[ケニア]キスム

<キスム中心部付近の2人乗り自転車タクシー>

ケニアでは野生のキリンを見られれば十分かなと思っていたのだが、空港周辺の柵で囲まれた公園にキリンがうじゃうじゃいて驚いた。

ナイロビに早朝着き、すぐにバスでキスムに移動(区間ルート)したが、雄大な車窓が広がり、乾燥地域のマリとも熱帯のガーナとも異なる景色にみとれる。

今のところ、人は概ね良い。西アフリカでも感じたアフリカ人の親切さ礼儀正しさを持ち、英語をいやみなく使い、私のつまらぬジョークに明るく反応する。

西アフリカの国々とは異なり、我々の感覚からかけ離れた部分が少なく、食べ物も常識的な清潔さが保たれ、アメリカやオーストラリアなどにある安飯程度のものはどこでも食べられそうだ。

キスムは中心街らしき通りをひととおり歩き、キスム駅とビクトリア湖へ出る船着き場(航空写真)をのぞいてみたが、見どころはみつからなかった。

アフリカ人らしい生活に触れるという点ではもの足りないかもしれないが、西アフリカから軽い肺炎と中耳炎を抱えたまま移動してきたため、ほっとしている。(写真のやる気のなさは町のつまらなさだけでなく、体調の悪さを表している)

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『地球の歩き方』によると、ナイロビを始めとしてケニア各地は危険のため個人旅行を勧めないとしている。ケニア空港から市内への移動は絶対にタクシーを利用することとあったので、最低限それだけを守ることにした。

タクシーの運転手に、外国人が市内を1人で歩いたり乗り合いミニバスに乗ったりすると襲われる危険があるのか、と尋ねたところ彼は激昂した。

「そうやって、あんたらはアフリカは何でもかんでも危険だ危険だと思い込む。見てみろ、街の様子を。今、ナイロビの中心部だ。通りを歩いている人々を見てみろ、どこに危険がある。どこに襲いそうな悪人がいる。アフリカだって犯罪が発生すれば警察がすぐ犯人を捕まえる。危険な街を女性や子供たちがあんな明るい顔をして歩くか。よくみてくれ。そして、あんたが国に帰ってからナイロビは危険でなかったと証言してくれ」

それまで話をしていて信用できそうな男だなと思っていたのだが、意外な反応に驚いた。本当に危険な街では、まともなタクシードライバーやホテルのスタッフが旅行者に対して真剣に注意してくるものである。

確かにこの運転手の言う通り穏やかな街にしかみえなかった。しかし、強盗というものは普段どこかに潜んでいて、金のありそうな人が歩いてくると突然現れるものではないのか。

タクシーの運転手は親切にも建物内にあるバスのチケット窓口までついて来てくれた。その会社ではしばらく出発するバスがなかったため、別のバス会社に向かうことにして2人で車に戻ってきた。その時、運ちゃんはタクシーのドアがロックされていなかったことを私に見せ、ほら、鍵を開けたまま車を離れても何ともなかっただろと咆えていた。ロックしなかったのは彼が意図したことかどうかわからないが、スリの多いバスターミナル周辺で何事もなく済んだのは奇跡的なこととしか思えないのだが。

バスがみつかり、車内に乗り込んで荷物を網棚にのせると、車掌がロック、ロック、鞄の口をロックするだけでなくチェーンで鞄と支柱を結びロックしろとしつこく言っていたので、やっぱり他の街より危ないんじゃないの。

中米旅行中、利用していた『地球の歩き方』に中米の大都市はどこも危険だとさんざん脅され行動を制限してしまったが、例えばメキシコシティとナイロビではどちらがどれだけ危険なのか指標になるものはないのだろうか。私が体を張って試しても良いのだが、確率の問題でもあるので、1人の結果だけでは参考にならないのだ。

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<参考図書>

地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017

<たびメモ>

キスムには自転車タクシーがあった。自転車の荷台にクッションが敷かれ、バイクタクシーのように運転手の後ろに客が座るスタイルなのだ。

アジアの各地に自転車を使ったタクシーがあるがサイドカーか自転車の後ろに荷車を引かせるタイプしか見たことがない。荷台に座るだけというのは初めてだ。

男性が自転車に2人乗りして高速で走り抜けていく姿があちこちに見られるのは異様だった。

市内近距離(1~2km)は30円ぐらいのよう。街中の大きな角には数台の自転車タクがたむろしている。

<ケニア基本情報>

[首都]ナイロビ、 [通貨]ケニア・シリング(2008年11月, 1シリング=約1.3円)

[公用語]英語、スワヒリ語は国語、 [宗教]伝統宗教、キリスト教、イスラム教

[入国ビザ] 必要、ケニア空港でシングルエントリービザ取得(50ドル)、国境でも取得可能

[歴史/概要]

