[ブルガリア]ソフィア

街角でソフィアの女性がタバコを吸う姿をよく見かける。人々の表情はさえない。街もさえない。見所といわれるスポットは更にさえない。観光する街ではなさそうだ。

夜、街をぶらついたが特に危険を感じない。スタンドでサンドイッチを食べていると、暗い表情の女の子が店に入ってきて店主に何か話しかけた。12、3歳ほどで黒っぽい衣服に身を包み、長い髪を後ろで結わえ整った顔立ちをしている。店主がその子の問いかけを聞き返した後、手で追い払った。彼女は私の方を見向きもせず通りに出ると、すぐ出会った男性に何かを乞い拒絶される。まともな身なりをしていたが物乞いのようだ。
幼い子が物乞いをしている姿を見ると胸がいたむ。私がねだられていれば、1ユーロ分でこの子に何か食べさせてと店主に言ってあげたのに。
それが良いことかどうかはわからないが。

[ブルガリア]ソフィア(盗られる)

その日の始まりは、冷たい表情の子どもたちとの食事だった。
女の子6人と椅子を詰めながらテーブルを囲む。日本でいう小学高学年の子どもたちは何の目的でこのホステルに泊まっているのだろう。朝食を準備するスタッフは英語を話さず分からない。直接子どもたちに尋ねればよいのだが、彼女らは意図的に無視するように私を見ない。昨日彼女たちと最初に視線が合った時、露骨にいやな顔をされている。
皆、自分の体にぴったり合った服を着て、身なりは良い。修学旅行のたぐいか、何かの試験なのか。気になる。

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ホームに待ち客がなく空いていたはずなのに、私がそのトラム(路面電車)に乗り込むと後ろからどかどかと人が押してきた。私が乗ったドア付近だけ混雑している。
ホステルをチェックアウトする時、女性マネージャーにトラムでの駅への行き方を尋ねた。トラムに乗ったらすぐチケットにスタンプを押すこと、それから、ジプシーによるスリが多いのでショルダーバッグは自分の体の前で常に手でガードしておくことと入念に彼女から注意された。
私はカバンに若干の注意を払いながら、押されている体を手すりで支え、右手にチケットを持ったまま、どこでスタンプを押すのかだけに気が集中していた。
横腹をバッグで押された気がした。しかし、その時もスタンプの機器を見つけ、乗客が面倒そうに押している姿をじっと観察していた。
次の停留所で乗客が少し降り、強く押されて弓なりになった体を元に戻し、少しずつスタンプの位置まで移動しようとした。ちょっと待てよ、さっきポケットに嫌な感覚があったな。右手のポケットに手をあてる。あれ財布がない、どうしたんだろう。さっきチケットを買った時に財布を出してどこにしまったかな。左側のポケットに張りを感じるから大丈夫か。まだ、人が多く手すりから左手を離せなかったので確認しないでいた。
次の停留所で多くの乗客が降りた。手すりから左手を離し、左側のポケットを探る。ポケットから出てきたのはマネージャーが無理矢理渡したホステルのパンフレットじゃないか。急に心臓の鼓動が激しくなってきた。体のあちこちを探る。ない、ない。後ろを振り向くと老齢の男と若い女が立っていた。女は黒いハンドバッグを男は白っぽい大きなショルダーバッグを提げている。このどちらかのバッグに押された時に盗られたのだ。
『おい、財布、サイフ、盗られたんだよ。知らないか』
まだ盗られたという確証がなかったが、慇懃な態度で男に迫った。知らないよ。そんなことしたらこれだもんな。老人はおどけて両手を揃えて前に突き出してみせる。黒っぽい服装の女は、私のしつこい攻撃に怒りもせず冷ややかな視線を向ける。あやしい。2人ともあやしい。このような時どう対処すれば良いのか。周りの乗客に空のポケットを引き出し盗まれたんだと訴えたのだが、老人と婦人だけの乗客はただかわいそうにという表情をしてみせるだけだった。黒い服の女は3つ目の停留所で降りた。私は老人を再度せめたが、自分のカバンやポケットの中をちらりと見せ、落としたんじゃないのという仕草をする。
冷静になろう。財布を持っているやつがずっと近くにいる訳ないじゃないか。この怪しい老人が仲間の可能性はあるが何の証拠もない。財布に一体何が入っていたか考えよう。
イスラエル出国時に財布の隠しポケットから全て現金を抜かれていたので、キャッシュはせいぜい60ユーロ程度しか入っていない。しかし、シティバンクのキャッシュカードが入っていた。まず、これを停止させなければ。私は、老人の追求をあきらめ、4つ目の停留所である鉄道駅でトラムを降りた。
その後、駅で拾ったタクシーで『シティバンクに連れて行くというから乗ったのに知らないなら金はこれしか払わん』と300円程度をめぐり掴み合いのけんかをする。
街の警官に盗難に遭ったことを訴えると離れた場所にあるオフィスまで歩かされ、そこでも別のオフィスに行けとたらい回しにされる。(この後で連絡の取れたシティバンクで、警察に届けるかどうかはカード停止や再発行には関係ないと言われ、現金は盗難保険の対象にもならないことから、警察への届け出は労多くして益少なしと判断して断念)
警察では誰もシティバンクの場所を知らないし調べようともしてくれない、など苦難の連続だった。

