タグ別アーカイブ:ビザ情報 ( 10件の日記 )

[マラウイ/ザンビア国境]Mchinji-Chipata

アフリカ南部の陸路国境越えに慣れてきたからなのかもしれないが、この国境は前後の移動も含め容易に越えることができた。

<リロングウェからチパタまでの国境越え(ザンビアのアライバルビザ取得)>
  • ゲストハウスからリロングウェの巨大ターミナルへ向かう途中、小さなミニバスターミナルがあったので、そこでザンビアの国境へ向かう車があるか尋ねるとすぐ見つかる。10時40分ごろ出発。
  • 走り出していくつかの集落を過ぎると空席が目立つ。乗車率50%のころから、ときおり強い雨。このミニバスは後方3列のよくあるミニバンだが、窓は1枚おきにしかはめられていない。雨が車内に入り込んでくるが、窓のある席か車内中央に座りカッパを着ていればなんとか凌げる。
    だいたい15分間豪雨となり30分間からりと晴れるということの繰り返し。強い雨のなかカッパなど着ずに自転車を漕ぐ人が何人もいる。雨で衣服が濡れても30分で乾いてしまうのだろうか。
  • このミニバスは、途中の町で何度か停車していたが客があまり集まらず、最後は乗客が私ひとりになり、乗車から2時間後、Mchinji到着。料金2,000MWKを支払う。何度か言い値が変わり距離の割に高い気がするが、途中からチャーター車状態で短時間で到着したので良しとする。
  • Mchinjiのターミナルにはミニバス以外に乗り合いタクシーのセダンが何台も停まっていたので、国境へ向かう車と理解して乗り込む。500MWKで10分ほどで国境ポイント到着。(リロングウェから国境ポイントまでのルート
  • 出国審査スムーズ。両替屋たむろ。トイレもあり。
  • ほぼ隣接するようにザンビアの出入国施設(航空写真)。審査待ちの人がおらず、若い男女の係官が会話に盛り上がっていてファストフード店のような雰囲気。シングルビザ代50USDを支払うとパスポートにスタンプを押して簡単に返してきたので、「これでいいの?レシートか何かないの?」と尋ねると、面倒そうにビザシートを出し先ほどのスタンプの上に貼り付けて返す。最初のスタンプだけでも良かったのかどうかは不明。
  • ザンビア出入国施設の隣に銀行があった。VISAキャッシングもできたのではないかと思われるが、たむろする両替屋で少額のドルを両替した後だったので確認していない。
  • 出入国施設を出るとミニバスはなく、乗り合いタクシーが停車していてチパタの町なかまで行く。国境ポイントから近くの町までミニバスはなく乗り合いタクシーのみというしくみが統一され、分かりやすくよろしい。ただ、マラウイ側はセダンの助手席に2名、後部座席に4名の客を乗せるが、ザンビアでは助手席1、後部3の定員以上を乗せていると警察の取り締まりに引っかかるそうだ。そのためか乗り合いタクシーは距離の割に料金が高く20ZMWで、市内まで直行すれば20分。

[ジンバブエ/モザンビーク国境]Nyamapanda

昨晩ハラレに着き、今日は土曜日。モザンビークのビザをハラレで取るためにはハラレにあと2泊以上しなければならない。国境ポイントで取るビザは高額になることが多いようだが、様々な金額がネット上に流れ正確な情報が得られない。
私にはハラレで2泊する余裕がないので、とにかく行くしかないということで国境に向かう。(今回、入念に計画したルートの逆回りをしてしまっているためハラレ到着が金曜の夜になってしまうことを考えていなかった。当初の予定ではスワジランドでダブルエントリービザを取得しておき、マラウイからモザンビークへ2度目の入国をする予定だった)

