[タイ]バンコク
バンコクは洗練された都会となり驚いている。東京よりも路上は清められ、空気も澄んでいるような気がする。歩道に唾を吐くのもはばかられるくらいだ。
初めてバンコクに来た時は、何もかもが嫌いな街だったが、旅慣れたせいだろうか、なかなかいい街だと感じる。
しつこい派手さが受け入れられなかったワットアルン寺院(写真)だが、今は渋さを感じられるようになり、私のお気に入りだ。
[タイ]チェンマイ
生暖かい空気が全身を包み、眠気がいくらでも襲ってくる。町の人々は穏やかで、飼い犬たちも欠伸ばかりしている。
見所としての寺院はそれなりにだが、食べ物が安くて旨いので長居したくなってしまう。
チェンマイ近郊ボーサンの傘工場に出かける。
中庭で傘を乾かす様子は、南国の花が咲き乱れているように見えた。
9月30日はチェンマイ中心街でサンデーマーケットの日。その規模と商品の多様さは想像をはるかに超えるものがあった。
私はイスラム圏を中心に世界の名だたるバザール、マーケットを巡って来たつもりだが、これだけの規模は初めてだ。
通常は駐車車両の多い一般道路の両脇と中央部に3千(ガイドブックより)とも言われる屋台が週に一度だけ設置される。雑貨、衣料品、土産品、食事、絵画、など区画毎に種類の異なる屋台が隙間なくきれいに並ぶ。その距離3kmぐらいに及ぶのだろうか。タイ人のなんと秩序だったことか。
立ち止まることなく半数くらいの屋台を眺めるように歩いて1時間半。買い物しながら全体を回ろうとしたら、マーケットのオープン時間である4時間では終わらないかもしれない。
マーケットの規模は大きいのだが盛り上がりが今一つ。
タイ語は鼻に抜ける音が多く、興奮して話をしても音量が上がらず高音になっていくだけで迫力に欠ける。
通りの中央部に若者らによる歌手をはじめとしたストリートパフォーマーが並ぶのだが、誰も耳を傾けようとしない。音痴が多いということも問題だが、それ以前にほとんど声が聞こえない。フニャー、フワーっと声が頭の上に抜けていき、雑踏にかき消される。
雰囲気だけを味わいたくて歩いている私は、彼らに活を入れたくなった。
[スリランカ]ニゴンボ
<ニゴンボ漁港のお嬢ちゃん(2枚組)>
コロンボ近くのニゴンボに宿を取り、朝、水揚げした魚をその場で売る小さなマーケットに向かった。威勢良く動き回る彼らの中に静かで平和なスペースを見つけ、買い物中の親を待つ子供に相手をしてもらった。
≫続きを表示海岸沿いを歩いていると、中年の女性が親しげに話しかけてくる。ここは2006年の津波で被害を受け、彼女の家も流されたのだという。その跡地に連れていかれると、砂浜のような砂地の上に簡単な土台だけが残されていた。流されずに残った近所の家を見ると、日本の海水浴場にある海の家よりも簡素だ。
その女性は、跡地より1軒分内陸側に建つ隣人の家に身を寄せていた。しかし、海岸寄りに建っていた彼女の家が防波堤代わりをしたからそこが残っただけで、再び同様の大津波が来れば、今度はその家が流されてしまうとしか思えなかった。
(いろいろと厳しい事情があるのだろうが)抜本的な解決をしない人たちだ。
[スリランカ]アヌラーダプラ
<ジェータワナ・ラーマヤ(航空写真)>
スリランカには仏教遺跡が溢れ、国内の巡礼者や観光客も多い。
小高い丘の頂を目指し、人の良いスリランカ人たちと仏教施設めぐりをするのはなかなか楽しい。
<アヌラーダプラ近郊のミヒンタレー(2枚組)>
≫続きを表示スリランカの仏跡に入る時には外国人観光客も靴を脱がなくてはならない。タイ、ミャンマーなど他の上座部仏教の国でも同じだが、それらの国々で屋外を裸足で歩かされる場合には必ず石畳がある。しかし、スリランカでは聖域内であれば、土の上だろうが、ミヒンタレーの這って登る岩の上だろうが裸足になることを強要される。
小石がごろごろとした土の道で、こんな所で靴を脱がせるなど思いもせず、看板を見逃して仏陀の像に近づくと、銃を持った兵士(彼らは軍靴を履いている)が近づいてきて靴を脱げと命じる。私がきょとんとして、なぜここでと問い質すと、「仏陀様の前だぞ、仏陀様の」と兵士はあきれ顔で言ってくるのだ。
ソックスを履いたままでも良いので、私は穴があくことを覚悟でソックスを履き続けていた。しかし、それでも尖った小石などを踏んでしまうと、全身が硬直するほどの激痛が走る。(私は一般的な日本人よりも足裏が弱い)
