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[ベナン/ナイジェリア国境]Seme

コトヌー-ラゴス間のセメ国境(Seme Border)は悪名高きポイント。
どれだけ大変なのか見てみようぐらいの気持ちで通ったが、まあいろいろと酷かった。
この手の国では大なり小なり役人の賄賂要求があるものだが、ナイジェリアのチンピラ役人の行為はもはや強盗だ。

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最初はベナン側国境近くの路上検問で警官に難癖をつけられた。
乗り合いタクシーを止められIDカードを出せと言われてパスポートを出したが、これはパスポートでありIDカードではない、IDカードを持っていないならオフィスまで連行すると息巻いた。彼らの脅しは賄賂要求のためではなかった。住所が書いていないものはIDカードではないとして乗り合いタクシーから引きずり降ろされ、彼らの車までで連れて行かれる。乗り合いタクシーのドライバーも一緒に付いてきて私の援護をしてくれていたが、ついにあきらめ私を置いて車を走らせると言い出した。
「ちょっと待った」と車に向かう運転手を制止して、私はなんとなく持参した国際運転免許証を鞄の奥から取り出した。1年前、ニュージーランドとオーストラリアに行く際作成したもので、ちょうど昨日で有効期限が切れている。しかし、これには顔写真が貼付され名前と住所がアルファベットで書かれている。

免許証を受け取った警官たちは、それでいいのかどうか判断するのにも時間がかかった。鶏のように首をこきこき捻りながら、1人がこれでいいのではないかともう1人に渡すと、彼もまた首をこきこき捻り、しばしフリーズした後「OK、行ってもいい」とパスポートを返す。30分ぐらい停車していたので乗り合いタクシーの同乗者たちは騒いでいるようで、ドライバーがIDカード持っているならすぐに出せよと不満しきりだ。
悪いね、にいちゃん、期限切れの国際運転免許証が役立つとは思ってもみなかったんだな。

ベナンの出国審査で列の後ろから処理状況を観察すると、パスポートを提出する際、自ら百円程度の賄賂を差し出す人が多く、たまにお金を出さない人がいると、パスポートを返さないぞという脅しにより収奪されていた。ところが、私に対しては何も要求せず出国スタンプを押して返してくる。様々な国の人たちが賄賂らしきお金を要求されていたのにどういうことだろう。日本人旅行者たちのワイロノー活動の賜物と思っておこう。

税関チェックなどなくナイジェリアに向かって歩いていたところ、建物の前に机を出して座っていた役人に止められる。予防接種証明書を出せと言う。出国時にチェックするのにどういう意味があるのかわからないが提示すると、コレラの予防接種がない(日本の検疫所の話では、コレラ予防接種の国際証明書というものは存在しない)とかイエローカードにスタンプが押されていない(後から確認すると押し印はある)から200円相当出せという。入国時にはこれで問題がないとして通ってきたのになぜ出国時に問題とされるのか理解不能だ。
私の「なぜ払う必要がある」に対して相手の「なぜ払わない」の押し問答になった。男の隣にいた女性係官が、200円払えばコレラの予防接種証明も書き加えた別の証明書を作成しますよと持ちかける。そんな偽証明書作りを持ちかけるなんて、あんたらまがりなりにも役人ではないのか。この男であれば30分粘っていれば何も支払わずに通れそうな気がした。しかし、これから難関ナイジェリア入りというところでそんな無駄なエネルギーを使いたくない。あまり信用できぬロンリープラネットによるとこの国境を600円以内の賄賂で通れればラッキーと思えとのことである。
そこで私はこんなもんでなんとかと、細かいお金をパラパラと渡した。男はおいおいこれだけかよと呆れていたが通ることができた。その額20円、ベナンのトイレ代相当だった。

5mほど歩くと同じような机に似た服を着て男が2人座っていた。先ほどの予防接種チェックも同様だが、何らかの表示があるわけではないので視線を合わせず通り過ぎようとすると、彼らは憤っている。しかたなく、「何か」と近寄るとイエローカードの提示を求めてきた。渡してしまうとまた返してもらえなくなるので、指に挟んだまま彼らに見せると、だめだコレラがないからこのカードは無効だと言うやいなや恐ろしいほどの速さと力強さで私のカードを奪い取り、机の引き出しにしまい込んだ。それは明らかにプロの盗人の技であった。
「5000フラン(千円)払え」
「そのやり取りはたった今、隣で済ませてきたところなんだけど」
「それはベナンでの事だろう。ここはナイジェリアだ。お前のカードは無効なので没収する。金を払わないならそのまま行け」