<ハラレからテテまでの国境越え(モザンビークのアライバルビザ情報)>
  • ハラレの巨大バスターミナルの奥の方から国境ポイントであるNyamapanda行きのバスが出る。ミニバス降車場からターミナルに入り、なかなかたどり着かないので何人にも尋ねたが、みな親切に正しい方向を教えてくれた。
  • ほぼ満席状態のバスに乗車したのでほどなく出発。中型のバスだったのでミニバスよりは楽だった。11時ごろ発車して途中検問がいくつもあったので15時30分ごろ国境着(ルート)。国境の15kmほど手前から小さな山がいくつも見えてきて車窓を楽しむことができる。
  • ジンバブエ出国審査は問題なく通過。
  • 少し歩いてモザンビーク出入国施設。入国審査の窓口はたまたま空いていてビザがないことを告げると、係官は「なぜビザを取らずに来たんだ、ビザ代86USD、さらに今停電中なので自家発電用の燃料代プラス20USD」と憤っている。
    予想をはるかに超える金額に驚き「シングルエントリーは25USDではないのか?マラウイに抜けるため通過するだけなので10USDのトランジットビザはないのか?なぜ燃料代まで払わなければならないのだ」と係官に詰め寄ると、「もうビザのシートがないから発給できない、ハラレに戻ってビザを取ってから来い」と強い態度で追い返される。
  • その後、大型バスの乗客など入国審査を受ける人々が列を作ったため、建物の外で様子を見ていたが、ビザ発給を必要とする人は誰もいない模様。窓口が空いてきたところで、「86USDでなんとかビザを発給してくれないか」と低姿勢で係官に頼むと「パソコンを使用するため停電中は発給できない、外で待ってろ」と言われる。建物周辺には両替屋や物売りたちがたむろしているため、通常どのぐらい停電が続くのか尋ねると、夕方かなとか、夜まで回復しないこともあるとか言われる。
  • 絶望的な気持ちで建物の前の階段に腰掛けていたが、1時間以上経った17時過ぎ、両替屋から「電気が通った」と教えられる。暗かった建物内に電気が点り明るくなっている。その後、審査待ちの人たちが途絶えるまで待たされ、パソコンなどの電源が入れられて準備ができた後で、写真撮影、顔写真付きビザシートの発給が行なわれ30分ほど時間がかかる。係官によると、モザンビーク内の空港、陸路の国境ポイント全てがこの写真撮影によるビザ発給システムに移行したため、現在はどこもアライバルビザ代は86USDになっているとのこと。(しかし、あとでレシートを確認するとドル表示はなく、2,085MZNの表示のみ。手数料を除いたレートで計算して約70USD。ドル建てのビザ代は時期や場所により異なると思われる)
  • 暗くなる前に入国審査を終えることができて良かったが、これからテテに移動しなければならない。ミニバス乗り場はすぐ先にあり、乗車後1時間の18時30分、やっと席が埋まり出発。道中、真っ暗闇のなか懐中電灯を点け、私だけ鞄の中身を全て開けさせられる検問があり、テテには2時間30分後の21時着(ルート)、料金は150MZN
  • 停電はよくあることでパソコン必須のアライバルビザ発給が停電中はできない(追加料金を払って自家発電で発行してもらうとしても準備にかなり時間がかかりそう)となると、国際バスにはビザなしでは乗せてもらえないか国境で降ろされてしまうのでは。モザンビークビザはできるだけ隣国の大使館などで事前に取得すべき。