7世紀ごろからアラブ人が定住していたが、18世紀にはアラブ人の影響力が内陸部まで及び奴隷貿易や象牙貿易が活発になる。19世紀末にはイギリス領東アフリカとなるが1963年に独立。その後、(2008年2月に大統領選後の暴動が起きているが)他のアフリカ諸国にみられるクーデターや内戦などなく現在にいたる。

コーヒー、綿花、とうもろこしなどの農業が労働人口の6割を占めるが、製造業も盛ん。野生生物が生息する国立公園が多く観光にも依存している。赤道直下に位置していて、インド洋やヴィクトリア湖沿岸は年間平均気温26℃の熱帯性気候だが、国土の大部分が標高1100-1800mの高原のため年間平均気温19℃の乾燥した高原サバンナ地帯となっている。

オバマ第44代米大統領の父はキスム北西60kmのコゲロ村出身。他にはヌデレバ、ワンジルなどマラソン選手が有名。

[ケニア/ウガンダ国境]Busia

乗り合い車を乗り継いで容易に通過。

<国境越え詳細(ウガンダのアライバルビザ情報)>
  • キスムからブシアまでマタツ(乗り合いワゴン)で3時間。普通に走れば2時間の距離(区間ルート参照)だが途中2回、下車した人数分の客が集まるまで客待ち停車。座席のないスペースにも木箱を置き客を無理矢理座らせ、西アフリカ並みに詰め込みながら、かつ全区間満席状態を維持しようとするのには少しあきれた。
  • ブシアのマタツターミナルからケニアのイミグレーションまで歩いてすぐ。用紙に記入して簡単に出国。
  • ケニアのイミグレーション(出入国審査場)からウガンダのイミグレまで歩いてすぐ。入国カードに記入してパスポートと共に提出するとビザの申請となる。ウガンダのシングルビザ50$、写真不要。数分程度でビザ発給。他に面倒なことなし。
  • 入国手続きの指導をする親切な両替屋がたくさんいる。しかし、100$未満の小額紙幣はレートが1割以上落ちるので、イミグレで両替せず乗り合いバスターミナルで両替したが更にレートが悪かった。
  • ウガンダの出入国審査場から乗り合いミニバスターミナルまで1km程度。自転車タクシーが多数客待ちしていて30円以内で行く。
  • ウガンダ国境の町からカンパラまで乗り合いミニバスで4時間半。(ガイドブック「地球の歩き方」に2時間半とあり、他の所要時間表示が合っていたので信用していたが、この2時間半は誤り。順調にいって4時間。Googleマップのルート検索はカンパラ中心部から10kmほど先のカバカの墓まで)

    <参考図書>地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017
<ウガンダ基本情報>

[首都]カンパラ、 [通貨]ウガンダ・シリング(2008年11月, 1シリング=約0.05円)

[公用語]英語、スワヒリ語、 [宗教]キリスト教60%、伝統宗教30%、イスラム教10%、

[入国ビザ] 必要、国境でシングルエントリービザ取得(50ドル)

[歴史/概要]

16世紀初頭から諸王国が成立、19世紀中頃にブガンダ王国がザンジバルとの交易で繁栄。その後、英、独、仏の権益争いがあるが1890年にイギリスの勢力圏となる。1962年に独立したが度重なるクーデターにより内政、経済は混乱(70年代には大量虐殺で有名なアミン大統領も現れる)、1986年に成立した現ムセべニ政権がほぼ全土を平定。

赤道直下だが東アフリカ高原にあり、平均気温21-25度と暑くない。緑溢れる森にはマウンテンゴリラが生息し、世界で2番目に大きい淡水湖ビクトリア湖からはナイル河が流れ出すなど自然豊かな国土は、かつてイギリスの首相チャーチルから「アフリカの真珠」と讃えられた。

[ウガンダ]カンパラ

kasubi

<カスビ・ヒルのバナナ売り/カバカの墓(2枚組)航空写真

<カンパラ市内(2枚組)

カンパラは都会。食べ物に困らず、犯罪に巻き込まれそうな危険は感じられないので休憩する。

ただ、カンパラの車やバイク、人などの密集度は高く息苦しい。タクシーと呼ばれるミニバスターミナル内の駐車や走行中の車やバイクがこれでもかというほど詰めてきて、軽い接触はあちこちで起きている。
カンパラを1週間歩いていればどこか怪我してしまいそうだ。

