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[ナイジェリア]カノ

kano

<ナッツ売りのショウジョ/路地のお子さん>

kano

<カノ旧市街でコーランを勉強中の子供たち>

ナイジェリアはギブアップ。街中が白煙にけむる排ガスに目鼻と喉が耐えられない。
そして電気が止まる。博物館に入っても暗くて屋内展示物が私の目にはほとんど見えない。博物館スタッフは、少なくとも日中はほぼ1年中電気が供給されないと言っていた。(それなら自家発電しろよ)

そして、夜になっても電気が止まっているからホテル(今日のホテルは自家発電あり)の近くの店に買い物に行くのにも危ないってもんじゃない。道には歩行用のスペースがなくバイクや車をよけ、深い下水溝を何度もまたがなければならない。歩くだけでも大変でスキだらけなのだが、私からは何も見えない暗闇から何度も嘲笑を伴った声がかけられる。いつ襲われても不思議でない。

こんな状態で暴動も起こさず暮らしているナイジェリア人の忍耐力たるや相当なものだ。
=>(後日談)私が出国した1週間後にカノ - イバダン間にある街ジョス(Jos)で数百人の死者が出る暴動発生。苦難な生活を強いられている人々は、何かきっかけがあると不満が噴出して暴動となる傾向がある。

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昨日、オソボから16時間かけて移動して、カノのターミナル到着が夜中の0時半になってしまった。かなりふっかけてくるバイクタクシーの料金を値切っているうちに選択の余地がなくなり、面構えの悪い男の車に乗ることになった。(運転手を選ぶ際に面構えの善し悪しは非常に重要)

街の中心部に入ってくると車も人もほとんど通っていなかったが、暗闇で懐中電灯を上下に小刻みに揺らしバイクを止める検問が大きな交差点毎にあった。
3つの検問を無事通過して、ホテルがすぐ近くの4つ目の検問で、警官が明らかに賄賂を要求するしぐさをしながら英語か現地語を発した。何を言っているかわからんと伝えると、彼ら5人ぐらいのリーダー格の警官が出てくる。その警官は手荷物検査と称して暗闇の中、バイクのシートの上でバッグを開けさせる。この嫌がらせに耐えれば通過できるかと思ったが、検査後その男はわかりにくい英語で話しかけてくる。理解できた内容は次のようなことだった。
「私たちはこんな夜中に検問をしてあなたたちの安全を守っている。あなたに家族がいるだろうが私にも家族がいる。あなたと私は一つだ」
賄賂を要求しているとしか考えられないが、筋が通っていないのでso what?なのだ。

私が「じゃあ夜遅いのでホテルに行くよ」と言うと酒臭い息をはく男はまた同じ話を始める。彼の話が終わる度に「あんたの言っていることは意味がわからん」と言うことを5回ぐらい繰り返しやっと通過できる。脅迫されてはいないが、深夜に30分近く足止めさせるという性質の悪い警官である。

この手のアフリカ役人は賄賂で稼いで豪勢な生活をしているかというとそういう訳でもなくて、役人だというだけで近親者からたかられるため、その分を賄賂で賄い続けるのが大変なのだという。

この酔っ払い警官の場合、もっとかわいらしく金を要求していれば、「君、そんなにお金欲しいの?あんまりあげるとまた酒飲んじゃうから百円でいいかな。5人で仲良く分けてね」と早めにあしらっておいた方が結果的良かったようだ。しかし、明確に要求されていないのにこちらから金を差し出すなど旅人のはしくれとしてできる訳がない。

警官とやりあっている間、バイクタクの運ちゃんはじっと動かずに待っていて、私が解放されるとホテルに連れて行き、閉じられた門の外から何度も怒鳴りつけスタッフを起こしてくれた。
なかなかいい運ちゃんで助かったと思い、40円のチップを上乗せした200円を差し出すと、彼はみてくれ通りの男に豹変した。
「そんな額受け取れるか。今、1時半だぞ。こんな深夜に検問でどれだけ待たされたと思っているんだ。千円だせ」
深夜のホテル内に響き渡る声で要求してきた。

私は16時間の移動で疲労困憊していたが最後の力を振り絞り、キレてみせる。
「何言ってるんだ、乗る時に決めた額は160円だぞ、そんなこと言うならそれ以上は払わん。だいたい検問で足止めさせたのは警官だ。みんなあんたの国の警官だからな。外国人の私は被害者なんだぞ。あんたが足止めされた分の金を取りたいのならな、あの酔っ払い警官に要求しろ」
そう言って160円を差し出すと、彼は苦虫を噛み潰したような顔をしながらすごすごと腕を伸ばし、金を受け取るとそのまま立ち去った。
激昂した彼の形相からてこずるかと思っていたが、悪人面のナイジェリア人も話せばわかるではないか。(英語が通じるのが大きい。まあ、このドライバーは悪い人ではなかったのだろう)

役人の賄賂体質は国民ひとりひとりが努力して変えていかねばならんのだよ、と説教をたれたかったが、そこまで英語が続かなかった。

<たびメモ>

オソボからアブジャ、カドゥナ経由でカノまで行く(たぶんこんな感じのルート:+で1つ拡大)乗り合いワゴンのターミナルを町歩き時にたまたま発見。2,800Naira。朝8時にHotel Terminus International前を発車。相当うまくいって14時間か。私の場合、30分遅れで出発、乗客が減ったため途中で乗り換えさせられ16時間かかって、カノに深夜0時半着。とてもお勧めできないが、アブジャかカドゥナまでは使えないこともない。