アジア、アフリカ、南米で周りの人々に注意されながらも無防備に都会を歩いてきて、1度も盗難や危険な目に遭遇していない。自分はこれでもプロの目から見るとスキのない旅人なのだろうという根拠のない自信が、最初のヨーロッパの街でもろくも崩れた。
恐るべしヨーロッパ。これより厳戒態勢に入る。
(ソフィアに悪い人や不親切な人ばかりいるわけではない。親切に道を教えてくれる人がたまにいて、シティバンクだと言われやっとたどり着いたオフィスは法人業務のみ取り扱うシティコープだったが、複数の社員に懸命に対応してもらい大変感謝している)


この事件のため早々にブルガリアを離れることにして、鉄道でギリシャに向かった。
なだらかな緑の大地が線路沿いに続き、列車の進む国境方向には雪を頂いた高峰が望める。
時折現れる集落はベージュの瓦屋根が落ち着きある佇まいをみせ、単調ながらも見飽きぬ景色が車窓に流れていた。

[ギリシャ]テッサロニキ

<街になじめぬ遺跡たち>

昨晩、ブルガリアから列車でテッサロニキに着いたのは深夜12時近くだった。テッサロニキには世界遺産の遺跡があるため、アテネまでの中継地として泊まることにしたが全く情報がない。ここはソフィアと違って西欧だから日本の都市と同じ感覚で良いのではないか。
駅の近くには必ずホテルがある。そして、その方向に更に進んだ路地に安いホテルがみつかるものだ。
テッサロニキ駅から大通りに出て左右を見渡すと500mぐらい先にホテルの看板があった。ホテルが3軒並んでいたがどこも高い。駅から20分ぐらい歩き路地に入ると安いホテルがみつかった。深夜到着でも空き部屋あり。トイレシャワー付きの部屋が22ユーロ。なかなかいいんじゃない。ヨーロッパは今までのやり方でいけるかもしれない。

テッサロニキにはいくつものローマ遺跡や古い教会が街中に残っているが、遺跡の近くぎりぎりまで現在の建築物が建てられているという変わった街だ。ヨーロッパの街はこういうものなのだろうか。せめてもう少し遺跡に調和させた建築物にすることはできないのか。

まるで遺跡たちが現在の建築物になじめず、肩身の狭い思いをしているようだ。

[ギリシャ]アテネ

昨晩、アテネにも遅い時間に到着する。アテネはガイドブックに載っているので地図もホテルガイドもある。なんら問題ないと思っていた。
しかし、候補のホテルが軒並み満室。夜中に1時間以上歩き回り、ゲストハウスの個室にチェックイン。トイレシャワー共同、この汚さで30ユーロは納得いかないが、この界隈には他に安ホテルの空き部屋がなかった。

