タグ別アーカイブ:お子さま ( 30件の日記 、ページ 1/3 )

[ウガンダ]ジンジャ

<マーケットの野菜売り場(服装、商品、売り方に特徴がなく面白味がない)

<柔らかな表情と険しい表情の姉妹(同一姉妹の2枚組)

ビクトリア湖から流れ出るナイル河の源流があるジンジャ。
ビューポイントに行き、あそこが源流だと教えられたが特に美しい眺めがあるわけでもなく感動は薄い。
源流から数キロ下流にあるブジャガリ滝も見に行った。水量が多く迫力あるが、うーん、こんなもんかという感じ。

ウガンダ観光はゴリラでも見に行かないと満足できないかもしれない。

ウガンダはカメラへの抵抗があまりないようだが、女性に「撮ってもいいか」と尋ねると、大人だけでなく子供にまで拒否される。
それでも西アフリカより撮影のチャンスがずっと多いのだが、西アフリカと比べるとマーケットや農家などがごく普通に見えてしまうので、あまり撮影意欲が沸かない。

<ウガンダめも>
  • カンパラからルワンダ国境までの幹線道路はほぼ舗装しているが穴が多く、ニジェール、ナイジェリアなみの悪路で、ナイジェリアなみに飛ばす車が多い。カンパラからジンジャ(区間)のみまともな舗装道でジンジャからケニア国境(区間)まではコースによって恐ろしく荒れる。
  • バスの出発時、運転手が乗り込みエンジンをかけ、今でるもうでるというフリをしながらなかなか発車しない。ムバララからカンパラに向かう大型バスがちょろちょろ移動しながら路上で客集めして2時間近く出発しなかったのは呆れてしまった。
  • 東アフリカのホテルはどこもチェックアウトが午前10時なのが気に入らない。(西アフリカは12時か13時)ジンジャの宿代千円ちょっとのホテルは9時だった。チェックアウト後に安心して荷物を預けられるような宿に泊まっていないと、午前中観光して午後移動ということができなくなる。
  • ATMの数は多く、VISAカードのキャッシングは数台に1台ぐらいが可能。
  • 食事は特に美味しいというほどではないが、ケニアと比べ全般にまともだった。カンパラはインド料理がうまかった。
  • カンパラ以南の地方は牧草地が多く、角の立派な牛が多い。
  • 体のでかい鳥(サギやハゲコウなど)が多い。
  • 人は穏やかで悪くないと思う。特に親切ということもないが、嫌な人には会っていない。
  • なかなか発車せずトイレ休憩のないバスでの移動の辛さやカンパラの密集度の高さから受けるストレスを考えると、あまり面白味のないこの国を敢えて旅しようとは思わない。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[ウガンダ]カバレ

<カバレ農村地区から中心部へ向かう道>

<農村地区の庭先のお子さまたち>

なだらかな丘が続くウガンダ農村部は緑が美しく、多様な大型鳥が車窓から見られた。

国境近くの小さな町カバレは中心の通りを外れるとすぐ農村地帯で、道で行き交う人々の多くが静かに私に挨拶していく。肌寒さを感じる朝霧の中、気持ちの良い散歩だった。

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またもや予想外の長時間移動。ガイドブックによると5時間のはずが、特に故障などのトラブルもなく9時間(あとでルート距離をみると400kmなので9時間は妥当)かかった。更にこの大型バスは午前11時に発車したのに食事休憩もトイレ休憩もない。ニジェールやマリのちんたら走るバスでは客の乗降による停車時、検問時など、少なくても男性ならいくらでもトイレのチャンスがあるのだが、ケニアやウガンダでは停車してもすぐ発車するので用を足すことが許されない。トイレが可能だったのはカンパラ出発直後の給油時と、それから5時間後、ある乗客がもう我慢できないと強く訴えたことにより行なわれた道端臨時停車のみ。

通常5時間の距離だから休憩がないのかと考え、もう着くだろう、もう着くだろうと思いながら9時間。トイレにいつ行けるかわからないので、いつものことながら、乗車3時間前から到着まで飲まず食わず。大型バスといえども車内の乗客密着度が高く、常に隣の人と強く押し合っている。比較的楽に旅ができると言われるウガンダなのだが、アフリカの移動はつらい。

実際はどの交通手段を選ぶかであたりはずれが大きそう。
ケニア国境からカンパラまでのミニバス(ここではTaxiと呼ばれる)が定員乗車で楽だったのだが、ウガンダのミニバスはとんでもなく人を詰め込むというネット情報をカンパラで見てしまい大型バスにした。しかし、少なくとも私の乗車したHorizonという会社ははずれだった。バス会社のオフィスが分散していて、どのバス会社にどこ行きの便があり、何時に発車するかを足でたずね歩くだけで大変。
バスの良し悪しを選ぶ余裕などない。

