[コスタリカ]パソカノアス(盗難)

昨日、パナマシティの観光は終了したので、コスタリカに向けて移動を開始することにした。
コスタリカの首都サンホセまでの国際バスチケットを所有していたが、あさって25日の席しか確保できていない。このバスはパナマからサンホセ(2年後の2008年訪問まで18時間かかり到着が早朝4時になるというから、病み上がっているかどうかわからぬ状態では仮に今日乗れたとしても避けたいと考えていた。
この国際バスチケットを払戻して、今日はコスタリカ国境に近いダビッドまで7時間のバス移動をしようとターミナルに入った。
払戻すにあたり、今日パナマを発ちたいのだが空きありませんよね、と窓口で尋ねた。すると、ちょうど1つ空席が出たので1時間後に出発できる、と係員が変更の手続きを始めた。このラッキーを生かし、病気によるスケジュールの遅れを少しでも取り戻すか、そう考え国際バスに乗ることにした。

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トイレ、エアコン、ビデオの付いたバスだが、シート間は狭く乗り心地は悪い。国境前に検問での荷物チェックがあった。バス乗客の全ての荷物をコンクリート地面上に並べさせ、乗客を荷物から離し、検査官が連れてきた犬が荷物の周辺をぐるぐると歩き回る。スペイン語が理解できなかったので、私は他の乗客の見様見真似で行動して、犬が出てきてやっと検査官の意図を理解するという次第だった。
国境に着き、パナマ側の出国手続きで建物内で再びみんなが荷物を並べていく。私の小さな荷物を彼らの巨大な荷物の間に挟むと荷物から離れるよう命じられる。また犬が現われ、しばらく歩き回ると税関検査終了が告げられる。私は自分の荷物を取り上げて真っ先に出国審査の窓口に並ぶ。
出国審査を終えてバスに戻ると車掌が、200m先にコスタリカのイミグレーションがあるから、そこまで歩いて行って入国審査を済ませるようにと、スペイン語で言っているようだった。私はバッグを背負ったまま、暗闇の中コスタリカ側に向かった。

コスタリカ側での入国審査は簡単に済んだが、税関がいつどこでどのように行なわれるのかが、片言の英語を話す人に尋ねても釈然としない。金網で囲まれたスペース内で行なわれるようなのだが、誰も人がいないのだ。
しばらくすると数人の客を乗せたバスが走り出し、コスタリカのイミグレーション前に到着した。そして、バスにチェックインされていた乗客の荷物を出して、金網の中に運び始めた。これでやっとわかった。また、荷物を並べて犬に歩かせるのだろう。私も自分のバッグを大きな荷物の間に並べた。暗い灯りしかない屋外の税関スペースでは、他の乗客たちの荷物に挟まれ、少し離れると自分のバッグの位置が確認できなかった。
コスタリカの入国審査を終えた乗客たちが集まりだし、大きな荷物がまだバスから金網内に運ばれている時、バススタッフが乗客たちのパスポートと税関申告書を集め始めた。申告書に記載漏れがないかどうかを確認しながら集めている。私もバッグの近くを離れ、申告書を提出すると、高額所持品の申告でパソコンとカメラがあるのを見て、これはまずい記載しない方が良いので書き直すようにとブランクの用紙を差し出された。私はその場で書き直して再提出。約5メートル離れた荷物の近くに戻ると私のバッグが置いてあった場所に大きな荷物が重ねられ、更にその上に幼児が腰掛けて近くに寄っても自分のバッグが確認できない。
まずい。完全に数分間バッグから視線をはずしていた。上に載せられていた大人一人が入れそうなバッグを少し持ち上げてみるが、ない、私のバッグが見当たらない。自分のバッグをどの鞄の隣に置いたのかもわからなくなった。現地のバススタッフらしき少年が巨大バッグを運び入れながら、スペースを作るために他のバッグを移動させている。私はその少年に自分のバッグが見つからないのだが、どこかに移動させていないかと尋ねたが言葉が通じていない。車掌をみつけ、彼に一緒に探してもらうが、乗客の荷物が溢れる薄暗い中、探すのは容易ではない。
税関職員が現われ、パスポートの名前を読み上げひとりずつ前に呼び、机の上で荷物を開けさせる。コスタリカは犬歩き回り方式ではなかった。
10m四方ぐらいの金網で囲まれた税関スペースから検査が済んだ荷物がひとつずつ減っていく。私の黒く小さなバッグが埋もれていた荷物の中からひょっこりと出てくるのではないか。そんな簡単に盗難になど遭うものではない。私は淡い期待を抱きながら、税関検査の進行をじっと見守っていた。乗客の何人かが私を気遣い、まだ出てこないのか、あの荷物がそうじゃないか、と声をかけてくれる。

