タグ別アーカイブ:親切感謝 ( 13件の日記 、ページ 1/2 )

フランス人旅行者

海外を旅していると現地の人たちから様々な場面で親切な行為を受ける。親切にあずかるばかりで何もお返しができず借りが蓄積してしまっているような気がしていた。

軽井沢のスーパーで食料を買い帰宅しようと峠に向けて車を走らせていると、紅葉シーズンの賑わいを過ぎた国道沿いで男女がこちらを向いて立っていた。近づくにつれ、彼らが外国人でヒッチハイクのサインを出しているのに気づき急ブレーキをかけた。日本でヒッチハイカーを見たのは初めてだったので反応がかなり遅れたのだ。
「峰の茶屋へ行きたい」
壮年の白人男性がまともな日本語で話してきた。これから越えようとしている数キロ先の峠なので何の問題もない。ぶっきらぼうに「いいよ」と後部座席に2人を乗せた。

続きを表示(ちょっと長い)

(注1)「ありがとうございます」と日本語で2人が頭を下げたが、その後からは英語だった。 峰の茶屋経由で白糸の滝まで歩こうとしたが、国道に歩道がなく危険を感じたので断念したとのこと。話しを聞くと、彼らはフランスから2週間の予定で訪れている観光客で日本は初めてだと言う。私にとっては海外で受けた親切の借りを返す絶好のチャンスかもしれない。

国道の急坂を登っていくうちに浅間山が見えてきた。
『鬼押出しのある浅間山か』とガイドブックを見ながら尋ねてきたので、『鬼押出しに行ってから峰の茶屋へ戻ろう』と提案した。
旅行者は『結構、結構』と恐縮していたが『車で数分の距離だから』と半ば強引に観光スポットの鬼押出し園に向かった。

鬼押出し園駐車場に着くとごつごつした溶岩群が広がる景色に彼らは驚いていた。『足が悪くて同行できないので30分ぐらい待ってようか』と伝えると、彼らは『ダッシュで見てくるから』と車を降り、入口前の歩道橋から眺めただけだが笑顔で戻ってきた。
『すばらしい、感動した』と欧米人らしいジェスチャーを交えて賞賛されると、こちらもかなりうれしくなってくる。(注2)

『すぐ近くだから』と浅間火山博物館にも連れて行った。博物館周辺には散策ルートがあり、浅間山を間近から見上げたり鬼押出し園を見下ろしたりできる。
『いったん家に帰って30分以内に戻って来るから1時間ぐらい散策してて』
私の言葉に2人は困った顔をしていたが、私としては買い物して車に積んだままの食料品を冷蔵庫に入れ、いくらでも彼らに付き合える態勢にしたかったのでなんとか納得させた。
私が30分ほどで火山博物館の駐車場に戻ってくると彼らはすぐ車までやってきた。ちゃんと観光できたのか心配になるほどの早さだったが、散策ルートも歩き上から見下ろす鬼押出しも堪能できたそうだ。

彼らが『峰の茶屋で十分だ』と言うところを少し先にある白糸の滝まで連れて行く。
私はフランス人に対する奉仕が十分だと思っていなかった。もう午後3時近くだったので、このまま彼らを連れ回し軽井沢のホテルに送り届けようという気でいた。しかし、カップルは受け入れてくれなかった。
『日本の森を短い距離でも歩きたいのでもう本当に結構なんだ』
そう言われ、親切を押し売りしすぎたかなと反省してここで別れることにした。(注3)

『パリにまた来るよね』
彼が確認した後、『さっき買ったもので申し訳ないが』と浅間山の絵はがきを手渡した。裏には噴煙を上げる浅間山とその前で喜ぶ2人の似顔絵、そして私と車の絵が描かれ、エッフェル塔の絵の下に彼らの名前と電話番号が記されていた。私がいったん家に戻っていた30分間、観光せずにこんなことに時間を割いていたのかと思うとじーんときてしまう。
私の親切攻撃をかわし、フランス人に1本返されてしまった。

しかし、反撃はこれだけでなかった。
『これは我々の気持ちだ』と火山博物館で買った浅間みやげの日本酒を差し出してきた。
『とんでもない、こんなもの受け取れない』
『それでは我々の気持ちが収まらない、我々のためだと思って受け取ってくれ』
いやいやいや、まあまあまあと押し合いしていたが、私が折れるしかないんだなと観念して酒を受け取った。(注4)

滝入口までのみやげ屋が並ぶ通りは日本人観光客で賑わい、フランス人カップルは否が応にも目立つ。
「Thank you. Merci beaucoup」
別れ際、笑顔の2人から何度も礼を言われた。私は周囲からの視線を感じ、しばし高揚していた。

外国人に親切のお返しをするつもりだったのにまた借りをつくってしまった。もっと日頃から修練しないと。(注5)