[ウガンダ]カバレ

<カバレ農村地区から中心部へ向かう道>

<農村地区の庭先のお子さまたち>

なだらかな丘が続くウガンダ農村部は緑が美しく、多様な大型鳥が車窓から見られた。

国境近くの小さな町カバレは中心の通りを外れるとすぐ農村地帯で、道で行き交う人々の多くが静かに私に挨拶していく。肌寒さを感じる朝霧の中、気持ちの良い散歩だった。

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またもや予想外の長時間移動。ガイドブックによると5時間のはずが、特に故障などのトラブルもなく9時間(あとでルート距離をみると400kmなので9時間は妥当)かかった。更にこの大型バスは午前11時に発車したのに食事休憩もトイレ休憩もない。ニジェールやマリのちんたら走るバスでは客の乗降による停車時、検問時など、少なくても男性ならいくらでもトイレのチャンスがあるのだが、ケニアやウガンダでは停車してもすぐ発車するので用を足すことが許されない。トイレが可能だったのはカンパラ出発直後の給油時と、それから5時間後、ある乗客がもう我慢できないと強く訴えたことにより行なわれた道端臨時停車のみ。

通常5時間の距離だから休憩がないのかと考え、もう着くだろう、もう着くだろうと思いながら9時間。トイレにいつ行けるかわからないので、いつものことながら、乗車3時間前から到着まで飲まず食わず。大型バスといえども車内の乗客密着度が高く、常に隣の人と強く押し合っている。比較的楽に旅ができると言われるウガンダなのだが、アフリカの移動はつらい。

実際はどの交通手段を選ぶかであたりはずれが大きそう。
ケニア国境からカンパラまでのミニバス(ここではTaxiと呼ばれる)が定員乗車で楽だったのだが、ウガンダのミニバスはとんでもなく人を詰め込むというネット情報をカンパラで見てしまい大型バスにした。しかし、少なくとも私の乗車したHorizonという会社ははずれだった。バス会社のオフィスが分散していて、どのバス会社にどこ行きの便があり、何時に発車するかを足でたずね歩くだけで大変。
バスの良し悪しを選ぶ余裕などない。

<参考図書>地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017

<たびメモ>

「歩き方」にこの町が載ってなかったので、バス停の目の前にあったVisitour Hotelに部屋を取る。トイレ・シャワー付のツインで500円強。枕とタオルが臭かったことと、トイレに未使用コンドームが積み上げられていたこと(娼婦らしき人おらず)以外特に問題なし。シャワーはお湯がちゃんと上から流れ落ちる。1階の食堂で2食分の量を食べて200円強。地方の物価はかなり安い。

[ウガンダ/ルワンダ国境]Katuna(Gatuna)

カバレからキガリまでの道は景色の良い峠を越えていく。峠を挟んだウガンダとルワンダで土地利用が変わるのが面白い。

<国境越え詳細(ルワンダのアライバルビザ情報)>
  • カバレから国境の町カツナのイミグレ近くまで(区間)乗り合いカローラが頻繁に出ている模様。約20分で着く。
  • 出国カードを書かせられるが、それ以外はスムーズに出国処理完了。
  • ウガンダのイミグレーション(出入国審査場)からルワンダのイミグレまで歩いてすぐ。
  • ルワンダのイミグレで入国カードに記入してルワンダビザ申請。シングルエントリーのみで60$。写真不要で10分程度で発給。
  • ルワンダ入国時には税関による荷物チェックがあり、ビニール袋持込禁止のため全て没収されるという噂だったが、私は税関チェックをパスしてしまった。(イミグレーションから先に進みミニバス乗り場手前に税関があるが、イミグレの側に停まっていた大型バスに乗ったため)
  • 乗客の税関が済み出発直前の大型バスに乗せてもらい、キガリまで(ルート)約1時間半。KAMPARA COACHのバスだったが、横一列が2+2の4人掛け(通常は2+3)で通路に人もなく快適なバスだった。但し、カンパラ深夜発の夜行バスと思われる。
<ルワンダ基本情報>

[首都]キガリ、 [通貨]ルワンダ・フラン(2008年11月, 1フラン = 約0.17円)
[公用語]英語、フランス語、キニアルワンダ語、 [宗教]キリスト教94%、イスラム教 5%
[入国ビザ] 必要、国境でシングルエントリービザ取得(60ドル)、
[歴史/概要]
17世紀にルワンダ王国建国。1889年にドイツ保護領となるが第一次大戦後はベルギーの信託統治領となる。1962年の独立以前からくすぶっていたフツ族(85%)とツチ族(14%)との争いが、1994年の大統領暗殺をきっかけに大虐殺となり、100日で80万人以上が犠牲となる。その後は二度と悲劇を繰り返さないよう部族という概念を捨て、平和を目指し現在に至る。
コーヒー、茶を主要作物とする農業が盛んで、農林漁業が労働人口の90%を占める。
国土全体が山や丘、湖に覆われ「千の丘の国」と呼ばれる。