しかし、ついに私の荷物は出てこなかった。

財布、パスポート、中米のガイドブック1冊だけ残されたが、それ以外の荷物を全て失った。私はバスを降り、現場から100mの距離にある警察署に向かった。オフィスには警官が10人以上いたが英語を話せる者はいない。30分ぐらい経ち連れてこられた通訳者は段ボールを寝床とするインテリ浮浪者だった。
彼はバッグの中にクレジットカードが入っていたことを確認すると、まず何よりもカード会社に連絡しろ、と言う。当然私もそれを考え、彼が来る前に何とか国際電話用のテレホンカードを入手するところまでできたのだが、警官に手伝ってもらっても公衆電話でテレホンカードが認識できずに困っていた。私は海外での電話はほとんど成功した試しがないのだ。浮浪者はコレクトコールすればカードはいらないんだよと言い、すぐに電話をかけた。
彼の助けにより簡単に日本のカード会社に繋がり、カード利用停止と共に盗難保険申請のために必要な書類の確認ができた。髭で覆われた細面で、浮浪者独特の臭いを放つ自称ビンラディンは、英語を流暢に話す頼もしい男だった。
国境の警察署という緊張感がなく、警官たちはみな温和な人たちだったが、盗難のポリスレポートが作成されるまでかなりの時間を要し、6時間後の夜中1時にやっと警察署を出ることができた。
浮浪者風の男は警察署からの謝礼として粗末な食事を与えられていたが、私からも礼としてたまたまポケットに入っていた6ドルを彼に渡すと、久々に大金を手にしたようで喜んでいた。近くのホテルまで案内してくれるビンラディンと夜道を歩いていると、彼の身軽な気楽さが理解できるような気がした。
クレジットカード1枚とパスポートはあるので、必要最低限の物を買えば良いだけだ。重い荷物から解放され、手ぶらに近い身軽さを楽しみながら旅を続けようかと考えていた。

ホテルに入りひとりになると疲れがどっと溢れ出てきた。

翌朝、再び喉が腫れあがっていた。普通の風邪だったということだろう。完全にぶり返した。
買い物のため外に出かけ、浮浪者ビンラディンを探した。彼に店を案内してもらい食事でもご馳走しようと考えていたのだ。まず、気さくな警官ばかりがいた警察署を訪れたが、夕べと当直が代わり、みなピリピリとして冷たい対応しかしない。警官から浮浪者の寝床があると教えられた『そのあたり』を探したが、ビンラディンを見つけることはできなかった。

風邪で喉が痛い。現実として受け入れ難かった夕べの事件が、やっと自分の身に染みて感じられるようになってきた。必要最低限の買い物さえすれば旅を続けられるといっても、コンタクトレンズを装着している超ど近眼の私にとって、眼鏡がないのが厳しかった。特殊なレンズでないとほとんど矯正されないので現地購入は困難だ。
さらに冷静に考えるとそんなことよりもPCが盗まれていることが問題だ。PCのパスワードが破られ、日本語がわかる人間に各種情報が盗まれる前にあらゆる手をつくさなければならない。

これからやっと中米の楽しそうな旅が始まるというのに、帰国しなくてもなんとかなるのではないか。駄々をこねる子供の自分との葛藤があったが、私はパナマシティに戻り、ロサンゼルス経由で帰国することとした。

かくして”中米をぐるり”を予定していた旅は”中米をぐ・・”で終わってしまった。

<謝罪と反省>

今回の件は情けないだけでなく、日本人が狙われやすくなるという意味で、今後の日本人旅行者に多大な迷惑をかけたことになります。これからこの地域の旅を予定している方々に深くお詫び申し上げます。

スリナム、ガイアナ、ベネズエラの治安の悪そうな国々では、バスに乗車中も離れる時も常に荷物を抱えるという厳戒態勢で臨んでいました。スリナム、ガイアナはバスといってもマイクロバスやワゴンの狭い座席に詰め込まれるため、膝の上に荷物を何時間も置いていると、歩くのもつらくなるほどの筋肉痛と疲労がありました。
南米と比べかなり安全に感じたパナマの滞在で警戒心が薄れ、中米一治安が良いと言われるコスタリカに向かうバスでは、病み上がりの体に鬱陶しかった厳戒態勢を解除して、休憩中は車内にバッグを置いたまま食事していました。

今回のケースは、税関検査のための網で囲まれたスペースでの出来事とはいえ、夜、屋外で数分間にわたり荷物から離れ視線を外していたという、あまりに初歩的なミスで弁解のしようもありません。今回の教訓による注意点は以下の通りですが、基本的なことばかりで恐縮です。