(注1)ここまでの私の行為はガーナ人の不愛想な親切のようで良かった。
(注2)親切にされた場合、喜びを上手に表現すれば十分お返しになりそうだ。
(注3)車で送ってあげるとしてもあのキューバ人のようにさりげなく行うべきだったかも。
(注4)私はあのアルメニア人から学んだことを全く活かしていない。『日本に来てくれてありがとう。本当は一緒に飲みたかったんだけど宿で2人で飲んで』と私が酒を渡すべきだった。
(注5)以上言いたかったのは、最低限の日本語を覚え旅してくれているフランス人カップルの気遣いがうれしく、私には勉強になったということ。それから、海外で親切にしてくれる方々の気持ちが少しわかったような気がする。親切にあずかると申し訳ないとか何かお返ししたいと感じてしまうが、(できれば周りに現地の人たちがいる中で)精一杯感謝の気持ちを表現すれば十分なのかもしれない。

<踵痛その後>

2010年3月から1年半以上続いている踵をはじめとした足首から下の痛みについて。

スポーツ整形を得意とする2つの医院で、医師は明確な診断を下さずリハビリに回し、理学療法士が運動過多による足底腱膜炎(足底筋膜炎)と判断してストレッチや筋力トレーニングを1年以上行なっていた。
ネットで調べてみる限りそれしか近い症状がみつからないので、自分でも納得して受けていたが、ストレッチをすると痛みが出て張りを感じる。リハビリ後は冷やすよう言われ毎回冷やしていたが、ストレッチ後の痛みが増し反応が過敏になって、ストレッチした部分に皮膚炎を発症するまでになってしまった。

一般の整形外科医ではダメだと思い、足の外科学会の医師を探し、2011年4月から車で2時間以上かかる5つめとなる整形外科医院に通い始める。そこの医師は、私の踵痛は足底腱膜炎によるものではなく外反扁平足障害だと診断を下した。そして、ストレッチは気休めにしかならない、炎症を起こしているときに冷やすのも暖めるのも意味がないなどと、今まで私が受けてきた治療を全否定して、足底板の使用を勧めた。
今までの医院では、ストレッチにより足が柔軟性を回復しないと却って痛くなるだけと足底板を作らなかったので懐疑的な気持ちで始めたのだが、これが驚くほど効いた。内履きの靴に足底板を敷くことにより室内で生活している分には踵痛を感じることはなくなった。
しかし、50mも歩くとすぐ痛みが出てくる。医師は足底板に足を慣らせばそれも改善するかもしれないと言っていたが、目安としていた数ヶ月経っても変化がない。
慢性痛のため脳が過剰反応しているのではないかと言われ、その医師は勧めなかったがペインクリニックに通ってみることにした。

2011年10月、ペインクリニックの初診で腰に硬膜外ブロック注射を打たれる。その後、背中全体に痛みを感じるだけで踵痛の軽減はなかったが、この注射は数本打つ必要があるようなのでしばらくこの荒療治に耐えようと思っていた。しかし、1本目の注射の結果から腰から下の神経の問題ではなく首から上の問題でしょうということで、神経痛用の薬であるリリカが処方される。

まだまだ快復のきざしが見いだせず、沈んだ気持ちで病院から帰る途中、フランス人旅行者に会い、気持ちを明るくしていただいたという話しでした。

[マケドニア/アルバニア国境]Naum-Pogradeci

オフリド湖の美しい景色を眺めながら国境を歩く。なかなか楽しい国境越えだ。(オフリドから国境までのルート

<オフリドからギロカスタルまでの国境越え詳細>
  • オフリドのバスターミナルを8:20に発ちスヴェティ・ナウムに向かう。オフリド湖沿いの気持ちの良い道を50分走る。110DEN。
  • バス終点からイミグレーションまでのルートは、終点バス停から少しだけ東に戻り三叉路で右折してアタナス聖堂のサインが出ている道を数分歩き、アタナス聖堂敷地内(ルートで線が切れている地点、航空写真に切り替え+で18まで拡大すると判別可)を通り国境へ向かう車道で右折して道なりに歩く。バス停から30分弱でマケドニア側イミグレーション。

    後日記:当時あるサイトで得た情報からこのような遠回りルートを取ったがナウム行バス終点からイミグレまでをグーグルマップの徒歩でルート検索(ルート案内後に()を押す)するとバス終点から西へ直進して左側に登っていけば国境ゲートに出られそう。(Military Camp内は通り抜けられないという噂あり)(2012年3月)
  • マケドニア出入国審査場手前に無料トイレあり。売店、両替所なし。出国はあっさり終了。
  • 数分間、湖を見ながら歩くとアルバニア側イミグレ。
  • アルバニア側入国審査は列ができて待たされたが、特に問題なく終了。アルバニア入国税10ユーロ取られず。(2009年3月から廃止になったという不確かな情報あり)
  • ここから近くの街pogradec(ポグラデツ)までは4~8km(ネット上の情報さまざま、グーグルマップでは6km)でタクシーで5ユーロ(みな一致した情報)なので歩くかタクシーか微妙なのだが、覚悟していた入国税が取られなかったのでタクシーで行くことに。交渉してマケドニア通貨の残り100DEN(1.7ユーロ)と3ユーロでpogradecに向かう。10分程度。(少なくともこの運転手は4.2ユーロ相当の250DENでOKだったので、ユーロでなくDENかアルバニア通貨で交渉した方がよさそう)
  • ポグラデツからギロカスタル(あるいはジロカストラ)までコルチャ(Korçë/Korça)経由のルートにするかエルバサン(Elbasan)経由(ボタンでエルバサン経由になるはず)にするか情報が足りず迷っていたが、人が良さそうなタクシー運転手にKorçëからギロカスタル(Gjirokastër)までは朝6時発の大型バスしかなくミニバスは走っていないため1泊する必要があると言われる。真偽は定かでないがKorçaルートは明らかに交通手段が少なそうなので、安全策を取りElbasanに向かう。帰国直後の後日記:2008年12月にコルチャ13時発ギロカスタル行きバスに乗ったという情報を見つけた。こちらの楽しそうな山岳ルートにしておけば良かった。
  • タクシー運転手に教えられた場所でミニバスを待っていたが、どの車に乗れば良いのか全くわからず目の前を通り過ぎるミニバスらしきワゴンを何台も眺めていた。すると、街のおじさんにどうしたんだと声をかけられElbasanへ行きたい旨を伝える。彼が右手を挙げ手首を捻りながら人差し指をひょいと車の進行方向に向けるとすぐにワゴンが目の前に停まり、これがElbasan行きだという。行先表示がない車が何台も走り過ぎていく通りで、客はミニバスが近づいて来るとどこへ行きたいか手で意思表示して車を停めないといけないようだ。似たように手の合図で自分の行き先をドライバーに知らせる方法をナイジェリアで見たのを思い出し、面白い国だと感じた。pogradec(ポグラデッツ)からElbasan(エルバサン)まで1時間30分、500レク。