[ルワンダ]キガリ

<キガリ中心部付近>

来てみて、触れてみないとわからないものだ。
1994年にツチ族とフツ族の争いで大量虐殺が行なわれていたルワンダの首都がこれほど洗練され華やいでいるとは、人々がこんなに大人しく暖かみがあるとは思ってもみなかった。

東アフリカに来て、西アフリカとのギャップに驚いているが、キガリはケニアやウガンダと比べてもあらゆる面で更に洗練され、アフリカらしからぬ街である。

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例えば、バイクタクシーのドライバーはみな制服のジャケットを着て、ヘルメットをかぶり、客にもヘルメット着用が義務付けられる。
路上で調理して食べ物を売る店がない。食堂の食べ物に野菜が多く、先進国なみの普通の料理が多い。
環境への配慮からビニール袋の使用が禁止されている国だから、『どこでもトイレ』や『どこでもゴミ箱』などは許されない。アフリカの都市における空き地や用水路にみられるゴミ溜め状態がなく、非常にクリーン。
交差点で車が停車しても物売りが寄ってこない。
大量虐殺の影響による肢体不自由な人が大勢物乞いをしているのではと思っていたが、特に他の国と比べて多いことはなく、たまたま見かけた人たちは物乞いなどせず、不自由な体で元気に動き回っていた。
東アフリカに来てから黒人以外の現地人をみかけるようになったが、キガリはその数が増えた。

小さなやさしい声で話す人が多く、感覚的に日本人にぐっと近くなっている。
「チャイニーズ」とか「シノワ」(ルワンダでは現地語以外に英語とフランス語が公用語)と呼びかける声が、今までの国のような罵声に聞こえず軽い挨拶に感じるため、私も無視せず手を上げたりして反応する。今までの国では、日本人に対していきなり「中国人!」と罵るとは何事だと思っていたのだが、キガリの人々の表情を見ていると、「これはこれはおめずらしい、東洋のお方ではないですか、我々の国にようこそいらっしゃいました」という気持ちが「シノワ」にこめられているように感じてしまうのだ。

私が駐車中の車のドアに寄りかかってぼうっとしていた時、その車の運転手が無言で私の腕をそっと触り、彼がドアを開けようとしていることを知らせた。他の国ではまずでかい声で「どけ!」と言い更に強く体を押されたりするものだが、その運転手の行為が日本人に非常に近いなあと感じたのだ。

<ルワンダのキャッシング情報>

西アフリカからずっと今まで旅した国は全てVISAカードでATMからのキャッシングが可能だったが、ルワンダではダメだった。

銀行の数が異常なほど多く、ほとんどの支店にATMが設置されVISAマークも表示されているのだが、どの銀行の機械で試しても出金できず、銀行員が言うには窓口でのみVISAキャッシングが可能とのこと。
銀行巡りをして尋ね歩いたところBancorという銀行でのみ窓口キャッシングが可能ということがわかり、3.5%の手数料でキャッシングできた。(現在はATMで日本発行のVISAカードによるキャッシング可能なもよう:2012年6月)

それにしてもキガリの銀行店舗は洗練されていて驚いた。日本の地方銀行よりも余程あかぬけていて、入口で受付係が用件を聞いた上でカウンターに案内したり、来店目的に応じて番号札を機械から発行するような店舗がいくつもあった。

[ルワンダ]ブタレ

<町中の2つの教会(2枚組)

町はずれにある博物館は評判が良いようだが、確かになかなか頑張っている。私は十分楽しめたが、ほとんど藁と木で作られたものしか展示されておらず(館内撮影不可)、アフリカのお宝ってこんなもんなのかよと一般の人々は思ってしまうだろう。

ルワンダ国内の他の町と同様、ここブタレも丘の上に町の中心部が小さくまとまり、周囲に広がる農村から急な斜面を登り降りする村人の姿があちらこちらにある。豊かな自然と生活が融合した景観が見られる私好みの町だ。
しかし、なぜか絵になる景色がみつけられず、教会の2枚の写真でごまかすこととする。

[ルワンダ]ギコンゴロ

<メモリアルセンター航空写真への道からの眺め>

ブタレから30km、ジェノサイド(集団殺戮)のメモリアルセンターがあるギコンゴロに入る。
ギコンゴロまでの道は、丘というか小さな山が途絶えることなく現れ、道沿いの傾斜には耕された田畑が延々と続き、ある一定間隔に集落がある。
ルワンダに入ってから今まで通ってきた幹線道路でもずっと同じような景観が続いていた。人間が手を加え続けることにより美しさが保全された里山がルワンダ国土中に広がっているようだ。