<参考図書>地球の歩き方 東アフリカ 1999~2000 =>最新版 2016~2017

<たびメモ>

「歩き方」にこの町が載ってなかったので、バス停の目の前にあったVisitour Hotelに部屋を取る。トイレ・シャワー付のツインで500円強。枕とタオルが臭かったことと、トイレに未使用コンドームが積み上げられていたこと(娼婦らしき人おらず)以外特に問題なし。シャワーはお湯がちゃんと上から流れ落ちる。1階の食堂で2食分の量を食べて200円強。地方の物価はかなり安い。

[マリ]セグー(1/2)

segu

<天気が悪く活気もないニジェール河>

風が強く吹き、天気が悪く、肌寒いマリは想像していなかった。
前回訪れた時あんなに華やかだったセグーの河岸がこんなに寂しいとは。ツアーを売り込みにくるガイドが言うには、ここから船が出るカラブグという村で市が立つ月曜日は活気があるが、それ以外はこんなものみたいだ。

ケニア航空の運航日程変更により、バマコからナイロビへのフライトが1日遅くなっていることを知った。もっと早く知っていれば(ビザ取得を考え1日足りず断念していた)ギニアに入国していしていたのに。体調が悪いから無理せずに済んだことをラッキーと考えるべきか。
閑散としたセグーにもう1日滞在する必要がでてきた。

segu

<バスで一緒になった裕福そうな家庭のお嬢ちゃん>

[ブルキナファソ]ワイグヤ

ouaiguia

<ワイグヤの名称不詳モスク前(写真加工により電線一部消去)

ouaiguia

<ナバカンゴの家 ( Maison du Naba Kango ) 航空写真

移動で熱を出して寝込み、翌朝少しだけ回復した体を気遣い短かい距離で刻んでいるのだが、想定外の長時間移動となってしまい、また寝込む。

観光する時間もなく写真を撮る気力すらないまま、ファダ、ワガドゥグを通り過ぎていた。このままではブルキナファソの写真がなくなってしまうと思い、次の移動のバス出発時間を遅らせ、アスピリンが効いて動けるようになった体で小さな町ワイグヤ(ワヒグヤ)を歩き回る。

小さな市場があり、ささやかながら観光スポットも楽しめ、子供たちと触れ合うこともできた。これぞマイナースポットという感じの町だった。

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ouaiguia

ニジェールから中耳炎が原因と思われる偏頭痛がずっと続いていたが、昨晩、それが左側顔面全体に広がり、ベッドに横になっていても耐えられなくなった。普段、薬を飲まない私は持参した頭痛薬が2錠しかなくすぐになくなっていたので薬局でアスピリンを購入。2錠服用すべきところ1錠しか飲んでいないのだが信じられないほどの効きめがある。

食欲がでてきたので食べ物を探したがまともなレストランがほとんどない。やっとみつけたレストランだったが、黒板に書かれたメニューを注文するとそれもないこれもないばかり。あるものは卵とライスとパン、それからライスにかけるスープ(タレ?)だけ(右写真)。栄養を摂りたかったのだが、腹を少し膨らませただけだった。

<ブルキナファソめも>
  • 自転車大国なのか1人に1台と思われるほど自転車が多い。
  • 自転車とともにバイクも多い。首都ワガドゥグでは久しぶりに排ガスを吸わされ、肺炎か気管支炎の症状悪化。
  • ミニバスの屋根にバイクや自転車を積み上げるので上げ下げに時間がかかる。
  • 道がいいのに車の運転はニジェールなみにトロい。ミニバスは客待ち時間が長く、集落で頻繁に停車してかなりイラつく。このトロトロトロキナファソ、と心の中で叫んでいた。本数が少ないが、大型バスの方が断然良い。
  • 大型/中型バスは定時発車。ミニバスも一部、定時発車があり驚き。
  • 泊まった宿3つのうち、一つはまあまあ、ガイドブックに載っていなかった2つの宿は驚くほどきれい。
  • ここもペットボトルの水がなく、ついにビニール袋詰めの水に手を出す。500mlで10円。ただの四角い袋に水が入っているので、角を1ヶ所、口で破り吸い込むように水を飲む。口をつけるところが問題なだけで、中身は大丈夫そう。
  • ニジェールと比べて顔の造りはぐっと落ちる。顔が横に広がり目鼻が崩れる。
  • 車窓に広がる自然は水があることにより、ニジェールより美しいかもと思わせるシーンがいくつか見られた。ホテルが清潔で道も整備されているのでチャーター車で回れば楽そう。ボボデュラソなどの観光地に行っていないので評価できないのだが、ニジェールやマリのついでに旅するかどうかという程度だと思う。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[ニジェール]コンニ(2/2)

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<コニ裏通りの快活なお子さまたち(2枚組)