地元の人たちは靴底のように足の裏が硬くなっているのだろう、町中だろうが舗装されていない田舎道だろうが、素足のまま歩き回る人たちがいくらでもいる。その割合から、この国で靴を履かないでいることは、日本で夏に帽子をかぶらないでいるぐらいの感覚だと思われる。
[スリランカ]ポロンナルワ
<ボロナルワの仏跡群(2枚組)>
ボロナルワの仏跡群は期待が大きすぎたせいか、イマイチの感がある。しかし、緑豊かな公園(航空写真)内で遺跡をめぐる数キロ程度のハイキングは悪くない。暑くさえなければ。
暑さは予想の範囲内だから我慢するしかないが、食べ物のまずさは想定外だ。タイの後だけにギャップが大きい。とにかく何を食べてもまずい。
田舎の町はどこもレストラン自体が少ないので、ポロンナルワではゲストハウスが強く勧めるスリランカの定番料理カリーセットを頼んだ。
スリランカ米という日本米より更に小さなごはんが鳥の餌かと思うようなまずさで、小皿で出てきた6種類のカリーはどれも人間が食べることを想定していない味付けだ。
こんなもの食えるかと、テーブルをひっくり返したくなるほどだった。
[スリランカ]シーギリヤ
<シーギリヤロック(2枚組)>
シーギリヤロックの景観には迫力を感じた。
周辺には仏跡が集中して、階段を登れば岩壁中腹部に壁画があり、絶壁を登りきった頂上部に王宮跡があるという、なかなかバラエティに富んだ観光地だ。
スリランカ人はきれい好きだ。日本人の清潔好きとは少し異なり、汚れたらそうじをしてきれいにし続けることを良しとしている。
まともなホテルは安くてもよく清掃されている。シーギリヤの小さなゲストハウスに入ると、庭から建物の廊下に入るところで靴を脱がされた。当然、室内も土足厳禁(履物禁止)だ。私が安ホテルの部屋を選ぶ基準のひとつが、素足で室内を歩ける程度にクリーンかどうかだが、その点このホテルは問題ない。
部屋を取りシャワールームに入ると水が出てこない。助けを呼ぶとオーナー家族の少年が送りこまれた。シャワールームの中で無事に水を出した少年が部屋を出ていくと、入ってきた時にはついていなかった泥の足跡がきれいな床にいくつも付けられていた。彼は草履を履かずに庭にそのまま出て行く。裸足生活をする少年の足は水に濡れると泥がいくらでもしみ出てくるようだ。
土足イコール素足の人が多いこの国で、ホテルの室内を土足厳禁にする意味があるのだろうか。
[スリランカ]キャンディ
<キャンディ郊外の植物園/キャンディ市内の仏歯寺(航空写真)2枚組>
キャンディ郊外の植物園は、巨大な庭園のようにデザインされながらも多種多様な植物が植えられ、なかなか良くできている。緑の美しさをしみじみと味わえる場所だ。
≫続きを表示
スリランカは人が良く(私の知っている範囲ではアルメニアの次、ミャンマーと同程度か:この後訪れたゴールで評価を訂正)自然が美しいので、旅をしていて気持ちの良い国だが、観光地としての魅力は今ひとつ。今まで、はっとした風景はシーギリヤロックぐらい。カメラの撮影枚数が異常に少ないことからも自分が盛り上がっていないことを感じる。
子どもたちはみな一様に白い制服を着て、集団で行動しているか親に手を引かれているので、外国人に近寄ってきたりしない。町の雑踏を撮ろうとしても、日本のどこかにありそうな風景にしか見えなかったりして、カメラを向ける先がみつからない。
南部インド程度かなとイメージしていたが、スリランカはずっと豊かな国だった。
[スリランカ]ヌワラエリア
<ヌワラエリアの車窓(2枚組)>
高地ヌワラエリア(ヌワラ・エリヤ)周辺には茶畑が延々と広がる。列車の開放された窓から緑づくしの景色(写真上)が続き、ため息が出る美しさだった。
<車内で出会ったお子さま(2枚組)>
≫続きを表示ヌワラエリアにはキャンディからバスで3時間。ルートの後半はイロハだけでは数え切れないほど延々とヘアピンカーブを曲がり、高地へと登っていく。(区間ルートで12まで拡大するとコットメール貯水池(Kotmale Reservoir)、Tawalantenne付近に九十九折れあり)
茶畑以外何もないヌワラエリヤは、標高1900m近く。急に寒くなり、エアコンは不要。宿ではロビーに暖炉があることをうたい文句にしているぐらいだ。
翌朝、バス、列車、バス、トゥクトゥク(三輪車)と乗り継ぎ(道路のルート)5時間以上かかって聖なる山アダムスピーク(スリーパーダ)の登り口に着く。キャンディから(ルート)車をチャーターすれば3時間ぐらいで着くようなので、ずいぶんと遠回りしてしまった。