メモリアルセンター(航空写真参照)はどのように評価したら良いだろうか。アウシュビッツのようなコンクリート造りの長屋がいくつかあり、室内に悪臭のする死体が積み重なっている様を見せてもらうだけ。あと法廷だったという小さな建物も見せられたが、同行するスタッフからの詳しい説明はなく、写真やパネルなどでより理解を深めてもらおうという気は全くないようだ。
センター周辺の自然は美しい。道を行きかう人々は平和な顔をして、私に笑顔を見せたり挨拶をする人も少なくない。
インパクトがあったがよく理解できなかったので、帰ってからルワンダのことを少し調べてみよう、そんな気にさせるのがメモリアルセンターだった。

<メモリアルセンター近くの民家>

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ほぼ体調が回復した。長かった、約3週間、病んだ体にアスピリンを与えながら旅を続けていた(途中3日間は完全に休養)ことになる。
それで、久しぶりに歩き回り、これぞというビューポイントを探し、子供をはじめとした地元民との触れ合いや出会いを求めたのだが、ほとんど不発だった。
どっちに行けばいい景色がありそうだとか、気さくな住民たちが出迎えてくれる集落がありそうだとか、勘を働かせながら歩く必要があるのだが、全く機能していなかったようだ。
清潔感があり、気持ちが通じやすい人が多いルワンダはとても好きになりそうな気がしているのだが、私との相性がよくないのかもしれない。

<ルワンダめも>
  • マリなみかそれ以上に顔の造りは良くない。しかし、内面は穏やかで日本人の感覚に近く、アフリカ人らしくないという人を多く見かけた。
  • 女の子の頭がほとんど丸刈りできつい顔をしている子が多く、識別が難しい。スカートを履いているから女なんだろうなという程度。逆にやさしい顔をしてピンクの服を着ていた男の子を女の子と間違ってしまった。
  • 私が旅した12月は日中ほどよく暑く、朝晩ほどよく涼しい。扇風機不要でシャワーにお湯が必要という気温。
  • 道は良い。ウガンダやケニアとは比べものにならない。国中ほとんどに起伏があり、坂道だらけで下りではいくらでもスピードが出るのだが、多いときは5km間隔ぐらいに警官がいて、スピード違反を取り締まっているようだ。私が乗っていたバスの運転手が1時間に2回捕まりそれからはおとなしく運転していた。
  • バイクタクシーは運転手だけでなく客もヘルメット着用が義務づけられていて面倒。ハイエースの乗り合いミニバスは助手席でシートベルト着用を運転手から要求される。しかし、最前列真ん中の席はシートベルト不要。
  • フランス語と英語が公用語で、銀行員などそれなりの職に就いている人は英語を難なく話すが、バイクタクシーの運ちゃんや安宿の主人はフランス語なら問題ないが英語はカタコトといった感じ。子供はフランス語のみが多い。よって、私のように旅行仏会話ならなんとかというレベルの人は結構楽しめる。
  • 幹線道路沿いは一定間隔で集落があり、家々が集中せず点在している。唯一の大都市キガリでも人や車、建物などの密集が見られず分散している。国土の計画的土地利用はお見事としか言いようがない。
  • 幹線道路をぞろぞろと歩いている人をあちこちでみかける。そんなに歩く用事があるのか、比較的発達している交通機関をなぜ利用しないのか、不思議で大きな疑問だった。
  • ブタレからキガリまで日本のマイクロバスにあたる中型バスが4社以上運行しているのだが、ほとんどが30分間隔で驚異的なことに定時運行している。
  • どこも似たような景色で3日いれば飽きるかもしれないが、アフリカにしては異常に規律正しく清潔な国ルワンダは一見の価値あり。国境周辺の治安が安定すれば、自転車でゆっくり旅するのが楽しいかもしれない。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[ウガンダ]ジンジャ

<マーケットの野菜売り場(服装、商品、売り方に特徴がなく面白味がない)

<柔らかな表情と険しい表情の姉妹(同一姉妹の2枚組)

ビクトリア湖から流れ出るナイル河の源流があるジンジャ。
ビューポイントに行き、あそこが源流だと教えられたが特に美しい眺めがあるわけでもなく感動は薄い。
源流から数キロ下流にあるブジャガリ滝も見に行った。水量が多く迫力あるが、うーん、こんなもんかという感じ。

ウガンダ観光はゴリラでも見に行かないと満足できないかもしれない。

ウガンダはカメラへの抵抗があまりないようだが、女性に「撮ってもいいか」と尋ねると、大人だけでなく子供にまで拒否される。
それでも西アフリカより撮影のチャンスがずっと多いのだが、西アフリカと比べるとマーケットや農家などがごく普通に見えてしまうので、あまり撮影意欲が沸かない。

