アルジェリアのたび

アルジェリア危機の10年(アルジェ)

<カスバの空き地で遊ぶ>

<カスバの空き地と昼の月>

アルジェリアでは1988年から98年までの10年間を中心に、過激なイスラム原理主義による大規模なテロが頻発した。アルジェリア危機と呼ばれるこの時期には、毎日100人の市民が犠牲になると噂されていた。一説には10年間のテロによる死者は10万人以上と言われ、2004年のイラクと同等かそれ以上の規模であったと考えられる。外国人もテロリストの標的となっていたため、その時期に外国人旅行者が全くいなくなったのだ。

アルジェリアが安全になり渡航できるようになったと聞き、この国について調べ初めてこのような事実を知った。国際社会に大きく取り上げられず、国民はじっと耐えてきたのである。
(2005年10月現在、アルジェリア国内は依然テロの危険性が高く、外務省は旅行目的の渡航延期を要請しています)

アルジェ旧市街のカスバは、複雑な迷路状の道が張り巡らされる。アラビア語で城塞という意味のカスバはアルジェリア独立闘争時には要塞となり、映画『望郷』の舞台となったように犯罪者が街に紛れ込むのに適しているという。

カスバの中には至る所に空き地があり、瓦礫やゴミ、場合によっては糞尿の山ができている。テロによる破壊で空き地となった場所もあるのだろう。そんなゴミ山の隣で人が住み、子供が遊ぶ。

人々はあるがままを受け入れ、ただ耐えているように思えた。

<参考書籍>

アルジェリア危機の10年―その終焉と再評価

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