[イスラエル]入国(取り押さえられる)
海外では警官やスタッフの偉そうな態度に悩まされる。旅に慣れていないころは権力を振りかざす彼らのいいなりになっていたが、最近はある程度無視したり反抗してもそれ程問題ないと感じている。
特にエジプトでは、街中の道路にも観光地にもうじゃうじゃと白い制服を着た警官がいたが、温厚な彼らには必ずしも従う必要はなく、なめてかかってもなんとかなるものだった。
個人旅行者にとってイスラエル入国はタフだと聞いていた。しかし、それは陸路で入国の場合で、空路の場合は質問攻めに合い不快になる程度と理解していた。
私は可能な限り穏便にイミグレーションを通過したいと思い、男性係官の列に並んだが、私の直前で女性係官に交代してしまった。私がNo stamp pleaseとパスポートを差し出すと「ほワぁいぃ?」とおもいきり顔を歪めて尋ねてきた。『近いうちにレバノンやスーダンにも行きたいので』と正解と思われる回答をするが、その後もねちねちと質問を受ける。
『で、国内のどこに行くの?』
『決めてないけど、エルサレムには行きます』
『エルサレムでの住所は?』
『ホテルですがどこのホテルかは決めてないです』
『予約してない?ホテルのリストは持ってるんでしょ。エルサレムで何を観光してどこに泊まるの?』
『いや、ガイドブックを持っていないので何もわからないです。ツーリストオフィスで尋ねるつもりですが』
顔を斜めに傾けたまま話す女性係官からの質問は、私のその回答で終わった。別の係官が現れ、広いホールの反対側にあるスタッフルームに連れていかれた。
うーん、何がいけなかったのだろう。やはり、少しは調べてから来るべきだったのか。30分ぐらい拘束されるのだろうかと思っていたが、そんな甘いものではなかった。
ゆっくりと英語を話すマネージャーから同様の質問を受けた後、パスポートを見ながら渡航先の目的や知人の有無などを質問してきた。私が自分でどこの国のスタンプが押されているかほとんどわからないのに彼はあっという間にイラン、イエメン、パキスタン、シリアのビザを見つけ出していた。
マネージャーからの質問後、近くにある椅子で待つよう言われる。そこには同じ便で到着したと思われる、スキンヘッドでマフィアのような顔つきの男と細身でアフガン人のような長い顎髭(ユダヤ人も同様の髭を持つことを後から知った)をたくわえた男がいた。たぶん、日本人である私は彼らより先に解放されるだろう。私はイスラエル入国を意識して髭を剃り清潔な身なりをしているのだから。
しかし、余裕で待っていた1時間が過ぎ、いらいらしながら2時間経過した時にマフィアの男が先に解放された。私はスタッフルームに怒鳴り込む。
『いったい、いつまで待たせるんだ』
マネージャーは不在で女性係官ばかりが楽しそうに団欒していた。
『セキュリティーがチェックしている。あとどのぐらいかかるか我々にもわからない』
『誰がわかるんだ。セキュリティーていうのは誰だ。誰がどこで何をチェックしているんだ』
『我々は知らない、知っていても言えない。それだけです』
怒りをぶつけられず逆にストレスが溜まる不遜な態度だ。
それから30分ほど経ち、穏やかに待ち続けていたアフガン風の男が解放された。こんな、腹に爆弾巻いてそうな男より後回しにされるなんてどういうことなんだ。しかし、彼は同じ便で到着した入国者でなかった。彼がうれしそうに立ち去る時『10時間以上待ってやっと入国できる』と恐ろしいことを口走っていた。
私は目の前が暗くなった。この広いロビーの片隅に置かれた椅子で夜を明かさねばならぬのか。
後の便で到着して一時拘束された者たちも30分もかからずに次々とパスポートが返却されていく。私は長期戦を覚悟してノートPCで記録をつけ始めたが、誰かの名前を呼ばれる度に係官を睨みつけほとんど集中できない。
3時間半経った時、女性係官が静かに私の前に現れた。彼女は私のパスポートを差し出し、セキュリティーのチェックが終了したと告げた。
『何が問題だったんだ。私のパスポートのどこに問題があってこれだけ待たせたのだ』
今日中に入国できないのではとまで思っていたので、意外な返却に笑みがこぼれそうだったが、無表情の係官に抗議した。