<ウガンダめも>
  • カンパラからルワンダ国境までの幹線道路はほぼ舗装しているが穴が多く、ニジェール、ナイジェリアなみの悪路で、ナイジェリアなみに飛ばす車が多い。カンパラからジンジャ(区間)のみまともな舗装道でジンジャからケニア国境(区間)まではコースによって恐ろしく荒れる。
  • バスの出発時、運転手が乗り込みエンジンをかけ、今でるもうでるというフリをしながらなかなか発車しない。ムバララからカンパラに向かう大型バスがちょろちょろ移動しながら路上で客集めして2時間近く出発しなかったのは呆れてしまった。
  • 東アフリカのホテルはどこもチェックアウトが午前10時なのが気に入らない。(西アフリカは12時か13時)ジンジャの宿代千円ちょっとのホテルは9時だった。チェックアウト後に安心して荷物を預けられるような宿に泊まっていないと、午前中観光して午後移動ということができなくなる。
  • ATMの数は多く、VISAカードのキャッシングは数台に1台ぐらいが可能。
  • 食事は特に美味しいというほどではないが、ケニアと比べ全般にまともだった。カンパラはインド料理がうまかった。
  • カンパラ以南の地方は牧草地が多く、角の立派な牛が多い。
  • 体のでかい鳥(サギやハゲコウなど)が多い。
  • 人は穏やかで悪くないと思う。特に親切ということもないが、嫌な人には会っていない。
  • なかなか発車せずトイレ休憩のないバスでの移動の辛さやカンパラの密集度の高さから受けるストレスを考えると、あまり面白味のないこの国を敢えて旅しようとは思わない。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[ケニア]ナクル

<宿泊したホテル前の瓦礫で行なわれる路上売り風景>

夜10時ごろ到着したので、周辺の状況を把握しないままガイドブックお勧めのホテル(Pekars Lodge)に泊まったのだが、ホテル前の敷地が爆撃されたかのようにビルが崩壊していた。夜は瓦礫の中で焚き火がたかれ、(いったいどういう種類の人々か不明なのだが)午前3時すぎまでお祭りのように騒いでいる。そして、大声での会話が朝まで続き、通りに面した部屋は寝られたものでなかった。
朝になると瓦礫周辺にいくつも店が出ていて、アフリカらしい光景を部屋から眺めることができた。

<参考図書>地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017

<メネンガイ・クレーター>

ケニアらしい自然を眺めたいと思いナクルに来たのだが、どうもイマイチ。
フラミンゴで有名なナクル湖だが、雨季の4月ごろでないと見られないということで、タンザニアのンゴロンゴロに次ぐクレーターだというメネンガイ・クレーターに行く。
クレーターだと言われればそんな気もするという程度の不明瞭さで、ビューポイントからの眺めはそれなりに良いのだが特に絵になる景色はない。

ケニアの実力はこんなもんじゃないでしょ。やはり高い金出して国立公園内に入らないといけないのかもしれない。

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キスムからナクルまで(区間)の道はとんでもなく荒れている。

ジンジャからキスムまで(区間)は定員超オーバーのぎゅう詰めミニバスで合計6時間(出発待ち時間含む)。すでに体がギブアップぎみだったので、キスムから夜行列車でナイロビに入ろうとしていたのだが、ナクルまで定員乗車の急行マタツ(ハイエースの乗り合いミニバス)があるとキスムのターミナルで言われ、シートや膝周りにゆとりのある楽そうな席を選び乗車することにした。

客集めに1時間半待たされて出発したが、定員乗車なので尻、膝、腰の痛みがない。これであれば数時間は耐えられそうだ。久々の当たりだと思っていた。
しかし、客がどんどん降り席が空いてくると不安になってくる。案の定、半分も走っていない1時間半後、私は、別のマタツに有無を言わさず乗り換えさせられた。客が少ないため急行の運行が取りやめになり、またしても、ぎゅう詰め各駅停車のマタツに乗ることになってしまった。しかも、そこからナクルまでの道は今回の西アフリカを含めた旅の中でも最も酷い悪路。2時間強、尻、膝、腰の苦痛に耐えるしかなかった。

当たりくじを引いたと思ったらすぐ取り上げられ、はずれくじをつかまされてしまった。アフリカの旅に当たりなどないと思っていた方が良い。

<ケニアの再入国ビザ情報>

ケニアのシングルエントリービザで隣国タンザニア、ウガンダに出国してもビザ有効期限内であれば再入国可能だが、ルワンダに出てしまうとケニア再入国時にビザを取り直す必要があるとガイドブックなどで言われている。
ナイロビの空港でアライバルビザ申請時に係官にルワンダに行く予定があるのでトランジットビザかマルチビザにできないかと問い合わせたところシングルビザで再入国可能だといいかげんに答えられた。