なんということか、知らないうちにナイジェリアに入っていた。こちらの悪徳役人は強面で力があり、大事なイエローカードを強奪した上で金を払わないと返さないと脅迫している。ベナンでの検疫チェックはナイジェリアの前振りでしかなかった。これはただ粘っているだけでは通れそうにもない。英語が流暢に話せれば「あんたの行なっている脅迫は明らかに犯罪行為である、よって日本大使館を通して強く抗議する」ということをギャアギャア騒いでいれば通れそうな気がしないでもない。(失敗すれば何時間も足止めさせられるかも)

一応私なりに迫力のない英語で抗議してみたが、強盗役人には何ら効果がみられず金で済ませることにした。もうトイレ代用の小銭はなくなっていたので、持っているなかで一番細かい百円相当のコインを差し出した。これだけじゃ足りないもっと出せと脅迫してきたが、もうこれしかフランがないと主張してやっと盗人役人からイエローカードを返してもらった。(イエローカードの有効期間は10年だったが2016年7月11日から生涯有効に変更。カードがより重要となると共に10年超過したカードに対する難癖への対応必要WHOのPDF><厚生労働省検疫所:黄熱について>)
しかたなく金を渡すにしてもやつらにはトイレ代程度で十分。(ナイジェリアは物価が高そうなので20円ではなく40円程度か)
教訓として言えることは、ここの国境を越える前にやつら用のトイレ銭(小銭)を用意しておく必要がある。強盗が釣りを返すわけないのだから。

小銭が切れてしまった私はこれからいったいいくら要求されるのだろうとびくびくしていた。しかし、入国審査や税関らしきところでは賄賂要求がなく、その後は意外にもあっさりとナイジェリアに入国できた(であれば検疫チェックでもう少し粘るべきだった)。結局120円強奪されただけで済んだのはラッキーだったと考えるべきなのだろうか。(汚職撲滅を掲げるブハリ大統領が2015年5月に就任して以来、賄賂要求はかなり穏やかになったとの噂あり

その後、乗り合いタクシーターミナルまでの500mを歩いているうちに3回のパスポートチェックがあり、タクシーに乗ってからも無数の検問で徐行させられる。ラゴス郊外のターミナルまで90kmの間に30以上は検問があっただろう、発狂しそうになった。
全ての検問でチェックされるわけではなく、うまい具合に3回に1回程度停止させられ、トランクだけのチェックとパスポート類を含めたチェックの2種類がある。対向4車線の高速道路を快適に飛ばしているとすぐ渋滞があり、車1台ずつを係官が確認して許可されないと通過できない。どう考えても同じ内容のチェックを特に国境付近では1km間隔ぐらいで実施しているのだから相当無意味な行為である。

また、検問が少なくなってきたころにはとんでもない渋滞が頻繁に起こる。ラゴスの渋滞は尋常でないということを知っていたので、中心部に入らず数km郊外のMile-2 Motor Park国境からのルート)というターミナルで乗り換え地方に向かおうとしていたが、それでもアクラの渋滞など全く比較にならぬものがあった。超低速走行による排ガスの充満、異常な接近と強引な割り込み、歩道や中央緩衝帯など車道以外の走行、ストレスクラクション、どれもこれも発狂しそうなほど酷い。これら渋滞は全てバス乗降場で発生していて、何台ものミニバスが横に二重三重に停車して車線を塞いでいることにより起こっている。何のことはない、秩序さえ守れば防げるのだ。

かくして、石油産出国ナイジェリアは世界的な流れに逆らい反エコロジーを貫く国であった。

<ナイジェリア基本情報>

[首都]アブジャ(1991年ラゴスより遷都)、 [通貨]ナイラ(2008年11月, 1ナイラ=約0.84円)
[公用語]英語、 [宗教]イスラム教50%、キリスト教40%、伝統宗教10%
[入国ビザ] 必要、アクラで取得(20ドル)、日本での取得は招請レターなどがない限りかなり困難との噂
[歴史/概要]
17世紀から19世紀、ポルトガル人、イギリス人などがアメリカ大陸へ送る奴隷のために海岸に多くの港を建設し、奴隷海岸と呼ばれていた。19世紀末に南部を支配していたベニン王国は周囲のハウサ、ヨルバの王国もろともイギリスに滅ぼされて植民地化される。1960年に連邦共和制国家として独立するが、汚職や政変が絶えず、政治が腐敗したまま現在に至っている。
世界有数の産油国であり、人口1億4千万人の大国で、教育水準も高いとされるが、政治の腐敗のため経済が低迷しインフラ整備は進んでいない。北部は乾燥地帯でキャラバン貿易を通じてイスラム教を受容しており、南部は熱帯雨林地帯でアニミズムを信仰し後にヨーロッパの影響を受けキリスト教が広がった。
ボビー・オロゴンの出身地であるイバダンは南西部に位置し、ラゴス、カノに次いで3番目の大都市。