車窓や登山道からは大小いくつもの滝が望める。世界で一番滝の密度が高い国だと観光省が自負していたが、まんざらでもない。
頂が尖がり富士山のような末広がりの山容をみせるアダムスピーク(2238m)。あいにく雲で覆われ麓から頂を望むことができなかった。(2014年2月追加)Googleマップによるアダムスピーク登山道の距離は4.6km、標高差は900m。
聖なる足跡があるという山頂を目指して歩き始めると中腹から雨に打たれた。他に登山者はいなかったが、階段などで整備された道がずっと続き、荷上げする強力(ごうりき)の姿を時々見かけたので強引に山頂まで登った。山頂には住み込みの寺男がいる小さな寺院があったが、雨で寒かったのでよく見ずに帰ってきた。
登山は十分楽しめなかったが、ヌワラエリヤからアダムスピークにかけての自然の美しさがスリランカの旅で最も印象深いものとなった。
[スリランカ]ゴール
<ゴール城壁の地元客(2枚組)航空写真>
城壁に囲まれた古い町並みが世界遺産に指定されたゴール。しかし、これといった見所はない。
地元の人たちや国内の観光客は楽しそうに海沿いの城壁を歩いている。そんな姿を眺めていると、私も幸せな気分になってくる。
≫続きを表示ゴールに来て、旅行者が接するスリランカ人の評価が2段階ほど落ちた。とてもすばらしいから、ごく普通(良い人が多いが極端に嫌な人もいる)に変わった。
何度断っても絶対に離れず、こちらが強い態度を示せば反撃してくる、というインドの観光地によくいるような男が次から次へとつきまとってくる。
思い返せば、キャンディにも蝿のようにまとわりつく客引きが2人いたが、他の人々は問題なかったのであまり気に留めていなかった。ゴールでそのような男の数が増えると、その存在を強く意識せざるを得なくなった。
- スリランカ人は裸足好き。バスの運転手が裸足でペダルを踏んでいるのには驚いた。しかも、ペダルの下に脱いだ草履を置いたままだ。微妙なアクセルワークに足裏感覚が必要なのだろうか。
- スリランカの乗り物はほとんど全て混んでいる。長距離バスは、乗客がいっぱいにならないと出発しないというタイプでないのだが、ほとんどの区間を通路が埋まるぐらいにほどよく乗客を詰め込んで走っている。列車の混雑ぶりをみても、空席がでないように本数や車両数が調整されているかのようだ。
- 雨の中を走る列車では、二等車でも雨が窓から入り込み、体やバックが濡れる。トイレのあるデッキには三等車から溢れた乗客が密集して行く気にならない。スリランカを快適に効率よく回るには、1日あたり30~40ドルに設定された運転手付きレンタカーの利用が良さそうだ。(私が利用していないので断言できないが)
- 英語は非常に良く通じる。私はネイティブの流暢な英語も訛った英語もヒアリングできず苦手なのだが、今まで訪問した国の中で、最も理解しやすい英語だった。
[フィリピン]ビガン
<ビガン中心部の教会/トライシクル(2枚組)>
フィリピンの食事もまずい。スリランカほどでなはないが、ごはんがやはりペットの餌なみに粗末(そもそも私は米嫌いなのだ)で、おかずの味つけがあまりにも単調。
期待はしていなかったが、観光地もイマイチ。世界遺産である古都ビガンの古い町なみは短くてあっけなく終わってしまう。
≫続きを表示マニラで空港から中心部に入るため、タクシーを使わずジプニーと呼ばれる乗り合いミニバスで移動したが、客室部分の上下の間隔が狭く、腰掛けている時、顔を傾けていないと頭がつかえる。後ろから乗り込み、荷物を抱えて奥へ進むのはかなり難儀だ。
地方での短距離移動はバイクのサイドカーであるトライシクル(写真裏)が主流だが、これがまた小さい。屋根が低いため、大袈裟に言うと樽状の棺桶にでも入るつもりで体をまるめないといけない。そんな狭いサイドカー内に大人が4人乗り、更にバイク側の後部に2人座って走っているのもみかける。
フィリピン人は少しでも余裕があると、体を極限まで小さくして詰め込んでしまうので、重量オーバーを避けるため、ジプニーやトライシクルを異様に小さく設計する必要があったのではないかと考えてしまう。
(写真表はビガン中心部にある公園と教会。航空写真の中心付近を西北西の方向から撮影)
[フィリピン]バナウェ
<バナウェの棚田(2枚組)航空写真>