<ナイジェリアめも>
kano

<バイクタクシーの群れから白煙が上がる>

  • オソボからカノまでの間、12時間以上同じミニバスに乗っていて食事休憩が1回だけ。トイレは途中で客の荷物を積んでいる間にその停車している付近で済ませるしかない。ほとんど『どこでもトイレ』になり得る。
  • ナイジェリアで2番目に大きいという大都会カノのホテル近くでレストランを探している時、入ろうとした店のオープンテラス入り口で立ちションしている男がいた。この店はやめようと立ち去ろうとすると、その男が声をかけてきてその店の主人だということがわかる。都会だろうと食堂の敷地内だろうと『どこでもトイレ』なのだ。
  • ガーナからずっとだが、相変わらず男は坊主頭ばかり。ベナンとの国境からの乗り合いタクシーにパンチパーマ程度の髪がある黒人が同乗していたが、その男はニジェール人で、検問で警官に目をつけられ彼だけパスポートを調べられることが何度かあった。かわいそうなことに調べられる度に賄賂を要求され、挙句の果てにはお前のせいで何度も車を止められたとタクシードライバーから追加料金をしつこく要求されていた。隣国の訪問者を食いものにするとは何たる極悪人ども。
  • これもガーナからずっと、たばこ吸う人が皆無。
  • こちらの人たちは、「おいっ!」と呼びかける代わりに「プスッ!」と唇をはじいて息を飛ばすことにより、他人の注意を引き付ける。車の騒音でうるさい場合には、喉を震わせ大声を出すよりもプスッの方が伝わり易いようだ。ガーナからずっと気になっていたが、ベナンで耳にする頻度が上がり、ナイジェリアに来てここがプスッの本場(帰国後ネットで調べるとイタリアなどヨーロッパでもプスッが聞かれるとのことで英語でpsstのよう)なのではと感じている。このプスッは外国人の気を引くのにも使われるため、道を歩いているとあちこちからプスップスッという音が鼓膜を攻撃する。声と違ってこの音は点で相手にぶつけられるのだ。何台ものバイクタクシーが連なり低速で走っている時、道端から空気銃が発射されたようにプスッという弾が飛んできて私の近くで破裂した。呼びかけられたのは私じゃないと気づいたのだが、私の前を走っていたバイクタクの客が振り向き、プスッを発した友人に手を挙げていた。使い慣れている人たちにとって、このプスッは大声を出すよりもはるかに有効なのである。
  • ナイジェリア人は決して悪い人やおかしな人ばかりではない。他の西アフリカ諸国同様、親切でやさしい人が大勢いる。西アフリカの中では先進国のせいかどうかわからないが、感覚が日本人に近いと感じる人が他の国と比べて多い。しかし、写真を撮ろうとすると、喜ぶ人、気にしない人、嫌がる人、カメラを向けていないのに怒り出す人など反応が様々で、それが全く読めないというのが非常につらい。
  • 写真に関しては子供たちですら、逃げるもの、怒るもの、喜ぶものと反応がまちまちで疲れてしまう。親に連れられた5歳ぐらいの幼児はカメラを向けると泣き出してしまったが、どうやらこの子はカメラが怖いのではなく黄色人種の私が怖くて泣いているようだった。黒人以外見かけぬ下町の路地をうろついていた私は、日本の農村に現れたボビーのような存在だったのだろうか。
  • ナイジェリアでは、ボビー・オロゴンのように低音で喉の奥を膨らませながらゆっくりと話す人を何人も見かけた。男だけでなく女性のボビーもいた。ナイジェリアには、外見だけでなく話し方までボビー似の人たちで溢れている。
  • ナイジェリアの都心は排ガスが常にもうもうと上がり昼は街が白濁している(上の写真)。バイクタクシーや乗り合いミニバスで街中を移動する際、防塵マスクを付けていないと肺や喉がやられる。現地人は交通整理の警官も含めて、マスクの類をしている人をみかけなかった。バイクタクで信号待ちしている時、背の低い子供が私に物乞いしてきた。前方に停車していたバイクから排出される白煙が、その子の顔にまともに噴きかかっていたが、彼は排ガスを全く気にすることなく話し続けていた。ナイジェリア人は生まれた時からこの排ガスを吸わされ、丈夫な人たちだけが成長しているのだから、外国人が現地人に倣ってマスクをしないでいたら身が持たない。何らかの対策が必要。
  • イバダンとカノで電気のない夜の街を歩き回った。車のライト以外は屋台のろうそくぐらいしか灯りがないのだが、大勢の人々が出歩いている。懐中電灯を持っている人は非常に少ない。私が懐中電灯を照らしながら歩いていると暗闇の中からいろいろな声がかかる。闇に潜む無数の人々から見つめられているようで恐怖を感じる。
  • ガイドブックで少なくともオソボでは両替不可とあり、銀行もない町かと思ったら、大きな銀行店舗がいくつもあり、Dollars Availableの表示がみられた。更に停電中でも稼動しているATMをほとんどの店で設置していていくつかは看板にVISAの表示があったのでVISA出金可能と思われる。他の都市でも銀行店舗はよく目に付き、ATM台数がかなり多い。カノでは店舗外ATMでもVISA出金できたので、少なくともVISAキャッシングを利用する人は両替の心配不要。私は最新2006年版ロンプラの超古い情報(ここ2、3年の間にこれだけのATMが設置されたとはとても思えない)を信用してしまい、いくつも無駄な対策を取ってしまった。
    <参考図書>Lonely Planet West Africa (6th Edition)=>最新版 West Africa (9th Edition)
  • ロンプラ表示の料金と比べて交通機関は6割前後上がっていたが、ホテルはせいぜい1割高くなっている程度。
  • 英語が公用語で、外国人と会話する機会が多い人はまともに話せるようだが、一般の人々の英語はかなりひどい訛りがあるようだ。高校生ぐらいの少年が私に話しかけてくる英語が理解できず、単語を紙に書いてもらったら、想像を超えた発音をしていることがわかり、彼らの英語はヒアリングしないことにした。
  • 2件の宿が満室で深夜のため仕方なく泊まることになったカノのスイートルーム(3,500円)でもシャワーヘッドが飾りモノでホースと繋がってなかったため、バケツの水で体を洗う。
    ≫≫(後日談)これが西アフリカ安宿のスタンダードだと思っていたが、シャワーが必ず壊れているのはナイジェリアとベナンだけだった。どうしてナイジェリアと隣の小国ベナンは何でもかんでも特別にひどいのだろう。(ベナンは小ナイジェリアのよう)
  • 街中の深い排水溝に厚く堆積したゴミを見ていると、この国がまともな状態になることは今の世代にはないような気がしてくる。西アフリカではどの国でも、『どこでもゴミ箱』のように平気でゴミを捨てているが、ナイジェリアは人口密度が高いためにゴミの堆積がどこよりも多い。ゴミを食べさせるためか、街中にやぎが放されているが、とても彼らが食べきれる量ではない。
  • 虚弱な私はナイジェリアでは3日以上生きられない。
    ≫≫この後の日記に記しているが、中耳炎などの症状で3日後に発熱して3週間苦しむことになる。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[ベナン]ポルトノボ