[トーゴ/ベナン国境]Anecho

小国同士の国境なので楽に通過。

≫国境越え詳細
  • ロメから国境の町アメホまで乗り合いタクシーで2時間。区間ルートをみると50km弱だが、ルート後半は未舗装の悪路だった。
  • トーゴ出国時、税関、出国税、賄賂要求なし。カード記入も不要で係官が台帳に記入。
  • 両国間のイミグレーション(出入国審査場)近い。(荷物が重くなければ越境直通タクシー不要)
  • ベナン入国時、税関、入国税、賄賂要求なし。カード記入不要でトーゴよりも詳細な内容を時間をかけて係官が記入。
  • 国境からウイダーまで(区間ルート)乗り合いタクシー1時間。
<ベナン基本情報>

[首都]ポルトノボ、 [通貨]CFAフラン(2008年11月, 1CFAフラン=約0.18~0.2円)
[公用語]フランス語、 [宗教]伝統的宗教65%、キリスト教20%、イスラム教15%
[入国ビザ] 必要、アクラで5ヶ国共通ビザ取得(3万CFAフラン)
[歴史/概要]
17世紀に成立したダホメー王国は奴隷貿易で繁栄するが、1894年フランスによって征服される。1960年に独立後、一時、社会主義国にもなるが、1990年からベナン共和国として現在の姿になる。
国民の大半が農業に従事して綿花、トウモロコシなどを生産。海底油田の開発は停滞しており、石油製品の大部分を隣国ナイジェリアに頼っている。ヴードゥー教はベナンが発祥といわれ、1992年にベナンの国教となる。オフィス北野所属のゾマホン・ルフィンはベナン大統領特別顧問(ゾマホン氏関連のwebサイトはベナン情報事前チェックに必須)。さんまのからくりTVに出ていたアドゴニー・ロロの出身地。

[ガーナ/トーゴ国境]Aflao-Lome

夜でも難なく通過。

≫国境越え詳細
  • アクラから国境のアフラオまで(この区間ルートと距離)乗り合いワゴンが飛ばしに飛ばして3時間強。
  • 19時過ぎ(国境でビザが取れるがアライバルビザ発給は17時までなので要注意)の暗闇でも国境を往来する人は多く、食べ物や両替の路上売りが多く出ていて体感危険度は低かった。
  • ガーナ出国時、税関チェックなし、出国税等なし、軽い賄賂要求あり。(ノー1回で済み)
  • トーゴ入国時、税関チェックなし、入国税、賄賂要求なし。
  • イミグレーションを出たところにバイクや車のタクシーがたむろしていて、それほどふっかけられずに市内へ移動可能。
<トーゴ基本情報>

[首都]ロメ、 [通貨]CFAフラン(2008年11月, 1CFAフラン=約0.18~0.2円)
[公用語]フランス語、 [宗教]キリスト教23%、イスラム教10%、伝統宗教67%
[入国ビザ] 必要、アクラで5ヶ国共通ビザ取得(国境でアライバルビザ取得可能のよう)
[歴史/概要]
16世紀以降は奴隷海岸の一部として知られ、19世紀まで奴隷の供給地となる。1885年ドイツ保護領トーゴランドと宣言されるが第一次世界大戦に英仏による分割統治となる。英領がガーナの一部として分離され、1960年に仏領がトーゴとして独立。
ドイツが宗主国であったため古くから生ビールが飲まれ、ソーセージが美味しいといわれる。
人口650万人ほどの小国ながら、2006年にサッカーのワールドカップ出場。