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<道端でモロコシ(ソルガム?)を売っていた親子>

とりあえず高熱は治まったので、カメラを抱えてコンニの裏通りをぶらぶらしてみると、撮れ撮れと大興奮の子供たちに囲まれる。彼らに押され気味になりながらシャッターを切った。できれば愛嬌のある子どもを撮りたいと狙っても、ほとんど無理だった。

ニジェールはこれといった見どころがなくても、人々と触れ合ったり、生活を拝見するだけで私にとって観光になる。ナイジェリアなど通らず健康な状態でニジェールに入るべきだった。

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ニジェールにもいろいろと大変なことがある。

まず車がトロい。マラディからビルニン・コンニまで大型バスで3時間、プジョーのステーションワゴン(日本人なら7人乗りでも窮屈、こちらでは10人乗り)で3時間半、ワゴンのミニバスで4時間半とガイドブックに記されており、早朝起きれず大型バスを逃した私は、プジョーに乗った。(ルートを見ると240kmもある)
長くても4時間半で着くと思い、いつものように水も持たずに乗った。舗装道路には数多くの穴があり、集落周辺にはバンプ(減速用の段差)があるのだが、プジョーはそれらを止まるぐらいのスピードで越えていく。ナイジェリアでは逆に天井に頭を何度も強打するぐらいのスピードで駆け抜けていたから、その違いにかなりイライラする。減速しすぎてか何度もエンストして、その度にボンネットを開けて水をかけ、スパナでエンジン部分を何度かおまじないのように叩き始動させる。止まるほどの速度で走るということは風が全く入ってこないということで、炎天下車内の温度は42度を超えている。そして、息もまともにできぬほどの密着。結局、7時間半かかり、晩に高熱を出す大きな要因になった。

ニジェールはボトル入りの水がなかなか売っていない。人々が飲むのは500ccぐらいの袋入りの水で、ブランド名などが印刷されているのはまだしも、無印モノが多い。隣国ベナンの道端で大きなタライに入った水を袋詰めしているのを目撃したことがある。マラディのホテル近くに露天売りの小さな店がいくつかあったが、ボトル入り水を売っている店が砂の道を10分くらい歩かないとなかった。
また、マラディからコンニまで7時間半の道中、飲み物を買うチャンスは何度もあったが、袋入り水以外は炭酸飲料しかなく、下痢を伴う体調不良のなか移動していたため炭酸飲料が飲めず(お腹の丈夫な人には理解できないでしょうが)我慢せざるを得なかった。

蚊が多く、ホテルでは蚊の対策が取られていない。マラディで泊まった1,300円のホテルでは、1m四方ぐらいの窓ガラスが1枚抜けていることに部屋を取ってから気がついた。カーテンで覆われているとはいえ蚊が入り放題。(1階入り口近くの部屋なので防犯上の問題大ありだったが蚊の方が気になった)
部屋に蚊帳がないだけでなくシーツもなく、シーツや寝袋を持参していない私には絶対絶命。シーリングファンを回し続け、ウィンドブレーカーを着て、下半身は長ズボンだけでは蚊に喰われまくるので、巨大アルミホイルのようなサバイバルキットを掛けた。なにしろ、日本から持参した蚊取り線香が効かないのだ。
顔の周りを羽音を立てて飛び回っているので蚊取線香が消えたのかと起き上がると点いている。いったい何のために日本から連れてきたか知っているのか。お前のミッションは例えアフリカの蚊であろうと全て殺戮することではないのか。
香取線香が信用できなかったため、アルミホイルがシーリングファンの風で巻き上がるのを体で押さえながら、厚着して汗をかき、眠れぬ夜を過ごした。

その後よくよく観察したところ、この蚊取り線香が煙を出している間、蚊は元気に飛び回るが人を刺すことはないようだ。線香が消え煙が止まると、蚊どもは暗示が解けたかのように血を吸いに皮膚が露出した部分に集まってくる。
この蚊取り線香の会社はなんという手のこんだことをしているのだろう。
あんたらブッディストか。

conni

<コニ裏通りのお子さま(2枚組)

[ニジェール]コンニ(1/2)

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<夕方出会ったかわいらしいお子さまたち(2枚組)

conni

<夕陽のあたる子>

喉と肺の炎症で声が出なくなり、体がかなりだるくなってきた。夜、熱を測ると39度あった。日中、外が40度前後のため熱が出ていても気づきにくい。

何にもなさそうなコンニ(ビルニンコンニ)で休養することとした。ナイジェリア及びベナンで浴びた猛烈な排ガスが直接の原因とわかっているので、体を休ませてまともな食事をとれば治るだろう。