protonovo

<ホテル隣の集落とラグーン(航空写真)

大都市コトヌーは雑然として、バイクが多いため排気ガスが酷い。信号が変わると、ブンブンブンブーンとバイクが一斉にアクセルをふかして車の間の隙間を埋めながら二車線の道いっぱいに広がり、更には歩道にも溢れだす。蜂の大群が車や人を飲み込んでいくようだ。

コトヌーに泊まる気がしなかったので、ナイジェリアとの国境に近い首都ポルト・ノヴォまで移動。渋滞で到着が遅くなり、博物館や植物園らしきものがあったのだが閉まっていて観光できなかった。

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ポルトノヴォのホテルは恐ろしかった。シャワー及びファン付でトイレ共同の部屋なのだが、2つの空き部屋のうち、ひとつは手洗い用のシンクが室内で崩れ落ちたままになっていて、もうひとつはシーリングファンが壊れて外されていた。スタンド式扇風機があるというので、その部屋にしたのだが確認不足だった。

すぐに網戸の大きな穴に気がつき補修するよう要求したが、窓を閉めればいいじゃないかと言われ納得してしまった。ひと晩中扇風機を回していればいいかと思ったが、スタッフが持ってきた扇風機はカバーがなく羽が剥き出しで回り、危険で今にも外れそう。さらに、首が落ちないように紐で固定されているので首を振ることができない。その程度はまだ我慢できるが、部屋の扉のノブが内側も外側もネジが留まらず取り外し可能になっている。これで鍵を閉めて、施錠の意味があるのだろうか。

食事を終えて戻ってくるとまだまだあった。室内の電灯が3つあるうちひとつしか点かず豆電球なみの暗さだ。1階の道に面した部屋なのだが、カーテンが窓の半分しか覆っていない。どうせ暗い室内だからあまり問題ないか。一番の問題はシャワーが飾り物だったことだ。シンクで水が出たのでチェックを怠ったが、シャワーヘッドのネックがポッキリ折れているのには気づかなかった。蛇口からは水がちょろちょろ出て、近くにバケツが置いてあるのでこれに溜めて体を洗えば問題ないではないかということなのだろう。

アフリカ人は、車や電気製品などがどんなに古くても修理して使い続ける執念があるが、直さなくてもなんとかなるものは、たとえ簡単な修理で済むものでもそのまま放置する傾向にある。より快適により安全にということを求める人が少ないのだろう。

<ベナンめも>

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  • 人はコトヌも含めて良さそう。親切さを強く感じることは少なかったが、逆に今までの国よりも私の存在を過剰に意識するということがない。(シノワ攻撃も少ない)
  • トーゴでも多かったバイクだが、こちらベナンの方は排気ガスが白く、目,喉への刺激が強く耐えられない。
  • 喫煙者は皆無。(ベナン人は喫煙者を信用しないとのこと)
  • ウイダー、アボメイの地方都市ではまともなレストランを見つけられなかった。ガイドブックに載っていた店は存在しないか閉まっている所ばかり(ロンリープラネットの情報が古すぎ)で人に聞いてもそれらしき店がみつからない。路上サンドイッチ屋も非常に少ない。あるのは飲み物しか出さないBar&Restaurantと路上で汚い容器に白いご飯を入れ、得たいの知れぬ汁や具をかけるぶっかけご飯屋。白いご飯が苦手な私はたぶん最後までこれには手を出さないだろう。よって、フランスパンとフルーツのみだったりする。(ところが後で白ご飯汁かけ屋台物を食べることになる)
  • ベナンで焼きバナナをみかけなくなったのだが代わりに美味いものをみつけた。右上の写真の揚げ物で白っぽいものがイモで濃い色がチキンかと思ったらガトーと言っていたのでお菓子のようだ。1個2円で20個食べれば腹が膨れる。しかし、毎日はきつい。
  • セダンの助手席に客2人、後席に4人乗車はアフリカ標準だが辛い。ガーナのように乗り合いワゴンをたくさん走らせれば良いのに。
  • 大都市は排気ガスが酷く、地方都市は食べられる物が少ないので、この国では1週間ぐらいしか生きていられないだろう。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[トーゴ]ロメ