    後日談:近づいてくる車に対して手の簡単な動きで行き先を確認するやり方は世界中で見られる。ウズベキスタンのブハラでも、バスのルートが右周りか左周りか、終点が近いのか遠いのかを手首から先の左右あるいは上下の動きで運転手に確認する方法を教わり、私も実践していた。(2015年1月)
  • 少なくとも降ろされたElbasanのミニバスターミナルからはギロカスタル行きは出ていないようで、Durrec行きミニバスで45分ほど走った分岐(町名不明)で乗り換える。250レク。
  • ここを通過していくミニバスにはだいたい行先表示があるようだが素人には簡単に判別できない。同じミニバスで降りたおじさんが私のためにギロカスタル行きをみつけ止めてくれる。ラテン系のおじさんたちは外国人に対して笑顔で何でもないことのように親切を施す。分岐地点から3時間でギロカスタル、1,000レク。
  • ガイドブックやネット情報による所要時間から今日中にたどり着けないことも覚悟していたが、結局17時にギロカスタルに到着。Elbasanで30分以上トイレを探していたことを考慮するとオフリドからギロカスタルまでの所要は8~9時間。ここ2、3年で道が整備され所要時間が短縮されたのかもしれない。

[ベナン]ウイダー

ouidah

<路上の売り子(かわいらしく撮れなかったので2枚組)

緑が美しく小さくまとまった町は散歩してもバイクタクシーに乗っても気持ちがいい。これで観光資源が充実していればお勧めできるスポットなのだが。
観光ポイントになっている博物館と聖なる森は、どちらもこんなの見るために外国人観光客来ないでしょうというレベルなのだ。

美しい女性やかわいい子供も多く、挨拶を交わしながら楽しめる。しかし、写真を撮っていいかと尋ねると初日は見事に全て断られた。
2日目の朝、静かな通りにぽつんと店をだしていたおじょうさんが愛想良く応じてくれた。

≫続きを表示

10ドルのホテルは部屋の床のあちこちで土が堆積して、様々な虫が入り放題の隙間がある。さらにマットはよれよれでかなり厳しいものがあったがスタッフは親切だった。
彼は最初から何かと世話を焼いてくれていたのだが、水を買いたいと尋ねると2ブロック先のBarで買えると言い、わざわざ一緒に付いてきてくれた。百円の水だが2千円分の紙幣を差し出すと釣りがないから売れないと断られる。客が頻繁に出入りしている店でそのくらいの釣りがないはずないのだが、この町では博物館も路上売りもバイクタクシーも全て釣りを断ってくる。

最初にホテルに連れて来られたバイクタクシーの代金はホテルスタッフに立て替えてもらい、さらにホテルで小銭に崩してもらった。しかし、街の人たちがみな釣銭を拒むのでその小銭を全て使い果たしてしまったのだ。他に水を売っている店はなさそうで、水なしにあの部屋で一夜過ごすことはできない。
慌てずじっくり構えていれば誰かが動いてくれるだろう、私はそう思い、別の客の相手をしている店員を待っていた。そうするとしびれを切らしたホテルスタッフが自分のポケットから百円出して、ほら貸してやるよと渡してくれた。何度も小銭借りて悪いね、にいちゃん。