アテネの遺跡はなかなか良いが、写真からイメージしていた範囲を超えていない。エジプト観光の後だったため、パルテノン神殿の石柱群を見てもこんなもんかと思ってしまった。(他の国の観光を楽しむためにはエジプトを忘れなければならない)

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ギリシャはテッサロニキ、アテネ以外にエーゲ海の島々やメテオラの修道院など魅力的な世界遺産が多い。それらをいくつか訪れるつもりでいたが、ギリシャがどうも肌に合わず早く出たい。最も辛いのはタバコの煙とバイクの排ガスで喉が痛いことだ。ギリシャ人の喫煙量は多く、分煙などほとんどされていない。日本の無煙状態に慣れた体にこの異常な量の煙は耐えられない。
また、ギリシャはバイクが多いが、歩道や歩行者道路に乗り入れてくるのはたまらない。白バイも歩道を走っているので規制されていないのだろう。邪魔で危険なだけでなく、次から次へと目の前を走るバイクの排ガスがもろに顔にかかる。

丈夫な肺を持っているギリシャ人は虚弱な東洋人の辛さなど分からないのだろう。
実際は喉の痛みだけが我慢できないことかもしれないが、そうなると異質なものが全て許せなくなる。トイレが汚い、博物館のスタッフが多すぎる、同じ品物を扱うキオスクがなぜこんなに多いのだ、女性の恰幅が良く顔の造作がでかい、突き出た腹を露出するのはやめろ、とどうでも良いことまで不満になり、次の国へ進むことにした。

<2006年5月5日>

ヨーロッパ人はなぜコンパートメントというものをつくったのだろうか。寝台車でもないのに車両内が部屋で仕切られ、各部屋は向かい合わせで8人が腰掛ける。
アテネからテッサロニキまでの列車は混雑している。出発の30分前に駅に到着したが、席がないので乗れないという。普通列車の一番安い席が指定だというのが納得いかない。2時間半後の列車になってしまう。
車内は満席だった。コンパートメント内は狭い。乗客は荷物が多い。なんという密集度。私の席は中ほど、身動きできない。通路はタバコの煙が充満しているため、コンパートメントのドアは閉められていて空気が重い。なんという閉塞感。まるで後進国の乗り合いタクシーに押し込められている気分だ。
なぜ、オープンサロン(日本の列車の座席タイプ)にしない。コンパートメントのメリットが何かあるのだろうか。

と、ギリシャは文句ばかりになってしまった。(が3年後にギリシャを再訪し評価が変わる)

[マケドニア]スコピエ

緑が美しかった。ブルガリアの緑も輝いていたが、テッサロニキからスコピエに向かう車窓にはうっとりとする緑が流れていた。乗客が少なくコンパートメントでゆったりと体を伸ばすことができる。これだけ空いていればコンパートメントは快適だなあ。

スコピエはモスクがあり、人々は暖かく、物価が異常に安い、ほっとするところだ。
あまり見るところがなかったが博物館は味があって良かった。しかも安い。約120円。広い館内に見学者が少ないが、スタッフはもっと少ない。ゆっくり見学すると30分以上かかる別館にはスタッフが1人しかいなかった。ギリシャではかわいそうなくらい退屈そうなスタッフが無駄に配置されていたが、スタッフを減らして入場料を安くすればいいのに。
あまりに気に入ったので明日もこの博物館に来たいところだが、この街には他に見るところがなさそうなので、すぐに移動する。

しかし、ゆっくり滞在していれば、もっと良いところが発見できそうな、そんな街だった。

[コソボ]プリシュティナ

コソボ自治州の首都プリシュティナ。名前が気に入った。何かありそうな気がしてUNMIK(国連コソボ暫定行政ミッション)が運営する鉄道に乗りこの街に入った。しかし何もなかった。
ただ、国連の車が警察の車と同じくらい走り回り、街のあちこちにセキュリティ要員が配置されていただけだった。街の人々は穏やかで暖かみがあり、スコーピエと似たところがある。
唯一の見所である博物館は閉まっていた。この日は冷たい雨の中ハーフマラソンが開かれていた。
昨日、今日とすこぶる寒い。持ってきた服を全て重ね着してもまだ震える。明日もこれだけ寒ければセーターでも買うしかない。