[ガーナ/コートジボワール国境]Elubo-Noe

ケープ・コーストからアビジャンまで(ルート)乗り合いタクシーとワゴンを乗り継ぎ容易に国境通過。

≫国境越え詳細
  • ケープコーストのpedu junctionから乗り合いワゴンで1時間30分でタコラディ(takoradi)、別の乗り合いワゴンに乗り換え2時間20分で国境のエルボ(Elubo)。(区間ルートはこちら
  • ガーナ出国時税関なし、出国税、賄賂要求なし。
  • ガーナのイミグレーションからコートジボワールのイミグレまで炎天下1km近く歩く。eluboのバスターミナルからずっとイミグレ間タクシーの客引きがしつこかったが、料金に納得すれば乗ってもいいかも。
  • コートジボワール入国時、税関なし、入国税、賄賂要求なし。入国カード記入も不要で実にあっさり。うるさいのはタクシーの客引きのみ。
  • 国境のノエ(Noé)からアビジャンまで、乗り合いタクシーでとばして2時間20分。(区間ルートはこちら
    ガーナの移動でお尻が痛くなっていてボロプジョーには乗りたくなかったので、日本でも走ってそうな程度の良いプジョーを選んだ。トラックが60kmぐらいで走り自転車や歩行者の往来も多い一般道をときに140kmも出していた。その恐怖たるや、砂の浮いた一般道を140kmで強引な追い抜きを繰り返していたイランの長距離タクシーを思い出させる。
<コートジボワール基本情報>

[首都]ヤムスクロ(最大都市 アビジャン)、 [通貨]CFAフラン(2008年11月, 1CFAフラン=約0.18~0.2円)
[公用語]フランス語、 [宗教]イスラム教30%、キリスト教10%、伝統宗教60%
[入国ビザ] 必要、アクラで5ヶ国共通ビザ取得(3万CFAフラン)
[歴史/概要]
15世紀にポルトガル、イギリスなどが来航、象牙や奴隷を買い付けていたため、象牙海岸(仏語でコートジボワール)と呼ばれる。19世紀にフランスの植民地となり、1960年に独立。2002年9月に内政の混乱から国を二分する争い(コートジボワール内戦)となり、現在も北部は反政府勢力に支配され、西部は部族対立が根強く残り、国内の多くの地域に外務省から退避勧告が出されている。
産業はカカオ、コーヒーをはじめとした農業以外に鉱工業が盛んで、「西アフリカの優等生」と言われるほど独立後は順調に経済が発展した。昔からヨーロッパ人が多く住み、農産物も豊富なため美味しい食べ物が多いと言われている。

[コスタリカ]リベリア

<朝のカテドラル撮影ポイント

ニカラグア、コスタリカ間のベニャス・ブランカスの国境は最悪だった。
出入国合わせて4時間、屋外に並ばされた。

今回の旅で通ってきた8ヶ所の陸路国境越えは驚くほど楽だったので、このような事態を予測できず、国境で完全に暗くなってしまい、またしても刻む。

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旧中央アメリカ連邦5ヶ国のうち国旗のデザインが似ていて仲の良さそうな グアテマラ、 ホンジュラス、 エルサルバドル、 ニカラグアの4ヶ国は越境時に出入国スタンプが不要だったが、ニカラグアから コスタリカに抜ける際は通常の国境越え手続きが必要になる。
しかし、1人あたりの審査時間が特に長いわけではない。単に審査官の数を減らし、待ち時間ができるだけ長くなるようにしているだけなのだ。
更に国際バスが到着する度に国際バス乗客の審査が割り込み処理され、ローカルバスを乗り継いで重い荷物と共に並んでいる我々の列は全く進まなくなる。

ニカラグアでは強い陽射しと時々雨の中で2時間半、コスタリカではぬかるみやゴミ溜めで荷物を下に降ろすのもためらわれる場所<上記写真>で1時間半、アフリカでも経験したことのない苦痛の国境越えだった。
放心状態の旅行者たちは陽が完全に落ちた国境でバスがあるのかないのかわからず右往左往。犯罪に巻き込まれやすい状況となっている。
前回の中米旅行で、国際バスでコスタリカに入国する際、暗闇の屋外に乗客たちの荷物を置かせてしばらく待たせるという税関の怠惰な対応もあって私のバッグが盗難に遭っている。今回、敢えて国際バスを避けた結果がこれだ。

国をあげて観光を推進しているコスタリカだが、陸路で入国しようとする旅行者を虐げ、国境での犯罪を助長する対応をしているとしか思えない。(ニカラグアはそれなりの国だからその酷い対応に特に文句なし)