・いかに安全そうな国、場所であっても貴重品の入った荷物からは一瞬でも視線を外してはならない。
・決して失ってはいけない物を明確にして、それらは常に身につけている。(私の場合、パスポートとクレジットカード以外に眼鏡とPCを失えば旅を終了せざるをえないということが、盗難に遭ってわかった)
・PCをもっと小型にして常時携帯しやすくするか、旅行用PC内のデータを大幅に制限して盗難による影響を小さくする。(私の場合、自宅でメインPCとして使用していたものをそのまま持ち出していたため、パスワードを破られた場合、どこまで被害が拡大する可能性があるかすらわからなかった)
・長距離バスの乗客たちとはできるだけ仲良くなり、一緒に行動することが望ましい。(仲良くなった人の荷物と一緒に置いていれば、荷物から離れても盗難に遭う可能性は低かったと思う)
・現地の言葉はできるに越したことはない。(乗客たちと会話ができ、出入国時のしくみも理解できただろう)

私は海外旅行保険はクレジットカード付帯で十分(旅行期間90日間までの制限あり)と考え、一般の海外旅行保険には加入していない。盗難時には以下の2枚のカードを保有していた。
 ・マスターゴールド
 ・ANAフライヤーズカードVISA(ワイド会員の保険内容と同等)
上記どちらの付帯保険も盗難に関しては限度額30万円(盗難品1個につき限度額は10万円)であったため、マスターゴールドで盗難保険の申請を提出。購入時の合計金額64万円で申請したが、経年減価、減価償却分が差し引かれるため、これでやっと支払金額が30万円の満額に達すると計算していた。他にも傷害保険を申請するつもりだったパナマでの治療費用(約5,000円の領収書が盗難)、メキシカーナ航空のリターンチケット再発行手数料(100ドルの費用が1年後に発生)や5,000円以内の衣料など細かなものや面倒なものの申請は省いていた。

通常、申請後10営業日で保険金が支払われるところ大幅に期間を要したが、審査の結果は期待をはるかに超えるものだった。
認定額が30万円を超えるため、ANAのVISAカードの保険会社と合わせて対応するとして約50万円の支払があったのだ。複数の保険に加入している場合、盗難保険の限度額が合算された金額に引き上げられるのだ。想像もしていなかったルール(手許にある案内や規約の冊子からはそのような記述がみあたらない)により驚きの保険金を受け取ることができた。

送付された支払明細によると、購入後1年未満のPC約17万円が10万円(1個の限度額10万円のため)になっているのが痛いが、購入後1年未満の品が購入費用から10%程度の減額、3年経過した品が50%の減額と予想より低い減額率になっていた。

私の経験より盗難保険を申請する上で重要と思われることを以下に示します。ただし、これは私の勝手な解釈であることを承知の上、参考として下さい。

1.警察の事故証明書(police report)には可能な限り全ての盗難品を記載する
ポリスレポートを書いてもらうまで警察署でかなり待たされたため、コレクトコールで保険会社に保険対象商品の問い合わせをした上で、紙に書き出して盗難リストを作成していた。冷静になって考えればいろいろと出てくるものだ。(しかし、その時も限度額30万円という意識があったため、この程度にしておくかで止めていたが、数冊あったガイドブックや途中で購入した土産品も含めておけば良かった)
そして、警官に嫌な顔されても(私の場合コスタリカの温和な警官と親切な通訳者で助かったが)リストアップした全ての盗難品をポリスレポートに記載してもらうことが重要だと思われる。
盗難時、警察への第一報は迅速にすべきだが、ポリスレポート作成は、一晩おいて自分が落ち着き、時間をかけて盗難品リストを作成して、担当警官に余裕のある時間帯に行なう方が良いかもしれない。

2.購入品の領収書類はできるだけ保管しておく
カメラ購入時に古いカメラを下取りに出すようになってから、購入した電化製品類は全て下取りに出すつもりで保証書類や製品箱をそのまま保管しておく癖がついている。保証書と合わせて領収書は何年も保管していたため、今回多くの盗難品に関して領収書あるいは保証書を添付して申請することができた。衣類など領収書類を添付できなかった品についても減額率が変わらなかったのは、保険担当者の心象を良くした結果ではないかと勝手に考えている。

3.できるだけ事実を正確に申請する
盗難保険は被害者の過失度合に関わらず保険金が支払われることになっているため、正直に事件の状況や所持品の事実を伝えるべき。申請を提出した後、保険会社から盗難時の状況や鞄の形状など細かな追加質問が書面でいくつかあったが、できるだけ詳細に不整合がないよう答えていたので、申請内容がそのまま認定されたと考えている。(これは当然のことなのであまり関係ないかも)

以上、保険のおかげで今回の事件による金額的な被害は最小限に抑えられたが、海外旅行時は高額な品を持ち歩かないようにして、可能な限り盗難に遭わないよう細心の注意を払い続けたい。
(後日談)旅行者の噂では、初回は比較的簡単に保険金が支払われるケースが多いが、2回目以降の申請は審査が厳しくなり支払われる額も予想より減少するそうだ。盗難保険の利用は最初で最後にしよう。

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