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コソボの列車はほぼトーマスクックの時刻通りに運行される。ヨーロッパにしてはあまりにも乗客の身なりが貧しく目つきが悪いため、走行中はカバンを隣の席にチェーンで括りつけ鍵をかけていた。

のどかな車窓は美しい自然に溢れている。列車はしばしば牧草地の中で停車する。コソボの自然と生活の中を列車はゆっくりと走る。空き地で遊ぶ子供たちや川で釣り糸を垂れる人たちと目が合ってしまいそうだ。住宅地の近くを通る時、小さな子供たちが列車に向かって手を振っていた。なんと懐かしい情景だろう。

列車がコソボとセルビアの国境駅に着く。降りて小さな駅をのぞいてみたが駅員が見あたらず、地元の人たちが駅舎内をゆっくり歩き回っていた。再び列車に乗り席で待っていると、少年たちが車内に入ってきて声をかけてくる。訴えるような目つきから何か要求しているようだ。少年たちが立ち去ると、機関車から切り離された車内はひっそりとしている。
この列車が別の機関車に連結され、そのままセルビアに向かうのか、それとも乗り換える必要があるのか、尋ねられる人はいない。まあ、時刻表の出発時間が近づけばわかるだろう。私はカバンをしっかり抱きかかえじっと待っていた。
駅舎内にいた乗客が外に出てきてざわついてきた。セルビア側から短い編成の列車が汽笛を鳴らしてやってくる。そうだ、あの列車が折り返してセルビアに向かうのに違いない。私は抱えていたカバンを持ち線路に降りた。

<後日記>

帰国後、外務省安全情報を見るとコソボは渡航延期を促すレベル(4段階中3)になっている危険地域であることを知った。(1か2ぐらいかなとは思っていたが)
また、入国スタンプに関してもセルビア出国時などにいろいろとやっかいな事になりそうな記載がされている。事前にこれらの情報を得ていれば、敢えてコソボには入らなかっただろう。私はただ自分のルート上にコソボがあったから通っただけで特に行きたい所はなかった。実際、首都プリシュティーナには何もなかった。地方都市は地雷が残り、犯罪も多いという。
よって観光目的のコソボ訪問はお勧めしない。(2006年8月)

[セルビア]ノヴィ・パサール

<古都スタリラス/ソポチャニ修道院(2枚組)

コソボを出てセルビアに入ってから急に英語が通じなくなった。車掌も駅やバスのインフォメーションスタッフも全く英語を話そうとしない。そんな中、持参しているガイドブックには載っていない観光地を訪れようとしている。
ソポチャニとスタリ・ラスは修道院と古都の遺跡が世界遺産に指定されていて、ベオグラードから直通バスがあるノヴィ・パサール(日本語表記ノビ・パザルあるいはノビ・パザールが一般的)の近くにある。しかし、それ以外の情報はないので、おおまかな地図を見ながらルートを検討する。
コソボから列車で北上して境界線を越えた駅ラシュク(ラシカ)で降り、ここからノヴィ・パサールまでバスがあると読んだ。降車客の後を追うとバスターミナルが駅の近くにあり、30分後にバスが出る。(Raška/Рашкаを経由したルート
ノヴィ・パサールに着きホテル、ホテルと呼びかけていると街の中心にある三つ星ホテルに導かれる。宿泊費が安く2千円。ホテルにはこの街で唯一出会った英語を話すスタッフがいて世界遺産への行き方を教えてもらう。ここまでほぼ完璧に自分のイメージ通りに事が進んだ。