翌朝、どこで金を崩せるか彼に尋ねると、バイクタクを呼び、私をある場所に連れて行くよう指示した。町の中心部に近い民家で降ろされ、ドライバーが声をかけると、バッグを抱えたおばさんが現れる。大きめのバッグには小銭が沢山詰め込まれていて、50円分の手数料を取り二千円札を細かくしてくれた。そして、彼女は欲深そうな目で睨み「もっと両替しなくていいの?」と言う。
この町の小銭は全てこのおばさんに集められているのだろうか。

ouidah

<聖なる森近くの雰囲気のある並木道>

[コートジボワール]アビジャン

abidjan

<通りに面した机で勉強中のお子さんたち>

短期間の滞在でいいかげんなことを言うものではないが、アビジャンは、安全だと言われるガーナよりも体感危険度が低く(あくまで旅した2008年11月時点のことです)、ガーナなみに親切な人がいる。
例えばTreichville地区の路地をうろついていた時、おばちゃんが怖い顔で言いがかりをつけてくるので無視していたが、あまりにしつこいのでフランス語をゆっくりと話してもらうと「何を探しているのだ」と親切心だけで何度も尋ねていたことがわかる。
コートジボワールは国内の北部も西部も外務省から退避勧告が出ているのでガーナに近い南東部のアビジャンだけと決めていたが、これだけ明るく親切な人たちに会ってしまうともっと別の都市も行ってみたくなってしまうくらいだ。

abidjan

<小さなマーケット内の八百屋>

≫続きを表示
abidjan

<サン・ポール大聖堂(2枚組、マウスをのせると二枚目写真に切替、航空写真

アビジャンの観光はサン・ポール大聖堂(聖パウロ大聖堂)と博物館、あとはマーケットぐらいしかなさそう。ところが、今日は日曜日でほとんどの店が閉まり、博物館も休み。聖パウロ大聖堂(Cathédrale Saint-Paul d’Abidjan)は結婚式の終了直後に中を拝見することができたが他に見る物がなく、ガイドブックに載っている市内詳細地図のほとんどのエリアを歩き回った。
さらに日中でも襲われるからこの橋だけは歩いて渡るなと言われている区間をタクシー(タクシーは安いのでお勧め)でなくバスにも乗ってみた。
バス車内の空気が重く、緊張しながら乗車すると、おばちゃんたちが大声で叫んでいる。何かと思うと運転手からチケットを受け取るよう教えてくれていたのだ。また、車内で立っている時、財布の入っている尻を触られビクッとして振り向くと、席が空いたから座れよとぶっきらぼうに男が合図していた。
結局、バスに乗っていてもみんなに気遣いされるだけだった。

<たびメモ>

ロンリープラネットに載っている中で最安値のHotel Terminusが18,000CFA(約3,600円)で大幅な予算オーバー。他に掲載されていた2つのBugetホテルは閉鎖中。安く安全に泊まりたい場合は、他のサイトで最新の情報をチェックしてから来るべき。(というのが私からの安宿情報でした)
ちなみにHotel Terminusは安全、親切、清潔で部屋はトイレ及びエアコン付き過剰設備で問題ないのだが、目の前がバスターミナルのため、深夜だけでなく早朝もうるさい。

<参考図書> Lonely Planet West Africa(6th Edition) 、最新版=> Lonely Planet West Africa(9th Edition)

<コートジボワールめも>
  • ガーナと比較すると写真撮影に対して寛容で撮れないことはないが、ここはダメだとか金出せとかうるさいやつはいるので疲れる。
  • ガーナのパンは意外と美味いと思っていたが、アビジャンのフランスパンはもっと美味く、日本のパン以上。(日本のフランスパンはなぜあんなにも不味いのだろう)
    路上でパンと卵を置いている屋台では、オムレツのサンドイッチを作ってくれる。また、そのパン屋台の鍋やパックにジャガイモとたまねぎの煮付けやゆで卵、魚のペーストなどが入っていて、好きな具をフランスパンに挟んでもらい1食分が百円前後。これが、今回のアフリカの食事では今のところナンバー1。
  • 乗り合いタクシーの運転手に分けてもらって焼きバナナを初体験したが、これはかなりいける。酸味のあるサツマイモという感じで、焼き芋ほど甘すぎず喉につまらないため食べ易い。なぜ今まで試さなかったのだろうと後悔する。これから毎日食べよう。
    =>(後日談)焼きバナナの味はバナナの品質や焼き方によって大きく異なる。コートジボワールで食べたような感動的な焼きバナナにはその後二度と出会わなかった。
  • アビジャンは英語が比較的よく通じる。旅行直前の復習で仏検3級なみの会話力に戻したつもりのフランス語は相手のなまりのせい(?)かほとんど役に立っていない。
  • 国境とアビジャン間を直行する乗り合いタクシーは客が3人だけでセダンに運転手を合わせて4人乗車(往復とも)。アフリカでは考えられない贅沢。(近距離の乗り合いタクシーはボロプジョーに大勢の客が詰め込まれていた)
  • 旅行者が少ないせいか安宿が少ないようだ。また、街を歩いている時、外国人である私に対する注目度が高すぎ。
  • アビジャンから国境方面に50kmほどの位置にあるGrand Bassamは、行き帰りの車から眺めた限り立ち寄っても良さそうな所だ。(帰国後にガイドブック「旅行人」を読み、ここが貴重な観光ポイントだと知る=>「グランバッサム歴史地区」は2012年世界遺産登録)
    <参考図書>アフリカ―アフリカ大陸37カ国ガイド (旅行人ノート)
  • コートジボワールは治安が維持され旅行者が増えたころ、ぜひもう一度訪れたい国だ。
  • マイナースポットをゆく(西アフリカ編/東アフリカ編)のまとめ