<農村の子どもたち(2枚組)>
世界遺産コルディリェーラの棚田群のバナウェではライステラスに期待していたが、シーズンを完全にはずしている(現地ガイドの話では3~5月がベストシーズン)ようで、緑にきらめく棚田はない。そのせいか、このぐらいの棚田だったら、アジアの他の地域でも見られるのでは、という気がする。棚田の中に教会がある(マウスを乗せると変わる上記写真2枚目)のがフィリピンらしさか。
ガイドと一緒にトレッキングすると農家めぐりをしてくれるのだが、庭先を通り建物内部ものぞかせてもらい、昔からほとんど変わっていないという生活スタイルの説明を受けたりして、メインの棚田よりも興味深かった。
つづら折れの道を登る眺めの良いアプローチ、棚田の山々に囲まれた村中心部の清々しさ、観光ずれしていない村人の良さなどがあり、バナウェは棚田の季節でなくても楽しめる。
[フィリピン]マニラ
<マニラの市場/ジプニー(2枚組)>
フィリピン人は、性格的に粗野なインドネシア人に近いのかと思っていたが、どちらかというとマイルドな日本人という雰囲気。日系や中国系人種が多いこともあるだろうが、顔が日本人そのものという人も多く、私が外国人旅行者と認識されないことがよくあった。
フィリピン人の庶民の足であるジプニー(写真裏)はなかなか格好良いのだが、見た目以上に小さく乗りにくい。
中心部の大通りでは渋滞が酷く、多くの区間が歩いた方が速い。
数珠なりになったジプニーがほとんど動かず、暑く狭い客室にはじっと耐えている日本人顔が並んでいる。
彼らを横目に何台ものジプニーを追い抜き、おかしな日本人がいっぱいいる街だなあと思ってしまった。
- 10年以上前のガイドブックの切れ端しか持っていなかったため、観光局やホテルなどで教養のありそうな人に目的地へのルートや交通手段の相談をしまくったがちんぷんかんぷんな答えしか返ってこない(フィリピン人は全く地図が読めないという噂も頷ける)。結局、マニラからラワグ(あるいはラオアグ、位置)まで飛行機で飛び、後は陸路の移動でマニラまで戻るというルートを選択した。フィリピン滞在5日間の日程で、マニラ、ビガン、バナウェでは丸1日観光、更にラワグ、バギオで半日観光するというのは少し無謀だったようだ。
- バギオからバナウエまで(区間ルート)は夜行バスを利用したが、シート間隔が狭く揺れるので眠るのは至難の業。バナウエとマニラ間(区間)も直通は夜行バスしかないが、ジプニー2台を乗り継ぎ、ハイウェーと呼ばれる幹線道路に出てマニラ行きのバスに乗り日中移動可能だった。しかし、日中のバス移動は途中の大きな町での渋滞で想定以上に時間がかかる。
- 地方のジプニーはマニラと同じような形をしているが、全体に一回り大きく、2、3割多い乗員を運べる。客室内の高さは十分あり、頭が押さえつけられることはない。なぜ、マニラがあの小型サイズにしているのか理解できない。
- 今回訪問したルソン島内移動はバスが基本だが、道路の整備状態が悪く、トライシクルや過積載のトラックなど20km以下の速度で走る車が混在しているため、昼間はかなり移動時間がかかる。
[カンボジア]バッタンバン
<トンレサップ湖の水上生活(2枚組)>
タイから陸路でカンボジアに入ると世界が変わる。国境の町の道路はほとんどが未舗装で、裏道に入ると終戦直後かと思われるほどの激しい凹凸が続く。
バッタンバンからシエムリアプまでの船旅は川岸沿いや水上で生活する人々の姿が見られ、青い水の眩しさが印象的だった。
列車でタイ国境の町アランヤプラテートに昨晩入り、国境を朝越えた。
イミグレーションに近づくとタイにいる間からカンボジア人と思しき怪しい人間が現れ始める。強い日差しを避けるため、私に傘を差し出す小さな子供たちもいた。10年前にアンコールを訪れた時、傘を差して数分歩くと1ドルを要求していた子供たちを思い出す。
カンボジアに入りしつこい客引きを追い払い、一般庶民が利用する乗り合いタクシーをやっと見つけた。
20年落ちぐらいの日本車の小型セダン。後部座席に大人4人と幼児、助手席に大人2人が乗り込むところまではそんなもんかと思っていたが、最後に運転席に大人2人が座ったのには驚いた(右写真)。ギアチェンジはどうやってやるのだ。コラムシフトかハンドル操作者と別の人がシフトさせるのか。圧迫されて身動きできぬ乗車中に大きな疑問を感じていたが、降りる際にこの手の国では珍しいオートマ車だということがわかった。