しかし、翌日訪れた遺跡は想像とは大きくかけ離れていた。ソポチャニ修道院(2枚目の写真)は内部に古さを感じる壁画があるが、このぐらいの修道院はどこにでもあるんじゃないのという程度。そして古都スタリラス(1枚目の写真)は驚いた。あまりにも陳腐なので見かけた村の人全員に確認したが間違いないようだ。住居跡と思われる石積みの基礎台が2、30軒分あるが、ただ野原に放置されているだけ。何も見るものがない。誰も管理していない。ただ遺跡内に繋がれた牛が一頭、ここの門番であるかのような顔をして、何も知らずに訪れた旅人を哀れんでいた。

世界遺産は必ずしも観光名所にあらずだが、レベル分けでもしてもらわないと。全てが同格というのはおかしいのでは。

[セルビア]ベオグラード

大河を見下ろす高台にカテドラルがある。城壁が残る巨大な敷地が、よく整備された市民の憩いの公園となっている。平日の昼下がりに木陰で老人たちが語らい、芝生の上で小さな子供たちが歓声をあげる。

それにしてもこの国の人々はいったい何を食べているのだろうか。街中にはカフェバーが多くレストランもところどころにあるが食事している姿を見ることはほとんどない。レストラン内にいる人は昼でも夜でもコーヒー、コーラ、ビールのいずれかを飲んでいるだけのカフェバー状態で、つまみすら取らない。食事はファーストフードでサンドイッチ、ピザ類を歩きながら食べるだけのようだ。(基本的に外食はしないというだけなのかもしれないが)
私も彼らに倣って、ホテルの朝食以外、座って食事をしていない。

[セルビア]スボティカ

ロンリープラネットによるとスボティカ(スボティツァ)はセルビア・モンテネグロ(旅行中はセルビア・モンテネグロだったが2006年6月3日にモンテネグロが分離独立したことによりセルビア)内でベオグラードに次いで2番目のお勧めの街なので、列車の時間の関係もあり立ち寄ることにした。こじんまりとまとまったきれいな街だったが、あえて訪れるほどのものではない。

国境の街スボティツァからハンガリーに向かう列車に乗ると、すぐに出国審査が車内で行われる。今回私は賭けをしていた。私のパスポートにはセルビア・モンテネグロの入国スタンプがない。
『コソボとの境界線はセルビア・モンテネグロが国境と認めていないので入国スタンプを押さない。入国スタンプがないと不法入国として検挙されることもあり得る』
プリシュティナでネット検索していてたまたまそのような情報を得た。そのことに気づいた時、再びマケドニアに戻りコソボを通らずにセルビア・モンテネグロに入国し直す方法を取り得たのだが、そんな後戻りはしたくない。セルビアとの境界線を正式な国境と認めていないから入国スタンプを押さないとかいうことは、あんたの国の内政問題でしょ。外国人が知ったことじゃない。そんな論理で話し合えばなんとかなるような気がして、ここまで北上してきた。
しかし、やはり気になる。所持していたトーマスクック(時刻表)を良く読むと、出国時に入国スタンプが必要となるので必ず許可された国境から入国するようにとこちらにも注意書きされているのを見つけてしまった。列車内の出国審査で別室に連れて行ったり列車から降ろしたりなどということをするのだろうか。

係官が私のパスポートを取り上げた。かなり時間をかけて入国スタンプを探している。もう列車は30分以上遅れているから時間などどうでも良いのか。
「いつ、どこから入国しましたか?」
ああ、もう正直に答えるしかないか。コソボから列車で入国したと温和な係官に伝える。すると、ああこれねとUNMIK(国連コソボ暫定行政ミッション)の入国スタンプを見つけ、出国スタンプを押さずにパスポートを返し、係官は次の車両に去っていった。その後、列車は動きだし私はハンガリーに入国する。

入国スタンプがないと問題となるのは、出国スタンプが押されないということだけだったのだろうか。

[ハンガリー]ブダペスト

セルビア・モンテネグロの街を先に見ておいて良かった。後からではとても堪えられなかっただろう。
ブダペストは街の格が数段あがる。建物が巨大に、史跡は豪華に、繁華街は華やかに、そして物価は異常に高い。インターネットが10分70円には目が点になった。

