった。ウズベキスタン内の旅程もほぼ一緒。ゴールデンウィークのまっただ中にこの国を訪れる個人旅行者は、経験、レベル、嗜好が似通っている。つい車内で話し込んでしまったが、これでは熊本の路面電車に乗っているのと同じではないか。

彼らと別れてから、日本のガイドブックに載っていない面白そうな場所を求めて歩き始めた。
昼食は、羊肉とナンばかりの料理に飽き飽きしていたので、ロシアの香りのする中級レストランに入った。しかし、英語が全く通じない店内で苦労することになる。ボルシチは注文できたが、ロシア料理としてもう一つ私が知っていたロールキャベツが通じない。英語風に発音して、手で巻く動作まですれば、店内の誰かが気づいてくれそうなものなのに、一向に理解されない。表現に疲れた私は、もうそれでいいと、視線に入ったピザの写真を指差した。
大きく食べきれなかったピザは、値段が5ドル以上もすることが清算時にわかる。スム紙幣が1ドル分足りないので、1ドル紙幣を合わせて支払おうとすると、とんでもない受け取れないと店員が慌てる。
『スム紙幣を持ってないんだから、しかたないじゃない。じゃあ負けてくれる。誰か両替してくれる人はいないの』
この程度の内容を英語では通じないので、ジェスチャーを交えて伝える。地方ではほとんど問題なかったドル紙幣のやり取りだが、タシケントでは厳しく罰せられると店員が言っているようだ。
1ドル分の支払だけでずいぶん時間を使った。口髭をたくわえた店員は、他に解決方法がないと悟ったようだ。彼は私を隅に連れて行き、店内に背を向けながらスム紙幣と共に1ドル紙幣をさっと受け取った。そして、ドル紙幣を胸のところで隠しスム紙幣の一番下に入れ、数枚の札を両手で包み込み一息つくと、そうっと後ろを振り返り怯えた目で店内を見渡す。そんなにドルを受け取ることが恐ろしいことなのか。喜劇役者のような滑稽な彼の動きに思わず吹き出してしまった。

異国ならではの楽しい出来事だったが、その後の私にはスム紙幣が両替できないという悲劇が待っていた。食事をした場所はホテルからかなり離れ、観光客を見かけない地域だった。スムがないため買い物ができなければ乗り物も利用できない。炎天下の中、銀行をたらい回しにされ両替所を探して延々と歩き続けることになった。

ウズベキスタン旅行のルート(2004年4月~5月)

1日目
成田(前日21:00)- タシケント(4:00) ウズベキスタン航空
タシケント(7:00)- ウルゲンチ(8:40) ウズベキスタン航空
ウルゲンチ-ヒヴァ  タクシー($5)
ヒヴァ-ウルゲンチ  バス($0.15)
ウルゲンチ(20:20)- タシケント(21:50) ウズベキスタン航空
タシケント泊 TASHKENT PALACE HOTEL($60)
2日目
タシケント(9:25)- ブハラ(11:10) ウズベキスタン航空
ブハラ泊  ($25)
3日目
ブハラ - サマルカンド  チャーター車($24)
サマルカンド泊  ($23)
4日目
サマルカンド - キターブ  乗り合いタクシー(2人分$4)
キターブ - シャフリサーブス  タクシー($3)
シャフリサーブス - キターブ  乗り合いミニバス($0.1)
キターブ - サマルカンド  乗り合いミニバス($0.2)
サマルカンド泊  ($23)
5日目
サマルカンド泊  ($23)
6日目
サマルカンド(7:00)- タシケント(8:10) ウズベキスタン航空
タシケント泊 ORZU HOTEL($25)
7日目
タシケント(8:05)- 成田(19:55) ウズベキスタン航空

ヒヴァに1日は滞在したいと考え国内線フル活用のプランを立てたが、ヒヴァの観光が3時間程度で終了したため、1日目の午後にチャーター車でブハラ(約6時間)に向かった方が、結果として効率的かつ経済的だった。国内線はタシケントからウルゲンチまでの片道のみを利用して、車でブハラ、サマルカンドを経由してタシケントに戻るのが一般的のようだ。
自分が旅程を立て直すのであればシャフリサーブスをはずしサマルカンド滞在を1日にして、カザフスタン、キルギス、タジキスタンなど近隣諸国いずれかのちょい訪問を組み込む。

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