車が大きな窪地を通る度に唯一可動する首が激しく揺さぶられる。ボクシングでパンチを受けたかのような衝撃だ。鞭打ち症になる人はいないのだろうか。
乗り合いタクシーに関して言えば、カンボジアは私の知っているアフリカをも超えている。
バッタンバンで泊まったホテルは新築で安かった。ダブルベッドでトイレ、シャワー以外にクーラー、テレビ付きで12ドルはかなりのお値打ち。床はぴかぴか光っていて虫の気配も感じない。翌朝出発が早かったので、フランスパンと菓子パンを買い、部屋に備えつけられていたプラスチックケースにしまい、蓋を閉めておいた。
翌朝、ジュースを飲みながらフランスパンをかじる。3分の1ぐらい食べたところでパンを持つ手首がチクチクするのに気づいた。すぐにはわからなかったが、体調1ミリにも満たず、透けるような薄いピンク色をした蟻が何匹も手首を這っているのが見えてきた。やばい、食べ物を狙いに来たのか。手に持ったフランスパンを良く見ると、ほとんど同色の小さな蟻が、既に何匹か這っているではないか。慌ててそいつらを手で払い落とす。しかし、またすぐに何匹か現れる。どういうことだと、寝ぼけ眼を見開き、パンに顔を近づける。フランスパンの内側からピンク色の蟻が出てきているようだ。両手でパンを割ると、両方の切り口から蟻が溢れ出てきた。パン内側の気孔を無数の蟻たちが、自分たちの巣であるかのように歩き回っていたのだ。
ひえ~っっ!!蟻パン食ってしまった!
バッタンバンには、シエムリアプまでの船旅をするために来た。
40人乗りぐらいの小型船がサンケイ川を下り、トンレサップ湖に出てシェムリアップに向かう。地元客が半分ぐらいで、他は私以外、白人旅行者。
景色はなかなか良いのだが、スコールが船内に吹き込んできたかと思うと、耐えられないほどの強い日差しが照りつける。また、水上に植物が顔を出す林を航行する時は、両側から木々の枝がバタバタと船内に入り込み、乗客が打ち付けられる。私は中央寄りの席に移動して、林の中を通る度に頭を低くしていたのだが、何度か太い枝で頭や肩を強打された。初めのうちは、これも一つのアトラクションだという風に白人たちが盛り上がっていたが、そのうち大きな体を小さくしたまま鞭打ちの痛みに黙々と耐えていた。
時期にもよるだろうが、この船旅はかなりタフなアドベンチャーツアーだ。
[カンボジア]シエムリアプ(Siem Reap)
<バイヨン/アンコールワット(2枚組)>
<バイヨン/タ・プロム(2枚組)>
ワットの次に人気のあるバイヨンは、全体のバランスが悪く、表面が崩れて肌荒れ状態のため、写真うつりが良くない。しかし、強い日差しに耐えてきた姿を間近で見ると迫力があり、信仰の力強さと歴史の重みが感じられる。
アンコールワット、バイヨン、タプロムの3つは、やはり世界レベルでみても超一級の観光スポットだ。
シエムリアプ(あるいはシェムリアップ)は10年前と比べ、驚くほど洗練されている。他のカンボジアの街と異なり、ここでのレストランの食事はタイなみに清潔で美味しい。
街中にもう少し魅力的なエリアがあれば、何日でも滞在したくなるような快適な街だ。
[カンボジア]シエムリアプ(2)
<ワットの回廊にて/タプロムにて(2枚組)>
<シエムリアプの子どもたち(2枚組)>
アンコールワットの回廊には、見事な壁画が残されている。ふと旅行者が途絶え、石造りの回廊が静まり返った。その時、壁際を音も立てず走り過ぎる子がいた。薄汚れた衣服がねずみ色の壁に同化しそうだ。私と視線が合うと立ち止まり、大人びた笑みを返した。
回廊の連子窓から差し込む細長い光が彼女を照らす。壁画からでてきたアプサラ(天女)を見ているようだった。(写真上表)
「格好いいね、お兄さん。ねえお兄さん、これ買ってぇ。」
ニコニコしながら話しかけてくるお嬢さん。厭味がなく、屈託ない笑顔から日本語が発せられるとくすぐったくなる。
アンコール・トムで出会った物売りの子は、おでこが広く、目が離れ、鼻がつぶれたこの国の典型的な顔立ち。しかし、写真を見ていると引き込まれてしまう。彼女こそがカンボジア美人なのでは。(写真下表)
10年前に寺院を巡っていると、銃を抱えた少年や片足を失った男性が物陰から姿を現し、何度か金を要求されて怖い国だと感じていた。また、子どもたちが大勢群がり、執拗にお金やペンを求め、断ると非常に不快な態度を表していた。