この国境越えの列に並ぶ人々の中で第3国の外国人は珍しい存在だったが、ニカラグア出国時、私の数人前に小柄な東洋人が一人いた。体格に似合わぬ大きなバックパックをかつぎ、オレンジのサブパックを胸に抱え、サイズの合わない大きな帽子をかぶり黒ぶちの眼鏡、黄色い腕時計と異様に目立った出で立ちだ。あまり関わりたくない雰囲気を持っていたので韓国人か香港人あたりであることを願っていたが、バックパックを下ろすとTシャツの背中にひらがなが書かれているのを発見してしまった。

コスタリカ入国時には彼を見失ったのだが、入国審査終了後、彼の方から私をみつけ一緒に近くの町まで行こうと誘われた。あまりにも目立ちすぎて、おとりにしか見えないような男と一緒に行動すれば、一人で移動するよりかえって危険ではないかと思ったが、バスの車内で話してみると旅行経験豊富な面白い男だった。

彼は数年前にスペインで首絞め強盗に遭った話をしてくれた。

マドリード中心部で人通りの少ない公園の脇を1人で歩いている時、突然、数人の男に囲まれた。前を歩いていた男が振り向いた瞬間、後にいた男に首を絞められ、HELPと叫んだところまで覚えているが苦しむ間もなく気を失う。
気がつくと路上に仰向けになっていた。気を失っていた時間は短かったようだが、襲われる前、周辺にいたはずの物売りや浮浪者はみないなくなっていて、半身を起こした時、青年が一人だけ近くにいてどうしたんだと話かけてきた。バックパックは宿に置き、貴重品のみをサブパックに入れて持ち歩いていたが、サブパック、財布、パスポートの全てを盗まれたという。

そんな経験をしながらも、首絞め強盗の本場、中南米に1人で乗り込むとは見上げたものだ。

このおとりくんの経験談は興味深かったが、首絞め強盗への防御方法が見出せない。
男達に囲まれたと思ったら、前の男が振り向いた瞬間、首に手がかかる前に屈み込めばいいのだろうか。(その次どうすれば、横にすばやく逃げるか)

<ニカラグアからコスタリカへの国境越え情報>

グラナダからリベリアまでの国境越え。(ルートはこちら

(1)グラナダ -> リバス
大型バスで1時間45分(24コルドバ)
(2)リバス -> ベニャス・ブランカス
大型バスで45分(20コルドバ)
ニカラグア出国税$2
ニカラグアもコスタリカも税関チェックなし、コスタリカでの出国チケットのチェックなし
(3)ベニャス・ブランカス -> リベリア
大型バスで1時間45分(1000クローネス)

[ニカラグア]レオン

<カテドラル>

レオンは古い教会が多く趣ある街と言いたいところだが、ちょっと苦しい。
外国人観光客が来るほどのところではない。

<市場のある通り>

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世界遺産のレオン・ビエホには、レオンからバスで1時間の町で乗り換え、トラックバスに30分以上詰め込まれて村に着き、村人に尋ねながら10分歩いてやっとたどり着いた。アクセスの悪さから、とてもメジャーとは思えない遺跡だ。
レオンからグラナダに移動の途中に立ち寄ったため、荷物が一緒で何かと大変だった。トラックバスに乗ってからスコールに襲われ車内は窒息しそうな息苦しさになり、遺跡に着いたころ雨が上がったが、やぶ蚊の大群に襲われて観光どころではなかった。

遺跡は航空写真で事前に見た通りのままで、素人目には学術的にもそれほど重要でないような気がする。期待していた富士山のような火山とその子供のような小富士を雲が晴れた短い間だけ見ることができた。

しかし、それよりも感動的だったのは、つまらない遺跡の上に青い鳥がとまっていたことだ。見たことのない細身の美しい鳥に息をのんだ。そっとカメラを取り出して構えると、飛び去ってしまった。
欲を持って撮ろうとせず、じっとして、不意に現れた幸せの鳥をしばらく観賞すべきだった。

<エルサルバドル/ホンジュラス/ニカラグア間の国境越え情報>

サンミゲル(エルサルバドル)からホンジュラスを渡ってレオン(ニカラグア)まで抜けるルート(地図の区間を押すとレオン経由レオンビエホまでのルート表示、レオンまでは約310km、マーカーやルートをマウスで動かし確認可能)