ウガンダからケニアへの再入国時、ケニアのシングルビザのページを開いて係官にパスポートを提出すると他のページをチェックすることなくビザの上に入国スタンプを押した。(ケニア出国時も同様にパスポートの他のページのチェックなし)
これであれば、ルワンダだけでなく他の国に出国していても陸路でウガンダから入国する限り、シングルエントリービザでケニアに再入国可能のような気がする。(規定上は不可かもしれないので、運が悪いと50$のビザを取り直さないといけないかも)

[ケニア]ナイロビ

<ナイロビ中心部付近(2枚組)

ナイロビはさすがに今回訪問した都市の中で最も洗練されており、写真を撮っていても、何をつまらんものにカメラを向けているんだぐらいにしか見られていない。アメリカの地方都市にでもいるような気分だ。

≫続きを表示(ナイロビは安全?2)

ナクルからのマタツがダウンタウンに入る前に降りて、地図を見ながら荷物を持って中心部近くの安ホテルを目指したが特に問題なく辿り着いた。
「歩き方」には日中でも街を歩く時は貴重品を全てホテルに預け、複数で行動することと記載されているが、それほどの危険があるとは私の肌では感じられない。

また、国立博物館にはタクシーで行くこととして、他の交通手段が記載されていないだけでなく、ガイドブックの地図範囲外になっていてどのぐらいの距離があるのかも書かれていない。
ホテルのフロントで尋ねると、タクシーでなければ歩いて行けば、という応えなのでそれらしき方向に歩いた。1km程度と十分歩ける範囲内に博物館があり、行きは歩行者のいない道で変な男に出くわしたので帰りはコースを変え、ナイロビ大学前を通る道を安全に歩くことができた。(行きに通った幹線道路沿いは旅行者が襲われることがあるという別の情報もあったので、博物館へはミニバスかタクシーで向かった方が良いでしょう)

<中心部にある絵になるモスク>

その後も中心街周辺を何か面白いものがないかと訪ね、あるいはネット屋を探して歩き回ったが、日中でかつダウンタウンに入らない限りは1人でカメラを持って歩いても問題ないようだった。(たまたま私が危険を感じなかったというだけでなく、ホテルや土産店で問題ないと言われ、親切なナイロビの人たちが誰も注意をしてこなかったというのが根拠)
ただし、土産店やネット屋などは夕方5時や6時のまだ明るいうちに店を閉じるので、暗くなれば多少危険な街に変わるのかもしれない。

≫≫ナイロビは安全?1へ

<参考図書>地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017

<ケニアめも>
  • ケニアは自然、人、衛生面などは想像していたよりもずっといいなと感じる反面、異常なほど荒れた道路、客引きや物乞いのしつこさなど耐え難い部分も少なくなく、旅するのに良い国か悪い国か判断が難しい。
  • ケニアからナクルまで(区間)は先進国なみの道路なのだが、ナクルからキスムまで(区間)が、アフリカといえど交通量の多い幹線道路にこんなのありかよという悪路。ところどころできれいに舗装された道路となり、そのような区間には検問がいくつもあったので、テロ対策として意図的に悪路を維持していると思われる。
  • ケニアではネット屋での接続が1度も行なえなかった。ネット屋の数が少なく、ナイロビ以外の街でも夕方6時ぐらいには閉めてしまうようで、苦労して店をみつけても開いていない。結局、2軒だけ入れたのだが、自分のPCへのネット接続は断られた。(ウガンダとルワンダはネット屋が多く、現地の若者で賑わっていた)
  • 食事はうまいものに当たらなかった。なぜか何を頼んでもほとんど味付けしていないかのように薄味で、客に与えられる調味料は塩こしょうとケチャップぐらい。地元の人たちは塩をたっぷり振りかけて食べているが、中華だろうがアフリカンだろうが全て塩味のみというのは厳しい。ただ、ナイロビの大衆食堂での百円ちょっとのスペシャルランチ(右写真)は多様な野菜、豆類が盛り合され、緊張して食べたが、慣れれば美味しく食べられそうな代物だった。
  • ナイジェリアには遠く及ばないが、検問が多い。
  • マタツ(乗り合いミニバス)が同じ行き先で客を取り合うのが非常に気に入らない。マタツは満席にならないと発車しないのだが、5台も6台もが同時に客集めをしているためなかなか発車できない。地元の人はどの車がすぐ出そうかを判断して乗車しているようだが、旅行者は強引な客引きを受け、客の集まりが悪い車に乗せられる傾向にある。ウガンダ、ルワンダも含め他の国ではひとつの行き先に対して客集めをしている車は1台しかなかったので、ケニア独特のしくみを理解するまで時間がかかった。
  • これぞいかれたアフリカ人というタイプをケニアに来て見かけるようになった。(夜通し外で騒いでいる人たち、マタツのスタッフが客待ちしている間に大音響の音楽に合わせてクラクションを鳴らし続ける、意味もなく外から車体を叩きながら客集めする人など)
  • 1500円(1,200シリング)以上出せばまともな宿に泊まれる。千円(800シリング)以下でもなんとか。どの宿もお湯が出て、朝食の有無を選べる。
  • VISAキャッシング問題なし。
  • 朝は20度以下に冷え、道は良く清掃されているため、朝の街歩きは気持ち良い。
  • ケニアに来て中国製蚊取り線香が効かなくなった。日本から持参した蚊取り線香がなくなりニジェールで中国製を買った。これも日本の香取線香と同様に煙で蚊を殺しはしないが、人を刺す意欲をなくさせるものだったのだが、ケニアの蚊は煙が出ている最中でもブスブス刺してくる。ケニアでは全ての宿に蚊帳があった(千円以下の宿は穴だらけ)ので蚊帳に入った。
  • 施設の入場料は他の物価と比べ内容の割に高い。特に大した陳列物のないナイロビの博物館が千円以上したのには驚いた。
  • ナイロビの渋滞はガーナのアクラと同様でスムーズに走っていたかと思うとピタリと止まり、また調子よく走り出したかと思うと全く動かなくなる。これは交通量が多すぎるためラウンダバウト(ロータリー交差点:航空写真参照)に信号を設置しているため渋滞になるのが原因。通常の交差点では対向2方向が青になっているのに対し、ラウンダバウトでは1方向しか青にならず、青になってもロータリー上に車が残っていると進めないため、信号待ち時間が四辻の交差点と比べて倍以上になってしまう。交通量の多い交差点にランダバウトのメリットは(たぶん)何もない。どこかの国に余計なものを造られてしまったものだ。早急に取り壊すべき。
  • 結論として、治安の問題がなければケニアには長く住んでいられそうな気がするが、旅行を楽しむためにはかなり金をかける必要がある。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