[ボツワナ/ジンバブエ国境]Ramokgweban/ Plumtree

出入国手続きは特に問題なかったが、ミニバス乗り継ぎにミスしてしまったようだ。

<フランシスタウンからブラワヨまでの国境越え(ジンバブエのアライバルビザ情報)>
  • フランシスタウンのバスターミナルでブラワヨ行き大型バスもあったが午後発とのことで、予定通りミニバスに乗車。半分ほど客が埋まっていたので30分の待ちで11時ごろ発車。ときに時速100km以上で走り国境まで1時間(ルート)、料金30BWP
  • 出国審査は簡単に終了。その後、少し離れた建物にあったトイレで用を足して出てくると、フランシスタウンから国境まで来たミニバスが客を乗せジンバブエ側に走り去っていくのを発見。その時は何が起きたのか理解できなかったが、ジンバブエに向かって歩き始めると、ジンバブエ出入国施設が隣接してなく見渡す限りそれらしき建物がない。フランシスタウンから来たミニバスは少なくともジンバブエ出入国施設に客を乗せて行ったと思われる。
  • 取り残された私の周りに人も車もなく、ひとりでジンバブエ側に向かい歩き出すが、まっすぐ伸びる道には起伏があり、距離も不明。車が通るのでヒッチハイクを試み2台めが停車。停まった車は乗客がいなかったが乗り合いミニバスだった。
  • ミニバスは10分ほど停車して私以外に2人の客を乗せるとジンバブエに走り出す。ジンバブエ出入国施設は想像していたほど遠くなく歩けないこともなさそう。Googleマップ上で両国の施設は2km離れている)
  • ジンバブエ入国審査窓口は混雑していなかったが、ビザ発給に10分以上時間がかかる。シングルエントリーのビザ料金30USD。(ダブルエントリーは45USDで発給可)
  • 出入国審査場施設のゲートを越えると駐車スペースがありミニバスが客待ちしているようだった。私を乗せたミニバスはここで客を集められなかったので10km先の町Plumtreeへ行く。町をぐるぐる回りながら客集めして、ときどき地元のミニバス関係者と言い争いになる。それが延々と1時間以上続く。そして、ついに私のミニバス運転手が説得されたようで、私たち乗客が降ろされ、満席近かった地元のミニバスに乗せられ、まもなく出発。私を乗せていたミニバスはルール違反だったようだが、ボツワナ出入国施設からPlumtreeまでの料金を取られることなく、客集め中にゲストハウス予約のため運転手から借りた携帯電話の通話代も請求されず乗り換え。Plumtreeからブラワヨまでは1時間30分、料金は5USD。(国境からブラワヨまでのルート
  • 結局、フランシスタウンからブラワヨまでミニバスで乗り継ぐ場合の通常の乗り換えポイントは不明。

[ベラルーシ]ミンスク

<ミンスク駅近くのバス停/駅正面からの眺め(2枚組)

ソ連の匂いがぷんぷんするミンスク(Мінск)。これだけ規模を大きくする必要性がどこにあるのだろうかというほど巨大なビルや広場。1ブロック歩くだけで大変な距離だ。そのせいか市民の歩くスピードが速い速い。バルト3国の首都よりも、街だけでなく人々も洗練されている気がする。

≫続きを表示

教会を訪れる敬虔な信者が多くみられるのは、ロシアカトリック系の特徴だろうか。教会に入る前に十字を切って一礼、聖堂内に入っても何度か礼があり、退出時にも建物の外で聖堂を振り返り一礼する。おじぎ姿が多いことから日本人の神社参りを思わせるが、こちらではお年寄りから若者まで雨が降るなか傘もささず濡れながら一礼していて、日本人には及びもつかない信仰の深さが感じられた。
教会で朝の聖体礼儀が行なわれているところに入らせてもらうと、信者たちの聖歌が心に沁み清らかな気持ちになった。

<ベラルーシ ビザ情報>

ベラルーシは今回訪れた国々で唯一ビザの必要な国。日本の旅行会社を通してビザを取得することができるが、例えばインツーリスト・ジャパンのサイトをのぞくとべらぼーに高く、それ以外に適当な取得方法が日本語のネット情報から見つけられなかった。
滞在日数から通過ビザでも十分だったがベラルーシ入出国のバスか鉄道のチケットの提示が必要なようで、それらを取る方法が見つけられない。適当なベラルーシ人を友人に仕立て知人訪問のビザを取得する方法もありそうだが、ロシア語ができないとリスクが高そうだ。
英語のネット情報を検索したところ在米ベラルーシ大使館サイトの旅行会社リンクを利用すれば良いとのこと。そこでみつけたインツーリスト*で一番安いホテルベラルーシのシングル(50$)を予約してビザサポートレター(30$)を発行してもらえば、あとは日本のベラルーシ大使館に出向くか郵送により1,300円の手数料で発給(在日ベラルーシ大使館のサイト参照)される。(2009年7月時点の情報)
他にもっと良い方法があるかもしれないが、このインツーリストはホテル代がネットで検索できた他のどの料金よりも安く、メールのレスポンスも良く問題なかった。