ニジェールに入り、人々がおっとりとして穏やかになった。時々はっとする美形の女性に出会うが、体に不具合を抱えた大人やまともな衣服を着ていない物乞いが多くなった。

[ナイジェリア]カノ

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<ナッツ売りのショウジョ/路地のお子さん>

kano

<カノ旧市街でコーランを勉強中の子供たち>

ナイジェリアはギブアップ。街中が白煙にけむる排ガスに目鼻と喉が耐えられない。
そして電気が止まる。博物館に入っても暗くて屋内展示物が私の目にはほとんど見えない。博物館スタッフは、少なくとも日中はほぼ1年中電気が供給されないと言っていた。(それなら自家発電しろよ)

そして、夜になっても電気が止まっているからホテル(今日のホテルは自家発電あり)の近くの店に買い物に行くのにも危ないってもんじゃない。道には歩行用のスペースがなくバイクや車をよけ、深い下水溝を何度もまたがなければならない。歩くだけでも大変でスキだらけなのだが、私からは何も見えない暗闇から何度も嘲笑を伴った声がかけられる。いつ襲われても不思議でない。

こんな状態で暴動も起こさず暮らしているナイジェリア人の忍耐力たるや相当なものだ。
=>(後日談)私が出国した1週間後にカノ - イバダン間にある街ジョス(Jos)で数百人の死者が出る暴動発生。苦難な生活を強いられている人々は、何かきっかけがあると不満が噴出して暴動となる傾向がある。

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昨日、オソボから16時間かけて移動して、カノのターミナル到着が夜中の0時半になってしまった。かなりふっかけてくるバイクタクシーの料金を値切っているうちに選択の余地がなくなり、面構えの悪い男の車に乗ることになった。(運転手を選ぶ際に面構えの善し悪しは非常に重要)

街の中心部に入ってくると車も人もほとんど通っていなかったが、暗闇で懐中電灯を上下に小刻みに揺らしバイクを止める検問が大きな交差点毎にあった。
3つの検問を無事通過して、ホテルがすぐ近くの4つ目の検問で、警官が明らかに賄賂を要求するしぐさをしながら英語か現地語を発した。何を言っているかわからんと伝えると、彼ら5人ぐらいのリーダー格の警官が出てくる。その警官は手荷物検査と称して暗闇の中、バイクのシートの上でバッグを開けさせる。この嫌がらせに耐えれば通過できるかと思ったが、検査後その男はわかりにくい英語で話しかけてくる。理解できた内容は次のようなことだった。
「私たちはこんな夜中に検問をしてあなたたちの安全を守っている。あなたに家族がいるだろうが私にも家族がいる。あなたと私は一つだ」
賄賂を要求しているとしか考えられないが、筋が通っていないのでso what?なのだ。

私が「じゃあ夜遅いのでホテルに行くよ」と言うと酒臭い息をはく男はまた同じ話を始める。彼の話が終わる度に「あんたの言っていることは意味がわからん」と言うことを5回ぐらい繰り返しやっと通過できる。脅迫されてはいないが、深夜に30分近く足止めさせるという性質の悪い警官である。

この手のアフリカ役人は賄賂で稼いで豪勢な生活をしているかというとそういう訳でもなくて、役人だというだけで近親者からたかられるため、その分を賄賂で賄い続けるのが大変なのだという。

この酔っ払い警官の場合、もっとかわいらしく金を要求していれば、「君、そんなにお金欲しいの?あんまりあげるとまた酒飲んじゃうから百円でいいかな。5人で仲良く分けてね」と早めにあしらっておいた方が結果的良かったようだ。しかし、明確に要求されていないのにこちらから金を差し出すなど旅人のはしくれとしてできる訳がない。

警官とやりあっている間、バイクタクの運ちゃんはじっと動かずに待っていて、私が解放されるとホテルに連れて行き、閉じられた門の外から何度も怒鳴りつけスタッフを起こしてくれた。
なかなかいい運ちゃんで助かったと思い、40円のチップを上乗せした200円を差し出すと、彼はみてくれ通りの男に豹変した。
「そんな額受け取れるか。今、1時半だぞ。こんな深夜に検問でどれだけ待たされたと思っているんだ。千円だせ」
深夜のホテル内に響き渡る声で要求してきた。

私は16時間の移動で疲労困憊していたが最後の力を振り絞り、キレてみせる。
「何言ってるんだ、乗る時に決めた額は160円だぞ、そんなこと言うならそれ以上は払わん。だいたい検問で足止めさせたのは警官だ。みんなあんたの国の警官だからな。外国人の私は被害者なんだぞ。あんたが足止めされた分の金を取りたいのならな、あの酔っ払い警官に要求しろ」
そう言って160円を差し出すと、彼は苦虫を噛み潰したような顔をしながらすごすごと腕を伸ばし、金を受け取るとそのまま立ち去った。
激昂した彼の形相からてこずるかと思っていたが、悪人面のナイジェリア人も話せばわかるではないか。(英語が通じるのが大きい。まあ、このドライバーは悪い人ではなかったのだろう)