食事、飲み物を我慢して、何キロも延々と歩き節約した千円分が、王宮内のつまらない施設の入場料で消えていく。入場無料のNational Museumは、言葉が読めなくてもハンガリーの歴史全てを感じ取れる優れものだった。それに比べ、高額入場料をふっかける他の施設はほとんど意味のないものだった。ガイドブックがそのあたりを何気なく伝えてくれれば助かるのだが。

[オーストリア]ウィーン

ウィーンもブダペストの延長上にある。更に物価はあがっているだろうか。街中の地元の人々が利用するキオスクで500mlの水が2ユーロ、アイスキャンディーが2ユーロ以上。何か間違っているんじゃないの。日本が安すぎるのか。

ブダペストでの経験を生かし、バス、地下鉄、路面電車が自由に使える1日券を購入して移動する。特に路面電車が網の目のように発達していて非常にわかりやすい表示があるので楽しく乗り回すことができた。そして、有料の施設は絞り込み、シェーンブルン宮殿と美術史博物館だけにするが両方とも約10ユーロ。うーん高いが、双方ともそれだけの価値はある優れものだった。博物館では世界のお宝を見せられ、消化不良ではあったが。

[スロバキア]ブラチスラヴァ

ことごとく感がはずれた街だった。
駅やバスステーションに降りた時、地図がなくても大体このあたりにホテルがあるだろう、こっちの方向が中心街だろうという感が今まであたっていた。しかし、ブラチスラヴァ(ブラチスラバ、ブラティスラバ)の場合、ロンリープラネットの(非常にわかりにくい)地図を持っているのにホテルが多く集まる場所を見つけられなかった。

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ウィーンから列車で1時間の距離のため、夜8時半という比較的早い時間に駅に到着。小さな街のようなので自分の足でホテルを見つけようと思っていた。駅周辺は浮浪者が多く悪臭がしたため、駅から少し離れた中心街を目指す。小さな街と思っていたが、ブロックの間隔が広く、かなり歩いてもホテル街らしき地区が見つからない。ホテルは3つ見つかったが全て70ユーロ以上。駅前や街中の暗さからみて、ウィーンやブダペストよりはるか格下の汚いだけの街なのに、なぜこんなに高いホテルしかないのか。
しかたなくガイドブックに載っていた街はずれのペンションに向かう。観光客が少なく静かな街と思っていたのだが、若者で盛り上がるカフェバーが次々と現れる。やっとたどりついたペンションは満室。「今日は金曜の夜だから旅行者が多いからねえ」とペンションのスタッフ。そんなばかな。それからペンションやホテルを渡り歩いて、ドナウ河に浮かぶ船上ホテルでやっと50ユーロのホテルにチェックイン。重いバッグを持って3時間歩き回り、やっとみつけたホテルがウィーン並の値段とは。

翌日、一番の見所である城を見学した後、列車の時間まで間があるのでホテル探索していない地域をふらふらと歩いてみた。城以外に見るものはないだろうと思っていたら、観光の中心に出くわした。華やかな街なみと教会、広々とした石畳の歩行者道路、ホテル群と大勢のツアー客にぶったまげた。

予想を大きくはずし、意外にも美しい街が広がる観光地だった。

[チェコ]プラハ

なんという部屋なのか。間隔を空けて8つのベッドが備えられた広々とした部屋に1人で寝る。ドミトリー(雑魚部屋)でなくシングルを希望したらこの部屋になった。20ユーロだから、西ヨーロッパ大都市のドミトリー代程度だ。ヨーロッパの街中の古い建物を利用したホテルは、このように無駄な空間が広がる部屋になってしまうのか。

