[ケニア]キスム

<キスム中心部付近の2人乗り自転車タクシー>

ケニアでは野生のキリンを見られれば十分かなと思っていたのだが、空港周辺の柵で囲まれた公園にキリンがうじゃうじゃいて驚いた。

ナイロビに早朝着き、すぐにバスでキスムに移動(区間ルート)したが、雄大な車窓が広がり、乾燥地域のマリとも熱帯のガーナとも異なる景色にみとれる。

今のところ、人は概ね良い。西アフリカでも感じたアフリカ人の親切さ礼儀正しさを持ち、英語をいやみなく使い、私のつまらぬジョークに明るく反応する。

西アフリカの国々とは異なり、我々の感覚からかけ離れた部分が少なく、食べ物も常識的な清潔さが保たれ、アメリカやオーストラリアなどにある安飯程度のものはどこでも食べられそうだ。

キスムは中心街らしき通りをひととおり歩き、キスム駅とビクトリア湖へ出る船着き場(航空写真)をのぞいてみたが、見どころはみつからなかった。

アフリカ人らしい生活に触れるという点ではもの足りないかもしれないが、西アフリカから軽い肺炎と中耳炎を抱えたまま移動してきたため、ほっとしている。(写真のやる気のなさは町のつまらなさだけでなく、体調の悪さを表している)

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『地球の歩き方』によると、ナイロビを始めとしてケニア各地は危険のため個人旅行を勧めないとしている。ケニア空港から市内への移動は絶対にタクシーを利用することとあったので、最低限それだけを守ることにした。

タクシーの運転手に、外国人が市内を1人で歩いたり乗り合いミニバスに乗ったりすると襲われる危険があるのか、と尋ねたところ彼は激昂した。

「そうやって、あんたらはアフリカは何でもかんでも危険だ危険だと思い込む。見てみろ、街の様子を。今、ナイロビの中心部だ。通りを歩いている人々を見てみろ、どこに危険がある。どこに襲いそうな悪人がいる。アフリカだって犯罪が発生すれば警察がすぐ犯人を捕まえる。危険な街を女性や子供たちがあんな明るい顔をして歩くか。よくみてくれ。そして、あんたが国に帰ってからナイロビは危険でなかったと証言してくれ」

それまで話をしていて信用できそうな男だなと思っていたのだが、意外な反応に驚いた。本当に危険な街では、まともなタクシードライバーやホテルのスタッフが旅行者に対して真剣に注意してくるものである。

確かにこの運転手の言う通り穏やかな街にしかみえなかった。しかし、強盗というものは普段どこかに潜んでいて、金のありそうな人が歩いてくると突然現れるものではないのか。

タクシーの運転手は親切にも建物内にあるバスのチケット窓口までついて来てくれた。その会社ではしばらく出発するバスがなかったため、別のバス会社に向かうことにして2人で車に戻ってきた。その時、運ちゃんはタクシーのドアがロックされていなかったことを私に見せ、ほら、鍵を開けたまま車を離れても何ともなかっただろと咆えていた。ロックしなかったのは彼が意図したことかどうかわからないが、スリの多いバスターミナル周辺で何事もなく済んだのは奇跡的なこととしか思えないのだが。

バスがみつかり、車内に乗り込んで荷物を網棚にのせると、車掌がロック、ロック、鞄の口をロックするだけでなくチェーンで鞄と支柱を結びロックしろとしつこく言っていたので、やっぱり他の街より危ないんじゃないの。

中米旅行中、利用していた『地球の歩き方』に中米の大都市はどこも危険だとさんざん脅され行動を制限してしまったが、例えばメキシコシティとナイロビではどちらがどれだけ危険なのか指標になるものはないのだろうか。私が体を張って試しても良いのだが、確率の問題でもあるので、1人の結果だけでは参考にならないのだ。

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<参考図書>

地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017

<たびメモ>

キスムには自転車タクシーがあった。自転車の荷台にクッションが敷かれ、バイクタクシーのように運転手の後ろに客が座るスタイルなのだ。

アジアの各地に自転車を使ったタクシーがあるがサイドカーか自転車の後ろに荷車を引かせるタイプしか見たことがない。荷台に座るだけというのは初めてだ。

男性が自転車に2人乗りして高速で走り抜けていく姿があちこちに見られるのは異様だった。

市内近距離(1~2km)は30円ぐらいのよう。街中の大きな角には数台の自転車タクがたむろしている。

<ケニア基本情報>

[首都]ナイロビ、 [通貨]ケニア・シリング(2008年11月, 1シリング=約1.3円)

[公用語]英語、スワヒリ語は国語、 [宗教]伝統宗教、キリスト教、イスラム教

[入国ビザ] 必要、ケニア空港でシングルエントリービザ取得(50ドル)、国境でも取得可能

[歴史/概要]

7世紀ごろからアラブ人が定住していたが、18世紀にはアラブ人の影響力が内陸部まで及び奴隷貿易や象牙貿易が活発になる。19世紀末にはイギリス領東アフリカとなるが1963年に独立。その後、(2008年2月に大統領選後の暴動が起きているが)他のアフリカ諸国にみられるクーデターや内戦などなく現在にいたる。

コーヒー、綿花、とうもろこしなどの農業が労働人口の6割を占めるが、製造業も盛ん。野生生物が生息する国立公園が多く観光にも依存している。赤道直下に位置していて、インド洋やヴィクトリア湖沿岸は年間平均気温26℃の熱帯性気候だが、国土の大部分が標高1100-1800mの高原のため年間平均気温19℃の乾燥した高原サバンナ地帯となっている。

オバマ第44代米大統領の父はキスム北西60kmのコゲロ村出身。他にはヌデレバ、ワンジルなどマラソン選手が有名。

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