『あなたのパスポートには何も問題はない。ただ、あなたがイスラムの国を訪問しすぎただけ。それだけです』
うー、いやみの100個ぐらい言ってやりたかったが、英語が出てこない。
心配していた税関コーナーでは荷物のチェックがなくすんなり通過。これでやっと入国だと思ったのだが、税関出口でパスポートをチェックした女性係官が慌てて男性スタッフを呼び、私はその男に制止させられた。
『入国の目的は?』
『なぜ、答える必要があるんだ』
『私はセキュリティーです。答えて下さい』
『もうさんざんセキュリティに答えている。あなたもセキュリティなら彼らから聞きなさい』
『私は他のスタッフがどういう質問をしてあなたがどういう答えをしたか知りません。私もあなたに同様の質問をするのが役割なのです』
『なんだと(きさま)。それだったら何でここで(ぼけっと)待っていないで、私が3時間半セキュリティのチェックを受けている間に聞きにこないんだ。私は答えない』
『私はこの場所でチェックする必要があるのです。あなたが答えなければこれ以上前に進めません』
私はかなり怒りを顕わにしていたが、比較的低姿勢な男は一歩も引かず自分の役割をまっとうしようとしていた。私は英語による怒りに疲れ、全く同じ内容の質問に延々と答えていた。
『リターンチケットを見せて下さい』
『おい(お前らアホか)、いったい何人が同じものを見る必要があるんだ。それも出さないとダメなの?出さないと前に進めないの?』
もうリターンチケットはバッグの奥にしまったというのに何でこの若造のために再び出さないといけないのか。
10項目程度の質問が終わり男は私に通過を認めた。
『もう、これで最後だろうな』
『いえ、この後も同様の質問を受けると思います』
ばかやろ、聞き流さずにデータベースに記録しておけ。二度とお前らの質問には答えないぞ。
私はエルサレム行きのバス乗り場を探した。バスのサインがあった3階の外に出たが国内線空港へのシャトルバスとタクシーしかない。空港のスタッフらしき人は見あたらず、車道への出口付近に目つきの悪い少年(推定20歳)が立っているだけだ。私は少年と視線を合わせぬよう空港ビルに戻り誰か教えてくれそうな人を探そうと思った。少年の位置から空中廊下を10メートルほど渡ると空港ビルの入口がある。その脇に暗い表情の青年(推定30歳)がいた。この人に尋ねるのもやめよう。やはり中に入ってインフォメーションを探すか。そう思った時にその青年が私に近寄って来た。
『パスポートを見せて下さい。私はセキュリティです』
なに!私服を着ているが、確かに首からピクチャーバッジを提げている。誰がこんなやつにパスポートなど見せるものか。ついでだから彼に質問しよう。
『空港ビルに入りたいのではなく、エルサレム行きのバスの発車場所を知りたいんだけど』
『パスポートを出して下さい』
うるさいな。簡単に出せるなら出してやってもいいが、もう肌に密着させた隠し袋に収納して出すのが面倒なんだよ。それにまた延々と同じ質問するんだろ。
『エルサレム行きのバスどこから出るか知らないの?じゃあ中で聞いてくるから。ちょっと通して』
男の手を押してビルの入り口に進もうとすると、彼の表情が変わった。私を片手で強く押さえつけながら無線で何か報告している。
わかったよ。そんなこわい顔するなよ。パスポートぐらい出すよ。シャツのボタンを一つはずし右手をシャツの中に入れた時、その右手を背後から襲ってきた男に捕まれた。
『なんだ、きさま、手を離せ』
『セキュリティだ。制止しろ!』
その男は目つきの悪い少年ではないか。お前もセキュリティなのか。私は腹から爆弾のスイッチを取り出そうとしているのではない。こんな小柄な少年ぐらい足払いで倒してやる。そう思うや否や、どかどかと男たちが集まり、2人の男に両腕を捕まれ壁に押さえつけられて身動きできない状態になった。他に1人が私からバッグを引き離し、1人が周囲を見回し、1人が無線で交信している。空港ビルと車道を結ぶ空中廊下の真ん中で、私はあっという間に5人のセキュリティに取り押さえられてしまった。
なかなか素早いじゃないの。みなさん真剣だね。私みたいな虚弱な東洋人でもいい練習になった?