翌朝、一番の見所である城内のパックチケットを購入。ここだけに絞っているので千円以上の価格には目をつぶる。ブラティスラバとケタ違いの観光客の数にあちこちの入り口で長い行列ができている。入場料と見学者数からウィーンなみの内容を期待したが、ブラティスラバ程度だ。
つまらないこの街を立ち去ろうかとホテルに向かって歩き出し、チャールズ橋にたどりつく。すると、個性的な建築物が次々と現れ、広い石畳の歩行者道路でストリートパフォーマーを見ながら観光客が楽しそうに練り歩いていた。

なかなか良い街だということはわかったが、ブダペスト、ウィーン、ブラティスラバ、プラハと続けざまに似たような街を見てしまったため、何が同じで何が違うのかかなり混乱している。模写された街の間違い探しをしているようなものだ。
東欧はもう十分という気になってきた。

[ドイツ]ベルリン(1)

<ザクセンハウゼン収容所(2枚組)

今日はどう考えても月曜日。ドイツでも博物館は月曜日が休みだった。ここ数日間、旅前半の遅れを取り戻すべく1日1都市で回ってきたが、いったん停止せざるを得ない。
今日はベルリン郊外にあるザクセンハウゼン強制収容所に向かう。広大な敷地内にユダヤ人が犠牲となった様々な収容所が残されている。良い天気にかかわらず重い空気が漂っていた。
ベルリンを1日で済ませていれば行くことのなかった場所だが、なかなか意義深い施設だ。

[ドイツ]ベルリン(2)

重大な問題だ。列車の料金が異常に高い。こんなに高いとは全く考えていなかった。ベルリンからケルンまでが100ユーロとは。せいぜい40ユーロ程度だろうと思っていた。東ヨーロッパが安すぎた。各駅停車に乗っていれば1時間の距離が1ユーロだったりしたのだ。

しかたなく、ドイツとベネルクスをカバーするリージョナルパスを購入しようとして、いくつかたらい回しにされた。結局、当該地域内では購入できないことがわかった。1等用しかないユーレイルパスも日本での購入と比べ2割ぐらい高い。(通貨レートの関係で正確には不明)
日本でしっかりと計画を立てて必要なレイルパスを購入してくる必要があったのだ。ワールドカップ開催を意識してドイツに入るのが早すぎた。これから東欧に戻るにも金がかかりそうだ。とりあえず90ユーロと若干ながら安かったアムステルダムに向かうことにする。様々な案を模索して決断するのにかなりの時間を要した。
最近は、有料の観光施設を絞り、食事も水もトイレも我慢しながら行動しているのだが、このままでは完全に予算オーバー。さてどうしたものか。

ベルリンの地下鉄や郊外電車に自転車がよく乗せられている。ホームにどうやって運んでいるのだろうと観察すると、ただ手で抱えて階段を上ったり、エスカレーターに危険な体制のままのせて運んでいる。これで駅前駐輪がなくなっているのだから良いことだと思うが、ブルドッグや大型犬などの飼い犬が一緒に車内に入れるというのは、いったいどのような必要性があり許されているのだろうか。

ドイツにあまり良い印象を持っていなかったが、意外にも人が暖かく親切で、物価がもう少し安ければもう1泊したいぐらいベルリンは気に入った。

[オランダ]アムステルダム

東欧と西欧の悪い所を組み合わせた街だ。
街を歩く人の表情が暗くなった。目つきが良くない。自転車のライダーは、何かに取り憑かれたように猛スピードで走り、自転車通行帯を横切る歩行者を追い立てる。店員の態度が横柄で、ホテルも含めてサービス業に携わるものの奉仕精神が感じられない。それなのに、物価が異常に高い。感覚的に日本の2倍、ベルリンの1.5倍。
ヨーロッパで公共トイレが有料なのはだんだん慣れてきたが、レストランやマクドナルド内のトイレまで0.5ユーロ程度の金を取るのにはあきれた。中央駅での国際線チケット売り場は番号札制を取っているが、ロビーから待ち客があふれ1時間待ちだと言われる。ゴッホ美術館はろくな展示物もないのに入場料が10ユーロ。係員は混雑した館内で見学客の誘導などせず、私服にしか見えない服装で見学客にまぎれ禁止行為の摘発だけを行う。隣国と比べてあらゆる面で質が低下しているのに価格だけが上がっている。
古い街なみや運河の景色で局部的に美しいところもあるが、全く調和の取れていない建物や路面電車により街全体が雑然としている。それなのになぜか観光客が多い。