(1)サンミゲル -> サンタロサ
大型バスで65分($1.2)
サンタロサのターミナルに入る手前でアマテージョ行きバスの乗り換え場所があるので、車掌に告げておいた方が良い。
(2)サンタロサ -> エル・アマテージョ
大型バスで30分($0.9)
<<エルサルバドル-ホンジュラス間の国境>>
ホンジュラスの入国チェックのみ。(入国税$3)
(3)アマテージョ -> チョルテカ
大型バスで2時間10分(37レンピーラ)
(4)チョルテカ -> グアサウレ
ミニバスで50分(26レンピーラ)
<<ホンジュラス-ニカラグア間の国境>>
$7取られ、$2と$5のまともなレシートをもらうが何の料金なのかわからない。ニカラグアのイミグレーションからバスターミナルまで1km以上あり、雨が強かったので自転車タクシーを使った。($2)
(5)グアサウレ -> チナンデガ
大型バスで2時間(25コルドバ)
ミニバスも走っており、そちらがはるかに速そう。
(6)チナンデガ -> レオン
大型バスで1時間20分(13コルドバ)

バスの待ち時間や国境移動時間を含め10時間近くかかっている。
国際バスがレオンに停車しないでマナグアまで行ってしまうのと、マナグアの国際バス停付近は超危険地帯ということで、国際バスを利用せずローカルバス乗り継ぎにした。事前に詳細情報を得られず手さぐりの移動だったが、予定通り夜までにたどりつけて、グー。

[エルサルバドル]サン・サルバドル

<屋根で覆われたホヤ・デ・セレン遺跡航空写真

世界遺産ホヤ・デ・セレンの古代遺跡は観光地としては非常に厳しいものがある。
発掘途中の遺跡の一部を特別に見せてくれているという程度で、考古学研究者でもなければ見る価値はない。
英語の解説やガイドを充実させれば少しは興味が沸くかもしれないが、博物館と遺跡を全て見て20分で十分という今の規模では外国人旅行者が行くほどのものではない。(あくまでも2008年5月訪問時の感想です)

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<サンサルバドルの繁華街>

サンサルバドルの街はごみごみして車の運転はかなり荒い。
雨で暗いせいもあるが危険と言われればそんな気がかなりする。銃を所持した警備員がやたらと多い。グアテマラやホンジュラスの地方都市で、銀行の建物には入り口だけでも3、4人が銃を構えており物騒だと感じた。しかし、ここはそんなもんではない。中心街を歩いているとあちこちの建物の前に制服姿で銃を所持した男たちが警備している。逆に警官らしき姿はみかけない。

レストランやバーの入口が鉄格子の扉で閉じられている店が多く、開店しているのかどうかわかりにくい。
さらに二重鉄格子の店もあった。鉄格子入口内にあるロビーには銃を所持した警備員がいて客を選別して店内に入れる。ロビーに入ってもカウンター上が全て鉄格子になっていて、その内側にいる店員が客の注文を聞いて奥から商品を取り出していたのだが...
そんなに危険なのか。

<たびメモ>

世界遺産を全て制覇せよという特命を受けていない限り、ホヤデセレン遺跡には行く必要ないと思うが、交通手段を示しておく。
ガイドブックではサンタ・アナ行きのバスで途中乗り換えとなっているが、サンタ・アナ行きバス乗り場の近くにオピコ(Opico)行きのミニバス(50分、$0.85)あるいは大型バス(70分、$0.5)が頻繁に出ているようで、ホヤ・デ・セレンまで直行でアクセスできる。

<グアテマラからホンジュラスへの国境越え情報>

エスキプーラスからサンサルバドルまでの国境越え移動は、コパンほどやさしくはなかったが親切な人たちに教えられ、それほどロスタイムなく移動できた。(区間ルートはサンサルバドル経由ホヤデセレンまで:マーカー、ルートともマウスで移動可、エスキプーラスからサンサルバドルまでホンジュラスを跨ぐ経路で約140km)

(1)グアテマラ(エスキプーラス)-> 国境 ->ホンジュラス(アグアスカリエンテ->ヌエバオコテペケ)
エスキプーラスから乗り合いタクシー15分(15ケツァール)で国境。
国境はホンジュラス側のパスポートチェックだけで、両国とも出入国税不要(せっかく両国通貨を残しておいたのに)。
国境地点でエルポイまで行くというミニバスに乗れたが、国境通過待ちのトラック渋滞でほとんど進まなかったため運行取りやめ。1kmぐらい歩くとアグアスカリエンテの街の中心に着き、頻繁に出てそうな大型バスに乗り、30分(20レンピーラ)でヌエバオコテペケ(Googleマップ上ではオコテペケ、”9″まで拡大すると地名がでてくる)。
(2)ホンジュラス(ヌエバオコテペケ)-> 国境 ->エルサルバドル(エルポイ)
ヌエバオコテペケからミニバスで国境まで20分(10レンピーラ)。
ここもエルサルバドル側でパスポートのチェックのみ。
国境から500mぐらい歩き、バスターミナルから大型バスがサンサルバドルまで直行、3時間(1.8ドル)。