役人の賄賂体質は国民ひとりひとりが努力して変えていかねばならんのだよ、と説教をたれたかったが、そこまで英語が続かなかった。

<たびメモ>

オソボからアブジャ、カドゥナ経由でカノまで行く(たぶんこんな感じのルート:+で1つ拡大)乗り合いワゴンのターミナルを町歩き時にたまたま発見。2,800Naira。朝8時にHotel Terminus International前を発車。相当うまくいって14時間か。私の場合、30分遅れで出発、乗客が減ったため途中で乗り換えさせられ16時間かかって、カノに深夜0時半着。とてもお勧めできないが、アブジャかカドゥナまでは使えないこともない。

<ナイジェリアめも>
kano

<バイクタクシーの群れから白煙が上がる>

  • オソボからカノまでの間、12時間以上同じミニバスに乗っていて食事休憩が1回だけ。トイレは途中で客の荷物を積んでいる間にその停車している付近で済ませるしかない。ほとんど『どこでもトイレ』になり得る。
  • ナイジェリアで2番目に大きいという大都会カノのホテル近くでレストランを探している時、入ろうとした店のオープンテラス入り口で立ちションしている男がいた。この店はやめようと立ち去ろうとすると、その男が声をかけてきてその店の主人だということがわかる。都会だろうと食堂の敷地内だろうと『どこでもトイレ』なのだ。
  • ガーナからずっとだが、相変わらず男は坊主頭ばかり。ベナンとの国境からの乗り合いタクシーにパンチパーマ程度の髪がある黒人が同乗していたが、その男はニジェール人で、検問で警官に目をつけられ彼だけパスポートを調べられることが何度かあった。かわいそうなことに調べられる度に賄賂を要求され、挙句の果てにはお前のせいで何度も車を止められたとタクシードライバーから追加料金をしつこく要求されていた。隣国の訪問者を食いものにするとは何たる極悪人ども。
  • これもガーナからずっと、たばこ吸う人が皆無。
  • こちらの人たちは、「おいっ!」と呼びかける代わりに「プスッ!」と唇をはじいて息を飛ばすことにより、他人の注意を引き付ける。車の騒音でうるさい場合には、喉を震わせ大声を出すよりもプスッの方が伝わり易いようだ。ガーナからずっと気になっていたが、ベナンで耳にする頻度が上がり、ナイジェリアに来てここがプスッの本場(帰国後ネットで調べるとイタリアなどヨーロッパでもプスッが聞かれるとのことで英語でpsstのよう)なのではと感じている。このプスッは外国人の気を引くのにも使われるため、道を歩いているとあちこちからプスップスッという音が鼓膜を攻撃する。声と違ってこの音は点で相手にぶつけられるのだ。何台ものバイクタクシーが連なり低速で走っている時、道端から空気銃が発射されたようにプスッという弾が飛んできて私の近くで破裂した。呼びかけられたのは私じゃないと気づいたのだが、私の前を走っていたバイクタクの客が振り向き、プスッを発した友人に手を挙げていた。使い慣れている人たちにとって、このプスッは大声を出すよりもはるかに有効なのである。
  • ナイジェリア人は決して悪い人やおかしな人ばかりではない。他の西アフリカ諸国同様、親切でやさしい人が大勢いる。西アフリカの中では先進国のせいかどうかわからないが、感覚が日本人に近いと感じる人が他の国と比べて多い。しかし、写真を撮ろうとすると、喜ぶ人、気にしない人、嫌がる人、カメラを向けていないのに怒り出す人など反応が様々で、それが全く読めないというのが非常につらい。
  • 写真に関しては子供たちですら、逃げるもの、怒るもの、喜ぶものと反応がまちまちで疲れてしまう。親に連れられた5歳ぐらいの幼児はカメラを向けると泣き出してしまったが、どうやらこの子はカメラが怖いのではなく黄色人種の私が怖くて泣いているようだった。黒人以外見かけぬ下町の路地をうろついていた私は、日本の農村に現れたボビーのような存在だったのだろうか。