街を数時間うろついただけで善し悪しを判断すべきでないが、この国の全てがいやになり、郊外の探索も取りやめ隣国へ向かうことにした。

[ベルギー]ブリュッセル

<サン・ミッシャエル大聖堂>

昨日ブリュッセルに着き、歴史的建造物が取り囲む広場グラン・プラスに感銘を受けた。かつて、世界一美しい広場と言われていたのもうなずけると思っていた。
しかし、今日、写真を撮ろうとじっくり観察すると、天気のせいもあるだろうが古い建物には輝きがない。そして、無造作に四方に設置された催し物用テントが、昨晩からずっと残されている。また、商用車やトラックが広場内に入りこんでいる。どの方向も様々な遮蔽物によって気持ちよく見渡すことができない。世界遺産の広場だというのに。

しかたなく、ブリュッセル市内でもう一つ世界遺産に指定されているオルタの建築した住居群を見にいく。どこにその建築群があるのかわからず、オルタ博物館に入る。そこが建築家オルタの邸宅だったようだが、7ユーロも入場料を取ってたったこれだけという感じ。建築家でもない我々が古い邸宅だけを見せられても面白くない。世界遺産というだけですぐ飛びついてしまう旅行者を狙ったぼったくりに遭ってしまった。

西欧に入ってからも乞食はどの国にもいる。しかし、東欧と比べ悲壮感がなくなっている。
アムステルダムに入った夜、庶民の店と思い値段を聞かずに注文したサンドイッチ1つと水で7ユーロ(千円以上)も取られ、そのショックから食べ物を買うことに非常に臆病になっていた。朝、安ホテルで出た少量のパンと紅茶を口にして昼食は1ユーロバーガーひとつだけ。ブリュッセルの夜遅い時間に食べ物を探して歩きまわっていた。アムステルダムよりはましになったが、サンドイッチですらなかなか手が出るような価格のものがみつからない。さすがに空腹で苦しさを感じ始め、買えるパンなら何でもいいから口にしたいと思っていた。
歩道の片隅に座っていた乞食が私の姿を見つけ慌ててコインの入ったカップを差し出してきた。しかし、閉じた口がもごもごと動き、さっと隠したもう一方の手にかじりかけのパンを持っているのが見えた。
きさま、パン食いながら物乞いするな。

[ルクセンブルク]ルクセンブルク

ここもアムステルダムなみの冷たさを感じる。特にホテルを探し歩いている時にお前みたいな東洋人は泊めたくないという態度(宿泊料金があまりにも高いので値切ろうとしているのが気に入らないのかもしれない)を取られる。

食事はまたマックの1ユーロバーガー。日本でマックに入ったことはほとんどないが、ヨーロッパではかなり世話になっている。コカコーラやネスカフェなど世界全てを同じ色に染めようとする企業に反感を覚えるが、マクドナルドに対しては、サービスが悪く物価が高いヨーロッパの国々に価格破壊を起こすことを期待する。

ヨーロッパの日没は非常に遅い。夜の9時を過ぎてもまだ十分明るい。これだけ日が長ければサマータイムにする必要がないのではないか。
小鳥はいつまでもさえずり続ける。日本からやってきた鳥がいたらびっくりするだろう。こんな長時間労働やってられませんと。
明るいうちにバーで飲み始めるのも辛いだろう。宿を取ったホテルは歓楽街の中でバーの上の階。アムステルダムでもピンク街に面した部屋しかなく、夜通し騒々しかった。
ルクセンブルクでも暗くなる10時すぎから通りや下のバーが盛り上がってきた。

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