しかし、今は遺跡群の隅々まで警官やスタッフが配置され、危険そうな人物は見かけなくなった。子どもたちの物売りはまだいるが、不遜で攻撃的な態度を取る子には出会わない。
絵葉書などの小さな土産を抱えた子どもたちが、寺院へ行く途中と帰りにつきまとって来るが、すぐに離れてしまう。場所によっては、道路と寺院の間の広場に2本のロープが地面に張られていて、その間でしか物売りをしてはいけないそうだ。ロープが張られていなくても、何らかの目印で活動できる範囲が制限されているらしい。それを知れば、しつこいからと大声を出して物売りを振り払う必要はなくなるだろう。
[カンボジア]アンロンベン(Anlongveng)
<プレア・ビヒアへの道中の農村/アンロンベン町中の沼(航空写真)(2枚組)>
アンロンベン(アーロンウェン)からプレア・ビヒア(プリア・ヴィヘア、プレアヴィヒア)までの120km(後日確認したGoogleマップのルート計算では90~110km)をバイクタクシーで走る。とんでもない悪路だった。
道が乾いた区間はモトクロスコースのように大きくうねり、泥濘地帯では深い轍が道全体にできている。これ以上進めそうもない2台のトラック(右写真)を最後に車には出会わなかった。
それでも、道沿いには点々と集落が続き、周辺には美しい自然が広がっていた。
≫続きを表示そもそもこのルートを通ろうと思ったきっかけは、シエムリアプの観光局でプレアビヒアからタイに抜けられるという情報を得たことだった。また、昨晩入ったレストランでプレアビヒア(プリアヴィヘア)行きのバスがアンロンベンから7時に出るという話を聞いていたため、本日タイに抜けるべく、気合十分で朝6時半にザックを背負い宿を出た。
アーロンウェンはホテルのスタッフも含め英語を話す人が少ない。確かな情報を得るために町中をかなり歩き回ったが、バスも乗り合いトラックも走っていないということがわかる。車のチャーターは金がかかりそうなので、バイクタクシーをチャーターすることにした。
バスでも行ける道という思い込みから120km走破に2時間程度と予想していたが、この悪路はバスどころか四駆車でも途中までしか入れず、ブレアビヒア近くで反対側の道と合流する地点(たぶんSra’aem)まで車は走っていなかった。走っていたのはバイクと自転車と乗り合いトラクター。その道をバイクの後部座席でザックを抱えながらの移動は大変。バイク後席の座り方を心得てなく、サスペンションがほとんど利いていなかったせいもあるが、悪路による振動が尻から腰、そして脳天まで響く。
この苦しみはいつになったら止むのだろうかと思いながらもただ耐えているしかない。もう少しあと少しと言い聞かせ乗車していたのは5時間。プレアビヒア間近でタイヤがパンクして炎天下で1時間待たされるというオマケを含め6時間要した。
<プレア・ヴィヒア寺院/お嬢さん(2枚組)>
プレア・ヴィヘアの町で高性能のバイクに乗り換え登山道のような道を登っていくと、タイ国境近くにあるクメール遺跡に到達する。遺跡はイマイチ盛り上がりに欠けていたが、高台にある寺院の断崖からカンボジア平原のプリミティブな農村地帯を望むことができた。一方、タイ側に目を向けると緑の中に美しい舗装道路が延び、カンボジアとは全く別の世界がある。尻の痛みが消えぬ私には天国に続く道のように感じ、もう悪路に苦しむことはないと思っていた。
意気揚々とブレア・ビヒア丘の長い階段を下っていったのだが、カンボジアのイミグレーションで止められてしまう。プレアビヒアは第3国の人間が通過できる国境ではないと言うのだ。ガイドブックに越境可能ポイントとして載っていなかったので多少不安はあったのだが、行けば何とかなると思っていた。無理だと思えることでも、海外では熱意を持って訴えればなんとかなるものだ。
観光局で通れると言われたから来たのだとゴリ押ししようとしたが、制服姿の男たちは首を横に振るだけだった。辛かった5時間の移動を訴え哀願していると、意外なほど紳士的なカンボジア係官がタイのイミグレーションに電話をしてくれる。私に受話器を渡し、タイの係官に直接訴えさせてくれた。しかし、ダメなものは駄目なのだ。そして、ここから一番近いタイとの国境ポイントに行くためにはアーロンウェンに戻るしかないと告げられ、目の前が真っ暗になる。
もう体が限界のような気がしたが、再びバイクをチャーターして悪路を戻ることにした。サスペンションの利きが良さそうなバイクを選んだため、少しは楽になったような気がしていた。