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<ロメ中心部付近の海岸航空写真

風がそよぐロメのビーチは心地良い。砂浜以外ほとんど何もない景色、そして所々で強い糞尿の臭い、アフリカの典型的な海岸という気がする。
街の中心に教会が2つあるのだが、あまり大きくない。博物館は国の大きさに合わせたかのように驚くほど小さい。

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<大聖堂とグラン・マルシェの売り子たち>

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<中心部の教会(裏に不気味な動物頭蓋骨の写真あり、クリックで表示)

ロメはある程度危ないらしい。ホテルのスタッフが貴重品を持ち歩かず、夜遅くなったらすぐ近くでもバイクタクシーを使うようにと忠告する。
夜8時にホテル周辺で食事する場所を探していたら、娼婦に絡まれ、太い腕でがっちり押さえこまれてしまった。確かにこれは要注意だ。(娼婦、物乞い、子供などに体を触られたりつかまれたりするのは危険の兆候)

昼でも1人で歩くのは危険だという海岸以外、ロメにはこれといった見どころがない、とガイドブックに書かれているので、あやしげな呪物市場に行ってみた。テニスコート2つ分ぐらいのエリアに動物の皮、頭だけ、小動物は体まるごとが干物のように並べられ、強い日差しにさらされている。(上の写真上でクリックすると写真表示)
カエルやネズミぐらいならまだしも、猿やバッファロー、ひょうなどの頭も数多く並べられ、野生動物保護上おおいに問題あるのではないだろうか。撮影代込みで約1,600円(ガイドブック上は2,000円)という法外な入場料を徴収しながら、最後にいいかげんなおまじないをかけて、これを買わないとこれからのアフリカ旅行に不幸が起こると様々なお守りを売りつけてくる。賢明な旅行者は行くべきでない。(ちなみに小心者の私は言い値の10分の1以下である1個百円でお守りを購入したので今後の旅は万全)

他に行くところがなくなり中心部のグラン・マルシェ(大市場)を歩いたら結構楽しめた。ガーナのアクラ、クマシと比べ規模はかなり小さいが、売り子たちの頭上に積み上げる商品の量が多くそして高く、人やバイクがあたってきたり、あちこちで小競り合いがあったりなど、ガーナよりも刺激的。

<参考図書>Lonely Planet West Africa (6th Edition)=>最新版 West Africa (9th Edition)

<トーゴめも>
  • ガーナ、コートジボワールになかったバイクタクシーが出現したのは驚き。乗り合いタクシーとかに乗らずに済むのは楽だが、お尻が痛くなる悪路が多く、信号を守らずに突っ込むので急ブレーキも多い。
  • ここでも路上サンドイッチ屋があるが、ガーナ、コートジボワールに比べてちょっと不衛生。でも美味かった。
  • ネット屋は多く、簡単に自分のPCが繋げられたが、快適な速度でないのに1時間200円は高い。(1時間1ドルが世界の標準価格と思っているので)
  • 英語は比較的よく通じるがダメな人は全くダメなので、カタコト仏語ができた方が楽。(入国時のイミグレ係官は全く英語を話そうとしなかった)
  • 脇道に入ると砂の道が多い。バイクタクシーのドライバーは帽子をかぶっている人は多いが、サングラスをかけている人は少ない。砂の舞う道を毎日走り、目を悪くしないのだろうか。
  • 結論として、特に楽しいことはトーゴになさそうだが、人は概ね良いようなので、1日2,500円(宿1,000円、飲食費1,000円、他500円)で1ヶ月くらいなら生きていられるかも。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[ガーナ]エルミナ

elmina

<砦跡からエルミナ漁港の眺め>

アビジャンから一気にトーゴまで(区間距離700km以上)行くのは少しタフで、どこかで一泊したかったので世界遺産の城砦があるエルミナに立ち寄ることにした。
天気が良ければ海岸線が美しいのかもしれないが、厚い雲がたちこめていて景色を楽しむことができなかった。世界遺産だから半日かけて観光してもいいかなという程度。
ただ、愛嬌のあるお子さんが多く、道を歩いているとあちこちから声をかけられ、地元の人たちと心地良く触れ合える。マイナースポット好みには受ける町かもしれない。

elmina

<町のお嬢さん(うまく撮れなかったので2枚組、マウスを重ねると写真切替)