『いったいどうしたというんだ。私はバスの発車場所を知りたかっただけなのに。手を離してくれればパスポートならすぐ出すよ』
私は両腕を捕まれたまま、へらへらと敵意のないことを示す笑みを浮かべていた。しかし、彼らは真剣な表情を崩さず、私に話しかけてこない。ただ無線のやり取りが緊迫した空気の中響いていた。
やがて、黒いスーツに身を包んだ男2人がゆっくりとこちらに向かって来た。そのうち1人の姿が目に入った瞬間、私の顔から余裕の笑みがなくなっていた。
その男にはただものならぬ雰囲気があった。スーツの上からも肩や胸の筋肉の盛り上がりを感じさせる体格をして、スタイルだけでなく整った顔つきがハリウッドスターを生で見ているようだった。その睨みつける表情からは、『俺は今まで何十人と殺してきた、てめえを殺めるのはわけないんだぞ』という声が聞こえてくるのだ。例えるならシュワルツネッガーの顔を整えて更に冷徹さを加えた感じだ。
その男が私の前に立ち、指示を出すと私の両腕は解放された。しかし、この悪役シュワの前で私は身動きひとつできない。更にもうひとり男が現れ、私の小さなバッグは台車の上に載せられている。いったい私はこれからどうなるのだろう。せっかく入国できたのに強制退去させれるのだろうか。いやそれだけなら良いが、私はこの悪役たちから拷問を受けるのではないか。そんな恐怖さえあった。
小柄な女性セキュリティが現れ、シュワちゃんの指示のもと、やさしい英語で質問が始まった。今までよりも更に細かい質問だったが、悪役に睨まれる前でおとなしく答えていた。延々と質問への受け答えが続く。その間、私から取り上げたパスポートの照会結果なのか、無線に次々と連絡が入っている。すると、次第にスタッフたちの緊張が緩んできた。このまま解放されるかもしれないと感じ始める。
『なぜ、あなたはセキュリティの指示に従わず、制止しなかったの?』
『私は止まりましたよ(前に進めなかったんだから)』
シュワちゃんの表情がきつくなる。また、そんな怖い顔するなよ。夢にでてきそうだ。
『もう一度質問します。なぜあなたは制止しなかったんですか』
流れからいって、ここで謝れば許してもらえそうだった。しかし、こんなやつらに謝りたくはない。少し考えた。別に謝る必要はないんだ。そのまま答えよう。
『過剰なチェックにいらついてたんだ』
私は英語にどもりながら話を続けた。
『入国時にセキュリティのチェックで3時間半待たされ、その後にもセキュリティのチェックがあり、何度も何度も同じ質問をされる。エルサレム行きバスの発車場所を知りたかっただけなのになぜまたチェックを受けなければならないんだ』
シュワちゃんの顔が緩み、英語を話せないのかと思っていた彼が私に直接話し始めた。
『初めての訪問では不快に感じるかもしれませんが、我々の国ではいろんな所でセキュリティがチェックするのが普通なのです。我が国と日本は良い関係にあります。日本の旅行者を我々は歓迎します』
彼の指示によりバッグとパスポートが返却される。そして無理に笑みを作りながら彼は続けた。
『あなたがセキュリティの指示に従いさえすれば、我々はあなたの質問に何でも答えますよ。この窓から2階を見て下さい。黄色いバスが何台か停まってますね。あの中にエルサレム行きのバスがあります。気をつけて、良いご旅行を。今後もセキュリティには従って下さい』
シュワちゃんは更に歯をむき出して笑いながら私を送り出した。怖い顔で無理に笑顔を作らないでくれ、不気味だ。
こうして無事解放されたのだが、国内ではセキュリティへの絶対服従を教え込まれる結果となった。
今まで私は平和ぼけした国ばかりを旅してきたのだろうか。
最後に一句。イスラエルなめたらあかん捕らわれる。