リトアニアのヴィリニュスからミンスクへは列車で移動(区間ルート)したが、列車内でのベラルーシ入国審査時に係官からベラルーシ保険の有無を確認されたため、宿泊したHotel Belarusで「保険に入らなくていいんですかあ?」と英語の達者なお嬢さんに尋ねたところ、「そんなのいらいないわよ」と一蹴され、出国時に保険加入を確認されることもなかった。

*在米ベラルーシ大使館(Embassy of the Republic of Belarus in the United States of America)のサイトでSitemapからBelarusian Travel Agenciesのリンクで見つけました。

[ケニア]ナクル

<宿泊したホテル前の瓦礫で行なわれる路上売り風景>

夜10時ごろ到着したので、周辺の状況を把握しないままガイドブックお勧めのホテル(Pekars Lodge)に泊まったのだが、ホテル前の敷地が爆撃されたかのようにビルが崩壊していた。夜は瓦礫の中で焚き火がたかれ、(いったいどういう種類の人々か不明なのだが)午前3時すぎまでお祭りのように騒いでいる。そして、大声での会話が朝まで続き、通りに面した部屋は寝られたものでなかった。
朝になると瓦礫周辺にいくつも店が出ていて、アフリカらしい光景を部屋から眺めることができた。

<参考図書>地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017

<メネンガイ・クレーター>

ケニアらしい自然を眺めたいと思いナクルに来たのだが、どうもイマイチ。
フラミンゴで有名なナクル湖だが、雨季の4月ごろでないと見られないということで、タンザニアのンゴロンゴロに次ぐクレーターだというメネンガイ・クレーターに行く。
クレーターだと言われればそんな気もするという程度の不明瞭さで、ビューポイントからの眺めはそれなりに良いのだが特に絵になる景色はない。

ケニアの実力はこんなもんじゃないでしょ。やはり高い金出して国立公園内に入らないといけないのかもしれない。

≫続きを表示

キスムからナクルまで(区間)の道はとんでもなく荒れている。

ジンジャからキスムまで(区間)は定員超オーバーのぎゅう詰めミニバスで合計6時間(出発待ち時間含む)。すでに体がギブアップぎみだったので、キスムから夜行列車でナイロビに入ろうとしていたのだが、ナクルまで定員乗車の急行マタツ(ハイエースの乗り合いミニバス)があるとキスムのターミナルで言われ、シートや膝周りにゆとりのある楽そうな席を選び乗車することにした。

客集めに1時間半待たされて出発したが、定員乗車なので尻、膝、腰の痛みがない。これであれば数時間は耐えられそうだ。久々の当たりだと思っていた。
しかし、客がどんどん降り席が空いてくると不安になってくる。案の定、半分も走っていない1時間半後、私は、別のマタツに有無を言わさず乗り換えさせられた。客が少ないため急行の運行が取りやめになり、またしても、ぎゅう詰め各駅停車のマタツに乗ることになってしまった。しかも、そこからナクルまでの道は今回の西アフリカを含めた旅の中でも最も酷い悪路。2時間強、尻、膝、腰の苦痛に耐えるしかなかった。

当たりくじを引いたと思ったらすぐ取り上げられ、はずれくじをつかまされてしまった。アフリカの旅に当たりなどないと思っていた方が良い。

<ケニアの再入国ビザ情報>

ケニアのシングルエントリービザで隣国タンザニア、ウガンダに出国してもビザ有効期限内であれば再入国可能だが、ルワンダに出てしまうとケニア再入国時にビザを取り直す必要があるとガイドブックなどで言われている。
ナイロビの空港でアライバルビザ申請時に係官にルワンダに行く予定があるのでトランジットビザかマルチビザにできないかと問い合わせたところシングルビザで再入国可能だといいかげんに答えられた。

ウガンダからケニアへの再入国時、ケニアのシングルビザのページを開いて係官にパスポートを提出すると他のページをチェックすることなくビザの上に入国スタンプを押した。(ケニア出国時も同様にパスポートの他のページのチェックなし)
これであれば、ルワンダだけでなく他の国に出国していても陸路でウガンダから入国する限り、シングルエントリービザでケニアに再入国可能のような気がする。(規定上は不可かもしれないので、運が悪いと50$のビザを取り直さないといけないかも)