<ガーナめも>
  • 煙草を吸う人をみかけない。
  • どの町でも、たとえ夜出歩いても(たまたまなのか)危険を感じることはなかった。
  • ガーナ人は帽子をかぶらない。サングラスもしない。
  • 外国人向けレストランの食事は食べられるが、人に食べさせることを意識して味付けしているとは思えない。スリランカよりはまし、フィリピン程度か。
  • 公用語は英語だが、彼ら同士の会話に英語は使われていない。アクラからクマシまでのバスで運転手から注意事項を説明する際、英語を使わず2つの現地語で別々に説明していた。話しかけた人はみな英語が通じたが、人によっては独特の発音によりヒアリングが難しい。
  • トロトロと呼ばれる乗り合いワゴンは定額制。始発では窓口でチケット購入。途中で乗って車内で支払ってもごまかそうという気はほとんどない模様。
  • 最初、タクシードライバーの言い値がガイドブック上の料金より高くふっかけられていると思い、とろとろ走るトロトロで移動して時間を無駄に使っていた。しかし、ガイドブック表記より値段が上がっているだけでタクシーの料金をふっかけてくるドライバーはかなり少ないということが後からわかった。大使館へ行くなどの市内の移動は、それほど高くないのでタクシーを使った方が良さそう。
  • 乗り合いミニバスの呼び込みが楽しい。アクラ市内の中心行きはアメ横の売り子のようにしゃがれた低音で「サークル、サークル、サークル」と早口に叫ぶ。アフラオ行きがあと一人で満席出発の際は、「アフラオ、アフラオ、アフラオラストワン、ラストワン」とミニバスターミナル外の路上市場にまで出ていき、アフラオ方面に用のない客であろうと捕まえてきてやろうかという気合で呼びかけている。
  • 路上売りでも何でも料金をごまかす気は全くなさそうだということがわかってきたので、買い物をする際、掌にコインを並べて彼らに取らせれば良いので楽。(現時点での状況で将来変わるかもしれないので注意)
  • 現地人を含めた街の写真を撮るならば、複数で歩いてお互いを撮る振りをするか、現地ガイドを付けた方が良いと思う。
  • ホテル代、乗り物代ともに最新のロンリープラネット西アフリカ6th Editionの2、3割増しが目安。
  • ガーナの嫌なところは、大都市での渋滞。特にアクラではどこに移動するのにも時間がかかる。また、アフリカ全般に言えることだが、大人からのチャイナ攻撃がひどく、慣れているつもりの私でも毎日「チャイナ!」「チャイニーズ!」と怒声を浴びせられていると苛立ってくる。
  • 結論として、西アフリカの雰囲気を安全に楽に味わうのには、貴重な英語圏であるガーナはお勧めかも。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[コートジボワール]アビジャン

abidjan

<通りに面した机で勉強中のお子さんたち>

短期間の滞在でいいかげんなことを言うものではないが、アビジャンは、安全だと言われるガーナよりも体感危険度が低く(あくまで旅した2008年11月時点のことです)、ガーナなみに親切な人がいる。
例えばTreichville地区の路地をうろついていた時、おばちゃんが怖い顔で言いがかりをつけてくるので無視していたが、あまりにしつこいのでフランス語をゆっくりと話してもらうと「何を探しているのだ」と親切心だけで何度も尋ねていたことがわかる。

コートジボワールは国内の北部も西部も外務省から退避勧告が出ているのでガーナに近い南東部のアビジャンだけと決めていたが、これだけ明るく親切な人たちに会ってしまうともっと別の都市も行ってみたくなってしまうくらいだ。

abidjan

<小さなマーケット内の八百屋>

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abidjan

<サン・ポール大聖堂(2枚組、マウスをのせると二枚目写真に切替、航空写真

アビジャンの観光はサン・ポール大聖堂(聖パウロ大聖堂)と博物館、あとはマーケットぐらいしかなさそう。ところが、今日は日曜日でほとんどの店が閉まり、博物館も休み。聖パウロ大聖堂(Cathédrale Saint-Paul d’Abidjan)は結婚式の終了直後に中を拝見することができたが他に見る物がなく、ガイドブックに載っている市内詳細地図のほとんどのエリアを歩き回った。
さらに日中でも襲われるからこの橋だけは歩いて渡るなと言われている区間をタクシー(タクシーは安いのでお勧め)でなくバスにも乗ってみた。

バス車内の空気が重く、緊張しながら乗車すると、おばちゃんたちが大声で叫んでいる。何かと思うと運転手からチケットを受け取るよう教えてくれていたのだ。また、車内で立っている時、財布の入っている尻を触られビクッとして振り向くと、席が空いたから座れよとぶっきらぼうに男が合図していた。
結局、バスに乗っていてもみんなに気遣いされるだけだった。

<たびメモ>

ロンリープラネットに載っている中で最安値のHotel Terminusが18,000CFA(約3,600円)で大幅な予算オーバー。他に掲載されていた2つのBugetホテルは閉鎖中。安く安全に泊まりたい場合は、他のサイトで最新の情報をチェックしてから来るべき。(というのが私からの安宿情報でした)
ちなみにHotel Terminusは安全、親切、清潔で部屋はトイレ及びエアコン付き過剰設備で問題ないのだが、目の前がバスターミナルのため、深夜だけでなく早朝もうるさい。

<参考図書>Lonely Planet West Africa (6th Edition)=>最新版 West Africa (9th Edition)