[グアテマラ]エスキプラス

<巡礼者が向かう夕方のバシリカ(大教会堂)撮影ポイント

コパンのあるホンジュラスからグアテマラに戻らずエルサルバドルに入るルートもあったが、(犯罪が非常に多いという)恐怖のサンサルバドルに着くのが夜になりそうなので、刻んだ。パーオンを狙わず、ボギーで十分という作戦に出たのだ。

エスキプラス(あるいはエスキプーラス)は黒いキリスト像を詣でに巡礼者が集まる門前町だそうだ。

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私も黒いキリスト像を拝ませてもらった。スペインのモンセラットで拝見した黒いマリア像には感動したが、こちらでは伝わってくるものがあまりない。(もう少し言いたいことがあるが、他人様の信仰対象を評価すべきではないので右に写真を掲載)

前回盗難に遭った中米旅行ということで、ガイドブックやネット上の危険情報に目を通してしまっているので、いろいろとびびりながら行動している。ミニバスの場合、車掌と客がグルになり、外国人旅行者を襲うケースがよくあるそうだ。

コパンからエスキプラスへの移動中(区間ルート)、国境を越えグアテマラ側で客待ちしていた空のミニバスに私が1人乗ると、体格のいい若者4人が乗り込みすぐに出発した。もう少し客を集めてから発車するのではないか。この4人の男たちは荷物も持たずに国境に何の用があったのだ。なぜ、後ろの席が空いているのにこの人相の悪い男が私の隣に座るのだ。開け放されたサイドドアのステップに立つ車掌は二の腕が太く、客の男たちと時々会話している。集落のない山道をミニバスはなぜかゆっくりと走る。

もう、だめだ。このワルそうな男たちに身ぐるみ剥がされてしまう。逃げ出そうとしても、隣に座る男か車掌にひ弱な私は簡単に取り押さえられるだろう。せめてどういうタイミングにどんな方法でやられるのか、首を絞められ気を失う直前までを覚えておこうか。
隣の男がこちらを向き大きな手を伸ばしてくる。この瞬間に首絞めか、そう思って首の筋肉を硬直させると、男は振り返って後ろの仲間と話をする。

車が街道を外れ、細い道に入る。いよいよかとバッグを持つ手に力を入れていると小さな集落に入り、女性客を乗せた。しかし、彼女の表情が明らかに固い。やばい車に乗ってしまったという表情にみえる。そして、女性客はすぐ降りてしまい、また車内はワルそうな男たちだけに。あーもう終わりだあぁぁ...

結局何事もなく済んだのだが、相当に緊張した乗車を40分以上続けていたため胃腸がキリキリ痛み音を上げていた。外務省やその指導を受けたガイドブックの過剰な脅しはなんとかならないのだろうか。(あとから考えるとあの体格の良い男たちは国境警備員だったのかも)

エスキプーラスに着いてほっとすると、胃腸の痛みが和らいでいた。一昨日の腹の壊れ具合から回復まで3日以上はかかると予想していたが、グアテマラの不衛生度はそれほどでもないのかもしれない。
この巡礼町はホテル、レストラン、土産物やがやたらと多いのだが、レストランは見るからに衛生的な店が目につく。チキムラがひどく、フローレスがイマイチだっただけかもしれない。

コパンの宿代は高いのでエスキプラスで宿を取って、コパン日帰りという手もある。片道3時間でミニバスを3回乗り換える必要があるが、目つきの悪い車掌が親切に教えてくれるはず。(保証はしかねます)

<グアテマラ/ホンジュラス間の国境越え情報>

国境では、グアテマラ側で出国及び入国時に1.5ドル、ホンジュラス側で同様に3ドルずつ税金か手数料が取られる。コパンだけを訪れ、同じ国境に戻ってきても再度出入国税が取られるとガイドブックにあったが、コパンに2日滞在で戻ると告げたら別紙にそれぞれスタンプが押され、帰りには出入国税は不要だった。
コパン遺跡のみ訪れる旅行者に配慮した対応に変更したのだろうか。