[ガーナ]クマシ

kumasi

<巨大マーケット前のケジェティア・サークル航空写真

ガーナの首都アクラの北200km、18世紀アシャンティ王国の首都であったクマシが最初のマイナースポットとなる。

アシャンティ王国関連の博物館や王宮などは評価のしようがないレベルなのだが、西アフリカ随一とも言われる広大なマーケットとその周辺は圧巻。
美しさと活気に久しぶりに興奮してしまった。

kumasi
≫続きを表示

1番上の写真はケジェティア・マーケット前の広場で、この反対側に何倍もの広さがあるブリキ屋根に覆われたマーケットがある。

それにしても何でも頭の上にのせる人たちだ。現金と子ども以外は全て頭の上にのせているのではないかと思えるぐらい。
狭い場所を移動するのには便利かもしれないが、頭上の売り物が簡単に盗られそうで防犯上の問題はないのだろうか。

市場内を歩いてみると危険はあまり感じない。理由のひとつはイスラームのスークのような体の密着や接触がないことだ。頭上に大きな荷物を抱えているため、体が触れ合うほど接近できないのだろう。また、私が安宿の部屋にかける鍵を探していたのだが、売り子たちに話しかけると皆穏やかに対応してくることから安全なのだろうと思った。(結局、鍵はみつからず。その後も鍵に不安のある部屋に泊まっていたが盗難には遭わなかった)

しかし、カメラをバッグから取り出すと周囲の様子は一変する。カメラを手に持っているだけで鋭い視線をあび、脅迫めいた声がかけられる。遠くの群集に向けてなのだがファインダーをのぞき込もうものなら、周りにいる人たちから攻撃的な態度を取られ、その場を離れざるを得なくなる。
そのため、マーケットのはじにある4階建ての屋上に上らせてもらい、人々の気にならぬよう、街の風景としての群集を撮らせてもらった。しかし、アップで撮影している時、母親に背負われた幼児に気づかれてしまい、不信を表す視線を向けられていた。(すぐ上の写真)

kumasi

博物館ではスタッフがガイドしてくれるのだが、子どもたちが館内に入ってきて私と一緒にガイドの説明を聞きながらノートを取り勉強している。小学高学年ぐらいの女の子3人は熱心に説明を聞くあまり、私の前に割り込んでくるというかわいらしさもあった。

次の観光客が来るのを入口で待つ彼女たちから快諾を得て写真を撮った。無愛想な表情から喜んでいないような気がするが、決して嫌がっていたわけではない。


昨日、アクラの街中を歩いていた時、スコールに遭った。商品が引き上げられた路上屋台の狭い軒先を借り、バッグにカバーをかけたり傘を出したりしているうちに雨脚が強まり身動きできなくなった。車すら動きを止め危険を感じる滝のような雨の中、ひとりの老人がパラソルを差して私の近くに寄ってきた。そして、そんなところに立っていないであっちで雨宿りしなさいと200メートルほど先の倉庫を指す。強風を伴った雨で鞄の中にも雨が浸み込み始めていたところなので助かった。

大型の倉庫に入ると大勢の人々が床やベンチの上に腰掛け雨が上がるのを待っていた。暗闇の倉庫内でもたもたしていた私に、老人は先客を移動させてスペースを作り、私に座って待つよう促してくれる。それから雨は何度も強さを増し30分は続いた。この倉庫の主である老人にはいくら感謝しても足りない。
自分の目の前に困っている人を見つけた時、積極的に手を差し伸べ助けてあげる、それが本当の親切だと感じた。

クマシでも午後3時ごろ急に雲行きが怪しくなりスコールになった。2mぐらい張り出した軒先の下、じっくり待とうと段差に腰掛けると背後から大きな声がかかった。てっきり怒られたのかと思ったら、その男はそんな所でなく中に入って座れと、自分が腰掛けていた長椅子にスペースを作ってくれた。暗がりの屋内スペースは倉庫兼事務所として使われているようで、業務用ペンキ缶が積み上げられ、男は売上の計算をしていた。スコールが本格的になると軒下は吹き込む雨で完全に水浸しになり、通行人たちが大勢倉庫内に入ってくる。
そして30分後、雨が小降りになり、雨宿りしていた人たちは男に礼を言って外に出ていく。主は礼を言われても、顔も上げずにぶすっとしたまま電卓を叩いている。雨宿りしていた人が倉庫の品を持っていってしまう恐れはないのだろうか。
見知らぬ人への親切が当然のように行なわれている国では、犯罪など起こらないのかもしれない。

ガーナ人は無愛想でも、とても親切なのだ。

<ガーナ基本情報>

[首都]アクラ、 [通貨]セディ(2008年11月, 100セディ=約1円)
[公用語]英語、 [宗教]キリスト教45%、イスラム教15%、伝統宗教40%、 
[入国ビザ] 必要、日本でマルチエントリービザ取得(1万円、シングルは8千円)
[歴史/概要]
15世紀にポルトガル人が渡来、金が豊富なことからゴールドコーストと名付けられ、その後デンマーク、オランダ、イギリスなどの進出が続き、金と奴隷貿易の拠点となる。当時の要塞がエルミナやケープコーストなどに残る。17世紀後半にアシャンティ王国が奴隷貿易で繁栄するが、のちにイギリスに敗れ植民地となり、1957年に独立。
ガーナ南部は熱帯気候で年間を通じて21~32度とそれほど暑くない。11月から2月が乾季で他は雨季。日本人にはカカオの産地として有名。黄熱病の研究をしていた野口英世博士は1928年にアクラで亡くなる。第7代国連事務総長のアナン氏はクマシの出身。