しかし、走り出して間もなく陽が沈む。道に街灯などあるわけなく、集落の家々にも電気が通っていないため、ほとんど灯りがともっていない。暗闇のモトクロスコースを2人乗りで走っているようなものだから、少し速度を上げるとすぐに予期せぬ大穴に車輪を落とし、後席の私は重い荷物を抱えたままジャンプする。
ついには、ぬかるみに車輪を取られバイクが横転。ドライバーは足をついて逃げるが、私は荷物を抱えたままバイクの下敷きに。まあ、ぬかるみだから、痛みはそれほどなかったが、衣服や鞄が泥まみれ。
結局、帰りも全く休憩を取らずに5時間、悪路を走り続けた。今回の往復の移動は、私の経験上、最も苦しみに満ちたものだった。
[タイ]ウボンラチャタニー
<ワット・シーウボンラット寺院(航空写真)
/別の寺院での夕景(2枚組)>
ウボン(ウボンラーチャターニー)は犬が多い。歩道や路地にうじゃうじゃといて、みな激しく吠えてくる。タイ人の行き来が多い商店街の通りでも、やつらは私にだけ吠えるのだ。
ウボンは中途半端に洗練され、タイの魅力が薄れた町だが、見るべき寺院がある。
犬がこれほどいなければゆっくりと歩き回りたいのだが。
[ラオス]パクセ
<世界遺産 ワット・プー寺院(航空写真)>
パクセから世界遺産ワットプーを訪れる。参道の階段を登り小さな祠がでてきて、やっと少しは遺跡らしくなってきたと思ったら、もう終わりだった。しかたなく、振り返って直線に延びる参道を写す(写真)。
この遺跡をメインにしてラオス南部を訪れるのはつらいものがある。
≫続きを表示パクセにはタイから国際バスに乗り、国境から1時間で着いた。
途中の車窓やこの町から判断する限り、ラオスはカンボジアよりずっと裕福にみえる。農村にも電気が通り家屋はまともだ。パクセは十分、町らしく、多くの道が舗装されている。
さらにホテルが立派。今回の東南アジア旅行では、1泊5~20ドル程度の宿に泊まっているが、この町で15ドルは豪華すぎたようだ。ツインの部屋で、日本で言えば9千円のワシントンホテルなみ。日本にもあるような綿棒までが室内に備わっているのには驚いた。
ラオスのサワナケートで宿を取り、朝10時発の国際バスでベトナムのドンハへ。(ルートはこちら、約300km)ラオス側の道は舗装されていないとか、ローカルバスなので大量の荷物に埋もれ時間が異常にかかるなどと(今年発行の)ガイドブックにあり、不安に満ちていた。しかし、道が全て舗装され、今年からVIPバス(ツーリスト向けバス)が運行していて、予想よりはるかに早くドンハに入った。
ベトナムの入国審査時、我々外国人が列を作って並んでいても、現地の人たちは横から窓口にパスポートを差し入れていき、係官は割り込んできたパスポートを先に処理する。彼ら現地人のパスポートには1ドル程度の現金がはさまれていて、それを見せながら係官は抵抗する欧米人旅行者から1人3ドルを搾取していた。まるでアフリカの立ち後れた国のようだ。
私はというと、白人と係官が言い争っている間にスタンプが押され返却待ちになっていた自分のパスポートを窓口から取り上げた。その際係官と視線が合ったが何も言われなかったのでそのまま立ち去る。
ドンハからハノイは鉄道で行きたかったのだが雨による土砂崩れで3日間は不通だという。夜行長距離バスは疲れるので避けたかったが、トイレ付のスリーピングバスが鉄道より安く速いというので乗ることにした。(ルートはこちら、約700km)
スリーピングバスとはラオスで見かけた大型リクライニングシートを備えたバスと思っていたが、座席の代わりに二段ベッドが並ぶ、いわゆる中国の寝台バスだった。列車が走っていなかったせいか満席で、私は無理やり押し込められた最悪のベッドだった。
バス最後方は肩幅ほどしかないベッドが5つ横に並び上下二段となっているが、私は上段の真ん中のベッドのため、隣の人を起こして足を縮めさせなければ、決してベッドから下に降りることができない。しかも、6歳児ほどの娘を伴った親子連れがベッド3つを利用していたところを、乗務員が強引にひとつを空けさせ、そこに私が入ることになったのだ。ぴったりくっついて横になる女の子がしきりに私に話しかけ、顔が触れ合うほど間近から幼稚園で習ったような歌を聞かされるまでは良かった。しかし、眠りに入ると、隣のベッドから完全に半身あふれている女の子の足が私の股間に入り、柔道の大内刈をかけられた状態になる。