  • ナイジェリアでは、ボビー・オロゴンのように低音で喉の奥を膨らませながらゆっくりと話す人を何人も見かけた。男だけでなく女性のボビーもいた。ナイジェリアには、外見だけでなく話し方までボビー似の人たちで溢れている。
  • ナイジェリアの都心は排ガスが常にもうもうと上がり昼は街が白濁している(上の写真)。バイクタクシーや乗り合いミニバスで街中を移動する際、防塵マスクを付けていないと肺や喉がやられる。現地人は交通整理の警官も含めて、マスクの類をしている人をみかけなかった。バイクタクで信号待ちしている時、背の低い子供が私に物乞いしてきた。前方に停車していたバイクから排出される白煙が、その子の顔にまともに噴きかかっていたが、彼は排ガスを全く気にすることなく話し続けていた。ナイジェリア人は生まれた時からこの排ガスを吸わされ、丈夫な人たちだけが成長しているのだから、外国人が現地人に倣ってマスクをしないでいたら身が持たない。何らかの対策が必要。
  • イバダンとカノで電気のない夜の街を歩き回った。車のライト以外は屋台のろうそくぐらいしか灯りがないのだが、大勢の人々が出歩いている。懐中電灯を持っている人は非常に少ない。私が懐中電灯を照らしながら歩いていると暗闇の中からいろいろな声がかかる。闇に潜む無数の人々から見つめられているようで恐怖を感じる。
  • ガイドブックで少なくともオソボでは両替不可とあり、銀行もない町かと思ったら、大きな銀行店舗がいくつもあり、Dollars Availableの表示がみられた。更に停電中でも稼動しているATMをほとんどの店で設置していていくつかは看板にVISAの表示があったのでVISA出金可能と思われる。他の都市でも銀行店舗はよく目に付き、ATM台数がかなり多い。カノでは店舗外ATMでもVISA出金できたので、少なくともVISAキャッシングを利用する人は両替の心配不要。私は最新2006年版ロンプラの超古い情報(ここ2、3年の間にこれだけのATMが設置されたとはとても思えない)を信用してしまい、いくつも無駄な対策を取ってしまった。
    <参考図書>Lonely Planet West Africa (6th Edition)=>最新版 West Africa (9th Edition)
  • ロンプラ表示の料金と比べて交通機関は6割前後上がっていたが、ホテルはせいぜい1割高くなっている程度。
  • 英語が公用語で、外国人と会話する機会が多い人はまともに話せるようだが、一般の人々の英語はかなりひどい訛りがあるようだ。高校生ぐらいの少年が私に話しかけてくる英語が理解できず、単語を紙に書いてもらったら、想像を超えた発音をしていることがわかり、彼らの英語はヒアリングしないことにした。
  • 2件の宿が満室で深夜のため仕方なく泊まることになったカノのスイートルーム(3,500円)でもシャワーヘッドが飾りモノでホースと繋がってなかったため、バケツの水で体を洗う。
    ≫≫(後日談)これが西アフリカ安宿のスタンダードだと思っていたが、シャワーが必ず壊れているのはナイジェリアとベナンだけだった。どうしてナイジェリアと隣の小国ベナンは何でもかんでも特別にひどいのだろう。(ベナンは小ナイジェリアのよう)
  • 街中の深い排水溝に厚く堆積したゴミを見ていると、この国がまともな状態になることは今の世代にはないような気がしてくる。西アフリカではどの国でも、『どこでもゴミ箱』のように平気でゴミを捨てているが、ナイジェリアは人口密度が高いためにゴミの堆積がどこよりも多い。ゴミを食べさせるためか、街中にやぎが放されているが、とても彼らが食べきれる量ではない。
  • 虚弱な私はナイジェリアでは3日以上生きられない。
    ≫≫この後の日記に記しているが、中耳炎などの症状で3日後に発熱して3週間苦しむことになる。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[ベナン]ウイダー