<コートジボワールめも>
  • ガーナと比較すると写真撮影に対して寛容で撮れないことはないが、ここはダメだとか金出せとかうるさいやつはいるので疲れる。
  • ガーナのパンは意外と美味いと思っていたが、アビジャンのフランスパンはもっと美味く、日本のパン以上。(日本のフランスパンはなぜあんなにも不味いのだろう)
    路上でパンと卵を置いている屋台では、オムレツのサンドイッチを作ってくれる。また、そのパン屋台の鍋やパックにジャガイモとたまねぎの煮付けやゆで卵、魚のペーストなどが入っていて、好きな具をフランスパンに挟んでもらい1食分が百円前後。これが、今回のアフリカの食事では今のところナンバー1。
  • 乗り合いタクシーの運転手に分けてもらって焼きバナナを初体験したが、これはかなりいける。酸味のあるサツマイモという感じで、焼き芋ほど甘すぎず喉につまらないため食べ易い。なぜ今まで試さなかったのだろうと後悔する。これから毎日食べよう。
    =>(後日談)焼きバナナの味はバナナの品質や焼き方によって大きく異なる。コートジボワールで食べたような感動的な焼きバナナにはその後二度と出会わなかった。
  • アビジャンは英語が比較的よく通じる。旅行直前の復習で仏検3級なみの会話力に戻したつもりのフランス語は相手のなまりのせい(?)かほとんど役に立っていない。
  • 国境とアビジャン間を直行する乗り合いタクシーは客が3人だけでセダンに運転手を合わせて4人乗車(往復とも)。アフリカでは考えられない贅沢。(近距離の乗り合いタクシーはボロプジョーに大勢の客が詰め込まれていた)
  • 旅行者が少ないせいか安宿が少ないようだ。また、街を歩いている時、外国人である私に対する注目度が高すぎ。
  • アビジャンから国境方面に50kmほどの位置にあるGrand Bassamは、行き帰りの車から眺めた限り立ち寄っても良さそうな所だ。(帰国後にガイドブック「旅行人」を読み、ここが貴重な観光ポイントだと知る=>「グランバッサム歴史地区」は2012年世界遺産登録)
    <参考図書>アフリカ―アフリカ大陸37カ国ガイド (旅行人ノート)
  • コートジボワールは治安が維持され旅行者が増えたころ、ぜひもう一度訪れたい国だ。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[フィリピン]マニラ

<マニラの市場/ジプニー(2枚組)

フィリピン人は、性格的に粗野なインドネシア人に近いのかと思っていたが、どちらかというとマイルドな日本人という雰囲気。日系や中国系人種が多いこともあるだろうが、顔が日本人そのものという人も多く、私が外国人旅行者と認識されないことがよくあった。

フィリピン人の庶民の足であるジプニー(写真裏)はなかなか格好良いのだが、見た目以上に小さく乗りにくい。
中心部の大通りでは渋滞が酷く、多くの区間が歩いた方が速い。
数珠なりになったジプニーがほとんど動かず、暑く狭い客室にはじっと耐えている日本人顔が並んでいる。
彼らを横目に何台ものジプニーを追い抜き、おかしな日本人がいっぱいいる街だなあと思ってしまった。

<フィリピンめも>
  • 10年以上前のガイドブックの切れ端しか持っていなかったため、観光局やホテルなどで教養のありそうな人に目的地へのルートや交通手段の相談をしまくったがちんぷんかんぷんな答えしか返ってこない(フィリピン人は全く地図が読めないという噂も頷ける)。結局、マニラからラワグ(あるいはラオアグ、位置)まで飛行機で飛び、後は陸路の移動でマニラまで戻るというルートを選択した。フィリピン滞在5日間の日程で、マニラ、ビガン、バナウェでは丸1日観光、更にラワグ、バギオで半日観光するというのは少し無謀だったようだ。
  • バギオからバナウエまで(区間ルート)は夜行バスを利用したが、シート間隔が狭く揺れるので眠るのは至難の業。バナウエとマニラ間(区間)も直通は夜行バスしかないが、ジプニー2台を乗り継ぎ、ハイウェーと呼ばれる幹線道路に出てマニラ行きのバスに乗り日中移動可能だった。しかし、日中のバス移動は途中の大きな町での渋滞で想定以上に時間がかかる。
  • 地方のジプニーはマニラと同じような形をしているが、全体に一回り大きく、2、3割多い乗員を運べる。客室内の高さは十分あり、頭が押さえつけられることはない。なぜ、マニラがあの小型サイズにしているのか理解できない。
  • 今回訪問したルソン島内移動はバスが基本だが、道路の整備状態が悪く、トライシクルや過積載のトラックなど20km以下の速度で走る車が混在しているため、昼間はかなり移動時間がかかる。

[スリランカ]ゴール

<ゴール城壁の地元客(2枚組)航空写真

城壁に囲まれた古い町並みが世界遺産に指定されたゴール。しかし、これといった見所はない。

地元の人たちや国内の観光客は楽しそうに海沿いの城壁を歩いている。そんな姿を眺めていると、私も幸せな気分になってくる。

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ゴールに来て、旅行者が接するスリランカ人の評価が2段階ほど落ちた。とてもすばらしいから、ごく普通(良い人が多いが極端に嫌な人もいる)に変わった。

何度断っても絶対に離れず、こちらが強い態度を示せば反撃してくる、というインドの観光地によくいるような男が次から次へとつきまとってくる。
思い返せば、キャンディにも蝿のようにまとわりつく客引きが2人いたが、他の人々は問題なかったのであまり気に留めていなかった。ゴールでそのような男の数が増えると、その存在を強く意識せざるを得なくなった。

