国別アーカイブ:スリランカ ( 7件の日記 )

[スリランカ]ゴール

<ゴール城壁の地元客(2枚組)航空写真

城壁に囲まれた古い町並みが世界遺産に指定されたゴール。しかし、これといった見所はない。

地元の人たちや国内の観光客は楽しそうに海沿いの城壁を歩いている。そんな姿を眺めていると、私も幸せな気分になってくる。

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ゴールに来て、旅行者が接するスリランカ人の評価が2段階ほど落ちた。とてもすばらしいから、ごく普通(良い人が多いが極端に嫌な人もいる)に変わった。

何度断っても絶対に離れず、こちらが強い態度を示せば反撃してくる、というインドの観光地によくいるような男が次から次へとつきまとってくる。
思い返せば、キャンディにも蝿のようにまとわりつく客引きが2人いたが、他の人々は問題なかったのであまり気に留めていなかった。ゴールでそのような男の数が増えると、その存在を強く意識せざるを得なくなった。

<スリランカめも>
  • スリランカ人は裸足好き。バスの運転手が裸足でペダルを踏んでいるのには驚いた。しかも、ペダルの下に脱いだ草履を置いたままだ。微妙なアクセルワークに足裏感覚が必要なのだろうか。
  • スリランカの乗り物はほとんど全て混んでいる。長距離バスは、乗客がいっぱいにならないと出発しないというタイプでないのだが、ほとんどの区間を通路が埋まるぐらいにほどよく乗客を詰め込んで走っている。列車の混雑ぶりをみても、空席がでないように本数や車両数が調整されているかのようだ。
  • 雨の中を走る列車では、二等車でも雨が窓から入り込み、体やバックが濡れる。トイレのあるデッキには三等車から溢れた乗客が密集して行く気にならない。スリランカを快適に効率よく回るには、1日あたり30~40ドルに設定された運転手付きレンタカーの利用が良さそうだ。(私が利用していないので断言できないが)
  • 英語は非常に良く通じる。私はネイティブの流暢な英語も訛った英語もヒアリングできず苦手なのだが、今まで訪問した国の中で、最も理解しやすい英語だった。

[スリランカ]ヌワラエリア

<ヌワラエリアの車窓(2枚組)

高地ヌワラエリア(ヌワラ・エリヤ)周辺には茶畑が延々と広がる。列車の開放された窓から緑づくしの景色(写真上)が続き、ため息が出る美しさだった。

<車内で出会ったお子さま(2枚組)

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ヌワラエリアにはキャンディからバスで3時間。ルートの後半はイロハだけでは数え切れないほど延々とヘアピンカーブを曲がり、高地へと登っていく。(区間ルートで12まで拡大するとコットメール貯水池(Kotmale Reservoir)、Tawalantenne付近に九十九折れあり)
茶畑以外何もないヌワラエリヤは、標高1900m近く。急に寒くなり、エアコンは不要。宿ではロビーに暖炉があることをうたい文句にしているぐらいだ。

翌朝、バス、列車、バス、トゥクトゥク(三輪車)と乗り継ぎ(道路のルート)5時間以上かかって聖なる山アダムスピーク(スリーパーダ)の登り口に着く。キャンディから(ルート)車をチャーターすれば3時間ぐらいで着くようなので、ずいぶんと遠回りしてしまった。
車窓や登山道からは大小いくつもの滝が望める。世界で一番滝の密度が高い国だと観光省が自負していたが、まんざらでもない。
頂が尖がり富士山のような末広がりの山容をみせるアダムスピーク(2238m)。あいにく雲で覆われ麓から頂を望むことができなかった。(2014年2月追加)Googleマップによるアダムスピーク登山道の距離は4.6km、標高差は900m。
聖なる足跡があるという山頂を目指して歩き始めると中腹から雨に打たれた。他に登山者はいなかったが、階段などで整備された道がずっと続き、荷上げする強力(ごうりき)の姿を時々見かけたので強引に山頂まで登った。山頂には住み込みの寺男がいる小さな寺院があったが、雨で寒かったのでよく見ずに帰ってきた。
登山は十分楽しめなかったが、ヌワラエリヤからアダムスピークにかけての自然の美しさがスリランカの旅で最も印象深いものとなった。

[スリランカ]キャンディ

<キャンディ郊外の植物園/キャンディ市内の仏歯寺航空写真)2枚組

キャンディ郊外の植物園は、巨大な庭園のようにデザインされながらも多種多様な植物が植えられ、なかなか良くできている。緑の美しさをしみじみと味わえる場所だ。

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スリランカは人が良く(私の知っている範囲ではアルメニアの次、ミャンマーと同程度か:この後訪れたゴールで評価を訂正)自然が美しいので、旅をしていて気持ちの良い国だが、観光地としての魅力は今ひとつ。今まで、はっとした風景はシーギリヤロックぐらい。カメラの撮影枚数が異常に少ないことからも自分が盛り上がっていないことを感じる。
子どもたちはみな一様に白い制服を着て、集団で行動しているか親に手を引かれているので、外国人に近寄ってきたりしない。町の雑踏を撮ろうとしても、日本のどこかにありそうな風景にしか見えなかったりして、カメラを向ける先がみつからない。
南部インド程度かなとイメージしていたが、スリランカはずっと豊かな国だった。