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<路上の売り子(かわいらしく撮れなかったので2枚組)

緑が美しく小さくまとまった町は散歩してもバイクタクシーに乗っても気持ちがいい。これで観光資源が充実していればお勧めできるスポットなのだが。
観光ポイントになっている博物館と聖なる森は、どちらもこんなの見るために外国人観光客来ないでしょうというレベルなのだ。

美しい女性やかわいい子供も多く、挨拶を交わしながら楽しめる。しかし、写真を撮っていいかと尋ねると初日は見事に全て断られた。
2日目の朝、静かな通りにぽつんと店をだしていたおじょうさんが愛想良く応じてくれた。

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10ドルのホテルは部屋の床のあちこちで土が堆積して、様々な虫が入り放題の隙間がある。さらにマットはよれよれでかなり厳しいものがあったがスタッフは親切だった。
彼は最初から何かと世話を焼いてくれていたのだが、水を買いたいと尋ねると2ブロック先のBarで買えると言い、わざわざ一緒に付いてきてくれた。百円の水だが2千円分の紙幣を差し出すと釣りがないから売れないと断られる。客が頻繁に出入りしている店でそのくらいの釣りがないはずないのだが、この町では博物館も路上売りもバイクタクシーも全て釣りを断ってくる。

最初にホテルに連れて来られたバイクタクシーの代金はホテルスタッフに立て替えてもらい、さらにホテルで小銭に崩してもらった。しかし、街の人たちがみな釣銭を拒むのでその小銭を全て使い果たしてしまったのだ。他に水を売っている店はなさそうで、水なしにあの部屋で一夜過ごすことはできない。
慌てずじっくり構えていれば誰かが動いてくれるだろう、私はそう思い、別の客の相手をしている店員を待っていた。そうするとしびれを切らしたホテルスタッフが自分のポケットから百円出して、ほら貸してやるよと渡してくれた。何度も小銭借りて悪いね、にいちゃん。

翌朝、どこで金を崩せるか彼に尋ねると、バイクタクを呼び、私をある場所に連れて行くよう指示した。町の中心部に近い民家で降ろされ、ドライバーが声をかけると、バッグを抱えたおばさんが現れる。大きめのバッグには小銭が沢山詰め込まれていて、50円分の手数料を取り二千円札を細かくしてくれた。そして、彼女は欲深そうな目で睨み「もっと両替しなくていいの?」と言う。
この町の小銭は全てこのおばさんに集められているのだろうか。

ouidah

<聖なる森近くの雰囲気のある並木道>

[ガーナ]エルミナ

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<砦跡からエルミナ漁港の眺め>

アビジャンから一気にトーゴまで(区間距離700km以上)行くのは少しタフで、どこかで一泊したかったので世界遺産の城砦があるエルミナに立ち寄ることにした。
天気が良ければ海岸線が美しいのかもしれないが、厚い雲がたちこめていて景色を楽しむことができなかった。世界遺産だから半日かけて観光してもいいかなという程度。
ただ、愛嬌のあるお子さんが多く、道を歩いているとあちこちから声をかけられ、地元の人たちと心地良く触れ合える。マイナースポット好みには受ける町かもしれない。

elmina

<町のお嬢さん(うまく撮れなかったので2枚組、マウスを重ねると写真切替)

<ガーナめも>
  • 煙草を吸う人をみかけない。
  • どの町でも、たとえ夜出歩いても(たまたまなのか)危険を感じることはなかった。
  • ガーナ人は帽子をかぶらない。サングラスもしない。
  • 外国人向けレストランの食事は食べられるが、人に食べさせることを意識して味付けしているとは思えない。スリランカよりはまし、フィリピン程度か。
  • 公用語は英語だが、彼ら同士の会話に英語は使われていない。アクラからクマシまでのバスで運転手から注意事項を説明する際、英語を使わず2つの現地語で別々に説明していた。話しかけた人はみな英語が通じたが、人によっては独特の発音によりヒアリングが難しい。
  • トロトロと呼ばれる乗り合いワゴンは定額制。始発では窓口でチケット購入。途中で乗って車内で支払ってもごまかそうという気はほとんどない模様。
  • 最初、タクシードライバーの言い値がガイドブック上の料金より高くふっかけられていると思い、とろとろ走るトロトロで移動して時間を無駄に使っていた。しかし、ガイドブック表記より値段が上がっているだけでタクシーの料金をふっかけてくるドライバーはかなり少ないということが後からわかった。大使館へ行くなどの市内の移動は、それほど高くないのでタクシーを使った方が良さそう。
  • 乗り合いミニバスの呼び込みが楽しい。アクラ市内の中心行きはアメ横の売り子のようにしゃがれた低音で「サークル、サークル、サークル」と早口に叫ぶ。アフラオ行きがあと一人で満席出発の際は、「アフラオ、アフラオ、アフラオラストワン、ラストワン」とミニバスターミナル外の路上市場にまで出ていき、アフラオ方面に用のない客であろうと捕まえてきてやろうかという気合で呼びかけている。
  • 路上売りでも何でも料金をごまかす気は全くなさそうだということがわかってきたので、買い物をする際、掌にコインを並べて彼らに取らせれば良いので楽。(現時点での状況で将来変わるかもしれないので注意)
  • 現地人を含めた街の写真を撮るならば、複数で歩いてお互いを撮る振りをするか、現地ガイドを付けた方が良いと思う。
  • ホテル代、乗り物代ともに最新のロンリープラネット西アフリカ6th Editionの2、3割増しが目安。
  • ガーナの嫌なところは、大都市での渋滞。特にアクラではどこに移動するのにも時間がかかる。また、アフリカ全般に言えることだが、大人からのチャイナ攻撃がひどく、慣れているつもりの私でも毎日「チャイナ!」「チャイニーズ!」と怒声を浴びせられていると苛立ってくる。
  • 結論として、西アフリカの雰囲気を安全に楽に味わうのには、貴重な英語圏であるガーナはお勧めかも。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[コートジボワール]アビジャン

abidjan

<通りに面した机で勉強中のお子さんたち>

短期間の滞在でいいかげんなことを言うものではないが、アビジャンは、安全だと言われるガーナよりも体感危険度が低く(あくまで旅した2008年11月時点のことです)、ガーナなみに親切な人がいる。
例えばTreichville地区の路地をうろついていた時、おばちゃんが怖い顔で言いがかりをつけてくるので無視していたが、あまりにしつこいのでフランス語をゆっくりと話してもらうと「何を探しているのだ」と親切心だけで何度も尋ねていたことがわかる。