<スリランカめも>
  • スリランカ人は裸足好き。バスの運転手が裸足でペダルを踏んでいるのには驚いた。しかも、ペダルの下に脱いだ草履を置いたままだ。微妙なアクセルワークに足裏感覚が必要なのだろうか。
  • スリランカの乗り物はほとんど全て混んでいる。長距離バスは、乗客がいっぱいにならないと出発しないというタイプでないのだが、ほとんどの区間を通路が埋まるぐらいにほどよく乗客を詰め込んで走っている。列車の混雑ぶりをみても、空席がでないように本数や車両数が調整されているかのようだ。
  • 雨の中を走る列車では、二等車でも雨が窓から入り込み、体やバックが濡れる。トイレのあるデッキには三等車から溢れた乗客が密集して行く気にならない。スリランカを快適に効率よく回るには、1日あたり30~40ドルに設定された運転手付きレンタカーの利用が良さそうだ。(私が利用していないので断言できないが)
  • 英語は非常に良く通じる。私はネイティブの流暢な英語も訛った英語もヒアリングできず苦手なのだが、今まで訪問した国の中で、最も理解しやすい英語だった。

[ジョージア]クタイシ

雨の中訪れた世界遺産の大聖堂(バグラティ大聖堂の航空写真)や修道院はどちらもそれほどのものでなかった。さらにジョージア(グルジア)第2の都市でありながら、街中にまとまなホテルがひとつもないとは何たることだ、と文句を言いたいところだが、美しい女性に出会えたことで思い出深い街となった。

難民(どこからかは不明)が多く滞在するが泊まれるとガイドブックに記載されたクタイシホテルを探し当てるが、既にホテルの機能を失っていた。しかし、そこの住民らしき若い女性に英語で話かけられ、彼女は抱えていた赤ん坊を居合わせた別の住民に預けると、近くにあるというホテルに案内してくれる。薄暗いホテルを出て間近に彼女を見ると、クタイシで一番ではないかと思えるほどのべっぴんなのだ。

彼女が連れて行ってくれたホテルは表に何の表示もなくビルのごく一部の部屋を利用していた。民泊の類かもしれない。人から教えられただけでは到底たどり着くことができない。彼女はホテルに導いてくれただけでなく、女主人の通訳をして、さらに値引き交渉まで真剣に行なってくれる。なぜ、そんなことまで。アルメニアでも何度か驚かされた、過剰とも思える親切をとろけそうな美女から施される。私が表現しきれぬ感謝の意を述べると、別れ際に彼女から握手を求められた。天にも昇る想いだ。

<6月21日(バドゥミ)>

雨が降ったりやんだりで、ところどころ道が水で溢れている。
国境近くの街バトゥミは観光ポイントがないので通過すべき。立ち止まっても黒海が見えるだけ。(バトゥミ港の航空写真

<ジョージア(グルジア)めも>

トビリシ、クタイシで少し身構える地区がある以外は、危険を感じなかった。事前に脅されていなければ、普通に歩いてしまっただろうという程度。
アルメニアほどではないが、概ね人は良い。トビリシ以外には、タクシーの運ちゃんを含めて、観光客から搾取しようと考えている人もなさそうだ。
その代わり、町によってはまともなホテルや交通機関が少ないため、観光に不便を感じる場面が多そう。
バスターミナルなどの公衆トイレは汚い。アジア農村、アフリカなみ。見た目も恐ろしいが、一瞬で気絶しそうな強臭を放つトイレも少なくない。個室はオープンが基本。

[ベネズエラ]カラカス

朝起きると喉が完全に腫れていた。風邪だということが分かって良かったが、治るまでまだ数日はかかると思われる。長居しすぎたベネズエラを早急に脱出して物価が安いパナマで休養しよう。空路でカラカスに入り、そのままパナマに飛ぶことにする。

カラカス空港に着き、パナマの航空会社コパ航空のカウンターでチケットを購入しようとすると5人いるスタッフの誰もがまともに英語が通じない。そんなばかな。英語ができなくて国際線の受付業務が務まるのか。
そのうち人が来るからそこで待っていろと言われ、3時間待った。途中から状況が分かってきたが、今日の便が満席だったのだ。結局、空席が出ず、明朝のチケットを購入することになってしまう。
今晩どうしようか。市内までの道は常に大渋滞で、金曜の午後は3時間かかるという。体調が良ければ空港で夜を明かすのだが。ホテル紹介サービスで問い合わせると、最も安いホテルで送迎付き110ドルと大幅に予算オーバー。空港周辺の危なそうな集落をふらふら歩くがホテルはない。ベネズエラの旅はつらい。
夜を明かすにしても国際空港ビルにはファーストフード店以外に椅子がなかったので、隣の国内空港ビルに入ってみる。そこにもツアー会社があったのでダメもとで尋ねると、空港近くにホテルがあると紹介され、送迎付き35ドルと聞いてほっと胸をなでおろす。

観光もせず、移動や宿探しで精一杯の日々が続く。

<ベネズエラめも>

ベネズエラは私のようなタイプの旅行者が旅をするのに非常にやっかいな国だ。どのような人が苦労しそうなのかを以下に列挙する。
・ツアー嫌いで現地のツアーにも極力参加しない個人自由旅行者
・宿の事前予約を嫌う
・旅行に必要な情報収集を事前に行わず個人旅行をしようとする
・移動や宿はある程度安く済ませたいと考えているが極限まで安あがりにする程の気合いと体力を持たない
・スペイン語が数字と挨拶程度しかできない
・少しでも損をすることが耐えられない(理由は次に)