<たびメモ>

日本からアフリカまでのチケットに関して、西アフリカだけであれば日本発で1ヶ月FIX16万円程度からあるが、そこに東アフリカをプラスして更に1ヶ月を超えるとなると30万円以内も難しい。そこでマイレージで日本から香港までのチケットを取り、ケニア航空のサイトで香港発アクラIN、バマコOUTのチケットを購入(3ヶ月有効で料金1,750ドル、香港の旅行会社サイトで購入するより手数料分ぐらい安い)してナイロビでストップオーバーするという方法を取った。香港以外ではバンコク発があり、こちらは1,580ドル。その他、西アフリカIN、ナイロビOUTや南アフリカIN、ナイロビOUTといったオープンジョーも可能。日本発の香港やバンコクへの格安チケットと組み合わせれば有効なのでは。
≫≫(後日談)特に大きな問題なくフライトでき、機内のフライトアテンダントは明るく、旅行会社を通さずネットだけでチケット購入できる気軽さから、ケニア航空は機会があればまた利用したい。

[カナダ]トロント

<1914年に富豪により建てられたカーサ・ロマ>

トロントは緑の多い洗練された大都会で親切な人も多い。
反面、いかれた危ない人も少なくない。平和な美しい街と思って歩き回っていたが、結構、やばい街なのかも。

≫続きを表示

昨日のニューヨークからトロントはAir Canadaで飛ぶ。バスや鉄道でも12時間ぐらいかけて行くことができるが、飛行機よりも7、8千円安い程度なので、終盤の疲労も考慮して飛行機を選択していた。
また、Air Canadaはスターアライアンスメンバーなので、私はラウンジが利用でき、たらふく飲食してネット使い放題を想定していたが、ラウンジではネット不可でこれと言った食べ物がなく、機内食はまたしても出なかった。
おとといもラウンジ及び機内食を期待して朝食しかとっていないし、昨日も高価なNYの食事はできるだけ避けようと思って牛丼並1杯だけで耐えていたのでさすがに辛い。何でもいいからとラウンジにある食べ物を口にしたが、ナッツやチョコすらなく、ぼそぼそとした鳥の餌のようなスナック類だけ。全く腹にたまらないが、ぼろぼろとラウンジの床にこぼしながら袋をいくつも破って食べていた。私はハトか。

トロント空港から地下鉄の駅に向かうバスに乗車する際、小銭がないため料金の支払ができずに困っていた。足りていないUSドルの小銭で何とか勘弁してもらえないかとねばっていると、女性の乗客が運転席まで来て回数券を無償で提供してくれた。
バスが走り出してから礼を述べ、何がしかのお金を支払おうとしたが受け取ってくれない。彼女はAir Canadaのフライトアテンダントだった。
US Airwaysなみかと不満を感じていたAir Canadaの株が一気にあがり、トロントはいい街で安全なのだろうとしばらく思うことにした。

良い印象を持って眺めていたのだが、薬などで気が触れた人や浮浪者が結構目につき、だんだん気になってくる。東京でも夜中に街を歩けば酔っ払いに絡まれ、ホームレスがたむろして悪臭を放つ地区が少なからずあるので大差ないのかもしれない。単に私が白人の浮浪者や精神異常者に慣れていないだけと思い込もうとした。
しかし、地下鉄の車内で獣のように残飯にむしゃぶりつく老婆と、ナイアガラまでのバスで大声で喧嘩し続けていた薬物中毒らしき中年カップルの姿が強烈で、頭から消え去らない。インドやアフリカで目にする変質者は、異文化地域の一部として抵抗なく受け入れられるが、先進国でこのような人たちを間近で見てしまうと、自分に襲いかかる異質なものと感じ体が強く拒絶する。
昨年12月に訪れたオーストラリアは、アフリカなみのハエの多さとシドニーの安宿の汚さが深く脳裏に刻み込まれ、他の良いイメージはすっかり薄れてしまった。

私には先進国の旅が向いていない。

[グアテマラ]キリグア

<キリグアの遺跡公園撮影ポイント

芝生の緑はきれいだが、遺跡公園には保護のための屋根で覆われた石碑が何本か建っているだけ。
予想はしていたが、世界遺産のキリグア遺跡は観光資源としては厳しいものがある。

≫続きを表示

この2m四方ぐらいの大石が一番の見もののようだが、わざわざこんな辺鄙な所を訪れて見るべき価値があるのだろうかという気がしてしまう。しかし、大きな石段の上にある球戯場跡が修復中だったり、木々に覆われたエリアで発掘が進められていたので、キリグアはコパンに行く途中に寄ってもいいかなという程度の観光スポットになるかも。

本日の移動はフローレスからグアテマラシティ行きのバスに乗り遺跡への分岐点で降ろしてもらい、そこからミニバスかトラックバスでキリグア遺跡に向かい(フローレスからキリグアまでのルート)、また、遺跡からミニバス、街道バス、ローカルバスと乗り継いでチキムラに向かう(キリグアからチキムラまでのルート)、というもの。かなりの困難を伴い、バスが来なくて途中で暗くなってしまうのではないかといろんなケースを想定していたが、それぞれのバスの待ち時間もほとんどなくあっさりとチキムラまでたどり着いた。(フローレスからチキムラへ直行した場合のルート距離