[ウガンダ/ルワンダ国境]Katuna(Gatuna)

カバレからキガリまでの道は景色の良い峠を越えていく。峠を挟んだウガンダとルワンダで土地利用が変わるのが面白い。

<国境越え詳細(ルワンダのアライバルビザ情報)>
  • カバレから国境の町カツナのイミグレ近くまで(区間)乗り合いカローラが頻繁に出ている模様。約20分で着く。
  • 出国カードを書かせられるが、それ以外はスムーズに出国処理完了。
  • ウガンダのイミグレーション(出入国審査場)からルワンダのイミグレまで歩いてすぐ。
  • ルワンダのイミグレで入国カードに記入してルワンダビザ申請。シングルエントリーのみで60$。写真不要で10分程度で発給。
  • ルワンダ入国時には税関による荷物チェックがあり、ビニール袋持込禁止のため全て没収されるという噂だったが、私は税関チェックをパスしてしまった。(イミグレーションから先に進みミニバス乗り場手前に税関があるが、イミグレの側に停まっていた大型バスに乗ったため)
  • 乗客の税関が済み出発直前の大型バスに乗せてもらい、キガリまで(ルート)約1時間半。KAMPARA COACHのバスだったが、横一列が2+2の4人掛け(通常は2+3)で通路に人もなく快適なバスだった。但し、カンパラ深夜発の夜行バスと思われる。
<ルワンダ基本情報>

[首都]キガリ、 [通貨]ルワンダ・フラン(2008年11月, 1フラン = 約0.17円)
[公用語]英語、フランス語、キニアルワンダ語、 [宗教]キリスト教94%、イスラム教 5%
[入国ビザ] 必要、国境でシングルエントリービザ取得(60ドル)、
[歴史/概要]
17世紀にルワンダ王国建国。1889年にドイツ保護領となるが第一次大戦後はベルギーの信託統治領となる。1962年の独立以前からくすぶっていたフツ族(85%)とツチ族(14%)との争いが、1994年の大統領暗殺をきっかけに大虐殺となり、100日で80万人以上が犠牲となる。その後は二度と悲劇を繰り返さないよう部族という概念を捨て、平和を目指し現在に至る。
コーヒー、茶を主要作物とする農業が盛んで、農林漁業が労働人口の90%を占める。
国土全体が山や丘、湖に覆われ「千の丘の国」と呼ばれる。

[ケニア/ウガンダ国境]Busia

乗り合い車を乗り継いで容易に通過。

<国境越え詳細(ウガンダのアライバルビザ情報)>
  • キスムからブシアまでマタツ(乗り合いワゴン)で3時間。普通に走れば2時間の距離(区間ルート参照)だが途中2回、下車した人数分の客が集まるまで客待ち停車。座席のないスペースにも木箱を置き客を無理矢理座らせ、西アフリカ並みに詰め込みながら、かつ全区間満席状態を維持しようとするのには少しあきれた。
  • ブシアのマタツターミナルからケニアのイミグレーションまで歩いてすぐ。用紙に記入して簡単に出国。
  • ケニアのイミグレーション(出入国審査場)からウガンダのイミグレまで歩いてすぐ。入国カードに記入してパスポートと共に提出するとビザの申請となる。ウガンダのシングルビザ50$、写真不要。数分程度でビザ発給。他に面倒なことなし。
  • 入国手続きの指導をする親切な両替屋がたくさんいる。しかし、100$未満の小額紙幣はレートが1割以上落ちるので、イミグレで両替せず乗り合いバスターミナルで両替したが更にレートが悪かった。
  • ウガンダの出入国審査場から乗り合いミニバスターミナルまで1km程度。自転車タクシーが多数客待ちしていて30円以内で行く。
  • ウガンダ国境の町からカンパラまで乗り合いミニバスで4時間半。(ガイドブック「地球の歩き方」に2時間半とあり、他の所要時間表示が合っていたので信用していたが、この2時間半は誤り。順調にいって4時間。Googleマップのルート検索はカンパラ中心部から10kmほど先のカバカの墓まで)