ベネズエラの通貨ボリーバレス(Bs.)の両替レートの差が大きい。公定レート(1$=2,150Bs.)に対して闇レートは都市や地域によりばらつきが大きく2,200~2,700Bs.で、公定レートの最大25%増しになる。これが100ドル以上する飛行機のチケット、ツアー代金など全てBs.ベースで計算されるから、どこでどれだけ両替するかで損得が大きく変わってくる。
これだけの情報とどこで高レートの闇両替が可能かを知っていれば楽なのだが、私の持参した5年前のガイドブックには飛行機やツアー代はドル支払いしかできないとあったため、少しずつ両替しているとすぐに金欠となり両替屋を探し歩くこととなった。
違法な闇両替はせず、公定レートで多めに両替をして出国時の再両替によるロスもやむなしという覚悟で行動しない限りとてもやっていけない。

ベネズエラは何事においても歪みが大きく、よどみの多い国だ。
例えば旅行者に必要なホテル、レストラン、両替所など、あるところには余るほどあるが、ないところには徹底的になかったり満杯状態だったりする。街の人々がキオスクや電話サービス、銀行に長い行列を作っているかと思えば、1本裏通りに入ると洋品店、電器店などが何軒も並んでいて、そこは店内どころか通りにすら人影がまばらだったり。
道路交通のよどみは最たるもので、街中のあちこちで意味のない渋滞が発生しているだけでなく、せっかくスムーズに流れだしたと思えば、街はずれの検問渋滞にひっかかったりする。
この国の人々は、この歪みに慣れきってしまい、改善しようと努力していないのだろう。

安めの個人旅行をするにはあまり向いていない国のようだが、ベネズエラの人の良さは特筆すべきものがある。きつい顔つきをした様々な立場の人々に訳のわからぬスペイン語で話しかけたが、一度も嫌な顔をされたことなどなく、時には愛嬌のある笑みを浮かべながら丁寧に説明してくれた。べたべたしたり、慣れ慣れしいところもなく、その点でキューバ人よりも私好みの人たちだ。(そうは言っても、ベネズエラには旅行者を狙う悪いやつらが沢山いるようなので注意が必要。ちなみに私は向こうから話しかけてきた人は両替業者以外、相手にしていない)

[フランス]アヴィニョン

<法王庁宮殿正面航空写真回転拡大可)

フランスでやっとこれはという遺産に出会った。

アヴィニョンには14世紀にローマ教皇の本拠地だった宮殿がある。内部のほとんどの部屋をオーディオガイドを聞きながら見て回ることができる。さすが教皇庁、部屋の大きさやたたずまいに威厳が感じられ、本物の遺跡を見ているんだという気になった。室内の壁画や彫像、装飾品がほとんどないのが残念だ。火事で焼けてしまったり、フランス革命時に消失、破壊されたり、パリに持ち去られたりしているそうだ。パティストリーなどパリにそれらしき物があるなら返して欲しい。そうすればもっと楽しめるだろう。

街はアルルよりは大きいが、城壁に囲まれた地域はほどよいサイズにまとまっていて、所々に歩いて楽しい通りがある。ホテル、博物館のスタッフ、スーパーの店員など人あたりがよく、歩道も歩きやすいので気持ちよく観光できる。プロバンス地方の中心だというが、街並みや周辺の景色からは特異さが感じられない。レストランで食事をする旅行者はプロバンスらしさを味わえるのだろうが。

<フランスめも>

鉄道はフランスに入って急に使いにくくなった。フランス南部に限ったことかもしれないが、本数がかなり少ない。イタリアではトーマスクック時刻表に載っていないローカル列車がいくらでもあり、主要な駅間は1時間に1本以上が普通だったが、フランスではトーマスクック掲載の列車が全てで、主要駅間も日に数本というパターンが多い。つい、イタリアの感覚で出発時間を確認しないまま駅に行き、ニースでもアルルでも2時間以上待たされることになった。
そして、運賃が高い。イタリアの2、3倍だろうか。それでもまだ日本よりは安い気がするが。
車内はイタリアより大分きれいだが、シートの間隔が異常に狭いのが気になる。古い車両の対面式シートは満席になった時大柄なフランス人の足がどのように配置されるのかが想像できないほどの狭さだ。

ニースから気になっていたが、野犬を見かけない割にはどの街にも犬のフンが多い。歩道のあちこちでにおいが立ち上るモノや歩行者に踏みつけられたモノが見られる。犬を散歩させている時、綱をつけていないことが多い。しつけが良く襲いかかることはなさそうだが、よだれを垂らした大きな犬が鼻を私のズボンにこすりつけようとしてきた時には、かなりあせった。列車内の通路を塞ぐように寝そべる犬もいる。
犬嫌いには耐えられない。

フランスでも鳩やツバメがやたらといる。アルルでは、鳥のフンまみれのボディーで走る車を数多く見かけた。木の下で鳥のフンが固まるところは臭い。動物嫌いの私にとって、その面での辛さはインドなみだ。

人はよろしい。ストラスブールを含めてフランスの街全てで、人々の対応が非常によい。時々、不気味なほどに愛想がよかったり、親切な人に出会う。英語を理解していてもフランス語しか話さない人が多いという噂も昔話のようで、ほとんどの人が英語を話すため、モロッコに向けたフランス語の練習ができなかった。最後にパリ周辺にも行くが、人あたりが冷たいと思っていたフランス人の印象を変えなければいけないかも。