乗り合いミニバスやローカルバスが満員にならなくても出発して本数が多いのは意外だった。また、メキシコ人より更に無愛想なグアテマラ人ながらメキシコ人なみに親切なのだ。私が尋ねると他のバスの客引きをしている男でも私が乗るべきバスまで案内してくれたり、バス停らしき場所で一緒に雨宿りしていた農夫が、お前あのバスに乗るんだろと、私がバスだと気づかず走りすぎようとしていたミニバンを止めてくれたりなど、親切な人だらけだった。みんなが脅すほど犯罪が多い国とは思えないのだが。

グアテマラの人は良いのだが食事はまずい。
1食目、2食目まではたまたまかと思って耐えていたが、3食目以降も全てまずいので我慢できなくなってきた。素材や調理法はメキシコと変わらないようにみえるが、味付けや調理後の保存方法が悪そうだ。味の単調さや外し方はフィリピンやスリランカの料理に通じるものがる。
水がくさいのだろうか、レストランで出されたネスカフェコーヒーもあまりのまずさに途中から飲めなくなった。

<後日談>

昨日、テレビで日本人女性が経営する「キリグアの宿」が紹介されていた。
時間が遅くなりチキムラに辿り着けそうなければ、地球の歩き方にも紹介されていたその宿へ泊まることを検討していたが、スムーズに移動できたのでチキムラに向かってしまった。
しかし、結果として、チキムラはつまらなくまずい食事で食あたりを起こしてしまっている。今考えると、このキリグアの宿に泊まり、ゆっくりとグアテマラの農村の生活に触れ、キリグアから直接コパンに入るのが正解だったようだ。(2011年10月10日)

<参考図書> B20 地球の歩き方 中米 2007~2008 =>最新版 2018~2019

[メキシコ]グアダラハラ

<カテドラル撮影ポイント

ノガレスから27時間のバス移動(区間距離とルート)でヘロヘロだが、やっとメキシコの観光が始まり気分が高まる。
グアダラハラはメキシコ第2の都市でさぞ治安が悪いのではと思っていたのだが、ホテルスタッフや親切な警官に尋ねた限り問題なく安全だという。
食事が口に合い、人も良さそうなので気に入っている。

観光地にいる警官は英語を話し、街の造りやレストランなどがヨーロッパ風で洗練されている。

ここの博物館は先住民の遺跡が興味深く、なかなか良かった。しかし、世界遺産オスピシオ・カバーニャスはイマイチな上、入場料が1年前の10ペソ(ガイドブック情報による)から70ペソ(約700円)と高騰しているのが気に入らない。
観光施設、ホテルなど全般に価格が2、3割上昇している。

<たびメモ>

バスターミナルはグアダラハラ中心部から10km離れ、ターミナルから中心部に入る際は赤の707か709と教えられ、709(9ペソ)に乗ったら1時間以上かかった。市内からターミナルに向かう際は地下鉄(5ペソ)で東の終着駅Tetlanに行き、地下鉄出口から150mぐらいのバス停からR-610(5ペソ)のバスで30分程度で着く。このルートで移動するのに街の人々に手当たり次第聞きまくったが、ほとんどみな親切に教えてくれる。その中で説明してくれた内容が理解できた人に従った。
警官やバスチケット販売員など英語が通じる人が多い。泊まったホテルのスタッフは英語がダメだったが、親切なおじさんたちで、バスターミナルまでのルートを紙に書いて教えてくれた。ちなみにホテルはAna Isabel(Single200ペソ)。エアコンなしが問題なければ、虫が1匹もいなく清潔でほぼ完璧な部屋。

[ジョージア]クタイシ

雨の中訪れた世界遺産の大聖堂(バグラティ大聖堂の航空写真)や修道院はどちらもそれほどのものでなかった。さらにジョージア(グルジア)第2の都市でありながら、街中にまとまなホテルがひとつもないとは何たることだ、と文句を言いたいところだが、美しい女性に出会えたことで思い出深い街となった。

難民(どこからかは不明)が多く滞在するが泊まれるとガイドブックに記載されたクタイシホテルを探し当てるが、既にホテルの機能を失っていた。しかし、そこの住民らしき若い女性に英語で話かけられ、彼女は抱えていた赤ん坊を居合わせた別の住民に預けると、近くにあるというホテルに案内してくれる。薄暗いホテルを出て間近に彼女を見ると、クタイシで一番ではないかと思えるほどのべっぴんなのだ。

彼女が連れて行ってくれたホテルは表に何の表示もなくビルのごく一部の部屋を利用していた。民泊の類かもしれない。人から教えられただけでは到底たどり着くことができない。彼女はホテルに導いてくれただけでなく、女主人の通訳をして、さらに値引き交渉まで真剣に行なってくれる。なぜ、そんなことまで。アルメニアでも何度か驚かされた、過剰とも思える親切をとろけそうな美女から施される。私が表現しきれぬ感謝の意を述べると、別れ際に彼女から握手を求められた。天にも昇る想いだ。