上段のベッドはバスの天井が間近に迫り、狭く閉ざされた世界に気が狂いそうで、スリーピングどころではなかった。
[ベトナム]ハノイ
<ホアンキエム湖(2枚組)航空写真>
タイ周辺の国々を通ってベトナムを訪れると、旅行者を相手にする人の質が数段階落ち、全体の社会的マナーが急激に悪くなったと感じる。
ハノイは食べ物が美味しく風情のある街だという、数年前訪れた時の印象は今も変わっていないのだが。
≫続きを表示
交通量が多くても信号のないハノイの交差点で、連なるバイクの列が停止することなく阿吽の呼吸で交差していく技はサーカスのショーでも見ているようだ。
しかし、歩行者に緊張を与え続ける交通マナーの悪さが、味わいある旧市街を台無しにしてしまう。
また、アジアの都会で昔よくみられたストレスクラクションがすさまじい。渋滞などで鳴らしても意味がないのにただドライバーのストレス発散のためにクラクションを鳴らす。
その後、よく観察してみるとベトナムのクラクションは人間的なストレスクラクションというよりも、もっと動物的なものに感じてきた。停止せずに信号のない交差点を渡る時は、お互いにクラクションを鳴らし、どちらが先に通過するか会話しているようだ。他にも外国人にはわからないが、彼らなりのコミュニケーションをクラクションで行なっているような気がする。
犬が吠えているのに近いので、バウワウクラクションとしておこう。
ハノイから香港を目指して中国に入る。ヒトの悪さが更に強く感じられる。
どの地域に行ってもほっとできる中国は私の好きな国で何度も訪れている。しかし、東南アジアの人々と比較すると、中国人の性格と品の悪さが非常に気になる。
中国に入って最初の大都市、南寧(ナンニン)で次の都市への移動手段がみつからず旅行会社を訪ねたが、意地悪されただけで全く助けにならなかった。
広州(ガンゾウ)に入ると、都会の雑踏内で、カァーペッと淡吐きしている人々をあちこちで見かける。中国人のお決まりの姿で、私も冬の北京では真似していたものだが、どうも気になる。
街の人々の服装は昔と比べるとかなり垢抜けて、女性など都会の日本人と変わらない格好をしている。そんな若い女性も突然カァーときて、突き出した口もとからペッと吐き出すのを見て、私は目が点になった。
情報が何もなかった南寧に泊まらず夜行バスで広州に向かい、不快を感じた広州は半日で切り上げシンセンまで移動する。宿を取ったシンセンは巨大なビルと怪しげなピンク街が増殖中だが特に面白味がなく、すぐ香港に入った。
[中国]マカオ
何度か訪れている香港は特に行きたい観光ポイントがなかったのでマカオを日帰り観光する。マカオが世界遺産の指定を受けてから初めて訪れたが、遺跡として見るべきものは、かろうじて残されている薄っぺらな聖ポール天主堂跡(写真下:航空写真)だけ。
しかし、青空に映え写真うつりは良いので、今回の旅のしめくくりに。
『東南アジアをだらり』の旅のまとめ
旅のメインを3度目になるミャンマー訪問にしていたのだが、タイでビザが取れなかったため断念して、代わりにスリランカとフィリピンを観光。スリランカは仏教遺跡に期待していたがそれほどのものではなく、フィリピンは(名所観光を主目的とする私にとっては)予想通りつまらなかった。
それに対してアンコール遺跡群は超一級品であり、東南アジアの中では格の違いを感じる。
終盤のバンコクから香港まで陸路の旅は、2週間で6回も国境越えすることになり、だらりではなく慌ただしい旅となった。軟弱な私が少しでも楽に陸路移動できるよう、毎日のようにルートの検討を繰り返し進んでいたのだが、夜行や長時間のバス移動が多くなり、かなり疲弊した。しかし、国を越えると、自然、食べ物、顔つきなどはあまり変わらないが、暮らしぶりや人柄はがらりと変化するということを実感した。
今回の旅で印象的だったベスト3は以下のとおり。
1.スリランカのヌワラエリアから鉄道とバスによるアダムスピークまでの旅(茶畑、滝、湖などの自然)
2.カンボジアのバッタンバンからシエムリアプまでの船旅(川や湖の自然と水上集落)
3.カンボジアのアーロンウェン周辺とそこからプレア・ビヒアまでの旅(素朴すぎる集落と自然)
訪れた国の中では、平和な暮らしを取り戻しつつあるカンボジアが、苦労もあるが刺激的で感動の多い旅を味わえると思う。(ただし、シエムリアプ以外は安全性が十分でないと言われているので注意して下さい)