    <参考図書>地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017
<ウガンダ基本情報>

[首都]カンパラ、 [通貨]ウガンダ・シリング(2008年11月, 1シリング=約0.05円)

[公用語]英語、スワヒリ語、 [宗教]キリスト教60%、伝統宗教30%、イスラム教10%、

[入国ビザ] 必要、国境でシングルエントリービザ取得(50ドル)

[歴史/概要]

16世紀初頭から諸王国が成立、19世紀中頃にブガンダ王国がザンジバルとの交易で繁栄。その後、英、独、仏の権益争いがあるが1890年にイギリスの勢力圏となる。1962年に独立したが度重なるクーデターにより内政、経済は混乱(70年代には大量虐殺で有名なアミン大統領も現れる)、1986年に成立した現ムセべニ政権がほぼ全土を平定。

赤道直下だが東アフリカ高原にあり、平均気温21-25度と暑くない。緑溢れる森にはマウンテンゴリラが生息し、世界で2番目に大きい淡水湖ビクトリア湖からはナイル河が流れ出すなど自然豊かな国土は、かつてイギリスの首相チャーチルから「アフリカの真珠」と讃えられた。

[ニジェール]ニアメ(2/2)

niamay

<ケンブリッジ橋付近でのニジェール河からの荷揚作業(2枚組)

ナイジェリアの毒がニジェールの暑さで活発になり、体中を暴れまわっているようだ。
倦怠感、頭痛、耳痛、歯痛、関節痛、微熱、そして鼻水、鼻血、耳だれ、咳、痰。いろんな部位が痛み、いろんなものがとめどなく出てくる。ほとんどの症状が風邪をこじらせた程度のもので気にしていないのだが、耳だけが心配だ。

かつて、粉塵の舞うパキスタンを1週間旅して帰国後に中耳炎になり、完治までかなりの日数を要した。中耳炎状態で飛行機に乗るなど、あの気絶しそうな激しい痛みを想像しただけでめまいがする。(耳の丈夫な人には理解できないでしょうが)
よって、かろうじて動ける気力があるのだが、暑いだけで何もないニアメーで停滞することとした。

<たびメモ>

ニアメ市内のタクシーは値段を尋ねて乗ろうとすると300CFAまでしか下がらないが、黙って乗れば地元の人と同じ200CFA(40円)。(そのタクシーが流している地区内の場合)
路上で目的地を叫び車を止め、運ちゃんが何も言わなければ料金の交渉をせずそのまま乗りこむ。降りたい場所に着いたらc’est bon(セボン:ここで良い)と言って停車させ、200CFAコインを運ちゃんの手に握らせ、さっと降りるのがニアメーでの粋なタクシーの乗り方。

<マリ共和国ビザ取得情報>

休養のため時間があったのでニアメでマリのビザを取得した。面倒なのはマリ共和国領事館にたどりつくことだけで、領事館は訪問者が少なくスタッフが驚くほど親切なので何ら問題なし。

領事館の場所を知っていてかつそこへ向かってくれるタクシーがなかなかみつからなかったので、Blvd de l’Independanceまで出て、5台目のタクシーがやっと乗せてくれる。うれしくて言い値の1,000CFAで乗ったが、ビザ受け取りに向かう時は400CFAだったので値切っておけば良かった。Rond Point Yantalaに比較的近いので、市内からそこまでタクシーで行き、そこで周辺を得意とするタクシーに乗り換えれば確実にマリ領事館に行ける。ちなみにアメリカ合衆国大使館の隣だが、その敷地は広大なので1周してマリ領事館をみつけてもらう必要がある。

申請書1枚記入、写真1枚、20,000CFA。翌日受取が基本のようだが、私の場合11時半すぎに申請して当日15時すぎ受取。スタンプを押す人が15時にならないと現れないという状況だったようで、運が良ければ即時発給も可能かも。