グアテマラの観光地アンティグアとコパンを結ぶ旅行者向けシャトルバスが運行されている。国境周辺の男たちは人相が悪い(と感じられる)ので、ミニバスでなくシャトルバスに乗るのが正解かも。

[グアテマラ]チキムラ

<子供向けイベントが催される中央公園撮影ポイント

ついにやってきた。私の旅では恒例の食あたり。このぐらいのペースで移動していると10日前後で発症するのだが、今回は20日近くも持ちこたえた。
疲労の程度も関係あるだろうが、食品の不衛生さによる影響が大きいと思われる。

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<中央公園近くの市場>

メキシコの食べ物は衛生的だった。路上で売っている食べ物のほとんどはプラスチックケースなどに入れられ外気にさらされていない。大衆食堂の食器類も清潔に保たれているため、ほとんど庶民向け食堂で食べるか、立ち食いしかしてなかったが、あたることはなかった。
同じ感覚でグアテマラで食事したため、かなり不衛生な物を口にしてしまったような気がする。

チキムラでの夕べの食事は、通りで一番混雑している食堂に入ったのだが、食べてる最中に羽蟻のような虫がライスの山に次々と突入してくるのに驚いた。厨房の大鍋にはいったいどれだけの虫が混入していたことか。

過敏な私の腹はその国の不衛生度をはかることができそうな気がする。覚えているところで言うと、チュニジアモロッコベネズエラウズベキスタン(ここは家庭料理のみだからちょっと違うか)で食あたりと思われる急性下痢症になっているが、グアテマラもこのリストに加えておこう。

<チキムラからコパンまでの国境越え>

腹を壊して躊躇していたため出発が遅い時間になったが、チキムラからコパンまでの移動(区間ルート)はあっさりしていた。
チキムラから国境までミニバスを1度乗り継いで1時間半(25ケツァーレス)、国境からコパンまでミニバスで15分(20レンピーラス)と、いずれもガイドブック表記よりはるかに短かった。
ただし、ここのミニバスは結構詰め込むので、荷物を抱えたままでは苦しく、宿に入ってから寝込んだ。

[ベリーズ]ベリーズシティ

何かありそうな気がしてベリーズシティに来てみたが、何もなかった。ベリーズの4分の1の人口が集まるという元首都の街だが、スイング橋(航空写真)周辺の中心部は殺風景で海岸沿いを歩いても美しい景色は見られない。

唯一、絵になりそうな姿の良い黒人たちは、私がカメラを目線まで持ち上げただけで襲ってきそうなほど怒り出す。ベリーズは中米では安全な国と言われているが、気の触れた浮浪者やジャマイカ風(?)の黒人が多く、慣れないせいか体感危険度が高かった。
物価は高いが安全な大都市で一休みしようという目論見は外れた。

<メキシコからベリーズへの国境越え/ベリーズのアライバルビザ情報>

メキシコのチェトゥマルから国境をどのように越えられるのか情報を収集できてなく不安だった。
パレンケからの夜行バスが朝5時にチェトゥマルのバスターミナルに着き、夜が明けてから歩いて国境を越えられないものかと考えていた。すると、そのターミナルでベリーズに向かう大型バスの運転手が客引きしていて、朝6時発のバスに乗ることができた。(パレンケ-チェトマル-ベリーズシティの区間ルート

ベリーズのイミグレーションでビザが発給されるようだという不確かな情報を元にビザを持たずに来たのだが、このイミグレーションでのビザ発給は通常手続きではないようだ。チェトゥマル市内の領事館でビザが取れるから戻って取得してから来いと係官に強い態度で迫られたが、「そこを何とか」とお願いして発給してもらう。(係官がワイロを要求していた訳でなく単に朝早くてやりたくなかっただけかも)
ビザ代50ドルで写真不要。大型バスの乗客10人のうちビザが必要なのは私だけだったので交渉後すぐ発給されたが、大人数でビザ発給を要求したり係官の気分次第では発給を拒否される可能性あり。(帰国後ネット情報を確認すると、チェトゥマルのベリーズ入国ポイントでビザ発給はされるが時間がかかりバスにおいていかれるケースが多いよう)
(2014年12月より日本人は90日までの滞在にビザ不要。最新の情報は”ベリーズ国政府観光局”のサイトなどで確認して下さい)