西アフリカ/東アフリカのまとめ

今回は7週間のうち3週間も肺炎もどきと中耳炎に苦しんでいたため、まともな旅ができたとはとても言えない。『マイナースポット』を紹介する旅というつもりだったのだが、体調不良で次の観光地を逃していたこともあり、お勧めできるスポットをほとんど見つけられなかった。
=≫ アガデス、ザンデール(ニジェール)、ボボデュラソ(ブルキナファソ)、ドゴンのトレッキング(マリ)
とはいえ、訪問した11ヶ国が(自分が移動した範囲内で)旅をして良かったかどうか順位付けすると以下のようになる。

1.マリ
ニジェール河は美しく、女性たちの服はきらびやか。ドゴン周辺の景色が秀逸。
2.ニジェール
殺伐とした農村で明るく生きる女性たちの姿が美しい。粋な男たちも魅力的。
3.ルワンダ
どこまでも続く里山に見とれる。ゴミがなく人が親切で移動が楽。
4.ガーナ
刺激的な市場、そこそこある観光スポット。人は親切で移動が楽。
5.コートジボワール
多くの地域が未知数だが人が良く食べ物美味く移動が楽。
6.ブルキナファソ
ニジェールのような素朴な自然に洗練された町の組合せ。バイクも多く中途半端。
7.トーゴ
ロメの市場は刺激的だったが、他に見どころなさそう。
8.ケニア
高額な国立公園を避けたため見どころがなかった。移動が厄介。
9.ウガンダ
移動がつらい。首都の密集度高い。もう行きたいとは思わない。
10.ベナン
排ガスがひどく移動、宿、食事に苦労。小ナイジェリアのよう。
11.ナイジェリア
猛烈な排ガス、悪徳役人、電気は止まり、見どころなし。二度と行かない。

少なくとも上位4ヶ国と下位3ヶ国は明確。マリとニジェールは何でもない農村の景色が素晴らしく、すぐにでもまた行きたいくらい。他の国は人の良し悪しや移動の困難さ度合いが評価に大きく影響している。

今回のルートでホテルに泊まりながら旅する限り、アジアの旅と同様の持ち物で十分で寝袋などは不要と思われる。ただし、マラリアだけが心配なので防蚊対策が必要で、蚊取り線香が蚊を殺さないのならば殺虫スプレーが欲しいと思っていた。また、ナイジェリアに行く場合は防塵対策が必須。

ブラックアフリカの人々は粗野で動物的にもみえるが、人間臭くたくましさを感じさせるところに惹かれていた。しかし、ほんの少しだけ彼らに近づいてみると、親切で思いやりのある人が多くいることに気づく。
まともな観光スポットは少ないが、アフリカの自然や生活を見て人に触れる旅は大いに魅力的だと思う。

<参考図書>

Lonely Planet West Africa (6th Edition)=>最新版 West Africa (9th Edition)
地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017

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