<ニジェールめも>
  • ニジェールも停電が多いが信号は結構多い。信号が点いてたり消えていたりで大変そうだが、みんなトロトロ安全運転なので交通警官がコントロールしなくても仲良くすれ違っていく。
  • 急にタバコ売りが目立ち始め、タバコを吸う人をたまにみかける。コートジボワールのアビジャンで1人みかけて以来か。
  • ニジェール人は若者から中年まで粋な男性が多い。特にパリッとアイロンのかかった長袖のシャツをスラックスの上に出している男が格好いい。小顔に細身の体で背筋をピンと伸ばし(アフリカ人はみんな背筋まっすぐだが)、まっすぐ前を向きゆっくり歩く(ニジェール人はみなゆっくりだが)。黒人を見慣れぬ者には顔の造作の善し悪しを判断しかねるが、たぶんイケメンなのだろう。サングラスをかけている若者がいると、Exileのメインボーカルの雰囲気だなあと感じるのだ。
  • ニアメーは多少ツーリスティックで日本語で声をかけ強引に土産店に引き込む者がいたり、押し売りガイドがいたりするが、全体がおっとりなのでそれほど大したことはない。
  • まともな宿に泊まるつもりなら自家発電付かどうかの確認が必須。あまり料金の違いに反映されていないようだが停電時の快適度合いが雲泥の差。
  • バスの出発は6時や7時の早朝発が多い。暗いうちにターミナルまでの移動が必要でバスに当然トイレはなく、途中の休憩地もまともなトイレはほとんどない(これなら野原の方がましというレベル)ので、私のようにトイレコントロールの下手な者には厳しい。
  • 移動中に停車した村も含め、地方にはきれいな娘が多かったがニアメーではゼロ。ニアメーでは、旅行者も含め、黒人でない人を多くみかける。今回の旅の今までの町と比較すると圧倒的に多い。
  • お祈りの時間になると、数人から数十人単位が道端や簡易集会所に絨毯を敷き、メッカの方向を向き揃ってお祈りする。歩道で横一列になり車道に向かって額を絨毯にこすり付けているグループもある。私が彼らの真ん前で立ち止まって観察しても全く気にせず一心不乱。ニアメではこれが唯一感動的シーンだったが、(どんな反応をするか想像できなかったので)カメラを向ける度胸はなかった。病気療養中だったもので。
  • 特にニアメーで物乞いが多いということ以外は、人々も車もみなおっとりしていて、この国に何か危険なことなどあり得るのだろうかと感じるほど。しかし、市場で写真を撮っているとニコニコしながらダメダメと言う人がおり、また、撮りたいシーンがないけど街の中心部の写真を写しておこうかと思っても、どこにカメラを向けても明らかな物乞いがフレームに入ってしまいやめてしまった。
  • 少なくともニアメにはVISAキャッシング可能な24時間稼動ATMが何台もあった。
  • ニジェールの国境を越えた日から毎日最高気温が40度を超えている。それまでの国は35、6度だったから急に耐えられぬ暑さになった。
  • ニジェールはクーラー付チャーター四駆車でアガデス、ザンデールを含めた地方を気に入ったポイントで車を止めながら旅するのが良さそう。私もいつかそんな旅をしたい。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[ガーナ]アクラ

accra

<マコラ・マーケット>

アクラ最大のマコラ・マーケットも美しい。そして、頭上に様々な荷物をのせる技は雑技団なみに見事だ。荷物を頭にのせた女性が笑う時、腰を艶めかしく横に揺らしながらも頭は全く動いていないのに驚いた。まるで、高層ビルの免震実験を見ているようだった。

上の写真よりも何倍も美しい光景がマーケット内に入ると見られるのだが、私の度胸ではとても撮影できない。(いや、度胸の問題でなく、少なくとも一人だけで撮影していれば何かしら被害があるでしょう)
興味を持った方はぜひ見に来て欲しい。今はオフシーズンということもあるのか旅行者を全く見かけないのだが、多くの外国人が観光で訪れるようになり、誰もがカメラを手にしている旅行者の姿を見ているうちに地元の人々のカメラに対する異常な警戒心が和らいでいくと思う。