コートジボワールは国内の北部も西部も外務省から退避勧告が出ているのでガーナに近い南東部のアビジャンだけと決めていたが、これだけ明るく親切な人たちに会ってしまうともっと別の都市も行ってみたくなってしまうくらいだ。

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<小さなマーケット内の八百屋>

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<サン・ポール大聖堂(2枚組、マウスをのせると二枚目写真に切替、航空写真

アビジャンの観光はサン・ポール大聖堂(聖パウロ大聖堂)と博物館、あとはマーケットぐらいしかなさそう。ところが、今日は日曜日でほとんどの店が閉まり、博物館も休み。聖パウロ大聖堂(Cathédrale Saint-Paul d’Abidjan)は結婚式の終了直後に中を拝見することができたが他に見る物がなく、ガイドブックに載っている市内詳細地図のほとんどのエリアを歩き回った。
さらに日中でも襲われるからこの橋だけは歩いて渡るなと言われている区間をタクシー(タクシーは安いのでお勧め)でなくバスにも乗ってみた。

バス車内の空気が重く、緊張しながら乗車すると、おばちゃんたちが大声で叫んでいる。何かと思うと運転手からチケットを受け取るよう教えてくれていたのだ。また、車内で立っている時、財布の入っている尻を触られビクッとして振り向くと、席が空いたから座れよとぶっきらぼうに男が合図していた。
結局、バスに乗っていてもみんなに気遣いされるだけだった。

<たびメモ>

ロンリープラネットに載っている中で最安値のHotel Terminusが18,000CFA(約3,600円)で大幅な予算オーバー。他に掲載されていた2つのBugetホテルは閉鎖中。安く安全に泊まりたい場合は、他のサイトで最新の情報をチェックしてから来るべき。(というのが私からの安宿情報でした)
ちなみにHotel Terminusは安全、親切、清潔で部屋はトイレ及びエアコン付き過剰設備で問題ないのだが、目の前がバスターミナルのため、深夜だけでなく早朝もうるさい。

<参考図書>Lonely Planet West Africa (6th Edition)=>最新版 West Africa (9th Edition)

<コートジボワールめも>
  • ガーナと比較すると写真撮影に対して寛容で撮れないことはないが、ここはダメだとか金出せとかうるさいやつはいるので疲れる。
  • ガーナのパンは意外と美味いと思っていたが、アビジャンのフランスパンはもっと美味く、日本のパン以上。(日本のフランスパンはなぜあんなにも不味いのだろう)
    路上でパンと卵を置いている屋台では、オムレツのサンドイッチを作ってくれる。また、そのパン屋台の鍋やパックにジャガイモとたまねぎの煮付けやゆで卵、魚のペーストなどが入っていて、好きな具をフランスパンに挟んでもらい1食分が百円前後。これが、今回のアフリカの食事では今のところナンバー1。
  • 乗り合いタクシーの運転手に分けてもらって焼きバナナを初体験したが、これはかなりいける。酸味のあるサツマイモという感じで、焼き芋ほど甘すぎず喉につまらないため食べ易い。なぜ今まで試さなかったのだろうと後悔する。これから毎日食べよう。
    =>(後日談)焼きバナナの味はバナナの品質や焼き方によって大きく異なる。コートジボワールで食べたような感動的な焼きバナナにはその後二度と出会わなかった。
  • アビジャンは英語が比較的よく通じる。旅行直前の復習で仏検3級なみの会話力に戻したつもりのフランス語は相手のなまりのせい(?)かほとんど役に立っていない。
  • 国境とアビジャン間を直行する乗り合いタクシーは客が3人だけでセダンに運転手を合わせて4人乗車(往復とも)。アフリカでは考えられない贅沢。(近距離の乗り合いタクシーはボロプジョーに大勢の客が詰め込まれていた)
  • 旅行者が少ないせいか安宿が少ないようだ。また、街を歩いている時、外国人である私に対する注目度が高すぎ。
  • アビジャンから国境方面に50kmほどの位置にあるGrand Bassamは、行き帰りの車から眺めた限り立ち寄っても良さそうな所だ。(帰国後にガイドブック「旅行人」を読み、ここが貴重な観光ポイントだと知る=>「グランバッサム歴史地区」は2012年世界遺産登録)
    <参考図書>アフリカ―アフリカ大陸37カ国ガイド (旅行人ノート)
  • コートジボワールは治安が維持され旅行者が増えたころ、ぜひもう一度訪れたい国だ。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