<6月21日(バドゥミ)>

雨が降ったりやんだりで、ところどころ道が水で溢れている。
国境近くの街バトゥミは観光ポイントがないので通過すべき。立ち止まっても黒海が見えるだけ。(バトゥミ港の航空写真

<ジョージア(グルジア)めも>

トビリシ、クタイシで少し身構える地区がある以外は、危険を感じなかった。事前に脅されていなければ、普通に歩いてしまっただろうという程度。
アルメニアほどではないが、概ね人は良い。トビリシ以外には、タクシーの運ちゃんを含めて、観光客から搾取しようと考えている人もなさそうだ。
その代わり、町によってはまともなホテルや交通機関が少ないため、観光に不便を感じる場面が多そう。
バスターミナルなどの公衆トイレは汚い。アジア農村、アフリカなみ。見た目も恐ろしいが、一瞬で気絶しそうな強臭を放つトイレも少なくない。個室はオープンが基本。

[アルメニア]ギュムリ

<緑の大地に孤立するマルマシェン修道院航空写真

国境近くのギュムリで宿を取り、隣村にあるマルマシェン修道院を訪れる。

緑の絨毯に赤い石トゥーフで造られたという教会が映え、悪くない。
だが、それよりも印象的だったのはアルメニア人の人の良さだった。

≫続きを表示

隣村へのバスの乗客たちは最初は静かだった。私がバスに乗り込みマルマシュン?と尋ねても微かに頷くだけだ。
ほぼ満席でターミナルを出発したバスは、途中ギュムリ市内で客を乗せると老人や女性たちが乗り込むたびに男たちが席をゆずっていく。最後部席に腰掛けていた私も、恰幅のよい婦人が乗り込んだ際に席をゆずった。
明るい彼女はいったいどこから来たんだという風に話しかけ、私がアルメニア語もロシア語も話せないことを伝えると、何やら冗談を交えてまわりを笑わせていた。すると、今まで私に興味のない素振りをしていた乗客たちが、一斉に私に視線を向け、堰を切ったように話しかけてくる。
「どこへ行くんだ」とみんなが尋ねています。今まで黙っていた隣の男性が英語で教えてくれた。
それからは、乗客たちからの質問攻めに合い、お互い議論しながらアドバイスしてきた。まとめると、終点のマルマシェンで折り返すこのバスがギュムリに戻る最終になってしまうが、村内にタクシーがあるからなんとかなるだろうということだった。

修道院までタクシーを利用すべきだという意見もあったので、バスを降りてから探してみたが、村内にタクシーらしき車は見つからない。陽が沈むのが21時ごろとはいえ、もう18時過ぎ。バスの終点からひと気のない道を歩き不安を感じていた。
30分ほど歩き、緑の絨毯に映える赤みを帯びたマルマシェン修道院に近づいてくると子供たちの歓声が聞こえてきた。修道院の周辺でいくつかのグループがアウトドアパーティを行なっていたのだ。みな帰り支度を始めているころだった。その中で貸切バスで来ていたグループと仲良くなり、鍵を開けて修道院内を見せてもらった上、ギュムリに帰るバスに乗せてもらうことになる。車内ではパーティで余ったお菓子やきゅうりなどを次から次にごちそうになった。


市内に入ってから貸切バスを降り、中心部に行くと教えられたミニバスに乗り換え終点に着いた。鉄道駅の近くだというのでホテルまで20分ほどの距離と思われるが道が全くわからない。すると、ミニバスを降りた乗客の中に英語を話す青年がいて、案内してあげると付いてきた。
ギュムリに仕事で来ていた彼はホテル名や通り名から人に尋ねて案内しようとしているのだが、私が通り名を知らないだけでなくホテル名すら誤って記憶していたのでなかなかみつけられない。大きな広場に行けばホテルの場所を思い出すと青年に伝えたが、ギュムリには大きな広場がいくつもあった。
彼が10人以上に尋ねてくれたおかげで、私が正しいホテル名を思い出し、40分以上かかってホテルに着くことができた。彼が途中で何度かコーヒー飲みたくないかと私に尋ねていたので、当然ながらこれは彼の要求であり、これだけの労力は夕食のごちそうに値するのかなあとホテル前で考えていた。
「ちょっとこれ持っていて」と彼が言いながらズボンのポケットから取り出した数枚のコインを受け取った。
「途中でコーヒーをごちそうしようとしたんだけど開いている店を見つけられなかった。代わりにそれを受け取ってくれ」
「ちょっと待ってくれよ。私が助けてもらったんだから、私がごちそうしなければならないのに。夕食を一緒に食べない?」
「いや食べたくない。もう遅いから帰るよ。いいからそのお金はしまってくれ。その代わり私の顔と名前だけはずっと覚えておいてくれ」
彼がもう一度自分の名を言うと逃げるように立ち去ってしまった。
感謝する、君のことは決して忘れないと伝えたのだが、ホテル名も覚えられない私は、彼の後ろ姿を目で追っている間に名前だけでなく顔すらもおぼろげになってしまった。
日本でアルメニア人に会ったらコーヒーをごちそうするよ、髭面だった(かどうかも記憶があやふやな)彼にそう誓った。