国別アーカイブ:アルメニア ( 3件の日記 )

[アルメニア]ギュムリ

<緑の大地に孤立するマルマシェン修道院航空写真

国境近くのギュムリで宿を取り、隣村にあるマルマシェン修道院を訪れる。

緑の絨毯に赤い石トゥーフで造られたという教会が映え、悪くない。
だが、それよりも印象的だったのはアルメニア人の人の良さだった。

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隣村へのバスの乗客たちは最初は静かだった。私がバスに乗り込みマルマシュン?と尋ねても微かに頷くだけだ。
ほぼ満席でターミナルを出発したバスは、途中ギュムリ市内で客を乗せると老人や女性たちが乗り込むたびに男たちが席をゆずっていく。最後部席に腰掛けていた私も、恰幅のよい婦人が乗り込んだ際に席をゆずった。
明るい彼女はいったいどこから来たんだという風に話しかけ、私がアルメニア語もロシア語も話せないことを伝えると、何やら冗談を交えてまわりを笑わせていた。すると、今まで私に興味のない素振りをしていた乗客たちが、一斉に私に視線を向け、堰を切ったように話しかけてくる。
「どこへ行くんだ」とみんなが尋ねています。今まで黙っていた隣の男性が英語で教えてくれた。
それからは、乗客たちからの質問攻めに合い、お互い議論しながらアドバイスしてきた。まとめると、終点のマルマシェンで折り返すこのバスがギュムリに戻る最終になってしまうが、村内にタクシーがあるからなんとかなるだろうということだった。

修道院までタクシーを利用すべきだという意見もあったので、バスを降りてから探してみたが、村内にタクシーらしき車は見つからない。陽が沈むのが21時ごろとはいえ、もう18時過ぎ。バスの終点からひと気のない道を歩き不安を感じていた。
30分ほど歩き、緑の絨毯に映える赤みを帯びたマルマシェン修道院に近づいてくると子供たちの歓声が聞こえてきた。修道院の周辺でいくつかのグループがアウトドアパーティを行なっていたのだ。みな帰り支度を始めているころだった。その中で貸切バスで来ていたグループと仲良くなり、鍵を開けて修道院内を見せてもらった上、ギュムリに帰るバスに乗せてもらうことになる。車内ではパーティで余ったお菓子やきゅうりなどを次から次にごちそうになった。


市内に入ってから貸切バスを降り、中心部に行くと教えられたミニバスに乗り換え終点に着いた。鉄道駅の近くだというのでホテルまで20分ほどの距離と思われるが道が全くわからない。すると、ミニバスを降りた乗客の中に英語を話す青年がいて、案内してあげると付いてきた。
ギュムリに仕事で来ていた彼はホテル名や通り名から人に尋ねて案内しようとしているのだが、私が通り名を知らないだけでなくホテル名すら誤って記憶していたのでなかなかみつけられない。大きな広場に行けばホテルの場所を思い出すと青年に伝えたが、ギュムリには大きな広場がいくつもあった。
彼が10人以上に尋ねてくれたおかげで、私が正しいホテル名を思い出し、40分以上かかってホテルに着くことができた。彼が途中で何度かコーヒー飲みたくないかと私に尋ねていたので、当然ながらこれは彼の要求であり、これだけの労力は夕食のごちそうに値するのかなあとホテル前で考えていた。
「ちょっとこれ持っていて」と彼が言いながらズボンのポケットから取り出した数枚のコインを受け取った。
「途中でコーヒーをごちそうしようとしたんだけど開いている店を見つけられなかった。代わりにそれを受け取ってくれ」
「ちょっと待ってくれよ。私が助けてもらったんだから、私がごちそうしなければならないのに。夕食を一緒に食べない?」
「いや食べたくない。もう遅いから帰るよ。いいからそのお金はしまってくれ。その代わり私の顔と名前だけはずっと覚えておいてくれ」
彼がもう一度自分の名を言うと逃げるように立ち去ってしまった。
感謝する、君のことは決して忘れないと伝えたのだが、ホテル名も覚えられない私は、彼の後ろ姿を目で追っている間に名前だけでなく顔すらもおぼろげになってしまった。
日本でアルメニア人に会ったらコーヒーをごちそうするよ、髭面だった(かどうかも記憶があやふやな)彼にそう誓った。

[アルメニア]エレバン

<緑の中のゲハルト修道院/修道院内の聖体礼儀(2枚組)

世界遺産のゲガルド修道院(あるいはゲハルト修道院)はアプローチの緑が美しく、観賞に値する自然環境の中に立地する。更に修道院内ではお香のような煙が充満する聖体礼儀が執り行われ、聖歌が絶え間なく流れる様はまるでオペラ劇を見ているようだった。

アルメニア人はなかなか良い。愛想が良く、べたべたしすぎることがなく、ワルそうな人に出会うことも(たまたまかもしれないが)ない。私が今まで旅した国の中で、人の良さは一番かもしれない。

これはアルメニア教の教えによる影響が大きいのか、もともと民族が持っていた人格からくるのか、あるいは現在の政治や経済のバランスがたまたま穏やかな人々をつくりあげているのか、学者が研究すべきテーマになるのでは。

[アルメニア]アラヴェルディ

<台地上の団地/団地を見下ろす(2枚組)航空写真

ジョージア(当時はグルジア)との国境からバスで1時間、世界遺産の教会があるアラヴェルディに立ち寄ったのだが、実に奇妙な地域だった。険しい山に囲まれた渓谷沿いに中心の街が広がり、両側にテーブルマウンテン状の台地があって、広大な平地に団地が密集した村が点在する。

街道の通る川沿いの地域と台地との標高差は約300m、その斜面はほとんどが人道も作れないほどの断崖で、少しでもなだらかな斜面を使ってつづら折りの車道が作られている。まるでイエメンの要塞村を団地化して発展させたようだ。いくつかの台地に点在する教会や修道院に向かうと、それぞれのアプローチに驚きの光景がある。

ホテルのある集落は、街の中心部分から標高差250mぐらいをロープウェイで登った南側の台地上にあり、そこは5、6階建ての集合住宅が集まった団地になっている。最初はほとんどが廃墟と化した建物かと思っていたら、多くの部屋に人が住んでいる気配がある。しかも、町の中心産業である銅山に勤める人から、牧畜や農業を営む人まで、様々な職業の人たちが同じ団地で生活しているようなのだ。
この団地の後背斜面を100mほど登ると、いくつかの台地上の村や奇妙な稜線をみせる山なみが見渡せる。世界遺産の修道院よりも、はるかに興味深い光景だった。

<6月16日>

こちらから声をかければ、誰もが言葉が通じない旅行者の意図を理解しようと努力して、何かしらを教えてくれる。
カメラを向けると、老人から子どもたちまで快く応じ、スパシーバ(ありがとう)と礼まで言われてしまう。
道端でさくらんぼ採りをしているお子さまたち(2枚目写真)を撮影した時は、お礼にと両手いっぱいのさくらんぼをいただいてしまった。
あまりに心地良い町なので、2泊することにした。