≫続きを表示
accra

<姉の足につかまる女の子>

撮っていいかと尋ねると親は喜んで応じてくれたが、子供は冗談じゃないと向けられたカメラを見て泣き出してしまった。撮影が下手なためかわいらしく撮れていないが、みつ編の似合う愛嬌のある幼児だった。

<ナイジェリアビザと五ヶ国共通ビザ情報>

ガーナ入国4日目にして、西アフリカ5ヶ国共通ビザ(コートジボワール、トーゴ、ベナン、ニジェール、ブルキナファソの5ヶ国)と比較的難関と言われるナイジェリアのビザの取得に成功した。旅慣れた人にはたいしたことないと思われそうだが、私は海外において空港や国境以外でビザを取得したのはこれが初めてなのだ。

ガーナ到着後、空港からナイジェリア大使館に直行してビザを申請すると、招請レターや身元保証書、医療診断証明書がないと受け付けられないとぶつぶつ言われる。しかし、私の場合、イエローカードのコピーを証明書代わりに提出することで許された。ただし、大使館内のコピーは金を払っても利用することができず、500m以上離れたコピー屋まで炎天下歩かなければならなかった。(他にパスポートのコピー、写真1枚を提出して20ドル支払う)
人によって様々な対応で嫌がらせを受けるようなので、私のように荷物全て抱えて出向くのは避けるべき。ビザ受取は申請の2日後の午後2時から3時。

5ヶ国共通ビザはネットで入手した情報通り、アクラのトーゴ大使館で容易に取得できる。ナイジェリア・ビザを取得した翌日の午前中に申請すると当日午後2時から3時発給だった。
ただ支払いが3万CFAフランで他通貨では受け付けられないことが要注意。だが、ネット情報によると逆にドル支払のみしか受付けられないケースもあったようで、レートで対応が変わるのか申請者がCFAフランを所持しているかどうかで支払い通貨を変えているのかは不明。
私の場合、CFAフランを所持していなかったので、大使館守衛に不当なレートでの両替を余儀なくされた。

[ベリーズ]ベリーズシティ

何かありそうな気がしてベリーズシティに来てみたが、何もなかった。ベリーズの4分の1の人口が集まるという元首都の街だが、スイング橋(航空写真)周辺の中心部は殺風景で海岸沿いを歩いても美しい景色は見られない。

唯一、絵になりそうな姿の良い黒人たちは、私がカメラを目線まで持ち上げただけで襲ってきそうなほど怒り出す。ベリーズは中米では安全な国と言われているが、気の触れた浮浪者やジャマイカ風(?)の黒人が多く、慣れないせいか体感危険度が高かった。
物価は高いが安全な大都市で一休みしようという目論見は外れた。

<メキシコからベリーズへの国境越え/ベリーズのアライバルビザ情報>

メキシコのチェトゥマルから国境をどのように越えられるのか情報を収集できてなく不安だった。
パレンケからの夜行バスが朝5時にチェトゥマルのバスターミナルに着き、夜が明けてから歩いて国境を越えられないものかと考えていた。すると、そのターミナルでベリーズに向かう大型バスの運転手が客引きしていて、朝6時発のバスに乗ることができた。(パレンケ-チェトマル-ベリーズシティの区間ルート

ベリーズのイミグレーションでビザが発給されるようだという不確かな情報を元にビザを持たずに来たのだが、このイミグレーションでのビザ発給は通常手続きではないようだ。チェトゥマル市内の領事館でビザが取れるから戻って取得してから来いと係官に強い態度で迫られたが、「そこを何とか」とお願いして発給してもらう。(係官がワイロを要求していた訳でなく単に朝早くてやりたくなかっただけかも)
ビザ代50ドルで写真不要。大型バスの乗客10人のうちビザが必要なのは私だけだったので交渉後すぐ発給されたが、大人数でビザ発給を要求したり係官の気分次第では発給を拒否される可能性あり。(帰国後ネット情報を確認すると、チェトゥマルのベリーズ入国ポイントでビザ発給はされるが時間がかかりバスにおいていかれるケースが多いよう)
(2014年12月より日本人は90日までの滞在にビザ不要。最新の情報は”ベリーズ国政府観光局”のサイトなどで確認して下さい)