[スリランカ]シーギリヤ

<シーギリヤロック(2枚組)

シーギリヤロックの景観には迫力を感じた。
周辺には仏跡が集中して、階段を登れば岩壁中腹部に壁画があり、絶壁を登りきった頂上部に王宮跡があるという、なかなかバラエティに富んだ観光地だ。

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スリランカ人はきれい好きだ。日本人の清潔好きとは少し異なり、汚れたらそうじをしてきれいにし続けることを良しとしている。

まともなホテルは安くてもよく清掃されている。シーギリヤの小さなゲストハウスに入ると、庭から建物の廊下に入るところで靴を脱がされた。当然、室内も土足厳禁(履物禁止)だ。私が安ホテルの部屋を選ぶ基準のひとつが、素足で室内を歩ける程度にクリーンかどうかだが、その点このホテルは問題ない。
部屋を取りシャワールームに入ると水が出てこない。助けを呼ぶとオーナー家族の少年が送りこまれた。シャワールームの中で無事に水を出した少年が部屋を出ていくと、入ってきた時にはついていなかった泥の足跡がきれいな床にいくつも付けられていた。彼は草履を履かずに庭にそのまま出て行く。裸足生活をする少年の足は水に濡れると泥がいくらでもしみ出てくるようだ。

土足イコール素足の人が多いこの国で、ホテルの室内を土足厳禁にする意味があるのだろうか。

[スリランカ]ポロンナルワ

<ボロナルワの仏跡群(2枚組)

ボロナルワの仏跡群は期待が大きすぎたせいか、イマイチの感がある。しかし、緑豊かな公園(航空写真)内で遺跡をめぐる数キロ程度のハイキングは悪くない。暑くさえなければ。

暑さは予想の範囲内だから我慢するしかないが、食べ物のまずさは想定外だ。タイの後だけにギャップが大きい。とにかく何を食べてもまずい。

田舎の町はどこもレストラン自体が少ないので、ポロンナルワではゲストハウスが強く勧めるスリランカの定番料理カリーセットを頼んだ。
スリランカ米という日本米より更に小さなごはんが鳥の餌かと思うようなまずさで、小皿で出てきた6種類のカリーはどれも人間が食べることを想定していない味付けだ。

こんなもの食えるかと、テーブルをひっくり返したくなるほどだった。

[スリランカ]アヌラーダプラ

<ジェータワナ・ラーマヤ航空写真

スリランカには仏教遺跡が溢れ、国内の巡礼者や観光客も多い。
小高い丘の頂を目指し、人の良いスリランカ人たちと仏教施設めぐりをするのはなかなか楽しい。

<アヌラーダプラ近郊のミヒンタレー(2枚組)

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スリランカの仏跡に入る時には外国人観光客も靴を脱がなくてはならない。タイ、ミャンマーなど他の上座部仏教の国でも同じだが、それらの国々で屋外を裸足で歩かされる場合には必ず石畳がある。しかし、スリランカでは聖域内であれば、土の上だろうが、ミヒンタレーの這って登る岩の上だろうが裸足になることを強要される。

小石がごろごろとした土の道で、こんな所で靴を脱がせるなど思いもせず、看板を見逃して仏陀の像に近づくと、銃を持った兵士(彼らは軍靴を履いている)が近づいてきて靴を脱げと命じる。私がきょとんとして、なぜここでと問い質すと、「仏陀様の前だぞ、仏陀様の」と兵士はあきれ顔で言ってくるのだ。

ソックスを履いたままでも良いので、私は穴があくことを覚悟でソックスを履き続けていた。しかし、それでも尖った小石などを踏んでしまうと、全身が硬直するほどの激痛が走る。(私は一般的な日本人よりも足裏が弱い)

地元の人たちは靴底のように足の裏が硬くなっているのだろう、町中だろうが舗装されていない田舎道だろうが、素足のまま歩き回る人たちがいくらでもいる。その割合から、この国で靴を履かないでいることは、日本で夏に帽子をかぶらないでいるぐらいの感覚だと思われる。

[スリランカ]ニゴンボ

<ニゴンボ漁港のお嬢ちゃん(2枚組)

コロンボ近くのニゴンボに宿を取り、朝、水揚げした魚をその場で売る小さなマーケットに向かった。威勢良く動き回る彼らの中に静かで平和なスペースを見つけ、買い物中の親を待つ子供に相手をしてもらった。

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海岸沿いを歩いていると、中年の女性が親しげに話しかけてくる。ここは2006年の津波で被害を受け、彼女の家も流されたのだという。その跡地に連れていかれると、砂浜のような砂地の上に簡単な土台だけが残されていた。流されずに残った近所の家を見ると、日本の海水浴場にある海の家よりも簡素だ。

その女性は、跡地より1軒分内陸側に建つ隣人の家に身を寄せていた。しかし、海岸寄りに建っていた彼女の家が防波堤代わりをしたからそこが残っただけで、再び同様の大津波が来れば、今度はその家が流されてしまうとしか思えなかった。
(いろいろと厳しい事情があるのだろうが)抜本的な解決をしない人たちだ。